はてなキーワード:PS Storeとは
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購入するかどうか聞いてくる
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キャンセルする
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購入するかどうか聞いてくる
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購入ボタンを押すとカートに入った前のゲームも一緒に購入される
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ダウンロードするかどうか聞いてくる
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ダウンロードを押すと一緒に購入した前のゲームもダウンロードされてしまう
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普通のWebサイトなら「カートに追加」というボタンになっていたり、カートの中身が分かりやすく表示される
PS StoreもWebからだとそういう作りになっていて「カートに追加」を押してカートに追加する
一方でPS5やPS4のPS Storeだと「カートに追加」になっておらず、価格を選択するだけでカートに入るし
購入そのものをキャンセルしているはずなのにカートには残ってしまう
そのためゲームを間違えて選んでしまって、〇ボタンで前の画面に戻ってもカートには入ったままになっている
おまけに右上のカートアイコンにはカート内のアイテム個数などの数字が表示されないからカートに追加されているかどうかが分からない
別のゲームを購入しようとしたときにカート内のアイテムも一緒に表示されるがなかなか気付きにくいのでそのまま買ってしまう
ここでダウンロードしなければ返品可能で、1時間ほど時間を費やせば返金してもらえる
ところが次の画面で出てくるのは「一括ダウンロード」の画面なので
何も考えずに×ボタンを押すと誤購入したアイテムもダウンロードされてしまって取り返しがつかなくなる
もしかしたらプレイ履歴がなければ返金して貰えるかもしれないが、規約上は返金してもらえないっぽい
そりゃ大半が中国人だろうさ、だって中国のゲーマー人口6.6億人と言われてて、5500万人の日本の10倍超えてるんだよ。
国別市場規模でも中国がトップ、日本はアメリカに次いで3位って業界なんだ。
ゼンゼロの売上データを例示すると、44%が中国、25%が日本だそうだ。次がアメリカ10%。これを見ると人口比の割に日本のゲーマーがどれほどオタク文化を継いでくれた秀作ゲームを目にかけているか分かる。
ただこれはApp StoreとGoogle Playが対象だから、miHoYoの公式チャージセンターから課金するPC勢やPS5勢、サードパーティアプリストアを使ってる中国人などが抜け落ちてる。
他のゲームだと最近目立ってたのが黒神話:悟空だな。中国初の国産AAAタイトルで発売後SteamやPS Storeの上位にしばらくいて世界の12ヶ国でランキング1位を取るほど売れたやつだ。
それでも売上の80%が中国からだと。それくらい中国語ゲーマーはゲーム市場において人数が桁違いに多いんだってことが分かる。
中国のゲーム市場の2/3はモバイルで、PCやコンソール(つまり黒神話の範囲)はマイノリティなんだが、黒神話を契機にSteamでは中国語ユーザーが増えた結果、こんなことにもなってた。
Steamの言語別ユーザー数、8月は中国語ユーザーがトップに。『黒神話:悟空』の大人気もあってか、英語ユーザー数をぐっと上回る - AUTOMATON
Q:PS PlusエクストラおよびPS Plusプレミアムのゲームカタログ/クラシックスカタログからダウンロードしたゲームは、オフラインの状態でもプレイできますか?
A:プレイ可能。なお、PSエクストラおよびPS Plusプレミアムのゲームカタログ/クラシックスカタログからダウンロードしたゲームをオフラインでプレイする場合、PS Plusへの加入状況の認証のため、7日ごとにPSNに接続する必要がある。
上記はPSエクストラおよびPS Plusプレミアムのゲームカタログ/クラシックスカタログで提供されているゲームにのみ必要な手順。PS Plusエッセンシャルで提供されるフリープレイのタイトルには適用されない。
Q:今回のサービス変更に伴い、これまでPS PlusやPSNowで入手したゲームの再ダウンロードは必要ですか?
A:PS Plus加入済みのPSNアカウントで過去に入手したPS Plusのゲームは、PS Plusに加入している限り、ゲームライブラリに保存される。既存のPS Plusのサービスに変更はない。
PSNowを通じて過去にダウンロードしたゲームについては、同ゲームが新しいPlayStation Plusでも提供されている場合は、引き続きプレイすることができ、セーブデータも保存される。同ゲームが新しいPS Plusで提供されない場合は、既存のPSNowのサービスと同様に、同ゲームの提供終了後はプレイすることができない。PS Storeにて提供されている同ゲームを購入すると、セーブデータに再びアクセスできるようになる。ただし、セーブデータを削除しないように注意してほしい。
Q:同じゲームをPS Plusプレミアムを通じてダウンロードしてプレイするのと、ストリーミングでプレイするのでは、何が違うのでしょうか?
