2010.05.08 「~すべし」という命令と「~すべからず」という命令 (5) カテゴリ:歴史その他 なんの本にあったのか忘れたので、違っているかもしれないが(したがって、実話かどうかは確認できない)、革命から間がない内戦中のある日のこと、当時、チェーカーの議長だったジェルジンスキーが会議中のレーニンに、「反革命」 分子として収監している囚人のリストを渡したという。 会議に没頭していたレーニンはメモに目を通したあと、×印のようなものをつけて、ジェルジンスキーに返した。メモを受け取った彼は、そこにある×印を見て、「処刑」 の指示だと思いこみ、リストにあった全員を即刻銃殺した。 ところが、あとで分かった話によると、実はレーニンには、日頃から目を通した書類にたんなる 「確認済み」 の意味で印をつける癖があったという。もっとも、いずれにしてもレーニンの指令で、多くの人間が 「反革命」 の罪により



2010.05.02 大文字の「良心」と小文字の良心 (5) カテゴリ:思想・理論 自動車事故で死んだカミュに、『正義の人々』 という戯曲がある。このもとネタは、革命前のロシアで、社会革命党の秘密組織の指導者として、要人暗殺などのテロを行っていた、サヴィンコフという名のロシア人革命家が書いた、『テロリスト群像』 という回想録の中にある。 サヴィンコフは、ロープシンという名で 『蒼ざめた馬』 などの小説も書いているが、革命後はボルシェビキ政権に対する武力闘争に加わり、最後は逮捕されて裁判にかけられた。そこで、いったんは死刑判決を受けたものの、「十年の禁固刑」 という特赦による減刑を受けたのち、なぜか刑務所で投身自殺をとげたとされている。 この話については以前書いたが、要約すれば、爆弾投擲による暗殺実行の任務を与えられた、カリャーエフという青年が、目標とする人物が乗る馬車に爆弾を投げようとした


2010.04.25 「自由」についてつらつらと (5) カテゴリ:思想・理論 いわゆる 「人権」 なるものはもちろん西欧起源であり、したがってキリスト教に由来する。中学の社会科では、ロック、ルソー、モンテスキューの三人を、代表的な啓蒙思想家として教えられるが、基本的人権といえば、ロックの 『市民政府二論』 ということになっている。 明治の自由民権運動では、「天賦人権」 なんて言葉も流行ったが、ようするに人権なるものは、神から与えられたものだから、たとえ国王でも侵すことはできないよ、という話。ロックは、たとえばこんなふうに言っている。 自然状態には、これを支配するひとつの自然法があり、何人もそれに従わねばならぬ。この法たる理性は、それに聞こうとしさえするならば、すべての人間に、いっさいは平等かつ独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由または財産を傷つけるべきではない、ということを教える


http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape 一般的なものであれ、特定の人間に対するものであれ、人間の様々な行為や行動に対する批判的な言及は、人間の意識、つまりはその内面に対する問いかけを伴わざるを得ない。いささか型にはまったものが多いとはいえ、「差別」はいけない、「いじめ」はよくない、というような、よくある一般的な啓蒙だってそう。人間の意識=内面への問いかけを伴わない批判など、なんの現実的な変革ももたらさない、無力な批判にすぎない。 たとえば、アメリカでの黒人差別に反対し抗議した人らの活動は、なによりも、そのような差別を当たり前のもの、自明のこととしていた人らの意識=内面への問いかけを伴うものであったはず。そして、そのような批判を多くの人が正当なものとして受け入れた結果、現在では、少なくとも、公然たる「人種差別」は非難

2007.11.12 小泉政治またはポピュリズムの謎 (7) カテゴリ:政治 このところ、朝晩の冷え込みがめっきりと厳しい。ついこないだまで最高気温が30度をこえる日が続いていたのを思うと、まったく冗談のような時の速さである。あまりに冷え込みが厳しいと、このまま冬に突入してしまうのかとすら思う。 もともと、秋という季節は暑い夏と寒い冬の間の一時的な移行期にすぎないのであり、夏の暑さや冬の寒さのような明確な属性というものを持っていない、いささか影の薄い季節なのであるから、こればっかりはしかたがない。 さて、「ポピュリズム」 という言葉は、一般には「大衆迎合主義」と訳されることが多い。もちろん、これは意訳なのであって、この言葉を直訳すれば単なる 「人民主義」 にすぎない。たとえば、「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を掲げた19世紀ロシアのナロードニズムも、英語に訳せば同じ populism であり

http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51607219.html http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51612134.html http://taraxacum.seesaa.net/article/131535144.html#comment 世界の中の事象というものは、いずれも複雑に構成されており、様々な側面を持っている。だから、ある問題についての論を批判するさいに、そこで抜け落ちている重要な視点や論点を指摘し、そこから相手を批判することは、それ自体として議論の作法に反することではない。そもそも、論点の客観的な軽重ということに限らず、同じ問題でも、人によって、どこに関心をもつか、どこを重視するかが異なるのはよくあることだ。個人の問題意識というものは、みな同じではない。 し

