
はてなキーワード:1996年とは
風化しそうなので書いとく。
1996年、ネットでメル友募集したんだ。なお当時の一般家庭ネット普及率は5%に満たない。
なお募集に書いたのは以下のような感じ。うん、釣りなんです。ネットの状況知りたいのがあって。
・こちら15歳高校生女子一年生、身長145cmいかない、小さいけど友達にはちっちゃくてかわいいって言われる。(ロリ設定)
・抜けてるところがあって友達によく注意される。(ロリドジっ子設定、こちらのガード緩い設定)
・動物好きだけどペット飼えない。ペットの話してくれると嬉しい。(動物好きに悪い人は居ないと思ってるよ!→こちらのガード緩くなる設定、もしかすると相手も)
・子供なので、いろいろ、大人の世界のこととか教えてくれると嬉しい。(大人の世界含めてあなた色に染まりますよ設定、暗にアダルト内容含んでる)
・相談できる人があまりいないので、仲良くなったら悩みとか聞いてほしい(精神的依存、あなた色に染まりますよ設定)
くらいまで書いてました。可能な限り設定盛ったつもり。あまりやりすぎるとばれちゃうからね。
結果:全て初回の結果です(返信してないです)
約500通くらい応募?返信来ました。
・全員男性でした。当時のネットは女性少ないからね。少ないからね。全員男性かあ。
・半分くらいは大学のアカウントメールから。一般家庭のネット普及率は低いからね。大学でしかメール使えなかったのか。
・ペット飼ってるっていう人は結構いました。見に来る?など自宅に誘う人は30人くらい居ました。フェレットなどレアな動物出してくる人もいましたね。
・(自称)医者、弁護士、という人も10人くらい居ましたね。本当かどうかは知らないが、初回で15歳JK1に話すことじゃなくない?なんか意味ある?
・料理店のオーナーという人も2名居ました。自分の料理店でおごるのでご飯食べにいこっていうやつです。交通費も出すとか言ってましたね。。
・釣りと疑った人は一名だけです。
こんなふうに誘うのか、参考になりました。
ひとまず、自分が把握できたところをまとめてみた。情報をお寄せいただければ、確認のうえ適宜追加していく所存。
1992年11月 ホテルニューオータニ大阪「鳳凰の間」で開かれた「あべ令子と21世紀に飛翔く大阪の集い」に出席し挨拶。あべ令子は1990年の第39回衆議院議員総選挙で大阪三区から自民党公認で出馬。霊感商法で名を馳せたほか、国際合同結婚式の名簿にも名前が載っている。
2006年5月 天宙平和連合(UPF)主催の「祖国郷土還元日本大会」福岡大会に祝電。
2022年10月 元UPF職員の小林貴虎三重県議(自民党)が、安倍晋三元首相の国葬に反対するSNS投稿に対し「8割は隣の大陸からという分析があるという」「高市早苗先生が政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」とTwitterに投稿。
2025年10月 鈴木エイト氏が「教団施設に出入りしていた人から情報提供があり、奈良の教会で高市氏を何度か見たという」とTwitter (X) に投稿。
[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内・海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html
kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから、飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う
飯野賢治を理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。
90年代の日本は雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲームの情報もゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらにCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。
飯野はゲームのスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。
SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二、糸井重里、さくまあきら、広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社に所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂や坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金子一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司や鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。
ゲーム雑誌においてゲームクリエイターの露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。
――他に音楽業界の手法で言うと、クリエイターのクレジットをちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれたものですよね。
川上氏:
当時は、みんなゲームクリエイターの名前は隠していましたからね。
丸山氏:
でもさ、レコードや映画はクレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも不自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤーのスターがいて、クリエイターがスターじゃないというのはヘンじゃない。だから、メーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションしやすいよ」と説得したんだ。
※高橋名人
1959年生まれのゲーム関係者。本名は高橋利幸。ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント)所属のファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。
実際、これは有効なんだよ。だって、普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。
――つまり、音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?
