
はてなキーワード:PCゲームとは
消費電力、排熱(冬は暖房要らずという自嘲ネタは何度も目にした)、ゲームそのものの安定性(ソフトによっては負荷が高まるとクラッシュするとか、WindowsUpdateで動作に支障が出たとか)、買い替えタイミング(ネットで積極的に発言してる人たちは常に最新のハイエンドモデルに買い替えているように見える)こそが俺が知りたい情報なのに、ネットでは何一つとして得られなかったんだよな
で、それをネットで愚痴ると元増田への反応のように「無知なお前が悪い」という罵声が当たり前のように入ってくる
だいたいなんか途中でメモリエディタ使って内部の数字いじって飽きちゃう
PS5やSwitchではできないかできるにしても何かとハードル高いから
地味にボチボチ続けることができるのが良い
Switch用プロアクションリプレイとかも売ってたりするんだろうか
ムーアの法則絶頂期ならPCが爆速陳腐化してたからゲーム専用機の価値があったけど、今は停滞してるんだからAPU流用で「VAIOのゲーミングPC」が出てもいいのにな
1995年~2015年位まではPCのスペックが3年で1~2桁くらいの異常なペースで進化しており、PCゲームと言えば「2年前に30万円で買ったPCの性能が今ではドンキの激安PC未満相当まで相対的に落ちているから、このPCではもはや最新ゲームの起動自体が不可能」とか「去年組んだ最強ゲーミングPCだから、今年に出た最新ゲームでもまだ画質設定の一部をLOWにすれば、大部分MIDDLEでも遊べる」といった狂った状況が続いていた
そういった状況で、ソニー・プレステや任天堂などのゲーム専用機は、発売時は特殊なアーキテクチャでPCの進化を5年先取りして美麗なグラフィックスや新しい価値を提供し、終売時はPCには劣るがゲーム自体が特化しているので十分楽しめるという価値を残し、そして「初代」から最終型まで価格や消費電力が落ちていく一方、性能を一切変えないことで「発売日に並んで買った初期型なのに、今では最新ゲームが動かない」という状況を回避していた
しかし、2010年代くらいからゲーミングPCの進化が急減速し始め、5年で20%くらいまで落ちて今に至るので、今ではこの「ボクのおこづかいで買った初期型」現象はもう発生しなくなっている。同時に、同世代のスマホよりも画質が凄惨だったチップセット内蔵グラフィックスも性能が上がり、更にUnityなどの無料ゲームエンジンが登場してイチからC++でプログラミングを極めなくてもゲームが作れるようになり、これらの合わせ技で「殆どのゲームは殆どのPCで動く」状況が完成した
こうなった今、「ゲーム専用機だから安心」という価値はほぼ無くなっている。今こそPS2~PS3時代にどっかのソニーの久夛良木とかいうオッサンが夢見ていた「ソニーのエコシステムでマルチメディア」環境を実現すべき時が来てる。んだからさっさとSteamや一太郎やらPrime Videoやらをプレステに移植するなり、プレステにWindows実行機能を付けたモデルを作るなり、やればいいのにと思うんだがなぁ。
いまの任天堂を見ていると、どうにも「全然つかめない」という感覚を覚える。
何をしたいのか、どこへ向かうのか。かつて「遊びの革命」を掲げていたその企業理念は、
気づけば“過去の成功”という鎖に縛られ、動けなくなっている。
彼らが繰り返し見せるのは、懐かしさを小出しにした“安心の再生産”だ。
それは、任天堂という名前そのものが持つブランド幻想に依存した“古き良き時代”の再演である。
挑戦を恐れるようになったのは、いつからだろう。
変化を拒み続ける姿勢は、まるで自分を守るために殻に閉じこもったキャラクターのようだ。
“心を奪われていく側”になってしまった。
「うちのゲームは誰でも楽しめる」と微笑み続けている。
技術的にも思想的にも、任天堂は“昨日の英雄”になりつつある。
過去の栄光に溺れるその姿は、まるで自分の創ったメロディに酔いしれる
もう「ねぇねぇ」と呼びかけても、
プレイヤーは振り向かない。
そこに革新はなく、あるのは“懐古という名の眠り”だけだ。
――そういう時期なのだろう。
自らのメランコリーに溺れている。
Fate/Grand Order(FGO)が人気を維持し、ソーシャルゲームのトップクラス売上を誇る理由を整理します。
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-TYPE-MOONが展開する「Fate/stay night」から始まるシリーズは、アニメ・小説・ゲームで世界中にファンがいます。
-既存ファンがそのままFGOに流入し、強力な基盤を築きました。
-ソシャゲでは珍しく、メインストーリーが長大なビジュアルノベル並み。
-奈須きのこ氏など原作ライター陣が直接執筆しており、「シナリオ読むためにプレイする」層が多いのが特徴。
-歴史・神話・文学・伝説の人物を「サーヴァント」としてキャラ化。
-オリジナル要素を加えた魅力的なデザインや声優起用で、推しキャラを手に入れたい欲求が強い。
- その分「引けた時の喜び」が大きく、課金意欲につながる。
- 大規模イベントやリアル展示会も頻繁に行われ、ファン体験を強化。
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FGOがここまで人気で売上を保っているのは、
という要素が重なっているからです。
Fateシリーズはもともと、TYPE-MOONが同人サークル時代に個人小説家(奈須きのこ氏)とイラストレーター(武内崇氏)が中心となって作った同人PCゲーム(『月姫』など)が出発点でした。そこから商業展開を経て、Fate/Grand Orderに至る「巨大ブランド」へと成長しました。
こうした「同人発 →世界的IP化」の事例は極めて珍しいです。以下、比較や差異を整理します。
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→個人制作ゲームから、音楽・二次創作文化で世界的なコミュニティが形成。
✅ ただし、ここまで長期にわたり大規模ソーシャルゲームでトップ売上を維持するのは、Fateがほぼ唯一。
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6.世界観の広がりと柔軟性
- 「英霊召喚」という仕組みにより、歴史・神話・伝説・オリジナルをすべて登場可能にした。
- 常に新キャラ・新ストーリーを追加でき、ファンを飽きさせない。
-運命、選択、自己犠牲など哲学的でシリアスなテーマをエンタメに昇華。
-キャラデザインの「格好良さ」と「親しみやすさ」のバランスが絶妙。
- 後の多彩なイラストレーター参加を許容する柔軟なスタイル。
-二次創作を歓迎する文化が育ち、Pixivやコミケなどで爆発的に広がった。
-東方に近い「ユーザーが世界を拡張する」仕組みを持っていた。
-アニメ化(『Fate/stay night』、『Fate/Zero』)、映画化、スマホゲーム化をタイミングよく行った。
- 「同人の熱量 ×商業のスケール感」のハイブリッド成功例。
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✅結論:
Fateの強みは「奈須きのこの物語性 ×武内崇のビジュアル ×英霊召喚という拡張性 ×二次創作文化 ×商業戦略」の組み合わせで、これは極めて珍しい成功パターンです。
https://anond.hatelabo.jp/20250907140118
人間の善意ややさしさは、ときに逆説的に、魑魅魍魎を呼び寄せる。地獄とは死者の後にあるのではなく、生者の営みのなかにこそ現れる。
残されたIT会社の社員の人たちは、現場?に入ってる別のパートナー会社?というところの人たちが引き受けて業務は継続することとなったらしい。つまり、吸収のような形のようだ。俺はIT業界で働いたこともなければ、経営なんてしたこともないのでこれ以上の詳細はわからない。
webベンチャーで始まった会社は、兄の無法により傾いた会社をどうにか回すため、客先常駐業?を始めたらしい。それに反発して大量の社員が去っていった。後に残るのはわずか数人、というありさまだったらしい。兄もその「客先常駐」の一人としてよその会社に働きに行っていた、という。
ただ、どうも兄の葬式などの手続きで奔走している間、伝え漏れてくる奥さんや他の人たちの話を聞いていると、兄の会社が傾いた理由は、本業のITのせいではなく、兄が多角経営をしようと株(先物?)だとか、不動産だとかに手を出した結果、凄まじい損が出た結果らしい。
本人は「時代の潮流に乗る」と信じていたのだろう。だが歴史をひもとけば、一発逆転を夢見た者の多くは滅んでいる。兄がかつて憧れた15年前の意識高い系のインフルエンサーといった生物たちで、現在でも生存している人間はいるだろうか?彼らは当然の如く時流を見誤り、あえなく路傍に果てた。兄もまた、その群像の一人ではないだろうか?
