ええ、珍しく釣りっぽいタイトルですが、釣りではありません。 ずばりそのとおりです。 あなたの過去記事は見られている! ええ、案外過去記事見られていたりするのですね。 ニューサイトのまなめはうすさんで一年前のニュースというのをされていて、一年前とりあげられたこのブログの記事にリンクが貼られることがあります。 ええ、正直、恥ずかしいですね。一年前書いたものを見られるというのは。 私の場合いきおいで書いていることも多いので、文体がいつもとちがっていたりして苦笑いしてしまいます。 ただ、思うのは、その「一年前の記事を書いたのも自分」で、「今ここでこうして書いている自分」も自分にはかわりはないのですよね。 今朝、一年前書いたものを読んでみて、その文体に苦笑いしてしまいましたが、根本的な部分は変わっていないですね。今でも私はどちらかというと黙っているほうが好きですし、しゃべることは苦手です。人と会うの
ホッテントリやたまたまリンクを辿って見つけたブログのエントリーを読んで、「これは面白い」と思った時、大抵その人の書いている最近の記事を幾つか読んでみる。「うーん‥‥?」という場合はそのまま。「おお‥‥」という場合は、このブログはこれから継続して読もう、となる。 ほぼ毎回読み応えのある面白さだと、今度はその人の過去ログが読みたくなる。過去ログ探索。これを個人的に「掘り起こし」と名付けている。たぶん多くの人がやっているのではないかと思う。 書き始めて数ヶ月の人で更新がそう頻繁でないなら、全部掘り起こすのにあまり時間はかからない。数年書いていてアクティブに更新している人になると、ちょっと大変。でも面白さに引きずられて、どんどん掘り起こす。 記事の量が膨大で、尚かつカテゴリー別に整理されているなら、「記事一覧」から興味のあるカテゴリーを開いて、惹かれるタイトルの記事から徐々に掘り起こす。その人のエ
放置してあるYahoo!のブログを久しぶりに読み返してみた。「麦のブログ経営論」という書庫(Yahoo!ではカテゴリのことをそう呼んでいる)の中にある記事。気恥ずかしくなるような情熱と自信に満ちあふれた記事だった。あの頃のほうが文章うまかったなあ。1本1本の記事をすごく大事にしていた。俺はコンテンツをつくる側の人間で,いいものを世に出したいというキモチを強烈に持っていて,ものをつくることに誠実であろうとしていた。あの頃の俺は,ひとつのテーマに対して数本の記事を書き,シリーズとして読んでもらう方法をとっていた。ある程度計画を持った連載をやっていたわけだ。今みたいな思いつきの書き殴りじゃなかった。その後やり合うことになる某氏との(表面上)ほのぼのとしたコメントのやりとりもある。あの時点で「俺は君とは方針が違う」ということをそれとなく主張していたけれどね。正面切って批判することはしないが,自分の
Guides to Choosing Seal Coating Services Always be ready to make an informed choice of seal coating services. With the right seal coating services, you have the surety of making your life great. Quality decisions are guaranteed and assured whenever you choose the right seal coating services. Be ready to learn from those who know seal coating services better. Through them, you will get great suppor
ちょっとじじむさいことを考えてみたくなったので、考えてみることにする。 一般論として、「年をとる」ということは、人生の総量における「過去分」のパーセンテージがどんどん増加していくということである。 およそ老化に伴うありとあらゆる現象は、上記段落の延長で表現可能だ。体の老化は、身体的な「過去分」アーカイブが蓄積していくことによって発生する。精神的な老化、例えば物事に新鮮味がなくなっていくというのは「人生経験」という過去分の蓄積によるもの、と表現することが可能である。 勿論、この「過去分の蓄積」にはいい面も悪い面もある。過去分のアーカイブがいい感じに溜まって、その人のレベルアップに寄与する加齢を即ち成長と呼ぶ。過去分のアーカイブが量的に澱んで、その人の在り方に様々な制限を加える加齢を即ち老化と呼ぶ。 「経験を活かして次に繋げることが出来る」ことが成長で、「経験に制約されて次に踏み出せなくなる」
ウェブデザインとはなんだろうと考えたら、自分のサイトの営業マンのような気がしました。 1.身だしなみをキレイに まずは見た目。おそらくウェブデザインと言えば誰もが見た目や配置を考えると思います。2カラムや3カラムを選択したり、サイドバーに何を置くかなど、ブログを立ち上げた際は誰もが考えたことでしょう。 2.中身もキレイに もはやHMTLは自動化されて書かれているサイトが9割を超えていると思います。だからこそ、最初にWebを作成するサービスを作る人は、AnotherHTML-lintgatewayのようなツールで良いソースを吐き出すツールを心がけるべきだと思います。 3.営業は動いてナンボ ぶっちゃけ、営業マンって部分はここだけかもしれないけれど。あなたのサイトは動いていますか?の一言だけ伝えられたら満足です。 サイトを更新したら過去ログは過去に押しやられるだけになっていませんか?過去ロ
コメント欄、もしくははてブ欄に否定的な意見を書かれた場合の「どうぞ過去ログをお読みください」 意訳:ちゃんと読んでないくせに、しったかすんな。ちゃんと読め! この文盲!」 コメント欄に共感コメントが書かれた場合の*1「どうぞ過去ログもお読みください」 意訳:この記事に賛同していただけるんでしたら、こちらの記事も楽しめると思いますよー」 好悪の違いで対応は随分と違ったりする。 なんだこのやろう! と思った時は過去ログ読まずにブコメに反論書いたりするが、おもしろい記事に出会ったら、過去ログも読んでみたいと思ったりする。 だって、人間だもの。 *1:はてブでは見かけづらいかな?
