
はてなキーワード:715年とは
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孫権は自ら軍を率いて曹操軍の籠城する合肥城を攻める。しかし、張陵の奮戦に苦しめられた挙げ句、疫病の発生により撤退を余儀なくされた。更に張陵に追討ちをかけられ、命からがら逃亡した。
・沙苑の戦い
西魏軍は葦原に身を隠し、東魏軍の列が乱れたところを一斉攻撃する戦法で勝利した。東魏軍は6000名が捕らえられ、7万人が捕虜となった。
・パリ包囲戦
885~886年 ★西フランク王国200vsヴァイキング3万~4万
西フランク王国の首都パリをヴァイキングの大軍が包囲。フランク人達は1年にもわたる激しい抵抗を繰り広げ、やがてカール3世率いる援軍が到着したため、ヴァイキングは撤退した
1336年 南北朝・建武の乱 ★足利軍1000vs菊池軍1万
博多へ侵攻する菊池軍と足利尊氏が遭遇。菊池軍に離反者が相次ぎ、敗北した。
・ベオグラード包囲戦
オスマン帝国はハンガリー王位を巡る内戦に乗じてセルビアへ侵攻、ベオグラードを包囲した。ハンガリー軍は5ヶ月に渡って抵抗し、これを退けた。
・クルヤ包囲戦
1450年 オスマン・アルバニア戦争 ★アルバニア軍8000vsオスマン軍10万
スカンデリベグ率いるアルバニア軍がオスマン帝国に包囲された。アルバニア軍は敵軍の補給を断ち、士気の低下と病気の流行に苦しめられたトルコ軍は撤退した。
・ベオグラード包囲戦
1456年 ★ハンガリー軍4000vsオスマン軍3万~40万
コンスタンティノープルを陥落させたトルコ軍は勢いに乗じて、ハンガリーへ侵攻するが、ベオグラードで英雄フニャディ・ヤノーシュの活躍の前に敗れ去る。
・ヘミングステットの戦い
1500年 ★ディットマルシェーン500~1000vsデンマーク軍1万2000
ディットマルシェーンの農民達がカルマル同盟に対して反乱を起こす。農民達はバリケードを築き、土地を氾濫させたため、デンマーク軍は数的優位を活かせなかった上、大勢が溺死したため、撤退した。
・ロドス包囲戦
1522年 聖ヨハネ騎士団6700vs★オスマン帝国8万~12万
ロドス島を支配する聖ヨハネ騎士団をオスマン帝国が包囲。半年にも及ぶ激戦の末に騎士団は降伏。シチリア島へ移った。トルコ軍にも2000~5万の死傷者が出た
・クーセグ包囲戦
1532年 ハンガリー軍700~800vsオスマン軍12万~20万
ウィーン遠征へ向かうトルコ軍がハンガリーの小さな町クーセグを包囲。貧弱な装備ながらも守備隊は25日間抵抗し続け、ハプスブルクの援軍を恐れたスレイマン1世は撤退した。ハンガリー軍は最後まで降伏しなかったという説と降伏を受け入れたが少数のトルコ人しか砦に入れなかったという説がある。
現モンテネグロの町カステルヌーヴォをバルバロス率いるトルコ軍が完全包囲。スペイン軍は降伏勧告を無視し、1ヶ月にも及ぶ激戦の末に100名を除いて全滅したが、トルコ軍も8000人から2万人が戦死した。
・アンドリエンの戦い
1550年 アラウコ戦争 ★スペイン・ピウンチェ連合軍500vsマプーチェ族2万人
マプーチェ族はスペイン軍に夜襲を仕掛けるが、スペイン軍は警戒を怠らなかったため、返り討ちにされ、3000人が戦死した。
・エゲル包囲戦
1552年 ★ハンガリー軍2000vsオスマン軍3万5000~4万
イシドヴァーン・ドヴォ率いるハンガリー軍がトルコ軍に包囲されるも、厚い防壁、イシドヴァーンのリーダーシップ、トルコ軍の内部対立に助けられ、防衛に成功した。
・マラッカ包囲戦
アチェ王国はポルトガルからマラッカを奪還しようと大軍を派遣し包囲するが、3000人以上の犠牲者を出して敗北した。
・ファマグスタの戦い
1570年~1571年 オスマン・ヴェネツィア戦争 ヴェネツィア8500vs★オスマン軍10万~12万