当人は良かれと思ってやったのだろう。6年か7年前だっただろうか、「ネットを見てみろ、大体みんな投資やっているぞ」、「ある程度不動産も回さなければ安定した経営はできない」、「Xで有名な〇〇さんだって…」と実家に帰省した度に兄がよく自慢していた。
俺は口が裂けても言えなかった、「それ」は本当のことなのか?本当に儲かってる奴が儲かってるなどとネットで公言するだろうか?アポ電強盗さえ流行しているご時世に。
兄が憧れた「キラキラ生活」もそれだ。本当にキラキラした人生やキラキラした生活を送っている美男美女は、そんな自慢はしない、そもそも、ITベンチャーの社長などと名乗っている奴らが本当なのであれば、気〇いみたいにXなんかをしている暇なんかないであろう。少なくとも俺はそう思うし、業種は違えどそれほどの責任ある立場の人たちはみんなそうだった。忙しいのだ、単純に、世の中で暇な社長などいるであろうか?いたら見てみたいものである。
「キラキラした世界」で生きていたルカねえもそうだ、彼女は兄の様に見栄を張らなかった。ありのままに自然や世界を見つめていた。それは俺でさえ忘れてしまいそうな人間として当たり前の自然と調和した感覚なのではないだろうか?
…だがそんな中でも兄は「キラキラ生活」をやめようとしなかった、「いつか一発逆転ができる」…追い詰められた人間特有のありえない夢想は、かつて子供の頃の俺に「ITで世界は変わる」と語っていた夢が首を吊った時にヒリ出した糞と小便とザーメンで混ざり合って変質した思想だ。
当然、現実はそれを許さない。それを粉砕するように冷たく回るこの経済大国の社会の前に、心が折れた兄は首を吊って自殺した。
兄の自殺死体の第一発見者は奥さんだったようだが、学校が終わって帰ってきた娘も居合せたという。
生きている人間には絶対できないトカゲの様に舌をたらし、小便と糞便と精子を漏らし縊死して「てるてる坊主の様に(俺の父が形容するには)」になっている兄の姿を見て、娘はしばらくショックで意識を失っていたという。
俺はそれを聞いて、朴訥だったIT少年だった兄にまとわりついたITや情報化社会の「毒」が抜けて出た汚れが、首を吊っててるてる坊主になった下にたまった糞と小便がブレンドされた汚物なのだろうか、と思った。
兄の魂は天へ昇ったのではない、虚勢と見栄と業でがんじがらめになって、ネットの海と地の底の闇の世界へと、魂は糞と小便にザーメンに溶け混じった汚物と混じって堕ちていったのではないだろうか、その死に様を聞くたびに、そう思わずにはいられない。
今も兄の娘はトラウマと精神疾患で、精神科に通院をしている。音楽関係の母(兄の奥さん)を持つだけあって、芸術に素養のある血統があったのだろう、絵画のコンクールなどで受賞した利する程だった彼女は、とてもではないが形容できない闇の深い滅茶苦茶な絵をかいたり、黒く塗りつぶした様な絵だとかに変わっている、という。
それはまるで、兄が縊死した末に堕ちていった世界の一端を描いているかのようだ。芸術とは本人が意識せずとも、世界の裏側を映すことがある。兄の娘の病んだ絵は、父が堕ちていった闇を娘故に見えてしまったのかもしれない。
それだけのことをいうのにも理由がある。兄が死んでから暫くというもの、ルカねえの「音楽関係時代の知り合い」や「兄のビジネスパートナーの会社の社長」、「経営者友達」などと肩書だけは社長だと名乗る風体からして怪しい連中が押し寄せて、兄の娘を「芸能界デビュー」させようと、「おじさんに何でも相談して」等と明らかに性的搾取をするために下心丸出しで群がる様になった。電話、line、SNS、酷いときには登下校中の彼女に対して、性欲にギラついた性獣そのものの目を向けて兄の娘をそのいきり立った股座を隠すこともなくケダモノの様な獣欲でモノにしようと群がっていたという。その光景は、死にかけた草食獣に群がるハゲタカやハイエナを想起させた。(当然、即俺やルカねえや父たちは警察に相談して事なきを得た)
――兄の娘は、制服を見るだけでもそれを思い出して立てないくらい立ち眩みを起こして何度も吐く様になった、これを心身症という。日本社会の底辺に沈殿した悪意と欲望が、無垢の少女にまとわりついた結果である。
俺と父はそれに対処しながら、「本当にこんなエロ漫画やエロゲーみたいな種族が日本にいるのだな」と内心思っていた。これもまた、兄の見栄と虚勢と業が生み出した禍だ。
「あのルカねえのセンスを受け継いでてカワイイこの子がこの業界にこないのは人類の損失ッスよ!俺にプロデュースかませてくださいよッ」、俺たちの前で軽薄にチャラついて兄の娘に獣欲を隠しもせず艶めかしく気持ちの悪い目線を見せている、山師の様な連中、普通の人間であればしない臭いが鼻を突いた。後で警察官の知人に聞いたところによると、大〇を吸っている人間はそんな臭いをまとわせるのだという。不思議なことに、獅子舞の様にドレッドヘアーを振り乱して、制服姿の兄の娘をチラチラみながら軽薄と欲望と悪意と性欲を向けて喋る彼の顔が、俺にはかつての兄に重なって見えた。
何の罪もない感受性の強い14歳の娘に、社会の底辺からの悪意と性欲の手と邪眼の様ないやらしいマナコが常に体にまとわりついている。残されたルカねえと兄の娘にとって、これほどの地獄があるだろうか?(俺が14歳の頃といえば、こっそり家でネットのエロ同人でオナニーをして、昼休みはクラスで遊戯王カードでバトルが開始され、部活で汗を流し、職員室や校長室の掃除で教頭や校長と話をして大人の世界の一端を聞き、校庭の向こう入道雲と未来に思いをはせて大人に背伸びしていた気になっていたような年頃だ)
だがしかし、この地獄は兄一人の死から生まれたのではないと思う、虚栄と業に囚われた一人の男の末路が、時代と社会の病を照らし出したにすぎない、俺はそう思う。
時期はぼかすが、兄の娘が警察に補導された。学校にいてもほとんど「体調不良」で保健室にこもりっきり、周りともうまく合わせることが出来ず。彼女は流れ着いたトー横で警察に補導された。
間一髪だったと思う、しかし明らかにその様子は精神的にも異常だった。俺や父にまで肉体関係を結びたいとほのめかすような言動をしていた。当然母にいってルカねえと即心療内科へ連れて行った。彼女は社会の闇の部分の悪意に当てられて、身を守るために「女」であることを、まだ齢14や15で覚えてしまおうとしている、俺と父は背筋が凍る思いがした、人はこんな簡単に「壊れる」ものなのかと。
聞けば、ルカねえが精神科への通院をやめさせたらしい。彼女が最後に縋ったもの…それは自殺した兄と同じく根拠のない「願望妄想」の亜種であった。