はじめは何もなかった。誰もいなかった。どこの誰にも知られていなかった。9月。カウンターを用意した。メインアカウントでは遠慮してかけなかったようなことを書き始めた。誰も知らないからかけた。 10月になった。的確に話題にのっていたわけではないにせよ、ジェンダー関連の話をし続けることで少しずつブクマがつくようになった。初めてのついたのは教育系エントリだった。納得して書き、そしてようやくひとつ目がついたとき、あの時私はすでに満足していたのかもしれない。その世界は幸せだった。幸せだったかもしれない。 しかしなぜかある日突然ブクマが勢いよくついた。言及先は今となればわかるがわりと有名なところだった。30を越えたのはあのときが初めてだった。ぼちぼちと3userは越えるような日々が続いた。ねたはたくさんあった。書きたいことだらけだった。至らないところも含めて、アウトプットをするのは楽しかった。ただ、たぶん
今のところ、消すつもりはありません。 削除しないよう努力したい - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 基本的に削除はしない。一回だけ、あまりにも仕事絡みで酷い愚痴を吐いてしまったのを削除した事がある。 記事を削除するのは管理人の自由ですし、なるべく残しておく方針も自由です。って話は前提として。 先日、ハコフグマンさんの食品偽装を扱った記事「赤福だけじゃない」が消された時は「えっ、何で消したの?」と驚きました。 「はじめまして」と当該記事に寄せられたtkcnさんのコメントに対していきなり喧嘩腰でレスを返したり、pontaさんから「ハコフグさんの意見はベタすぎます」と指摘を受けたりしてました。 その後、別の記事についた「なんで削除したんですか?」というコメントも消されました。 それらの対応を見た私は、「やはり、アルファブロガー2007にノミネートされたから、直近の不都合な記事とコメントを消したのかな?」と
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com はGMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。
過去ログを読み返すのがだいすきです。日記を読み返すのがだいすきです。 過去の自分がアウトプットしたものというのには、そのまま過去の自分が反映されていると思う。文体や字の形や言い回し。リズムや余韻。 それらを今一度読み返してみる。たくさんの言葉によって、私が語られる。あまりにもたくさんで溢れだし、強烈に記憶が蘇る瞬間。鋭く襲ってくる「懐かしさ」。たしかに過去の自分になれるその瞬間にはとても満ち足りた気分になり、さらに自分を遡りたくなる。
私も過去ログが貯まってきてるな。11年目に入ってる訳だから、そりゃ貯まって当然だけども。でも、ずっと書いていくつもりだし、その時その時で考えも変わっていくのだから、私にとって過去記事は長い長い未完成の文章の一部なんだよね。 それらを日々紡いでいきながら、いつか終わる日がやってくるのだろう。そうしたら、その「書いていた期間全て」が私の記録で、私の一生の内の一部はそこにあるという事でもある。その中で、そんな私の断片に触れて理解をしてくれたり、心を通わすようになる友人が出来ていけば、それは宝物のようなものかもしれない。 そして、時には過去の私の雑文に検索から飛んできてコメントがあったり……それは私の一部で間違いないから、過去ではあってもやはり嬉しい。寧ろ、新しくて目立つ物でも無いのに見つけてくれてありがとうって思う。そんな嬉しい事があるから、今日もまた色々と書いてしまう。それが過去ログになって、
というわけで、基本的に自分では直近のエントリーを「関連エントリー」として、いま書いているエントリーで紹介しようという時、以外は見ようとは思いません。 でも、そんな僕でも過去のエントリーを目にするときがあります。 それは他の方が古いエントリーをブックマークしてくれたときです。 そう。過去は振り返らなくても、他の人が僕の目の前に置いてくれるんです。 自分でも忘れていたエントリーの存在を他人がブックマークしてくれることで思い出させてくれるのです。それは振り返りというより、まさに過去がいま目の前に置かれた状態。 タイトルだけでどんなことを書いたか大よそ思い出せる場合もあれば、どんな内容か皆目見当もつかない場合もあります。後者の場合、何が書いてあるんだろ?とまるで他人のエントリーを読むかのように見に行くことがあります。 それがきっかけでアイデアが湧いてきて新しいエントリーを書いたりすることもあるので
「404Blog Not Found:ブログの過去ログほど有り難いものはない」を読んで。 「http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=site:http://d.hatena.ne.jp/hejihogu/」を見てみると、約2700件ヒットした。過去にブログをつけた日数は今現在で592日なので、日付や月別ページを除いてだいたい2000件ほどのエントリをこのブログで書いてきたらしい。 ブログを書く今 ブログに何かを書くというのは、その時点での自分の考えをウェブ上に残すという行為。 自分の頭の中で考えてるだけでは何も生み出さない考えが、ウェブ上に残すことで多くの人の目に触れることとなる。それは、誰かへの刺激となるかもしれないし、多くの人に何かを伝える手段にもなる。誰か特定の人に向けて書くのならメールでよくて、ブログとして書くというのは不特定な誰かに向けての
2007年10月18日15:15 カテゴリBlogosphere ブログの過去ログほど有り難いものはない と思い込んでいる人へのおまじない。 heartbreaking. ブログの過去ログほど扱い難いものはない… 貴方が渾身の力を込めて文章を打ち、それがお金を払って読む著書より優れた内容でも、ブログの文章である限りは日々新しい記事に踏み潰されて過去へと流れてしまうだけです。 あなたのblogのURL 検索URL: http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=site:http://blog.livedoor.jp/dankogai/ Firefox使いなら、スマートキーワード化しておくとなおいい。 しかし、この記事はgoogle hackでもfirefox hackでもない。blogと過去記事の関係に関してだ。 手頃なので、 304 Not Modifie
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