A:PS Plusを通じてダウンロードしたゲームは、PS5またはPS4本体のローカル環境でオリジナルのグラフィック品質とサウンド出力モードでプレイできるため、タイトルやゲーム機本体、テレビが対応していれば、最大4Kまで画質を向上させることが可能。また、PS VRに対応しているゲームも、ダウンロードしてプレイした場合はPS VRを使ってプレイすることができる。
さらに、拡張コンテンツやオンラインモードなど、一部のオンライン機能は、ダウンロード版でのみ利用可能だ。
一部の国・地域で提供するPS Plusプレミアムでは、クラウドストリーミングを通じて最大1080pの解像度でゲームをプレイすることが可能。画質はインターネットの通信速度や帯域幅によって異なり、最低5mbps(1080pでは15mbps)のインターネット速度が必要となる。
前作、創の軌跡はファーストインプレッションでシリーズに見切りを付けてしまうつもりだった。軌跡シリーズのファンではあったが、閃シリーズの質の低さに消耗してきていたので、転機と総括と位置づけているこの作品で駄目なら丁度良い区切りだろうと思っていたからだ。
そして、その予感は(少なくとも最序盤では)的中し、”さようなら軌跡シリーズ”という言葉が脳裏に浮かぶに至っていた。のだが、Cルートの存在により辛うじて「まだしばらくは追ってみよう」という気になってしまったので、投げ出すことなくクリアまでプレイ出来た。
最新作である黎の軌跡はさすがにもう予約買いとはいかないものの、PS Storeのセールを機に入手したので、不安な気持ちを抱えつつプレイしてみた。
結論から言うと面白かった。次回作は予約買いしてしまうかもしれないというぐらいには。手放しに賞賛するわけではないが、このクオリティのJRPGを定期的に供給してくれるメーカーというのは貴重なので、ちゃんと面白い物を提供してくれるのであれば応援したいという気持ちがあるからこそだ。
ではどの辺りが良かったかというと、あらゆる部分で改善しようという気持ちが汲み取れたからだ。閃シリーズの悪い部分と言えば、兎にも角にもテキストの強い癖と定番を履き違えたワンパターンにあるのだが、これがかなり抑えられていた。会話を「あ」から始めるのを辞めてみようか、と指摘されて必死に直そうと努力している人、と言えば伝わるだろうか。
ひとつひとつ挙げると長くなるので省略するが、このライターのテキストの悪い癖は多岐に渡る。そして、残念ながらそれらは全て残っているのだが、シリーズ初見の人ならそう気にならないのでは?という程度には自制しているように思われる。後2歩ぐらい抑えれば、これはキャラじゃなくてライターの癖だろう、という気配も消えるだろう。
展開のワンパターンさも決してなくなっているわけではないのだが、今作では何とか定番と呼んで差し支えない範囲に収めきれていると感じた。
敢えて言うと、主人公の変身は蛇足でしかなく、また前作の鬼やロボットといった類いの制作者の自己満足的なつまらない要素を足したのかと辟易したのだが、これは終盤で何とか取り返したと思う。ギリギリだが、まあ許容範囲ではあった。我ながら判定が甘いと思うが、この辺りも、バトルシステム的にも設定的にもお話的にも不要で邪魔でしかない要素にならないようにしようという意思があると受け取った。前作までは本当に酷かったので。
主人公はやはり皆から好かれはするが、ハーレム化はしなくなっているのも好感触だ。あくまで当社比であるところに注意は必要だが。
話運びも、かなりテコ入れされているように見受けられる。格上の敵が意味ありげな謎かけをしながらシュンと消えるパターンを延々と繰り返す事で話を進める、という手法からはどうやら卒業したらしい(なくなっているとは言わない)。今作は、ピンチに格上の味方登場といった、もはやライターの手癖にまで堕落したテンプレの連続でイライラすることもなく(何度も言うが、これもなくなっているとは言わない)、エンディングまでしっかり面白かったと評価する。
システム面ではエンジンから変えているのであらゆる部分がごっそり変わっているが、やはりまだ熟れていない感が強い。UIがかなりとっ散らかっている。特にオーブメントのセットやスロットの拡張辺りは煩雑極まりない事になっているため、触るのが億劫なレベルである。