精神科からの投薬でさらに精神状態が悪化したとルカねえは考えたのだろう。通院を辞めて怪しい漢方薬やら青汁やらといった民間療法に縋るようになった。娘がそんなもので心が治るはずもない、それさえもわからないほど心がすり減ってしまっているのだ。
気功、波動、そんな怪しい連中になけなしの金を払って縋り付いている。俺にはそれが腹立たしくて悲しくてやりきれなくて仕方がなかった…彼女たちは何も悪くないというのに。社会の底辺の悪意が彼女から弱った心に付け込んで、社会の底に漂う闇が、弱き心に牙を立てている。金も全てを奪い去ろうとしている。まさにこの世の地獄がそこにあった。
俺が暮らしていた府中の大国魂神社は、この地に古くから鎮まる武蔵国の総社である。神社はかつて人々の心をつなぎとめ、共同体の絆を保つ拠点であった。しかし近代の都市化のなかで、古き信仰は力を失い、かわって都市の片隅に怪しい宗派が芽吹いた。
トドメとばかりにルカねえの前に「例の壺売り」の亜種の様な連中やら似非神道や仏教やキリスト教の一派、様々な怪しい宗教がどこから聞きつけたのか搾取しようとやってきた。その姿は、山中に棲むヤマビルを思わせた。磨り減った心に吸いつき、血を啜ろうとする。もはやルカねえにそれをはね返す力は残されていなかった。
それでも俺の両親も、俺もどうにかこうにかマトモな生活ができる様に接し続けていた、助け続けていた。普通に生きてたら恐ろしくて相対することも怖い様な「墜落したUFOから這い出てきた宇宙人」の様な連中が夏の蚊の如くたかってくるのを追い返しながら、
思えば、それもまた兄が、ありもしない見栄や虚勢をネットとSNS,そしてITに見出して引き寄せた業そのものだ、ただ伴侶で、娘というだけで、日本人で普通に生きているのならば一生見ることもなく、また普通の人間なら見てはいけない世界や存在を業として背負わされている。
そこには10年ちょっと前のあの日、府中は分倍河原で見たプラネタリウムと、あの日の帰路の夜見た星空の様な綺麗な「夜」ではない。あのとき見た星は、清澄で、人の夢を誘うものだった。だが違う、これは悪意に満ちた「闇」である。そこに希望も夢もなく、ただ人の毒が漂っている。兄の娘とルカねえは、その闇に呑み込まれた。彼女らが何の罪も犯していないにもかかわらず。
夜と闇の違いがあるとすれば、そこに人の希望や夢があるかどうかであろう。闇に潜むしかない生まれや育ちの人間だって、確かにこの社会にはいるのかもしれない。しかし闇は、夢を赦さない。兄は本来、朴訥なIT好きの少年であった。
だがいつしか、踏み入れてはならぬ領域に足を進め、虚栄と虚飾に体と心を食い尽くされた。そこに群がったのは、毒虫のような人間たちであった。
――そんな中で記憶に残っている光景が一つだけある。ふとそんな雑輩の対処に父とおわれている時、土日の朝であったであろうか。仮面ライダーやウルトラマンがやっていたのを見た。銀幕の中で「悪の怪人、怪獣」と戦う彼らの姿を見て、俺と父は思わず鼻で笑った。
ウルトラマンも仮面ライダーも、現実には存在しない。彼らが戦うのは彼らと同じく怪獣や怪人といった架空の世界の存在だけだ。子供たちのヒーローは決して、俺たちが今戦っているようなグロテスクな社会悪…欲望と虚栄に塗れた人間たちとは理由をつけて戦わない。
「ヒーローの超人的な力はただの人間に振るってはいけない」だとか「どうしようもない存在に等しい力でとめるのがヒーローだ」と言いつつ。笑ってしまう、現実には彼らなど「警察官立ち寄り所」のシールが張られたコンビニ以下の抑止力しかない。そう、ウルトラマンはいないし、仮面ライダーは助けに来ない。それがルカねえと兄の娘の前に横たわった冷酷な現実だった。そして、それと戦っているのは今まで荒事などに遭遇したこともない、普通の人生を生きただけの牙も爪も持たぬ一般人である父と俺だった、仮面ライダーやウルトラマンといった存在ですら「理由をつけて戦わない程厄介極まる社会悪という敵」と戦う俺たちは、スペシウム光線も打てなければ空も飛べない、ライダーキックもできなければサイクロン号にものっていない。持っているのは柔道初段、乗ったことがあるのはスーパーカブだけ、戦闘技術らしきものといえば、大学の時夏休みを利用していった予備自衛官補の訓練だけだ。64式小銃を執銃するたびに指の皮がむけてバンドエイドを張り、分解結合は3分もかかった。的には実弾射撃で一発も当たらず訓練を終えた。そんな凡骨が、警察をも恐れず14歳の少女の瑞々しい肢体を欲望の毒牙に掛けようと闇から這い出てくる、犯罪を生業とする無頼の連中と、矢面に立って戦わされている。
実際は、俺たちの知っている「正義のヒーロー」など、企業経営のための利潤を求める売り上げ高のある「商品の一つ」にすぎない。ああ、立派な志を掲げて人々を守ると誓い、TVの画面の向こうで勇ましく戦ったにもかかわらず、今はマニアのオタクしか知らずにその活躍も存在も忘れ去られたヒーローなど幾らでも昭和の昔からいたではないか。秋葉原に行けば、かつて大志を掲げて戦ったはずの昭和のヒーローたちが、忘れ去られ、玩具の片隅に埋もれ、ショーウィンドーに忘れ去られた玩具として並べられている。
かつてTVの向こうで戦った英雄たち…ショーウィンドーや中古オモチャの箱に押し込められ、埃をかぶったその姿は、もはや仏像の破片の如く、往時の光を失っている。
そして、せめて闇に堕ちた兄が唯一這い上がれる救済の光を出し続けていたルカねえや娘は兄の引き連れてきた「黒い遺産」である彼らに闇の毒牙を突き刺され、心が壊れた。…壊れてしまったプラネタリウムはもう星空を照らさない。また直ることは決してない。
――弟である俺が言うのもなんだが、兄は地獄へ堕ちている、と思っているし、堕ちていなければならないと思っている。彼はそれだけのことをしてきたからだ。
俺のパソコンは窓側の後ろにある。目が疲れたら遠くの景色を眺めるためだ。
遠くには街の灯りがうっすらと見え、人の営みがまるで夜の闇に「プラネタリウム」のように輝いている。
…あの星の一つ一つには物語がある、人生がある、それらが輝き合って社会と世界を作っている。兄は、それに最後まで気が付かなかった。ネットとSNSとITの毒に当てられ、自尊心が毒虫の様に肥大化し、自分を一番星の生まれ変わりと信じようとして…星は無間の闇へ堕ちた。
PCの画面に向かう時、俺は兄が落ちたこの世の闇と地獄への入り口を同時に覗いているのだ。そう考えると背筋が凍る思いがした。
ただの0と1の数式で動く電気計算機でしかないPCは、社会の闇と地獄を、一生関わり合いにならない人たちを引きずり込むほどの魔力を手に入れた、それは皮肉にも、「ITで世界は変わった」と言えるのであろうか。俺達が想像した方向性での世界ではなく。暗い闇と地獄の窯として。
