はてなキーワード:SSとは
まず書き手の情報。25女オタク、一人暮らし。就職してから何とか働いてきたけど最近疲弊して、職場の居心地も悪い。元々長生きはしたくないし、できることなら26で終活を考えてる。生きながらえてしまったら質素に隠れて生きていたい。
本題としては、車を変えたい。今は初代ミラジーノ。気に入って乗っていたが、ところどころボロが出始めて、真面目に乗り換えを考え始めた。
高校くらいから乗りたい車はあったけど現実的ではない。一番好きなのはJZA80。全てにおいて好みどストライクだけど、現実的ではない(この車に関しては車両価格の高騰が主)し、オタク特有の「好きすぎて逆に嫌」という現象になりつつある。
そこまで貯蓄がある訳では無いし、ローンは性にあわないけど簡単に死なないためにも組んでも仕方ないと思う。バカバカしい理由だけどこれが理由になるなら、自分勝手に後始末もできないまま死ぬよりかは良いと思ってる。
多くもない予算で、MT免許はあるものの公道で他人を殺したくないので慣れたATの個体。なおかつ親に睨まれながらじゃないと買えない状況なので条件は厳しいがいくつか乗りたい候補がある。
ひとつはセリカ(SS-Ⅱ)。4つ目が好きだ。丸っこいフォルムも可愛らしい。
もうひとつはランエボ(7、8)。ランエボ第1世代が好きなのだが、個体がほぼほぼないのに加えて走行距離が10万を優に超えている。そして相場も高い。
Ⅶ〜Ⅷ辺りであれば年式もそこそこ、相場も無理をしたら出せる範囲内である。
ほかにも予想よりも相場が手頃だったMR-Sや80スープラとみまごう可愛らしさのFTOも検討したが、思い切れるのは上記二種になっている。
思いついてはカーセンサーやグーネットで探しているため、またコロコロ変わるかもしれない。乗れたらいいなと夢想して心躍ると思えば、初めてするローンというものに怯えていたりする。借金がどうにも苦手で、なるべく即金で済ませたいが、そこまで金を貯めるまでにさっさと命を手放しかねないような精神状態の時もある。そんな状態の人間が乗り換えるだの言っているのはちゃんちゃらおかしいかもしれない。
生きてもいたくない現状を、憧れである車に逃げているといわれても仕方がないと思ってる。でもこうするくらいしか生きていく理由を作ることが出来ない、そういう堂々巡りの毎日。
もしこれを有識者が見てるなら、おすすめの車種を教えて欲しい。なるたけ2000年以降のスポーツカー、値段も手頃で初心者にもおすすめのものがあれば。
甘えてないで調べろよと言われるかもしれないが、調べてこれなのだからもう恥も外聞も捨てるしかない。
死ぬまでに、ウィングのついたかっこいい車に乗りたいと思う気持ちが今の私を動かしている。
2月一杯で辞めるはずだったダブルワークの成人男性(33歳)が何故だかまだ辞めておらず、でも4月までは出勤出来ないらしい。と、今日出勤するなりバイト仲間のベテランのおばさんアルバイトのNさんから聞かされた。
しかも、成人男性(33歳)の後継者としてスパルタ育成されていた新人アルバイトの高校3年生が今日突然辞めると店長にLINEしてきた。そんな訳でNさんが上がった後は店長と2人で仕事を回さなきゃいけなくて大変だった。
新人の高校3年生は2月の中頃辺りからなんだか様子がおかしかった。Nさんもやはりそう思っていたそうで、元気とやる気がなさそうなどろんとした目で億劫そうにちんたら品出しをしている高校3年生を見て、これは早晩辞めるだろうなと感じていたら案の定だったという。
コンビニ労働に応募してくる若者は大抵楽な仕事だと勘違いしているので、現実を目の当たりにしてすぐに辞めてしまいがちなのだが、新人の高校3年生の場合、ナメぷっぷな感じが全くない人柄だったので、そういう理由で辞めたんじゃなさそうということで、私とNさんの意見は一致。店長はといえば、真面目そうだから採用したのに3ヶ月目に入ったそばから飛ばれるなんてもう何も信じられないなんて言っていた。
うーん、まあ世の中には見た目も真面目そうで言動も一見真面目なのだが実は違ったりとか、真面目なんだけど能力は低くて全然使えないという人もいるにはいるけど。でもほんの僅かな機会だったけど一緒に働いた時、彼はそんなに頭が悪そうな印象はなかったんだがなぁ。
新人の高校3年生が受けた新人教育は独特で、ずっと成人男性(33歳)が付きっきりで一から百まで教えるというものだった。普通マンツーマンで教えたりはしないもんなんだけど、何で店長と成人男性(33歳)はそんなやり方をしたんだろうなぁ。
