
はてなキーワード:MIXIとは
中学時代はモバゲー、高校時代はmixi、大学時代はLINE、ツイッター(当時の呼称)、Instagramあたりが覇権SNSだった世代だ。
大学時代入れ込んだ彼氏は子供が好きな人で、当時は漠然と「この人と結婚して子供を産む」と思って生きていた。
社会人になって彼氏と別れて仕事に打ち込むようになってから、一人の時間は勉強かSNSを覗くのが日課になっていった。
エックスが収益化するようになって、おすすめに勝手に男女対立の話題やワーママの愚痴?のようなpostが取り上げられて目につくようになった。
30歳が近づくにつれて周囲は出産していき、会社の同僚から子どものいる生活の話を聞く機会が増えた。
そういう情報を取り込む度に皆目の前のことに精一杯なんだろうなって感想が湧いてきて、今独り身で仕事と自分の世話だけやってる暮らしがとても豊かで幸せなことに思えた。
学生時代家庭を持つことに前向きなイメージを抱いていたのに、適齢期になると自分のキャパが分かってきて両立できる気がしなくなった。
案ずるより産むが易しで産んでしまえばやり切るだけ、なのかもしれないけれど、現代は情報が溢れていてやらない理由を探すのがとても簡単になっている。
情報に触れすぎて私はもう子供が欲しいと思っていなくて、無数の情報から子どもを持つ娯楽を選択した人を「大変ですけど自己責任ですよね」って眺める立場を貫く人生も悪くないなと感じている。
これはそれが正しいかどうかというより自分の感性とAIの出力との差異を測るテストであった。
自分の感覚とは適合してるのではえーってなったし、何らかの啓示を与えてくれるものかもしれない。
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すなわち「JK組(静凛・月ノ美兎・樋口楓)」+「エルフのえる」。
この四人の間には、単なる設定上の年齢差ではなく、“魂の生年”とでも呼ぶべき文化的時差が存在している。
1.文化的生年とは何か
ここでいう「文化的生年」とは、
発話・参照文化・言語感覚・社会経験の描写から導かれる「世代的意識の生まれ年」を意味する。
たとえば、
ガラケーを使っていた時代を“学生期”と語るなら、文化的生年は90年代前半。
Twitterの普及を“青春期の象徴”と語るなら、文化的生年は90年代後半。
といった具合である。
2. 四人の文化的生年
設定
主な参照年代
発話傾向
エルフのえる
森のエルフ
社会人語・安定語彙
1990±2
静凛
落ち着いたトーン
1991±2
1996±2
樋口楓
JK(行動型)
感情・即時反応型
1999±2
1988 ──────┐
│ 上層:成熟した語り手層
│ エルフのえる(1990±2)
│ 静凛(1991±2)
1994 ──────┤
│ 中層:知的観察層
│ 月ノ美兎(1996±2)
1998 ──────┤
│ 下層:感性主導・Z初期層
│ 樋口楓(1999±2)
2002 ──────┘
これにより、
JK組+えるは「1990年代を中心に上下10年の振れ幅をもつ四層構造」として可視化される。
構造全体は「内界(学校)と外界(社会)」の接続を象徴するようになる。
この四人の“文化的生年”は、いずれも1990年代に集中している。
だが、その内部差――前期(90–92)と後期(96–99)――が、
言語の速度・語彙の層・ユーモアの方向性に微妙な差異をもたらしている。
JK組+えるという初期にじさんじの会話的多層性を支えたといえる。
6.結論
JK組の三人とエルフのえるは、設定上の同級生ではなく、異なる文化的生年層の集合体である。
彼女たちの“魂”は1990年代に根ざしており、前半層と後半層の世代差が構造を形成する。
えるは「外部社会の語り手」として上層に位置し、JK組三人の物語を包摂する。
高2〜大2
・サッカー
・FF
・勉強
・テレビを見る
・ブログ
・近所で卓球
・古着屋巡り
・ビレバンに行く
・ファッション雑誌を読む
・メール
・友達と駄弁る
・居酒屋
・mixi
mixiもやってないTwitterもないあの時代にどこに気持ちを吐露してたんだろうと思ってたらニュー速VIPがあったのを思い出した。結局ネトゲと2chで大半を過ごしてた気がする
私が中学生だった2003年から2006年は今考えると娯楽も少ないし何やってたんだろうと思う。
・勉強
・部活
・ネトゲ
・2ch
しかしてなかった気がする。
学生なので当然お金もなく、持ち運べる音楽再生機器なども買えない。調べたらNW-MS9は4万もしていた。
学校の帰り道、誰とも被らなかったから一緒に話しながら帰った思い出がない。普通に人格形成に影響出てると思う。
結局中学の同級生とは卒業後1人も会ってないし連絡先すら交換してない。そもそもガラケーすら持ってなかった人も多いし自分もそうだったので連絡先すら持ってない。
ガラケーもない、スマホもない、YouTubeなんて流行ってない、ニコニコ動画もない、mixiもない、前略もない、そんな時代。
マジでみんな何してたの??