丸山氏:
PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社がゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者のインタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。
飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者がいかにも会社組織に所属するサラリーマンやオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社のゲームに言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョークや坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオのMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネットで動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治の奥さんがゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。
彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオのパーソナリティや、現代ならばSNSのインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。
飯野のゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものだから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野がインタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野のインタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野のインタビューを取る→宣伝になるから飯野がインタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンドの記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものだから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。
いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物(ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。
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参考までに1990年代のソフトバンクのセガハード専門誌からスタッフインタビューをリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。
ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ)
重田守(セガ)
●セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)
ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修(セガ)
デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ)
ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ)
新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ)
御意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキー、ブンブン丸、柏ジェフリー
EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也(イマジニア)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
セガサターン用ワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト)
サクラ大戦 -田中公平、牧野幸文(セガ)、原太郎(ティーズミュージック)
電脳戦機バーチャロン -亙重郎(セガ)
Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕(セガ)
●DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)
シェンムー 一章横須賀 -松風雅也、安めぐみ、岡安啓司(セガ)
電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎(セガ)
スペースチャンネル5 -水口哲也(セガ)
セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽
プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之、加藤真樹、石原学(セガ)
ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ)
爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー)
ドイツ初の女性首相アンゲラ・メルケルは2005年から2021年にわたりドイツに君臨した。このことをもってしばしばドイツでは日本と比べて女性の登用が進んでいるといわれる。だが、女性首相はそうだとしても、他の閣僚ポストにも日本に先んじて女性が任命されているのだろうか。
ということで、調べてみました! なお、官職名は厳密なものではなくおおよそ両国に共通するであろう具体的な職掌を書いている。
| 官職 | 日本 | ドイツ | どっちが早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | ドイツ(20年先行) |
| 蔵相 | なし | なし | 引き分け |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 日本(7年先行) |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日本(20年先行) |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日本(6年先行) |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | ドイツ(4年先行) |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | ドイツ(10年先行) |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | なし | 日本(25年+先行) |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日本(1年先行) |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | ウラ・シュミット(2001年) | ドイツ(10年先行) |
| 農相 | なし | レナーテ・キュナスト(2001年) | ドイツ(24+年先行) |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日本(5年先行) |
| 官房長官 | 森山眞弓(1989年) | なし | 日本(36+年先行) |
内相(総務相)も外相も防衛相も官房長官も日本の方がはえーじゃねーか! え、ちょっと待って、つい数年前まで女性外相がいなかった国や未だに女性官房長官がいない国のことを、20年以上前に田中真紀子で大騒ぎしてた国や20世紀に女性官房長官が就任した国が見習えとか言われてたの??? 女性の登用に関しては正直どっこいどっこいという印象にしかならないんだが……
比較のために英国とも比べてみた(英国では官房長官にあたる地位が不安定というか閣僚級になったのが最近のことっぽいので官房長官は省いた)。
| 官職 | 日本 | 英国 | ドイツ | どの国が早い? |
| 首相 | 高市早苗?(2025年) | マーガレット・サッチャー(1979年) | アンゲラ・メルケル(2005年) | 英>独>日 |
| 蔵相 | なし | レイチェル・リーヴス(2024年) | なし | 英>日独 |
| 総務相/内相 | 高市早苗(2014年) | ジャッキー・スミス(2007年) | ナンシー・フェーザー(2021年) | 英>日>独 |
| 外相 | 田中眞紀子(2001年) | マーガレット・ベケット(2006年) | アンナレーナ・ベアボック(2021年) | 日>英>独 |
| 防衛相 | 小池百合子(2007年) | ペニー・モーダント(2019年) | ウルズラ・フォン・デア・ライエン(2013年) | 日>独>英 |
| 法相 | 長尾立子(1996年) | リズ・トラス(2016年) | ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(1992年) | 独>日>英 |
| 文相 | 森山眞弓(1992年) | マーガレット・サッチャー(1970年) | ドロテー・ヴィルムス(1982年) | 英>独>日 |
| 運輸相 | 扇千景(2000年) | バーバラ・キャッスル(1965年) | なし | 英>日>独 |
| 厚生相 | 中山マサ(1960年) | バーバラ・キャッスル(1974年) | エリーザベト・シュヴァルツハウプト(1961年) | 日>独>英 |
| 労働相 | 小宮山洋子(2011年) | マーガレット・ボンドフィールド(1929年) | ウラ・シュミット(2001年) | 英>独>日 |
| 農相 | なし | ジェイン・ケネディ(2008年) | レナーテ・キュナスト(2001年) | 独>英>日 |
| 環境相 | 森山眞弓(1989年) | マーガレット・ベケット(2001年) | アンゲラ・メルケル(1994年) | 日>独>英 |
さすが英国、女性登用の古さがすごい。1929年って。その頃は女性参政権すらねーよ日本。でも外相・防衛相に関しては日本が先んじてるのか……日本政治、けっこう頑張って女性を登用してきたのでは、という印象に変わった。
は、ある局面では、正しい。
しかし、いくら抑圧しても、その「不安(体感不安?)」そのものは、無くなったり消えたりしない。
「医クラvs.反ワク」では、どちらもが、相手に対して「デマ(=嘘)をばら撒くな」と言って批判し合っている。
この構図は、「外国人労働者の増加」に対する「左翼vs.右翼」の対立とも呼応している(ソックリな構図)。
抑圧や完全無視をすればするほど、人工的(作為的)な「ワクチン」や「グローバリズム」への不安や疑念から生じる