私はシフトが被っていながら高校3年生の教育には手を出すなと成人男性(33歳)から言われていて、実際私が手隙の時を見計らって高校3年生が仕事のやり方で分からないところがあると質問しに来たので教えてあげていたのを成人男性(33歳)に見つかって、「そんな事は後でいいからこっちに来い!」と高校3年生が叱られてしまった事もあったので、余計な手出し口出しをすると却って高校3年生の立場が悪くなってしまいそうだなぁーと日和った。……これが良くなかったのかもしれない。店長に一度本当に成人男性(33歳)一人に高校3年生を任せてよいのか確認くらいすればよかったな。
結局、日が経つにつれて高校3年生の表情が曇っていき、言動から活力がなくなっていったのは教育係の成人男性(33歳)と合わなかったからなんだろうと私は見ている。Nさんは成人男性(33歳)と入れ違いで帰るので、成人男性(33歳)と高校3年生がどんな感じのやりとりをしているのかは見た事がなかったそうで、高校3年生が飛んだ理由は多くの若者の新人が飛ぶ時と同じで、意外な業務量の多さに辟易したからだろうと思っていたらしい。
高校3年生が、入店初日からずっと基本のレジ接客もそこそこに品出し業務などの雑用の一切を一挙に叩き込まれていたことを私が話すと、Nさんは「レジばかりやらせていると、その方が楽なので他の雑用をしたがらなくなる。だから早い時期からレジと並行して雑用を覚えさせるのは正しいんだけど」と言うものの、しかしレジ接客も満足に覚えないうちから、重労働の夕方の品出しを全部やらせるのは流石に酷なのでは? とも言っていた。
私は知らなかったのだが、高校3年生の入店と同じ時期に早朝勤に若い女の子が採用されており、その子は丸1ヶ月の間ずっとレジ接客だけをやらされていたらしい。午前中はオーナーが見ている時間帯で、夕方以降は店長が見ているから、若い女の子と高校3年生の教育方針の違いはオーナーと店長の方針の違いだろう。
オーナーはけっこう教育熱心なタイプで、その息子である店長は数年前までゴリゴリのホモソーシャルな職場で揉まれていた脳筋である。オーナーは人は何度も言い聞かせて実践させないと覚えないと思っていて、店長は言ったこと1回で覚えないなんてあり得ねぇと思っている。
高校3年生は不運にも店長の下で働く事になってしまった訳。だがNさんは若い女の子と高校3年生の待遇の違いはオーナーと店長の考え方の違いじゃなくて男女差だと思っていたそうで、やっぱり若い女の子はちやほや甘やかされてしまうんだろうかと内心悶々としていたらしい。まあ……そういうことも無くはないの? 店長はバイト達への対応を性別で変えるとかはしないんだけど、オーナーは男に対してやたら厳しいというのは聞いたことがある。が、そう言ってたのが成人男性(33歳)なのでマジかよーと私は思っていたけれども。
成人男性(33歳)が以前「何か知らないけどオーナーは僕に厳しい」と愚痴っていたので、具体的にどんな事で塩対応されたんです? って訊いたら、
「僕がレジのとこに立ってる時に手を後ろで組んでいたら生意気そうだからそれやめろって言われて二の腕をバシッと叩かれました」
っていう。いや、お前それ……オーナーの言う通りだろ。成人男性(33歳)は図体がデカいウェーイ系で身体の厚みが鎌倉時代の仏像並に分厚く、しかも顔がデカい。そんな奴が手を後ろ手に組むとどうなるのかというと、手を無理やり後ろにしているので自然と姿勢が前傾してデカい顔が前に突き出され顎が上がり、不遜の塊みたいな姿勢が出来上がるのだった。
でもまあNさんから見て新人の若い女の子がオーナーからちやほやされてる様だっていうんだから本当にちやほやなのかもしれないが。Nさん的には、若い女の子の受けるちやほやまでではなくとも高校3年生ももう少し気を使われてもよかったんじゃないかとのこと。シンプルに公平じゃないしな。
高校3年生が入店してからずっと、成人男性(33歳)が高校3年生の教育にかかりっきりだったので、三人でシフトに入っていてもツーマンセルか酷い時はワンオペしているかのようにてんてこ舞いの忙しさだった。だから高校3年生に絡む時間どころか高校3年生と成人男性(33歳)がどの様に過ごしているのか見ることすらあまり出来なかった。ごく短い間に見かけたぶんには成人男性(33歳)はやる気の余りに高校3年生に対してやや高圧的だった。だが客観的に見てパワハラとまでは言えない感じだったけど、しかし目上の者の言動がパワハラかどうかを判断するのは第三者ではないからなぁ。
