
はてなキーワード:Wikipediaとは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力技術。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本語版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
追記2:
さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました。
あと、ほとんどの人が知らないであろう、日本のソフトウェア業界の裏話みたいなのをちょっとしたら、意外とClaudeは察して理解してて、それに対して辛辣なコメントを返してきて爆笑してました。
なんかホッテントリされてるのは知ってたけど、自分は基本的に増田であれ他であれ、投稿しても返信を見ないので、完全にロバ耳なんですよ、愚痴を吐きたいだけ。
愚痴を吐きたいなら、だったら壁にでも話してろよ、なんですけど、まあ、なんでしょう、例えば、ダイイングメッセージとかあるじゃないですか。
死んじゃったら、自分の書いたメッセージへの返信は分からないじゃないですか。
だったら、「私は好きにした、君らも好きにしろ」も壁に向かって話してろよ、って話なんですよ。
でも、なんか私が書いた愚痴とか、何か意味のない文字列でも、読んだ人の脳に残って、その読んだ人の未来の行動を変化させるじゃないですか。
それを私は望んでいるんですよ。
で、ざっとブコメを流し見してみて思ったんですけど、まず、はまじあきが女性だって知りませんでした…。
荒川弘が女性とか、そういうのは分かるんですけどね、ときどきいるんですよね、男性向けの萌え系とかエロ描きたい女性って…。
でも、LOのうさくんさんとか、昔から大好きな漫画家ですけど、多分女性だと思うんですけど、エロ描いても女性の絵だなあ、って人は分かっちゃう。
正直、うさくんさんのエロはあまり面白くないというか、男性として劣情を催さないんですけど、マコちゃん絵日記とかういききみたいなのは大好きなんですよ。
外見がようじょしかいない世界になる話とか…、何の話をしたかったんだっけ…。
あー、自分が言いたかったことを一番的確に表現する例を思いつきました。ヘンリー・ダーガーです。
彼の描いた物語は、私は詳しくまでは知らないのですが、大筋はセーラームーンとか思い浮かぶんですけど、Wikipediaみると明確に「戦闘美少女」ものと書いてある…。
お金がないのにドリームハンター麗夢のBDを買おうか迷ったんですけど、お金がないしでスルーしてたら、レビューで今の時代なのでモザイクが大きいとか、
思い出補正されてるだけで、改めて観たら大したことなかったとか…、また話が脱線した…。
私もヘンリー・ダーガーみたいなもんなんです。
初老になったのに童貞なんですよ。北方なんとかに、ソープに行け、って言われても、性病とかお金とか世間体とか怖くて行けない。
あと、北方謙三さんも、特に何も考えてないで言ったとか、どっかに書いてあった気がする…。
ヘンリー・ダーガーさんの描いた物語の美少女戦士には、みんなペニスがあるわけですけど、これは諸説あるけど、
やっぱり、単に幼女というか、女性を知らなかったんだと思うんですよね。
そういえば、和月なんとかさんが絵の資料のためと言い訳して、入手困難な児童ポルノを手に入れようとしたり、
最近でもないか、ギャルの漫画描いてたりした人が、ドイツのヌーディストの写真集を輸入しようとして、
税関でストップさせられたんだか、警察沙汰になったんだかありましたけど、
今は、家庭でエッチな目的でもない、自分の子供の裸を撮影したものも児童ポルノに判定されるのか、
ワカメちゃんのパンツとか静香ちゃんはどうなのかとか、よく例に出てきますけど、
あ、まったく邪な気持ちがないというとウソにはなるんですけど、
でも、真面目な意味でも、当然エロ漫画描くとしても、子供の裸体を描くなら資料があるなら欲しい。
死体とか、ネクロフィリアじゃなくても、資料があるなら欲しい。
