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2025-10-08

anond:20251008000203

で、20年前のシステム20年前の技術しかからない技術者はその会社システム刷新したらどうするの?

他の20年前のシステム会社を探す?

まあそうやって生きるのも手だしそういう人もいるしCobolのように逆手にとって稼ぐ方法もあるが一般的には「厳しい」よ

大体おれはCobolで隙間で稼ぐからいいという人は元々Reactなんか全く関係のない話

Permalink |記事への反応(0) | 00:09

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2025-10-03

うちの開発チームに新顔が入った。佐々木仮名)、29歳。

経歴書を見て、ちょっと引いた。

GitHubスター数が現実離れしてるし、技術ブログも見たことない分量。

使える技術自分の三倍。React、VueGo、Rust……カタカナを追うだけで手一杯だった。

「また意識高い系か」

隣の田村が呟く。俺も同じことを考えてた。

案の定初日から圧が強い。

古いコードを一目見て渋い顔をする。会議で「そろそろモダン構成しませんか」みたいな提案

コードレビューは容赦なし。「ここ、コンポーネント責任持たせ過ぎですね」「エラー処理、もっと丁寧に」「テストコード、当たり前に書きましょう」。

ひたすら正論

うざかった。

俺たちがどうして汚いコードを書いてるか、この男には分からない。

毎日終電、土日は障害対応で呼び出されて、ただ“動くもの”を積み上げるしかないんだ。

きれいなコードを書く余裕なんてない。

でも、佐々木コードは妙に整っていた。

読みやすいし、テストドキュメントも揃ってる。

俺たちが一週間かかる仕事を、三日で終わらせてくる。

正直、悔しかった。

前職を調べた。同僚が「有名Web系だったらしい」「やっぱり恵まれてるよな」と言う。

自分SIer、古い文化に浸かりきった人間あいつは最初から違った世界の住人。

最初から条件が違うのだから、そりゃ勝てるわけがない、そう思っていた。

先週、たまたま佐々木と飲みに行くことになった。

酒が入って本音漏れた。

「実は俺、文系です。完全未経験からSIerCOBOLJavaだけで食ってたんです。毎日終電、土日も当然出勤」

……俺たちと同じだ。いや、むしろスタートはもっと後ろだった。

それでも佐々木は毎朝5時に起きて、出社前2時間、帰ってからも1時間

土日は技術書を読み倒し、何年でも続けた。

「4年やりました。最初転職活動は100社受けて全滅。でも勉強して、2回目でやっとWeb系に引っかかりました」

7,000時間近く積み上げて、そこにいる。

俺はと言えば、「環境が悪い」「仕方ない」「時間がない」と言い訳して、家ではYouTubeゲームだけ。

土日もゴロゴロして何も変えなかった。

才能でも環境でもない。ただ、努力たかどうか。それだけだった。

「今からでも遅くないですよ」「朝活やりましょう」

素直に屈辱を噛みしめ、うなずいた。

明日から一緒に朝活を始める。1時間だけでも、たぶんそれでいいんだと思う。

29歳。不安しかないけど、まだ遅すぎることもないだろう。

物語なんて無い。ただ、明日コードを書く。それだけ。

朝活は、正直きつかった。

寝不足のまま早朝の会議室に集まってコーヒーを流し込み、黙ってテーブルを挟む。もちろん最初普通に勉強だ。

けれど、だんだんと慣れてくると、俺なりの意地も芽生えてきた。

「ああ、昨日この分野を調べてきたんだ」

「なるほど、そっちの技術ではこうやるのか」

ただ教わるばかりじゃ悔しいので、眠い頭で資料を漁って少しでも佐々木に食らいつく。

知識の差は大きい。でも、佐々木も意外と勝負事が好きらしい。「今日はどっちが新しいツールを導入できるか」みたいな余計なルールまで作り出し、コードレビューでお互いをねちねちいじり始める。

