「1000万円は安い」と言い切った朝倉未来の“財力” そもそも、この大一番が決定し「KOでなければ判定決着なし」というルールが発表されると、両者と“犬猿の仲”として知られる平本蓮からは「とんでもない茶番が見られる気がする」といった冷やかしの言葉も飛んでいた。しかし、YA-MANが朝倉からシリアスすぎるダウンを奪ったことで、そうしたネガティブな声は一気に吹き飛んだ。それは『FIGHT CLUB』が“血闘”という当初の目的を達成した瞬間でもあった。 ADVERTISEMENT 格闘技最大の魅力は肩書や名声など一切関係なく、「その場で強い者が勝つ」というきわめてシンプルな現実を見せつける点にある。だからこそ、フィニッシュやダウンシーンに誰もが目を奪われる。最近では、11月4日にアゼルバイジャンで開催された『RIZIN LANDMARK 7』で、鈴木千裕がヴガール・ケラモフを下からの蹴り上げによる
『RIZIN.44』(9月24日)の会場に入ってまず感じたのは、プレスルームの狭さだ。スペースとしては同じさいたまスーパーアリーナで開催された7月大会の半分以下だろう。要は取材陣が少ないのだ。この日は興行ラッシュで他団体の大会が重なっていたが、それにしてもというところ。 今回のメインイベントはクレベル・コイケvs.金原正徳。前回のメインは朝倉未来のタイトルマッチだったから、注目度に差が出たのは仕方ないのかもしれない。 金原は40歳のベテラン。RIZINでは初のメイン登場だ。対するクレベルは前RIZINフェザー級王者。実力派対決であり、それは言い換えると“渋いカード”ということになる。分かる人には分かる顔合わせと言えばいいだろうか。だが注目度と選手の実力が比例するわけではない。観客の数で試合の価値が決まるわけでもない。むしろクレベルvs.金原を見た観客は、大満足で会場をあとにしたはずだ。 A
DDTが18日に開催した史上初の「新幹線プロレス」は、〝プロレス界の王〟鈴木みのる(55)が制した。 【写真】崎陽軒のシウマイ弁当を食べている鈴木みのる 同団体が得意とする路上プロレスの一環で、今回は東京駅午後1時9分発の東海道新幹線「のぞみ371号」の車内で、みのると高木三四郎(53)がシングルで対戦。最初の停車駅、品川で高木が入場すると、車内は大歓声に包まれた。 ところが…だ。なぜかみのるの姿がない。列車はそのまま西へと進み、新横浜駅へ。ここで入場テーマ曲「風になれ」が流れ、ようやくみのるが登場した。 75人の乗客&観客が詰めかけた車内の通路では、所狭しと2人が攻防を展開。高木が電車道ならぬ〝新幹線道〟を仕掛けると、みのるは最高速度285キロののぞみで115キロのパンチを放つ、「400キロパンチ」を決めて応戦だ。 さらにその後、高木が助っ人として正田壮史を呼び込むと、対抗したみのるは佐
「ナオヤ・イノウエは、間違いなく日本ボクシング界から誕生した最強の選手だ。私は今日のパウンド・フォー・パウンド・ナンバーワンも、彼だと思っている。テレンス・クロフォードは2位だよ。色んな意見があるだろうが、クロフォードとエロール・スペンス・ジュニアの統一戦は、開催時期が遅かった。35歳と33歳の対戦だもの……。スペンスのパフォーマンスには、衰えを感じた。 2015年5月2日に行われたフロイド・メイウェザー・ジュニアvs.マニー・パッキャオ戦も5年遅れたカードだった。メイウェザー38歳、パッキャオ36歳で、両者共、下り坂にきていただろう。30歳のイノウエと29歳のフルトンは、全盛期での対戦と言える。そこで、ああいう勝ち方をしたイノウエを私は推したい」 「レナードやタイソンと同格なんだ」 1962年10月27日生まれのルディは、プロボクサーとして17度リングに上がり、14勝(6KO)2敗1分け
格闘技 ボクシング 「井上尚弥を追う日本人ボクサー」“25戦無敗”王者…中谷潤人25歳とは何者なのか? 竹原、畑山も教えた米国人コーチ「ジュントがイチバンだ」
