anond.hatelabo.jp ↑私自身がアラフィフ独身子なし男性なこともあり、似たような境遇の者が私の周りにはたくさんいるのだけれど、独身子なしという境遇に後悔している人間を私は現実で誰ひとり見たことがない*1。だから冒頭の増田のような言説は、そうであって欲しいという既婚者の願望なんだと私は思っている。 自分が選ばなかった人生を歩んだ独身者は不幸であって欲しいという、既婚者の願望。不幸な独身者の姿を見ることで、不幸な独身者の物語を信奉することで、「結婚した自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。 とはいえぶっちゃけ私も不幸そうな既婚者を見ると「蜜の味」を感じてしまうので、他人のことを言えた義理ではない。不幸な既婚者の姿を見ることで、不幸な既婚者の物語を信奉することで、「結婚しなかった自分は間違っていなかった」と自らの人生を肯定するわけだ。 自分が選ばなかった/選べなか
もう二度と見れない映画だった。私は俊坊と同じ、伝統芸能の家に生まれた。生まれた時から私は家を継ぐ3代目であり、将来は決定していた。稽古が始まったのはいつからか覚えていない。物心つく頃には私は扇子を握り、摺り足で歩く事が出来ていた。将来は日本舞踊の先生ねとずっと周りに言われ、薄ら抱いていた違和感は気付かないふりをしていた。日常に常に日本舞踊があった。釣り女の太郎冠者、棒縛りの次郎冠者、道成寺の聞いたか坊主、私の生活には常に沢山の登場人物で溢れている。中でも一番好きなのは義経千本桜。歌舞伎座で真っ白な狐の義経に心を奪われた。両親の皮で出来た鼓に擦り寄り泣く子狐、いつか義経をやりたい。そんな事が目標になっていた。 いつも稽古は厳しかった。毎日5時間泣きながら身体中を打たれてやっていた。間違えると扇子が飛んでくる。泣きながら自分がなぜこんな家に生まれたのか稽古中に叫んだ事もあった。 バレエを習って
「結婚、する?」 数ヶ月前、まだ付き合ってもいない歳上の男に 私は逆プロポーズをした。彼との歳の差は、17歳。 あまりにも唐突な申し出だ。 その答えは 「ずるい!!僕から言おうと思ってたのに!!」 ーーー 彼とは、5年前に舞台の共演者として知り合った。 しかしコロナ禍のため 5年前:顔合わせのみで中止 4年前:稽古期間途中で中止 3年前:本番2日前で中止 もちろん飲み会等も一度もなかったので ほとんど喋ることもなく “顔は見たことがある”くらいの印象だった。 ーーー 親しくなったのは2年前、2023年の秋。 ようやく上演できた カクシンハン「シン・タイタスREBORN」にて 私はラヴィニアという主演の娘役 彼はバシエイナスという私の夫役で共演したことがきっかけだった。 シン・タイタスは座組全体で仲が良く、 コロナ禍が落ち着いてきた頃ということもあり 全員が、やっと人と話が出来る喜びに満ちて
なぁ、聞いてくれよ 俺、10年くらい前に、発達障害の診断を受けたんだ その時は、ASD(いわゆる昔でいうアスペルガー症候群)って診断されたんだ テストも受けて、親のヒアリングもして、ちゃんとした先生に診断してもらったんだよ でも、今日精神科で話してたら、 「あなたの特徴はADHD(注意欠如・多動症)もあるかもしれないね」と言われた どんな特徴かというと、注意力が散漫、ケアレスミスや忘れ物が多いってこと でもこれって、前の診断の時は分からなかったのか? なんでその時はADHDって診断されなかったの? 今の先生に聞くと、『昔はADHDとASDを同時に診断しない』ことがあったらしい なんだよそれ… 今仕事、経理やってるんだけど、ほんと辛くてさ 経理ってミス許されないじゃん? それなのに、ミスしやすいから、必死にやってるんだ 必死だよ! 簿記の資格も取って、必死でやってるんだよ もしADHDだった
養わないといけない存在って必要だったんだな。 自分ひとりだけだと労働意欲がまじでないわ。 やっべー、また転職したくなってきた。