キプロスのクリスチャン最後の砦ファマグスタが1年近く激しい抵抗を繰り広げた後に降伏した。ヴェネツィア軍は7600人が戦死し、トルコ軍は1万~2万人が死傷した。当初トルコ軍は砦内のクリスチャンの安全を保証するもその約束を反故にし、ヴェネツィア人たちを虐殺し、指揮官のブラガディンは耳と鼻を削がれた上、皮剥の刑に処された。
・英賀合戦
1577年 戦国時代・中国攻め ★小寺軍500vs毛利軍5000
織田寄りの小寺氏を討伐するため、毛利は大軍を派遣する。しかし、小寺軍は敵が上陸した直後を奇襲した。更に農民達に旗を挙げさせ、それを敵の援軍と勘違いした毛利は兵を引いた。
・クヴォダンスコの戦い
1577年~1578年 クロアチア軍300vs★オスマン軍5000~1万
クロアチアの都市クヴォダンスコをトルコ軍が包囲した。防衛軍は3ヶ月に渡って籠城し、3度の大規模な攻撃を退けた。守備隊が全員餓死若しくは凍死した後にトルコ軍は砦を占拠し、敵兵の遺体を手厚く葬った
伊東軍が建設した石城を島津軍が包囲する。しかし、石城は三方を急流、背後を険しい崖に覆われた天然の要塞であったため、島津は一度撤退した。伊東軍の死者10人に対し、島津軍は500人が死亡し、大将の島津忠長も重傷を負った。2ヶ月後島津軍は1万人の大軍を派遣して城を堕とした。
・ナジカニジャ包囲戦
1601年 ★オスマン軍9000vsハプスブルク6万5000~10万
現ハンガリーの都市ナジカニジャをハプスブルクの大軍が包囲。オスマン軍は潤沢な物資があるように見せかけながら防衛戦を繰り広げ、73日目に奇襲攻撃を仕掛けた。これを敵の援軍と勘違いしたハプスブルクは軍を撤退させた。
マラータ王国の台頭を警戒したビジャープル王国は討伐のために軍を派遣する。マラター軍はビジャープル軍の追撃から国王シヴァージーを逃がすため、狭い砦で命がけの戦いに挑んだ。この戦いで両軍とも兵力の半分を失ったが、シヴァージーは逃亡に成功した。
・ハドウの戦い
1694年 ポーランド・オスマン戦争 ★ポーランド軍400vsクリミア・ハン軍4万
ポーランド領ポジーリャに侵入したタタール軍とポーランド軍が激突した。ポーランド軍は木製の柵で守りを固め、弾薬が尽きれば、モンゴル軍の矢を打ち返すなど奮戦し、撃退した。ポーランド軍の損害は100名足らずに対して、タタール軍は1万人以上であった。
・アナントプルの戦い
シク教の台頭を恐れたムガル帝国は討伐軍を派遣する。しかし、グル・ゴービンド率いるシク教徒たちに敗れる。
・ナフプリオ包囲戦
現ギリシアの町ナフプリオをヴェネツィアはトルコから奪還することに成功し、更にパラミディ要塞を建設し、防衛強化に努めた。しかし、トルコの大軍に包囲され、1週間ほどで陥落し、住民達は虐殺されるか囚人として連行された。しかし、この戦いでトルコ軍も8000人以上が戦死した。
・ガングワナの戦い
1741年 マールワール軍1000vs★アンベール・ムガル・バラトプールなど連合軍1万~4万
マルワール王国はアンベール王国の戦争に敗れ賠償金と土地を要求されるが、国民が怒ったため、報復戦争を開始する。マールワール軍の騎兵ははアンベール軍を強襲し、蹴散らすものの、ムガル軍の砲撃によって敗北した。マールワール軍は全員が戦死するか負傷したが、連合軍は12000人が負傷した。
・レイバー橋の戦い
1855年 第二次フランス・トラルザ戦争 ★フランス軍14vsトラルザ軍1000人
セネガルとセントルイスを繋ぐレイバー橋をトラルザ軍が襲撃するも、14名の守備隊に撃退された。フランス軍は3名が負傷しただけであったが、トラルザ軍は127名が死傷した。
江戸幕府は将軍徳川家茂自ら軍を率いて長州討伐に出征する。しかし、西洋化が進められた長州の装備に苦しめられた挙げ句、家茂が病死したため、撤退した。
1879年 第二次アフガン戦争 イギリス軍75vs★アフガン軍2000
カブールの英国居住地に居たピエール・カヴァナリ郷をアフガン人が襲撃した。護衛達は奮戦し、600人死傷させたが、2名を除いて戦死した。