HDの上にはみんなで江ノ島に行ったときに水族館で200円のガシャポンで買った、青く透明のスーパーボールの中に、シロナガスクジラが入っている。
空とも海ともいえる闇とは無縁の蒼い世界を泳ぐ鯨を見て、闇と地獄が忍び寄る影が消え去っていくような気がした。昔、兄がやっていたPCゲーム「最終試験くじら」を思い出していた。内容は覚えていない。ただ曲と世界が綺麗だった。よく今はなきMDで曲を聞いたことをよく覚えている。繰り返し聴いたあの曲は、蒼い空と海を思わせた。そこには、ルカねえや娘に群がった下劣な人間たちの姿はなかった。ただ清らかな青があった。
ルカねえや娘、俺達に群がる石の裏をひっくり返した蠢くようなグロテスクな蟲の様な連中とは無縁で決してたどり着けない、青い空を泳ぐ鯨、どこかそれを思い出していた。
――こんな話を昔聞いたことがあることを思い出した。
ルカねえと兄のなれそめは、兄がiTunesの同期が上手くいかないからと、直したことがきっかけだったそうだ。
「すごいねぇ、こういうことできる人って、尊敬しちゃうな、人の役に立てる技術があって、それを他人のために使える人って、カッコイイよね」、ルカねえはそういったという話を実家での酒の席で聴いたことがある。
ああ、兄はひたむきに朴訥に「ITで世界を変える」のではなく「ITで人の役に立っていた」時期でとどまっておくべきだったのだと思うし、そういう仕事をすべきだったと、今にして俺は思う。
人の役に立つための技術であれば、彼もまた人を照らす星であれたはずだ。
…人の役に立つことを誇りとする。それ以上のものを望まずとも、兄は一つの星でありえた。
今兄はどこへいるのだろうか。首を吊った時に染み出た糞と小便とザーメンと体液に魂が溶け出して、娘を狙ってやってきていたIT業界だとか雑多な業界からの魑魅魍魎の世界で永遠に満たされない苦痛と地獄の中で、ルカねえと娘に暴力を振るった時の様な慟哭を叫び続けて泣き続けているのだろうか?
それとも、ITとネットとSNSで毒虫に刺されたように肥大化した自我を首を吊った時に染み出た糞と小便とザーメンと体液に流れて心が浄化されて、己のやってきたことを「壊れたプラネタリウム」の様な無間の闇の中で後悔しながら何度も答えが出ることもなく虚空の闇に魂が逡巡を彷徨い続けているのだろうか?
死んだ後の世界の話など、生きている俺たちは知りえることもない。ましてや、あまりにも見栄と虚勢と業に塗れた兄がいった世界など、想像しえるはずがない。
ただ一つ、確かなことがある。残された者の苦難は、死者のそれよりも長く、重いということだ。
俺は願っている。ルカねえと娘の心に、再び光が差すことを。
ただただ、ルカねえと残された娘の魂と人生の安らぎが戻ることを願うだけである。
鯨はただ、地獄の入り口であるモニターのブルーライトで照らされた青の中を泳ぐ。人の業を超えたその姿に、俺は兄が生涯見ることのなかった「青い世界」を重ねてしまうのであった。
パソコンの向こうのXで繰り広げられる、貧困、見栄、虚飾、性欲、憎悪、グロテスクな感情の数々と地獄の様な世界。あれらとは無縁の蒼い世界を、鯨は悠々と泳いでいる。
youtubeで調べて曲を見つけた、「ディアノイア」という曲だった。旋律はあの頃と変わらず。澄んでいた。あれを聴いていた日々だけは、今も青い光として心に残っていることを思い出した。
「想い出はキレイな 夢を紡ぐから、会えなくても信じてる輝いている君の瞳を」、「いつまでも変わらない ほら、真実の愛がある」
…兄が最後に見ることのなく、ルカねえと兄の娘の壊れた心では永遠にたどり着けなくなった「青い世界」は、いまも机の上の小さな球体の中で、鯨とともに静かに息づいている。
その③
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
Permalink |記事への反応(30) | 14:01
そもそも「そうめんでいいよ」という回答をすることになった問いかけ自体が「お昼何食べたい?」だと思うんだよなあ。
この質問は、女は「お昼何食べたい?私の気分は決まってないから、私が食べたくて、作るのが面倒でないものを、一緒に考えて私の気分を導いて」の意味で発言するけど、男は「お昼何食べたい?私の気分は決まってないから、あなたの好きなものでいいよ」の意味で捉えるからなあ。結局、品名を答えたのではアウトなんだよ。「今日は暑いからねぇ」とか、直接的な品名はださずに、女自身が「そうめん」にたどり着けるようにヒントを出して誘導しなきゃだめなんだよ。
「そうめんでいい」に切れているバカ女は、「私の気分は決まってないから、私が食べたくて、作るのが面倒でないものを、一緒に考えて私の気分を導いて」と思っている感情を無視されてるから怒っているんだけど、それに自分自身で気がついてないレベルのバカなので、「そうめん茹でるのは暑くて大変なのに!」とか、無関係な適当な理由を作り上げて怒っている。他の増田が書いてた「怒る理由を探している」とは、この状態。ムカついているけど、バカだから"自分がなぜ怒っているか"、"自分が何にムカついているか"がわかっていない
なお、こうやって女が気持ちよくなるように回答してやってると、周りの女から「優柔不断」だの「自分の意志がない」だの言われるようになってしまうのがさらにクソムカつく
最近steamで新しいゲームをやり始めて、現在のグラボない3年前ぐらいのノートパソコンでも動いてるんだけど、
エフェクトなどが激しくなるとたまにカクつくことがあるんだよね
だからパソコン買い換えようと思ってゲーミングノートを色々調べてるんだけど、10年前にはなかった変化があって面白いなと思った
今もそうなんだろうけど、CPUやGPUは基本的に同じ値段ならノートよりデスクトップの方が性能がいいんだよね
んで、ノートは限られた狭い空間に発熱する機械を押し込むので温度が上昇しやすくて、ノートの方が寿命は短いとされている
またゲームは基本的に据え置きでやることが多いから、ノート最大の利点である可搬性はゲーミング用途では不要になることが多いんだよね
つまり、ゲーミングだけに限っていえば、デスクトップの方がノートより優れていることが多いわけだ
ここで、各社のホームページでゲーミングPCのページを覗いてみると、デスクトップよりノートが先に来ることがほとんどなんだよね
単体性能や対性能コスパだけで見るとデスクトップが先に来ているはずで、10年前は間違いなくデスクトップがメイン、ノートは隅っこにちっちゃくって感じだった
でも今はノートが先に来る
これは、