「反◯◯」の感情は地下に潜伏する。そしてSNSや選挙で突発的に噴き上がる。
これは、小さな歪みが長年にわたって溜まり、周期的に「超巨大地震」が発生するメカニズムと同じ。
ちなみにだが、「人工的(作為的)なモノや制度に対する不安(否認)」は、
かつての「大阪都構想」に関する住民投票でのギリギリの否決とも呼応している。
あるいは、「埋め立て地である人工島での2025年大阪万博」への批判にも、この不安要素があったかも。
そういえば、1996年の世界都市博覧会(都市博)は都知事に当選した青島幸男の決断で中止に。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A
流石に1990年代をひとまとめにして「90年代から女の多様性が認められてた」は無理がある
例に出されてる山口智子がかっこいい女として売り出されたのは90年代後半。
女の結婚観(メディアが作り出してきたイメージの流行)がどう変遷したかは、当時の朝ドラを注目するだけで分かる。NHKの朝ドラは時代に望まれる女性像がヒロインに投影されているからだ。
1993年の朝ドラの「ひらり」 実質W主人公の1人で姉のみのりは大手企業勤めの給湯室OLだが寿退社できずに勤続5年を表彰されたことにショックで行き遅れになることを焦って結婚を急いでいた女性だった。本命男ではなく不細工だけど面白い男を選び幸せな結婚をする。
その3年後、1996年の朝ドラの「ひまわり」主人公ののぞみは仕事を生きがいにしようと大手企業に入社したが女だからと満足いく仕事を任せてもらえず仕事を辞めて、結婚したら家庭に入ることを望むエリート商社マンの彼氏とも別れて、司法試験を受けて弁護士になる。
増田をやっていると、本当かよ!?と思わず調べてしまうことがよくあって、学びになります。
ということで、最近、個人的に増田で学んだことをまとめました。間違っている知識かあったらすみません。
ピラミッドの底辺が砂に埋まっているので、ピラミッドは見た目ではもうちょっと短いらしい。
憲法22条で、職業選択の自由とともに認められています。だから住む場所は自由です。ただし、公共の福祉に反しない限りにおいて、です。
レンタサイクルといえば、電動自転車かママチャリしか借りれないと思っていたのですが、サイクルコースの近くとかではロードバイクをレンタルしてくれるお店もあるそうです。
モロッコには建物が全部、青に塗られているシャウエンという街があります。
職場で見るのにふさわしくないコンテンツ、の意。ポルノとか暴力とか。
おい!!!とか大声で言うだけならセーフ。その後に、殺すぞ!と言ったら脅迫罪、土下座しろ!と言ったら強要罪、金よこせ!と言ったら恐喝罪。
Windows 95 は平成です。
傘差し運転と同じ。公安委員会遵守事項違反、というらしい。その他条例でも禁止されているところがある。
Yahoo!知恵袋調べ。新しければ新品、古ければ古物、その間のやや古いのが中古。
ただし海外勤務の場合はもっと高くて、1300 万円以上ぐらいらしい。
「根性」は仏教的には性根と同じ意味で、もともとは粘り強いとかの意味はなかった。
だから、自力での入賞がなくなった時に「他力本願寺!」と言って祈るのは、合ってる。
このフレーズは17世紀のデカルトの方法序説という本の中に出てくる。それにしても17世紀というのは結構最近に聞こえる。もっと昔の本だと勘違いしていた。
このフレーズは、山本五十六のオリジナルではないが、気に入って色紙とかに書いていたので有名になったらしい。
ちなみに、山本五十六は前線視察中に米国軍機に撃墜されて亡くなった。
平成です。
同じ頃には、ルーズソックスやナタデココ、ポケベルが流行っていました。
クルドとは民族の名前で、そんな名前の国はない。トルコ、イラン、イラク、シリアに多く住んでいて、この地域がクルディスタンと呼ばれたりする。
自分たちの自治領や自治区を他国に作ろうといて、特にトルコと揉めている
ンゴロンゴロ自然保護区という場所がタンザニアにある。近くにコーヒー農園があって、その豆を使用したコーヒーをンゴロンゴロコーヒーという。
ちなみに難易度は年々上がっていて、TOEIC900点でマウントを取る人には「いつ受けたんですか?」と突っ込むのが礼儀。
個人を特定できる情報、という意味ではない。(それはただの個人情報)
フランス語が語源。楽譜を読む訓練、音を聞き取る訓練、リズムを把握する訓練などの総称で、特に子供の音楽教室とかでやるもの。
楽器をやっている人が、ちょっと練習すれば他の楽器も弾けるようになるのは、このソルフェージュの力。
チームの中で、純粋にタイムを狙う人、山岳賞などの特別賞を狙う人、風除けになってサポートする人、補給食などを配る人など、いろいろ役割分担するらしい。
データ保存用のメディアとして使ったことないので、知らなかった。思ったより容量が少ないという印象。ハードディスクをそのままバックアップできるぐらいの容量があると勘違いしていた。
発売開始はアリエールは1986年、エリエールは1979年で、エリエールの方が古い。
ショートショートってどれくらいショートだったらショートショートと言っていいの?と思って調べたら、諸説あることが分かった。
とはいえ、厳しい定義は原稿用紙5枚以下、ゆるい定義は20枚以下ぐらいの幅に収まる。
どちらも通貨偽造の罪だが、もちろん日本円の偽札を作る方が、外国の偽札を作るよりも罪が重い。
また、持っているのが偽札だと知って使うだけでも(作っていなくても)罪になる。
ファイルを暗号化したり署名したりする時に使われるソフトウェア。
ヤッターマンというテレビアニメの中でナレーションとして使われていたフレーズらしい。
ちなみにヤッターマンの初代の放送期間は1977年から1979年まで。昭和である。