・マイワンドの戦い
1880年 第二次アフガン戦争 イギリス軍2500vs★アフガン軍2万5000
アフガン人とイギリス軍が激突、数で勝るアフガン人が勝利を収めた。しかし、イギリス軍の死者1000人に対し、アフガン軍の死傷者は1万人以上と勝者の払った犠牲も大きかった。
・シャンガニ・パトロール
1893年 第一次マタベレ戦争 イギリス南アフリカ会社37vs★マタベレ軍3000
イギリス南アフリカ会社は現ジンバブエのマタベレ王ロベングラの逮捕のために軍を派遣するが、待ち伏せに遭い3名を除いて全滅した。しかし、マタベレも400~500名が戦死した。
1896年 フィリピン革命 ★スペイン軍100vsカティプナン800~1000
マニラの東サンフアンでフィリピン独立を求める秘密結社カティプナンが武装蜂起を起こすが、スペイン軍に敗れ撤退した。この戦いがフィリピン独立戦争の始まりとなった。
・カカロン・デ・シリの戦い
1897年 フィリピン革命 ★スペイン軍600vsフィリピン6000
ブラカンでフィリピン人がカカロン共和国の設立を宣言し、砦を築いた。スペイン軍は討伐軍を派遣し、砦を攻略した。反乱軍の残党達はスペインに対してゲリラで抵抗を続けることとなる。
・サラガリの戦い
1897年 ティラ作戦 イギリス領インド帝国軍21vs★パシトゥーン人1万人
ティラ地方のアフガン人がイギリスに対して反乱を起こし、サラガリに駐在していたイギリス軍を襲った。イギリス軍は全滅したものの、アフガン人も450名が死傷した。
・サンタ・クルス包囲戦
1898年 フィリピン革命 スペイン軍700vs★フィリピン軍1万
ラグナのスペイン軍最後の拠点サンタ・クルスをホセ・リサールの兄パシアノ・リサールが包囲した。スペイン軍は2ヶ月に及ぶ抵抗でフィリピン軍に大損害を与えたが、降伏した。
・ベーラー包囲戦
1898~1899年 フィリピン革命 スペイン軍50vs★フィリピン軍800
教会に立て籠もったスペイン軍をフィリピン人達が1年にわたって包囲する。スペイン軍はフィリピン軍が700名の兵力を失う程激しく抵抗し続けたが、スペイン本国が敗れたことを知り投降した
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍1200vs★ドイツ軍1万7000
ドイツ軍がポーランド軍の防衛するウェンギエルスカ・グルカ村を通過する際にポーランド軍と2日間交戦する。ドイツ軍は勝利したものの、多大な犠牲を強いられ、ポーランド軍の戦死者は7~20名、7名が処刑された。
・ヴェステルプラッッテの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍205vs★ドイツ軍2600
ドイツ軍が自由都市ダンツィヒのヴェステルプラッテ半島を攻撃。ポーランド軍は1週間に及ぶ激戦の末に降伏。ポーランド軍の死傷者67名に対し、ドイツ軍の死傷者は300~400名であった。
・ウィズナの戦い
1939年 第二次世界大戦・ポーランド侵攻 ポーランド軍350~700vs★ドイツ軍4万2000
ドイツ軍がウィズナ村を通過した際にポーランド軍の激しい抵抗に苦しめられた。3日間の死闘でポーランド軍は壊滅したが、ドイツ軍も1400名の死傷者を出した。
・ミルの戦い
1940年 第二次世界大戦 オランダ侵攻 オランダ軍2000vs★ドイツ軍3万
ドイツ軍がミル村を通過する際にオランダ軍の激しい抵抗に遭った。ドイツ軍は勝利したが、500人以上が死傷し、オランダ軍は80人が死傷した。
・ソーミュールの戦い
1940年 第二次世界大戦 フランス侵攻 フランス軍2500vs★ドイツ軍4万
フランス軍の訓練生達がドイツ軍の攻略に2日間抵抗した。フランス軍の死傷者250に対し、ドイツ軍の死傷者は400名で戦車も7両破壊された。訓練生達の勇気はドイツ軍指揮官クルト・フェルトですら賞賛した。この戦いはペタン元帥の停戦呼びかけの後に行われたため、最初のレジスタンスであるとされる。