気がつけば、朝活勉強会というより妙な競争の場になっていた。

仕事中も、つい佐々木の動きが気になる。

「あ、そっちの書き方の方が効率いいな」

「また変なイースターエッグ仕込んでる」

仕事でも張り合うようになった。

些細な設計リファクタリング方針ひとつで、絶対譲れなくて熱くなった。むきになって議論する。

他のメンバーには「仲悪いのか」と言われたけど、本人たちは別に悪い気がしない。不思議な高揚感。

次第に会社での評価も上がっていた。成果が出ると、お互いに無言でアイコンタクト

なんとなく、ライバルってやつになっていた。

飲みに誘ったり、逆に誘われたりすることも増えた。くだらない愚痴をこぼし合い、バグの話で夜中まで笑った。

仕事が終わった金曜に、そのまま繁華街で朝まで過ごすこともあった。

ある日、こんな風に、飲みに誘われた。

今日愚痴じゃない、純粋に話したいことがある」

静かな居酒屋、少しアルコールが入る。気づけば昔話になり、くだらない話、恥ずかしい話、お互いの情けなさをさらし合う夜。

気付いたら閉店まで二人だけ、なぜか離れがたくて、一緒に深夜の街をふらふら歩いた。

妙な感情が残った。

帰り道、不意に言葉がこぼれる。

「なんかさ、お前といるとずいぶん楽なんだよ」

「……わかる。俺もそう」

唐突告白めいた、でも別に湿っぽくもない会話。

翌朝も普段どおり朝活が始まる。

お互い、前より明らかに饒舌になった。

見ればわかるくらい、距離が近づいた。

休日技術イベントがあれば二人で出かけ、休日の帰り道は自転車を並べて走った。

日曜の朝、駅前喫茶店で合流して、黙ってノート開いて並んでいる時間が、いつの間にかすごく安心するようになった。

仕事私生活も地続きで、ただ一緒にいることが普通になっていく。

理由ドラマもない。ただ「一緒が自然になった」だけ。

しかすると、お互い惹かれたのかもしれない。でもはっきり「好き」と言うのは、たぶん、もっと先になる気がする。

この歳で、こういう物語があるとは思っていなかった。でも悪くない。

淡々とした毎日のなかで、少しずつ少しずつ、何かが変わっていた。

物語なんて要らないと思っていたけど、何もない毎日のとなりに、こんなふうに誰かがいるのも、たぶん悪くない。

淡々と始まった毎日は、いつのまにか、ちいさな物語になっていた。

Permalink |記事への反応(2) | 23:08

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2025-09-30

うちの会社にやってきた「できるエンジニア」がやばかった

3ヶ月前、うちの開発チームに新しいエンジニアがやってきた。佐々木仮名)、29歳。

経歴書を見た時点で、正直ビビった。

GitHubスター数がやばい

技術ブログ記事数もやばい

使える技術スタックが俺の3倍はある。

React、VueNext.jsTypeScriptGo、Rust、DockerKubernetes…もう何がなんだかわからない。

「また意識高い系が来たよ」

と同僚の田村仮名)がつぶやいた。

俺も同感だった。

案の定初日からすごかった。

レガシーコードを見て「これはちょっと…」みたいな顔をする。

技術選定の会議

モダン構成リファクタリングしませんか?」

提案してくる。

コードレビューでは容赦なくダメ出し

「このコンポーネント責任が多すぎますね」

「ここのエラーハンドリング、もう少し丁寧にやりましょう」

テストコード書きましょうよ」

うぜぇ。

俺たちがなんで汚いコードを書いているか知ってるのか?

毎日終電まで働いて、土日も障害対応で呼び出されて、

そんな中で何とか動くものを作ってるんだよ。

綺麗なコードなんて書いてる余裕ないんだよ。

でも、佐々木コードは確かにしかった。

読みやすくて、テストちゃんと書いてあって、

ドキュメント完璧

俺たちが1週間かけて実装する機能を、

3日で仕上げてくる。

しかった。

あいつ、前の会社どこだっけ?」

「確か、某有名Web企業らしいよ」

「やっぱりな。恵まれ環境にいたから、あんなことできるんだよ」

俺たちは佐々木を妬んでいた。

SIer出身の俺たちと、

最初からモダン環境にいた佐々木

スタートラインが違うんだから

勝負になるわけがない。

そう思っていた。

ところが先週、佐々木と飲みに行く機会があった。

酒が入って、だんだん本音を話すようになって、

そこで知った事実愕然とした。

佐々木は、元々文系出身プログラミング完全未経験者だった。

新卒で入った会社は、まさに俺たちと同じようなSIerJavaCOBOLレガシーシステムの保守をやっていた。

毎日終電、土日出勤当たり前。

技術負債まみれのクソコードと格闘する日々。

最初の3年間は地獄でした」と佐々木は言った。

でも、佐々木はそこで諦めなかった。

毎朝5時に起きて、出社前に2時間勉強

帰宅後も疲れていても1時間は必ずコードを書く。

土日は技術書を読み漁り、

オンライン講座を受講し、

個人開発を続けた。

「平日は合計3時間、土日は10時間以上勉強してました。それを4年間続けました」

4年間。毎日3時間。土日10時間

俺は計算した。

平日3時間×240日×4年+土日10時間×100日×4年

=6,880時間

7,000時間近く勉強していた。

最初転職活動100社受けて全部落ちました。でも諦めずに勉強を続けて、2回目の転職活動でようやく今のレベル会社に入れました」

俺は恥ずかしくなった。

佐々木を「恵まれ環境にいたから」と妬んでいたが、実際は俺たちと同じ、いやそれ以下のスタートラインから、血のにじむような努力で這い上がってきた人だった。

俺は何をしていた?

