横浜の日本郵船「氷川丸」で、特別パネル展「病院船時代の氷川丸」がスタート。戦傷病者を収容・輸送していた戦時中の姿を、写真を中心にたどります。 1941年、海軍が徴用 日本郵船は2018年6月5日(火)から、横浜港に係留している「氷川丸」の一等読書室で特別パネル展「病院船時代の氷川丸」を開始しました。 特設病院船時代の「氷川丸」(画像:日本郵船)。 氷川丸は1941(昭和16)年に海軍に徴用され、貨客船から特設病院船に改装。戦地の海軍病院と日本を結び、戦傷病者を収容して日本に帰国させる任務に就きました。終戦までのおよそ3年半で、計24回航海し、3万人に上る戦傷病者を看護・収容し輸送しました。 今回、病院船に乗船していた海軍兵の遺品アルバムが寄贈されたことで、当時の貴重な写真が公開されることに。氷川丸の外観や船内外の設備、乗組員の姿などが紹介されます。期間は12月2日(日)までです。 7月7月

あけましておめでとうございます。2017年の横浜ウォッチャー初めは、箱根駅伝観戦から。 ▲そごう横浜店近くの沿道で観戦しました。8:45ぐらいに到着すると、すでに人であふれていました ▲9:30ごろ、先頭集団が目の前を通過! 今年はスローペースだったようで、昨年よりも通過時間が遅かったとのこと ▲先頭から3分遅れて、山梨学院大学のニャイロ選手が20位で通過。ごぼう抜きが期待されましたが、第3区の選手に18位でたすきを渡しました 帆船日本丸に移動。1月9日まで行われるお正月飾りを見学しました。 ▲マストの先端には松飾りが ▲船内の主要な部屋には鏡餅がそなえられていました ▲士官サロンの神棚はこの期間だけ開帳されています ▲1枚の毛布を風景や動物に見立てて折る「飾り毛布」。日本船独自のおもてなしだそう ▲横浜ベイホテル東急の1階ロビーではお正月のオブジェが飾り付けられていました 撮影していたら

2 0 1 6 年 7 月 7 日 東日本旅客鉄道株式会社 大 宮 支 社 「氷川神社×氷川丸スタンプラリー」開催!! 1 期 間 2016 年7月 16 日(土)~8月 31 日(水) 2 概 要 JR東日本の首都圏の主な駅に置いてある「スタンプ台紙」を入手のうえ、 氷川神社と氷川丸に設置されたオリジナルスタンプを押して、引換箇所に スタンプ台紙をお持ちいただくと、先着 3,000 名さまに「オリジナルトートバッグ」 をプレゼントします。 3 スタンプ設置箇所・設置時間 (1)武蔵一宮氷川神社 神札授与所前 5時 00 分~18 時 00 分(7月 31 日(日)~8月2日(火)は除く) (2)日本郵船氷川丸 エントランスロビー 10 時 00 分~17 時 00 分(入館は 16 時 30 分まで) 休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館) ※ 氷川丸のスタンプ押印および賞品引き
国の文化審議会の十一日の答申で、県内では、山下公園(横浜市中区)に係留されている「氷川丸」などが重要文化財(重文)に、称名寺(同市金沢区)所蔵の「称名寺聖教と金沢文庫文書」が国宝に指定される見通しとなり、関係者は喜びの声を上げた。 氷川丸は貨客船として活躍し、喜劇王チャプリンも乗船。太平洋戦争で旧海軍の病院船として利用されたほか、外交官の故杉原千畝氏から日本の通過ビザをもらったユダヤ人を米国などに運んだ。一九六〇年に引退して山下公園に係留されると、横浜の観光スポットとなり、二千万人を超える観光客が訪れた。 重文指定について、金谷範夫船長は、造船当時として最新鋭の技術を取り入れたことやアールデコ様式の内装の美しさが評価されたと分析。「大変光栄で幸せです。この船は日本の宝。多くの人に訪れてほしい」と笑顔を浮かべた。所有する日本郵船の吉田芳之取締役は、業績が厳しかった時期は保存に消極的な声もあっ