・ニリムの戦い
1948年 パレスチナ戦争 ★イスラエル軍39~45(内12人女性)vsエジプト軍500~800
イスラエルのキブツ(共同体)ニリムをエジプト軍が包囲した。エジプト軍は装甲車、航空機などの支援を受けて攻撃したが、イスラエル軍の防御を突破できず撤退した。
・3234高地の戦い
1988年 ソ連のアフガン侵攻 ★ソ連軍39vsムジャヒディーン、パキスタン軍450~650
3234高地に配備されたソ連空挺隊がムジャヒディーンの襲撃を受けた。ソ連軍は34名の死傷者を出しながらも200名以上を殺害し、撃退した。
・ヴコヴァルの戦い
1991年 クロアチア紛争・ユーゴスラヴィア紛争 クロアチア軍1800vs★ユーゴスラヴィア・SAO36000
クロアチア東部の都市ヴコヴァルをユーゴスラヴィア軍が87日間にわたって包囲した。クロアチア軍は大半が死傷し、多くの民間人も虐殺・追放されたが、ユーゴスラヴィア軍も3600人が死傷し、戦車と武装車両1100両以上と航空機3機が破壊された。
’90年代のはじめ頃、オカルト分野に興味を持っていた私は、ある新興宗教団体が主催する(オカルト的な)催しに参加した。
その催しは、参加者の運勢を占ってくれるという類のもので、(新宿駅西口に机を並べていたような)占い師みたいな人が適当に占ってくれたのかというとそうではなく、ガチムチの能力者っぽい人たち(50〜70歳くらい)が現れ、私のリーディングをして、「あなたは2021年の7月頃に死ぬ」そして、「同じ時期に沢山の人が死ぬ」と言い、後者について、とても不思議に感じているという意味のことを私に話した。
それを聞いた当時の私は、『ノストラダムスの大予言』に強い興味を持っていたので、ミレニアム(1999年から2000年)の時期に全然関係のない話で、しかも、2021年という当時の自分にとっては遠い未来についての予言でもあり、とてもがっかりしたことを憶えている。
なお、その能力者の人々には社会常識もあり、会場にいた若い女の信者が私を宗教施設に案内しようとしたのに対して、私が未成年だという理由で、そのまま家に帰してくれた(当時はカルト宗教団体や詐欺商法に対する知識が欠落していたので、オウム真理教でなくて本当に良かったと思う)。
上記の体験についてはすっかり忘れていたが、今年、コロナの問題が生活に影響するようになってきて、マスクを買ったりコロナに効果があるという既存薬について調べるようになって、ふと、この件を思い出した。
当時の(宗教団体の)能力者の人々は、沢山の人々に対して(アカシックレコードの様な感じの)リーディングを行ない、何かを探っていたのだと思う。
どうしてこの件を思い出したのかというと、現在的な知識で解釈すると、「2021年の7月ごろに私が死亡する」「同じ時期に沢山の人が死ぬ」という30年近く前の予言は、コロナの今後を占う上での材料になりうるからだ。
もっとも、それは「曖昧な記憶の上に築き上げられる真偽不明なもの」であり「私が個人的に感じている事柄」に過ぎない。それが前提条件だ。
率直に、その材料を元にコロナの今後を予想すると、「来年もコロナの問題は終結せずに日本で蔓延(第2波)し、しかも、強毒化する」と解釈することが出来る。
私は地方政令都市のベッドタウンに住んでいるので、私が感染して死ぬという仮定だと、東京・大阪あたりの感染爆発では収まらず、地方都市にも蔓延するというストーリーになる。
だが、実際には来年のコロナの蔓延など起こらず、普通にオリンピックが開催されて、私もこれを書いたことをすっかり忘れていて、レスリングや柔道の試合に熱中している可能性もある。
しかし、また、私を含む多くの日本人は、もしかしたら、「ある種の思考停止に陥っている」のではないかな、とも感じる。
どういうことかと言うと、現状として、世界中で1400万人、アメリカで376万人、ブラジルで209万人、インド107万人がコロナに感染していて、未だに感染者の急激な増加が続いている。
そして、フランスにおける致死率は17.4パーセント、イタリアが14.4パーセントでもある。
日本では感染者2万4642人、致死率4.3パーセント、死者1001人。
私もそうなんですが、海外における惨状を、どこか「対岸の火事」だと感じ、自分とは関係のないことだとタカをくくっていはしないでしょうか。少なくとも、私自身はそう。
最近も、豪雨災害がありましたが、自分自身が被災していれば別ですが、そうでない以上、被災者本人の精神的・物質的な痛みに鈍感になってしまい勝ちなのです。
そう、「今年のイタリアやフランス、アメリカが、来年の日本」になる、コロナの問題は「対岸の火事」だとでも感じていたところが「此岸の火事」になる可能性がある。
ところで、発展途上国では浄水施設が整っていないので、ペットボトルに入れた水を6時間位太陽光に曝してから飲用することが推奨されている。
これは、太陽光に曝すことにより、水に含まれている細菌(のかなりの程度)が殺菌・消毒されるからだ。
また、朝、日光を毎日浴びることが健康につながることは常識になりつつある(体内でビタミンDが生成される)。
ところが、その日光の源である太陽の活動低下が科学的に確認されている。
https://www.youtube.com/watch?v=l3QQQu7QLoM
太陽活動が低下すると、スベンスマルク効果で火山の活動が活発になり、地震が多発し、雲が多くなり、農作物が不作になります。経済活動が低下する。
直近では、1645年から1715年のマウンダー極小期に太陽活動が低下していますが、ルーベンスやブリューゲルが『嬰児虐殺』を描いた飢饉の時期(暗黒の中世)にあたる。
なお、スベンスマルク効果、太陽活動の低下については、(国内では)神奈川大学学長の桜井邦朋氏が研究されている。
※眠りにつく太陽――地球は寒冷化する(祥伝社新書215) (amazon)
https://www.amazon.co.jp/dp/4396112157/
※太陽の活動減退で「ミニ氷河期」が2020年から2050年にかけて到来する可能性(GIGAZINE)
https://gigazine.net/news/20180217-global-warming-solar-cooling/
※あと5〜10年で地球は極寒に? 最新の太陽研究が予測(WIRED)
https://wired.jp/2015/07/14/mini-ice-age-earth-sunspots/
https://www.afpbb.com/articles/-/3004321
この太陽活動の低下により、日光による地表に対する浄化・殺菌作用が低下している、また、個々人の浴びる日光の力が弱まることにより、健康改善作用が低下している可能性は高いと感じる。
また、そのことが巡り巡って、人間の免疫力が低下するなどして、コロナウィルスの蔓延につながっている可能性も「なくはない」。
ちなみに、マウンダー極小期の前後の時期と、(主にヨーロッパで)ペストが蔓延した時期は重複している。
【おわりに】
冒頭の体験は、過去の体験を記憶に基づいて記したのみであり、私自身が、来年自分が死ぬということを予言・宣言しているわけではありません(だから、来年、再来年頃、私が普通に生活していても怒らないでくださいね。ちなみに、全く収入が無くなっても2〜3年生活する分くらいの蓄えはあります)。
コロナが終結して、東京オリンピックが無事に開催され、街なかに活気が満ち溢れるようになり、この国が繁栄していくことを願っています。
また、現代社会がディストピア化し、死亡イベントが多くの人間にとって「生地獄と化した現世からの解放」だと感じられるようになる、そのような未来が現実化するような事態は避けなければならないでしょう。
コロナに対する上で何かのヒントになる、少しでも役に立てば幸いです。