43歳になって思ったこと。30代は“若者最年長”だったけど、43歳くらいになると“年寄り最年少”になるから、ちょっとだけ得した気分になるし、気持ちも楽になる。— 宮崎智之 Tomoyuki Miyazaki (@miyazakid) 2025年5月6日 思わず、「43歳って良かったなぁ」などと思ってしまった。 宮崎さんがポストしてらっしゃるように、43歳は、若者としては終わっていても中年としてはこれからって感じがする。中年のなかでは最年少の部類だし、身体的な活力が充溢している時期でもある。社会経験や社会的信用もあるていど蓄積しているし、上下の世代を見渡す視界の広さもある。社会のなかの実戦部隊っぽさも、まだまだ残っている。 「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか? 作者:熊代亨イースト・プレスAmazon 編集者さんに誘われて、私も43歳の時に『「若者」をやめて、
こんにちはあなたは、ソーセージがお好きですか? 私はソーセージが好きすぎて、ドイツへ飛びそのまま肉屋で働き始めた日本人女です この度、ドイツの肉屋で働き始めて1年が経ちました この1年間でどんな出来事があったのか、当時の日記やメモを見ながら振り返ることにしました 予めお伝えしておくと、この記事は非常に長いです(22000字超え) また所々肉の解体場面の写真(モノクロ)があります 苦手な方はご注意ください それでもいいよと言う方、一緒に私の初出勤からお付き合いしていただければ幸いです 2024年5月初出勤2024年5月2日 ガチガチの緊張と不安で戻しそうになっている私を、今の上司たちがにこやかに迎え入れてくれた オーナーでもある親方は180cmはゆうに超える身長、スポーツ選手のようなぶ厚い肩幅、握手してわかる何でもわしづかめそうなデカい手、ドイツ人らしい濃ゆい顔の作りの持ち主 153cmの日
他人事じゃなさすぎるので書く。 うちは小6息子がLD &ADHD。小2の終わりに診断出た。 小さい頃から文字を書きたがらないし、書けるようになっても書くのにとても時間がかかった。読むのはまあまあできるけど、読み飛ばしたり、文頭だけ読んで文末を想像してるとしか思えない読み方をしていた。 就学してからはカタカナを一向に覚えない。教えても教えても忘れちゃう。漢字も覚えない。見開きのページ両面いっぱいに、同じ漢字を30回書かせるとするじゃん?次のページめくって、今書いた漢字なんだった?というと、思い出せないわけ。 夫に相談すると、俺もそんなもんだった、気にしすぎ、と笑われるところから始まり、それでもおかしいと言うと、やがて「お前は息子を障害者にするのか!!」と怒り出した。 夫はほっといて、市に相談。読み書きスクリーニングという検査を受けた。結果はおそらくLD。でも確定するにはウィスク検査と
異能の産業家・故 井上雅博さんから受け取った型破りな引き継ぎの言葉、「俺、明日からもうこないから」。その言葉はいまも、私の中で大切にしています。まるで「サラバ!」と風のようなさわやかな引き継ぎをしてくれた井上さん。今日で亡くなって8年目の命日になります。 近年、世界で、日本で、最も急成長した産業はなんだったろうか? その一つは間違いなくインターネット産業です。今年も日本のインターネット産業をつくった一人であるヤフー創業社長の井上さんの4月25日の命日がやってきました。数年前に彼から受け取ったギフトについて投稿したことがありますが、多くの人に故人の人柄や業績が伝わって欲しいと思い、加筆訂正して再掲します。起業家としてゼロから巨大企業を作り上げたり、破壊的イノベーションを起こす事業の革命家やシリアルアントレプレナーで何度も新規事業を立ち上げてきた実績やグローバルで活躍するプロ経営者。 私は全