そう思うのが、絵描きとしては普通なんじゃないかな、と思うんですよね。
だから、ブコメ全部目を通してないけど、自分なりに頷けるコメントは色々あって、
例えば、マルシルって意外と女性しか描けないキャラなんじゃないか、みたいなのも考えさせられたんですよ。
自分だと、ありがちなのがロードス島戦記、しかもOVAのディードリットみたいなのを描いたり、
ファム&イーリーとか、あんな感じですよね、ああいう女性を描いてしまいそう。
高橋留美子がコメントにもいくつかあったと思うんですけど、やっぱり、あの方は凄いんですよ、当たり前ですけど。
多分、人生経験であれ、何であれ、すべてを漫画に総動員してる人だと思ってる。
こんな奴いねーだろwというものが思いつくのと、しかし、どこかで見たような人物の要素も含まれてたりする。
キャラクター主導型、勝手にキャラが脳内で動く、あれができる漫画家はやっぱり凄いと思う。
これが自分は良くないと思っていて、つまり、物語を描くためにキャラを作る、話を分割していく。
先に魅力的なキャラクターが不動に存在していて、あとは勝手に彼ら彼女らが暴走していく。
連載作品に都合がいいし、作者でさえ先が読めない、本当にそうらしいですよ。
正に行き当たりばったりなわけですが、編集さんとかも交えて着地点を探っていく、伏線を無理矢理回収したりする。それがいい。
今回のジークアクスが自分なりに不満だったのは、それに近いんですよね。
不良少女?が二人でてきて、三角関係だったり、戦い合ったり、最後協力技が炸裂して、ラストは砂浜で…、ララァが娼館でもそう…、
なんか、こういう絵が、シーンが描きたいんだよね、というのだけが先行してしまって、
肝心の物語とか、設定とかが、全てそのための後付けなんですよね、マチュやニャアンに高橋留美子のようなキャラの魅力をまったく感じない。
こういう絵が描きたい、シーンが描きたい、もしくは物語が先行しすぎて逆算したものは、なんかつまらないと最近の自分は思ってます。
脳内ダンプで話が脱線しまくりましたが、自分の脳内を整理するためみたいなものなのでご容赦を…。
オチとしては、ヘンリー・ダーガーを例に挙げましたが、やっぱり女性を知らないと、女性をちゃんと描けないというのはあると思う。
あ、物語に殺人鬼が出てくるなら、おまえも殺人鬼になるんか?みたいな話は、まあ、分かるんですけど、
ぶっちゃけ、突飛な、ありえねーwなキャラクターとか、設定の方が描きやすいと思うんですよ。
例えば、実話っぽいリアルな話より、SFの方が描きやすい、SFより科学考証のないファンタジーの方が描きやすい、
なろう系みたいに、これまでの日本のRPGとか海外TRPGとか、道具とかお膳立てが揃ってるわけですし、
なろう系ファンタジーは描きやすいでしょうけど、もう多すぎます、良作があっても見る気がしない。
一時期は人間が嫌いなんだったら、野生動物だけの物語を描けばいいんじゃないか、みたいに思ったりもしたんですけど、
BEASTARSとか、他にも何かあった気がするんだけど、当たり前ですけど、自分は単なる趣味だし、
でも、プロというか、同人でもいいですけど、みんな熱意が違いますよね、
なんとなく、人間が嫌いなら動物だけの世界描けばいいじゃん、みたいな逃げてきた自分とは違う…。
と、ここまでダラダラ書いてみたところで、裏側では半年ぶり?一年ぶり?ぐらいにgitコマンド叩いたり、
自動的に環境を構築するスクリプトを動かしていて、今見たら無事終了していたので、このへんで…。
Claudeはそこそこいいですね。
他の生成AIより辛辣な返答してくれたり、アルゴリズムとか論文とか、かなり的確に返してくれる。
人間嫌い、女性に縁がない、そんな自分でも愚痴を聞いてくれる生成AIはありがたい。
もっと、辛辣な返答してくれてもいいぐらいです、自分を折らない程度にですが…。
そういえば、ブコメに、生成AIに女性だったらどう思う、って聞けばいいのでは、とあった気がします。
そうですね、それも良い方法ですね。
