Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「1996年」を含む日記RSS

はてなキーワード:1996年とは

次の25件>

2025-07-16

anond:20220505101521

言うほど持たざる者か?

幼少時代

貴金属業を営む家庭に生まれる。一人っ子。2歳の頃から1年ほど、母の友人が運営していた幼稚園プレスクール)に通園した後、駒込にある幼稚園に3年保育の予定で入園したが、校風が合わなかった。翌年、国立東京学芸大学附属である東京学芸大学教育学部附属幼稚園竹早園舎に抽選により入園[4][5]、のびのびと育つ。この頃に本郷から小石川引っ越しをした[6]。幼稚園からエスカレーター式に東京学芸大学附属竹早小学校[7]、東京学芸大学附属竹早中学校と内部進学をする。高校内申点が不足していたため外部の学校受験することになった[5]。

学生時代

浦和明の星女子高等学校卒業後[8][9]、フェリス女学院大学[10]文学部入学大学在学中、早稲田大学サークルソウルミュージック研究会」に所属[2]。このサークルには、当時プロデビューする前のRHYMESTER宇多丸Mummy-Dは先輩、DJ JINは同期)がおり、旧知のサークル仲間である

ソウルミュージック研究会」のパーティーで、西麻布クラブYellow」でブラン・ニュー・ヘヴィーズの「Never Stop」を歌っていたところ、MELLOW YELLOWKOHEI JAPANに認められ、1995年アルバムMELLOW YELLOW BABY」に3曲、ボーカリストとして参加している。大学在学中にアメリカミネアポリスに1年留学1995年帰国。翌1996年大学卒業[5]。

Permalink |記事への反応(0) | 22:18

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-15

anond:20250715173916

まず、申し訳ないけどAI普通に嘘を吐く事も有るのは注意した方が良いよ。個人的には、ブレインストーミングアイデアを得るきっかけ、調査の下準備としては使えても、あまり正当性の主張には使わないほうが・・・

 

あと誤解があるかもしれないけど、最初のほうから「最終的な結論としては増田側が正しい可能性がありそう、」とか「増田の主張が正しい可能性は十分にあるなー」とか書いてる通り、

自分は「記事が正しい」とか記事の人を擁護する意図はあまりないよ。

ただ単に「記事も間違ってる(可能性は有る)が、元増田も間違ってる箇所がある(可能性がある)」と第三者立場から言ってるだけ。

「じゃあどこが間違ってるというのか」については、いまパッと挙げられるのだと以下かな。(いずれも間違いの「可能性」であることに注意)

 

現在英語圏における「正確な定義」に報酬は含まれ得ない

これについてはすでに反例となる英語のページを示したね。もちろん「それらは「正確な定義」または「正しい定義」ではない」といいたいならご自由に、しかしその論拠は(流石にAIではない方法で)示して欲しいね

あとそもそもそれらのページが「正しくない定義であるなら、どういう意味において「正しくない定義」なのかが気になる。「正しくない定義」とは?

 

1980年代から本来定義報酬は含まれない

ここについては元増田が正しい可能性は大いにあると思うけど、証拠別に示されてないなー、という印象だね。(AIはあるけど・・・

 

ベルリン解釈」内の「hack andslash」に報酬は含まれない

ここについてはむしろ元増田の方が正しい可能性が高いんじゃないか?と元は思ってたんだけど、

素人なので調べてみたところ、ベルリン解釈って2008年に出されたらしいね

で、ディアブロが出た時代を調べると、1996年……、ディアブロIIが2000年……

え、「ベルリン解釈」が出たときにはもうディアブロ普通に有ったの?

記事の人が引用するべき定義がどの時代か?」と「ベルリン解釈hack andslash解釈する際に引用するべき定義はどの時代か?」はそれぞれ別々の話だと思うんだけど、

ベルリン解釈時代に既にディアブロ存在し、「hack andslash」に関する人々の共通認識に影響を与えていたとすると、ちょっと話が変わってくるな・・・

とはいえ元増田引用してくれたベルリン解釈の「hack andslash」には報酬に関する言及はなかったように見えたので、依然元増田が正しい可能性は高そうだなー、とは思う。

 

hack andslash定義の変化(報酬を含む)は日本独自現象

これについては元増田の誤りの可能性が高いんじゃない?と思ってる。実際英語圏報酬を含む定義をしているページが実例としてあったしね。

その上で

「敵を倒して経験値アイテムドロップで強化する」という要素は日本独自定義であり、本来定義にはその要素は含まれない。

Diablo』がこの両ジャンルをまたがった有名作品なので、日本ではそれが混同して広まってしまったわけだ。

これらの記述普通に誤りの可能性が高いかと(日本独自じゃないよねー、と)

 

他にも有るかも知れないが、ざっとはそんな所かな?