2010.02.02 「節分」ということで鬼の話など (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 「節分」 とは、ほんらい春・夏・秋・冬の季節の分かれ目のことであり、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日を指す。いまでも正月のことを新春と呼ぶ習慣が残っているように、もとは春が新年のはじまりであって、旧正月と暦上の冬と春の区切りである節分はほぼ同時期になる。 ただし、立春が太陽の運行に基づいているのに対し、旧暦は基本的に月の運行に基づいているから、正月と立春の関係はかならずしも一定しない。ときには、年が明ける前に立春を迎えて春になることもあり、そこから、明治に短歌革新を掲げた正岡子規により、「実に呆れ返つた無趣味の歌」 などとぼろくそにいわれた、古今和歌集巻頭のこんな歌も生まれている。 としのうちに 春はきにけり ひととせを こぞとや いはむ ことしとや いはむ たしかに、この歌の意味は、年のうちに春


2010.01.22自民党のあきれたご都合主義 (1) カテゴリ:政治 こちらのサイトによると、「三寒四温」 とは もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表すために使われていた言葉で、シベリア高気圧から吹き出す寒気がほぼ7日の周期で、強まったり弱まったりすることに由来するのだそうだ。 そこにも書いてあるように、この言葉はたしかに最近では、むしろ低気圧と高気圧が交代しながらしだいに暖かくなっていく、春先の気候変化を表すことが多くなっているが、ここ数日の気候と気温の変動は、まさにこの言葉の本来の意味にぴったりのようだ。 昨日はひじょうに暖かく、近くにある小さな橋の上から下をのぞくと、浅く透明な川の底に、まるまると太った鯉が潜水艦のようにゆったりと沈んでいるのが見えたりしたのだが、今日は一転して冷え込んだ。明日はもっと冷え込むらしい。 冬はなんとなく人が死ぬ季節というイメージがある。今年


http://d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 PledgeCrew [在特会][支持する] 「非暴力」を旗印にした戦略家気取りのブコメには反吐がでる。問題は逮捕された少年を見捨てるかどうか。司法判断など関係ない。在特会の言うように彼が帰国子弟であるなら、彼にとってこれはただのゲームではない 一定の状況の中で、結果としてある行為をおこした者について、そこに一定の正当性を認め、そちらの側に立つということを表明したからといって、それはただちにそのような行為そのものを礼賛し、他の者にも同様の行為をとるよう呼びかけることを意味するわけではない。上の記事を読む限り、toledさんが言っているのもそういうことではあるまい。 もしも、そのような理屈が成

2008.07.28 たいへんな一日だった (4) カテゴリ:歴史その他 久しぶりに仕事がすべて片付いたので、今日は運動をかねて、午後から暑い中を自転車で外へ出た。わが家には車もバイクもないので、外出するときは徒歩か自転車か、でなければ公共の交通機関を使う。 とりあえず、歩いて10分ぐらいの範囲にスーパーも食堂も書店もあるので、日常の用はそれですべて足りる。ようするに、半径1kmか2kmという、ごく狭い圏内で一年のほとんどを生活しているのだ。 家を出たときから、空には映画 「ゴーストバスターズ」 に登場した、巨大なマシュマロマンのような雲が聳え立っていたので、ちょっとやばいかなと思っていたら、案の定、帰宅途中のあと2-300mというところで、いきなり猛烈な驟雨に見舞われた。 自宅に辿り着いてテレビをつけると、神戸の都賀川での水難事故に、富山や石川、京都の水害、さらには琵琶湖であった 「鳥人

2008.02.16 宮内庁もまだまだ了見が狭いと思う (18) カテゴリ:歴史その他 昨日、こんなニュースがあった。神功皇后陵を初調査 宮内庁は15日、日本考古学協会など考古学、歴史学の計16の研究団体に、奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)への立ち入り調査を許可し、22日に調査が実施されると発表した。 これまでも補修工事などの際に見学が認められることはあったが、学会側の要望に基づく陵墓の立ち入り調査は初めて。 宮内庁や協会によると、陵に入るのは各団体の代表16人。墳丘の外観を目視で観察するのが中心。立ち入りは墳丘第一段目の平らな場所までで、発掘は認められていない。 宮内庁が過去に作成した図面を検証するほか、埴輪の確認などで詳しい築造時期を明らかにするのが目標で、4月上旬に奈良市でシンポジウムを開き、調査結果を公開する。来年度以降も、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)など全国の陵墓調査を申請する

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20091228/1261960641 PledgeCrew 沖縄, 間違いSF講和条約で放棄した領土には沖縄を含む南西諸島は含まれてない。したがって同条約第三条での施政権の米国委託は領有権が日本にあることが前提。WWI後の旧独植民地の場合とは違う。安保はただの二国間条約、無関係 2009/12/28 「前提」というのは日本側の解釈で、中国(人民共和国)側はこれらの日米合意を「二国間条約」として否定する可能性がある(すでにその見解は一部出している)。また米国側は明示的に領有権については言及しておらず、おそらく日本との軍事同盟がなくなった場合、領有権についてさらに沈黙する可能性がある。もともと領有権は基本的に日本国の問題。竹島的な状況をどう扱うかという問題にやはり帰着する。 まずはサンフランシスコ講和条約から http://w