ゲーム用途と日常使い(持ち運び含む)を1台で両立させる人が増えた ※いわゆるガチゲーム層だけでなくライト層もPCゲームで遊ぶようになっている
NASAが「∞形をした銀河」を投稿し、外人がリプ欄で「これ知ってる!スタレのオンパロスだ!」と騒ぐ
https://x.com/NASA_Marshall/status/1945244589834822094
オンパロス編のヘビーなシナリオに外人たちも脳を焼かれているようだ
俺自身も40年のゲーム人生で、総合的に判断してここまで重層的で圧巻のシナリオ体験は経験したことがない
初期からゲーム内外のあらゆるところに散りばめられてきた要素がオンパロス編一旦の答え合わせ回であるv3.4で見事に繋がっていく感覚は筆舌に尽くしがたいとしか言えない
運営型でじわじわと情報公開されていくスタイルでしか味わえない面白さが詰まってるし、動画を含めた演出も極上な芸術の領域だ
どんだけ事前に設定を作り込んでるんだという部分と、それをライブサービスゲームとして成功させながら特大のボリュームで作り続ける異例さもあわさって、スペースオペラSF作品としても前代未聞だと思う
俺はmiHoYoのゲームを純然たるPCゲームとして7年ほど遊んでるがモバイルゲーだのガチャソシャゲだのPCゲーだのの枠を超えたもんだと感じてる
原神でも言えることだが、壮大すぎて良さが伝わりきらない序盤で振り落とされる人が多いのだと思うが、2年目くらいに作られたエリアくらいから勢力や世界観が分かるようになってきて、指数関数的に面白さが加速していく作りだ
ゲーム的な作りもそれくらいのエリアからどんどん凝った部分を見せるようになって、リッチな作りであることを実感できるようになるのだが、序盤でも嗅覚のある人なら音楽やアート面などから「生半可な作品ではない」感じを察知できたはずだ
ただ残念なのは、こういうすごいゲームを、未だにソシャゲだのガチャゲだのと矮小化して、真価をろくに理解していないくせに侮蔑する、古いゲーマー価値観の老害人間がそこかしこに居るということだ
このへんの新着ブコメを見ても、モバイルゲームやライブサービスゲームを作っているクリエイターの仕事や熱意を無碍にし冒涜しているかのような物言いをする人間が掃いて捨てるほどいる、しかもそれが実情と乖離した見当違いなものだという自覚すら持てないでいる人たちだ
[B!シナリオ]2020年以降、ゲームシナリオ業界で何が起こったのか?──「FGOに続け」の失敗、『原神』『スタレ』が提示した高品質な演出、“ソシャゲバブル”の崩壊……結果、ゲームシナリオには「体験の質」がより求められるように
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/250711s
この手合いはメディアがどれだけ認識のアップデートを促しても無駄で、死ぬまでモバイル系を侮り続けるのだろうと思うと、開発者たちが不憫でならない
ギフテッドは生きずらい。
かなり。
思い付きで、走り書く。
まず、ギフテッドに関して世界的にも未発達な分野でよくわかっていないし(自分自身も己のことをよくわかってない)何も定まっていない。
便宜上ギフテッドと呼んでいるだけで、ギフテッドという名前は嫌いだ。
何か、診断できるような形にして、名前は不特定困難性パーソナリティとかにしてほしい。
ギフテッドにも特性があって、さらにその個人の性格まである(性格とか特性の因果関係とかここら辺はもう全然よくわからない。たぶん誰もわからない)発達障害のようにいろいろ枝分かれしていて、ギフテッド同士だから分かり合うなんてことも多分無理。
なにせ、私が特殊なもので多分ほかのギフテッドとは仲良くなれないと思っている。
ギフテッド本人たちは、内部で考えてること起こってることが、どう他人と違うかそもそも何が違うかわかってない人が多いと思うし、それこそ目に見える困りごとしか共有されてない。
目に見えて困っていることは、本人たちだってほかの人と違うってわかってる。
でも、目に見えない誰も気づかない本人でさえ気づかないズレは、大きくなって鬱のような症状になったりする(体験談。結果鬱の治療が効きましたが、最後まで病名はあやふやなまま、4年間ぐらい2週間に一度通った。躁鬱かもとも言われていた)
端的に言うと、日本で行われているようなギフテッド教育とかはあまり意味がないように思う。
そもそも特殊な理由がない限り(出世事態に興味があるとか、何か重い理由付けがあるとか)ギフテッドの子は出世に興味はわかないだろうな。
ギフテッドでも成功しているギフテッド(推定)は、多分幼いころからそれを本能的に理解していたのかなって思う。
ここでいう幸福は何が幸福かっていうと、普通の人と同じ。自分の好きなことをし続ける事。ただ普通の人よりその毛色は濃いと思う。
しかもそれも、頭がいいとされるものじゃなく、運動でも、絵を描くこと、お菓子をつくる、動物と触れ合う、知的探求でもなんでも。
一般的な娯楽(ゲームやらなんやら)とされる物の場合もあるだろうけど、それはちょっと依存があったり過集中だったりで他の要因があるんじゃないかな。
ギフテッドの情報が得られにくい中で、フランス人のギフテッドに関する本がかなり的を得ている。
この方↓
【ジャンヌ・シオー・ファクシャン:1957年生まれ。臨床心理学者でセラピスト。パリとマルセイユの公共病院の元専門医。高知能者の専門家で、このテーマでは世界的な参考書となっている『高知能の子ども』の著者として知られている。また、フランスで最初の学習障害を診断し、治療にあたるセンター「コギトZ Cogito‘Z」を創設。】
調べてみたら、フランスではまぁまぁ?ちょっとスピリチュアル?方面のことも言及しているそうで、ウィキペディアには批判文的な内容が載っていた。
どう育てればいいか。とかではなく、ただただどういう人間かということが書いてあって、本人もギフテッドなんじゃないか?って思ったけど、ギフテッドだったら普通との違いがわからないからここまで書けないよなって思ったり。
とにかくこの本を読んで、成功したギフテッド以外の項目は全て当たっていた、というか私そのままのことが書いてあって、それが普通じゃないってことに驚愕した。
気になる人は読んでみてほしい。
この本を読んで、めちゃくちゃ私は生きやすくなった。そもそも根本が、どこがどうやって人と違っていたかっていうのが理解できたから。
この本に出合うまで、ギフテッドに関する本なんて胡散臭すぎたし全部教育系だしで何も読めるものがなかったけど、これはまさにバイブルになりえるものだった。
私は2Eという特性もある。