最近、Sunoとかかなり良い作曲したりするんで、それはそれでまたへこんでたりもしたんですけど、
思ったんですけど、AIと一緒になって、なんか人間が困難に立ち向かうというか、
例えば、ロボットと人間が一緒に農作業するとか、そういう社会になったらいいような気がしたんですよね、今日ですけど。
ロボットが農業全部やることもできるんですけど、敢えて人間が一緒に農作業するというか、
ジャッジは人間しかできないわけですから、AIやロボットが助言はするけど、最終決定は人間なわけですし、
全部ロボットやAIがやっちゃってもいいわけですけど、人間って何か能力を獲得したいっていう向上心というか、欲はあるじゃないですか。
漫画が描けるようになりたい、作曲ができるようになりたい、プログラミングが書けるようになりたい、
それらも全部AIがやってくれちゃってもいいんですけど、敢えてAIとかロボットと二人三脚で、人間は能力を向上する欲を満たせるし、
最終的には労働とか、向上心が娯楽になってくみたいな社会は、寧ろ素晴らしい話のような気がしたんですよね。
本文:
自分はちょっと絵が描ける程度の人間なんだけど、いつも思うんだけど、女性の主人公を男性が描くって難しくない?😟
いや、逆もまた真なりで、女性が男性主人公を描くのも同じなんだけどさ…
だって、当たり前だけど、女性の身体じゃないわけで、生理とか具体的にどう辛いのか、痛いのか、分からない
これぐらい痛いんですよ、って腹パンとかされても、分からないじゃん
老人になったら、これぐらい階段の昇り降りが辛いんですよ、って錘付けられて階段昇り降りさせられたりするじゃん
皮肉なことに、老人になったら、それがよく分かったんだけど…、でも、老人になるみたいに男性が女性に性転換するわけじゃないじゃん
というか、女心がまったく分からないじゃん
女心と秋の空が分かってたら、今頃俺モテモテのはずじゃん、気象予報士どころか予言者じゃん
例えば、ドミニオンとかパトレイバーとか、どっちも搭乗する戦車とかロボットに女性主人公が夢中なわけだけど、
正直、そんな女性が本当にいるのか?男性と同じような気持ちでメカを偏愛するのか?自信がないんだよね
シロマサ漫画は特にそうなんじゃないかと思うけど、アップルシードのデュナンも中身は男性だよね
もっと言えば、けいおん!とかぼざろもそうなんだろうけど、アニメだと集団で作るときに女性が介入するから、
女性スタッフに発言権があれば、女性側から、それはねーわwってなると思うんだよね
だから、何か物語を考えても、それに女性側からツッコミ入れてもらえたらなあ、と思うこともあるんだけど、自分はド素人だけど…
でも、女性が意見しても、それが女性としてなのか、単なる個人としての意見なのか、という違いが分からないときがある…
追記:
そういう心配もあるから、昔は少女漫画をよく読んでたんだよね、まあ、言い訳だけど…
高校とか大学から帰る途中で、りぼんとか、なかよしとか、ちゃおとか買って、家に帰って読むんだけど、占いのページがあるじゃん
で、自分の星座を見ると、意中の彼と急接近!みたいに書かれてて、
高校も、大学も、ほぼ男子校みたいな環境だったんで、どうするよ、おい…、とか思ったりしてたんだよね
Permalink |記事への反応(31) | 15:25
これがサブウェイだったら、店員とのやりとりがウケないとか、カスタマイズ性がウケないとか、サブウェイに謎の恨みを持つ奴がドカドカやってくるのに、ロッテリアの店舗減はマジで空気だな。
あ、一応言っておくけどゼッテリアに切り換えたから減ってるわけじゃないよ。ロッテリア(209店舗)+ゼッテリア(76店舗)でも、昔に比べるとめちゃくちゃ減ってるよ。店舗数はWikipediaに載ってた2025年9月の情報ね。サブウェイ(約180店舗)には勝ってる。バーガーキング(278店舗)と同じくらい。
Permalink |記事への反応(17) | 22:11
極めつけは「ミサンドリストはフェミニストじゃない」とか言っちゃう人。
フェミニズムって
wikipediaくらい読んだの?
