とりあえず「安禅不必須山水」さんの記事の後半部のセリフに英語とフランス語の訳をつけました。とりあえずこのコメント欄に載せておきます。 ●安禅不必須山水 http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1185373/ 日本の恥、警視庁の辱。Ch桜とタイアップした人権侵害。 2009/08/22 15:10 前々エントリー「チャンネル桜撮影クルーの快挙! 」 http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1180213/ 前エントリー「ひとりのカナダ人を「集会破壊者」にでっち上げるまで」 http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/1182189/ の続きです。 このビデオは、警視庁の警備主務者にぜひ見ていただきたいものです。国会質問などが行われたら一体どうするのでしょう。もしも、国際問題になったら誰が責任をとるのでしょ
追記あり <ビデオのこの一齣は、カナダ人P氏(中央)のデイパックに手をかけるチャンネル桜社長、水島総氏(右)。8月15日、東京靖国神社にて。チャンネル桜撮影公開Youtubeより> 「靖国神社を、先の戦争賛美神社として丸ごと認めない人間は存在することすら許さない!」 このような主張が明瞭に表された映像が、チャンネル桜自らの手でアップされました。 個別的な事象としては、一人のカナダ人P氏に対する、チャンネル桜と警視庁機動隊員の連携による人権蹂躙事件ですが、ことの発端が田母神俊雄で或ることをノーカットで示すことによって、ビデオは、靖国神社が推し進めるイデオロギーの明瞭化に成功し、先の戦争を美化する運動が人権無視&排外主義に結実する瞬間を、見事に捉えることができました。 カナダ人P氏は、田母神氏インタビューが終わってから言葉を掛けたのであって、インタビューの途中で野次を入れた訳ではありません
民主・鳩山代表、首相になっても「靖国参拝すべきでない」 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090602-OYT1T00818.htm 私のように靖国神社本体ではなく「中の人」のために春秋例大祭や終戦記念日に参拝しているような人間は(だからこそか)余計切実に思う。 いまの状況では天皇陛下がご親拝されるとはとても思えない。富田メモが端的にあらわすとおり、あれこそがご一家の「意思」なのだろう。 とはいえ、私自身は「総理大臣は靖国神社に参拝すべきだ」と思っている。英霊は「国」の名の下にいきたくもない戦争にいかされ、殺したくもない人々を殺すことになった人が多く祀られている。日本国の代表として、彼らに詫びる責務があると私は思う。そして彼らに不戦の誓いをたててほしい。彼らの無念の思いに対して謝罪し続ける義務が「日本」にはある。 今上陛下にたいしても私は同じ
ハルの連休になんもせんのは寂しいので桜の開花宣言がだされた今日、桜の開花指標である靖国神社へいってきまんた。 目的は遊就館で上映されるドキュメント映画(原文ママ)「私たちは忘れない」。プロパガンダとしては優れているとの評を読めば期待がイヤが上にも高まるじゃないですか。展示物見学もかねて有志をつのり参戦すますた。 九段下の駅に降りてすぐ、着崩しというにはあまりにも大胆に袴姿をエンジョイされている女性を見かけました。アレなら着ないほうが…等々の感想を囁きつつ手に汗しながら遠く歩き去る彼女を見つめておりました。ふと見れば帝京大グループ合同卒業式。ああそんな時期なのねん。とはいえ、この女性の袴の着こなし方がこの日一日を象徴していたように思えます。啓示はいたるところにあるのです。 まあこんな感じのいろんな意味で馥郁と春繚乱な靖国神社境内ですが、集合時間から上映開始までに間がなかったのでいろんなものを

自分の肉親(父や兄)が靖国神社に勝手に祀られていることが耐え難いという訴えは、残念ながら予想通り敗訴となった。殉職自衛官護国神社合祀訴訟から、こういう流れは変化しないんだよなあ。 僕は前々から言っているが、靖国が好きな人、あそこに自分の肉親が祀られていると思い、それを誇らしく思う人の「自由」は当然ながら認める。でも、みんながみんなそうじゃないって事くらいいい加減そろそろ認めても良いと思う。「好きな人だけどうぞ」という、普通の宗教法人に靖国は脱皮するべき。「民営化」されて、60年以上経っているんだから。そうしたら、こういう訴えに靖国も煩わされなくて済むのにね。 そして、靖国に祀られる人がほとんど増えず、参拝者もそれに従って減少していくというのが「美しい姿」だろう。建物を縮小とかは無理でも、数十年後、もしくは百年後くらいに靖国神社の職員は半減しているくらいが、日本全体にとっては望ましいよね(要
