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「80年代」を含む日記RSS

はてなキーワード:80年代とは

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2025-10-24

俺が弱者男性にならなかった理由

過去を振り返ると人並みに試練が多い人生だったと思う。

例えば、

社会人になりたての頃は、

全く社会で戦っていける武器はなかった。

過去の瞬間を切り取れば、弱者男性と呼ばれる男だったと思う。

そこから40代になった今は、一応一部上場企業に勤め、年収は1,000万を超え、子宝には恵まれなかったが、妻と2人でささやか暮らしている。

現在弱者男性ではない理由は、他人に期待しなかったからだと思う。

まず近親者に問題が多かった。家族でもこれだから赤の他人行政が親身になって自分を救ってくれるとは到底思えなかった。

みんな自分の事で精一杯なのに、なんで何も持たない俺を気にかける?他人にとって俺を助けるメリットはない。だから自分を助けるのは自分しかない。ずっとそう思ってた。

独学でスキルを学び資格を取り、体当たりで色んな場所に顔を出してコネを作ったり、落とされても何度も挑戦して転職もできた。

途中では、挫折もしたし、恥も沢山かいた。ぞんざいな扱いに傷ついたり、悔しい思いも数知れない。

社会人スタートが遅かったから年下にこき使われることも頻繁にあった。情け無い気持ちになっても自分プライドを抑えた。生い立ちとか学歴とか、未だにコンプレックスだらけだ。

運が良かっただけとか生存者バイアスとか言われるかも知れない。でも誰かの救いを待ってるだけでは現状は悪くなるばかり。自分自分しか救えない。これは真実だ。

そして、これから人生で何が起きて、また弱者男性になるかわからないが、そんな時でも他人には期待できない。困らないような準備を今からしておく。

みんな頑張れ。

Permalink |記事への反応(2) | 11:03

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2025-10-19

流行りのポップアップショップを見るたびに、80年代タレントショップブームを思い出す

あの熱狂、真の人気者しか出せない空気感ファンが崇拝するグッズに囲まれる高揚感。

当時と今の最大の違いはSNSでの拡散共通するのは「生活必要ものはなにも売ってない」ってことだ。

Tシャツトートバッグマグカップ...ポップアップに並ぶ商品は、今のファンならもう家にごろごろあるはず。それなのに、行列して買うのは、それが「推しとの体験の証」だからだ。

この消費は、純粋機能ではなく「信仰に近い熱狂」で成り立っている。だからこそ、真の人気者しか出せない。

生活必需品を売る店との差が、ファンビジネス本質を炙り出しているように思えて面白い

Permalink |記事への反応(0) | 15:32

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2025-10-18

リメイクと言ってもハイスクール奇面組レイアースじゃ全く別物だよね、って話

レイアース異世界セフィーロ召喚される異世界転移モノで、令和の時代異世界転生・転移」が最大級トレンドジャンルになっている今、むしろオリジナル放送された90年代よりも今のほうが親和性が高いくらい。

内容的に古い部分があったとしても、異世界のものファンタジー世界なわけだから現代風にアレンジするのもそこまで難しくない。

一方の『ハイスクール!奇面組』はどうか。

こちらは80年代文化の、かなり中核的な部分に存在するアニメと言わざるを得ない。

Wikipediaで調べると、同アニメは『最高視聴率24.3%、平均視聴率は全86回で19.2%を記録』とある

今の時代から考えるとオバケのような数字だ。

放送時間帯はもちろんゴールデンタイムの土曜19時30分で、この時期はフジテレビ隆盛の絶頂期でもある。

80年代フジテレビの勢いはすさまじかった。

オレたちひょうきん族』があり、『笑っていいとも!』があり、『夕やけニャンニャン』がある。

これらの番組共通していたのは「内輪感」であり、東京芸能界ギョーカイ話を楽しそうに見せることで、視聴者を擬似的に芸能界の一員に仕立て上げるという画期的手法だった。

当時、「東京テレビ仕事をしている」というのが最高にかっこいい時代で、フジテレビはその頂点に君臨していた。

ハイスクール!奇面組アニメを語るうえで欠かせないのは、おニャン子クラブユニットうしろゆびさされ組」「うしろ髪ひかれ隊」との主題歌コラボレーションだ。

これ、単なる楽曲タイアップじゃない。

フジテレビ夕やけニャンニャンブレイク中のおニャン子メンバー高井麻巳子岩井由紀子ら)がアニメキャラ河川唯・宇留千絵にリンクする形で衣装振付もすべて世界統一してプロモーションを展開した、総合エンタメ戦略モデルケースなわけ。