環境が悪い」

時間がない」

SIerから仕方ない」。

そう言い訳して、

家に帰ったらゲームして、

土日はYouTube見て、何も勉強しなかった。

佐々木と俺の差は、才能でも環境でもない。

努力の量だ。

「今からでも遅くないですよ」

佐々木は言った。

「一緒に勉強しませんか?朝活やってるんです」

恥ずかしかったけど、頷いた。

明日から佐々木朝活を始める。

毎朝1時間でもいい。変わりたい。

29歳。まだ間に合うよな?

Permalink |記事への反応(3) | 13:57

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2025-09-18

anond:20250918215608

世の中にはCOBOLが現役の業界もあるやで...

Permalink |記事への反応(0) | 22:10

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2025-09-08

経験者に「Java開発5年」詐称強いたSES企業経営者高裁判決、768万円 ←マジか……

弊社は社長含め社員全員がCOBOLしかやったことないのにみんなJava歴5年と偽ってCOBOLJavaリプレース案件に下請で参画してたよ。

おかげでCOBOLっぽいJavaコードだらけの悲惨プロジェクトになってた。 まあ、弊社だけじゃなくて他の下請会社領域も同様の状況になってたが……

これも訴えられたら損害賠償しなくちゃいけなくなるのかなあ。

Permalink |記事への反応(3) | 01:54

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2025-08-30

プログラマーって別に稼げる職業じゃなかったんだよ

プログラマーって聞くと今の若い人は稼げる業種って思うかもしれない。でも昔は、そのイメージとはまるで真逆だったんだよ。

90年代初頭、日本バブルの余韻が残ってたけど、IT業界なんてまだオタクの延長みたいに見られていた。NECPC-9801シリーズオフィス定番で、OSMS-DOS 3.3とか、その後にWindows 3.1が出ておお、マウス操作できる!なんて騒がれていた時代だ。

もちろんインターネットなんて一般にはまだ普及してなかった。せいぜいパソコン通信ニフティサーブPC-VANアスキーネット回線速度は2400bps。ピーヒョロロっていうモデム音が夜中の住宅街に響いていた。

俺らはそういう環境C言語アセンブラを叩いてたんだ。コンパイル時間がかかるからトイレに行って戻ってきてもまだ終わってなかったりした。

今みたいにGitHubコードを共有なんて夢のまた夢。ソースのやり取りはフロッピーディスクで手渡しだ。5インチのぺらぺらのやつな。運が悪いと磁気にやられて一発で飛ぶ。だから俺たちはよくフロッピー神社に参拝とか冗談言ってた。

当時のプログラマー給料なんてひどいもんだよ。

正社員手取り20ちょっと下請けフリーランスだともっと安い。今でいうSESの走りみたいな人売りも普通にあった。客先常駐COBOLやらされてバグが出れば徹夜オフィスに寝袋持ち込んで、カップヌードル缶コーヒーの山を築く。徹夜明けに食う吉野家の牛丼が唯一のご褒美。今みたいにエンジニア市場価値が高いなんて考え方はなかったからな。ただの駒だよ。

バブル崩壊後はさらにひどくなった。

仕事は増えるのに単価は下がる。Windows 95の発売で世の中はインターネット元年なんて浮かれてたけど俺たちプログラマー現実は泥臭いコード修正の山。Visual Basic 6.0やDelphiが出て「これで開発効率が上がるぞ」なんて言ってたが、結局は納期に追われるだけ。SunJavaが登場したときも「Write once,run anywhere」なんて夢を見せてくれたけど、実際には動かないアプレットと格闘する日々。

Linuxが台頭してきたのもこの頃だ。

SlackwareRed HatLinux 5.2をCD-ROM雑誌付録で手に入れて、夜な夜なインストールに挑戦。LILOがうまく動かなくて起動しない、ネットワークカード認識しない、X Windowが真っ黒。そんな壁に何度もぶつかっては2ちゃんねる(当時はまだ草の根BBSが多かったが)やUNIX USER誌を読み漁って解決する。それが楽しくて仕方なかった。でも金にはならなかった。オープンソースに貢献しても無償善意で済まされるだけ。Red HatMySQL ABが上場するまでは、ただのボランティア活動と見なされてた。

今思うと、あの頃は純粋だった。

技術のものが楽しくて、ASCIIOh!Xを小脇に抱えて徹夜コードを書いた。秋葉原ジャンクパーツを漁って自作PCを組み立ててベンチマーク数字一喜一憂した。

飯代を削ってもSCSIハードディスク投資したし、月刊アスキー付録CD-ROMに入ってたシェアウェアを片っ端から試した。儲けようなんて意識はなかった。ただ、面白いものを作りたかった。