まあ、高校3年生が辞めてしまった事はもう取り返しがつかないので、次にバイト未経験の若い新人が来た時には高校3年生の二の舞にならない様に気をつけないと。マンツーマンの指導をするにしても完璧に二人っきりにしないとか、教育担当以外の先輩たちも新人を気にかけてコミュニケーションをとるとか。店長には新人教育をバイトだけに任せないで新人がちゃんと仕事を覚えられているか、仕事や人間関係に困っていないか確認して欲しいとお願いした。
コンビニ労働用の靴がボロボロになっていた。黒い合成皮革の紐靴を履いていたのだけど、廻しテープの部分の接着が剥がれて本体との間に隙間が出来て見た目が悪かった。何より靴底が減って溝がすっかりなくなってしまい、コンビニのツルツルの床をコマネズミのように走り回るには危なくなった。
どんなに走り回っても滑らない靴が欲しいなぁ〜と私がぼやいたら、家族が「そんな靴はこの世に存在しねえ」と言いつつも「コンバースならバッシュをもとに作ってあるから少しは滑りにくいんじゃないのか」と教えてくれたので、通販で買ってみた。バッシュは流石にやりすぎだと思ったのでコンバースランニングのケイブスターSS。色は黒のコンバースのバッシュを履いている某バスケ漫画の推しにあやかって真っ黒のを選んだ。私にしては靴に対して随分課金したけど、物持ちはいい方なのでまあいいかと。
日曜日にウキウキで新しい靴を履いて行ったら暇過ぎてそんなに走り回りまわれず、ランニングシューズをただ長時間立つことに使うと足が疲れるという知見を得た。今日はめちゃめちゃ忙しかったので新しい靴で存分に走り回れたが、ツルツルの床の上でも滑らないし、かといってタバコを取る時にターンしても摩擦で変な音がしないので、なかなか快適でよかった。軽いし。
でも試し履きをしないで買ったせいで1サイズ大きいのにしてしまった。私の足のサイズは22.5cmなのだが、幅広甲高足なので普通のスニーカーをジャストサイズで履くとキツイ。なので1サイズ大きいのを買ったのだが、ユニセックスの靴は女物よりもつま先に余裕があったので2Eでも全然平気だった。
先日開催されたホロライブのリアルライブ、hololive 6th fes.ColorRiseHarmonyに参加してきた。演目は2日目に開催された「CREATORS' STAGE」だったのだが、良かったところを探す方が難しいくらい楽しむことが出来なかったので、その理由や反省点をここに残す。
なお、楽しめた人を否定するつもりは全く無い為、「会場にはそういう人もいたんだな」くらいに思って読んでくれると幸いだ。またもし同じ思いをした人がいたら「一人じゃないんだ」と安心したいので反応をもらえると大変嬉しい。
・20代後半女性。ホロライブは2年前に切り抜き動画から知って、今はほぼ箱推しでJP・EN・ID問わず視聴している。主にオリジナル曲の視聴やゲーム実況、雑談配信を楽しんでいる。(いわゆる推しはいるが、名前を出すと迷惑がかかる可能性があるので割愛する。)
・様々なジャンルの音楽系イベントやライブに参加するのが趣味。年に10〜15回参加している。
・ホロライブが好きな20代後半の恋人とチケットを取って参加した。ライブイベントに参加したことはない。私同様オリジナル曲やゲーム実況を中心に視聴している。
何も見えなかった。私は身長158cm、20代女性の平均身長と同じだが何も見えなかった。メインステージは本当に微塵も見えず、たまにサイドモニターの上部が見える程度だった。アリーナ席しかないことは幕張メッセを会場と使用していることからもわかるが、ここまで見えないとは思っていなかった。サイドモニターの上の方しか見えない為、メンバーの姿は確認できなかったし、表情も全くわからなかった。メインターゲットが男性なのはわかっていたが、ここまで低身長が何も見えないとは思わなかった。なお恋人は170cm程度だが周りに高身長の海外ニキが多かったこともあり私同様に何も見えていなかった。座席の運もありそう。
もう何も見えないなら音に集中しようと思うも、音響が酷い。ただ音が大きいだけ。これはもうこれ以上言うことがない。こんなに酷いなら配信チケットを買って家で視聴していればよかった。ライバーもちゃんと高画質で見れるし。
開演までの待ち時間でしか使わなかった。立っていても何も見えないので座って視聴する意味はないし、何よりステージが左右に2つあるのに椅子がパイプ椅子なのだから、座っていたら片側のステージしか見ることができない。背伸びしてなんとかステージを一目見ようとした時に身長のカサ増しに役立ったくらいだ。規制退場等も無かったので終演後に座る時間もなく、本当にある意味がわからなかった。途中で気分が悪くなったりしたら座れるはありがたいので椅子自体はあってもいいと思うが、方向が固定されているのは意味がないのでは?というかそもそもステージ2ついるのか?
