「日本は侵略国家であったのか」という問いかけはきわめて重い。近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文といえた。 だが、田母神俊雄氏は空幕長を更迭された。これまでの政府見解に沿わない内容であることは確かで、麻生首相としても「立場上、不適切」と言わざるを得なかった。 「村山談話」「河野談話」がいかに手かせ足かせになっているか、改めて思い知らされる事態だった。 アパグループの元谷外志雄代表が社会還元活動の一環として論文を募集、実は筆者も渡部昇一氏ら4人の審査委員の一員だった。235点の応募作品から社内審査で二十数点がまず選ばれ、CDで送られてきた。すべての論文は筆者名が削除されていた。 これを読み込み、2回の審査委員会で絞り込んでいった。最終段階で初めて氏名が明らかにされた。高得点となっていたのが、田母神氏の論文だった。 実はその瞬間に、今日の事態を予感
このところ、産経新聞の花岡信昭記者がネットで話題になっている。沖縄で起きた米兵による女子中学生暴行事件や、イージス艦が漁船を沈めた事件に関して、暴言を書き散らしたからだ。 私にとっては、産経新聞の記者がめちゃくちゃな記事を書くのは当然至極のことで、特に驚くにはあたらないので、これまで花岡批判には深入りしなかったのだが、同様にかなり遅れてから花岡の愚論をまとめた 「たんぽぽのなみだ?運営日記」 の記事がよくまとまっているので、これにリンクを張っておく。 「たんぽぽのなみだ?運営日誌」より 「花岡信昭」 http://taraxacum.seesaa.net/article/88940836.html 最初はあまり興味のわかなかった花岡だが、思考パターンに面白い傾向があることがわかってきたので、ちょっと興味を持って、Wikipediaを調べてみた。 http://ja.wikipedia.or
2008.03.07 開いた口が塞がらないとはこのことだ (294) カテゴリ:社会 久しぶりに、まったく仕事がない完全な休日なのであるが、どうにも腹の虫が治まらない。それというのも、よせばいいのにまたまた下らぬものを見てしまったせいである。 例の花岡なる男、事件から 「教訓」 を引き出すのが自分の意図だと、殊勝なことを言っている。言うまでもなく、なにかの事件や事故が起きたときに、そこから教訓を学び取ることは大事なことだ。とりわけ、新しいシステムや画期的な新製品といったものは、設計の段階ですべてを検討し予測しておくことは不可能であり、事故によって、思わぬ欠陥や脆弱性が見つかったなら、それを修正し、「教訓」 とすることは当然のことである。 だが、だれかの故意によって起きる事件というものは、たんなる過失や怠慢、思いがけない偶発的事象などによって起こる事故とは違う。そこには、なんらかの犯意を持っ

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