それが今じゃITは完全に拝金主義コードの美しさより投資家の顔色を見てる。エンジニアもどこが年収いかばかりで、言語フレームワークを選ぶ基準が金になっちまったPython流行るのもAIブームに便乗してのことだし、ブロックチェーンやNFTなんかバブルがはじける前提のネタ探ししか見えなかった。

もちろん、技術商業化されて豊かになった面もある。AWSGCPのおかげで誰でも世界規模のサービスを立ち上げられるようになったし、GitHubDockerで開発環境も夢みたいに便利になった。だがその一方で楽しいからやるという純粋さはどこへ行ったんだろう。GitHubの草がどれだけ生えてるかが採用基準になる時代Qiita記事投稿するのも、技術共有じゃなくて転職市場でのポイント稼ぎ。

あの頃には確かに、金ではなく面白さに突き動かされる熱があった。それが今は金の匂いに上書きされてしまったように感じる。

プログラマーって、本当は稼げる職業じゃなかったんだよ。

でも稼げなくても、やる価値があった。

今の若いエンジニアたちにその気持ちがどれだけ伝わるかは分からない。

当時「Hello, world.」と表示されるだけのプログラムに、30年前の俺は心を震わせていた。

その震えを知っているからこそ、今の金の匂いにむせ返る業界がどうにも虚しく見えてしまうんだ。

Permalink |記事への反応(2) | 16:20

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2025-08-26

8月4週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

⚰️葬儀・死と資本主義

  • 葬儀のサブスク化」といった新しい発想も登場。

---

💼仕事転職労働

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🧑‍⚕️健康医療体験談

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📈経済投資社会問題

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🏍️趣味日常カルチャー

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🐻 熊・自然ユーモア

  • 都市部に熊が現れる冗談や、法螺貝と絡めたユーモラスな会話も。

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👪家族教育障害

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🤖技術AIIT

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📌 1週間分の総括

今週のオープンチャットは、死と資本主義仕事転職リアル健康リスク医療体験といった社会的・個人的に重いテーマと、バイク音楽ゲーム食文化といった趣味話題バランス良く交錯した一週間だった。

熊や法螺貝などユーモラスな話題もあり、深刻さと軽妙さが共存する空間となった。

全体を通じて、参加者生活リアルを分かち合いながら、ユーモア文化を通じて救われていることが感じられた。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 09:07

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2025-07-20

お堅い開発やってる情報技術から見たチームみらいへの期待と懸念

最近テクノロジー政治かえる」だの、「デジタル民主主義」だのって、やたらと情報工学系のバズワードを振り回す新党がある。「チームみらい」だ。

正直なところ、俺みたいなお堅い開発やってる情報技術からすると、最初は「またか」ってのが正直な感想だった。政治家が「IT」って言い出すと、ろくなことにならないってのが経験則からな。

でもちょっと調べてみたら、「チームみらい」の言ってることには、かに耳を傾ける価値のある部分と、背筋が凍るような懸念点が同居してるってのがわかってきた。

まず、彼らの主張と、俺がポジティブに受け取った点から見ていこうか。

問題意識は本物か?

彼らは日本の政治バグってる」表現し、「行政サービスは相変わらず使いづらい」と現状認識は一致する。

テクノロジーで、政治の透明化・効率化を実現する。それは今すぐできる。そしてあなた生活を着実に改善できる」と謳ってる。目標としては「テクノロジーで透明化、効率化、スマート化」を目指すんだと。まぁ、これは誰でも言うよな、って感じだが。

実装するという意思表示

「1議席を得て国政政党になったら、政党交付金永田町エンジニアチームをつくる」と明言してるのは驚いた。これが絵空事じゃないなら、これまで口先だけだった「IT化」「DX推進」とは一線を画す。

党首の安野たかひろ氏自身AIエンジニア起業家だというし、公認候補者の中にも複数情報技術者がいるのは確認できた。「手と足を動かす実践型」標榜してるってのも、従来の政治家とは違う姿勢だな。

プロトタイプ」を出す姿勢

自ら開発した政治資金透明化ツール Polimoney にてすべて公開」してるってのは、実際に手を動かした証拠だ。これは評価できる。

政策AI対話しながら深掘りし、意見要望簡単に送れる世界初チャット機能も搭載」したマニフェスト や、「政治参加を"楽しく"可視化ゲーミフィケーション導入のアクションボード」なんてのも作ってるらしい。これらはデジタル民主主義」を単なるスローガンで終わらせないという意欲の表れだろう。

しかし、お堅い開発やってる情報技術から見たら、これ、地雷満載可能性もある

ここからが本題だ。彼らの主張を聞いて、俺の脳内には危険信号が点滅しまくってる

何故なら「具体的な『(情報工学としての)マニフェスト』も『仕様書』も『実装計画』も決まってない」から

彼らは「アジャイルに、現場改善していく」って言いたいんだろうが、「基幹システム」と「Webサービス」を一緒にしてはいけない

仕様書なし」の恐怖

銀行勘定系なんて、たった一行のコード変更でも何十ページもの影響分析テスト計画必要になるんだぜ?国民税金個人情報社会保障に関わる行政システムは、国民全員の生活の基盤だ。それを「バグってるから現場で直す」なんて、詳細な設計書も持たずにメスを入れるようなものだ。そんなリスキーなことを許せるか?

