印刷する メールで送る テキストHTML電子書籍PDF ダウンロード テキスト電子書籍PDF クリップした記事をMyページから読むことができます 「iPhone6」と「iPhone6 Plus」の発売日、多くの中国人が転売のために押し寄せた。それらはご存知のように日本の多くのメディアで報道され、どう贔屓目に見てもポジティブには見えない内容となった。 異文化交流の練習問題として考えてほしいことがある。この中国人の行動が漠然とダメならば、何の行動が読者自身のコモンセンスに引っかかったのか。日本市場向けに販売される製品に対して「1.外国人が購入するのがダメなのか」「2.転売がダメなのか」「3.集団での組織的転売がダメなのか」「4.数十人分の待ち行列を1人で肩代わりして、結果割り込んだという行為がダメなのか」について問いただしてみた上で、その考えが行き過ぎではないか、ないしはその逆なのか
音楽をプロとして作ると言うことはなんぞやという話。半分決意表明みたいなものです。シェアしておきたい、と思いまして。名前は明かしたくないから匿名ダイアリーで。 そもそも、普段我々がiPhoneなどに入れて楽しんでいる音楽、それらのほとんどはポピュラーミュージックだ。そしてポピュラーミュージックのほとんどはエンターテイメントビジネスの範囲内で行われる物だ。資本主義からは逃れることができない。 では消費者はポピュラーミュージックの何を買っているか?果たして音楽を買っているのだろうか。私が思うに、アーティストの感情と物語を消費者は求めているのだとおもう。あと視覚効果やライブの場を感じるなどの体験。音は媒介に過ぎない。そして音そのものこそが商品であると錯覚するところからミュージシャンの不幸は始まる。お金にならないからだ。 ミュージシャンにとっての価値 : 音そのもの消費者にとっての価値 : 音
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