昨日のエントリで、8月15日に靖国神社を参拝する人々の相当数が死者の追悼よりも、靖国を参拝するという行為を通して自分が「日本人」であるという帰属意識を確認することに意味を見出しているのではないか、ということを指摘したが、昨日の靖国神社の様子を映した動画を見てその思いをより強くした。 YouTube - 平成20年8月15日 靖国神社 http://jp.youtube.com/watch?v=JHZyrt0ph94 まず「普通の」情景。0:30あたりで、「○○議員の○○先生」と延々と紹介しているのに失笑。靖国は選挙の票集めの道具なのが実態なのだ。途中でどう見ても「珍走団」にしか見えない人たちが・・・。最後の方で「パンダに国民の税金を使うなどもってのほかです」とかアジっていたのにも笑った。パンダなんかよりもっと重大なことがあるだろう。 YouTube – 2008/8/15 靖国神社にて h

「彼ら」は建前上でも英霊などという言葉を使わなくなった。 英霊が望むのは中国の打倒という思考回路がもうすでに私にはわからない。 そしてそういう人たちをある意味頼り排除できず、野放しにして「護られて」いる靖国神社。 私はそれにしみじみ絶望したのだ。 私が今回得た啓示は中国へ帰れ!とどつかれている日本人をとめるため警察を呼んだとき、どうしたのとおっさんに聞かれた。事情を話すと「そりゃかわいそうだけど、いうこときかないんじゃ殴られてもしょうがないよね」というものだった。もうきっと、そのとおりになっていくんだろうな。 外人たちの見世物にされ、右翼にあらされ、中国打倒と関係のない言葉で飾り立てられる姿は痛ましすぎて、泣けてくる。もう私は靖国へはいかないかもしれない。私の絶望はそれほど深い。
ここしばらく仕事が詰まっていたので今さらになったが、映画『靖国 YASUKUNI』を観に行ってきた感想。 まず冒頭、軍服を着て靖国神社に参拝し、金切り声を上げる老いた元軍人の一群が登場する。本作品ではこの手の実録映像が結構あり、「街宣右翼は愛国者のイメージ悪化を狙った反日勢力の自作自演」という説を信じたがっているような手合いは、こういう実録映像が流されることを侮辱的に受け止め、逆に、そういうネトウヨを嘲笑する人間は、コスプレ右翼の珍妙さがよく描かれていると喜ぶようである。 しかし、これが愛国者を愚弄する映像であるかは、解釈と想像力の持ち方次第だろう。 わたしは、モナーやギコ猫の描かれたTシャツを着て靖国神社に参拝する若人はイタい奴にしか見えないが、本物の元軍人が軍服を着て元戦友の墓に参ったりそこで軍隊ラッパを吹き鳴らすことがとくに異常な行為とは思えない。たとえばの話、元高校球児の墓に、元チ

この映画を単純な「反日映画」として観るためには相当な認知の歪み(あるいは映画そのものに決して正面から向き合うまい、という堅い意思)が必要だな、というのが第一印象。靖国翼賛映画でなければそれは反日映画だというのであれば、そう考える人間の「日本」概念が歪んでいるというだけのはなし。パンフレットに収録された対談によれば、東京は李監督にとってすでに「一番長く住んでいる場所」になってしまっているとのことだが、別館の方でも以前に書いたように、皿洗いなどから始めて長年日本で生活し映画をつくってきた人間が日本への憎悪のみで貫かれた映画を撮るなどといったことは、もともと蓋然性としてまずありそうにないことであるわけだ。別の言い方をすると、「何の先入見もなくこの映画を見た人間が、首相の靖国参拝に反対したくなるよう誘導される」映画にはとても見えなかった、ということ。公開前にあのような形で話題になってしまったため、
知っている人は知っていると思うが、私は8/15に靖国神社へ行くことを常としている。また、これは余談だが、生れ落ちてから靖国神社へ行かなかった年はおそらく数えるほどだろう。もちろんこれは地理的な意味、単純に近くで生まれ育ったからというが、もちろん大きいけれど。靖国神社のみたままつりは今でも大好きで、毎年行くようにしている。見世物小屋を初めて見たのもここでだった。桜が降るように散る姿をはじめて目の当たりにしたのも、ここだった。英霊とはなんであるかを知ったのは、それから後のことだったけれども。 はじめに断っておくが、私は靖国神社に対しある相反する感情を抱いている。現在の靖国神社の「体制」には納得できない部分が多々ある。だが私がそれでも「そこ」へ何度も足を運んでしまうのは、英霊への哀悼の意、そして素朴な感情を元にお参りに来る人々に対し、あたたかな親近感を感じるからだろう。そしてその人たちを「食いつ
レビューとシンポジウムルポのupが遅れていることへのお詫びとしてはなんだが、上坂冬子氏が産経正論でトチ狂った映画の感想を書いていたのでご紹介をば。 私も参加した例の日弁連の試写会にどうやら上坂冬子氏も来ていたらしい。ここ数日産経「正論」では“再論「靖国」”と称して見てない人による映画「靖国」評が続いたので*1「真打登場」ってことでしょうか。(それにしてもこんな特集組むなんて、産経はずいぶんご執心ですな。そんな暇があるのなら「南京の真実」を以下略)映画を見ないでテキトウに批判する風潮(産経と週刊新潮が今のところ他の追随を許さず独占状態のようですな。いやしばらくしたら某宗教関係紙が参戦するかもしれないけど)に真っ向から立ち向かうかのようにあえて「NO!といえるニッポソ」*2とばかりに「見てもさっぱりわからない」という新境地の開拓に挑んだらしい。まあなんだ、産経的には「ほれみたか!見た人間だっ