テクノロジーは、難しい技術のことじゃない。できなかったことを、できるようにする方法のことだ」、って言うが、その「できるようにする方法」をどう「堅牢に」「安全に」「持続可能に」実現するかが、情報工学の肝なんだよ。

スケーラビティ堅牢性への疑念

彼らが作ったPolimoneyやAIチャットは、あくまプロトタイプ限定的ツールだ。素晴らしいが、それは「小さなシステム」での成功例に過ぎない。全国民が利用する行政サービスを、あのレベルアジャイル改善し続けられるのか?アクセスが集中した時、障害が発生した時、どうする?

勘定システムなら、トランザクション一つが飛んだら新聞沙汰だ。行政サービスもそれに近い重要性がある。「後から直す」では許されないレベルシステムを彼らがどう扱うのか、その哲学が全く見えてこない。

レガシーシステムとの闘い

日本中行政システムは、半世紀以上かけて積み上げられたレガシーの塊だ。古いCOBOLFortran、紙のワークフローがそこら中にある。永田町エンジニアチームを作ったとして、彼らが直面するのは、壮絶な「負の遺産との戦いだ。

既存の枠組みにとらわれることな活動していきます」というが、既存の枠組みに「縛られまくってる」のが日本行政システムなんだ。これらをどう「解体」し、「再構築」していくのか。それには膨大な時間予算、そして何よりも緻密な移行計画必要不可欠だ。

ガバナンス説明責任の欠如

エンジニアチームが政治社会課題を次々解決」 ってのは聞こえはいいが、誰がその「課題」を定義し、どの「解決策」が正しいと判断するのか?エンジニア政策立案まで牛耳るのか?

現在としてマニフェスト(情報工学)や仕様書がないということは、「誰が、何を、どう作ったのか」という明確な責任所在曖昧になるリスクはらむ。国民への説明責任をどう果たすのか?

結論:期待と不安交錯する「デジタル時代ベンチャー政党

「チームみらい」がこれまでの政治の慣習を破ろうとしている点は評価する。エンジニア政治の中枢に入れようとする試みも、既存政治家が積極的にやろうとしなかったことだ。

しかし、彼らがやろうとしているのは、町中の小さなウェブサイトを作るような話じゃない国家の基幹システムを「アップデート」する話だ。それには、バグってるから直す」というシンプルな熱意だけでは足りない

必要なのはシステム全体像を見通すアーキテクチャ設計能力、膨大なリスクと向き合うセキュリティ設計、そして長期的な運用を見据えたメンテナンス計画だ。

アジャイル」は魔法言葉じゃない。基幹システムにおいては、アジャイルの導入にも緻密な計画と準備、そして極めて高い技術力と経験が求められる

この党が、本当に日本未来を明るくできるのか、それとも「デジタルの皮を被った理想論」で終わってしまうのか。今の段階では、期待と不安五分五分だ。彼らが単なる「手を動かす」だけでなく、システム全体を見通す頭」と「国家レベル責任を背負う覚悟を具体的に示せるかに、全てがかかっていると俺は思うぜ。



P.S.

はてなー情報工学にそこそこ詳しい連中が揃ってるんだからコレくらいは言って欲しい。

正直、最も不安を覚えるのはチームみらいへ対しチームみらいに勝るとも劣らないレベル曖昧でふんわりとした評価しかコメントできないお前らへ対しての不安が大きすぎる。

個人的に、安野氏には今回メチャクチャ惨敗したとしても次回また挑戦して欲しいね。もちろん再挑戦は「何が足りないのか?」を指摘してる連中の意見をしっかりと受け止めてやって欲しいね

Permalink |記事への反応(15) | 15:11

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2025-07-01

anond:20250701133047

ワイのところの40代フリーランスはすごく真っ当にやってくれてるわ

しろCOBOLしかやったことない40代社長がめちゃくちゃなことばかり口出ししてきてめんどい

Permalink |記事への反応(0) | 13:33

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2025-06-28

LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1.手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2.テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3.宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1.フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

ユーザー認証機能付きのシンプルブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScriptUIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドNode.jsExpressで、データベースPostgreSQLユーザーGoogleアカウントログインでき、新しい記事作成編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像アップロードできるようにしてほしい。

この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1.トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2.エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single PageApplication)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「Permalink |記事への反応(0) | 17:09

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LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1.手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2.テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3.宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1.フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

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この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1.トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2.エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single PageApplication)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「Permalink |記事への反応(0) | 17:09

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2025-06-24

anond:20250624153124

Linuxサーバで動くようにプログラムを書き換える必要があるが、現行COBOLシステムサグラダファミリア状態で書き換えた結果の妥当性を検証しきれないため

日本はまだ書き換え進んでるほうで、米国金融機関自治体なんか酷いものだ。英語が出来てCOBOLが出来れば米国なら死ぬまで食える。日本もそうなりつつあるが

Permalink |記事への反応(0) | 17:57

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anond:20250624152713

AICOBOL書けるでしょ?

Permalink |記事への反応(0) | 15:38

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anond:20250624151310

AI代替されない数少ないプログラム言語から

オープン言語AI代替が進めば進むほどCOBOLプログラマー価値は上がっていく

Permalink |記事への反応(2) | 15:27

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anond:20250624150553

あー、今日もまた「未経験歓迎!文系でもOK!」なSES案件が流れてきてて笑っちゃった。なんなんだろうね、あの「文系でもプログラマーになれる!」って謎の希望。そりゃあ、HTMLコピペして「動いた!私、天才!」って言うだけなら誰でもなれるよ。問題はそこから先。で、結局「とりあえず現場行って、仕様書通りにJava書いてください、できない?ChatGPTで聞いてください」みたいな感じで、現場椅子だけ温めてるのが山ほどいるわけ。

でもそういう人たちが悪いっていうより、そういう人しか使えないビジネスモデルが悪いんだよね。SESって、要するに人月商売でしょ?だから現場で「使える風」に見せかけられれば、それで会社には金が入る。「お前、技術力低すぎだろ」って思っても、パワポ週報書いてくれるだけで感謝される謎の世界。で、その下請けさら下請けで、ガチャで当たった案件に放り込まれて、気づいたらCOBOLメンテしてたりする。

一方で、海外エンジニアってどう?CS学位持ってて、プロジェクトの選定にも入って、設計にも深く関わってて、給料も2倍3倍。あっちはエンジニア技術者として尊敬されてる。こっちは?「人材派遣会社所属する作業員」。この差はでかい特に辛いのは、自分技術評価されるより先に「営業の腕」で現場が決まるってこと。技術じゃなくて、営業力で飯が食えるって、なんのためのエンジニアよ?

俺は一応、大学院CSやってたし、論文も書いてたし、そういう意味じゃまだ「エンジニア世界」の片鱗を見てきたつもり。でも日本現場に入ると、その知識なんて全然活かせないのよ。優秀であることより、「指示されたことだけやって、余計な口出ししない」ことの方が求められる。そりゃあ、優秀なやつから抜けていくよね。で、残るのは「とりあえず現場大人しくしてる」だけの自称エンジニアたち。

ま、そういう俺も、来月からまたSESで別の現場。たぶんまた、隣の席に「未経験から入りました!」って笑顔で言う人が座ってて、「チャットGPTって便利ですね!」とか言うんだろうな。いや、別に悪くはないけど、これってエンジニアって言えるんかな?

Permalink |記事への反応(2) | 15:08

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2025-06-10

フジテレビTBSドラマに出てくるような酒場があった

フジテレビTBSドラマに出てくるような、客が自ら自分経験した奇妙な出来事恋愛話をマスターに語る酒場が本当にあることを、今日初めて知った。あれはフィクションのための舞台装置だと思っていたのだが、本当に実在するとは思いもよらなかった。それも東京ではなく、千葉県地方都市でだぞ。

でも、自分はこの会話に入れない。「金持ちそうな謎の老婆に連絡先を突然渡された。アレは一体何だったんた?逆玉の輿のチャンスだったのか?」という話で盛り上がった後に、もしも「いやー、自分COBOLコードWindows FormsやWPFリプレイスするのに今、苦労してるんですよ」とか愚痴っていたら、「コボルって何?ウィンドウズ・フォームズって?」と返されて、急速に場が冷えてしまっていたことであろう。

あんな、脇役のオジサンヒロインの悩みに間接的にスポットライトを当てるような会話のシーン(その後、ヒロインが自室で体育座りしながらオジサンとの会話を思い出し、誰にも話していない彼氏との行き違いに悶える、よくあるアレ)に出会えるとは。そして自分は、その会話の雰囲気に参加できるネタを何も持ち合わせていない、場違いな客。

Permalink |記事への反応(1) | 23:07

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2025-05-24

DOGEがAICOBOL刷新するプロジェクト強引にやってたけど、結局どうなったんだろうなあれ

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2025-04-23

anond:20250423124608

Java普通にまだまだメジャーで普及してるだろ。COBOLとはわけが違う。求人ググッたら他のメジャーどころと一緒に入ってる。普及範囲が広いかレガシー現場で古いJava使ってるとこもあると思うが。JavaScript並にメジャーだぞ。

てかJava書ければC系の言語は大抵書けるだろ。COBOLだともう1回学習コストいると思うが。

俺が話してるのはJava24の話でJava 1.7とかの頃の話ではない。

Permalink |記事への反応(0) | 16:14

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2025-04-18

anond:20250418125645

COBOLっていう「管理職でも読めちゃうおれ❤️」って言語があってな?

ってジジイの昔話をしそうになった

Permalink |記事への反応(0) | 12:58

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2025-04-15

大学教授論点をずらしている

虚偽

おきさやかSayakaOKI

@okisayaka

極右思想基本的人口の一部抹殺が含まれるんだけど、それを彼らは「面倒なものを視界に入れない権利がある」「きれいごとを押しつけられない権利がある」などして正当化する。しかし実際に人が死んで自分汚れ役になる覚悟はできておらず、犠牲者が出ると狼狽えてフェイクニュース隠蔽

午後2:08 ·2025年4月13日

30.1万 件の表示

毛沢東極右だったのか…

あとナチス極右と言われるが、国民社会主義ドイツ労働者党という名前はどう見ても左翼です。

そもそもフェイクニュースで隠ぺいと言うが、フェイクニュースという概念自体がなかったもので、強いて言えばプロパガンダの間違いだと思います

もっとフェイクニュースかいう連中ほど平気でうそをついているので、フェイクニュースとか言う人たちは軒並み信じないんですけどね。

ニュースフェイクかどうかなんて関係がないです。事実かどうか、間違っていないか、そうした点です。

ポルポト極右だといえるか

ポル・ポトPol Pot)と彼の率いたクメール・ルージュクメール・ルージュカンボジア共産党)は極左左翼急進主義)なので、どうみても歴史を知らないようだ。

論点ずらしと嘘を言っている

おきさやかSayakaOKI

@okisayaka

4月13日

返り血を浴びる覚悟がないのに悪ぶってみせる。「楽な方に流れるのは仕方がない」といいながら、その方向が楽ではないという事実から目を背けるために過剰な努力を注いでしまう。そんなMAGAたちには既視感がある。

おきさやかSayakaOKI

@okisayaka

4月13日

しかし、米国の「移民勝手に死人扱いにして追い出す」って、ほとんど中学生じみたやり方だな。

知能犯になりきれていない。

意味がわからない

返り血を浴びる覚悟がないのに悪ぶってみせる。「楽な方に流れるのは仕方がない」といいながら、その方向が楽ではないという事実から目を背けるために過剰な努力を注いでしまう。

少なくともトランプ大統領はJ6という嘘をでっちあげられ、メディアから叩かれました。しかも2回も暗殺されかけています返り血を浴びる覚悟

少なくともトランプ返り血を浴びる覚悟はあると思います

完全にウソ

米国の「移民勝手に死人扱いにして追い出す」って、ほとんど中学生じみたやり方だな。

実際にあった問題事実

社会保障給付を受けている」というのは、アメリカ報道された実在不正利用ケースに関係しています

→ たとえば死去した移民名前社会保障番号を用いて不正医療保険給付金を受け取るといったケースが指摘されています

移民に限らず、死亡届の処理ミスや身元不明の者を死亡者として登録してしまうなどの事務的問題もありました。

→ こうした制度の不備が一部で「死人扱い」の誤解を生んでいます

批判する記事もみたが……

イーロン・マスクの「150歳が社会保障給付を受けている」という主張は“誤解”である

https://wired.jp/article/elon-musk-doge-social-security-150-year-old-benefits/

コンピュータープログラマーたちはすぐに、「150」という数値は不正証拠ではなく、米社会保障局(SSA)の給付システム特有仕様によるものだと指摘した。このシステムは、60年前のプログラミング言語であるCOBOLで主に構築されている。COBOLは多くの米国政府機関システムに使われてきた。

しかし、COBOL現在ではほとんど使用されていない。そのため、マスクが抱える若手エンジニアチームはこの言語を知らない可能性が高い。

COBOLには日付型がないので、一部のシステムではすべての日付を特定基準日に基づいてコード化する方式採用されている。よく使われる基準日のひとつ1875年5月20日があり、これはパリ主催された単位確立と普及を目指す国際会議メートル条約」の開催日である

これらのシステムでは、生年月日が未入力または不完全な場合基準日が自動適用される。このことから2025年時点で該当データはすべて150歳と表示されるというわけだ。

これは、DOGEが発見したとする状況について考えられる説明ひとつにすぎない。実際には、マスクSSAウェブサイト確認するだけでよかった。そこには2015年9月以降、115歳に達した時点で給付金の支払いを自動的に停止すると明記されているのだ。

