米軍による広島への原爆投下で、米兵12人が死亡したと1948年に結論付けた連合国軍総司令部(GHQ)の捜査報告書が13日までに見つかった。作成者は米軍大尉で「原爆を投下した結果」と死亡理由を記述。日本の戦争犯罪を裁くため被爆した米兵への虐待の有無を調査し、捕虜だった12人について「残虐行為の証拠は得られなかった」として被爆死と断定した。専門家によると、米兵被爆死の総数が米側の公文書で確認されたのは初めて。 米国立公文書館所蔵文書の複写を共同通信が入手し、広島市立大広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)に分析を依頼した。広島で被爆した歴史研究家の森重昭氏(86)が遺族への調査に基づき、2008年の著書で12人と公表した独自調査が裏付けられた。 米政府は戦後長らく、原爆で米兵が犠牲になった事実を非公表としてきた。現職米大統領として被爆地を初訪問したオバマ氏が16年、広島市で行った演説で「1

Published2023/12/11 17:44 (JST) Updated2023/12/11 17:58 (JST) 広島市の新規採用職員研修で、松井一実市長が戦前の「教育勅語」の一部を研修資料に使っていたことが11日、市への取材で分かった。市長就任翌年の2012年から毎年使用していた。教育勅語は軍国主義教育の柱だった文書で、専門家は「現行憲法の理念に反し、不適切だ」と指摘した。 22年4月の新人研修で配布された資料は、全19ページのうち「生きていく上での心の持ち方」と題した6ページ目で「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、後輩につなぐことが重要」とし、教育勅語を使用。「爾臣民、兄弟に、友に」と博愛や修学、公益を説く部分を英訳付きで掲載した。松井氏は職員への講話でこの資料を使った。23年も同じ部分を引用したという。 松井氏は使用の意図について「教育勅語そのものを再

広島県尾道市の市施設に、被差別部落出身者を差別・脅迫する手紙が届いていたことが24日、市への取材で分かった。「人間ではない」「いつでもコロシたる」などと書かれていた。市人権男女共同参画課の半田敬二課長は「差別の現状を目の当たりにした」と話し、広島法務局に調査を要請したと明かした。県警への被害届も検討する。 封書は10月24日に届いた。便箋1枚に手書きの黒いペンで「ブラクミンのバカタレドモ」から始まる文章が書かれており、差別語も複数含まれていた。宛先は「解放会館」で、差出人の名前と電話番号もあった。法務局が調べたところ、差出人は関係のない人物だった。

Published2022/07/22 18:42 (JST) Updated2022/07/22 18:51 (JST) 広島と長崎の被爆者や市民団体は22日、記者会見や声明で安倍晋三元首相の国葬実施の決定に抗議した。広島の市民団体は「憲法改正に向けた政治的な意図があるのではないか」と問題視。長崎の被爆者団体などは、国民の生活が苦しい中「税金を使うのは疑問だ」と訴えた。 長崎市の被爆者団体など計19団体は「国葬に断固反対する」とする連名の声明を、首相官邸や各政党に郵送。長崎原爆被災者協議会の田中重光会長は「人の死を国の動向を変えることに利用しているのではないか」と批判。 広島の市民団体「8.6ヒロシマ大行動」は岸田文雄首相の地元事務所に国葬反対の要請書を提出した。

Published 2021/11/30 19:50 (JST) Updated 2021/12/01 00:06 (JST) 広島県が両立支援制度をまとめて配布している「働く女性応援よくばりハンドブック」に対し、「子育てしながら働くのが欲張りなのか」「夫も育児するのが当たり前」などと会員制交流サイト(SNS)で批判が噴出している。湯崎英彦知事は30日の記者会見で「仕事と暮らし両方の希望をかなえたいという意味だ」と理解を求めた。 冊子はB5判50ページで、男女雇用機会均等法や行政の支援制度について紹介。県内企業に配布し、県のホームページで公開している。2014年に完成し昨年までに3回改訂したものだが、11月27日に県がツイッターで宣伝すると、数千件の批判により「炎上」した。

広島市では昭和の時代に地下鉄が計画されており、それと引き換えに、この街を縦横に走る路面電車の多くは姿を消す予定でした。なぜ地下鉄の計画は頓挫してしまったのでしょうか。 国鉄各線との直通運転も計画されていた地下鉄 2019年4月末現在で119万6000の人口を抱える広島市には、中心部と北西部を結ぶ新交通システムのアストラムラインに300mほどの地下区間はあるものの、本格的な地下鉄の路線網は整備されていません。しかし広島市にもかつて、2路線20km弱におよぶ地下鉄の建設計画がありました。それと引き換えに、この街を縦横に走る広島電鉄の路面電車は、その多くが姿を消す予定だったのです。 広島の市街地を走る広島電鉄の路面電車。かつて広島では、この路面電車に代わる地下鉄が計画されていた(画像:robertchg/123RF)。 広島市で地下鉄の構想が持ち上がったのは、1967(昭和42)年のことです。こ