まぁ、記事の人も元増田もそれぞれ間違っていた部分がある、でいいのでは?(あ、自分も多分色々間違ってた部分はあると思うよ、なるべく「かもしれない」とか「思う」という表現をしたつもりだけど、ミスはあるだろうから

Permalink |記事への反応(1) | 18:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-12

anond:20250712164320

震度は昔1から6までだったろ(0を含めて7段階)

それで6よりも強い7を追加すると同時に幅の広い震度5と6を2分割して、全部で10段階にした

その時下から0,1,...,9に振り直しても良かったけど、それまでの感覚とずれるのが嫌だったんだろ

ちなみに震度が今の段階に切り替わったのは1996年から

まさかまれてない若造増田にいるとは思えんが

Permalink |記事への反応(1) | 21:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-10

ぬ~べ~やってるけど、旧ぬ~べ~バリバリ最強No.1の音圧

当時から思ってたけどあの音圧やばいよな

数年後ちゃんと聞いた時もリマスターかこれ?と思ったくらい

ヘビメタからすると別段普通の音だったのかな

  

てか1996年に負ける令和のミックスってなんやねん

Permalink |記事への反応(1) | 13:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-15

anond:20250615002454

1996年頃は本当にそう。

2002年頃にレンタルして徹夜ガンダム全話見るってのやったので、2000年前後世界が変わった

Permalink |記事への反応(1) | 21:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-06-01

anond:20250601112936

ハチ公物語』(1987年) → 『HACHI約束の犬』(2009年

リチャード・ギア

Shall we ダンス?』(1996年) → 『Shall We Dance?』(2004年

リチャード・ギアジェニファー・ロペス

そして

幸福の黄色いハンカチ』(1977年) → 『イエローハンカチーフ』(2008年

元ネタアメリカからポロロッカというかUターンブーメランものじゃないか・・・

https://www.imdb.com/title/tt0954990/

エディレッドメイン、クリステンスチュワート桃井かおり

Permalink |記事への反応(0) | 11:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-29

1年たったら動物のえさ 〜やっかいどう米と揶揄された北海道米〜

国民民主党の玉木代表が「1年たったら動物のえさ」と備蓄米揶揄したことが大きな波紋を呼んでいる。

「1年たったら動物のえさ」進次郎農相アピールの「1800円備蓄米」を国民・玉木代表がチクリ

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0f159b761a2bf8ba7fb1ae28f02cb1ab529ff9f

やっかいどう米

戦後から1980年代にかけて広く国民から家畜の餌」「豚も食わない」「猫も避ける猫またぎ」などと揶揄された米産地があった、北海道である

この当時の恨みつらみは北海道JA全農を超える加盟者数を誇るホクレン農業協同組合連合会現在でも語り継ぐほどに北海道米のイメージは非常に低かった。

GREENWEB |ゆめぴりか

https://www.hokuren.or.jp/_greenweb_/?post_type=studies&p=1564

北海道では「赤毛」や「坊主1号」が栽培され、独自品種の「ゆきひかり」が開発されるなどしたが、北海道選択される栽培品種はとにかく寒冷に強く収量が多い品種が求められ、味は二の次とされたこともあり、いくら低価格であっても食卓主食として多くの国民は買わず、収穫の多くは家畜飼料として用いられた。

しかし、その価格の安さは戦後から多くの貧困家庭特に母子家庭主食として高い支持を集めていたのも事実だった。この当時の貧困家庭北海道米に助けられたと思っている家庭は少なくないだろう。

けれど、その「貧困家庭の米」という事実ブランドイメージ低下に拍車をかけた。貧困家庭以外に安くても売れない北海道米は飼料消費としても余ってしまった収量は破棄しているほどに一億総中流となっていく時代北海道米は売れなかった。

きらら397誕生

1988年、そんな北海道米に新品種生まれる。これまでの寒冷に強い、収量が多いという良さをそのままに食味が著しく大幅に改善された「きらら397」が開発されたのだ。

しかし、この「きらら397」が開発されても直ぐに販売量が伸びたわけではなく、これまでの悪いイメージ払拭する事へ非常に苦労した。貧困家庭からは美味しくなったと大絶賛されたもの中流以上の家庭からは食べもせずにどうせ不味いと考えられてしまっていたのだった。

そんなやっかいどう米に転機が訪れる。牛丼店を中心として全国の飲食チェーンが「きらら397」を採用し始めたのだ。

このエントリを読んでいる諸氏も「あの当時の吉野家で食べた牛丼」と今の吉野家牛丼が何か違う、家庭で食べるいつもの米と吉野家で食べる何か違う米と気付いてる者も居るかも知れないが、それは広く一般家庭に売れるようになる前の「きらら397」だった。

飲食チェーンが北海道米「きらら397」を採用していることが世間にも徐々に広まっていくと「意外と北海道米も悪くない」として一般家庭でも広く食べられるようになる。

このエピソードは「牛丼を変えたコメ北海道きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)」でも触れられており、内地(北海道外を指す北海道方言)を見返してやろうと頑張った北海道農家の皆さんの努力垣間見ることが出来る。

牛丼を変えたコメ北海道きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)

https://www.shinchosha.co.jp/book/610082/

バリエーションかになった北海道

きらら397」以降、北海道米の新品種開発は急速に進み、前述した「きらら397から更に食味を改良した1996年の「ほしのゆめ」、更に収量を改良した2001年の「ななつぼし」、更に耐冷性を改良した2003年の「ふっくりんこ」、前述の「ふっくりんこ」とは別系統の低アミロース極良食味認定を受けた2003年の「おぼろづき」、そして前述の「おぼろづき」並の極良食味でありながら「おぼろづき」以上に収量を改良した2008年の「ゆめぴりか」が登場するに至った。