2年ほど前に「実の親じゃないっていつ言おう…」って相談していた増田です。 今更すぎて誰も覚えていないと思うけど、少し前に子どもたちにようやく伝えられたから、色々とアドバイスをいただいたお礼もあって報告にきたよ。 なかなか伝える勇気が出なかったけどどんなに遅くても下の子の受験が終わったら伝えようと思っていて、この程無事合格してくれたのでようやく腹を括った。「大切な話がある」と伝えてちゃんとしたレストランで子どもたちに伝えることにした。 一応、緊張しても大丈夫なように手紙も用意してたんだけど、いざとなったら意外と全部口で話せた!というか、逆に手紙なんか読んだら泣いちゃって無理だったかもしれん。 2人とも思ってたよりも冷静に聞いてくれて、ちょっと驚いた感じだったけどわりとすんなりと受け入れてくれた。 どうやら2人で大事な話が何なのか事前に予想していたらしくて、その候補の中に「実の母親じゃない」も
毎朝5時起きでちゃんと通勤してて自分でも偉いなあと思う。 中小企業で、なんと自分が最年少。40代なのに。それもあってか今のところ職場の人は一人を除いて優しくしてくれる。 残りの一人は優しくないというか、やたらと独り言が多いうえに、言い方が常に刺々しいのでなんか怖い。まあ極力関わらないように努めている。 職場の年齢構成は定年間近の60代が半数。しかも聞いた話では昨年まだ若い優秀な人が辞めて、ハロワで2人(うち一人は前述の独り言が多い人。かりにHさんとしようか。独り言のH)採ったものの、一人は半年も経たずにクビ。それで40代で職歴の無い自分でも職にありつけたのだろう。大丈夫かこの会社? 職場で煙たがられているHさんですら残っているのに解雇された人と言うのはどれだけやばかったのかとちょっと興味深い。Hさんは未だに独り言でその人の悪口をぶつぶついっている。怖い。 会社の人から、ハロワ採用の人間って
生活をしていくことのしんどさに、改めて直面している。 学生時代から鬱のケがあり、大学在学中にメンタルクリニックに通い始める。鬱の診断と共にADHD、ASDの診断済み。 持ち前の運とギリギリを見極める力により、単位も足りず卒制も中途半端だったのに何故か大学を卒業。 大学在学中から付き合っていた彼氏の家に転がり込み、毒実家との関わりを断つ。鬱病で就活がまともに出来ず会社員にはなれなかったため、現在は夜職(の類い)に就いている。あまり人に言えない仕事ではあるが、体力も無く過眠がちな私には週3、1日3時間程度で月に60~80万稼げる今の仕事は天職である。 学生の頃は将来について憂いていた。 もし就職できなかったら、もし実家を出ることが出来なかったら、もしお金を稼ぐことが出来なかったら… そういった将来の不透明さへの不安が解消された今、学生の時よりは毎日が楽になった。働けばお金が貰えるし、綺麗な家
どうせ何らかの形で伝わると思うで先に言っておくと、先日特殊詐欺の被害にあって貯蓄全部無くなったので無一文です。相談の結果、被害に遭ったお金も戻ってこない事が確定したのでとりあえずまずはSwitch2をどうやって購入するかを考えてるところです。 — hapi⇒ a.k.a. hapinano (@hapinano) April 4, 2025 生きてます。(挨拶) ただ無事ではないです。(再度の挨拶) ここ数日精神的にもかなり沈み、(酒以外の)飯もまともに喉を通らないような状況が続きましたがとりあえず回復はしたので本当の意味での生存報告という意図も含め、今この記事を書いてます。 何があったのか最近流行の特殊詐欺にまんまと騙されて貯蓄全て無くなりました。 いわゆる振り込め詐欺ってやつです。しかも相手は警察のなりすまし。 いやあ、これがオレオレ詐欺ならわかるんすよ。「身内に化ける程度で引っかか
父が死んだので数年ぶりに帰省した。仕事から帰って寝ていると思ったら死んでいたそうで、実家の母は慌てふためきながら救急車を呼び、死亡確認後の諸々の手続きやら準備やらをやっていた。 幼少期を過ごした家から引っ越しをした実家に足を踏み入れるのは初めてだった。 和室に父が安置されていた。少し頬がこけてやつれた印象はあるが、概ね記憶通りの父を眺めた。私は父が嫌いだった。 私はお葬式は死者のためというよりも、『生きている人が気持ちを整理するためもの』という理解でいる。個人的には何も思い残す事はないので、そのまま焼いてもいいくらいだった。数年前の祖母の葬儀は家族葬で、母はその雰囲気も悪くないと思っていたようなので、そうなるか思いきや、兄が「ちゃんとやりたい」と言った。兄は祖母が亡くなった時は遠方にいたため、祖母の葬儀には参加していない。 兄は屁理屈をこねるのが上手く、昔から母は丸め込まれていたので、今
