サヨクの人とかから糾弾されるのが怖いので政局ネタにはふれないようにしているのだが、なんとなく感じていた不安をkechackさんが上手く言葉にしていらしったので、思わずブックマークしてしまった。 http://d.hatena.ne.jp/kechack/20100412/p1 中田前市長は青年将校的な性格で、新自由主義的な思想を持っているが、国家主義でとは違う。この程度の立ち居地なら民主党にもゴロゴロいる程度だ。しかし、山田宏杉並区長は国家主義的な右派で、自分の思想信条に基いた政策を実行しなければ気がすまないタイプだ。 政局にはほとんど関心がないので、どの議員がどういう政策理念をとなえているかなどは詳しく知らない。けれども、新自由主義と国家主義がセットになったとき、非常に危ういことになるのは経験上知っている。 自由主義といい、国家主義といい、私はその政策の全てを全否定しているわけでもない。

民主党の「箇所付け問題」で1日に国会審議が行われた。その中で「公共事業予算が国土交通省からではなく民主党県連から公表された」ことについて、野党から「利益誘導政治だ」と批判されたが、「利益誘導政治は民主主義を損ねる」かのような物言いであった。これに対して鳩山総理は「遺憾なこと」として国土交通大臣を処分したが、これも日本の民主主義の未熟さを物語っている。 箇所付けがこの時期に与党から公表された事の是非を論ずる前に、民主主義政治とは何かを考えたい。民主主義でない政治は国家の政策形成に国民は関与出来ない。王様や将軍や独裁者が優秀な官僚に政策を立案させ、それがそのまま国の方針になる。優秀な官僚が「正しい政策」を作成するから、政策形成に余計な調整も時間も必要ない。その代わり政策で救われる国民と切り捨てられる国民が出て、切り捨てられる国民の利益は全く無視される。切り捨てられた国民が自分たちの求める政策を

2007.11.12 小泉政治またはポピュリズムの謎 (7) カテゴリ:政治 このところ、朝晩の冷え込みがめっきりと厳しい。ついこないだまで最高気温が30度をこえる日が続いていたのを思うと、まったく冗談のような時の速さである。あまりに冷え込みが厳しいと、このまま冬に突入してしまうのかとすら思う。 もともと、秋という季節は暑い夏と寒い冬の間の一時的な移行期にすぎないのであり、夏の暑さや冬の寒さのような明確な属性というものを持っていない、いささか影の薄い季節なのであるから、こればっかりはしかたがない。 さて、「ポピュリズム」 という言葉は、一般には「大衆迎合主義」と訳されることが多い。もちろん、これは意訳なのであって、この言葉を直訳すれば単なる 「人民主義」 にすぎない。たとえば、「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を掲げた19世紀ロシアのナロードニズムも、英語に訳せば同じ populism であり

細野祐二氏(公認会計士) ※新月島経済レポート2010年3月号 「政治資金収支報告書」より転載(無断転載自由) 【目次】 1.部分的単式簿記 2.仮受金の決済 3.政治資金収支報告書 4.邪推に基づく妄想 5.鳩山総理の偽装献金 【1】部分的単式簿記 年明け以降一月間余りのメディアを席巻した小沢一郎民主党幹事長の政治資金規正法違反疑惑に、検察側からの回答が2月4日に出された。嫌疑不十分による不起訴処分である。事件の容疑で既に逮捕されていた小沢氏の元秘書で衆議院議員の石川知裕容疑者(36)、公設第一秘書の大久保隆規容疑者(48)、元私設秘書の池田光智容疑者(32)の三名は、政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪で起訴されたが、翌5日には全員が保釈保証金を積んで保釈された。 この大騒動は小沢一郎対地検特捜部の因縁対決と位置づけられ、 ・ 小沢氏の出した4億円にゼネコンからの裏金が入っていたのではな
承前*1 『朝日』の記事なり;教育行政、「不当支配にあたらず」 国会審議で文科相 2006年11月22日19時47分 伊吹文部科学相は22日の参院教育基本法特別委員会で、9月の東京地裁判決が日の丸・君が代をめぐる教育委員会の通達を「不当な支配」にあたるとした問題に関連し、法律や政令、大臣告示などは「国民の意思として決められた」ことから、国の教育行政が「不当な支配」にあたることはないとの認識を強調した。教育基本法には「教育は、不当な支配に服することなく」とした条項があり、教職員組合などが教育行政による教育現場への介入を阻止するための「盾」と位置づけていた。東京地裁判決では、学習指導要領に基づき国旗掲揚・国歌斉唱などを強要する都教委の通達や処分は「不当な支配」にあたると判断された。 しかし、伊吹氏は、この条項は、教育行政に対して「政治結社、イズム(主義)を持っている団体の介入を排除する」規