センターステージ(箱型ステージ)はすごく面白かったが、せっかくなら私のようなどちらのメインステージを見ることができない人向けに、センターステージで誰も踊っていない時はそこでメインステージのアップの映像を流すなりなんなりしてほしかった。ちなみにセンターステージは座席的に一番ちゃんと見ることができるはずだったが、近くのオタクがずっと激しくペンライトを高く上げて振っていた為ほとんど見えていない。もっと高い位置にセンターステージを上げて欲しかった。というかオタクがペンライトを上げすぎないように「頭より高く上げないこと」等のルールを制定してほしい。ルールが無さすぎる。
純粋にパフォーマンスを楽しむつもりで来ていた為私も恋人もペンライトを購入しなかったのだが、4回くらいあったMCは全てペンライトを使ったレクリエーションの時間が含まれていたので、ペンライトを持たない人間はすることがなかった。ライバーも「全員ペンライトを持ってきてる」ということを前提で話を進める為、「ペンライト持ってない人はそもそも入っていけないんだな」と疎外感を感じた。ここまでガッツリペンライトを用いるのなら、いっそチケットにペンライトを付けてほしい。または「ペンライトを用いたレクリエーションが多く含まれるので購入をオススメします」くらいの文言はチケットの購入ページに書いてほしい。
「みんな、例のあれでMCを締めますよ!せ〜の!」といきなり言われて会場の全員が「カラーライズハーモニー!!」と叫び出した時は本当に驚いた。どうやらこの前の日のライブで「MCの最後には「カラーライズハーモニー(今回のライブの名前)」と叫んで締める」という流れが形成されていたらしいが、前日のライブを観ていないのでそんなことは知らなかったし、説明がなさすぎて本当に怖かった。普段増田が行くライブイベントでは「今日初めて来た人もいると思うから説明しますね!」という時間が設けられることが多い為、説明のなさに驚いた。「ここに来るオタクなら全部のライブを視聴してきてますよね?」という無言の圧のようなものを感じて「身内ノリキツいな〜」と感じた。しかしそう思うのは増田のような逆張り厄介オタクだけで、会場にいるほとんどのオタクは一体感を感じて盛り上がっていたと思うので、私がそもそも身内ノリに乗り切れてないのが良くないんだと思う。
なんというか、小綺麗に歌ってた。全力で歌ってないというかあくまで音源通りのパフォーマンスなので、ライブならではの全力で声を出している感じはないし、ぶっちゃけ事前収録と言われても全然信じられるくらいライブ感はなかった。全体曲も一気に全員出てきて歌っただけなので、サプライズ感もなかった。徐々に出てきてソロで歌うパートがあったりしたら嬉しかった。何より私は視界情報がゼロだったので。
唯一パフォーマンスする曲を事前に公開していた演目だったとはいえ、「andmore…(他にも曲を披露するかもという匂わせ)」と書かれていたのに、プラスでやった曲が全体曲の2つだけというのは満足感としてかなり微妙だった。これはバーチャルライバーのライブに普通の生身のアーティストと同じパフォーマンスを期待した私が悪いかもしれない。せっかく曲提供したアーティスト名を書いていたのに、本当に事前に公開していた曲しかやらないとは思っていなかった。堀江晶太と田淵智也の名前が書かれていたのを見て『灼熱にて純情(wii-wii-woo)』を期待していたし、GigaとTeddyLoidの名前を見て『AWAKE』『Let's Endthe World』を期待していたのがアホらしく思える。アーティスト名は客寄せパンダだったのかもしれない。まんまと釣られた。悲しい。
多分これは不可能。オタクは全身を使って盛り上がりたいので。MCの内容からも立ち上がることを想定されているので難しいと思う。
これもあまり期待できない。おそらくEXPOと同日開催するとなったら今後も幕張メッセの展示場をライブ会場にし続けるだろう。何よりメインターゲットである男性はあまり視界の悪さを覚えていないだろう。
ペンライトがあったらまだもう少し楽しめたかもしれない。ペンライトが無いとレクリエーションに参加する資格すらもらえないのなら、そうと書いていて欲しかった。
各メンバーのソロライブのように、SS席、A席、B席のようなランクをつけてチケットを販売してほしい。そうすれば私のような低身長でもまだマシな席で鑑賞できたかもしれないので。
昨年までの映像をちゃんと予習して、SNSでの情報収集をしていたらここまで残念な思いをしないで済んだのかもしれない。(今調べたところ、調べ方が悪いからかマイナス面の感想ポストはひとつも見つけられていないが。)
1階席しか存在しないことも、メインステージが無駄に2つに分かれていることも、事前に公開されていたマップで把握することが出来たので調査不足だったともいえる。まさかここまで人がギチギチに詰まっていて、だだっ広い会場だとは思っていなかったが。
私がライブを楽しめなかっただけならチケット代を勉強代だと思って潔く受け入れることができたが、恋人も私とほとんど同じ感想だった為、初めて行く音楽ライブで辛い思いをさせてしまったことを心から申し訳なく思っている。もっといいライブは存在するので連れて行きたい気持ちがあるが、「ライブってつまらないんだな」とこのライブで思ってしまったようでとても悲しく思う。初見で楽しめないライブに連れて行ってしまってごめん。
今後おそらくfesに参加することはないだろう。会場が幕張メッセじゃなくなって、2階席が生まれて、サイドモニターの高さが生まれて、全員座って鑑賞できるようになったら行くかもしれないが現実的ではない。そもそも何度か書いたが男性向けのニッチコンテンツなのは間違いない。150cm台の身長の人間が来る想定ではないし、コアなファンじゃないのにライブに行くべきではなかったのだ。
図らずも普段行っているライブのクオリティ、パフォーマンスのレベルの高さを改めて再確認できて良かった。それくらいしかポジティブな感想が出せない。
「何も見えなかったけど生歌が聴けて最高!」と言えるほどコアなファンではないのですごく残念な体験となってしまった。
現在ではどうなってるか分からないが、符牒めいた呼び方だと「SS書き」が一般的だったと思う。「同人小説家」みたいなストレートな表現ではなく持って回った言い方をされたのは「字書き」と同じ事情があったのかな
二次創作ではなく仮想戦記等の一次創作物だと、より上等なものという感覚が働いたのか(ショートストーリーでも別創作物のサイドストーリーでもないから、少なくともSSと別ジャンルではある)、「書き手」とか「作者」とか呼ばれたりPNを直に言われたりすることが多かったような
ゼロ年代から10年代半ば頃までネット小説読み専をしてて、2chとかにはいたが、同人誌をリアルで売ってた界隈には不案内な人間の見解
それなりに触れているが、今まで触れた物の傾向からお勧めがあったら教えて欲しい。なおテレビアニメだけ見たはさすがに多すぎるので省略する。面白いと小説や漫画にも行くしね。あと商業化したあとなろうなどは消去されてるのもあるみたいだけど最近は残すのが多いのかな?