 ナンセンスですね。COBOLを知らないという根拠が「若いから」というのは失当です。なんの根拠にもならない。また150歳までは年金を受け取っていなくても115歳まで受けっているのは不正です。だれが給付を受けたのか。

 このようにワイヤードのようなレベルの低い反論しかできないため、不正給付は疑いようもない事実です。

 あと自分たちが気に入らないから人を馬鹿ときめつけて語るということは、ウソをついているからです。

表現に含まれ誤謬や誇張

勝手に死人扱いにして」「追い出す」というのは、

 1.意図的に死亡認定して

 2. そのうえで国外退去処分をする、

 という、ほとんど陰謀論的・中二病的な筋立ではないでしょうか。。現実には、死亡と記録されたために給付が停止されたり、移民局との照合ミスにより処理が誤ったりしたケースがあるに過ぎないと言えるでしょう。極めて感情的発言で、事実とは異なっています

 すくなくともMAGAを批判するのであれば、こうした感情的不正確で歪曲したことを言っていてはいけないわけですが……

Permalink |記事への反応(1) | 21:03

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anond:20250415091013

COBOL自体が悪いわけじゃないけど

COBOLは当時の「文系管理職なのにー」なんだよね

エクセルマクロ親玉みたいなもん

Permalink |記事への反応(0) | 09:13

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COBOLってそんなに悪いのか

悪いのは仕様書であって、それが悪けりゃ何で書いても一緒だと思うが

Permalink |記事への反応(1) | 09:10

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anond:20250415011341

1問題提起の浅さ*

>Windows使ってるエンジニアってどこにいるの?

この質問、まるで「スマホ使ってる大人ってどこにいるの?ガラケーで十分でしょ」レベルですね。

技術スタック多様性理解できない時点で、筆者は「エンジニア」以前に「物事相対的に見られない人」確定です。

2ドメイン知識の欠如*

>機械エンジニアとか、それこそ制御エンジニアとか

「とか」で濁すあたり、具体的な業界事例を知らないことがバレバレ

Windowsでないと動かないアプリ多いだろ」という雑な一般論で逃げるの、典型的な「自分が知らない世界存在しない」症候群です。

3ITドカタ発言自己矛盾*

>ITドカタがエンジニア自称する

この表現を使う時点で、筆者は「自分は本物のエンジニアだ」という謎の優越感に浸っています

しかし、OS選択技術者の価値を決めつけるような狭量さは、むしろ「ドカタ」の思考パターンのものですね。

4SIer()不適切な括弧書き*

>SIer()ホストエンジニアとか

()」で揶揄うつもりでしょうがSIerホスト系を馬鹿にできる根拠は?

実際、金融公共機関の基幹システムCOBOLメインフレームで動いており、彼らがいなければ社会が止まるのですが……。

筆者のシステムへの依存度を調べたら、案外「SIer()」の作ったシステムにお世話になってるかもしれませんよ?

5技術選定の無理解*

>Windowsでないと動かないアプリ多いだろ

「動かないから仕方なく使ってる」という前提が全て間違い。

技術選定は「適材適所」が基本で、Windowsが最適なケース(産業制御Active Directory連携.NET環境など)を無視する態度こそ、無能の証です。

6グローバル視点の欠如*

Microsoft時価総額(3兆ドル超)やAzureシェアを考えたら、Windows/Windows Serverが「ダサいレガシー」という認識は完全に時代錯誤

Linuxがカッコいい」「Windowsダサい」で思考停止してる時点で、筆者は10年前の技術オタクのまんまですね。

7結論:筆者のスペック不足*

この主張から推測するに、筆者の経歴は……

まり……**「自称イケてるエンジニア」の実際無能あるある**に完全一致です。

Permalink |記事への反応(2) | 01:20

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2025-04-09

anond:20250409214634

COBOLBASICのワイは?

Permalink |記事への反応(1) | 21:47

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2025-04-01

anond:20250401122631

まあ言語自体はどれでもいいんだけど(SQLは一番ChatGPTにやらせてるけど)

SQLに限らず致命的な問題は当然起こり得るよね

いう通り「金と法律に関わる」部分はシビアなので

だいたいユーザーは「今までの通り」というんだけど

今までの通りなら入れ替える必要がないんだから今までには絶対にならないし

そもそもいままでどう動いてたか誰もはっきり知らんしね

COBOLからJavaへの自動変換とか日本でも専門の会社あるけど

変換したあとが問題からなあ

適当でいいなら簡単だけどさ

バグのせいで給料出ないとかはやばい

Permalink |記事への反応(0) | 12:37

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