主題歌は『ザ・ベストテン』にランクインし、アニメファンアイドルファンクロスオーバーさせて視聴率爆上げに成功した。

奇面組は、そういった文脈の中でヒットしたわけだが、作品としてはジャンプ黄金期ギャグマンガとして、ブサイク個性ととらえるポジティブさとナンセンスハイテンションギャグ若者を虜にした。

ゴールデン視聴率20%近く叩き出すこと自体バブルに向かう明るく楽天的時代の空気がなければ成立しなかったのだ。

まり奇面組』は、80年代フジテレビ全社戦略秋元康の仕掛け、そしてジャンプアニメのヒットが三位一体になったバブル時代象徴する文化の申し子、そのものなんだよ。

これは今から見ると、奇面組80年代ポップカルチャーの一部であると捉えることが出来る理由でもある。

で、今回2026年1月放送が発表されたリメイク版はどうか。

フジテレビの深夜枠でほそぼそと、こっそりと放送されるらしい。

アイドルとのコラボ文化は?確かに声優による主題歌カバーは確かに発表されている。

白石晴香長谷川育美が河川唯・宇留千絵として「うしろゆびさされ組」をカバーし、編曲はNightTempoという豪華布陣だ。

でもこれ、結局「声優キャラソン歌わせて終わり」のパターンなんだよね。

なんか全体としてものすごく地味で気概のようなものを感じない。

せめて坂道グループリメイクソング歌ってもらうとか出来なかったのだろうか?

と思う。

ここまで書いておいてなんだけど、実はおニャン子クラブとか秋元康とか、坂道グループとかの肯定派ではない。

正直言うと、あんまり好ましいとは思ってない。

ただ、奇面組というのを語るうえではアイドルアニメコラボという事象を避けて通るわけにはいかないんだよね。

というか、その部分が奇面組というアニメの核じゃないのか?

その文化的側面を無視してリメイクしたって、それは奇面組じゃないだろ。

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2025-10-17

相撲野球も大嫌いだった

80年代まれ自分にとって、それは親父の趣味だった

あの雰囲気アナウンサーの落ち着いた声、スローテンポ試合

ぜんぶ嫌いだった

 

あとは、神社仏閣も嫌いだったし、ニュースも嫌いだった

古いもの全部嫌いだったと思う

タバコも嫌いだし、酒も嫌いだし、お茶も嫌いだし、車も嫌いだった

NHKも、時代劇も、ドラマも嫌いだし、祭りも嫌いだった

昭和を感じるもの、親父(あるいは親族)を感じるもの、全部「古くてダサい」と言う感覚だった

 

それでパソコンに逃げたんだと思う

最近その呪いが解けつつある

改めてみると別にそこまで悪いもんじゃないように思えた

きっかけを与えたのは、若い子の感想と、日本すごい動画だった

もう長いこと離れていたそれらを見直したら、案外普通に思えた

 

まりこれは、親世代が着てるファッション絶妙にダサく感じる現象に近いんだと思う

世代が一周すると、別にいいじゃんとなる

 

例えば、昭和30年代あたりの文化に対して、自分はさほど何とも思わないしいいデザインだと思うが

世代は拒絶感が出るらしい、アデリアとかは一周してまたブームになっている

世代和服から離れてるのもそういうことなんじゃないかと思う

海外日本贔屓してる奴らも、別に日本が好きというより自分の周囲のすべてがダサくて退屈に見えてるんだろうなと思う

今の若者とかはどこらへんをダサいと感じてるんだろう

Permalink |記事への反応(2) | 19:10

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anond:20251017135804

NightTempo80年代の曲のアレンジ、どれもあんま好きじゃないな

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2025-10-13

anond:20251013214645

80年代まれならバンプアジカンエルレ王道だよな

Permalink |記事への反応(1) | 21:53

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2025-10-11

男はどのくらいロリコンか?