Javascript is required. Please enablejavascript before you are allowed to see this page.
Javascript is required. Please enablejavascript before you are allowed to see this page.
横浜港のシンボルとして山下公園に係留されている「氷川丸」の1930年代につくられた大型模型がこのほど米国から持ち主だった日本郵船に返還された。18日から日本郵船歴史博物館(横浜市中区)で一般公開される。 模型は戦前、カナダの同社代理店で陳列されていたが、太平洋戦争の資産凍結で没収、その後米中西部ウィスコンシン州の海洋博物館で保存された。担当者は「戦後70年を前に実現して良かった。本物と見比べてほしい」と話している。 歴史博物館によると、模型は48分の1サイズで全長3・4メートル。「籾山艦船模型製作所」(当時)が設計図面を基に製作。海軍省などから注文を受けていた同製作所の作品は精密さで知られ、今も国内外で評価が高いという。 米国で氷川丸の模型が保存、展示されているのを知った日本郵船が約20年間にわたり返還を求めていた。 氷川丸は30年に完成、日米航路の豪華客船として活躍し60年に引退。太平洋

横浜・山下公園に係留されている日本郵船氷川丸の入場者が増えている。3月からの3カ月間で前年に比べて3割増となり、延べ11万人を突破した。2008年のリニューアル以降、年間最多は昨年の27万人で、ことしはこれを更新する勢いだ。 日本郵船歴史博物館(横浜市中区)の担当者は「東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転による効果が大きい」とみている。 大型連休を中心に5月の入場者数は、月間で過去最多の4万6300人。前年よりも4割増えた。入場制限を行う日もあったという。埼玉や東京方面から訪れた人たちが少なくないといい、「横浜といえば氷川丸というイメージが幅広い世代に浸透しているのでは」と話している。
同展では、かつて「三菱重工横浜造船所」があったみなとみらい地区で、同社が1929年の氷川丸進水式や秩父丸進水式などの際に作成した進水記念絵葉書を展示。進水記念絵葉書とは、船舶の完成の際に行われる進水式で、記念に配布される絵葉書のこと。デザイン性の高いものや資料価値の高いものも多い。 「三菱重工横浜造船所」は1891年設立の造船所「横浜船渠(せんきょ)」を、当時の三菱重工業が吸収合併することで生まれた造船所。1979年に造船事業から撤退するまで、貨客船や貨物船、漁船など計738隻を製作している。 今回の展示では、昭和に活躍した「氷川丸」や「秩父丸」の客船、貨物船やタンカーなど、さまざまな船の絵葉書を約150点展示する。 展示のきっかけになったのは、海事関係者限定で販売された写真集「絵葉書が語る三菱横浜の船造り」(2012年発行)。多くの進水記念絵葉書の情報が寄せられ、今回の展示につながった。

2012年11月20〜22日まで、図書館業界の祭典ともいえる図書館総合展に参加してきました。参加は2回目、今回はがっつり3日間フォーラムに出て、情報を取り込むモードだったのですが、こちらのまとめはさすがに後回し。まずは総合展周辺でどうやって過ごしていたかを記しておきます。自転車通勤 関内駅の近くに宿をとってしまったため、総合展会場のパシフィコ横浜の最寄り駅まで1駅だけという歩けないこともない、でも歩くとしんどいという中途半端さ。事前に登録しておいた横浜コミュニティサイクル baybikeを使って、自転車通勤していました。どの駐輪場から乗って、どの駐輪場で降りてもいいというシステムです。 ちょうどホテルのそばと、みなとみらい駅の下に駐輪場があったので助かりました。中華街へ朝粥を食べに行ったり(馬さんの店) 海沿いを走ったり 少しの時間で横浜観光らしいこともできるのでオススメです。 bay