アニメは一応見てたが、後日図書館で「イラスト椎名優か。サクラダリセット好きだったんだよな」と読み始める。3章あたりから面白くてどんどん読み進めて、「予約なんて待ってられるか!」と購入。4章9とかは kindle ではなく bookwalker だとドラマCD付があったので両方買ったり最新のふぁんぶっくは間違えて2重で買ってた。コロナexにも登録して、漫画も既刊全巻、本編33冊、外伝5冊購入済み。
BDはかってないが、ミュージカルも配信で見た。小説もう4回くらい周回したが、ついつい読み続けてしまうので年末年始とか長期休暇以外では封印気味。そういえばちょっと聖女の話が話題になったがローゼマインも「エーレンフェストの聖女」だね。ハルトムートとアンゲリカが好き。
本編や漫画、ドラマCDにはなろうにはなかったSSが追加されるけど、なろう系はこういうの多いね。
アニメと漫画の既刊は購入して読了ずみ。ルーファスの一代記になるんだろうが、つまらなくはないが、本編や商業小説は追う気にはならないな。なんか入り込めないというかなんというか。
TVアニメは放映してる分だけ、OVAも2本劇場で見た。商業小説は既刊読了済み。ヴォラキア編が終わってルグニカに帰ってきて塔へ再度いったお話だったかな?外伝は3冊くらい?リリアナはスバルたちと水の都じゃ初見じゃないよね?と分かるくらい。剣鬼恋歌は漫画版読んだ。
そういえば最新刊よむまで「ヴォラキア帝国」ではなく「ヴァラキア帝国」だと思ってた。
TVアニメ全部劇場新作視聴済み。商業小説は既刊読了済み。劇場特典の冊子上下はまだ読んでないな。漫画などは追ってない。いいところなのに小説の既刊が止まってるのはなんでなんだろ。あ、あと『異世界かるてっと』はTVアニメと劇場版を配信で見た。
TVは爆炎も含めて視聴済み。紅伝説も劇場で見た商業小説は読了済みだけど、正直まだまだ続けられたけど作者が終わらせたかったので終わらせた感じじゃない?外伝は『この仮面の悪魔に相談を!』だけ読了ずみ漫画も追ってない。
TVアニメと劇場版視聴。うーん。ミリタリーは嫌いではないんだけど、劇場版の内容と特典の冊子が、なんというか0年代2ちゃんのノリで正直キツイっす。あおちゃんの声は大好きなんだけどね!!!!