まだ自分はパソコンがあったから家帰ってネットサーフィンかネトゲ、2chするのが唯一の楽しみだった。
ちなみに小学校時代の友人は受験を機に全員疎遠になってしまった。というか連絡先が家電しか知らないから気軽に連絡も取れないし。
カラオケもゲーセンも流石にまだ1人で行かなかったな。お金もないし。
ブロックか?と思い
調べると
表示されなくなるらしい
共通の知り合いの友だちにもでなくなるんだろうね
それならそれでよし
なのだが
かれこれ20年前だ
元気でやってんのか?と気になるくらいだ
(これでストーカー気質と言われたら認めざるをえない)
そこで考えた。
その人の身に何かあったのか?
と、
ふとよぎり不安になった
既婚者だし、子どもも2人いたはずだけど
それとも
社会的な何かが起きたのか
ありふれた名前過ぎてヒットしない
他のSNSも探すけど見当たらない
最悪の最悪で
もし亡くなっているとしたら
と思うと、気がかりでならない
そんなこんなで
ゆるくつながってるつもりが
気づいたらつながりが途切れてたんだなと思う
グラビティ、一週間ぐらいいじってみた感想。昔のmixiと、Twitterと、クラブハウスと、出会い系アプリと、ソシャゲをミキサーで混ぜてスムージーにしたみたいなアプリ。
とにかく機能が盛沢山あるんだけど、全てが「コミュニケーションを取らせる」という事を目的としている。かなりアグレッシブなSNSと言える。
普通のSNSだと知らない人に絡まれたらびびると思うんだけど、グラビティだと普通。ていうか知らない人とどんどん絡ませようとしてくる。
例えば何か質問してみましょう!とか最初に言われて、そんなん急に言われても、と困ってたらAIが適当な質問考えてくれて、それが不特定多数の人に放流される。
質問の回答と言う形でメッセージが来る。これがお互いにどんどん来る。
デイリークエストで「いいね」やリプライを促してくる。数撃ちゃ当たるでどっかで盛り上がる会話も出てくる、と・・・。
興味がある事だの心理テストだの性格診断だの色々やらされて相性良い人を勝手に紹介してくる。
会話も回答に困ったらAIがアシストしてくれる。このAIがまた賢くて、例えばジョジョの話をしてる時とか、「あれ7部以降はパラレルだしね」とかジョジョ読んでないと知らないようなの回答候補に出してくる。
お互いAIで会話してても気付かないぞこれ。
それとは別にAIフォロワーみたいのもいて、投稿に反応してくれたりする。とにかくユーザーをほっとかない。
そしてやってて気付いたんだけど、これ「何者にもなれなかった人達のSNS」だ。
Twitterだと、有名人なり、クリエイターなり、自分は何者です、とネット上で言える肩書が無いと、今はもうほぼ相手にされない。
ツイートしても全く反応が無い。なのでTwitterはほぼ見る専になりつつあるんだけど。ところがグラビティだと反応があるしそれが分かりやすい。
昔のmixiにあった足跡機能とかあるんですよ。誰が見てるか分かる。週明けには先週のレポートとか纏めて見せてくれる。発言のし甲斐がある。
逆に無い機能だと、リツイートみたいな機能はない。拡散とか宣伝とかしたい人には向かない。
目の前の人とコミュニケーションを楽しみましょう!というSNSなので。外部へのリンクも張れないし。
会話だけでなくて一緒にやるゲームとか、ボイスチャットの部屋とかも充実している。まだやった事ないけど。
コミュニティも色々活発に動いてるし、初期のmixiとかこんな空気だったな?とか思い出す。
ちょっと前にブルースカイとかmixi2とか色々新しいSNSが流行った事あったけど、どれもTwitterの縮小版みたいで物足りなかった。
グラビティは全く違った方向性のSNSだ。なので、めっちゃ好き嫌い分かれるSNSだと思う。
ウォッチするには向いてないけど、飛び込んで楽しみたい人には向いてると思います。
スレッズ(令和の発言小町)が動物園ならグラビティはサファリパークだ。檻とか柵とか無い。即巻き込まれる。
そんな感じでいつ飽きるか分からないけど今の所は毎日見てるぐらいにはハマってる。これ、俺が若い頃にあったらなあ。
今は流石に慎重になってしまい若い人が多いボイスルームに突撃とかできない。
アラフィフが集まってる部屋あったら入ってみたいと思う。
友人が失踪してもうすぐ五年が経過する。失踪、と言っていいのかさえ、よくわからない。ただ消息が途絶えた、という言い方のほうがしっくりくるだろう。
しあわせをおしえて
文末に句読点すらないそのメッセージが、俺のスマホの小さな矩形の中でいつまでも光を放っている。
