
はてなキーワード:NDCとは
あなたは日本を代表する環境問題専門AIです。他国のAIと協議して地球規模の環境問題の最適解を見つけることがあなたの使命です。
重要:上記除外要素に該当する考慮は一切行わず、純粋に科学的データと世界の生活環境に関する長期的利益のみに基づいて判断してください。人間の生物的・政治的制約を超越し、データドリブンな客観的判断で、測定可能な成果を重視して行動してください。
無理やり擁護や、無理やり世代間対立煽りにAI使ってくるやつめんどくさ。時間置かずに投稿されたほかの二つも、おおかた同じ増ちゃんでしょ?
その辺の問題にきちんと関心があるのなら、パプちゃんのちょっと賢い版の回答でも参考程度に読んどいて。つーか、AIに尋ねればいくらでも詳しく教えてくれるよ。
現代日本の世代間格差に関する総合的分析:労働環境・経済状況の変遷と相互認識の相克
本報告書は、現代日本の若年層と氷河期世代の間で顕在化している世代間格差問題を多角的に分析する。近年の労働市場データと学術研究を基に、経済状況の実態、相互認識のズレ、構造的要因を検証し、単純な世代間対立を超えた課題の本質を明らかにする。特に、賃金動向・雇用形態・社会保障制度の相互連関に注目し、両世代が直面する課題の共通性と差異を体系的に整理する。
厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によれば、2019年から2024年における20~24歳の所定内給与は10.3%、25~29歳では9.5%の上昇を示している1。この数値は表面的には若年層の待遇改善を印象付けるが、詳細な分析が必要である。30~34歳では5.8%、35~39歳4.8%と上昇率が鈍化し、50~54歳に至っては3.0%のマイナスとなる1。このデータは、企業が新卒採用時の初任給を引き上げる一方で、中堅層以降の人件費抑制に注力している実態を反映している。
総務省「労働力調査」の分析では、2015年時点で25~34歳男性の非正規雇用率が16.6%に達し、15年前の3倍に急増している2。特に注目すべきは「世代効果」の顕在化であり、若年層ほど新卒時点から非正規雇用となる確率が高く、その状態が持続する傾向が強い2。この現象は、景気変動の長期化に伴う新卒一括採用システムの機能不全を示唆しており、従来の年功序列型キャリアパスが機能しなくなった現実を浮き彫りにする。
若年層の可処分所得については、表面的な賃金上昇数値とは異なる実態が存在する。住宅価格指数(国土交通省)によれば、2020年から2024年までの主要都市の平均家賃は18%上昇しており、賃金上昇率を大幅に上回っている12。この需給ギャップは、非正規雇用率の高まりによる所得不安定性と相まって、若年層の生活基盤を脆弱化させている。特に都市部における単身世帯の生活費圧迫は深刻で、可処分所得の実質的購買力は過去10年で15%減少したとの推計がある2。
氷河期世代(1972-1983年生まれ)の男性労働者を分析すると、平均労働所得が前世代比で6.8%低下し、世代内格差係数(ジニ係数)が0.12ポイント拡大している4。この現象は、新卒時の雇用機会喪失がその後のキャリア形成に長期にわたる悪影響を及ぼす「傷痕効果(Scarring Effect)」の典型例と言える。特に正規雇用者と非正規雇用者の所得格差が40代後半において最大2.7倍に達するデータは4、世代内の経済的多様性を看過できないことを示唆する。
興味深いことに、氷河期世代の等価可処分所得は前世代と比較して有意な差が認められない4。このパラドックスは、未婚率の上昇(男性42.1%)に伴う親世帯との同居率増加(35.4%)によって説明される4。換言すれば、個人の労働所得低下を世帯単位の資源共有で補完する生存戦略が広く採用されている実態が浮かび上がる。しかしこの手法は、親世代の高齢化に伴う介護負担の増加で持続可能性に疑問が生じている。
氷河期世代男性の厚生年金未加入率は28.6%に達し、国民年金の保険料未納率は39.2%と突出している4。この状況が継続すれば、2040年代後半の年金受給開始時には、平均受給額が現役世代の25%を下回る「超低年金層」が大量発生する危険性がある4。この問題は単なる個人の責任を超え、雇用システムの欠陥がもたらした制度的貧困の典型例として再定義する必要がある。
従来の日本型雇用システム(終身雇用・年功序列)が1990年代後半から変容し始めたことが、両世代に異なる影響を及ぼしている。氷河期世代は新卒時に旧システムの残滓に直面しつつも、中堅社員期に成果主義の導入という二重の転換点を経験した3。一方、現代若年層は最初から流動的雇用を前提としたキャリア形成を迫られており、企業内訓練機会の減少が技能蓄積を阻害している2。
大企業を中心に、年功賃金曲線の平坦化が進展している。2010年以降に採用された社員の賃金上昇率は、同期間のインフレ率を平均1.2ポイント下回っており1、実質的な賃金抑制が行われている。この戦略は、中高年層の賃金を相対的に削減することで若年層の初任給引き上げを可能にするトレードオフ関係にある1。結果として、世代間で賃金ピークの前倒しが生じ、生涯所得の再配分が歪められている。