https://anond.hatelabo.jp/20251010151717

 

個人的に長年疑問なんだけど、満足いく正確な統計って実はないんだよね

なので非常に難しいし、

そもそもロリコン定義が難しいんだけど

社会的ロリコン→14〜17歳性的対象

医学ロリコン①→11〜13歳が性的対象

医学ロリコン②→〜10歳が性的対象

だとして(これら名前分けてほしい)

 

めんどくさいのは社会的ロリコンで、ここって実は男の2/3くらいは入ってると思うよね

17歳に興味が一切ないなんて人は強めの年上好きくらいだと思う

(これが女性になると1/2くらいになると思う)

1990年代なんて、アイドルは15〜18歳が大漁に居たし、橋本環奈最初にバズったのも14歳

一方で、人気女性芸能人や、人気AV女優を見ると20代が多いから、非ロリコンの方が世の中多いというのもわかる(もしロリコンが多いならこれが10代ばっかりになるはず)

 

医学ロリコン①は難しくて、おそらく男性全体の20%くらいなんじゃないか

80年代90年代にはそういう雑誌商業的に成り立っていたしね(これ海外ならもう少し減るんじゃないかと思う)

とは言え社会的NGとされてるから、そういう心理もあって抑圧している人も多いし、二次元だけOKとなってる人もいる、それ込みの20%くらい

なぜこの層が男性において一定数居るかというのは、単純に男性の性の目覚めがこの時期だからなんだと予想している

男の性癖っていうのは刷り込み効果が強いので、その時見ていたものがそのまま性癖として残るんじゃないかと(あと日本場合オタク文化のせいもある)

 

そう考えると、ガチ意味でのロリコンは②の方で、流石にここまで来ると10%を割ってくると思われる(それでも百万人以上居る計算だけど)

面倒なのは②のモチベーションが「性的魅力を感じるから」じゃなくて「大人が怖いから」とか「力でねじ伏せられるから」とか「女なら何でも良い」みたいなのが混ざってくることで、これらは果たして小児性愛者」なのかというと疑問が生じる(そんで大体犯罪犯すのってこいつらだったりする。宮崎勤ですらこれだった)

 

過去ネットで知り合った中で一番ガチだったのは、性的対象年齢が6〜7歳限定二次元NG)って人で

「流石に生きづらくないですか?」って聞いたら普通に生きづらいと返ってきた、こういう人は病院行くべきなんだと思う(治るかは知らんが)

Permalink |記事への反応(1) | 20:31

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2025-10-09

子供の頃、親が70〜80年代ソングを聴いていたのと同様に自分00年代ソングばかり聴いている。

Permalink |記事への反応(1) | 17:13

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2025-10-08

趣味論文を書こうと考えている。

知人が趣味論文を書いている。

そう聞いたとき、私は正直ぎょっとした。

私にとって論文とは、大学四年の冬に締切と戦いながら泣きそうになって書いたあの苦行の象徴だった。ワードフリーズし、参考文献のフォーマットに何度も泣かされた。

ゼミ指導教には「増田君の考察はどこにあるの?」と詰められた記憶が今でもトラウマになっている。だからこそ「論文を書くのは楽しいぞ」と笑顔で言い切る知人には半ば呆れながらも残りの半分は感心した。

それに知人にとって論文とは遊びなのだという。

たとえば中上健次小説を読み解きながら、その語りのリズム身体記憶として分析する。あるいはボルヘスカフカ引用しながら、「言葉という迷宮」の中に潜り込む。

いわば、学問フォーマットを借りた創作だ。彼のノートPCにはMendeleyで管理された文献リストが整然と並び、PDFの余白にはびっしりコメントが書き込まれていた。