アクション面は敵の攻撃が全周囲攻撃になっているという意味不明な作りで、とてもイースを作った会社とは思えない稚拙さだ。アクションゲームとして成り立っていないにも関わらず、アクションの難易度を最低レベルにしても無駄に敵の体力と攻撃力が高いため、アクションでも手早く処理出来る相手にのみ使う要素になってしまっている。そうでなければ時間の無駄なので、さっさとコマンド戦闘に移行する方が効率が良いからだ。そのコマンド戦闘にしても半端にアクション性が付加されたせいか、従来より戦略性が薄まっているのがまた閉口してしまう部分ではあるのだが。
アクションにしろコマンドにしろシームレスにサクサクとリザルトが進行するのはかなり良かった。酷評しているように見えるかも知れないが、将来性は非常に感じており、是非この方向で進化させてもっと面白い物に仕上げて欲しいと思っている。
総括すると、今までの悪かったところを反省しつつ着実に改善がなされている荒削りな良作だと言えよう。ここに来て急に出てきたとってつけたようなポリコレ要素に一抹の不安を覚えはするが、黎の軌跡2はさらなる改善を期待している。
注意:内容的にEpicを擁護しているような形になっているけど、別にEpicを擁護したいわけじゃなくて、単純にApp StoreとかGooglePlayとか、なんちゃらストアってどうなの?って思って書いただけです。考えるキッカケを作ったのはEpicだけど。
・セキュリティの観点からアプリのダウンロードは変わらず各社Storeから。(アプリ購入時は各社storeに手数料発生)
・ゲーム内課金はユーザーがどのハードを使っていたとしても、Epicなんたらからも、steamからも、PS storeからも、GooglePlayからも、App Storeからも課金できるようにする。手数料はユーザーが選んだstoreに払う。
って感じかなぁ。
何処からでも課金できるようになれば、自然と競争が生まれて勝手に手数料は安くなってくるはず。
まぁアプリ購入元はユーザーが決められないことには変わりないけど。
もし、この状況になった後もどのストアも一律30%にしてたらそれはもうカルテル。てか今もカルテルじゃね?
てかそもそも、なんちゃらStoreとかが覇権を取り始めて、10年も経ってないんだよね。
だから法律やルールが追いついてないのは当然だとは思うけど、今後は法整備が進んでいくんじゃない?知らんけど。
てかデカくなりすぎちゃったよね、なんちゃらstoreは。このstoreからしかダウンロードできない、課金できないって言うなら、もう殆ど公共的なものになっちゃったと思う。そうなると自由に値決めはできなくなってくるんじゃないかな。
例として正しくない気がするけど、なんか知らんけどJRの社長が東京-新大阪間の新幹線料金10万にした、なんて通用しないもんね。
ユーザーが選べる自由を用意するか、開発者、ユーザーが納得できる形で30%の根拠を明確にしてもらう必要性があるんじゃないかな。
ここ数年Twitter で連休の度にクーポンを配っていたり、Google Play やPS Store 、ニンテンドーeショップでの決済手段で見かけたりと、それなりに認知されているだろう。
PayPal のアカウントにクレジットカードを登録しておけば、対応しているサイトやサービスであればPayPalアカウントでログインすれば決済できるようになる。
決済の際にクレジットカード情報をしなくていいというのも魅力的だが、最大のウリはトラブルが起きた際に買い手保護システムだろう。
https://www.paypal.com/jp/webapps/mpp/support/buyer-protection
商品が届かなかったり、説明と違うものだったりしたときにPayPal が代金を返金してくれるというものだ。
ぼくが初めて利用したのは2013年で、長いこと愛用してきた。
PayPal が利用できるサービスなら迷わずPayPal を利用してきた。
最も愛したサービスの一つだった。
けれど、ぼくはこのPayPal が信用できなくなってしまった。
2020年7月末、Google Play で課金した際に違和感を感じた。
2回連続して課金したのだが、いつもPayPalアカウントでの決済に利用している利用している Kyash の決済通知が1通しか届かないのだ。
しかし、よく見てみるとそれぞれ決済に利用されているクレジットカードが違っていた。
PayPal はクレジットカードを複数枚登録すると、決済実行時などに請求先のカードを聞いてくる。
また、Webサイトから優先支払いカードを指定することもできる。
どちらもカードAを指定していたが、2回目の課金の決済に使用されたのはカードBだった。