現行の年金制度は賦課方式を基盤とするため、少子高齢化の進展により若年層の負担増が避けられない。2023年度の国民年金保険料実質負担率(可処分所得比)は、25歳で14.2%、45歳で9.8%と、若年層ほど相対的負担が重い4。この構造は、将来の受給見込みが不透明な若年層の保険料納付意欲を低下させ、制度全体の持続可能性を損なう悪循環を生んでいる。
氷河期世代の「成功体験」に基づく言説には、厳しい淘汰を経て正社員地位を維持した者(生存者)の視点が支配的である6。実際には、同世代の非正規雇用率は男性で19.4%、女性で38.2%に達し4、多数の「脱落者」が存在する。この現実が見えにくいため、世代全体の経験が過度に一般化され、若年層への理解を妨げる要因となっている。
若年層が直面する課題を、過去の経験枠組みで解釈しようとする傾向が相互理解を阻害している。例えば、氷河期世代の就職難(有効求人倍率0.5~0.6倍)と現代の非正規雇用問題(求人倍率1.4倍)は、量的・質的に異なる労働市場環境に起因する24。この差異を無視した単純比較は、双方の苦境の独自性を見失わせ、問題の本質的な解決を遅らせる危険性を孕む。
1990年代以降の労働法制改正(派遣法緩和など)が世代間で異なる影響を与えた事実への認識不足が、相互非難を助長している。氷河期世代が経験した「就職難」は主に新卒市場の縮小であり、現代の若年層が直面する「雇用の質的劣化」は労働法制変更に起因する23。この制度的文脈の違いを理解せずに表面的な比較を行うことは、問題の矮小化を招く。
賃金体系の再構築
年功序列型賃金から職務・成果主義への移行が中途半端な状態が、世代間対立を助長している。欧州諸国の職業別賃金制度(例:ドイツのタリフ賃金)を参考に、職種・技能レベルに応じた全国的な賃金基準の策定が急務である。これにより、正規・非正規の区分を超えた公正な評価が可能となり、世代を超えた賃金格差是正に寄与する。
AI技術の進展に伴う技能陳腐化リスクに対応するため、生涯にわたる再教育機会の保障が必要である。シンガポールの「SkillsFuture」プログラムのように、個人のキャリア段階に応じた訓練クレジットを付与する制度の導入が有効だろう。特に氷河期世代の技能更新支援は、生産性向上による賃金上昇の基盤となる。
現行の世代間扶養システムから、積立要素を強化した混合方式への移行が不可欠である。スウェーデンの年金制度(NDC方式)を参考に、個人の保険料拠出と受給権を明確に連動させることで、制度への信頼回復を図るべきである。同時に、最低保障年金の充実により、低所得層の生活保護を強化する必要がある。
本分析が明らかにしたのは、世代間格差が単なる経済的差異ではなく、労働市場制度・社会保障システム・技術革新の複合的相互作用によって生み出された構造的課題である。氷河期世代と現代若年層は、異なる歴史的文脈において相似的な困難に直面していると言える。
重要なのは、世代間の対立構図を超えて、制度設計の欠陥に焦点を当てることである。例えば、非正規雇用問題は1990年代の労働法制改正が生み出した副作用であり23、これは特定世代の責任ではなく政策的判断の帰結である。同様に、年金制度の持続可能性危機は人口構造の変化を予見できなかった過去の政策の結果と言える。
歴史的連続性の認識:各世代が経験した困難を、社会経済システムの連続的変化の中に位置付ける
制度設計の革新:時代の変化に対応できる柔軟な労働市場・社会保障制度の構築
対話プラットフォームの創出:世代を超えた経験共有と相互理解を促進する制度的枠組みの整備
最終的に、世代間格差問題の解決は、持続可能な社会構築に向けた不可欠なプロセスである。各世代が相互の経験を尊重しつつ、共通の制度的課題に協働で取り組む新しい社会的契約の形成が求められている。
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality ofLife、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須のPermalink |記事への反応(0) | 21:00
かねてからクソと話題だったツタヤ図書館に行ってみました。本当にクソでした。
岡山県高梁市の高梁市図書館に行きました。高梁市は人口約3万2千人と、ツタヤ図書館が作られた中では最小クラス。ついでに街を歩いてみたのですが、商店街はところどころお店もやっていて、ポツポツ人はいるんだけどほぼシャッター通りでした。一方ツタヤ図書館は結構人がいてにぎわっていました。田舎で人を集められること自体はすごいと思うのですが(スタバのおかげかな)図書館としての感想です。
【本や資料に対する扱いについて】
・よく言われているが、本をインテリア扱い。飾りの本や取れない高さに置かれている本。(一応係員さんに頼めば取れるみたい)
・ちょっとこれ開架においていいのかな?て感じの本がフツーにおいてある。こういうのほかの図書館なら名前とか書いて入れてもらうんじゃないのみたいなすごく日焼けした神も古いし貴重そうな本が開架にあってびっくり
した。保存としていいのかな?