引用規則(APA第7版)を完璧に守りながらも内容は完全に趣味。その姿勢が実に格好よかった。

正直少しだけ惹かれた。そしてこの歳になると、少しだけ心を動かされるのは、それだけでも大ごとである認識にするには十分な出来事だった。

先日になって思い立った。俺も久しぶりに書いてみるかと。

テーマは「ゲームSFの相似について(仮)」にしようと思っている。

これは兼ねてから私が疑問に感じていたことであり、同時にゲームSFを愛するが故に気付いた類似点でもあり、概要はこのようなものだ。



SFサイエンス・フィクション)は、時代とともに未知の場所を変えてきた文学である

1950年代宇宙開発黎明期アシモフクラーク代表される黄金期のSF作家たちは未知の惑星や異星文明を、理性と科学の力で征服できる対象として描いた。

宇宙船拡張象徴であり、人間の叡智は宇宙限界を超えると信じられていた。

それは“外”への欲望時代だった。

だが月に人が降り立ち、テクノロジー現実のものとなるとSFの「未知」は急速に萎んでいった。

未知が科学説明できるようになったとき物語が頼るべき“遠く”は消えたのだ。

1970年代ニューウェーブSFが登場する。J・G・バラードフィリップ・K・ディックスタニスワフ・レムらが描いたのはもはや銀河の彼方ではなく、人間記憶感情。夢。そして現実のものの不確かさだった。

宇宙は外にではなく、内に広がっていた。こうしてSFは「科学物語から意識物語」へと変貌する。

この「外から内へ」というベクトルの転換は、

ゲーム歴史にもほぼ同じ構造で現れている。

80年代ファミコン黎明期ゲームは“ルールと制約”の世界だった。プレイヤーピクセルで描かれた小さな空間を右へ進み、敵を倒してスコアを競う。世界は狭いが、明確だった。

90年代以降、3D技術進化とともにゲームは広がり『ゼルダの伝説 時のオカリナ』や『GTA』、『Skyrim』のようにプレイヤー自由世界を歩き回る「外的探求」の時代が到来する。

当時の開発者たちにとって、”より広く”そして”より遠くへ”という命題は、まさにSF黄金期の“外宇宙志向”と同義だったのではないか

しか現代プレイヤーは既に気付いているはずだ。

いくら世界が広くても、そこに面白さはない――と。

 

この“虚無の自由”は、SFが外宇宙の飽和を経験したときとまったく同じ現象である

そこで新しい方向を示したのが、『DEATH STRANDING』『UNDERTALE』『The Last of Us』『NieR:Automata』といった作品群だった。

これらの作品は、プレイヤーに“何をするか”ではなく、“なぜそれをするのか”を問いかける。

行動の自由よりも、感情倫理選択意味を与えようとする。

それはまさしく、ニューウェーブSF宇宙船を捨て、人間の心を航行し始めたのと同じ転換である

かつてのSFが“内宇宙”という新しい宇宙を見つけたように、現代ゲームは広大なオープンワールドから本質的面白さを求められる時代へと転回するべきではないのか。

そこではマップの広さよりも、プレイヤーの罪悪感、葛藤共感といった感情の深さが物語駆動する。

Outer Wilds』のように記憶観測関係プレイヤー自身体験させる作品もあれば、『Disco Elysium』のように思考や信念そのものステータス化する試みもある。

