ベトナム戦争中に生まれた ベトナム人と韓国人の混血児 ライタイハンについて ヤフー掲示板の大韓民国カテゴリーで 投稿者 nanja3231 が ライタイハンの大半が 強姦 が原因で生まれた って断言したので 俺が ライタイハンの大半が 強姦 が原因で生まれた って報道したメディアのソースを出せ! って要求したら ソースを出せずに 強姦じゃなければ 一万人規模の私生児は生まれない! って一点張り ライタイハンについて メディアが報道した推定人数は バラバラです つまり 正確な人数は不明です ライタイハンの大半が 強姦 が原因で生まれた って報道したメディアのソースを出せる方は出して下さい ソースが出なければ nanja3231 の妄言と判断します http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20100202 ライタイハンについて ↑このような意見の方がいます 強姦されて妊娠した


最近の彼はなにやら必死で例の日本軍最強説のコピペを否定してる模様。 http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090627/p2#c1246201194 私としては、今回は反対はしません。っていうかむしろ大歓迎です。 なぜなら、日本軍が最強でないのならば、日本軍はそれほど強くないことになる・・・っていうかむしろ弱いことになり、南京ではそれほど大量に人を虐殺できないことになりますから、それらの論は、逆に、南京では虐殺がされていないという論を補強することになるからです。 頑張れD_amon! オノレの説を世間に流布して右派を助けるのだ(爆)!! まあ今回のサヨクは極端な事例を否定しただけであって、そうでなくとも日本軍は相当強力だった事までは否定し切れんわけで、結局、南京で中国人を大量に殺せたことまでは否定できないです。ですが、とにもかくにも、このブーメラン行動でわかるとおり
⇒メモ:はてなサヨクという言葉が使われる文脈 タイプA - 模型とかキャラ弁とか歴史とか ⇒メモ:はてなサヨクという言葉が使われる文脈 タイプB - 模型とかキャラ弁とか歴史とか 「はてなサヨク」今年の初めに生まれた言葉であったかな。需要があると廃れないものであるね。一連の件についても、気に掛かってはいた、また最近、嫌韓絡みがにぎやかなようなので、少し。 問題の所在について指摘することと、属人的な断罪は違う。自身の示した言説に対する「レイシズム」「差別性」の指摘を、属人的な断罪と受け取る人はあるだろう。私は自身のミソジナスな性向を知っているが、「ミソジニー」という言葉と概念を知らない人は、他からかく指摘されたなら面食らうだろう。 個人の性向がネットに表れたとき、対する「属人的な断罪」を、自身の個と実存の否定と判断する人はあるだろう。言説と個は、構造的に二重を描く。二重性が前提されるから「匿

最近どうも、僕自身が言いたいこととか言いたい相手とか、そういうのを度外視して、僕に何かを投影して、勝手に回収していく人があるようだ。僕はヒールとしてではあるが、「萌え」の対象になっているんだろうか。僕を媒体として、僕に何かを投げかけて、僕の虚像を回収して何らかの納得なり“理解”なりを回収するという営為というか。どちらにしても、自分の意図とは全く異なる反応を投げかけられるってのは結構驚くものだし、反応の主旨を咀嚼するのに時間がかかるんだなということも以下の指摘から教えられた。 2007年09月21日 D_Amon D_Amon コミュニケーション 相手は自分が皮肉られていることを把握しつつ、届いていないふりをしているのかもしれませんよ。安いなあ、なんて思いつつ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/200
一年戦争時、オーストラリアのシドニーにコロニーが落とされたという教科書の記述は、明らかにティターンズのプロパガンダである。 卑劣な毒ガス攻撃を非戦闘員である宇宙移民に対して行い、大量虐殺を行った地球連邦(ティターンズは軍の一派閥と百歩譲って認めても、監督責任が発生するのは当然である)は、自己の罪を相殺するためジオン公国が大量虐殺を行ったというプロパガンダを必要としたのだ(そのため、一年戦争初期で全人口の半数が死亡したなどというありえない数字すら主張している)。 一年戦争終結直前の軍事コロニー潜入作戦(もちろん、作戦対象のコロニーが中立であったというのは地球連邦の広報による捏造である)に捏造の証拠がある。特殊潜入工作員(なお、彼は愛国心あふれる優秀な若き兵士であり、中立コロニーに対する核攻撃に対して決死の覚悟で立ち向かい、見事にガンダムを撃破せしめたことは地球連邦の公式記録にも残されている)
現実主義と、現実追認主義と - REVの日記 @はてな 非難されているのは現実主義ではなく現状追認主義 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか もし、現実に寄り添う度合いの高低によって、現実追認と呼ぶ呼ばないが決定づけられるとしたら、または現実問題に屈服したと看做されるか看做されないかが評価づけられるとしたら、ずいぶんとぞんざいな事になってしまいそうだ。また逆に、「理想」と呼びえるモノに向かってアプローチする営為が無価値・無意味であるとし、あまつさえ何でもかんでもポルポト呼ばわりするのも頭が弱そうな振る舞いにみえる。ここはやっぱり、D-Amonさんが仰ることに近いかもしれないけれど、現実を見据えたうえで理想にアプローチするのが良いという、陳腐ないつもの結論に辿り着くしかないだろう。しかし陳腐だから簡単かというと、これはとんでもない!理想の見取り図を描くのはとてもしんどい事で、私などは尻込みせずに
2007年05月25日の定例会見で、防衛省の空幕長が「クラスター爆弾で被害を受けるのは日本国民。国民が爆弾で被害を受けるか、敵国に日本が占領されるか、どちらかを考えた時、防衛手段を持っておくべきだ」と発言したそうだが、それを聞いた時に思わず、勝手に決めないでもらえませんか。間違って爆発する不発クラスター爆弾で吹っ飛ばされるの嫌です。すみませんけど私は占領される方がマシな気がします、と、思ってしまった。 (追記;なお、この発言は不発弾による深刻な人道被害が問題となっているクラスター爆弾の禁止を目指して23日から開催されていた「クラスター爆弾禁止リマ会議」会期中に発せられたものであり、この航空幕僚長発言は、同会議に出席していた英国上院議員より「日本国内で使えば市民の犠牲は免れない。軍の論理より民間人への犠牲を最大に配慮すべきだ」、NGOの連合体「クラスター爆弾連合」のコーディネーター、トーマス
理想を語る人間が現実を見ないわけがありません。現実を見て現実の問題を把握しているからこそ、その現実を変化させる案として理想を提示するわけです。(もっとも、その案自体や案に近づく方法に問題があることが往々にしてあるわけですが) http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070606/p1 行動目標と、到達目標、場合によっては究極目標、の設定をミスると面白くない話、と解釈しておきます。 究極目標として、全世界の平和、軍備放棄、留保の無い生の肯定、を掲げるのは素晴らしいと思います。 が、行動(目標)として、サリン製造とか、あさま山荘ピクニックとか、他人のBlogに対してネガティブな記述をすること、を採用することは、適切とは思いません。 あと、ある人間が到達目標を設定するときに、それが実行困難なゆえに、「理想」というPositiveな価値判断を伴う用語を使用すると、現実遊離競争
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