精神科医に「本当にもう、鬱病とか双極とかいいので、やめたいです。薬も全部やめたいです。健常者になりたいです。小説とか絵とか詩とかも、全部やめて普通に学校行きたいです。普通の人になりたいです。鬱病やめたいです」って泣きながら言ったら「無理なので今晩もきちんと薬飲んでね」と言われた— 湿度 (@_isolated___) 2025年3月24日 精神科医に「本当にもう、鬱病とか双極とかいいので、やめたいです。薬も全部やめたいです。健常者になりたいです。小説とか絵とか詩とかも、全部やめて普通に学校行きたいです。普通の人になりたいです。鬱病やめたいです」って泣きながら言ったら「無理なので今晩もきちんと薬飲んでね」と言われたblog.tinect.jp おれは「ふつう」のスタートラインに立てない。おれは「ふつう」ではない異常に低い性能しかない、異常に低い社会で生きている。 べつにだれがなにをもって「
増田はとある成人済みの社会人である。とはいえ増田の属性はここでの話に関係がない。長々と書いてあるのは最近起こったある出来事について、そしてそれに対して増田が思ったことについてである。 身近にいる誰かに話すには少し気恥ずかしく、かと言ってSNSで自己を保ったまま発信するようなことにも思えなかったのでおっじゃあ匿名だしここに書き記しておこうかなと思った次第だ。 さて、増田の家ではペットを飼っている。この度そのペットが病気になり、かなり難しい治療をしていくことになった。とはいえその彼はなかなかの高齢で、病院や我々家族の方針によっては治療はほとんど行わない可能性もある。つまるところ、彼が死ぬ可能性が多分にあると言うことだ。それを聞いて増田が最初に思い出したのが、その彼が小さく、増田がまだ学生だった頃のことだ。 彼はとても甘えん坊で、抱っこが大好きだ。当時、増田は無気力で『何もかもめんどくさいこの世
今日はとても天気が良くて気持ちが良い日でしたね。桜もかなり咲き始め、種類によっては満開。とても良い気分です。 そして今日、1年ぶり2回目に長女を大学の一人暮らしのアパートに送り出してきました。本当に良かったです。増田にしか書けない話なのでここに記録しておきます。 長女は1年前に元気に大学生活を始めたものの、半年ほどでかなりメンタルを病み、頻繁に泣きながら電話がかかってくるようになりました。 私からすると何も不安に思うようなことは無いのに、自分に自信がなく、不安が強く。 何も楽しいことが無いし、ずっとやっていた音楽ももうやりたくないし、くだらないYotubeを何時間もずっと見続けてしまうし、お風呂に入る気力もなくて、ご飯を食べるのがやっとくらいの状況。 部屋まで迎えに行っても、何時間も外に出てこられなくて。やっと出てきたと思ってもずっと泣いていて。もう夢も希望もなくて。 小さいころから私が
旦那と家を買った。 中古の古い家。けどかわいい家。 予算の都合で私好みのリフォームはできなかったけど、工事が終わったらふたりで話し合ってあちこち直して住もうと思っていた。 ところが旦那は契約が終わったと同時に庭いじりを初めた。そんなに人は来ないのに。今のままで十分車2台停められるのに。 個人事業主の旦那は平日の昼間も庭木の抜根ができる。平日仕事の私のことを、一方的に「家のことを考えていない人」と決めつけた。 近くに住む義母に声をかけ、庭いじりを始めた。洋裁の得意な義母は、残置物のソファーに勝手に私の好みとは違う柄の布を相談もせずに買ってきてカバーを作ってしまった。さらに襖紙も張り替えると張り切りだして、最初は小さな床の間の棚の襖紙だけだったが、何万もかけて襖紙を買ってきて全部やろうとした。 義母はもともと私の領域に土足で踏み込むところがあって苦手だった。 ある時、仮住まいの家のトイレが詰ま
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