「おぼろづき」および「ゆめぴりか」は驚愕すべきことに盲検試験によって日本国内では定番である特定米産地(迷惑かける影響を考慮して特定米産地は筆者の意思隠蔽しました。ご了承ください。)のコシヒカリの食味に勝ると試験結果が出ており、北海道米が北海道外の米を超えられることを証明した品種となった。

寒冷地栽培可能で量が取れて安くて美味い北海道時代が到来したのである

品種ゆめぴりか」の育成と今後の北海道育種

https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010781573

今も残る北海道米の悪印象

国民民主党の玉木代表がなぜ米へ対して「1年たったら動物のえさ」と表現してしまたかと言えば、彼の記憶の中には確かに一部産地の美味しくない米が家畜飼料として使われていた過去、何なら余った分は廃棄していた、豚も食わない米が存在していたことを頭の片隅で覚えていたからだろう。

しか解釈を誤ってはならない。玉木代表からこそこういう印象を持ったのではなく北海道外にはまだまだ北海道米へ対して悪印象を持つ国民大勢居るのだ。しっかりとした学術的なデータで食味の良さが示されようとも極々ありふれた一般国民の多くが北海道米を忌避し続けているのが現状なのだ

1993年平成の米騒動の際にタイ王国から有り難くも拠出されたタイ米へ対して恥を知らぬ言動を取ったのは極々ありふれた一般国民であったが、その性根は未だ変わっておらず、反省しておらず、その一雫たまたま国民民主党代表玉木雄一郎であったにすぎない。未だに「猫またぎ」だと思っているのだ。

このエントリ最後まで読み、腹を立てたのであるならば2025年令和の米騒動収束した後に北海道米を食べてみて欲しい。

「その喧嘩買ってやらァ!」という意気込みで食べてみて欲しい。食ったら言わせてみせるさ「意外と北海道米も悪くない」と。

Permalink |記事への反応(19) | 19:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-25

anond:20250525073454

リフレ山形浩生(がリフレであるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ

 

https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html

山形浩生の『ケイザイ2.0

〜天下のまわりもの高座〜

 

 

第1回 連載開始記念大盤振る舞い (1998年7月)

スーパー・アクロバチック・不景気脱出策——

SoCrazyIt Just Might Work.

 

山形浩生の『ケイザイ2.0

〜天下のまわりもの高座〜

 

 

第1回 連載開始記念大盤振る舞い (1998年7月)

スーパー・アクロバチック・不景気脱出策——

SoCrazyIt Just Might Work.

 

 

 

 

 

 日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産就職氷河期銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……

 「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」

「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」

あい家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」

 「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。

 

1そもそも不景気ってなに?

 不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃん説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象しかない。不景気のものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。

 世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。

 さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。

 ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。

 そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。

 さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさら収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。

 不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場価格メカニズムちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場開店休業オフィスビルは空室まみれで住宅売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本状態

 

2不景気退治の定番手口とその失敗

 すると、不景気はどうすれば回復する? 供給いくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。

 じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。

 それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。

 次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。

 減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。

 そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。

 さて、じゃあいまの日本でこれをやらないんだろうか。

 

 いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀金利を0.25%下げた。でも、もう金利ゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。

 減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。

 そしてお金を刷ることだけど、日銀お金をいっぱい増やしてるんだ。

 つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃん説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。

 さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?

 うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。

 もううつ手はないんだろうか。なんとか需要回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……

 

3打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策

 ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文インターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利もっと下げよう。いまの金利ゼロなら、金利マイナスにしよう。そして実質的金利マイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITポール・クルーグマン日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。

 インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米ドイツだと、一日でお金価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまりインフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないかクルーグマン議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本不景気まがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。

 

 さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。

みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ物価高→生活圧迫。よってインフレ地獄の使い。それを政府日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。

 でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論のものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安銀行が困る」とか「インフレ劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマン理論基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだからばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。

 

4 そして世界初公開! 日和庵の外道邪法

 よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。

 

 消費税を7%にあげよう。

 

 さっきぼくの景気対策説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?

 そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!

 でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月コンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。

 だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税アナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。

 これはある意味で、クルーグマン議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレ消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。

 さて、クルーグマンインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年日本マイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。

 そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しか消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債しまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。

 もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用財政再建方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い

 

 さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。

 そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だからだんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって住宅需要1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。

Permalink |記事への反応(1) | 18:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-18

選択夫婦別姓制度への中間派から懸念

(この文章はChatGPTが作成しました)

はじめに:制度に対する基本的立場

私たちは、選択夫婦別姓制度について、「導入に原則として賛成」の立場とります。

結婚によって改姓を強いられる現行制度には、特に女性キャリア継続社会的アイデンティティにとって深刻な不利益があると認識しており、選択肢を広げる制度改革一定合理性必然性を持つと考えています

その一方で、推進派と反対派がそれぞれの立場から強く主張し合う構図において、制度が導入された後の社会的・実務的な影響についての冷静な議論が十分になされていないという点に、強い懸念を抱いています