サトウキビの搾りかす(バガス)で作ったジーンズを身につけるさとうきび創生ラボの富井岳さん=4日、浦添市港川の「SHIMA DENIM WORKS」 沖縄県内外の若手の会社経営者7人で構成するさとうきび創生ラボ(浦添市)は、サトウキビの搾りかす(バガス)をすき込んだ「バガス和紙糸」を完成させ、県内でジーンズに仕立てて浦添市港川の「SHIMA DENIM WORKS」で販売している。年間約20万トンが排出されるバガスに利用価値やファッション性を付加することで、担い手不足などに直面するサトウキビ農業の活性化を後押しする。 昨年10月に立ち上がったさとうきび創生ラボの設立目的について、メンバーの富井岳さん(27)は「サトウキビ畑は沖縄の原風景。この風景を守るために農業以外の形で僕たちに何ができるか考えた」と語る。 サトウキビの新たなブランディングで目を付けたのが、バガスの繊維質を生かしたデニム生地

直前の核実験からの日数を刻む「地球平和監視時計」をリセットする原爆資料館の滝川卓男館長=広島市中区の原爆資料館で2019年5月27日午後3時3分、寺岡俊撮影 米国が今年2月に臨界前核実験を実施していたことを受け、広島市の原爆資料館は27日、直前の核実験からの日数を刻む「地球平和監視時計」を「530」から「103」にリセットした。時計を操作した滝川卓男館長は「これがリセットボタンを押す最後になるように、核兵器廃絶を世界に発信し続けたい」と語った。 数字のリセットはトランプ政権で初めての…

広島県のとある住宅地と、その最寄り駅とのあいだに「スカイレール」と呼ばれる乗りものが運行されています。傾斜地にある住宅地の足として導入されたこの乗りもの、一見してロープウェイのようですが、じつは様々な輸送手段のいいところを取ったものです。 レールとセットで開発された「スカイレールタウン」 広島市安芸区の東端に位置し、周囲を山に囲まれた山陽本線の瀬野駅。東側の八本松駅にかけては急勾配が続き、鉄道ファンのあいだで「セノハチ」(瀬野~八本松間の通称)と呼ばれる区間ですが、北側は東側よりもすぐそばまで山が迫り、その山肌にびっしりと張り付くように住宅が立ち並んでいます。 駅からその住宅地に向かって、モノレールの線路(軌道)に似た高架線が続いており、高架線にぶら下がる形でロープウェイのゴンドラのようなものが上り下りしています。この乗りものは「スカイレール」と呼ばれ、法律上は鉄道の一種として位置付けられ

JR山陽新幹線500系「ハローキティ新幹線」の運行にあわせて、広島に「ハローキティ新幹線ラッピングバス」が2種類登場しました。 定期観光バスと市内観光循環バスに中国ジェイアールバスは2018年8月31日(金)、「ハローキティ新幹線ラッピングバス」2種類の運行を開始しました。 広島世界遺産定期観光バス「めいぷるとりっぷ」のラッピングバス(画像:JR西日本)。 「ハローキティ新幹線」はJR山陽新幹線(新大阪~博多)で、2018年6月30日から運行を開始。サンリオのキャラクター「ハローキティ」のかわいい世界観を、新幹線500系の外装や内装などで表現しています。 「ハローキティ新幹線ラッピングバス」は、ハローキティやこの新幹線を車体にデザイン。定期観光バス「めいぷるとりっぷ」と、広島市内の観光循環バス「ひろしまめいぷる~ぷ」に登場します。 「めいぷるとりっぷ」は広島の世界遺産を巡る日帰りの観光バ

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■記者が見た西日本豪雨(広島・JR芸備線) 激しい雨がやんで数日が経つのに、川は濁り、ごう音を立てていた。レールが下流側に大きく曲がり、残った橋げたには巨大な流木が突き刺さっていた。 鉄橋が崩落したJ…

6日に原爆の日の式典が開かれる広島市中区の広島平和記念公園は、木々が茂り青々とした芝生が広がる。しかし、そこはかつて、広島屈指の繁華街だった。足元に眠る街の一部を保存・展示しようと、広島市は今年度中に試掘調査に乗り出す。奪われた命や暮らしに思いをはせるきっかけに、と願う。 「すずりが見つからんかったら、皆さんの前でお話するようなこともなかった」。広島市安佐南区の今中圭介さん(82)は7月末、少年時代の思い出を市民対象の勉強会で語った。 昨秋、裏面に「初三 今中圭介」と彫られたすずり(縦約13センチ、横約8センチ)が、平和記念公園の地中から見つかった。国民学校初等科3年生の頃、愛用していたもの。公園内の平和記念資料館本館の耐震工事中のことだった。 自宅は、本館がある付近の旧材木町にあった。一帯には原爆投下前、住宅のほか、銭湯や歯科医院、化粧品店などが立ち並んでいた。調査を担当する市文化財団に

被爆電車の車内で被爆体験を話す朴南珠さん(左から2人目)=広島市で2018年8月4日午前10時半、山崎一輝撮影 73年前の原爆投下時に壊れ、修理されて今も運行を続ける広島電鉄の「被爆電車」の車内で4日、被爆証言を聞く学習会があった。在日韓国人被爆者の朴南珠(パク・ナムジュ)さん(85)=広島市西区=が、被爆直後の広島の惨状を説明し、小中学生や保護者ら約40人に「広島が一瞬でなくなった。言葉で言い表せないぐらいの恐怖だった。原爆は本当に残酷だ」と語りかけた。 朴さんは女学校1年だった1945年8月6日、爆心地から約1.8キロ地点を走っていた電車の中で被爆。電車は大破し、割れた部品が頭に突き刺さった。血まみれで近くの川の土手に逃げると、皮膚がどろりと垂れ下がった腕を上下に動かしながら進む人を大勢見たという。

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