TOP ニュース 「岸田首相よ、バイデン大統領に停戦交渉を呼びかけよ!」 元外交官・東郷和彦さん×東京外大教授・伊勢崎賢治×一水会代表・木村三浩 東郷和彦(とうごうかずひこ)/ 1945年生まれ。静岡県立大学客員教授。元外交官、政治学者。外務省で条約局長、欧亜局長、オランダ大使などを歴任。『北方領土交渉秘録』など著書多数(鼎談写真/写真映像部・上田泰世) 東郷:非常に啓発されるお話です。私が最大のチャンスだと思ったのは、昨年3月29日にトルコのイスタンブールで行われた停戦交渉です。この時のウクライナ側の提案は画期的でした。ウクライナは中立国であることを宣言し、いかなるブロックとも同盟を結ばない。ロシアが実効支配するクリミアの主権問題については15年かけて交渉し、ドンバスもそれに倣った処理が見通せました。ロシア側も建設的に評価し、停戦に最も接近しました。ところが、キーウ近郊のブチャで多くの民

昨秋の衆院選、今夏の参院選を経て政治の景色は激変した。与党は少数となり、中小規模の新興政党の存在感が増した。本格的な「多党化時代」を迎え、政治や政党などはどうあるべきか。首相経験者や各党のキーパーソン、有識者らに聞く。=随時掲載 -少数与党に転じた石破茂政権は「熟議の国会」を唱え、立憲民主党、国民民主党、日本維新の会の3野党と政策協議を重ねた。 「野党に耳を傾けなくては法律1本通らない。予算も通らない。テーマごとに組む相手が違い、党のカラーや支持層も異なるため、一つ一つ細かく配慮しながらやってきた。多数与党より、納得してもらう努力を何倍もしなきゃいけない。ただ、多数与党でも少数与党でも有権者に分かりやすく説明することが、民主主義では常に必要だ」 -結党70年を迎えた自民党は多様な民意をすくえなくなり、多党化の中で議席占有率が低下。「国民政党」ではなくなったとの指摘がある。 「例えば小日本主

新右翼団体「一水会」代表を務め、民族派右翼の論客として知られた鈴木邦男さん。現在は作家として、左右の垣根を越えた多様な言論を発信しています。大学受験では志望校に見事合格しますが、そこに至るまでには、高校での退学騒ぎなど、紆余(うよ)曲折がありました。鈴木さんは「人生に必要なことは全て受験から学んだ」と話します。【聞き手・浜名晋一】

先日の岸田文雄首相の施政方針演説について書くつもりでいましたが、やめました。作家で民族派団体「一水会」創設者の鈴木邦男さんが1月11日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、79歳で亡くなりました。テレビの討論番組で邦男さんをご存じの方も多いでしょう。このご時世にけうな、清貧の論客の姿を振り返ります。【東京学芸部・吉井理記】 邦男さんには9年ほど前、毎日新聞夕刊「特集ワイド」の取材で初めて会った。東京・高田馬場の薄暗い喫茶店でのことである。 討論番組「朝まで生テレビ!」でおなじみの、論壇の超有名人である。店で落ち合い、やや緊張しながら邦男さんに向かい合うと、「まだ昼食を済ませていない」と言う。 メニューには700円ほどのスパゲティのランチセットがあるのみ。「もてなしとしては庶民的にすぎるかな」などと気をもんだが、邦男さんは明太子のスパゲティを申し訳なさそうに選び、運ばれてきた皿を実にうまそうにたいら

幼いころ、母親に「日本で一番エラい人はだれ?」と問うと、母はハテナ、と小首をひねり、やがて「天皇」と答えた。 「じゃボクは天皇になる」「なれない」「なぜ」「と…
現代的な名刺のルーツは、16世紀ドイツにあるという。 戦前の外務官僚で戦後は宮内庁式部官を務めた故友田二郎氏は大著「国際儀礼とエチケット」(1982年)でそう書いている。 国賓接遇を担当しただけあって、461ページにわたってマナーのあれこれが記されている。 名刺についてもわざわざ1章を割いて、書式

2年前に亡くなった民族派団体「一水会」創設者、鈴木邦男さんの著書「<愛国心>に気をつけろ!」を読み返している。 晩年の鈴木さんには何度か会った。好々爺(こうこうや)のようだった。でも、若いころは武闘派だった。「諸悪の根源、日本国憲法」をスローガンに、旧憲法への復帰運動を展開した。同書によれば、当時は「犯罪が多いのも、経済がよくないのも、全て現憲法のせいだと思っていた」などとある。 今や「諸悪の根源」的な存在にされつつあるのは外国人だ。

幼いころ、母親に「日本で一番エラい人はだれ?」と問うと、母はハテナ、と小首をひねり、やがて「天皇」と答えた。 「じゃボクは天皇になる」「なれない」「なぜ」「とにかくダメ」「ずるい」……。僕が最初に天皇制に疑問を持った瞬間である。だからどうした。 そんな僕を、天皇を敬う民族派団体「一水会」代表の木村三浩さんは、機関紙「レコンキスタ」発刊50年を記念する会に誘うのだから奇特な人だ。東京・日比谷であった会には、左右の活動家、国会議員、各国外交官らがずらり。天皇や民族にこだわりがない僕は、隅で小さくなってレコンキスタについて考えていた。スペイン語である。日本語では「失地回復」などと訳される。8世紀初めにイスラム教勢力が征服したイベリア半島を、15世紀末にキリスト教勢力が再征服する過程を指す。

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