実はこの現象が発生したのは初めてではなかった。
毎回Google Play で発生していたため、まずはGoogle に問い合わせた。
ではと思ってPayPal に確認したところ、原因と条件が判明する。
カードが2枚登録されている状態でカードAで決済を行おうとした際に、何らかの問題でカード会社がこれを拒否したとき、PayPal は決済を停止せず勝手にカードBを使用して決済を行うというのだ。
https://web.archive.org/web/20200616215429/www.paypal.com/jp/webapps/mpp/ua/useragreement-full
これが当時の利用規約だ。
ぼくが該当するパーソナルユーザーの規約にそんなことは一言も書いていない。
その旨をサポートに伝え、どこかに記述があるのかと質問したところ
「システム判断につきましてそこまで繊細な部分が規約に記載がございません。」
「PayPalのシステムでは、お客様の支払がスムーズに行えるように、且つサービスの停止、ご迷惑などをおかけしないように設定されています。つきまして、アカウントに登録されているすべての資金源が利用可能だとシステムより認識されています。」
だそうだ。
聞かれてもいないしどこにも書いてないのだから当然同意などしていない。
支払い手段を指定しているのだから当然それが使われ、その支払い手段が使用できなければ決済が失敗すると想定するだろう。
つまり、同意のない契約がPayPal のシステムの都合で勝手に結ばれたわけだ。
「本来であれば確かにご指定のカードに請求しますが、二回ほども請求かけましたが請求ができませんでした。支払いや取引をスムーズに行えるように別のカードで請求をさせていただきました。」
とのことだ。
そしてこれ以降押し問答が続き、挙句の果てにはビジネスユーザー向け規約の2.3 優先支払方法を持ち出してきた。
確かに今回の件に近い文章が書いてあるのは知っているが、これはビジネスユーザー向け規約だ。
それはさすがにどう考えてもおかしい。
ぼくはパーソナルユーザーだ、ビジネスユーザー向け規約が適用されるというのか。
しかも、先ほどまでどこにも書いていないと回答していたはずだ。
そう問いかけたところ「専門部署に一度報告いたします。」といってやり取りを打ち切られてしまった。
これが8月5日のことだ。
規約が変わっている。
どう考えても今回の件の規約が追加されている。
だが日付がおかしい。
ぼくは7月末から8月4日まで毎日規約を確認していたのでPayPal が実際にこの規約を掲載したのは2020年8月4日以降のはずだ。
日付を遡って適用しているのだ。
そしてこれだけ大規模の変更だというのに、この規約変更はユーザーに対する通知はなかった。
信頼関係が壊れた瞬間だった。
ありがとうPayPal 、きみがいなければ海外通販を利用してみようなどとは思わなかっただろうし、PayPal が使用できなければ利用する機会のなかったであろうサイトやサービスはいくつもある。
だけど規約と一致しないシステムを優先し、カードを勝手に使用し、問い合わせても終始言い訳に徹し、あまつさえ黙って規約を書き換えるようなサービスを信用することはできない。
支払いにPayPal を使用していたサービスを少しずつ切り替えている。
さようなら、愛していたよ。
ちなみに、1週間以上に及ぶ今回のやり取り、途中でオペレーターが何度も変わり、日本語が怪しい担当者や、それどころかBOTが紛れ込んだこともあった。
そのたびに話が中断され、再度説明を求め、やり取りが巻き戻ったりはぐらかされたりするのだ。
これも初めてではない、別件でも同様だったのでPayPal の方針なのだろう。
途中でなんども諦めそうになった、いや、最終的には諦めたからこの駄文をしたためたのであるが。
クレーム対策には非常に有効かもしれないが、買い手保護利用の際もこのやり取りをする必要があるということだ。
https://web.archive.org/web/20200616215429/www.paypal.com/jp/webapps/mpp/ua/useragreement-full
Permalink |記事への反応(39) | 21:55