こうした潮流はゲームが単なる娯楽装置を越え、プレイヤー自身観測対象とする“装置としての物語”になりつつあることを示している。

本稿では、SF歴史における「外→内」の転換を参照軸とし、ゲームにおける自由物語主体性の変化を考察する。

その上でプレイヤーいかにして“観測者=創作者”へと変容していくのかを明らかにしたい。

ゲームとは、かつてのSFがそうであったように、人間が“自分という宇宙”を探索するための新たなメディアなのではないか――

そうした仮説のもとに、ここから筆を進めていきたい。


このような内容で進めたいと考えており、感想等もらえれば励みになるのでどうか一言よろしくお願いします。

Permalink |記事への反応(6) | 14:59

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2025-10-06

anond:20251006150804

向こうがもっと痛かったら勝ちだから

そんなのはトヨタはとっくの昔に通った道

80年代なんかあいつらガチ関税100%日本車は焼き討ちだあで燃やしてたからな

Permalink |記事への反応(0) | 15:29

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anond:20251006144944

それもう実際に80年代ガチでやられてて

対策アメリカ雇用に食い込んでるので

トヨタホンダの方がGMなんかより全然アメリカ企業」なんだよね

から日本企業」を潰したらアメリカ人が職失うし

反米企業」を排除したらアメリカ企業排除される構図

Permalink |記事への反応(1) | 14:54

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anond:20251006131518

家庭用ビデオは普及率からみると、

1980年にはわずか5.1%にすぎなかったが、

85年には低価格化が進むなかで30%を超え、

90年には66%を超えるまでに至った。

利用形態からみると80年代前半にはソフトレンタルシステムも成立していなかったこから番組録画を中心としたタイムシフト型が主であった。

Permalink |記事への反応(0) | 13:49

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anond:20251006131233

80年代は初期と末期でだいぶ違うで

Permalink |記事への反応(1) | 13:15

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「今を生きる現実的保守私たちと違い、80年代オリーブ少女は非現実的な頭ゆるふわ左派

本棚の整理をしようとしたら、映画音楽ライター山崎まどかさんが、雑誌"Olive"全盛期とともに青春を過ごした日々を綴った『オリーブ少女ライフ』と、最初は読者、途中から女子高生ながらライターとして関わった作家酒井順子さんがかつての読者たちであるオリーブ少女たちの現在を追いながら、"Olive"のコンセプトの推移をシニカル順子節を炸裂させつつ綴った『オリーブの罠』と、"Olive"に関する書籍から本棚から転げ落ちてきたので、掃除を忘れて読みふけった。

しかし、「オリーブの罠」という言葉に導かれて読んでみると、なかなか興味深い。ガーリーな、ふわふわした服装に身を包みながらも、マガジンハウス社に煽られるように個性を追及したり、奇抜なお洒落に熱中したりする様は正直、痛々しくも苦笑いしてしまう。

酒井さんはオリーブ的なおしゃれを追及しようとするも実家のザ・昭和の日本家屋な建築様式やお財布の中身から躊躇してしまった、オリーブ少女時代を乾いた自虐を交えながらシニカル綴りマガジンハウスや当時の左寄り文化人やその卵たちの言葉翻弄されたかつてのオリーブ少女たちの当時の突飛な行動や現在の状況を辛辣かつ小さじ二杯の慈しみを込めて浮き彫りにした。

https://note.com/gusukuma/n/n5e3ee9ea99e2

この人は1982年まれ

九州田舎高卒スーパーで働いていたが(もちろん非正規)、子供の頃の米国ホームステイ経験故にアメリカコンプレックス

学歴コンプレックスもあるので30手前で地元無名私大入学

新聞記者雑誌編集者キャンティムッシュかまやつ安井かずみなど文化人が集うレストラン)のようなサロン運営に憧れるも、当然就活相手にされず、地元セブンイレブン系の弁当工場非正規雇用

もちろん未婚独身

それでも未だにハワイ留学を夢見るくらい現実が見えてないからね

Xのアカウントでも「イケメン結婚できず妥協するくらいなら独身の方がマシ」と豪語

これで「自分ゆるふわリベラルオリーブサブカル女子と違って現実的で冷静」と言う自認だから

https://note.com/gusukuma/n/n88881ace99fe

独り言。顔と身長だけしか取り柄のないクソ親父に容貌を蔑まれ小学校時代に好きな子にブス呼ばわりされてから余計に美しい男の人に固執するルッキズム権化と化した。ないものを追うのだろうね。

キナワンロックミュージシャン特撮俳優さんたちのルックスレベルが半端なく、なんか禁断の果実比喩であるエデンのリンゴどころか、天界のお御馳走+百年に一度しか実らない桃を食い荒らし、秘薬金丹までスナック菓子のようにパクパク食べた孫悟空になった気分になったんだよな。

しかすると、オキナワンロッカー特撮俳優さんらは、エデンのリンゴどころか、この世のうまみを凝縮したように美味しい、でも、禁断のヘルヘイムの実だったのかも(こら!)