脱官僚」「地域主権」「生活重視」で国民の手に政治を奪還する!政権交代+再編――改革はどこへ? 政権交代の先を見すえて ・・・「自民党は嫌だが民主党で大丈夫か」という人たちのために 今、日本は分水嶺の上に立っている。 来るべき総選挙は、この国が、世界一の少子高齢化の重圧をはねつけ、再び活力を取り戻して豊かな未来を切り拓いていけるのか、それとも、国民不在の、利権や既得権益のしがらみにどっぷりと浸かった自民党政治を続けていくのか、が厳しく問われる歴史的な選挙となる。 我々は、当たり前の自由社会、当たり前の民主主義、当たり前の国家を希求する。しかるに、日本の国家経営の歪みは、自民党政権下で持続不可能な極点に達した。霞が関が、政治をコントロールする「官僚内閣制」、地方を支配する「中央集権体制」、民間を統制する「天下りネットワーク」。これらの「戦後レジーム」が劣化し、国家衰亡の根本原因となってい


第一次世界大戦の末期、「提督たちの反乱」と呼ばれた無謀な出撃作戦に反対した水兵たちが蜂起、アホな上官の妄動を阻止した水兵たちの「兵士の革命」に講和を願う労働者たちが合流、事実上の無血革命が起き、当時最も民主的と評される憲法の下ワイマール共和国が誕生する。しかし、政治面では安定せず、議会政治は麻痺しかかっていく。既成政党に不満を持つ人たちの中からナチ党に期待する人たちが増え始める。その背景に「社会主義」のインフレという現象があった。引用部の "あのシュペングラー" というのは『西洋の没落』を書いたシュペングラーのこと。 「社会主義」のインフレ 大戦後、左翼陣営では、社会主義理念のインパクトが共産主義という新理念の出現で薄れたが、逆に右翼勢力の一部に「社会主義」がはやるようになった。あのシュペングラーも1919年に『プロイセン主義と社会主義』を出版した。シュペングラーはもちろん、マルクス主義的


2009/11/17 田村政務官の動き、政府はどうなのか カテゴリ:カテゴリ未分類 貸金業法規制緩和の動きが表面化しているという。「グレーゾーン金利と過剰融資を禁止した貸金業法等改正は、借金苦による自殺が相次ぐ異常事態を正そうと、2006年12月に全会一致で可決し。来年6月までに完全施行されることになっている。」ところが、日経11月1日付けの一面に「貸金業規制の緩和検討、政府 事業主の資金繰り配慮」という記事が出て、消費者金融の株価が一斉にあがったという。 注目すべきはこの情報の発信源が田村謙治政務官(民主党)だということだ。田村氏は「あそこまでいったおぼえはない」と釈明しつつ日経へのリークを事実上認めたという。 内閣府関係者によると「業界からの圧力がすごい。事業性金融への規制を緩めることがすでに検討されている」ということだ。(以上「週刊金曜日」の「貸金業規制緩和の動き表面化 発信源は田村


大澤真幸『逆接の民主主義』(角川書店:角川oneテーマ21、2008年)の酷書評を書こうかと思ったのだけれど、それより東浩紀のエントリに触れた方が面白そうだし、生産的な気もするので、そうする。過去のエントリも含めて挙げる。 シンポに向けてのメモ http://www.hirokiazuma.com/archives/000361.html シンポに向けてのメモ2 http://www.hirokiazuma.com/archives/000362.html 信頼社会は不安社会よりいいのか? http://www.hirokiazuma.com/archives/000394.html 東・萱野・赤木・宮台・安藤馨あたりを絡めてまとまったエントリを書こうと試みたことは何度かあるが、その度に挫折している。おかげであちこちに断片的なメモ書きが溜まって困っている。あいにく負債をきちんと処理すること
@pissenlit_10 からのツイート (07/17)中立と反対がやや多い維新と国民民主 (07/17)どの候補者が選択的夫婦別姓に賛成? (07/17)同性結婚と選択的夫婦別姓・マリッジビジョン (07/16)結婚をはばみ出生率を下げる強制的夫婦同姓 (07/15)戸籍が崩壊?一部SNSの意見と法務大臣の意見 (07/15)「強制的親子別姓を推奨」にファクトチェック (07/14)自民党・選択的夫婦別姓に賛成が減った (07/14)選択的夫婦別姓反対論にファクトチェック (07/13)参政党・実態は社会的強者ファースト (07/13)批判、抗議で参政党支持者を少しでも減らせ (07/13)出産・育児に男性はどうかかわるのか? (07/12)神谷宗幣・若い女性に子育てに専念させる? (07/12)参政党・若い女性に子育てに専念させる? (07/10)女性からの不支持・理由が本当にわから


