
名前を隠して楽しく日記。
まず場所が悪い。基本的に「地下」だ。地下に降りていく階段という時点で、もう人間の脳が警戒モードに入る。
光が少ない、逃げ道が限られる、閉鎖空間、そして何より「何がいるか分からない」。この時点で、舞台装置としては完全にホラー映画の構造を満たしている。
次に音が悪い。あの世界のBGM、普段は明るい。町も道路も、基本的に「冒険」っぽい音が流れている。
しかしロケット団のアジトに入った瞬間、空気が変わる。音が不穏になり、テンポが妙に落ち着き、こちらの精神をじわじわ削ってくる。
つまり「ここは日常ではない」という宣告が、音響だけで完了している。ホラーはだいたい音から始まる。
さらに構造が悪い。アジトの中はやたらと複雑で、ワープ床やスイッチや回転床などが出てくる。
あれはゲーム的には「迷路ギミック」だが、現実的に考えると異常である。普通の犯罪組織が、内部構造を自分たちですら迷うように設計するわけがない。
つまりあれは「人を閉じ込めるための施設」になっている。要するに監禁・拉致に最適化された建築だ。もうこの時点で倫理が終わっている。
そして人間が悪い。中にいるのは全員、無言で立っているか、目が合った瞬間に襲ってくる。会話も雑で、人格が薄い。
つまり「人間の形をした障害物」になっている。ホラー作品で一番怖いのは、相手が感情を持っているのか分からない存在だ。
ロケット団員は、あの世界の住民としては異様に無機質で、ゾンビに近い。
町の人間はポケモンを相棒として扱うが、ロケット団は道具として扱う。これが決定的に怖い。生き物を生き物として見ていない。
つまり「倫理的制約」が外れている。倫理が外れた人間が集団で地下に潜り、迷路を作り、監視システムを張り巡らせている。これ、ほぼカルト宗教か人体実験施設の構図である。
さらに怖いのは、アジトの存在が「日常のすぐ下」に埋まっている点だ。
地上には普通の町がある。人が暮らし、ポケモンセンターがあり、子供が歩いている。そのすぐ地下で、犯罪組織が暗躍している。
これは現実でもよくあるタイプの恐怖だ。つまり「安全だと思っていた世界の下に、別の世界がある」というやつ。ホラーの王道である。
子供が、地下に潜り、犯罪組織の巣に踏み込む。普通に考えたら事件性が強すぎる。
あの世界は「ポケモンバトルだから大丈夫」というゲーム的安全保障で成立しているが、冷静に見ると、やっていることは潜入捜査であり、命がけの不法侵入であり、場合によっては誘拐されて終わる。
そして極めつけは、ロケット団が「消えない」ことだ。
一度倒しても、別の町でまた出てくる。幹部を倒しても、ボスを追い詰めても、どこかに残っている。
これは怪異の性質である。ホラーに出てくる呪いとか、怨霊とか、感染とか、そういう「倒して終わりにならないもの」と同じだ。
ロケット団は犯罪組織というより、世界に染み付いた悪意の現象に近い。
そこには「人間が作った悪意」がある。
地下に、迷路を作り、監視し、襲い、支配し、生き物を物として扱う。
これ、幽霊よりよほど怖い。
じゃあ末期のがんだと治療の見込みがないから治療はしないんですか?
末期と言われた人がその後どれだけ生きるか、どうやって生きるか考えたことないだろ?
年齢で切るんですか?
年齢だったら何歳ですか?90歳ですか?
どこが常識?
誰かを看取ったことないでしょ。
で、線が引けたとして緩和治療だと1割なんですか?
人の生死の話なのに不誠実との決めつけでそちらこ雑な話しかしなくて不誠実ですね。
人間嫌いよりも人恋しさが勝つ頃には結婚が難しい年齢になるから気をつけな。
某ブクマで「野菜の味のよしあしがわからん」という意見を見た。
都会に住んでてスーパーで野菜を買うだけの生活をしていればそうだろうと思う。
たしかにスーパーによってうまいまずいは多少あるが、ガチで旨い野菜に比べれば差のうちに入らない。どっちもまずい。
本当に旨い野菜はどんなのかというと、土作りからしてよその農家とは腕が違う畑でその日採れた野菜だ。
たまたま知り合いにこういう農家さんがいて、時折お裾分けをいただくことがある。
いただいたその日のうちに調理して食うと、目ン玉飛び出るほど旨い。
甘いし味が濃いしやわらかいし、子供の好き嫌いの原因になるような「野菜ってこういうところが苦手なんだよな~」の要素がゼロなのだ。
キャベツならキャベツの、ニンジンならニンジンの、ブロッコリーならブロッコリーの、大根なら大根の「その野菜をおいしいと感じるエッセンス」だけがそこにある。
スーパーで買う野菜とは完全に別の食べ物。おそらく「野菜は苦手だけどこれなら食べられる」という人は多いと思う。
しかし農家のノウハウって門外不出・一子相伝なところがあって、作ってる彼ら自身も「なぜうちの野菜がこんなに旨いのか」は実はよくわかってなかったりするのが面白い。
農業県の田舎で暮らしている人々にしてみればおそらくこの味がベースラインなのかもしれない。
農協や道の駅の即売所に並んでいるのはたいていその日採れた野菜だからだ。
サイゼリヤで(±0点)
可もなく不可もない飯を食いながら(±0点)
清潔感のない(−60点)
チー牛の(−40点)
つまらない話を(−40点)
一方的に聞かされる(−30点)
合計−170点
時給払えと思うレベル
居心地のよい素敵な店で(30点)
美味しく普段は食べない飯を食べながら(40点)
清潔感のある(±0点)
チー牛が(−40点)
楽しい話をしつつ(30点)
空気を読んで会話を振ってくれる(30点)
合計90点
お前がチー牛であっても、清潔感と店のセレクト、会話の気遣いだけでこれほどまでに評価は違うんだ
積み重ねろ、加点要素を
消せるだけ消せ、減点要素を
あるやで。これ
自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象は自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている