バートランド・ラッセル自伝 第3巻第2章 国の内外で 32-32 - The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 第一回パグウォッシュ会議開催 (松下彰良 訳) しかし,私たちが提唱した科学者会議に関するかぎり,1956年の夏時点では,私たちの目指す方向に事が(順調に)進んでいるように思われた。その後10月になって,2つの不幸な事件が世界に襲いかかった。一つはハンガリー動乱(ハンガリーの反抗(反乱)/YouTube動画)とその鎮圧であり,いま一つはスエズ事件*であった。 * 原注:私は時々どうして当時ハンガリーの反抗に対するソ連の鎮圧行為を烈しく非難しなかったのかと尋ねられる。私がそうしなかったのはその必要がなかったからであった。いわゆる西欧世界の大部分は烈しく非難し続けていた。これに対し,スエズの偉業の問題に対しては強く反対の声をあげた人もいくら
無所属の鈴木宗男 参議院議員の辞職が20日の参議院本会議で認められました。鈴木氏は、来月の実施が見込まれる参議院選挙に自民党から比例代表で立候補する見通しです。 鈴木宗男 参議院議員は参議院に辞職願を提出し、20日夕方の本会議で辞職が認められました。 鈴木氏は77歳。1983年の衆議院選挙で初当選し、北海道・沖縄開発庁長官や官房副長官などを歴任しましたが、2002年にあっせん収賄などの罪で起訴されて、実刑が確定し失職しました。 2019年の参議院選挙に日本維新の会から立候補して9年ぶりに国政に復帰し、その後、離党して無所属で活動していました。 鈴木氏は、議員辞職したうえで、来月の実施が見込まれる参議院選挙に自民党から比例代表で立候補する見通しです。


隔月刊誌「表現者」が主催して「瀬戸際の日本外交 米中韓そしてロシアと如何にわたり合うか」というシンポジウムが2014年10月24日、評論家の西部邁さんや外交官の東郷和彦「京都産業大学」教授、原洋之介「政策研究大学大学院」特別教授、富岡幸一郎「関東学院大学」教授をパネリストに迎え、都内・四谷区民ホールにて開かれた。 「最近の反韓は本当にすごい。朝日新聞の話が出ましたが、吉田(清治)証言というのは1997年の時点で秦郁彦先生と吉見義明先生が『あれはぺたん』だと左派と右派の学者が一致し結論が出て話なのです。(慰安婦の強制連行は)済んだものをもう一度、確認したに過ぎない。現在の日韓関係は本当に難しい。韓国の民主主義・経済発展・韓流の成長がすごくあった。多くの日本人は半ば脅威に思って、半ば『いいなあ』と見ていた。2000年代に『冬のソナタ』が日本で流行ったくらいに、これだけ韓国が成長してくれば、日



2022年2月、ロシアがウクライナに全面侵攻しました。国際法を無視するロシアに世界各国からの非難の声があがっていますが、停戦の兆しは見えず、長期戦になるとも言われます。なぜロシアは戦争をはじめ、そして続けるのでしょうか? 『諜報国家ロシア』の著者・保坂三四郎さんは、その背景には、ソ連時代に国家の根幹を握った諜報機関「国家保安委員会(KGB)」と、ロシア連邦でそれを継承した「連邦保安庁(FSB)」の存在があると指摘します。ロシアの諜報機関について、そして著書の執筆意図について、保坂さんに聞きました。インタビューの前編。 ――本書は、KGBとFSBの歴史や思想、工作の手法が事細かに描かれています。保坂さんは、そもそもなぜロシアのインテリジェンス研究を始めようと思ったのでしょうか。 保坂:私はもともと、現代のウクライナ人の歴史的記憶などを研究しており、実はつい数年前まで、KGBどころかFSBに

保坂三四郎さんが執筆した『諜報国家ロシア』は、諜報機関のKGB、そしてFSBがいかにしてソ連、そしてロシアを掌握してきたか、その歴史と思想、行動原理を解き明かします。保坂さんに執筆の背景を聞きました。インタビューの後編。 ――かつては保坂さんご自身がプーチンに心酔する「ロシアかぶれ」だったと「あとがき」に記しています。考えを改める機会は何だったのでしょうか。 保坂:私は、大学在学中の2000年にモスクワに留学しましたが、ロシアでの体験に感化されて「ロシアかぶれ」となって帰国しました。大学卒業後も、ロシア関連の仕事に就き、モスクワやウラジオストクを訪問する度に「両国民の友好のために」と、何度乾杯したかわかりません。また、2006年にプーチン大統領がブッシュ米大統領に面と向かって「ロシアにはイラクのような民主主義は要らない」と言ったことに対して、私はソーシャルメディアへの投稿で拍手喝さいしまし
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