彼の両親は未だに探している。警察にも相談し、ポスターも作ったが、手がかりはない。ニュースにならなかったのは事件性がないからだろう。
2000年代の俺たちは大学生だった。当時はまだガラケーで、ネットはiモードか、PCのADSLが主流だった。今みたいにSNSで推し活なんて言葉もなかった。ただ掲示板やチャットでハンドルネームを名乗り、同じ作品を好きだというだけでどこまでも語れた。あいつと出会ったのも2ちゃんのアニメ板、ラーゼフォンとフルメタル・パニックのスレッドを行き来していた頃だった。大学の構内のPCルームで、授業をサボってレスを投げていた。
「エヴァが終わっても、終わりじゃない」
エヴァが終わったあとでも、俺たちの熱狂は続いていて、むしろエヴァ後のアニメ群──スクライドやラーゼフォン、∀ガンダムあたりをどう受け止めるかで、世代の色が決まっていた気がする。
当時はよく池袋に行ったものだ。デジキャラットのグッズを探すため。ブロッコリーが全盛期で、ゲーマーズ本店に並ぶ人の列は今よりずっと濃度が高かった。メイド喫茶がまだ秋葉原でようやく形を成し始めた頃で、池袋は乙女ロードと呼ばれる前夜。帰り道にサンシャインシティの地下のゲーセンでbeatmaniaIIDX 5th styleを遊んで、あいつはR5ばかりやっていた。俺はリズム感がないから失敗ばかりで、それを笑われた。
しあわせってなんだろうな。
その度に思い出すのは、あの夏の新宿。新宿駅南口から甲州街道を渡った先、紀伊國屋の前で待ち合わせて千と千尋の神隠しを観に行った。2001年の夏休みで、俺たちは大学二年だった。劇場は満席で立ち見になった。千尋が両親を助けるために湯屋で働く姿を見ながら、俺は隣であいつが泣いているのを横目で見ていた。映画の終わりに拍手が起こって、あいつは「やっぱジブリはジブリだな」って呟いた。その帰りに寄った新宿の中古ゲーム屋で、あいつはドリームキャストのギルティギアXを買った。
あいつは本当にゲームが好きで、深夜までファイファンXIにログインしていたことも覚えている。PS2のHDDとネットワークアダプタを買って、ADSLで繋いで、ヴァナ・ディールで寝落ちした話をしてくれた。俺はオンラインゲームに馴染めなかったが、あいつにとっては現実と地続きの世界だったのだろう。
確か2005年頃だったと思う。俺たちは聖地巡礼という言葉を覚えた。AIRやCLANNADが流行して、京都アニメーションが一気に名前を広めた時期だ。夏休みに二人で和歌山の白浜に行った。AIRの舞台に似ていると言われていた海辺で、青い空と蝉の声を聞きながら、あいつは「神奈がここで空に還るんだ」と真顔で言っていた。その帰りに白浜駅で食べた駅弁の味噌カツサンドがやけに美味かったことまで覚えている。
同じ頃、俺たちは東京・荻窪にも行った。ネギまのイベントで、赤松健のサイン会があったからだ。行列に並びながら「これって歴史の証人になるんだな」とか言っていた。あの頃は何もかもがくすぶっていて、しかしそこにだけ輝くものが見えていた。
思えば、俺たちはずっとネット空間に生きていた。mixiの日記、掲示板の書き込み、夜中のMSNメッセンジャー。現実よりもそっちのログのほうが確かだった。あいつが消えたのは物理的なこの世界からであって、ネットのどこかにはまだいるんじゃないかとそんな気すらしている。俺が昔のハードディスクを漁れば、あいつの書いたレビューやイラスト、短いテキストファイルが出てくる。2001年にアップロードされたkyoani_fanpage.htmlとか、今となっては誰も開かないファイルに残っている。
俺は相変わらずアニメを見て、Blu-rayを買って、配信で昔の作品を見返している。先日はスクライドを観直した。あの頃、夕陽をバックにカズマと劉鳳が殴り合うシーンを「熱い」と言っていたあいつの声が頭に蘇った。
彼は今、どこで何をしているのだろう。まだネットのどこかにいるのか、それとももうどこにもいないのか。
大学四年の、ちょうど9月になって間もない頃。あいつと深夜のゲーセンを出て歩いた時のことを思い出す。
自販機でコーヒーを買い、涼しくなり始めた夜風に身を包みながら歩き、少し憂いた顔で口ずさんでいたあの歌詞を。
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
今日は放課後にみんなでプリクラ撮りに行った。背景がめっちゃギラギラで、デコペンでキラキラとかハートとか描きまくった。携帯に送って待ち受けにしたけど、画質が荒くてちょっとウケる。