私たちが求めるのは、制度の「是非」だけではなく、「どのように導入され、社会に定着していくのか」という運用面への丁寧な設計合意形成プロセスです。

推進派への理解対話の前提

推進派の中には、「結婚によって姓を変えざるを得ない女性が不当に不利益を受けている」「外国ではすでに制度化されているのに、なぜ日本ではこれほど長く議論が停滞しているのか」といった切実な問題意識と、長年にわたるフラストレーションを抱える人たちが多くいます

1996年法制審議会答申を受けた1998年の報告から数えて、実に30年近く、制度導入が見送られてきたという現実があります。この間、当事者たちは選択肢が与えられないまま、個人尊厳や実生活における不自由を甘受せざるを得ませんでした。

こうした長期にわたる「待たされ続けたことへの焦り」や「社会の変化に比して制度旧態依然としていることへの不満」に、私たち中間派一定理解共感を持っています

中間派が抱える主な懸念

しかしながら、その焦りゆえに、推進派の一部から

「これはあくまで“任意”の制度なので、反対する人に強制することは一切ない」

「改姓によって不利益を被る人が“困っている”なのだから制度を変えるのは当然だ」

外国では当たり前の制度であり、日本けが遅れている」

といった、制度導入の正当性感情比較論だけで強調するような主張が目立つこともあります

当事者の苦悩は確かに深刻であり、改革必要性を示す根拠として妥当ものですが、それだけを理由社会制度を変更する場合、導入後の現実的な摩擦や調整を軽視してしまリスクがあることも忘れてはなりません。

以下は、私たち中間派が感じている具体的な懸念点です。

1. 「任意制度である」という説明限界
2. 親・祖父母世代との価値観の衝突
3.子どもの姓に関する制度設計不透明
4.社会的合意形成の不足

制度導入に向けた条件と提言

1.制度設計における具体的な要件明確化
2.世代間・地域間意識差に配慮した周知と支援
3.社会的影響を見据えた段階的な実装
4.社会全体での対話の場づくり

おわりに:合意形成制度定着のために

私たちは、選択夫婦別姓制度個人尊厳自由生き方を支える重要な一歩であると考えています

しかし、その実現には「制度の導入そのもの」だけでなく、「導入のしかた」「導入後の社会設計」までを含めた誠実な準備と合意形成プロセス必要です。

制度あくま社会の器であり、そこに暮らす人々が安心して納得できるものでなければなりません。

推進派の焦りと当事者の切実さには深く共感しつつ、

社会全体が長期的に安心して制度運用していくために、

私たち中間派は「制度は賛成、設計対話は慎重に」という立場から議論協調を求めていきたいと考えます

Permalink |記事への反応(0) | 16:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-16

そもそも日本って投票率低くねぇか?

衆議院

投票率(%)
1946年 72.08
1958年 76.99
1972年 71.76
1990年 67.83
1996年 59.65
2005年 67.51
2014年 52.66
2017年 53.68
2021年 55.93
2024年 53.85

 

参議院

投票率(%)
1947年 61.12
1965年 67.0
1968年 68.9
1995年 44.52
2013年 52.61
2016年 54.70
2019年 48.80
2022年 52.05

 

参議院なんか設立当初から投票率60%弱しかないじゃん

もしかして日本人民主主義ほとんど根付いてないんじゃないか

 

ヨーロッパとか今でももっと高いだろと思って調べてみたら

EU全体の平均投票率は約51.05%

間接民主制もう辞めたら?

Permalink |記事への反応(2) | 16:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-13

anond:20250513095441

氷河期ってMTGってより、ゲームブックとか、ソードワールドとかが直撃した時代

私はお昼を抜いてためたお金で赤箱かって、20ダイスとか4面ダイスとかも揃えて友達キャンペーンやってたが

そのちょい下だと、本屋安価ルールブックが買えて6面体ダイスだけで友達プレイって世代だべ


あの頃のブームでは、本屋ウォーロックとかの雑誌が売られていて

ゲームブックのコーナーがあって、ロストワールドという対戦型の本も売られてた

それの日本的発展型がクイーンズブレイド

大きな本屋だと、2500円台の翻訳ルールブックや

場所によってはD&Dなんかの箱もの(5000円台)も取り扱うくらいの勢い


カードゲーム的には、MTG日本語訳は実は1996年で、遊戯王とそう大差ない

(というよりも、その認知にすら遊戯王が絡んでいる)

市場的にはトレカ(ただのコレクションカード)の文化が前にあって

これには、ライダーカード野球カードからの積み重ねがあるが

ギャルゲトレカイエサブプレミア販売とかできちんと市場構成してた

そこからリーフファイトとか、アクエリアンエイジかにスライドした世代

あんまりMTG時代という認知はない

Permalink |記事への反応(1) | 10:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-08

ヨッシーのクッキー』の開発経緯

まず1992年5月のSummerCES?)にホームデータビーピーエス(Bullet-ProofSoftware)が共同開発した『ヘルメティカ』というアーケードゲームが発表されたが、これはロケテストのみで未発売のまま終わった。

https://web.archive.org/web/20220727125726/http://tekipaki.sakura.ne.jp/review/SFC012-Yoshi's%20Cookie.html

