放置状態だった図書館にも十月頃から力を割けるようになった。 バラバラだった本を整理し、床に段ボールのまま積み上げられた寄贈図書(こんな空間に中学生たちがくるものか!)を年代ごとに整理し、図書委員を班分けして割り振って登録作業に取りかかることができた。まだ終わっていないが、その作業にも終わりは見えてきた。また、友人知人先輩後輩に声をかけて本を集めた(送ってくださった皆さんには近日中に礼状を。まだ誰がどういう立場で出すかが詰められていないのでもう少し待っていてください。)。勿論、私個人も結構な量を持ち込んだ。雀の涙だが予算をもぎ取ってまず彼らが読みそうな本も入れた。それにより蔵書が1000冊以上増えた。勿論まだまだ全然足りないのだが、この半年で千も増えればそれなりのインパクトはある。11月以降、図書館の利用は飛躍的に伸びつつある。 なにより休み時間ごとにちゃんと開くようになった(こんな当たり前
化け物を殺すのは人だけ - 北沢かえるの働けば自由になる日記 小学校の図書室から『ぼくらの七日間戦争』をはじめとした『ぼくら』シリーズが撤去されたという話があった。 この話題に関連して、過去の学校図書館と検閲の事例を紹介しよう。アメリカの事例を出そうと思ったが、情報整理に時間がかかるので日本の例から。 参考文献は日本図書館協会図書館の自由に関する調査委員会編『学校図書館と図書館の自由』日本図書館協会(図書館と自由 第5集) 日本の事例 愛知県立高校図書館 学校図書館は、教育的配慮に基づいた自主規制が行われる可能性をもつ。学校図書館においても幅広い資料を提供することで生徒が多様な情報を入手できるようにすべきであるが、実際にはそうはなっていない。 例えば、全国学校図書館協議会|全国SLA制定の各種基準|全国学校図書館協議会図書選定基準を基準としてもかなり一面的・一方的な情報の統制は可能だ。
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