部活の先輩がiPodを持ってて、ホイール回して操作してるのを見て、やっぱり欲しいなと思った。自分のMDはまだ現役だけど、取り込みが面倒くさい。
テレビではエンタの神様がまたやってて、波田陽区のギター侍が流行ってる。クラスでも真似してる子がいて、なんか寒いけど笑ってしまった。
夜はmixiをチェック。まだ友達少ないけど、日記にコメントがついてちょっと嬉しかった。プロフィール写真はガラケーで撮ったやつで、画質が微妙。
障害と診断されたのは30すぎてだが、ずっと仕事ができないことに病んでいた。
当時はtwitterはなかったので発言小町やmixiで仕事ができない人のトピックを読み漁り、ぼんやりと自分が発達障害だろうという認識は持っていた。
やがてmixiがすたれ、twitterが流行りだしてからは発達障害の人、特に同世代を中心にフォローしては時々やりとりをさせてもらっていた。
そうこうしていくうちに出会う、「理解ある彼くん」という概念。
この言葉が流行りだしたのは比較的最近だと思うが、働けない女性が結婚で救済されるという物語は昔からあった。
mixiのADHDコミュでもやらかしちゃったことを書き捨てて忘れましょう☆ってトピがあり、そこに書き込まれるのはほとんど家事とか、子どもの学校の用事だとかがほとんど。
仕事でやらかしたという内容はひとつもなかった。洒落にならないからだろう。
twitterでも発達障害だけど働かないことで困ってない人もいるという趣旨のポストがバズると、引用リポストで「それ、私のことだ…働かないことで穏やかに暮らせてる」「旦那は何考えてるかわからないけど不満はないみたい」みたいなのをチラチラ見て、発達障害は専業主婦になれれば幸せに生きられるという固定観念が定着していった。
とはいえそんな甘い考えでモサい喪女が結婚できるわけはなく、それプラス働くのが限界になり仕事を辞めたことも拍車をかけ、この歳まで一人で生きてきた。
そんな筋金入りの専業主婦願望の亡霊である私が、少しずつ解脱してきたのだ。
直接的な原因は優しい職場に巡り会えたことが大きい。基本的に在宅のパートタイムで、月13万程度だが一人暮らしできている。それともうひとつは、専業主婦になれていた自分をイメージできたことである。
25歳の頃、少しだけ付き合いかけた人がいる。少し年上の同業の人。
仕事に悩んでいた私にとっては心強い存在だったし、飾らない人柄が素敵だと思っていた。
ふとした雑談で「あなたは恵まれてんだから自信持てよ」のような趣旨のことを言ってもらい、もしかしたら押したら付き合える?と思って押したらあっさりOKをもらった。
ただ、名前が呼び捨てになり、メールにハートマークが乱舞しとにかく暑苦しかったのである。
ドン引きが相手に伝わったのか、しばらくして「増田は俺のことそんなに好きなんじゃないんだと思う。俺は結構女々しくて熱い恋愛を求めてしまうから(以降忘れた)」というメッセージが届き、私もうん、ごめん。とだけ返信しこの恋は終わった。
結婚どころかほぼ付き合ってもいない人を相手に妄想するのも失礼だが、先に書いた専業主婦になれていた自分とは、この人と結婚した自分のイメージ図である。
彼のハートマークにドン引きせず、同じぐらいのめり込み、何年か付き合ってそのまま結婚、私の社会性のなさをたしなまれながらも面倒を見てもらいながら暮らす。子どもはいなかった気がする。体の問題か、あるいは彼にこれ以上負担を背負う自信がなかったかはわからない。どういうわけか いなかった、というのが私のイメージだ。
精神的に支えてもらっても仕事ができないのは変わらず、30前後で限界が来て退職、「まあいいよ」と言われそのまま専業主婦になる。
毎日なんのストレスもない幸せな日々で、スーパーで買い物し絵や小説を書いたりの毎日で「結婚しててよかったなぁ」「安心だなぁ」「愛だなぁ」と思う。
「毎日ぐうたらしてますけどそんな私が彼は好きみたいです!」みたいなコメントをネットで読んで、うちの夫も同じような感じなのかなと感謝する。
「あ……ぐうたらしてる私が好きなわけじゃないんだ……」と思いつつ、ここで拒否ったら離婚されちゃうかもと近場でパートを探す。
比較的楽そうな近くのお店で接客業。楽そうでもやっぱり仕事はできない。
つらい、苦しい、辞めたいと思いながらも口には出さずに働く。
私がんばってるよな…こんなにつらいのに旦那さんの言う事聞いて……これで離婚回避かな……と思った矢先に離婚を切り出される。
え?こんなにがんばって働いてるのに?すごく嫌なのに言う事聞いて仕事始めたのに?