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki LiteatureClub』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rezinfinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rezinfinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rezinfinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか?ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rezinfinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれどうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
※※※※※※※※※※
長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
昔からちょっとはゲーム買ってやってたけど、最近はそれほどでもって感じだった
PSVitaは持ってて、たまたま「ペルソナ4ゴールデン」がセールで少し安い、というのがPS Storeでトップに来ていたので、何となくノリで買った
それまでペルソナのゲーム自体、本当に名前くらいしか知らなかったので、何のゲームかすら知らずにやり始めた
やってる中で驚いたのは、普通のバトル系のRPGかな、と思ったら推理要素が出て来て、ミステリーかなと思ったら好感度あげていくアドベンチャーになって、何ゲーなんだこれ、と思ったこと
出てくる仲間も、オープニングムービーに出て来てたけど(後でわかった)、最初に1回だけ見て、ゲームを続けてる間は見なかったので、すごくストーリーで楽しめた(え、こいつも仲間になるの?、みたいな)
終盤で選択肢で選べと言われるまで、「マジ? この中にいるの?」と本当にびっくりしたけど、何回も出されてたヒントをその時になってめちゃくちゃ考えたのがすごく良かった
多分これはネタバレとか、前情報とかPVとか、全く知らなかったから、ドキドキできたんだと思う
最近は本当にPVとかオープニングムービーとか、公式でもめちゃくちゃ情報出してくるから、どこにネタバレが入っているか気をつけないと、「あ、これ知ってる、前に見たー」となりかねない
ほぼ洋ゲーをやらないおっさんなんだけど、先日PS storeで安かったので買ってみた(今日でセールは終わってます)
日本のゲームに慣れてると(先日までドラクエビルダーズをやってたので余計に)全体的に不親切で、ステータス画面が見にくい、操作もよくわからない、クラフトなんてほぼ説明ない、という感じで混乱してたんだけど、ジワジワハマってきた。
いま、やっとダイアモンドシティに来たとこ。ボストンを知ってるといろいろとニヤニヤできる。
やりながら、このゲーム、なにかに似てるなーと思ったらSFCの初代ロマサガだ。全体的に漂う不親切感、しかし随所に感じるこだわり、世界に対して入り込んでいく感じ。
言い出した奴が頭おかしくて怖いからというのを差し引いても「ダサピンク」という言葉は嫌いで、あの言葉にはもはやただただ相手を侮辱するだけの機能しか残ってないんだよね。「放射脳」とか「太宰メソッド」とかと同じ。いや、心情自体はわかる気もするのよ。先に足踏まれたのはこっちなんですけどみたいなさ。それはわかるんだけど、でもそれを「ダサピンク」みたいに戯画化して攻撃しちゃったらもう相互理解の可能性ってなくなっちゃうじゃない。「ポリティカルコレクトネス」っていう言葉も急速にそうなりつつあるよね。すくなくとも日本のネットではPCって単語は他人を攻撃する文脈でしか出てこなくなりつつあるように感じる。
いや別にいいんですよ。「女性に読んで欲しい本」というアングルがムカつくと。客を舐めとんのかと。その「足を踏まれた」という情動それ自体はかくれもせぬ真っ当なものだと思うんですよ。でも、それをポリティカルコレクトネスとかジェンダーみたいな単語で括っちゃうのってすごく、なんというか、雑、だと思うんですよね。だって、そもそも書店のポップなんて基本ひどいでしょう。手書きポップはとくにひどいですよね。でもそれは仕方ない面もありますよ。だってあれ書いてるのバイトですよ。いやまあ正社員かも知れないけど、どっちにしろどんな名コピー書いたところで一円のボーナスももらえないわけですよ。下手したら残業代も出ないですよ。そんな状況に書店員を追いやっておいて「ポップが糞」って、そりゃいくらなんでもご無体ってもんですよ。二十文字でこの本を売れ、って、書けないですよ実際。