5期とソードオラトリアも視聴済み。オリオンの矢も劇場で見た。これもつまらなくはないが追う気になれない感じ。ヘスティアとギリシア神話の神が出てくるが他のギリシア神話の神との関わりも薄く「ヘスティアである必要性ある?」とどうも私のなかのギリシア神話マインドが刺激されない。ミノタウロスも現状だたの強い牛モンスターだし。
TVアニメは本編と転スラ日記ユリウスの夢、映画館で紅蓮の絆編視聴。商業小説は20か21巻まで読了。帝国編が終わった後、みんなついていけてる?私はそれなりにSF読んでたのでまあいけるけど。漫画は外伝のウサギ娘と三人娘既刊全部、あとクレイマンが主役のやつは一巻か二巻くらいまで読んだ。
あおちゃん!あおちゃん!!TVアニメは視聴ずみ。ナーロッパならぬナッ中華なりナッチャイナな、中華風後宮を舞台にしたお話。
後宮と言う事もあってか、私の中の士大夫マインドはあまり刺激されないが、漫画はサンデーの方を連載で追ってる。
すみぺ!すみぺ!TVアニメは視聴ずみ。ミュージカルは1の方は見たかな。漫画も一応本編とメイド外伝。商業小説は12,3巻くらいまで読んだかな。どうも蛇の設定がいまいちしっくりこないので、そういうのなしでミーア姫の国造り物語にした方がよかった気もする。
非アニメ化作品。これは漫画だけ追ってる。漫画の作画担当目当てで買っている感じ。面白いが小説を追うまでにはならない。私の中の士大夫マインドもそれほど刺激されない。そろそろアニメ化しそう。
古代ローマ的な異世界転生もの。商業小説2巻漫画も読了ずみ。商業小説で追加されたのが元ネタからまんまなのは苦笑させられた。けっこう私の中のローマ人魂は刺激された。なろうの方で最後まで読んだが、魔法とはなんなのか?という探求が前半の肝だが、後半は答えを知ってる人から教えてもらう流れなのでちょっといまいち。多分商業出版ならびに漫画は続けられるかどうかという所なのかな?漫画のできもよくて私の中でティト↑↑個人的には続いて欲しいが。
うえちゃま!うえちゃま!ってこれはアニメしか見てないというか2話か3話切りしたけど苦手枠で。まずベルンシュタインといういかにもユダヤ系な性で侯爵と言う時点でかなりキツイ。レナード・バーンスタインとかもユダヤ系だよ。で、それはどうにか我慢してたが作中の地名が普通に現代ドイツの都市名で「もう無理!」となった。和風世界の異世界作品で、大宮とか、横浜とか千葉とか水戸とかでてくるくらいの違和感かな?私の中のゲルマン魂が拒絶反応を起こして視聴断念。
これはなろうではないが。なんと言えばいいのか歴史日常系漫画。現代人がでてこないけど『ローマふたり暮らし』が近いかな?特定の時代地域を舞台にして歴史に名がのころ偉人やらが主人公だったりせず戦争やら政争が主題ではない作品「アルテ」の前半も歴史日常系と言えなくもないかな?
14世紀神聖ローマ帝国フランケン地方を舞台にして、ローテンブルク・オプ・デア・タウバーから村へやってきたパン焼きの少女と現代日本に帰れないが文物は得られる水車小屋の粉ひきのまったり、きゃっきゃうふふな物語。肌色分は作者の前作よりは少ないが、ブタとかも現生の白いのじゃないし、都市ではなく農村が舞台と言うのもいい。ちゃんと色々調べてて、「暗黒の中世史観」へのアンチテーゼを提供している。作者のXでは打ち切りが濃厚らしいが続いてほしいな。アニメ化までとは言わないが、取材旅行でローテンブルク・オプ・デア・タウバーに行けるくらいには人気になって欲しい。
https://i.imgur.com/wPDSDzO.png
暇空は、かつて暇アノンだった「えす2nd」を訴えており、えす2ndの反論文を晒すついでに彼の本名まで晒した
えす2ndは弁護士をつける余裕がなかったらしく、自分で考えたらしい文章はだいぶツッコミどころがあるとはいえ、
暇空は前にも期日前相手方書類晒しという著作権侵害を行ってそれで訴え返されたりしているが、訴えられてもカンパ金から賠償金を払えばいいので特に凝りていない
暇空が開示請求で得た相手の氏名を晒すのはこれが初めてではない
5ちゃんねるのスレ立て人「富士山」の氏名も以前に晒し、富士山に訴え返され係争中だ
えす2ndは金がないようなので、富士山のように訴え返すのは難しいかもしれない
富士山は開示請求された際、「暇空は相手方の個人情報を裁判以外でも悪用し面白おかしく晒すし、弁護士もそれを許すカスだから断る」的なことを言った
その際、暇空の弁護士である小沢一仁は「裁判でしか使わない、晒させないし悪用させない」と反論して開示を通したのに富士山は氏名を晒された
氏名晒し後、暇空は「今後は弁護団が許した情報しか載せない」と公言したのに、結局またえす2ndの氏名晒しが発生
暇空から数千万円の金をもらってる小沢一仁には最早倫理観はない
えす2ndは「暇空さんすげーっす!フェミ叩きのめしてくだせえ!共産党こえー!」という量産型暇アノンだった
しかし、暇空がフェミとかどうでもよくなってただの大学生の堀口英利に執着して堀口への性的妄想をSSにするストーカーになった辺りから心が離れていき、以下の発言をした
えす2nd@ponpop72
堀口氏に刑事訴訟された件はご存知無いですか?