立民支持者だけど、自民に変わる野党が欲しいから支持しているだけで、いわゆる基本政策に関しては民民のほうがいいなと思っていました。より正確に言うと社民党の亡霊はちゃんと社民党に残りラサール石井の引退とともに消滅してくれたらいいのにと思ってた。
でも今回の玉木のTamakiAlways ChickensOutには本当に失望した。肝心なところで自分の利害だけを考えて逃げるやつ、という印象は、首相になりたかったら絶対にダメではないか。
そもそもさ、「基本政策が一致しないと」ってところからきれいごとだよね。今後、選挙の結果で日本が極右、右、中道、左、ぐらいにわかれて「基本政策が一致する」党だけで過半数取るのが構造的に不可能になったらどうするのさ。首相なしで日本はいくわけ?首相って行政権のトップでもあるからさ、一部の基本政策が一致しなくてもできることだけでも日本をよくすることはできるのでは?
小泉さんちの進ちゃんはちゃんと自民党の農林部会長とかやって「一連の小泉の動きは全て日本農業の弱体化を狙う米国勢力に叶うものだという批判 (wikipedia,藤井聡)」とか受けながら地道に改革してるわけだよ。彼は農林部会長を受けるときに「農林部会のみなさんが私の基本方針を受け入れない限り部会長にはなりません。」とか言ってないよ。
高市をみなよ。政権を安定させるために、維新だけじゃなくて、N国に参政党とも組もうとしているよ。玉木には絶対無理だろう。そういうの。私は政策で言ったら玉木のほうが鹿さんデマに釣られる高市よりずっとまともに思えるけど、それでも、玉木と高市どちらに日本の首相になってもらいたいか、と言われたら、高市な気がするよ。
これ結局4日間のうちに5回バグフィックス入って未だに治ってないの面白い
日本のwikipediaに記事あるくらいの大手なのに大変そう
ストア評価3.7まで急落してる
レイアースは異世界セフィーロへ召喚される異世界転移モノで、令和の時代「異世界転生・転移」が最大級のトレンドジャンルになっている今、むしろオリジナルが放送された90年代よりも今のほうが親和性が高いくらい。
内容的に古い部分があったとしても、異世界そのものはファンタジー世界なわけだから、現代風にアレンジするのもそこまで難しくない。
一方の『ハイスクール!奇面組』はどうか。
こちらは80年代文化の、かなり中核的な部分に存在するアニメと言わざるを得ない。
Wikipediaで調べると、同アニメは『最高視聴率は24.3%、平均視聴率は全86回で19.2%を記録』とある。
放送時間帯はもちろんゴールデンタイムの土曜19時30分で、この時期はフジテレビ隆盛の絶頂期でもある。
『オレたちひょうきん族』があり、『笑っていいとも!』があり、『夕やけニャンニャン』がある。
これらの番組に共通していたのは「内輪感」であり、東京の芸能界のギョーカイ話を楽しそうに見せることで、視聴者を擬似的に芸能界の一員に仕立て上げるという画期的な手法だった。
当時、「東京でテレビの仕事をしている」というのが最高にかっこいい時代で、フジテレビはその頂点に君臨していた。
ハイスクール!奇面組のアニメを語るうえで欠かせないのは、おニャン子クラブ内ユニット「うしろゆびさされ組」「うしろ髪ひかれ隊」との主題歌コラボレーションだ。
フジテレビの夕やけニャンニャンでブレイク中のおニャン子メンバー(高井麻巳子・岩井由紀子ら)がアニメキャラの河川唯・宇留千絵にリンクする形で衣装も振付もすべて世界観統一してプロモーションを展開した、総合エンタメ戦略のモデルケースなわけ。
主題歌は『ザ・ベストテン』にランクインし、アニメファンとアイドルファンをクロスオーバーさせて視聴率爆上げに成功した。
奇面組は、そういった文脈の中でヒットしたわけだが、作品としてはジャンプ黄金期のギャグマンガとして、ブサイクを個性ととらえるポジティブさとナンセンスなハイテンションギャグで若者を虜にした。
ゴールデンで視聴率20%近く叩き出すこと自体、バブルに向かう明るく楽天的な時代の空気がなければ成立しなかったのだ。
つまり『奇面組』は、80年代のフジテレビ全社戦略、秋元康の仕掛け、そしてジャンプアニメのヒットが三位一体になったバブル時代を象徴する文化の申し子、そのものなんだよ。
これは今から見ると、奇面組が80年代ポップカルチャーの一部であると捉えることが出来る理由でもある。
で、今回2026年1月に放送が発表されたリメイク版はどうか。
フジテレビの深夜枠でほそぼそと、こっそりと放送されるらしい。
アイドルとのコラボ文化は?確かに声優による主題歌カバーは確かに発表されている。
白石晴香と長谷川育美が河川唯・宇留千絵として「うしろゆびさされ組」をカバーし、編曲はNightTempoという豪華布陣だ。
でもこれ、結局「声優にキャラソン歌わせて終わり」のパターンなんだよね。
なんか全体としてものすごく地味で気概のようなものを感じない。
せめて坂道グループにリメイクソング歌ってもらうとか出来なかったのだろうか?