横浜・山下公園前で係留されている日本郵船の貨客船「氷川丸」(1万1622トン)が、100歳になる2030年を目標に保存運営されることが分かった。同社の和崎揚子経営委員が12日までに、神奈川新聞社の取材で明らかにした。和崎氏は「氷川丸は世界的にみて希少価値がある。横浜の人たちの愛着が深いことから、これからも大切に保存していきたい」としている。 昨年に生誕80周年を迎えた氷川丸はことし、係留50周年を迎える。同社は2006年に当時の運営会社から氷川丸の譲渡を受け、約10億円をかけて船体などを改装。日本郵船歴史博物館(横浜市中区海岸通)の施設として08年から運営している。年間20万人以上が訪れている。 和崎氏は日本郵船グループのOBや現役でつくる「クラブ氷川丸」が真ちゅう磨きなど維持補修に励んでいることを例に挙げ、CSR(企業の社会的責任)の一環として保存運営に取り組む考えを強調した。 1
日本郵船氷川丸船内(横浜市中区海岸通3)で5月21日、手旗信号を使ったワークショップ「氷川丸体操をしよう。」が開催される。 氷川丸体操は、氷川丸生誕80周年を記念して誕生したエクササイズ。「手旗信号」は紅白1組の旗を使って行う通信手段で、遠方の人(望遠鏡・双眼鏡で見える範囲)と通信することができ、自衛隊やボーイスカウトなどで活用されている。 当日は、現代美術家の高橋唐子さんを講師に迎え、かつて貨物を積んでいた船内の1室で手旗信号を製作。手旗を使ったエクササイズの後、氷川丸の船内を見学し、デッキ上で童謡「うみ」をBGMに流しながら「ヨ・コ・ハ・マ・ヒ・カ・ワ・マ・ル」という文字を「手旗信号」で表現する。製作した手旗は持ち帰ることができる。 開催時間は13時~15時30分。料金は500円(入館料込み、制作した手旗は持ち帰り可能)。定員は20人。予約・問合せは日本郵船歴史博物館(TEL 045-

※本システムは、SSL(暗号化)に対応しています。入力されるすべてのデータはインターネット上で暗号化されます。 ※ユーザID/パスワードが分からなくなった場合は、事務局までお問い合わせください。 参加館用システムについて 研修環境の利用について 研修環境ログイン画面

横浜で7日から開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)は、横浜を世界にアピールできる絶好の機会として、観光業界などを中心に期待が高まっているが、その一方で、混乱を避けようと期間中の営業を自粛する動きが周辺の商業施設に広がっている。 遊園地「よこはまコスモワールド」は11〜14日の間、すべての営業を取りやめる。横浜の名所となっている大観覧車「コスモクロック21」の営業も中止するが、夜間のライトアップは行う。広報担当者は「営業自粛はやむを得ない。せめてライトアップされた観覧車を楽しんでほしい」と話す。温浴施設「万葉倶楽部」は10〜14日の間、臨時休業する。来館時に、警戒中の警察官から職務質問を受けた客からの苦情が数件寄せられており、混乱を避けるためという。 山下公園前に係留している「氷川丸」は12〜14日正午に休館。悪天候や保守点検以外での休館は極めて異例で、日本郵船広報の中香織さんは「
今年そろって生誕80周年を迎えた「日本郵船氷川丸」と「帆船日本丸」の記念イベントが横浜市内で催されている。戦前に建造された優雅な姿から「北太平洋の女王」と「太平洋の白鳥」の愛称でそれぞれ親しまれてきた。横浜港のシンボルとして「次は100歳。いつまでもお元気で」との声が寄せられている。横浜・山下公園に係留されている氷川丸では“80歳の誕生日”の25日、大勢の市民らがお祝いに駆けつけた。祝賀式典では、45年間船内で練習してきた横浜少年少女合唱団の子どもたち約90人が歌声を披露。金谷範夫第28代船長(59)は「氷川丸自身が一番喜んでくれていると思う」とあいさつした。 この日は豪華客船時代の味を再現したスープが船内で振る舞われたほか、当時の譜面を再現した音楽会も開催。都内から家族7人で訪れた会社員(38)は「10年前に付き合ったころの妻とデートに来て以来。横浜の街並みは変わったが、氷川丸はこ
横浜港に係留されている氷川丸の生誕80周年を記念した企画展「船をとりまくアール・デコ」が、横浜市中区の日本郵船歴史博物館で開催されている=写真。 アール・デコとは幾何学的な装飾を反復したような模様で主に直線や流線形で表現されるデザイン。1925年にパリで開かれた博覧会で発表され世界中でブームになった。30年に建造された氷川丸は当時流行したばかりのアール・デコを採用している。 展示では、フランスの船内装飾家が設計した社交室や食堂などのインテリア画を中心に、アール・デコの影響を受けた客船ポスターやパンフレットなどの印刷物などが並ぶ。 当時船内で着用された流行のドレスやアクセサリーなどのファッションも紹介。岩崎ミュージアム(中区)が復元したカクテルドレスも披露されている。 学芸員の海老名熱実さんは「最新のデザインは船会社が率先して採用し、客船が世界中に広めた時代があった。当時の内装が残さ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く