2023年6月、パーキンソン病を患っていることを明かしたヒクソン・グレイシー。無敗のままキャリアを終えた“伝説の格闘家”は、負けられない戦いや過酷な運命とどのように向き合ってきたのか。30年来の親交があるフォトグラファーの長尾迪氏が、過去に撮影した写真とともに、ヒクソンの知られざる素顔をつづった。(全2回の2回目/前編へ) 「お前は撮り続けないといけないんだ」 2014年12月22日、私はヒクソンから「ナガオ、話がある」と声をかけられた。それは息子のクロン・グレイシーのMMAデビュー戦の前日だった。彼は真正面から私の目を見ながら、こう話し始めた。 「残念ながら、私はプロの試合からは引退してしまった。明日からはクロンの時代になる。私を撮影したようにクロンを撮影してほしい。だが、彼がトップに立つまでには少なくとも数年はかかる。だからずっとリングサイドで撮影を続けてほしい」
2023年6月、パーキンソン病を患っていることを明かしたヒクソン・グレイシー。無敗のままキャリアを終えた“伝説の格闘家”は、負けられない戦いや過酷な運命とどのように向き合ってきたのか。30年来の親交があるフォトグラファーの長尾迪氏が、過去に撮影した写真とともに、ヒクソンの知られざる素顔をつづった。(全2回の1回目/後編へ) ヒクソンが「強さ」のアイコンだった時代 「2年前にパーキンソン病と診断された」 今年6月、ヒクソン・グレイシーが遠縁にあたるキーラ・グレイシーのインタビューに応じ、自らの病気と症状を公表した。 ヒクソンが日本で試合をしたのは1994年から2000年までの6年間で、5つの興行に出場。試合数はトーナメントも合わせて9試合、そのすべてが一本もしくはKO勝ちだった。だが、彼の凄さは試合内容だけではない。試合に臨む姿勢や佇まい、彼が発する言葉、対戦相手へのリスペクトなど、常に真摯
振り返ってみれば、朝倉の主戦場であるRIZINフェザー級のベルトを巡るドラマは、ここ2カ月でいきなり大きなクライマックスを迎えたかのようにスピード感を増していた。ことの発端は6月24日に札幌で行われた『RIZIN.43』だ。当時王者だったクレベル・コイケは“MMAとキックの二刀流ファイター”鈴木千裕を挑戦者に迎えRIZINフェザー級王座の初防衛戦に臨む予定だったが、計量に失敗し、その場で王座を剥奪されてしまったのだ。 空位の王座を巡って、どんな試合が組まれるのか。一部のファンの間では「朝倉やクレベルが絡むトーナメントの開催」を期待する向きもあったが、RIZINサイドは『超RIZIN.2』で組まれていた朝倉未来vs.ケラモフを王座決定戦にするとアナウンスした。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第1回は、試合の趨勢を決めた序盤の攻防についてーー。<全2回の#1/#2へ> 井上尚弥の何が凄かったのか… 「相手が強くなきゃ実力以上のもんは出ない」 永遠のバスケット漫画「スラムダンク」で桜木花道の試合を見守る親友・水戸洋平が語った言葉がふと思い出された。元WBA世界スーパーフライ級王者、飯田覚士氏の「解説」を聞き終わった後のことだ。 確かに井上尚弥は強かった。そしてまたわざわざ敵地まで乗り込んだスーパーバンタム級2団体世界王者スティーブン・フルトンもさすがだった。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第2回は、フルトンの”奇策”を超えた井上の対応力について――。<全2回の#2/#1へ> フルトンが井上に対して取った”奇策” 井上尚弥が井上尚弥なら、フルトンもまたフルトン。 挑戦者の“誘い水作戦”に唸った一方で、スーパーバンタム級の猛者に競り勝ってきた2団体世界王者が取ってきた“奇策”も世界のボクシングを長年見てきた飯田覚士を驚かせていた。 「フルトン選手がどうしたかっていうと、これまでの試合と比べて足のスタンスを明らかに広げてきた。その前足で尚弥選手の踏み込みを邪魔して、懐の深さをつくっていたんです。だから同じオーソドックス(右構え)なのに
先日、NHKでアントニオ猪木vs.モハメド・アリを取り上げたドキュメント番組『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』が放送された。1976年6月26日に試合が実施された当初、NHKはこの異種格闘技戦に批判的な姿勢を打ち出していたが、そのことに対する言及はなかった。 せめて一言あってもよかったと思うが、別に“お詫び”を期待していたわけではない。15ラウンド終了のゴングが鳴るや、他局や紙メディアもこぞって「世紀の茶番劇」とこき下ろしたのだから。その後もしばらく、マスコミは猪木を袋叩きにしていた(猪木を擁護する声はごく少数だった)。SNSが発達した時代だったら、「炎上」という表現では済まない大炎上になっていたのではないか。 猪木とアリ、リアルとショーのパラドックス この番組では、当時アリ側の交渉役だったプロモーター、ボブ・アラム氏の「ショーのはずだったが、真剣勝負になってしまった」という趣旨の発言
青木真也の2022年の格闘技戦績は、3戦3敗だった。グラップリング1敗、MMAで2敗。MMAマッチはどちらもパウンドによるTKO、レフェリーストップ負けだった。舞台は、シンガポールを中心にアジア各国でビッグイベントを開催するONE Championship。青木がこの団体と契約して、もう10年になる。 3月に対戦したのは秋山成勲。ONEの前の主戦場、日本のDREAM時代から敵対視してきた相手だ。いわば因縁の対決。ONEでの対戦が決まると、お互い赤裸々に感情をぶつけ合った。その“先制打”を放ったのは青木で、ケガで一度オファーを断った秋山を「虚構野郎」と痛烈に批判している。 この試合、青木は1ラウンドにバックを奪いタップアウト寸前まで追い込んだのだが、2ラウンドにパンチを浴び、大逆転を許した。痛恨の敗北だ。しかし彼の評価は下がらなかった。挑発合戦から試合後の涙まで、すべてをさらけ出す姿が支持さ
大会前、「三角絞めで極める」と宣言していた通りのフィニッシュに、クレベルは「めっちゃうれしい」と相好を崩した。 「ちょうど1年前からこの日を待っていたので」 大会直前には「牛久が王座防衛を果たすのでは?」という機運も高まっていたが、クレベルの技巧の前に完敗を喫した格好だ。このあたりのシチュエーションは那須川天心vs.武尊のときと酷似するが、いずれにせよこの日系ブラジリアンは、イメージ通りの王座奪取を果たしたことになる。 「私、いっぱい三角絞めを練習した。牛久はエスケープやディフェンスを練習していたと言っていたけど、極まったら無理」 アントニオ猪木を「めっちゃリスペクトしています」 昨年6月13日に東京ドームで開催された『RIZIN.28』で、クレベルは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった朝倉未来と対戦。コーナーポスト付近で“伝家の宝刀”三角絞めを極めて朝倉を失神させ、逆転勝利をあげた。その時点で
10位に選ばれたのは、2018年9月30日の『RIZIN.13』で行われた那須川天心vs.堀口恭司です。キックボクシング無敗の“神童”那須川に、MMAファイターとして連勝街道を突き進んでいた堀口が「やろうよ」と呼びかける形で実現した同試合。それぞれの領域で圧倒的な強さを誇っていた2人の対戦は、歓喜と驚きをもって迎えられました。 2004年大晦日の魔娑斗vs.山本“KID”徳郁を彷彿とさせる好カードは、キックルールでは負けられない那須川が意地の判定勝利。一方の堀口も、立ち技への適応能力の高さを存分に見せつけました。 「同じ格闘技とはいえ、全く違う“キックボクシング”と“総合格闘技”、そのふたつのトップである那須川天心選手と堀口恭司選手がお互いにぶつかり合った試合。互いに技術を出し合い、最高なパフォーマンスを見せてくれた両選手に感動したことは今でも忘れられません。この試合で格闘技というものを知
格闘技 その他 那須川天心vs.武尊はなぜ歴史的な名勝負になったのか? 格闘技アンケート1~3位を分析「桜庭ホイス戦のような試合はもう生まれない」
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