2007.12.31 年末に相応しくないエントリ (2) カテゴリ:カール・シュミット 「インディアンサマー・クリスマス」 などという戯言をはいたところ、それからわずか数日で寒波がやってきた。さすがは12月、「腐っても鯛」 といったところだろうか。 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 など多数の著作で知られる、かのマックス・ウェーバー (ヴェーバーと呼ぶ人もいるが) は、政治について 「神々の戦い」 と表現している。 それは、政治が 「理念」 やイデオロギーをめぐる闘争の場であり、しばしば非和解的な対立がもたらされるということ、と同時に、そのような対立は単純な 「善」 と 「悪」 の戦いなどではなく、もじどおり 「正義」 と 「正義」 の戦いなのであるという二重の意味を持っている。 だが、まだ終わったばかりの20世紀を振り返ってみれば、戦争が非常な苛烈さを帯びるようになったのは


2007.12.25 ホワイトクリスマスはすでに死語である カテゴリ:歴史その他 今日は久しぶりにいい天気だった。空にはほとんど雲がなく、歩いていると汗ばんできて、とうとうセーターも脱いでしまった。 冬至であるから確かに日は低いし、すぐに沈んでしまう。しかし、人間は直立して歩くものであるから、太陽が低いほうがむしろ日を受ける面積は大きくなり、熱を吸収しやすくなる。まったく、「ホワイトクリスマス」 どころか、「インディアンサマー ・ クリスマス」 という言葉のほうがぴったりするような一日だった。 クリスマスは、一般にはイエス・キリストの誕生を祝う日ということになっているが、「聖書」 を読む限り、実際の誕生日がいつだったかははっきりしない。イエスの誕生について一番詳しく描かれているのは、新約聖書に納められた 『マタイによる福音書』 である。 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れに


2008.10.08 物言えば 唇寒し 秋の空 (5) カテゴリ:ネット論 物言えば 唇寒し 秋の空 これは、芭蕉の有名な句であるが、一般には 「人の悪口など、言わずもがなの余計な事を言ったりすると、思いがけない災いを招くことになるから、なるべく口を慎めということ」 というような意味で使われているようだ。 これは、この句に 「人の短をいふ事なかれ 己が長をいふ事なかれ」 という前書きがついているせいだそうだが、この前書き自体は元禄9年に上梓された 『芭蕉庵小文庫』 において追加されたものなのだそうだ。 芭蕉が亡くなったのは元禄7年だが、この 『芭蕉庵小文庫』 は史邦(本名は中村荒右衛門)という芭蕉の門人が師の死後に編纂したものである。芭蕉自身は、「わが草庵の座右に書き付けることを思ひ出でて」 と前書きをしているそうだ。 しかし、漂泊の詩人たる芭蕉に、いささか道学者じみた訓戒の句などは似合う

2007.09.21 秋は本当に来るのだろうか (17) カテゴリ:雑感 今日も暑い。連日、最高気温が30度を超える真夏日が続いていて、あちこちで最も遅い真夏日の記録を更新しているのだそうだ。アスファルトの道路には、くっきりとした影が灼きついている。 それでも、さすがに7, 8月に比べれば太陽は低くなっており、おかげで影が伸び日陰も広がっている。日陰に入っていれば、ときおり吹く風で少しは涼しさを味わうことができる。やはり、まだ目には見えないけれど、秋はすぐそこまで来ているのだろうか。 ところで、昨日広島高裁で行われた 「光市母子殺害事件」 の差戻し公判で、遺族の本村洋氏が、「君の犯した罪は万死に値する」 という旨の意見陳述を行った。 この事件では、被告の元少年は殺意は否認しているが、犯罪事実そのものについては争っていない。つまり、被告が事件の実行者であることは確定しているということだ。 差


2008.08.17 「自己イメージ」の歪み、あるいは「認知的不協和」について (2) カテゴリ:ネット論 手記の中から箴言風の言葉を集めたウィトゲンシュタインの 『反哲学的断章』 に、「自分を騙さないことほど難しいことはない」 という言葉がある。言い換えると、「自分を騙すことほど簡単なことはない」 となるだろうか。むろん、この程度のことを言うのに、わざわざ大先生の名前など出す必要はないのだが、ちょっと 「知ったかぶり」 をしてみたいのである。 誰が言い出したのか知らないが、インドの釈迦、中国の孔子と並べて三大哲人と言われているソクラテスが、デルフォイのアポロン神殿に刻んであった 「汝自身を知れ」 という言葉を、導きの糸としていたことは有名な話である。「自分自身を知る」 ということは、古来より多くの東西の賢人が課題としていたことなのである。 それはつまり、「自分自身を知る」 ということがい


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