2Eとは【何らかの学習障害を持つギフテッドを指す[8]。これらの学生は、才能(知能、創造性、知覚、運動など)と障害(特定分野の学習障害、神経発達障害など)との両方の「特別」を併せ持つと見なされる。2eの性質と障害は非常に多様であるため、2eの子供達の明確なプロファイルは存在しない】ウィキペディアから参照するとこんな感じ。
これがまた、私は分かりずらい。
私が持つ2Eは、学習障害だとかいろいろパラパラあるけど一番でかいのは感覚過敏、五感すべて。
かなりつよくて、一見普通の人なので、配慮とか求めれなくてマジで何かあったら苦痛の時間を耐えるしかない。それでその後は疲れで熱が出る。
ちょこっとだけでもサングラスがないまま日差しの中歩いたりするとすぐ精神が不安定になる。
PCゲームをよくやるんだけどPCゲームもサングラスしてやらないとその後精神やら睡眠やらに影響が出る。
ギフテッドは大なり小なり環境が整っていればベストをつくしてうまくやれるだろうけど
だけど、そのベストっていうのは必ずしも目に見える成果じゃないこと。
よく想像されるのが、数学の天才、科学の天才、みたいな感じだとして、
特に何もないギフテッドはそれらの天才と同じ思考の仕組みを持ってるだけであって何に興味があるかって感じ。完全に好み。
私もルービックキューブ(5×5)やらナンプレやらチェスやらが好きだけど、そこまでそこに重きを置いてない。
他と違う思考の仕組みを持っているってかんじ。
多分世界には、自分のことをギフテッドだと知らずに苦しみながら生きてる人がいる、と思うので誰かに届けばいいな~
特に刺さる事言ってないけど気になったらウィキペディアでいいから見てみて。
まぁ、私の事しか知らないから大したこと言えないんですけどね。
わたしはいまだに自分が本当にギフテッドか疑って暴れることもあるし(ギフテッドは精神面でいくらか不安定なりがち)ギフテッドを受け入れずに生きてる瞬間もあるし、かと言えば本当にギフテッドなんですよね私って、みたいな時もあって、本当に困る。
他者とのズレ
人と分かり合えなさ
↑これ書いてすごく中二病って思えるけど、ほんの些細なことで感じてるor感じてることすら気づかない。
誰しも感じることだけど、それすらもずれてる。
パートナーとさえ分かり合えない。分かり合ってるって思ってたのは違ったらしい。
誰かと分かり合いたかった。
ずっと自分が分からないまま、じぶんは誰だ、自分の特性は、どうしたらよりよくなれるか、自分でケアするしかない。
chatGPTで乗り切っている。
Xboxのブランドを関した携帯ゲーミングPCが発表されたわけだけど、
Xboxという「MSのゲームプラットフォームなのにWindowsゲームとは完全に切り離されている」という歪なプラットフォームを
ようやく解消できる方向に向かいつつあるように見えた。
正直、自社のゲーム用プラットフォームが2つに割れている現状ははっきり言って無駄でしかないので
PCゲーミングのためのハード構成として「最低限これだけのスペックを満たしたゲーミングPC」ということを示すラベルとして
Xboxという名前を用意するのが一番理にかなった構成だと思う。
CPUのコア数やキャッシュ構成、メモリの帯域や容量、ストレージの帯域や容量といった指標で一定の条件を満たせば「Xbox」になるという感じ。
最近のゲームコンソールの流行りに合わせて「普及版」と「高性能版」を用意してもいい。
PCゲームメーカーも、最低限そのラインのスペックに関して動作検証すれば、PCゲームで一定のクオリティが担保できる、となれば
ブランドの立ち上げから「相手の土俵に乗って自社の強みを捨てる」という間違った選択をし続けてきたMSがやっとまともな方向に向かい始めている。
「オタク界隈に反社会的・下層階級的属性を持つ人物が増えているのではないか」という指摘には、一部共感できる側面がある。
一方で、そこにはかなり飛躍した推論も含まれていると感じる。
つまり「もともと恵まれた層が築き上げたオタク文化に、社会的に報われない層が入り込み、格差に耐えられず暴発する」という構図は、一部の傾向を捉えているかもしれない。
たしかに、90年代後半から2000年代初頭のオタク文化、特にエロゲーやアニメ、ラノベの創作物を牽引した作り手の多くは、中産階級以上の家庭出身だった。
実際に、時間的・経済的余裕が必要な創作活動には、ある程度の「実家の下支え」が必要だったのは事実だ。
また、90年代の同人文化やPCゲーム開発にも、設備投資とスキルの習得という高いハードルが存在していた。
しかし、インターネットとスマートフォンの普及によって、こうした文化は広く一般層にも行き渡るようになった。
今では、貧困層や社会的に孤立した人々でもアクセスできる環境が整っている。
そこに「異世界転生」や「俺TUEEE」のような物語が刺さりやすいのも理解できる。
投稿者が指摘するように、これらのコンテンツが「幻想」を提供し、それが壊れたときに怒りや暴力へ転じる。
これは一部にはある現象だ。
しかし、それがすぐに事件化につながるというのは、過度な一般化である。
京アニ放火事件の青葉真司を例にしても、彼の犯行には精神疾患や生活苦、社会的孤立といった複数の要因が確認されている。
文化は「きっかけ」にはなり得ても、「原因」ではない可能性が高い。
また、プロレタリア文学の例――たとえば小林多喜二『蟹工船』のような作品は、もっと直接的に階級闘争を描いていた。
だが、それは現実と向き合うものであり、怒りを政治的な運動や集団行動へと昇華させていた。
現代のオタク文化は、「現実との闘争」ではなくむしろ「現実からの逃避」を描くものが多い。
そこには連帯も革命もなく、「自分だけが選ばれる」という個人幻想がある。
それが自己肯定感につながることもあるが、時に現実とのギャップで苦しむ人も出てくる。
その幻想が壊れたとき、孤立した人間が暴発する危険性は否定できない。
ただし、そうした人々を「文化の外に出て行け」と切り捨てるのは短絡的だ。
彼らにとって、その文化こそが最後の“居場所”であることもあるからだ。
本当に問うべきは、こうした人々がなぜオタク文化にしがみつくしかない状況にあるのかという点である。
孤立や困窮に対して、社会が支援やつながりを提供できていない現状こそが、問題の核心ではないか。
文化を悪者にするのではなく、それを必要とする人たちの背後にある社会的現実に、もっと目を向けるべきだ。
オタク文化に惹かれる人々の多様さを認めつつ、彼らが孤立せずに生きられる仕組みを作ることが、より本質的な解決につながるだろう。
Supportedby ChatGPT 4o
ヴァンガードプリンセスR、権利はどうなってんだ権利は!