blackseptember氏のエントリに書かれたコメントを見て、少し不思議な感覚があった。 http://d.hatena.ne.jp/blackseptember/20080412/1207996355#c1208010975 SDG 2008/04/12 23:36 で、第二作目「チベット寺院」はいつ撮影するんでつかあの監督は。 もちろん、直後に指摘されているように、李監督はすでに第二作を撮っている。 Apeman 2008/04/13 14:42 >で、第二作目「チベット寺院」はいつ撮影するんでつかあの監督は。 李監督の「第二作」なら、2001年度ベルリン映画祭に出品されてますよ。そのくらいのことすら調べない、芸のないコメントですな。 しかし実は、李纓監督が日本に来た動機にからんで、チベットの話が語られていた。産経新聞のインタビューだが、かなり興味深い内容になっている*1。強調は引
http://www.genbun.net/cgi-bin/bbs.cgi?book=gb No.2390 (2008/04/04 14:33) re映画「靖国」 Name:通りがかりの源文ファン映画「靖国」はあくまで、言論統制された共産国の中の映画監督がとった映画であり、政治宣伝的要素が強い映画です。 ドキュメンタリー映画と呼ばれているものはどんな映画であれ、監督、編集者の主観が入ります。つまり純粋な「記録(ドキュメント)」は人間が作る限り存在しません。映像編集をし、無数にある写真などを選択し、ナレーション原稿を書き、音楽をのせ・・・制作行程を踏むたびに記録ではなくなっていきます。 優れたドキュメンタリーとは、作家自身がどれだけ社会的制約や先入観から縛られないかにあるとおもいます。この中国人は共産党の言論統制下にある人間です。メディアリテラシーを持ってみるべきです。 また現に靖国神社は
本当なら今日から東京と大阪で上映されるはずだった映画『靖国 YASUKUNI』ですが、まだいろいろな動きがあるようです。映画「靖国」:右翼団体が試写会 - 毎日jp http://mainichi.jp/select/today/news/20080412k0000e040055000c.html この記事を見たとき、団体名が書いてないけどえらくまともな右翼団体もあったもんだ、どこだろう、と思いました。日本会議系なら稲田朋美議員や西三河支部を抱えているから違うだろうし、維新政党・新風の可能性は最初からないし(笑)、街宣右翼の中にたまたままともなところがあったのかな? 後で調べよう、と思っていたら、碧猫さんのところ経由で*1北海道新聞に一水会の名前が出ていることを知りました。映画「靖国」 見てから論じよう 民族派5団体が18日に試写会(04/12 08:09) -北海道新聞 http:
via: また稲田か… - Apes! Not Monkeys!はてな別館 靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画の国会議員向け試写会が、12日に開かれる。この映画は4月公開予定だが、内容を「反日的」と聞いた一部の自民党議員が、文化庁を通じて試写を求めた。配給会社側は「特定議員のみを対象にした不自然な試写には応じられない」として、全国会議員を対象とした異例の試写会を開くことを決めた。映画に政府出資の基金から助成金が出ていることが週刊誌報道などで問題視されており、試写を求めた議員は「一種の国政調査権で、上映を制限するつもりはない」と話している。 一部議員ってのは「自民党の稲田朋美衆院議員と、同議員が会長を務める同党若手議員の勉強会「伝統と創造の会」(41人)」のことです。補足すると、エリートが祖国のために血を流すところが見たいという稲田議員と、彼女と一緒に軍歌を歌ったりする楽しい仲間たち
木の家をつくる建築家。国産材と自然素材で平和な家を作ります。戦争と放射能は人間と共存できません。地上から無くすためにはどうしたらいいのか、毎日考えています。 世界を見渡して、どの国がいい国で、どの国が悪い国、なんてことはあり得ない。それは、日本についてもそうであって、悪いことはいくらでもあるけれども、日本が悪い国だという決めつけは、確かにできないだろう。 しかし、これだけは言える。日本という国、あるいは国民は、省みることをしない。あるいは、できない。 たとえば、自民党の大票田である日本遺族会のホームページを見てみよう。巨大な圧力団体である割に、更新がほとんどされていないのは兎も角として、隅から隅まで眺めてみても、戦争への反省は一言半句も見られない。 遺族会の設立主旨である「戦没者遺族にたいする冷遇を是正したい。」という、被害者のメンタリティーに貫かれている。 それならば、原爆で焼け死んだ人
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