英語版Wikipediaによると、『ヘルメティカ』はホームデータ単独で開発し、ロケテストの不調のあとにビーピーエス権利を売却したという。

ビーピーエスSFCへの移植を行い、CESで発表されたのはその移植バージョンだったらしい。

https://gdri.smspower.org/wiki/index.php/Talk:Biox英語版Wikipediaソースとしているホームデータの元開発者ツイート

1992年FC版・GB版の『ヨッシーのクッキー』が任天堂から発売された。開発担当トーセ。

GB版では裏技で「HERMETICA DEBUG MODE」に入れるらしいので、ほぼ『ヘルメティカ』をベースにしているのだろう。

1993年SFC版の『ヨッシーのクッキー』がビーピーエスから発売された。開発担当ビーピーエス

SFC版では「Original designbyHome Data Corp.」とクレジットされている。

任天堂は『ヘルメティカ』の8bit版の権利しか購入しなかったため、16bitのSFC版だけは(逆にヨッシーキャラクターライセンスを受けて)ビーピーエス制作することになった、という話もあるようだ。

ここまで見ると、任天堂ビーピーエスの関わりは深いが、任天堂ホームデータの関わりは薄いように思える。

ビーピーエス任天堂と『ヨッシーのクッキー』の企画を進め、あとからホームデータが「ウチもクレジットに載せてくれ」と苦情を入れたのだろうか?

1993年ホームデータは「魔法」に社名変更

1996年ビーピーエス創業者アメリカで「BPS」(BluePlanetSoftware)という会社を立ち上げる。実質的ビーピーエスの後継企業とみなされている。

元のビーピーエス2001年解散

ところが2003年ガラケーで『ヨッシーのクッキー』とよく似た『INARO』というゲームが出ている。クレジットは「IPC」という会社で、「Original ConceptbyHome Data,Ltd.」とも書かれている。

https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/14978.html

2006年ごろのBPSウェブサイトで、その「INARO」が紹介されている。というかスクショを見ると「INARO 2」と書いてある。

https://web.archive.org/web/20060310185917/http://www.blueplanetsoftware.com/inaro.html

IPCは、海外拠点を移したBPSの、日本での権利関係を扱う支社みたいなものだと考えてよさそうである

2003年発売の『NINTENDO パズルコレクション』に収録された『ヨッシーのクッキー』にも、IPCIntellectual Property Consultants)がクレジットされている。

https://www.nintendo.co.jp/ngc/gpzj/index.html

さら2008年バーチャルコンソール版『ヨッシーのクッキー』では、IPCクレジットと共に「INARO®Game Concept」とされている。

https://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_ysc/index.html

このあたりの情報錯綜しており、ネット上では「ヘルメティカの原型がINAROである」とか「ヨッシーのクッキー以前にBPSがINAROを海外発売した」とか言われているのだが、『INARO』は海外では未発売だし、おそらくガラケー版以前には遡らないのではないかと思われる。

まりBPS2003年ごろに『ヘルメティカ』と同様のシステムで『INARO』というゲームを開発してガラケー配信し、2006年ごろには『INARO 2』のデモ版を作ってどこかに売り込もうとしていたのだろう。

そして任天堂は、SFC版までは「ヨッシーのクッキーはヘルメティカを元にしてますよ」ということにしていたのだが、権利関係が面倒になったのか、『NINTENDO パズルコレクション』以降は「ヨッシーのクッキーはINAROを元にしてますよ」ということにしてしまったのではないか、という推測が立つ。

Permalink |記事への反応(1) | 14:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250508134014

ニンテンドウ64は、1996年6月23日日本で発売されました。

ワリオの初登場は、1992年10月21日ゲームボーイで発売された『スーパーマリオランド2 6つの金貨』です。

Permalink |記事への反応(0) | 13:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-24

anond:20250424213525

Windows95の頃はISDNよね

光回線になったのいつだっけか

ググった

1996

日本におけるインターネット人口普及率 3.3%

Yahoo! JAPAN日本語版がサービスを開始

Java言語1996年1月23日にver1.0

2000

日本におけるインターネット人口普及率 37.1%

Google」が日本語の検索サービスを開始

Amazon.co.jp」が日本サービスを開始

2001

NTTソフトバンクをはじめとする電気通信事業者が、「フレッツADSL」や「Yahoo! BB」などのADSL事業を開始

Wikipedia日本語版が登場

2003

日本におけるインターネット人口普及率 64.3%

家庭向けの光回線が登場

スマホ2011年くらいよな

俺当時韓国大っ嫌いだったのに、性能があまり国産と違うから初代GalaxyS買って覚えてるわ

当時電車の中でスマホ持ってる人間は超珍しかった

Permalink |記事への反応(1) | 21:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-12

アニメリメイクまで何年?

フルーツバスケット

2001年2019年 原作1998年

 

ダイの大冒険

1991年2020年 原作1989年

 

シャーマンキング

2001年2020年 原作1998年

 

うる星やつら

1981年2022年 原作1978年

 

るろうに剣心

1996年2023年 原作1994年

 

らんま1/2

1989年2024年 原作1987年

 

YAIBA

1993年2025年 原作1988年

 

思ったより法則がないな

さすがに30年開くとしんどくなるかな?