・09/11/10 今日は何度も「デウス・エクス・マキナ」という言葉を思い出した。現代人にとっては馬鹿馬鹿しく見えることでも、当事者にとっては、人間の力では解決不可能で、神の力を借りるしかない、と思うようなことがある。我々は神を持ち出すことの安易さを批判する前に、彼らの切迫感を理解しなくてはならない。 さて、大正期に主流であった「社会多元主義」が満州事変以後に「国家一元主義」へと飲み込まれていくのはなぜか、というのが最近の関心だが、それについて次のような仮説を立ててみた。社会内部におけるコンフリクトが、多元主義によっては解決不可能であると認識された結果、国家という全体性を持ち出すことで、コンフリクトの存在そのものを否認してしまうことに行き着いたのだ、と。ではどうして多元主義(それはリベラリズムと重なるところが多い)によって社会内部のコンフリクトが解決不可能であるとされたのだろうか。このこと
旧聞なんですが備忘録的に。 「やっぱり中田前横浜市長は大バカだった」とまあそんなことを言った瞬間に「そりゃそうだろ」というレスポンスが100人くらいから沸き起こりそうですが。 なんの話かってーと、10/29のこと。朝、ニッポン放送を聞いてたら、中田大先生がゲストコメンテーターで出演していたんですー。で、民主党はぶれてるなどとひとしきりブったあと、普天間基地問題に言及。 「普天間基地問題の件ですが、民主党は名護市長選挙等をみてから判断するっていってるでしょう?そこで外国人参政権問題なんですが、推進派は地方参政権だから国政には影響がないっていうんですけど、ホラ(得意気に)こうして国政に影響をあたえてるんですよ」 「な、なんだってー!」(AA略) まさか普天間問題がこんな〆になるとは思わなかったよ。ぼっくん驚愕。 まあなんですか、横浜市民のミナサマにおかれましては「こんなん追い出せてよかったね」


目 次 は じ め に 第一章 エスマンの半代表制批判論 1 エスマンの憲法思想の位置 2 「二つの統治形態」 3 「反ルソー的発想」と半代表制批判論 4 比例代表制批判と半代表制批判論 5 制度の次元の問題としての半代表制 小 括 ---以上本号 第二章 現代フランスにおける批判的代表制論 1 多数派デモクラシーの完成と動揺 2 「代表性の喪失」---ジャン・トゥールノンの代表制論--- 3 純粋代表制への回帰? ---ステファヌ・リアルスの代表制論--- 終 章 国民代表制論の再構成への視点 1 いくつかの代表観 2 純粋代表制的代表観への「回帰」について 3 現代の代表民主制と立憲主義---以上本号 第二章 現代フランスにおける批判的代表制論 1 多数派デモクラシーの完成と動揺 さて、エスマンが半代表制における多数者の圧制の口実として析出した二つのイデオロギーの
・ハンナ・アーレントが、自分の仕事は「哲学」ではないと言ったことはよく知られている。もともと彼女はハイデガーやヤスパースらの「哲学」に従事しながらも、アメリカに渡って『全体主義の起原』でブレイクする前は、歴史家と時事評論家の中間のようなフリーランス・ライター(1945年11月18日ヤスパース宛の手紙)の仕事をしていた(その他、編集者、大学講師、ヨーロッパ・ユダヤ文化再興委員会調査主任などの仕事もしていた)。 この「時事評論家」という仕事はアーレントの政治思想の重要な一部であった。弟子のE・ヤング=ブルーエルの証言では、アーレントは常々、抽象的な哲学や理論ではなく、事件や事実から考えることを重んじていたらしい(この点については、エリザベス・ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』に記されている。『図書新聞』で拙書評が近々掲載予定)。 60年代アメリカの動乱(学生運動、公民権運動など)

⇒目的は手段を正当化しません - halt. ⇒構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091021/1256095792 コメント欄まで拝見したうえで――先のエントリともうひとつ前のエントリを翻すようではあるが、問題は多面的であり、改めて確認しておくべきかとは思う。トラックバックに対する私なりの大筋での応答としても。 ⇒暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び 結局のところ「他者危害」を「暴力」と言い換えるのは何のため? という話であり、それは、人権の根底にあり、またtikani_nemuru_Mさんが言われる「公権力の領域」に置かれる、他者危害禁止は「陵辱表現を脅威と感じる」ことを原理的に包括しない、というところに由来する。そのことは「純粋に技術的な」法の問題としてあ

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