(はてなブックマーク - 犠牲者をダシにすんな -good2ndの日記)暴行事件が起きるとよく現われて「どっちもどっち」みたいなことを言っていくid:tasoiさんですが、反産経・反花岡信昭*1の皆様*2におかれましては、id:tasoiさんの仰ることを理解しかねているかもしれないので、私が簡単に要約しておきます。 セカンドレイプへの反反論の構造米軍ふざけんな!基地は出て行け! ↑事件を政争の具にするな。暴行されたのは「しつけ」のない被害者の自己責任 ↑ セカンドレイプ的な発言だ!けしからん! ↑ そうやって「正義」ぶって声を荒げること自体、被害者のこと何にも考えてないじゃん ←ここただ、この反反論は浅すぎます。かなり恣意的・自己中心的な前提に則っています。つまり、自分が気持ちいいように論理を持って行っています。というわけでいくつかの展開例を考えてみました。 展開例その1:
男性という生き物は自分と他人のどちらが格上かを判断するのが大好きな生き物である。しかし雄犬と同じだと決めつけてしまってはつまらない。大脳が大きいためか、社会的コンテキスト*1が複雑なためか、雄犬よりも人間男性のほうが序列化の手続きは複雑だし、だからこそ観察していて退屈しない。犬の序列は比較的単純な「生物としての強弱」という単一に近い評価尺度で優劣が決せられるけれど、人間の場合は面白いほど評価尺度が多様化している。 具体的には、 DQNは、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数・やらかした悪い事・車のスピーカーから鳴らす音の大小などで人間評価を行う。DQNにとって、腕力・ガンの飛ばし具合・セックスした女の数というのは、自分自身と他人を評価するモノサシとして機能する。それらの程度をみてDQNは人間に値段をつけるし、それらの程度を高めることによって自分自身の値段が高くなると信じている。 学者
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