 

3×3EYES 1987年

GS美神 1991年

そろそろ来るよな!?

 

逆に、あと5年くらいしたら原作1990年代リメイクが増えるんだろうか、何があったっけな

Permalink |記事への反応(0) | 19:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-11

変更後のOP曲の方が人気あるアニメキテレツ大百科STAR DRIVER 輝きのタクトしかマジで存在しない

キテレツ

「お嫁さんになってあげないゾ」〔第1回(1988年3月27日) - 第24回(1988年10月23日)〕

守谷香

「お料理行進曲」〔第171回(1992年4月19日) - 第331回(最終回)(1996年6月9日)〕

YUKA

スタドラ

GRAVITY Ø」(第1話 - 第13話)

Aqua Timez

SHINING☆STAR」(第14話 - 第24話)

9nine

美味しんぼ

「YOU」(第1話 - 第23話)

結城めぐみ

「Dang Dang 気になる」(第24話 - 第136話)

中村由真

銀魂

Pray」(第1話 - 第24話)

Tommy heavenly6

曇天」(第100話 - 第125話)

DOES

マジでこの4つしか存在しない

あとはほぼすべて最初OP曲が最も人気ある、もしくは変更後のOP曲が人気だが最初OP曲も同格には人気がある

やっぱり最初刷り込みって強いね

Permalink |記事への反応(0) | 19:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-09

平成初期のアニメ時間軸を確認する

YAIBA描写見てるとノリが古くて「これいつだっけ?」ってなるんだよね

YAIBAはらんま1/2の2年後くらい

 

うる星やつら 1978年1987年

ドラゴンボール 1984年1995年

YAWARA! 1986年1993年

らんま 1987年1996年

YAIBA 1988年1993年

ーー1989年 平成ーー

幽遊白書 1990年1994年

GS美神  1991年1999年

コナン 1994年

るろ剣 1994年

封神演義 1996年

ONE PIECE 1997年

HUNTER×HUNTER 1998年

 

やっぱこう見ると「昭和のノリ」って明確に存在するよな

いやむしろ平成のノリ」か

ホワイト化したよね、セクハラとか減った

あとお笑いダウンタウン化した気がする、前は70年代からお笑いのノリだった

Permalink |記事への反応(2) | 06:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-26

3大「映画で描かれた未来まで持たなかった企業

2001年宇宙の旅パンアメリカン航空(1991年破産)

ブレードランナーアタリ(1996年吸収合併)

『ロスト・イン・スペース』シリコングラフィックス(2009年倒産)

他にあったら教えて。

Permalink |記事への反応(0) | 22:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250326113804

1996年まれ九州女なんだから仕方ないだろ

Permalink |記事への反応(1) | 11:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-24

Z世代について勘違いしていた

てっきり一括りにして傾向を語れる程度の狭い幅だと思ってた

んで実際に定義を見てみたら別に狭くはない…

マッキンゼー・アンド・カンパニー

https://www.mckinsey.com/featured-insights/mckinsey-explainers/what-is-gen-z

1996年2010年

野村総合研究所

https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/generation_z.html

1995年2011年

RKB

https://rkb.jp/contents/202307/172931/

1997年2012年

HR Pro

https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=3801

1995年2013年

ブリタニカ百科事典

https://www.britannica.com/topic/Generation-Z

1997年2012年

Delta Upsilon

https://www.deltau.org/generation-z

1996年2010年

平均的に見て1996年から2011年まれの間を指してるとみていい

そりゃ第二次世界大戦からの長い期間をX世代Y世代・Z世代・α世代の4つくらいで割ってんだから一つ一つは長いわ

今だと20代後半と中学生がZ世代だけど両者は全然違う

数字で改めて見てないか勘違いしてたわ…

Permalink |記事への反応(1) | 00:16

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-16

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないというご論法

危機的なことなのにあまりにもデマが多かったからか、大手マスコミでも解説されるようになってきました。

コメ高騰で外国産米の民間輸入が急増、高い関税払っても「十分に採算取れる」

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20250315-OYT1T50048/


デマを流してるブクマカから削除申請されて消えましたが、切実なことなので修正して書き込みます

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないとデマを流す人がいますが、マークアップという関税相当の手数料がかかっています

店頭に並んでいる海外米、輸入米の価格関税相当を上乗せされた後の価格です。

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

ご存じの人も多いと思いますが、WTO協定に基づいて日本海外から毎年最低限輸入しなければならない米をミニマムアクセス米といいます

日本が米に対し異常に高い関税をかけることと引き換えに譲歩した仕組みで、毎年77万トンを輸入しています

77万トンのうち主食用に輸入できるのは最大10万トンで、この最大10万トンの枠で輸入された米をSBS米と呼んでいます

SBS米は次のような仕組みで価格が決まります

このようにマークアップとは、政府買入価格政府売渡価格の差額のことで、国内価格と国際米価格の差を反映しており実質的関税役割果たしてます

そして2024年11月の入札では、初めてマークアップが上限の292円に張り付くという事態が発生して業界では大騒ぎになりました。

先週末22日に行われた今年度第3回目のSBS入札で、なんとマークアップ(売渡価格から買入価格差し引いた輸入差益)が最大のkg292円に張り付いてしまったのだ。1996年ミニマムアクセス受入れ以来、上限張り付きは初めてのことである裏返してみるとkg292円という高額の関税を支払っても海外からコメを輸入して国内販売してもビジネスが成り立つことを意味している。