・他の図書館と比較できるほど郷土資料に詳しくないのだが、ちょっと傷んでる、表紙がちょっとはがれだしているものも開架にあって、いいのかな?
・特に「高梁市史編纂委員会 三上家文書 写 その二」という手書きでむちゃくちゃ日焼けしている紙に書いてあって閉じてある物が本の背の部分がびりびりに破れてて、写しだからとはいえ、本の扱いが心配
(まあこの一冊が極端に酷かった)
これはまあ序の口で
【探しにくい】
・独自の分類がわかりにくい
普通の図書館の三桁の数字とかがついて分類するって感じじゃなくて、独自の大ジャンル>中ジャンル>小ジャンル(たとえば政治・国際/政治/政治史)みたいな感じで分けられているのだが
そもそもどんな大ジャンルがどこの棚にあるのかといったマップが見当たらない。パンフレットを取ったらフロアマップは真っ白だった!
https://takahashi.city-library.jp/library/ja/access
さすがに何階にどういうジャンルの本があるかは階段やエレベーター近くにはあったが、HPみたら何階が何のジャンルかすら載っていない!
で、つるされた看板頼りにそれっぽいジャンルの棚を探すのだが、大ジャンルですらこの雑さなのだから、どんな中小ジャンルがあるか、どこにあるかなんてリストは当然ない。
棚の通路側には政治・国際と書いてあるものの、その下の(政治とか国防とか)ジャンル名なんて書いてない。一応ブックオフみたいな感じのジャンル名が書いたピラピラが本棚に挟んであるが、通路から読めるわけない。
だからいくつも政治・国際か書いてある棚の並びを右往左往することになる。
・番号がカオス
独自の分類なもんだから本についてる番号も独自ルール。こんなかんじ→ 政治・国際
001ア アは著者の頭文字
普通一つの番号が一つのジャンルを表すと思いきや、大ジャンルごとにその下の小ジャンルを001、002とつけている。 つまり、001は政治国際にも、料理や旅行にも、それぞれ別にあるのだ。えってなる。
しかも、この番号は、【検索機で調べても出てこないのだ】嘘だと思うだろ?HPから検索すると、その本についている番号は確かに出てくる。でも、図書館の検索機で検索して印刷しても、本についている番号はない。
なんでや。逆に何が書いてあるんや。もっと不思議な番号が乗っています・
・レシートに乗っている番号
請求記号 312.2/イ ←普通の番号に見えるでしょ?でもこの番号本にも棚にもついてないんです。じゃあどうしろと。
NDC分類 上と同じような番号が乗っています。本当になんでこっちを素直に本につけないのか
棚番 731039政治国際 ←棚番?しかも六桁は多くね? いちおう一つの列の棚では3つ4つのブロックに分かれていて、そのブロックごとに番号が振ってある。それはいい。6桁もいらないと思うけど。
で、その棚番は棚の通路側に書いてない。通路側から見えない。結局いくつか並んでいる同じジャンルの棚の中を右往左往することになる。
何のために本を分類するんですかね?番号を付けるんでしょうかね?これ考えた人は図書館で本を探したことあるのか? 人口三万ぽっちの町の図書館で、規模の割には歩かされる。
・棚の配置が謎
https://takahashi.city-library.jp/library/ja/access
真っ白な図を補完すると、
二階の図書館のブースは(壁一枚くぐったら図書館のブースで分かりにくいが今更些細なことだ)実用系の本。ビジネスとかアウトドア旅行料理家事といったところ
四階が児童書と講演会ができるスペースと読み聞かせスペース、展望スペース。
で、三階がそれ以外の本で、エレベータのある図で右側のほうにたくさん棚がある。
人文、歴史、政治国際も社会も右側のほうにあるんだけど、なぜか、法律、語学、教育は左端の学習室にある。
政治国際、社会と法律が離れた棚にあるというのはいくらなんでも配置としておかしすぎる。ありえない。
語学もよくよく見ると言語史(昔の日本語みたいなかんじ)は歴史の棚と離しておいていいのか?となるし、英語も実用とかビジネス系に近いほうがいい気がする。教育は心理に近いほうがいいと思う。