昨年、暇空茜さんが安倍さんを誹謗中傷して、堀口氏は安倍さんと同じ病気を持つ安倍さん支持者であるのに、刑事訴訟にあたる攻撃をされたのですよ。
フェミ叩きは「エロ表現の自由を守るため」という大義名分がまだあったが、堀口への攻撃にはもうドン引きやで~という話だ
問題となったのは太字の部分だ
単純に書き間違いだろう
「暇空が堀口の抱える難病について攻撃した、その病気は安倍晋三が抱えるものと同じなのに」と言いたかったのだろう
でも普通に文を読めば「暇空が安倍を中傷した」という事実無根の内容なので、暇空はえす2ndを訴えるに至った
まあ暇空は買ってきたカニに安倍晋三と名付けて「安倍晋三を茹でた」「安倍晋三の脚ちぎった」とかなるくんと実況してた過去を持つが
自分の世代では珍しく、ニコ動やボカロを視聴しないオタクだった。
画面の上にコメントが流れるとコンテンツが見えにくいからnicobox派だったし、好きなカテゴリは料理動画とASMR。合成音声や人力の音をうまく聞き取れず、楽しみ方がよくわからなかったのだ。
にちゃんでSSを読み漁って生き延びたガキが大学に入って初めて行ったカラオケで、オタクたちはニコ動のミーム楽曲やボカロ曲を歌う。でも私はそれらを聞いて育っていないから、他の好きなアニソンを歌って帰った。
彼らは自分の前に歌った曲の関連楽曲や同じPの曲を入れて、流れを楽しんでいたのに、いつも私が空気を読めなかった。
ある時Vtuberの存在を知った。Vtuberが歌うボカロ曲の「歌ってみた」が楽しめると気づいて嬉しかった。歌い手はニコ動、ツイキャスにもいたのに。
曲を聴こうと思う時、その歌を好きな誰かに紹介されて「出会う」と思う時がほとんどで、Vtuberは多分その媒介になったんだと思った。
Vtuberの歌ってみたのおかげで、オタクたちのカラオケでも空気を読んだ選曲ができるようになった。
だけど、歌える曲が増えるようになってから、自分の好きな曲を選曲する後ろめたさを感じるようになった。
オタクグループでは私抜きのカラオケが何回か開催されている。私の知らない、お互いの共通界隈の曲を歌って盛り上がっていると思う。そうあって欲しい願いがある。
プレイリストを送り合っても、一緒にカラオケに行っても、知っている曲は少ないけど、初めて聞いたメロディやリズム、詩を歌う声がどこか光っているように感じて、新しく好きになる曲が増える。
なのに、私は誰に紹介されても、合成音声のままの曲を美しいとは感じられないと思う。
左隣の野獣先輩に似てる坊主ややデブ陰キャ君のノリがキモすぎるだけでなく、体臭が臭かった。
まあチー牛オタクも来るから仕方ないよなと思って鼻をつまんでアンコール前まで耐えていたところ、何かの待機で近くに来たスタッフバイト君に、公演半ばに小さな子供二人がトイレを探していたのか通路を歩いていたことを事細かく説明し始めた。確かにその瞬間は(出口見つかったかな?)と心配したが、その後戻ってくることはなかったので、親御さんの元に辿り着いてすでに解決しているであろう話だ。
それをダシにオタククンは「まあ、今更言ったってしょうがないんですけどね?報告しておきます」と早口で"報告する俺"オナニーし始めて本当にお前死んだほうがいいよとブン殴りそうになった。逆に、このタイプのオタククンが順張りとも言える米津のライブに来るのは珍しいなと感心してしまった。
右隣には一曲終わるたびに必ず一言二言語り始める大学生?二人。黙っとけよ。家でDVD観てんじゃねえんだよ。公演中は静かにするもんなんだよと指摘したくなった。ライブが終わった後かファミレスに行くまで語るのは我慢しなさい。とイライラしてしまった。
今回、リセールであまりにも指定席が当たらずやむを得ず立ち席を手に入れた。
指定席より1000円安いのでこのようなマナーの無いガキがいるのは仕方ないことだと言いたいところだが、正直数年前の米津のライブもこんな調子だった。やはり大衆人気の高い、特に客層が若いライブだと仕方のないことなのかもしれない。
あとは、ステージが遠い故に自分周りの観客に感覚が向いてしまうのだと思う。あと、正面ではなくサイド側なのでどうしてもアーティストを見ようと体を捻ると視界に隣の客が入ってくる。
今回は両隣が嗅覚または聴覚を侵してきたので論外ではあるが、去年の椎名林檎のライブ(たまアリ400レベル)でも左隣に座っていた仕事終わりに来たであろうサラリーマンが最初から最後までカクカクうたた寝していたことがかなり気になった。
昨年4月のサカナクションの幕張メッセ公演、SS席であるにも関わらずモニタすら見えない遠い位置にいたが、これは音を全身で感じることができたため周りに関するストレスがなかった。これまでは基本的に平面かつ正面から見るような席・ライブしか行ったことが無かったので気付かなかったが、アリーナの高いフロアでは音圧?が足りず脳が満たされないことで気が散ってしまうのかもしれない。
それにしても、私自身16PersonalitiesではESTJ・ENTJが出ており「こうあるべき」という思い込みが強いほうだ。周りの観客に殺意が湧くくらいなら大きな会場のライブを楽しむには向いていないのだと思う。
正義を押し付ける性格から、メンズ地下アイドルのライブに行った際は「自分のこの挙動が合っているのか分からない」と己の立ち振る舞いすら気にしてしまっていた。
関東に住み始めたおかげで、昨年は規模・ジャンル問わず22個ほどのライブに足を運ぶことができたが、その結果、ライブに行って感動するよりもアイドルの客を舐めた振る舞いや観客の粗相でストレスを感じ、音楽の感動だけ持ち帰ることができない人間になってしまった。
音楽を生で聴くことは辞めたくないのだが、純粋に楽しむ他人を不快に思うくらいなら行くことは控えなくてはいけないな、と思った。
しかしながら、横浜アリーナの一番遠くの席にいても数曲は米津玄師さんの歌唱力やバックの映像の迫力に圧倒される場面もあった。周りが見えなくなるほどの衝撃を受けたし涙が出そうになるほど感動できたので、やはりすごい人なんだと思った。そういう感想しか持ちたくねえなあ。
おい、中国人、並びに共産党に与するパヨクとブルプロアンチ。よく聞け。ブルプロを舐めるな、日本を舐めるな。
ブルプロをパクったゲームが流行っても日本人はやらないからな。ゲーム市場2、3位の日米が降りたらチャンコロは終わりなんやで。
https://x.com/Futats_ubik/status/1872997381106745493
Ubikiのメンバーはブルプロ随一のセンスなんよ。オシャレな男女チームなんよ。だからブルプロは決して国産おっちゃんゲーじゃないんよ。
みんな優秀で美男美女なんよ。リーダーであるフタツさんのセンスに集まった人たちなんだから当然なんよ。
ブルプロは夜勤や接客業で頑張ってる人が多いんよ。みんな頭がいいからこそあえてそういう業種を選んでるんよ。エッセンシャルワーカーは必要な仕事だからこそ有能な人がやるって考えなんよ。ブルプロを支える心意気にも似てるんにょ。
https://x.com/suzuBlueProtoco/status/1829530354048471357
署名活動頑張ってる人もいるんよ。署名はパヨクっぽいけど、それで復活する大日本帝国があるならそれは右翼なんよ。
この人はブルプロチームのSSも撮影してるんよ。なんだか卒業写真作るみたいな試みが最高なんよ。
そして中国人、ブルプロアンチ、パヨク、お前ら反日非国民どもが味わえなかった学校生活のような空気感がブルプロにはあるんよ。だからこそ忌避してるってことに気づくべきなんよ。