https://www.jacom.or.jp/column/2024/11/241126-77911.php

昨年の11月で既に、kg292円の関税相当額を支払っても輸入米の方が安い状況になっていました。

輸入米民間企業の輸入量急増 先月1か月で昨年度1年分上回る

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250220/k10014728351000.html

米を民間輸入 卸「関税払ってもペイする」 背景に深刻な不足感

カルローズ米国ではキロ150~160円で、関税を載せても500円ほど。港からフレコンで上がる米をクリーニングして5キロ10キロの袋に詰め納品するまで、加工、保管、輸送などのコストはかかるが、国産米より一段安い。

https://www.jacom.or.jp/kome/news/2025/01/250108-78742.php

SBS米の上限である10トンでは足りないということで、kg341円の関税を払っての輸入が増加しているというニュースも増えています

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

インフレが進もうと関税は変わらない為、価格の大半が関税である輸入米は価格が安定する点も国産米に不利に働くでしょう。

そして当たり前ですが民間輸入に上限はなく、いくらでも入ってきます

この先、米の関税が下がることはあっても上がることはないので、とても先行きが厳しくなったと感じています

デマのように、ミニマムアクセス米、SBS米に関税がかかっていないならまだ猶予はあったでしょう。

でも残念ながら、デマデマしかないのです。

Permalink |記事への反応(2) | 10:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-10

anond:20250310164816

おまかせ!退魔業

おまかせせいばーず

1996年2月23日セガエンタプライゼスから発売された、セガサターンのアドベンチャーアクションゲームソフトである

Permalink |記事への反応(0) | 17:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-06

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないというご論法

デマを流してるブクマカから削除申請されて消えましたが、切実なことなので修正して書き込みます

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないとデマを流す人がいますが、マークアップという関税相当の手数料がかかっています

店頭に並んでいる海外米、輸入米の価格関税相当を上乗せされた後の価格です。

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

ご存じの人も多いと思いますが、WTO協定に基づいて日本海外から毎年最低限輸入しなければならない米をミニマムアクセス米といいます

日本が米に対し異常に高い関税をかけることと引き換えに譲歩した仕組みで、毎年77万トンを輸入しています

77万トンのうち主食用に輸入できるのは最大10万トンで、この最大10万トンの枠で輸入された米をSBS米と呼んでいます

SBS米は次のような仕組みで価格が決まります

このようにマークアップとは、政府買入価格政府売渡価格の差額のことで、国内価格と国際米価格の差を反映しており実質的関税役割果たしてます

そして2024年11月の入札では、初めてマークアップが上限の292円に張り付くという事態が発生して業界では大騒ぎになりました。

先週末22日に行われた今年度第3回目のSBS入札で、なんとマークアップ(売渡価格から買入価格差し引いた輸入差益)が最大のkg292円に張り付いてしまったのだ。1996年ミニマムアクセス受入れ以来、上限張り付きは初めてのことである裏返してみるとkg292円という高額の関税を支払っても海外からコメを輸入して国内販売してもビジネスが成り立つことを意味している。

https://www.jacom.or.jp/column/2024/11/241126-77911.php

昨年の11月で既に、kg292円の関税相当額を支払っても輸入米の方が安い状況になっていました。

輸入米民間企業の輸入量急増 先月1か月で昨年度1年分上回る

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250220/k10014728351000.html

米を民間輸入 卸「関税払ってもペイする」 背景に深刻な不足感

カルローズ米国ではキロ150~160円で、関税を載せても500円ほど。港からフレコンで上がる米をクリーニングして5キロ10キロの袋に詰め納品するまで、加工、保管、輸送などのコストはかかるが、国産米より一段安い。

https://www.jacom.or.jp/kome/news/2025/01/250108-78742.php

SBS米の上限である10トンでは足りないということで、kg341円の関税を払っての輸入が増加しているというニュースも増えています

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

インフレが進もうと関税は変わらない為、価格の大半が関税である輸入米は価格が安定する点も国産米に不利に働くでしょう。

そして当たり前ですが民間輸入に上限はなく、いくらでも入ってきます

この先、米の関税が下がることはあっても上がることはないので、とても先行きが厳しくなったと感じています

デマのように、ミニマムアクセス米、SBS米に関税がかかっていないならまだ猶予はあったでしょう。

でも残念ながら、デマデマしかないのです。

Permalink |記事への反応(4) | 11:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-26