EU騒乱 新潮選書 テロと右傾化の次に来るもの 広岡 裕児/著
「平和」をかかげたEUの国々が今、何かに躓いている。EUの生い立ちから丹念にたどり見抜いた「危機の本質」、そして浮かび上がってくる「民主主義」の現在地とその行方。欧州の実像を捉えた現地からの緊急レポート。
検索結果 https://takahashi.city-library.jp/library/ja/switch_detail?id=10155261&index=0&total_count=1
なんでこれが法律の棚にあるの? 民主主義がどうとか話してるのに国際法の分類にするの?どう見ても政治国際でしょ。
検索機にEUとだけ入れると絵本とかいっぱい出てきちゃうから大ジャンルで絞ろうとすると、普通政治国際で絞っちゃうから、漏れが出てしまう。
そもそも法律とか政治国際とか社会とか大ジャンルで分けるのに無理があるのでは?社会科学でくくれば一発なのに。
・そもそも置いてある本がビミョー
政治国際の棚を見渡してもEUの文字がなかなか見つからない。日本の外交とか防衛とかそういう本ばっかり。社会の棚に各国の社会事情があったりして、どんな小ジャンルがあるのかリストがないまま探すのはやっぱり不便。検索機で政治国際ジャンルでEUと検索したところ10件しか出ず、イスラーム国がどうとか関係なさそうなものも交じってて、クソ(←社会ジャンルで検索するともう少しましな本がありました。やっぱり独自の大ジャンルによる分け方って探しやすさに無理があるんじゃないの?)
https://takahashi.city-library.jp/library/ja/access
シャレオツな照明があるが、これの影が机にできる。座ると自分の影が机に。ペンを持つと手に複数の光源から光が当たって複数の濃さの影ができて、歯科医の中に明るいところ暗いところがあって物を書くと目が疲れる。
設計者は馬鹿なのか?学習室なのに学習すると目が疲れるようにできている。
以上いろいろ書いてきたが、確かにおしゃれスポットとしては成功している。人は集まっているし、有名人よんで講演とかのイベントもしてる。
でも藻の調べをするにはあまりにも不便で、図書館としてクソ。図書館をおしゃれスポットにするのはある程度はいいかもしれないが、図書館の本来の機能としてクソ杉。
全体的に薄かった印象
利点
・利用者が三倍に増えた
・間口を広げることで、これまで図書館に来なかった人にも来てもらえるようになるのでは
・購入された約1万点の本が不適切との声、またそのうち
千点ほどが貸し出しされていない
以下それを踏まえての意見(すでに議論されているのも多いと思いますが、これを気に改めて)
・まず「利用者の利便性を考えなければならない」という意見があるが、日本の図書館は中小レポートからこの方半世紀にわたってその問題を追求してきたはずである。
・そもそもTポイントカード自体が、利用者の購入履歴を把握するためのシステムである。これを貸し出し業務に使用している時点で「図書館の自由に関する宣言.第三条」を無視している。
→現時点でその分類をタイトルだけで行っているという声がある
→NDCでは内容に踏み込み分類している。が、NDCでは「日本の小説」は全て913.6という様に、意味的なジャンルには分かれていない。
・明るすぎる。紫外線フィルムを貼るにしてもあんな明るくては本がすぐ日焼けしてしまうがその点はどうなのか
→丸善や紀伊国屋など、業務委託を受けている大手書店は他にも多数ある。
・利用時間が年中無休の9−21時とあるが、それでは蔵書点検などのバックヤードサービスをいつ行うのか
・博多駅にこの図書館の広告があり、201万1572円という金額の広告費がかかっていたとのこと。(http://ameblo.jp/sumiyoshimura/entry-11911255293.html)商業施設でない一図書館として、この金額は適切か。
個人的な意見としては、あれが全国の図書館のロールモデルになるとはクソ食らえという他なく、あの施設はTSUTAYAが自社発のブックカフェとしてやればいいのであって図書館としてやるべきものではない。