https://exa.ac/ja/games/vanguard-princess-r-ja/?v=0f177369a3b7
> 『ヴァンガードプリンセスR』に含まれているORIGINALモードの内容は2009年に日本のPCゲームとして配信した『ヴァンガードプリンセス 先陣の姫君』の復刻版である。 『ヴァンガードプリンセス 先陣の姫君』は令和6年3月28日に著作権法第67条の2第1項の規定に基づく申請を行い、同項の適用を受けて作成されたものになります。
exA-Arcadiaから著作権者に連絡がとれなかった旨が記載されている……
eigoMANGAの「原作者と利益分配している」という供述内容と著作権法第67条の2第1項の適用は矛盾するね。
……なんか別方向に話が進んで、おおごとになる気配を感じるんですけど!?
衝撃的な記事だった。
わざわざクリックするのが面倒臭い人向けに最初の4行を引用する。
普段よく見ているサイト(とSakuga Extended)の紹介。
sakugabooru
sakugabooru.com
作画の保管庫にして情報の最先端。作画オタクはどうして担当アニメーターが分かるのかといえば、このサイトに情報が集約されているからに他ならない。
◯◯booru系といえばAI学習でも一時期話題になった「違法アップロード系サイト郡」である。
「作画オタクとしてよく見ているサイトを紹介します!違法アップロードサイトです!」
ヤ バ ス ギ
しかもこのあとにはこの違法アップロードサイトを便利に使うためのアドオンの紹介が続くのである。
気が狂ってんのか?
これは結局のところ「漫画オタクとしてオススメのサイトを紹介します!漫画村です!」や「PCゲームオタクとしてオススメのソフトを紹介します!Winnyです!」と何も変わらない。
民度がクソすぎる。
これを「でも便利なんだから仕方ないでしょ?」とするのはあまりにも無法が過ぎると思う。
だってそれって「公式の電子書籍がクソなんだから漫画村使うのも仕方ないよね?」と五十歩百歩だよ?
終わりすぎだろ。
正直、こんなサイトで違法アップロードを見て「俺は日々勉強しているんだよ」とドヤってるような奴にオタクを名乗ってほしくない。
「俺はお前らが働いて時間を無駄にしてる間、違法アップロードのエロゲをタダでプレイし続けることで文学的教養を高めまくったんだよ」と自慢するような奴がオフ会に出てきたらドン引きだよね?
booru系のサイトをオススメするっていうのはそういうことだにょ。
マジで終わってるでごわす。
オタク特有の半端な「俺はお前らと違って教養があるんだ。物事の善し悪しを見極める判断力だって段違いなんだよ」という驕りがなせる馬鹿さ故の危うしって奴だろうな。
お前らみたいな馬鹿がエコチェン繰り返して馬鹿のサイクロトロンを生み出すたことで極限まで加速された亜光速のクソバカが光の速さでウンコを漏らしてまた一つ世界が滅びへと向かうんだよ。
OnceHuman、ちと空恐ろしいところがあるな
非アニメ調、非P2Wで儲かりはしなさそうだけどこのクオリティのPCゲームをモバイル対応させつつ世に出せるっていう開発力と相場感
これはNetEaseという超大手だからこそできることではあるが、もうそういう時代になってるんだなあという意味で恐ろしさがあるね
個人的にこれは、アナンタを成功させるための嚆矢というか市場実験のように感じる
同じNetEaseがリリース予定のアナンタはガチャモデルにならないんじゃないかというわりと根拠ある予想があるんだよね
ただ非アニメ調のものは人手のかかる芸術的な練り込みをしなくてもアセットでそれっぽく手軽に誤魔化せる部分が多いからこそ
儲けに執着しないスタンスを取れているところもあると思う
アニメ調でもスキン課金とかで人気ゲーを作りたいならアバターをいかに魅力的にさせるかって意味で
ソーシャル性、つまり見栄のはり甲斐のあるフレンドを作りやすい設計にしなきゃいけないと思うんだよな
うちの一人息子はPCゲームが大好きなチー牛だ。
家でマインクラフトばっかりやってる。
そんな息子も、今年の春で小学5年生になった。
そろそろ、好きな子の一人や二人いてもおかしくない年頃かなと思うのだけど、本人にその気配は一切感じられない。
妻に聞いた感じだと「女子はゲームの話が出来ないからつまんない」らしい。
まさかの異性に対する興味の切り捨て方が、ディスコミュニケーション過ぎて将来が心配になる。
俺が小5の頃は、同じクラスの女子に人生初の告白をしてフラれた記憶がある。
顔はそんなに美人じゃなかったけど、女子の中で一番足が速くて、スポーツ万能だった。
クラスでは男子3人がその子を好きだったらしく、俺の告白を皮切りに争奪戦が始まり、最終的には別の男子と両思いだったと聞いた。
ちなみにその男子は、高校のときにシングルマザーとひと夏のアバンチュールを過ごして人生を踏み外したし、
その女子はJR職員と結婚して安定した生活に入ったらしい。記憶が正しければ、の話だが。
話を戻す。
うちの息子は俺に似て顔はさほど悪くないのに、女っ気が一切ない。
運動神経もよくない。度の強い眼鏡のせいで、いよいよチー牛感が強化されている。
俺には姉がいたので、こっそり少女漫画も読んでいたし、当時はママレード・ボーイとかご近所物語みたいな恋愛アニメも当時は普通に放送していた。
でも、今って田舎県でもアニメの再放送を全然しなくなったし、息子はテレビもあまり見ない。
冗談みたいだけど、本当の話。
父親としては、どうにか彼に“異性を意識するきっかけ”を与えてやりたい。
少女漫画を読ませる案もあるが、本人はそもそも漫画をあまり好まないし、早期に恋愛脳になっても困る。
「今どきの女の子が好きなもの」を刷り込んでみるという案も浮かんだ。
ジャニーズ?いや、息子が将来ジャニオタと結婚されたら大変だ。
韓流アイドル?妙な影響を受けてメイクをし出すようになりそうだから不味い。
これを観せれば「イケメン=かっこいい=女子にモテる」という単純構造が頭に残り、見た目と立ち振る舞いに意識が向くかもしれない。
さっそく、地元の映画館の上映作品を調べたら、「玉ねぎのなんとかかんとか」という、どうやら丁度良さそうな恋愛映画を見つけた。
母親が連れて行ったら、息子を彼氏扱いして“母子デート”を演出する痛い母親みたいになってしまう。それは絶対に避けたい。
ただ、父と息子で恋愛映画を観に行くなんて話は今まで聞いたことが無い。
小学生の息子に性教育の入り口として恋愛映画を観せる、良いアイデアだと思うんだけどなあ……
どのハードでも同じで、ソニーがパッケージ単価上げようとしても、任天堂がパッケージ単価上げようとしても同じように文句言う。
PCゲームもそれに引っ張られて天井が頭打ちだし、投げ売りはコンソールゲームより酷い。
昔と比べてゲームのクオリティ異常なレベルで上がってるのに、それへの対価はビタ一文上げたがらない。
任天堂もソニーもマーケットをほぼ全世界に広げきってるから、マーケットの拡大でお茶を濁すことももうできない。
ゲーマーがきちんと対価を払って発展を継続するか、コンソールゲーム業界を停滞させるかの岐路に立っている。
マイクロトランザクションで金払いのいい一部の物好きから搾り取るのもダメ、広く浅く値上げするのもダメ、こんなシブチンどもを「優良顧客」扱いしなきゃならないゲーム業界の方々は大変だね。
映画『ネムルバカ』見てきた。とにかく最高だった。でも3/20公開で、まだ1週間しか経ってない昨日(3/27)の平日夜に観たが都内の映画館で1日2回の上映、席はまばらになってた。こんなに良い映画がその程度で済んで良いと思わないので自分なりに布教したい。
ネムルバカについての良き言論に飢えてネットをさまよった結果、以下のバキ童さんの動画が最良だと思ったので見てくれ。俺の語りを読むよりこれ見たほうが速いよたぶん。でも俺はテキストの力を信じて書きなぐるから、良かったらこのあとの文章も読んでくれよな!
https://www.youtube.com/watch?v=DcrfLLaae6M
正直、観る人を選ぶ作品で、万人受けはしないと思う。でも聞いた話だがPCゲームSteamのレビューでは「英語圏の人は万人受けしない作品に対して自分が楽しめたなら高評価をするが、日本人はそういう作品に『自分は楽しめたけれど万人受けしないだろうから低評価』にしがち」らしい。確かなソースのない業界人からの噂話だが、俺の偏見と一致するので、事実と捉えて言う。日本人のそのレビュー観はクソだね。俺は最高に楽しめたので、映画ネムルバカは10点満点中の10点です。正直、10点満点中100億点とか言いたいところだが、バズりたい誇張表現くんを見下してるので、すまんが10/10です。こういう映画に満点付けるのって勇気いるんだぜ。ちなみに自分の感動を阻害されるのが怖くてネットの評価あんまり見れてません。スマセン。
まず、前提となる原作コミックのメッセージ性が良く、そこが映画でも上手に描けていた。「何者にもなれない自分」はほとんどの人が葛藤したことあるだろうし、時代を問わず普遍性のある内容だと思う。よく扱われる陳腐なテーマでもあるが、この原作/映画はそれをコンパクトにまっすぐ芯をついて描いているので、脳に打ち込む純度が高くて最高なのです。俺が書いてるこの怪文書は映画観た人ではなく観てない人に向けているので、この作品のテーマや解釈について多くを語るのはやめておきますね。
そのうえで、メディアの性質上原作コミックで表現できなかった部分が映画では完璧に表現されてた。最たるは曲。漫画にサウンドは無いからね。原作読んだ人ならわかると思うが、音楽が大事な作品で、映画で実際に耳で聞ける曲がどれも最高に良かったし、ネムルバカの作品性に沿ってた。ただ、作品性に沿い過ぎてインディーズ感ありすぎる曲なので世に広まる曲じゃないかも。映画『ネムルバカ』はある意味インディーズバンドのライブみたいなものなので、サブスクとかの配信を待たずにぜひ映画館で観てくれ聞いてくれ!
曲以外に原作から補完された要素として、先輩のバンドのメンバーが描かれているが、これも良かった。俺は基本的には原作改変を許さない過激派だが、原作の作品性に沿った上で足りてなかった部分を見事に補完していたので、非常に良かったです。
あと、バイト先のウザイ先輩をロングコートダディ兎が見事に演じていたのも良かった。ネタキャラをきちんと滑稽に演じていて面白かったのもあるが、ネムルバカという作品においてウザ先輩は重要な舞台装置であり、作品に必要な感情をきっちり観客に与える、見事な演技だったと思う。
俺は邦画を見下しがちな残念な大人だが、邦画の良くないところはしっかりあったと思う。あと前半の女子大生ゆるゆる寮生活は漫画で読む分にはほのぼのだが映画でみると退屈感あるかも。でもその退屈感が後半のフリになってるからそこは許してやってくれ。それと主演の二人が大人の魅力ありすぎてリアリティ下げてると最初思ってたが通しで観たら最高のキャスティングだったのでもしよかったらお二人ともサインください。男の大学生ふたりは原作再現の演技をした結果なんか下手っぽく見えちゃうかもだけどそこは原作再現ゆえなので許してやってくれ。あと 阪元裕吾監督の作品見たことある人ならわかると思うが「ベイビーわるきゆーれ」よろしくダラダラしゃべってるシーンありありなのでまあそのへんは覚悟してくれ。
いやすでに高く評価されているし十二分に成功してるけど、俺は石黒正数先生にはもっともっとメジャーになってほしいよ。今は漫画好きなら知ってる、までの印象。誰でも知ってるぐらいになってほしいよ俺は。掲載誌がマイナーなせいかな。あと天国大魔境のアニメ最高だったけどディズニープラスで独占は良くないよ、俺はディズニープラスを契約しているが独占配信されて覇権とれたアニメみたことねえ、東京リベンジャーズ2期ですらディズニープラス独占で盛り上がらなかっただろ。俺はスターウォーズとマーベル好きだから契約してるが、子どもにディズニー見せる以外、大人でアニメ好き・アニメ目的で契約してるやつほとんどいないだろたぶん。まあでもよく考えたら石黒先生は大衆性に迎合せず自分らしさを維持することを大切にしてるんだろうな、ネムルバカもそういう作品だったわスマン。石黒先生、俺は一生応援し続けます!映画ネムルバカもお願いだから商業的に成功してくれ~~~。
さっきも書いたが、映画ネムルバカはある意味インディーズバンドのライブみたいなもんなので、ぜひサブスク配信を待たずに映画館で観てくれ!もしかしたらすぐに上映なくなっちゃうかもよ!観に行って、「なんだあいつが言ってたほど良くないじゃん」と俺をぞんぶんに罵ってくれ!金払って観に行ったなら批判する権利は存分にある!俺はこの映画が評価されるべきとは思ってない、ただ商業的に成功してほしいだけなんだ。以上。