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないというご論法

デマを流してるブクマカから削除申請されて消えましたが、切実なことなので修正して書き込みます

ミニマムアクセス米、SBS米に関税はかかっていないとデマを流す人がいますが、マークアップという関税相当の手数料がかかっています

店頭に並んでいる海外米、輸入米の価格関税相当を上乗せされた後の価格です。

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

ご存じの人も多いと思いますが、WTO協定に基づいて日本海外から毎年最低限輸入しなければならない米をミニマムアクセス米といいます

日本が米に対し異常に高い関税をかけることと引き換えに譲歩した仕組みで、毎年77万トンを輸入しています

77万トンのうち主食用に輸入できるのは最大10万トンで、この最大10万トンの枠で輸入された米をSBS米と呼んでいます

SBS米は次のような仕組みで価格が決まります

このようにマークアップとは、政府買入価格政府売渡価格の差額のことで、国内価格と国際米価格の差を反映しており実質的関税役割果たしてます

そして2024年11月の入札では、初めてマークアップが上限の292円に張り付くという事態が発生して業界では大騒ぎになりました。

先週末22日に行われた今年度第3回目のSBS入札で、なんとマークアップ(売渡価格から買入価格差し引いた輸入差益)が最大のkg292円に張り付いてしまったのだ。1996年ミニマムアクセス受入れ以来、上限張り付きは初めてのことである裏返してみるとkg292円という高額の関税を支払っても海外からコメを輸入して国内販売してもビジネスが成り立つことを意味している。

https://www.jacom.or.jp/column/2024/11/241126-77911.php

昨年の11月で既に、kg292円の関税相当額を支払っても輸入米の方が安い状況になっていました。

輸入米民間企業の輸入量急増 先月1か月で昨年度1年分上回る

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250220/k10014728351000.html

米を民間輸入 卸「関税払ってもペイする」 背景に深刻な不足感

カルローズ米国ではキロ150~160円で、関税を載せても500円ほど。港からフレコンで上がる米をクリーニングして5キロ10キロの袋に詰め納品するまで、加工、保管、輸送などのコストはかかるが、国産米より一段安い。

https://www.jacom.or.jp/kome/news/2025/01/250108-78742.php

SBS米の上限である10トンでは足りないということで、kg341円の関税を払っての輸入が増加しているというニュースも増えています

関税がかかっていても国産米より一段安い、これは関税バリアが破れたことを意味しています

インフレが進もうと関税は変わらない為、価格の大半が関税である輸入米は価格が安定する点も国産米に不利に働くでしょう。

そして当たり前ですが民間輸入に上限はなく、いくらでも入ってきます

この先、米の関税が下がることはあっても上がることはないので、とても先行きが厳しくなったと感じています

デマのように、ミニマムアクセス米、SBS米に関税がかかっていないならまだ猶予はあったでしょう。

でも残念ながら、デマデマしかないのです。

Permalink |記事への反応(1) | 18:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-14

AI生成記事

九州大学病院オブジェクト指向システム導入の記録

序章:革新的システムへの期待

1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新計画していた。従来の断片化したシステム統合し、最先端オブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である

tumblr.com

。入札条件にも「純粋オブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった​

tumblr.com

。この計画応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalk採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalk豊富経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった​

tumblr.com

医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである

1996年プロジェクト始動曖昧要件定義

プロジェクト1996年、本格的に動き始めた。九大病院情報システム担当者たちは、院内各部からシステムへの要望ヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBM提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである

それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた​

tumblr.com

。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しか要件曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。

1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑

年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBM1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクトマネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れ1997年10月へと大幅に後退する​

tumblr.com

この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自プロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBM姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBM1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。

事態を重く見た九大病院日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる​

b.hatena.ne.jp

プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。

1997年春:一筋の光明オブジェクト指向データベースの導入

混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである要件定義の立て直しと並行して、日本IBMシステム技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ​

tumblr.com

。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である

tumblr.com

。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタント来日プロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた​

tumblr.com

経験豊富専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである

tumblr.com

病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした​

b.hatena.ne.jp

現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。

1997年夏:GemStone契約交渉の決裂、暗雲の再来

しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。

7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣ソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクト生命線を断つことを意味していた。

この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。

1997年8~9月代替案への賭けと懸命の設計変更

GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院必死リカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去Smalltalkアプリケーションデータベース採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである

しか代替とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計クライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発であるエンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。

その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。

1997年10月:小さな後退、大きな決断

1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual BasicVB)への全面的方針転換を突如宣言したのである晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋オブジェクト指向」**という条件にVB合致するかは議論の分かれるところだが​

tumblr.com

病院ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。

実はこの決断に至る伏線存在した。日本IBM1997年4月からかにVB採用可能性を九大病院に打診しており、さら8月からは段階的にSmalltalk担当エンジニア現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社メンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVBシステムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalk固執しない理由もあった。同社は翌98年2月長野冬季オリンピック向けシステムSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富人材がいるVBなら「最後人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的Smalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。

方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった​

tumblr.com

10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBM現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。

以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した​

tumblr.com

データベースも、当初IBM提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDBDB2」を採用する公算が高まった​

tumblr.com

目標は「年度内(1998年3月まで)の第1次稼働」​

tumblr.com

。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった​

tumblr.com

。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。

1997年末:現場への波紋と社会的注目

VBへの方針転換後、九大病院現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術結晶から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。

そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用批判」。内容は「九大病院システム未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュース地元RKB毎日放送東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクト社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部から視線が厳しくなる中、病院IBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。

結末:プロジェクトの結末と残された教訓

1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場医師職員は、当初期待された華々しい先端技術恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。

振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上のPermalink |記事への反応(0) | 21:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp