24歳の大橋秀行が迎えた自身3度目の世界挑戦。超満員の後楽園ホールで、日本のボクシング史に残る名場面が生まれた。一夜にして時代の寵児となった男は、2度目の防衛戦で「最強の挑戦者」リカルド・ロペスとの闘いを選択する。「本当に強いヤツと試合をしたい」。やがて八重樫東や井上尚弥にも受け継がれていく“大橋イズム”の源流を探った。(全4回の3回目/#1、#2、#4へ)※文中敬称略 伝家の宝刀・左ボディで王者が悶絶 1990年2月7日、王者・崔漸煥(チェ・ジョムファン)に、24歳の大橋秀行が挑んだWBC世界ミニマム級タイトルマッチ。後楽園ホールは、異様な雰囲気に包まれていた。 立ち見客が通路や階段にまで溢れ返っている。観衆は定員を遥かに超える3500人。試合は序盤から激しい打ち合いとなった。張正九との2戦で培った大橋の韓国人ボクサー対策が、ここで生きた。 「距離を潰して相手のスタミナを削って打ち勝つの
世界挑戦21連続失敗――1980年代終盤、日本ボクシング界は現役世界王者不在の「冬の時代」が続いていた。井上尚弥をはじめ5人の世界王者を輩出した大橋ジム会長の大橋秀行は、そんな時代に再興の光を灯した名ボクサーだった。ロングインタビュー第2回では、韓国の名王者との2度にわたる激闘など、世界タイトル獲得に向けて情熱を燃やした若き日の逸話を繙いていく。(全4回の2回目/#1、#3、#4へ)※文中敬称略 「勝ったら暴動が起きる」アウェイの韓国で世界初挑戦 世界前哨戦に敗れても、陣営は大橋秀行の最短王者を諦めていなかった。1986年12月14日、21歳の大橋は7戦目で張正九(チャン・ジョング)の地元・韓国に乗り込んだ。 師走の韓国は寒い。仁川の善仁体育館の控え室に3台のストーブを用意した。だが試合会場はそんな寒さも吹き飛ぶ、異様なまでのアウェイの熱気に包まれていた。大橋は「忘れられないね。あのときを
大橋ジム会長の大橋秀行はいまや、井上尚弥をはじめ5人の世界王者を輩出した名伯楽として名を知られている。だが、現役時代の大橋は幾度となく強者との激闘を繰り広げ、1980年代中盤から90年代前半まで日本ボクシング界を牽引した名チャンピオンだった。軽量級離れした強打を武器に「150年に1人の天才」と呼ばれた男は、どんなボクシング人生を歩んできたのか。「ボクサー・大橋秀行」の知られざる足跡に、ロングインタビューで迫った。(全4回の1回目/#2、#3、#4へ)※文中敬称略 「尚弥と違って、俺は何度も木っ端みじんにされた」 相手の背中から巻き込むような左ボディが脇腹をえぐる。王者を2度転がしてテンカウントを聞かせた。1990年2月7日、東京・後楽園ホール。新チャンピオンとなった大橋秀行は緑のベルトを腰に巻き、超満員の観客から沸き起こった「バンザイ」コールを体全体で浴びた。 WBA世界ミニマム級王者の崔
格闘技 ボクシング 「大谷翔平君と尚弥はゆとり世代の成功例」大橋秀行が語る井上尚弥の“本当の強さ”とは? マス・ボクシングで感じた衝撃「ロペスと同じだ…」
「ナオヤ・イノウエは、間違いなく日本ボクシング界から誕生した最強の選手だ。私は今日のパウンド・フォー・パウンド・ナンバーワンも、彼だと思っている。テレンス・クロフォードは2位だよ。色んな意見があるだろうが、クロフォードとエロール・スペンス・ジュニアの統一戦は、開催時期が遅かった。35歳と33歳の対戦だもの……。スペンスのパフォーマンスには、衰えを感じた。 2015年5月2日に行われたフロイド・メイウェザー・ジュニアvs.マニー・パッキャオ戦も5年遅れたカードだった。メイウェザー38歳、パッキャオ36歳で、両者共、下り坂にきていただろう。30歳のイノウエと29歳のフルトンは、全盛期での対戦と言える。そこで、ああいう勝ち方をしたイノウエを私は推したい」 「レナードやタイソンと同格なんだ」 1962年10月27日生まれのルディは、プロボクサーとして17度リングに上がり、14勝(6KO)2敗1分け
格闘技 ボクシング 「井上尚弥を追う日本人ボクサー」“25戦無敗”王者…中谷潤人25歳とは何者なのか? 竹原、畑山も教えた米国人コーチ「ジュントがイチバンだ」
「ラミド、上手くて速い。仮想フルトンには持ってこいの選手だ」。井上尚弥(30歳)はフルトン戦の1カ月前、SNSでこうつぶやいた。米国アマボクシング界で2度王者になった、ジャフェスリー・ラミド(23歳)。井上尚弥が日本に呼び寄せたスパーリングパートナーだ。 筆者は今回アメリカに渡り、ラミドにインタビューを行った。井上尚弥と何度もスパーした若者が感じたこととは? 【全2回の2回目/#1へ】 ◆◆◆ <4年前、LAで井上尚弥と初めてスパーをしたジャフェスリー・ラミド。今年は井上に指名され、横浜で仮想フルトン役を担った。じつはジャフェスリーは「フルトン戦は拮抗したファイトになる」と予想していたという。> 「モンスターのジャブはタイミングが素晴らしい」 「2019年に、ワイルドカードジムで最初に手を合わせた折に感じたのは、テクニックがあって、距離の取り方が巧みな選手だなと。10日くらいやったけれど、
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第1回は、試合の趨勢を決めた序盤の攻防についてーー。<全2回の#1/#2へ> 井上尚弥の何が凄かったのか… 「相手が強くなきゃ実力以上のもんは出ない」 永遠のバスケット漫画「スラムダンク」で桜木花道の試合を見守る親友・水戸洋平が語った言葉がふと思い出された。元WBA世界スーパーフライ級王者、飯田覚士氏の「解説」を聞き終わった後のことだ。 確かに井上尚弥は強かった。そしてまたわざわざ敵地まで乗り込んだスーパーバンタム級2団体世界王者スティーブン・フルトンもさすがだった。
スーパーバンタム級最強と目されたフルトンに8回TKOで勝利をおさめた井上尚弥。衝撃の完勝劇の裏にはどんな駆け引きがあったのか? 井上尚弥vs.フルトンの”勝負を分けたポイント”を元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏が2回にわたって徹底解説! 第2回は、フルトンの”奇策”を超えた井上の対応力について――。<全2回の#2/#1へ> フルトンが井上に対して取った”奇策” 井上尚弥が井上尚弥なら、フルトンもまたフルトン。 挑戦者の“誘い水作戦”に唸った一方で、スーパーバンタム級の猛者に競り勝ってきた2団体世界王者が取ってきた“奇策”も世界のボクシングを長年見てきた飯田覚士を驚かせていた。 「フルトン選手がどうしたかっていうと、これまでの試合と比べて足のスタンスを明らかに広げてきた。その前足で尚弥選手の踏み込みを邪魔して、懐の深さをつくっていたんです。だから同じオーソドックス(右構え)なのに
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