「ゲイルズバーグの春を愛す」なんてふつう読まないじゃないですか。特にメジャーでもないし、格別に傑作というわけでもないし、ガジェットも出てこないし。でもフェアのチョイスとしてはまったく正しいと思うんですよ。古道具屋で買ったアンティークの机に古い手紙が入ってて、気まぐれに返事を出してみたらなんとそれに返事が返ってきて、とか、誰だって「面白そう」と思うでしょう。僕だったらこんなもん読むくらいならO・ヘンリーでも読むわって思いますけども、でもフェアっていうのは「万人」に向けるものであって「僕」に向けるものではないわけで、だからあれはあれで正しいんですよ。だってフェアって興行ってことでしょう。僕個人としてはあれはSFじゃないと思うけれども、「女子に勧めるSF」という括りで「ゲイルズバーグの春を愛す」を持ってきた書店員は正しい仕事をしてるんですよ。
だから「女子に読んで欲しい本」に対して「女を舐めるな」って反撃は不毛というか、主語がデカすぎると思うんですよね。ナメられた、という憤り自体は尊重したいし共感しないでもないんですが。
なんか何書いてるのかよくわからなくなってきたので最近読んだ本とかマンガとか映画とかを挙げて終わりにします。
http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B009DEDDW6/
Kindleで100円だったから暇潰しに買ってみたら面白かった。旅行記とも薀蓄話ともつかないエッセイのような文章がダラダラ書いてあるだけの本だけど、題材がソ連だからなのか、読んでるうちになぜか郷愁めいたものを感じてしまった。こういう人が友達にいたら面白いだろうなーって感じ。
http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B00K2MEOLW/
制服なんかぬぎすてて/夏本満
最近は百合マンガがいくらでも読めるので良い時代になったなあと思います。数が多ければ多様性も生まれますしね。僕の好みでいうと百合は好きだけど他人の恋愛にはあんま興味ないので、百合百合してない百合マンガがいいんです。という話をしたらこれを勧められました。最高でした。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00HD061EE/
アメリカではものすごい売れたらしくて、知り合いに洋書を貰ったんだけどまあ読めるわけもなく。これは映画版。PS Storeで400円だったかな。青春・・・というにはちょっと幼いんだけど、まあ青春って上手くいかないもんだよね、って話。その上手くいかなさには割と共感したんだけど、クロエ・モレッツが異常にかわいくて台無しでした。
増田でこんなブクマついたの初めてかもしれん・・・有難い有難い・・・
>id:whiteskunk 「僕だったらこんなもん読むくらいならO・ヘンリーでも読むわって思いますけども」この一文で台無し
いや、O・ヘンリー好きなんですよ僕。
>id:u-account そう、これこれ。「ポリティカルコレクトネス」とかが自分の「気に入らない」を客観的に見せるための武装になってしまっているわけだ。
攻撃の文脈でしか使わないもんね。バリアフリーとどうして差がついてしまったのか
>id:poipoichang ”そもそも書店のポップなんて基本ひどいでしょう。手書きポップはとくにひどいですよね。”あれ要るの?
まあでもポップがないと絶対手に取らなかった本とかもあるから・・・
>id:chintaro3PCがパソコンの意味じゃない方で普通に通じているというパソコン終わってる感に時代を感じる。
>id:masudamasurao ”言い出した奴が頭おかしくて怖い”と初っ端に書きつつ相互理解の話をされても…/「まあまあ、そんな怒らなくても」って言うよりはお互い攻撃しあった方がまだ建設的なのでは
怖い人とは関わりたくないけど、pokonanさんは最後にちゃんと自分のおすすめ本を挙げてる点が素晴らしいと思ったので。
>id:osushi-daisuki 元記事は読んでて腹立った。炎上させるための記事で、自分は焚きつけてぬくぬくアフィリエイト。クソだろ
僕もアフィは嫌いですけども、「アフィカス死ね」も最近は誤爆多すぎてよう言えん
>id:gui1 またセレッソ大阪の悪口かよ(´・ω・`) J2増田大阪
すまんわからん。JAPANESE ONLYみたいなやつだっけ?