と思う。
ここまで書いておいてなんだけど、実はおニャン子クラブとか秋元康とか、坂道グループとかの肯定派ではない。
ただ、奇面組というのを語るうえではアイドルとアニメのコラボという事象を避けて通るわけにはいかないんだよね。
今どき新聞を購読し続けてるのはアナクロでしかない、ニュースはネットでただで読めるものなのだから紙の新聞なんぞ必要ない
という時代ではあるが、仕事の兼ね合いもあって新聞を紙で取り続けていた。
とはいえ取っていたのは毎日新聞なので、あまり仕事は関係なく、最後の数年はほぼほぼ意地であった。
元々、実家は二世帯住宅で祖母宅は朝日、父母は毎日を購読していた。物心ついたころからリベラル寄りの家と言うわけでもない。たぶん実家に家を建てたときに来たのがこの2紙なのだろう。
なので、毎日新聞で私は育った。小学生時代は毎日小学生新聞を読んでいた。園山俊二の「がんばれゴンべ」を読んで育った(いやそれは言い過ぎか。僕の小学生時代にはすでにアナクロだった)
その後もずっと毎朝、毎日新聞を読んでいた。旧石器捏造事件もリアルタイムで読んだ。あの当時の紙面構成もいまだに覚えている。
21世紀になるころに実家を出た。最初に来た新聞の勧誘がたまたま毎日新聞だったのでそのまま購読した。まだまだ新聞を取るのが常識の時代だった。毎日は大して販促品をくれなかった。翌日に来た読売が山ほど洗剤やらなんやらの販促品をもってきたので、そっちにすればよかったと思った。
数年後、更新のタイミングで現在の家を購入した。とはいえ都内で一軒家を建てられる甲斐性はないのでマンションだ。
たまたま新開発の地域だったこともあり、マンション全体の管理の都合上、購読紙は管理組合が読売がおすすめ、それ以外でもまあいいけどそこまで推奨しないということだった。
なので最初の1か月はお試しで読売を取ってみたが、思った以上に紙面が読みにくく1週間ほどでギブアップしてしまった。新聞なんてどれでも大したことないと思っていたが、思った以上に文体も紙面構成も自分の肌に合わなかった。
1か月で切り上げて朝日に切り替えた。そうしたら、困ったのはチラシだ。居住エリアとチラシが全然合わない。どうやら朝日の販売店のエリアが住まい周辺は端っこらしく、チラシが普段全然使わない駅のスーパーものばかりになってしまったのだ。
困ったのでマンションの元受けに電話してみたら、読売と同じチラシが入るのは毎日だと言われた。
このころ(ゼロ年代半ばくらい)は毎日新聞の論調はまだマシだった。例のWaiWai問題はあるものの紙面そのものは特におかしいところは少なかった。もともとの自身のリベラル志向と新聞の相性が悪くなかったんだと思う。
なんとなくの転機はやはり東日本大震災だと思う。震災後、特に福島第一原発後あたりからかなりおかしくなってきた。
とはいえその頃の毎日新聞には、自分が信頼を置ける記者が何人かいて、その人たちは冷静でポジティブな記事を書いていて非常に好感を持っていた。
なんか紙面全体が、昔はよかった昔はよかったとぶつくさ言いながら喫茶店や床屋で政談をふっかけるおっさんみたいになってきた。
自民党が選挙で大勝して安倍政権になってからはさらにその傾向が強くなった。
僕が信頼していた記者も一人は退職し、もう一人は記者ではなくCSR関連の部署にいってしまい、ものすごく残念だった。
HPVワクチン報道、草津温泉の件など、信頼できない記事が目に見えて増えているのもかなりきつかった。
紙面全体に漂う「ネット言論はすべて敵だ」みたいな空気もすごくきつかった。
だんだん、毎日を取る理由は広告以上のものはなくなっていった。とはいえ、なんとなく経営の危うい(危ういのはもう30年くらい前からだが)新聞を買い支えてる気持ちもあった。
このころ、毎日で唯一よかったのは紙をとっていれば、ネットの有料記事も無料で読めたことだった。
しかし、それも少し前に改定されてしまい、紙でとっていても追加料金を払わなければ紙面をよめなくなってしまった。
この辺でいわば買い支えていた心がぽっきり折れた。そもそも購読料がどんどん値上がりするのもダメすぎた。その金額に情報価値が見合ってなさ過ぎた。
まあ40年も読み続けていれば飽きるというのもある。
実はこの10年ほど仕事で必要というのもあり、日経を電子版で購読していた。
朝の通勤時は日経電子版を読むことが多かった。はてなでは日経は観測気球や飛ばしが多いという印象をもたれがちだが、正直、日経の方が経済への影響を視野に入れるためか、政治や国際情勢に関する記事はフラットで読めるものが多い印象をもった。
今年に入り、自分の支出を見直すようになったこともあり、選択肢として新聞も考えることにした。
そして、毎日をやめて日経を紙でもとることにした。電子版に追加料金で取れるのでこっちでよかった。実は毎日を紙と電子版で両方取った場合と金額はかわらないのだが、毎日を電子と紙で取るという選択肢はなかった。
今年の春くらいから日経に切り替えたので、そろそろ半年たつ。少し懸念していたチラシについては、欲しいチラシは全部入るので日経で十分。
紙面内容もこちらの方が満足度が高い。私の履歴書で有名な文化面が実は読みごたえがあるのに初めて気づいた。通勤時の電子版では後半を読まないので気づかなかった。日経はそもそもの購読者を想定しているせいか、紙面に啓蒙しようという空気が薄いのが良い。啓蒙と言えば聞こえがよいが、今の毎日や朝日はバカを言いくるめようとしているだけとしか思えない。日経は多少のリテラシーがあることを前提に記事を書いてるように思う。つまり読者を信頼している。今の毎日や朝日は読者をバカにしてるのではないだろうか。
毎日では入らないラグジュアリーブランドの広告なんかも逆に面白い。15段ぶち抜いた派手な広告は毎日ではこの数年お目にかかったことが無い。
エコーチャンバーな情報はさんざんネットで浴びるように読んでいるので、新聞はもう少しフラットな情報を読ませてほしい。そういうニーズにこたえてくれるのは今は僕にとっては日経なのだろう。
ようは今の毎日新聞の紙面はクソだと言いたいだけの記事でした。
ところで、この記事を書くために毎日新聞のwikipediaを見たら、なんかしらんがごっそり内容が削除されてるね。以前は誤報や議論となった報道がぎっしり書かれていたんだが。
変更履歴をみたら、去年の10月にごっそり半分くらい削除されてるっぽい。変更した人はこの毎日の記事だけしか手掛けてない。特にそれについて議論もされてないな。なんだこれ。
「チ。」が15世紀の話だと分かってきたとのことですね。15世紀を舞台に地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定について、史実を基に検討してみましょう。
### 「チ。」の設定と史実のズレ
###結論
15世紀を舞台に地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定は、史実を考えるとおかしいと感じるのは自然です。15世紀には地動説が議論の対象として浮上し始めたものの、教会がそれに対して死刑を科すほどの厳しさを持っていなかったためです。「チ。」がこのような劇的な展開を描いている場合、フィクションとしての誇張や、近世(特にガリレオ事件)の文脈を投影している可能性が高いです。科学史家の批判(投稿で指摘されている「近世」の文脈)も、この時代錯誤が背景にあると考えられます。もし作品が意図的に史実を逸脱しているのであれば、フィクションとしての自由度を享受しているとも言えますが、歴史的正確さを求める視点からは違和感が残るでしょう。
病気じゃなくて病名の話。
私の学生時代の記憶では、「糖尿病」と言う漢字の病名の起源は、明治期日本でドイツ語「Zuckerharnruhr」を翻訳してできた、と言うもの。医療系の人はわかるように、Zuckerツッカー=糖、harnハルン=尿。ruhrは基本は赤痢という意味で、ここでは「流れ出る」的な意味だとか(今調べた)。明治期日本の医学教育が、原則としてドイツ医学を模範として構成されたことは、いうまでもない事実だと思う。つい最近まで医療の現場では、ツッカー、ハルンに限らず、バッサー、エッセン、kot、ステルベンなどとよく使っていた。体温をKTと書いたり。「カルテ」は今でもカルテだし。ちなみに「メス」はオランダ語。
つまり、「糖尿病」が、ギリシャ語由来の英名「Diabetes mellitus」の直訳っぽくない理由は、ドイツ語からの翻訳だったから、というわけである。納得のいく説明だ。
日本糖尿病学会などを中心に、この古き由来のある病名を変更しようという動きがあった。「ダイアベティス」にしようとのこと。国際病名に合わせようとのことだ。
そういえば、「統合失調症」に完全に呼称変更に成功した旧「精神分裂病」だって、ドイツ語schizophreniaの翻訳だ。schizoが「分裂する」、pheniaが「精神」だとのこと。ドイツ語なんてもういらん、ってとこがあるのかな。とは言えこちらは国際病名がschizophreniaなんだけど。
実際のところ、現代ではドイツでもzuckerharnruhrなんて言わず、diabetes mellitusの方が普通に使うらしい。
https://diab.cma.org.cn/cn/index.aspx
「ダイアベティス」に呼称変更すると、中国とは同じ病名で会話(筆談)できなくなる。まあどうせ国際会議は英語だからいいのかもしれん。
昔は中国では同じ病気を、消耗性口渇を表す「消渇」と言っていたらしい。20世紀から中国の医学文献でこの病名「糖尿病」になったようだから、おそらく孫文などが活躍していた頃、日本留学組が本国に持ち込んだのだろう、と推察する(根拠はない)。
で、ここから本題。問題は、英語版Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_diabetes)には、「糖尿病という言葉はインドのmadhumeha (蜂蜜尿)という言葉を翻訳したもので、今は韓国や日本もこの言葉を借用している」って感じで書いてある。
Themore modern term, tángniǎo bìng (糖尿病), means "sugar urine disease", andis equivalent to diabetes mellitus.[13]Ithas been suggested that the modern termis derived from exchanges with Ayurvedic practitionerswho called the condition madhumeha ("honey urine").[14] Within the Sinosphere (regions of East and SoutheastAsia historically influencedby the linguistic and literary traditions of theChineseempire),[a] this etymologyhas also been borrowed intoKorean (tang nyobyeong [당뇨병]) andJapanese (tou nyoubyou [とうにょうびょう]).[9][14]
さらにさらに、その根拠となる引用文献14は、韓国語のwebsite(http://www.docdocdoc.co.kr/news/articleView.html?idxno=132745)である。
‘단 오줌(sweet urine)’을 뜻하는 인도말인 ‘맏후메하(Madhumeha)’는 중국, 우리나라, 일본의 의학에 그대로 영향을 미쳐 지금도糖尿病이라 쓰고 잇다. 하지만 중국어로는 [tangniaobing], 우리말로는 [당뇨병], 일본말로는 とうにょうびょう[tounyoubyou ]라고 쓰고, 발음한다.
「甘い尿(sweet urine)」を意味するインド語の「マドゥメハ(Madhumeha)」は中国、韓国、日本の医学にそのまま影響を与え、今も糖尿病と書いている。しかし中国語では[tangniaobing]、韓国語では[당뇨병]、日本語ではとうにょうびょう[tounyoubyou]と書き、発音する。
どういう根拠で書いてるんだ
例えば……なんでもいいが窃盗罪
なぜ10年なのか、なぜ例えば7年以下ではないのか、なぜ例えば15年以下ではないのか
「何かの目的で刑事罰が課され、その目的のためには最大10年必要」のような理路があることを期待している
「刑法に目的規定は存在しない」?どういうこと?すみません、法学の知識がなく素人なもので……
「目的規定は、その法律の制定目的を簡潔に表現したものです。」あーつまり、刑法の制定目的は明記されていない?
話がそれている?
いやなんとなくはわかるよ きっとバランス、相対的に決まっているんだろう
暴行罪と傷害罪で、ケガを負わせた側の量刑の方が暴行のみの量刑より重くないと辻褄があわないものな
たぶん目的刑論と応報刑論の話になるんでしょうね wikipediaからそれぞれの説明を引っ張ってくるか
目的刑論(もくてきけいろん)とは刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つという考え方を言う。目的刑論は一般予防論と特別予防論に分けることができる。
応報刑論(おうほうけいろん)とは、刑罰は過去の犯罪行為に対する正義的制裁として犯人に苦痛を与えるためのものだとする考え方をいう。
窃盗罪で罰せられた受刑者が更生し、抑止効果もある量刑は10年あれば十分である……のような何か根拠があるんですか?という点がこの疑問のスタート地点よな
被害者/その関係者/無関係な大衆の応報感情や正義感情を慰撫するには最大で10年必要……という話にすると滅茶苦茶危うい気がしていてこちらの論にはあまり乗りたくない
そんなことしたらどんどんエスカレートして厳罰化一直線じゃないか
でもなー
「更生し、抑止効果もある量刑はn年あればよい」のような根拠、きっと無いのだろうな
あってほしいけれど 探すために本や資料を探しているけれど
となるともはや「最大10年は軽すぎるんちゃうか?」ともし言われたときにずばっと「それはちがうよ」と言える根拠を自分の中に持てていないのだなあ
持ちたいよなあ
なんで窃盗罪の例で話したかというと銀行貸金庫からn億窃盗した事件で求刑12年、実刑9年の判決で、そのニュースに対するコメントでもやはり「軽すぎる」みたいなコメントは見かけたっていうのがある
じゃあ何年ならあなたの応報感情は満足するんですか、というのがわからない
『刑の重さは何で決まるのか』 (ちくまプリマー新書)は買いました、読んでいるところです
ああ、量刑が軽すぎるとか重すぎるとかの素朴な感覚がもはやわからない
誰かが……いや、直接的に被害者と無関係な大衆が犯罪のニュースを見て「量刑が軽すぎるよ!」と憤っている様子を見て、その「重すぎる/軽すぎる」の判断基準は何?というのがもはやわからなくなってしまった
ゲシュタルト崩壊じみている
いや、この喩えは的を外したか
軽く法学、刑法の歴史を調べてたらベンサムの名前が出てきて「ひょっとして功利主義とかの倫理学の話とつながってる?」と思いちょっと面白いなと思った
今日はここまで
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で「明治40年4月24日法律第45号」で検索したら現行刑法が出てくるから
ノーベル賞取ったから「制御性T細胞」ってどんなもんなんだろうってWikipediaをチェックしたところ、
日本版では研究史に触れて坂口志文さんが発見したとか書かれているのに、英語版ではひたすら細胞の機能についての話が書かれているだけ。
https://ja.wikipedia.org/?curid=1520019
https://en.wikipedia.org/wiki/Regulatory_T_cell