お歌を公開したり生足を魅せたり姫ちゃん活動してる人もいるんよ。MMOらしく彩りを与えてくれる存在もまた最高なんよ。
のあーるちゃんは今鍵かけちゃってるけど(´・ω・`)
根気よくアクセスしてお歌を聞いてほしいんよ。
ブルプロをパクったゲーム、スタレゾが出るらしいが廃れぞwwwなんちて。
先日の土日にて読了。
いや、メタ的というより、メタそのものが作品の主題といったほうが正確だろうか。
読者を小説の中に引き込み、文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆が80年代に書き上げた、いわば小説そのものの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。
あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。
物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。
そして、そこには作者と読者の境界が曖昧になる仕掛けが満載されている。
章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。
その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説を構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。
感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。
こういった作品は現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。
そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブな物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代のネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。
それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。
筒井康隆の文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説そのものの存在意義を問う仕掛けになっている。
そして、これが面白いのは、その仕掛けが「自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。
たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。
それは小説の登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。
その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタの構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?
つまり、筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。
それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。
このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタに言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。
ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造を意識する形で展開していきたい。
最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。
それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。
今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。
そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなたの脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。
でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなたの意識に波紋を投げかける。それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考の交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?
ここで気づいてほしいのは、この文章そのものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかをあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章はあなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。
そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在とあなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考があなたの中に入り込んでいるのだから。
もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたがコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車でスマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たちは出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味を解釈する。それは、私の言葉があなたに届くことで初めて成立する行為だ。
ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。
読者として、いや、このメタの一部として。
ありがとう。そして、また。
どうか健やかに。
S 時代を席巻したカルト的人気を誇る天才的歌手(常に数人存在する)
A 一時的に国内・世界で大人気となった有名歌手(1年に数人は現れる、若い世代では常識)
B 特定界隈では常識的歌手だが国民的とは言えない(この辺で既にライブのチケットは取れない)
ーーー 圧倒的メジャーの壁 ーーー
C 特定界隈で超人気だがまだ世間に発見されていると言えない、あるいは敢えて隠している(マイナー界の頂点)
D 一定人気でファンも多く活動を続けられているが有名とまでは言えない(人気バンド、人気地下アイドル、数百人の箱は簡単に埋まる)
わかんなくなるのはBCあたり、界隈に属してるとカルト的人気なんだけど、Aではないから会話に出しづらい