>id:aceraceae 仲良くしようよと言いつつ喧嘩売るパターンかな。
ちゃうねん
>id:misaochang本屋に色々求め過ぎな面もあるよな。他の商売と変わらないよね。
ですよね。本屋大賞(書店員がいちばん売りたい本)もなんかよくわかんない感じになっちゃったし。
>id:qouroquis 「女子に読んで欲しい本」に「足を踏まれた」感を覚えるのは、自分自身をその「女子」に帰属させる心理が働いているからで、大きな主語に自ら嵌りたがるのではないかと。
うーん・・・よくわからん。女はよく「女が書けてない」「女はこうじゃない」みたいなこと言う(男はあんま言わない)けど、あれはそれだけ女性が日頃からナメられてる反動なんじゃないかと思う
>id:teebeetee 足を踏まれたときに「足を踏まれました」とだけ言えるのって実はかなり高等なスキルで、特にネット上で足を踏まれたことを言おうとすると、どうしてもまず「マシンガンでヒャッハー」的な告発になりがちなんだよね。
ヒャッハーで炎上したやつしか目に入ってこない、って観測範囲の問題もある
>id:seamlesssingles いややっぱり女子と一括りにされて不快感を覚えるのと、それを表明するのは、なんもおかしくないと思う。たまに「自分もその『女子』に入ってる自覚があるからそうなるんだ」とか抜かすアホもいるけど。、
おかしくないです! おかしくないけど、ちょっと苛烈すぎやしませんかとは思う
>id:nisatta 私は差別とポリティカルコレクトネスが嫌いだ。
そうね
>id:htb48 わかるなあ つーか寛容さのないポリティカルコレクトネスって差別そのものよな
うーん・・・
>id:gkotoriイラついた時にイラつきかたの表現にまで気使わないといかんのか いちいち枕詞に「わたくし個人としてイラつきました」って書いときゃいいのかね 殴り合いの作法とかめんどくさいなあもう
>id:watapoco ??私もあのエントリ自体は怒りすぎ自分を基準にし過ぎで半分以上同意できないけど、言わなきゃ嫌な人がいるって伝わらないでしょ。何で他人に我慢を強いるのか。
>id:youco45 「女子に読んでほしい本」ならいいと思う。「SFに理解のある女子は100%モテ」「東野圭吾と村上春樹しか読んでない」は、ジェンダー以前に、客をあなどってる。
後者はあんま擁護できないんだけど、「SFに理解のある女子は100%モテる」ってそんなおかしいですかね?
>id:btoy 反ジェンダー故の書店員擁護なのかな。そういうスタンスって説得力に欠けるよ。
>id:xuggbo 「女性が生きにくい社会」だのほざいてるけど町中の広告にあんなに激怒してたらそら生きにくいわな。
うーん・・・
>id:rosechild 『言い出した奴が頭おかしくて怖いから』で相互理解が深まるのか。批判されているのはお前らこういうの読んでないだろという前提、選んでやるよという押し付けがましさであって単なるお勧めではない。
いやでも読んでないでしょ実際。俺はたぶん年に50冊くらいのペースで本読んでるけど、カズオイシグロもダンブラウンも池井戸潤も読んだことないよ。
>id:whichi 「右翼」「左翼」のように、とかく人は何らかのカテゴリーに区分したがる。その入れ方が雑であるほど、当人にとっては不服ないし不快なのは当然ではあるが、カテゴリジャンルによって問題の大きさは違うようだ。
ぬう
>id:nectarisネットは相互理解を弱める機能があるよなあ。嫌になったら逃げればいいっという世界なので。
逆じゃないかなー。ふだんから近しい人ばっかり集まってる分「味方」と「敵」の線引きが苛烈になっちゃう気がする
>id:kaoc_kaoc自分もツイートには反感を覚えたけど、謝罪してフェアも中止するって言ってるのに、延々批判して仲間うちでRTしあって…っていうのに毎度のことながらうんざりした。炎上ネタに安易に乗っからないで丁寧に考えたい。
>id:zazu0311文庫女子の女性像には当てはまらない女性が沢山いるんだという事を主張するのは自由だと思う。ただ、どっちも主語が大きくて、ダサピンクと思うかどうかみたいなのは女性云々ではなく個人の主観だろうとも思う。
ふむ
>id:smoothtooth 「東野圭吾や村上春樹しか知らない無知なおなごに、僕たちが教えてあげるのだ!」←いや、イラつくでしょ。なに女客見下してんのって。しかも紀伊國屋でだよ。単に「面白いからお勧め!」なら誰も怒りゃしねえよ。
オビに印刷されてる推薦文ってほとんど「面白い」「天才」(プラス推薦者の名前)みたいなことしか書いてないよね。まあ誰も怒りはしないだろうけど、あれはあれで寂しいとも思うわけです。
>id:Shabondama 店員さんの手書きPOPは好きよ~。的外れって感じるときもあるけど、本当に気に入って勧めるのがうれしくてたまらないようなのみると楽しいよ~^^
^^
>id:katin みんなひどいので女どももちっとは我慢しろよという滅茶苦茶な文章。ゲイルズバーグは普通に女子受けの良いSFなので普通に勧めれば誰も文句は言わなかったんじゃないかな
あれのどこがサイエンスやねん