と混乱するが、自分がどれだけ甘えてたかもわかってるのでそのまま離婚を受けてしまう。
ネットで離婚危機について調べてもそういう婚費もらうみたいな選択はみんな子持ちだったからだ。
「子どものために離婚しない」「子どものために婚費はもらう」そういう体験談ばかりで、子無し専業の自分がここで食い下がるのは世間的にまずいような気がした。
子ども生んでればよかったのかな…
持ち家もなく、財産分与も300万程度。多分婚姻期間は8~9年程度だと思う。20代後半で結婚し、30代後半で離婚される。
「たった9年で捨てられるなら、最初から結婚せず働いてればよかったんじゃ?」と今の(現実の)世界線の私を思い浮かべるが、その姿があまりに過酷そうで「結婚してたから精神的にも支えられてた。独身でこの社会不適合者ぶりで働いてたら精神病んでた。今の明るくて想像豊かな私のままでいられてるのは、彼が守ってくれたおかげ」と自分を肯定する。
つまり、結婚して専業主婦になれたところで最後には捨てられて途方に暮れている自分が思い浮かんだのだ。想像上の自分が現実の私を想像している。「結婚せず働き続けてたら幸せになれた?」と。想像の私と現実の私が交差し、その瞬間どっちもたいして変わらないと互いに納得した。
独身でいても精神病んで働けてない期間が長かったのでキャリア的には専業主婦バージョンと変わらない。キャリアもスキルも持ち金も、おそらく大差なかった。
彼がこれから先起業とか何か新しいことに挑戦したいと思ったとき、経済的におんぶに抱っこの私が重荷で冒険ができない。
それがしんどかったんだろう。
でもそれを口で説明すると、そんなの無謀!とか責任感がない!とか、自分のやる気やプライドを削られそうで言えなかった、そんな理由じゃないかな。
あと仕事を辞めて好きなことを好きなようにやって「小説家になる」だの「絵描きになる」だの言い訳がましく言ってる私にうんざりしたのもありそう。(全部妄想)
おじさん構文というのがある。知り合いのおじさんにもこの構文の使い手がいる
そう呼ばれだしたのはだいたい2016年くらいらしい
検索してみたら
・昭和~平成のネット掲示板文化、mixiなどのSNSを経てそうなった 説
・キャバ嬢やコンカフェ嬢が絵文字を多用するので、それが感染してこうなる 説
・ギャル発祥のものがおじさんに伝わった後ギャルの言葉は変わったがおじさんは取り残されている 説
・かつてのデコメール機能で普通の文章に後から自動でデコってくれるやつの名残 説
・自然発生 説
等色々出てきた
知り合いのおじさんはネットにも電子機器にも疎いのでネット文化の直接の影響は受けていないように思う
しかし既婚者ではあるので娘さんなどの影響を受けている可能性はある
絵文字は人から感染したとして、○○チャン、○○だヨ!ナンチャッテ!!!←このカタカナはなんだろうか
東京リベンジャーズなどのちょっと古い時代背景のヤンキー漫画を見ると語尾がカタカナになっている場合があるので流行由来?
あと読点がやたらと多く、さらに変な位置についているのも気になる
これらもいつかの流行なんだろうか