理想を追うな、妥協しろと言うけれど、妥協して結婚して不幸せになったケースもいくつか見てるし(母親は親父のルックスだけに惹かれて悲惨運命になったけど)、それなら推し萌えたほうがずっといいや。

少なくとも80年代オリーブを読んでいた人達ドロップアウトすることなく進学就職を経て、キャリアを積んだり手に職をつけたり結婚して家庭に入っているわけで

こういうのと比較するとめいろま成功側よね

向こうで仕事も人脈もなくても

同じ権力者でも極右に媚びてお眼鏡に叶うと都合の悪い不祥事をもみ消してもらえると夢見てるのが保守層なのよ

それも各界で頭角を現した有名人でもコネ持ち上級の子子女でもセレブでもなんでもない、無数の平民立場

Xでも「自分職場ではアジア系外国人女性正社員雇用で総務にいる、そのうち軒先貸して母屋を取られる」と不満を漏らしていたが

九州在住の経営者なんて保守右翼しかいないのに、その人らですら日本人非正規ボンクラおっさんおばさんよりも若い外国人(非白人)を正社員に登用するのが現実なのよね

80年代サブカル人脈を左派リベラルにくくり二極化する単細胞思考のあまり酒井順子自分達側に置いてるのも違和感ある

彼女基本的保守だが冷静な視点を持ち、真摯文体で、地方原発リスク押し付け体制批判してるのも見たことがある

与党に媚びたい余り、原発よりメガソーラーの方が危険だと訴える「自称冷静で理知的保守」な皆様とは異なる

Permalink |記事への反応(3) | 12:43

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anond:20251006123333

俺は80年代中学生だったが

ネットなんて無いしなんならテレビ制限されてたのでシンナー吸ってたで

まれてていいなあ

Permalink |記事への反応(1) | 12:37

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日本80年代に「24時間戦えますか」やってたわけじゃん

その結果、バブル崩壊して失われた30年40年ずっとやってるわけじゃんね

バブル崩壊の総括やらずにまたリゲインやって復活するわけないんだよね

ほんとに過去の失敗に向き合えない国だよな…

Permalink |記事への反応(3) | 09:07

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2025-10-05

anond:20251005144053

記憶いかもしれんけど金井球ってミスIDにも出てなかったっけ?わてでも知ってるそれなりに知名度ある子やのに江口寿史先生知らんかったんかね?たまたまインスタに出てきたって知らなさそうな感じのコメント残してるけど。

知らん間に80年代のオシャレイラストの王VSミスIDみたいなことが起きてたの?となっている

Permalink |記事への反応(1) | 15:41

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2025-10-02

多摩センター東京なのに外国人がほぼ居ないのはなぜ?

1. 開発の歴史性質

多摩ニュータウンとして1970年代80年代計画的に開発された街。

当初から日本人ファミリー向け」の住宅街として設計されており、外国人居住者向けの賃貸住宅ほとんどなかった。

開発から40〜50年が経過し、今も街の構造住宅タイプは当時のまま。

まり外国人自然に入居する余地が少ない街」です。

2.地理交通の条件

京王線小田急線沿線新宿まで40分程度。都心へのアクセスは悪くないが、渋谷池袋方面への直通は少なく、利便性中途半端

外国人単身者に人気のエリアは「都心直通で利便性が高い+家賃が割安」な場所が多い(例:川口・蕨・新宿池袋など)。

多摩センターアクセス面で「やや不利」なため、外国人が選びにくい。

3.住宅特性

団地や低層マンションが中心で、単身者向け・外国人向け物件ほとんどない。

高層マンション新築ファミリー向け物件はありますが、価格帯が高めで外国人には手が届きにくい。

4.地域文化コミュニティ

地元住民は落ち着いた保守的な層が中心。

「新しく越してきた人」「外国人」を受け入れる文化的場やコミュニティほとんどない。

結果として外国人流入が少なく、街の国際色はほぼゼロ

5.治安と街の魅力のバランス

多摩センター治安が非常に良く、教育医療・買い物環境も整っている。

ただし「安全・便利=保守的で落ち着いている」街は、逆に外国人文化多様性を求める層には刺激が少ない。

🔑 まとめ

多摩センター東京でありながら外国人がほぼいないのは、以下が主な理由です:

・開発当初から日本人ファミリー向けの住宅街として設計された

都心直通ではあるが、利便性外国人単身者向きではない

外国人向け賃貸単身者向け物件が少ない

地元住民保守的・安定志向が強く、文化多様性の場が少ない

まり治安生活環境は抜群に良いけれど、多様性や国際色はほぼゼロという「成熟した郊外住宅地」の典型例です。

Permalink |記事への反応(2) | 10:44

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2025-09-30

インターセクショナリティ問題だね

anond:20250930093445

これは古くて新しい問題というか、かつて「性の解放」の文脈フェミニズムの内部批判がとっくにあった話だよね

1970年代80年代にかけて、「性の解放」はフェミニズム、LG運動ヒッピー文化の潮流の中で重要キーワードで、性を抑圧から解放し、女性主体的に性を楽しむべきだという主張だったんよ

しかしこの「解放」は、フェミニズム内部から批判対象となった

 

商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性性的搾取助長した

女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性欲望を満たす装置に変貌

・性の解放が「男性の性欲の正当化」にすり替えられた

特に職場大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も

上流階級白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判

→ 実際には、育児労働家庭内暴力、性産業への従事といった問題一般女性に集中していた

 

このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念やね

1989年キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論

黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判

インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級人種性的指向、障害の有無などの複数差別軸が交差することを問題にする

まり、「上流階級白人女性フェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放自由であり善であるという前提が、階級人種的に周縁化された女性現実をまったく反映していなかったという批判インターセクショナリティ視点からなされるようになったわけよ

 

トランスジェンダリズムも結局はこの枠組みの中の問題だったってことやね

トランスアライたちの多くはアカデミズム上流階級出身で、一般女性安全権利についての理解ができていなかったわけや

まあ医学生物学的に性は二つなんで、トランス最初からトンデモ理論だけどな

Permalink |記事への反応(3) | 17:18

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anond:20250929181645

少なくとも80年代アイドルブームの頃にはそういう空気感は確実にあったよなあ

SNSが普及してからというのは感度が鈍すぎ

Permalink |記事への反応(1) | 09:44

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2025-09-25

anond:20250925133642

80年代末期より前の自民党アメリカ中国の指示を受けてなかったの?

それとも指示を受けてたけど日本のためになることを命令してもらってたの?

Permalink |記事への反応(0) | 13:52

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2025-09-24

anond:20250924201908

県庁所在地80年代に開発された建て売り団地とかでも車がないと生活はできないので

解像度が低すぎる。

Permalink |記事への反応(1) | 21:20

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2025-09-23

80年代アメリカ映画テレビが華やかだったが、90年代ダウンタウンで荒れたな

アベノミクスとソレの役柄も終わって

参政党とか政治家は「やや歪んだ正義の味方」で軍拡の下心

海運業保険産業輸出組合が強いこと

また原爆落ちるのか?

Permalink |記事への反応(1) | 14:38

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2025-09-22

ランチ中に店内で吉川晃司を下手くそにしたような80年代歌謡ロックが延々流れているが

ジャストワンモアキッスが流れて初めてBUCK-TICKだと気づいた

ボーカル不細工だったら誰も聴かないだろこんなん

つくづく高身長イケメンは得だわ

Permalink |記事への反応(0) | 14:19

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街中からゴミ箱が消えだしたのは地下鉄サリン事件よりだいぶ前からのことだったよ。自分ゴミ自分で持ち帰りましょうってやつだ。それ以前(たぶん1970年代)には街中にもゴミ箱が置かれるようになって「ゴミゴミ箱へ」と訴えられていたのが、80年代あたりに方向転換があったようだ。

もっと前はそこいらじゅうにゴミが捨てられて街の中も電車の中も公園も汚かった。(だからゴミ箱が置かれるようになっていったわけだが)

Permalink |記事への反応(0) | 10:36

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