ヒジャブはアラビア語で「覆うもの」の意味。全身を覆う布はブルカと呼ばれる。目以外を隠す布はニカブと呼ばれる。
一方JR東海は儲かっているらしい。理由は知らないけど、新幹線が関係していそう。
増田では、離婚するときに子供を連れ去ったら親権が取れる、いいやそれは誘拐だ、という議論がよくなされるので、気になって調べた。ちなみに誘拐は英語でkidnap 。スペルにkid が入っているが、子供以外を誘拐する時にも使える。
Wikipediaによると、歴史的には14世紀ごろにアジアからヨーロッパに入った玩具が元になって生まれたのが起源らしいが、「後付けされたファンタジー的起源」では古代バビロンや古代エジプトの伝説が起源らしい。
どっちも知らなかった。
あの、インドとかで乗客が車両の外まで溢れて乗っているやつのこと。トレインホッピングとも呼ばれる。
乗る列車が貨物列車の場合はフレートホッピングとか呼ばれるらしい。
だんだんめんどくさくなったけど、頑張ってまとめました。
増田は学びが多いSNSです。また学びが溜まったら投稿します。
他にもいい雑学があったら教えてもらえるとありがたいです。
1988年 - 『パロディウス 〜タコは地球を救う〜』(MSX、2006年iアプリ、2007年S!アプリ、2010年Wiiバーチャルコンソール、2013年Wii Uバーチャルコンソール,2014年PCEGG)
1990年 - 『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』(アーケード、1991年ファミリーコンピュータ・X68000、1992年ゲームボーイ・PCエンジン・スーパーファミコン、2003年iアプリ・S!アプリ、2006年EZアプリ(BREW))
1994年 - 『極上パロディウス 〜過去の栄光を求めて〜』(アーケード、1994年スーパーファミコン)、2007年iアプリ
1994年 - 『極上パロディウスだ! DELUXE PACK』(プレイステーション、1995年セガサターン) - 『パロディウスだ! 〜神話からお笑いへ〜』と『極上パロディウス 〜過去の栄光を求めて〜』のカップリング。
1995年 - 『実況おしゃべりパロディウス』(スーパーファミコン)
1996年 - 『セクシーパロディウス』(アーケード、プレイステーション、1997年セガサターン)
1996年 - 『実況おしゃべりパロディウス〜forever with me〜』(プレイステーション、セガサターン) -SFC版『実況おしゃべりパロディウス』のリメイク作品。
1996年に誕生して以来、世界中の子どもから大人までを魅了してきた『ポケットモンスター』。冒険心を刺激し、友情や努力の物語を描いてきたこのシリーズは、間違いなくエンターテインメント史に残る偉大な作品です。
しかし、私たちは一度立ち止まり、現代社会における「動物福祉」の視点からこの世界観を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
ポケモン世界において、モンスターは「捕まえる」存在として描かれます。ボールを投げて捕獲し、人間の指示に従わせて戦わせる。そのプロセスは、現実の動物に対して決して許されない「支配」と「強制」の構図を思わせます。
動物保護団体が訴える「野生動物は野生のままで」という理念と真っ向から対立するのです。
ポケモンバトルは作品の中心にある要素です。しかし、バトルは人間の娯楽であり、その結果としてポケモンが傷つくことは不可避です。確かにゲーム内では「回復アイテム」や「ポケモンセンター」によって簡単に癒されますが、これはあくまでフィクションのご都合主義。
もし現実で同様の行為が行われたならば、それは「動物同士を戦わせる虐待」にほかなりません。
ピカチュウの愛らしい姿、イーブイのぬいぐるみのような可愛さ――ポケモンは徹底的に擬人化され、人々の心を和ませるようデザインされています。しかし、この「かわいらしさ」は、支配構造の残酷さを覆い隠すカモフラージュになってはいないでしょうか。
私たちが笑顔で楽しんでいるその背景に、「人間のために動物を利用する」という古い価値観が潜んでいるのです。
今日の社会では、サーカスにおける動物ショーが廃止され、動物実験や毛皮産業に対する批判が高まっています。動物は「人間の道具」ではなく「権利を持つ存在」として扱われるべきだという認識は、もはや常識となりつつあります。
その流れの中で、「捕まえて、戦わせて、従わせる」ことを前提としたポケモンの世界観は、時代に逆行していると言わざるを得ません。
私はポケモンそのものを否定するつもりはありません。作品が持つ冒険心、友情、成長の物語には確かに普遍的な魅力があります。しかし、これからの時代にふさわしいエンターテインメントであるためには、「ポケモンと人間が対等なパートナーとして協力する」新たな描き方が求められるのではないでしょうか。
ポケモンは、単なる娯楽を超え、文化的アイコンとして存在し続けています。だからこそ、今こそ問い直すべきなのです――この作品は、私たちが築きつつある「動物福祉の社会」と調和しているのか、と。
Dr.スランプ アラレちゃん
放送時期:1981年4月 -1986年2月 / 話数:全243話
放送時期:1997年11月 -1999年9月 / 話数:全74話
放送時期:1983年10月 -1986年3月 / 話数:全128話
放送時期:1994年10月 -1995年12月 / 話数:全47話
放送時期:2001年10月 -2002年10月 / 話数:全52話
放送時期:2018年4月 -2019年9月 / 話数:全52話
放送時期:1989年4月 -1996年1月 / 話数:全291話
放送時期:第1期2009年4月 -2011年3月 / 第2期2014年4月 -2015年6月 / 話数:全159話
ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作)
放送時期:1991年10月 -1992年9月 / 話数:全46話
ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第2作)
放送時期:2020年10月 -2022年10月 / 話数:全100話
放送時期:1996年1月 -1998年9月 / 話数:全94話
放送時期:第1期2023年7月 -12月 (全24話) / 第2期2024年10月 -2025年3月 (全23話)
放送時期:2000年4月 -2004年9月 / 話数:全224話
HUNTER×HUNTER(第1作)
放送時期:1999年10月 -2001年3月 / 話数:全62話
HUNTER×HUNTER(第2作)
放送時期:2011年10月 -2014年9月 / 話数:全148話
シャーマンキング(第1作)
放送時期:2001年7月 -2002年9月 / 話数:全64話
SHAMANKING(第2作)
放送時期:2021年4月 -2022年4月 / 話数:全52話
こうして見ると「さすがアニメがリメイクされる作品群!」というラインナップの中にありながら、封神演義が二度もアニメ化されていない()というのは悲しいものだ。
やおい論争が掲載されたミニコミ誌 『CHOISIR』は、一部を除いて以下で読める。
https://wan.or.jp/dwan/dantai/detail/57
やおい論争の発端となった20号 (1992年5 月)は、以下。
https://wan.or.jp/dwan/detail/6212
やおい論争は「BLのあり方を見つめ直すきっかけ」にはなったのかもしれないが、最終号Vol.47(1996年9月)の栗原知代氏による総括を読む限りでは、論争から逃げてしまい、議論が脇道に逸れたまま終わってしまった感が強い。90年代からこの有様なのだから、男性向けポルノを批判しつつBLは肯定する論を作るのは相当に難易度が高いのでは。
https://wan.or.jp/dwan/detail/6234
以下は、「やおい論争を総括する。」(p.10〜15)からの抜粋。2025年の現在から見ても参考になると思う。
そして、フェミニズムは男性のポルノをセクシャルハラスメントだと攻撃するが、やおいもそれと同じことをしているではないか。自分たちの加害性に気づいてほしい、と提言しています。
さて、ということは、この佐藤さんの批判に対しては、次の三つの対応しか考えられません。
まず最初は、反論です。つまり、やおい少女は、佐藤さんの指摘のあったような行為をしていない、というものです。(略)その証明をしようとしましたが、全員がそれに失敗しました。
さて第二は、弁明です。佐藤さんの指摘はその通りなんだけど、それには深い理由がある、といって、やおい少女がやおいに向かうやむにやまれぬせっぱつまった事情を説明することです。(略)
そして最後の対応は、受容しつつ現状を肯定することです。確かにやおいは安全な場所からゲイの性行為を覗き見したり、いろいろ想像して楽しんでいるのだが、性の快楽には、ある程度の加害性はつきものではないか。要は程度の問題なんだから、できるだけ実害のないように、それぞれ楽しめばいいのだ。(略)
さて、当初の「やおい論争」は、この第二の対応(弁明)を中心に展開していきました。その過程で、やおいに向かう動機などが語られ、それなりに有意義だったのですが、佐藤さんが要求した「ゲイへの加害性への認識。また、そのうえでの対応」という点に関しては明確な答が得られず、論争は一種のデッドロックに乗り上げました。
文庫版は瀬野が小澤を誘導するための仕掛けが施されており、瀬野が用意した原稿は意図的な加工がされていることを考慮する必要がある。
また怪異に関わったものは「そのこと自体を忘れる」傾向があるため、インタビュー内容が同じになったり、小澤が小沢くんのことに思い至らなかったりする。
瀬野が積極的に怪異について調べながらも今まで無事でいられたのは
もしかしたらカクヨム・単行本版の後日談としての文庫版なのでは?と思って合体させた年表にしてみたものの、Q休刊の時期が全く違ったのでマルチバース確定です。解散。
言うほど持たざる者か?
幼少時代
貴金属業を営む家庭に生まれる。一人っ子。2歳の頃から1年ほど、母の友人が運営していた幼稚園(プレスクール)に通園した後、駒込にある幼稚園に3年保育の予定で入園したが、校風が合わなかった。翌年、国立東京学芸大学附属である東京学芸大学教育学部附属幼稚園竹早園舎に抽選により入園[4][5]、のびのびと育つ。この頃に本郷から小石川に引っ越しをした[6]。幼稚園からエスカレーター式に東京学芸大学附属竹早小学校[7]、東京学芸大学附属竹早中学校と内部進学をする。高校は内申点が不足していたため外部の学校を受験することになった[5]。
浦和明の星女子高等学校卒業後[8][9]、フェリス女学院大学[10]文学部入学。大学在学中、早稲田大学のサークル「ソウルミュージック研究会」に所属[2]。このサークルには、当時プロデビューする前のRHYMESTER(宇多丸、Mummy-Dは先輩、DJ JINは同期)がおり、旧知のサークル仲間である。
「ソウルミュージック研究会」のパーティーで、西麻布のクラブ「Yellow」でブラン・ニュー・ヘヴィーズの「Never Stop」を歌っていたところ、MELLOW YELLOWのKOHEI JAPANに認められ、1995年のアルバム「MELLOW YELLOW BABY」に3曲、ボーカリストとして参加している。大学在学中にアメリカのミネアポリスに1年留学。1995年に帰国。翌1996年に大学を卒業[5]。
まず、申し訳ないけどAIは普通に嘘を吐く事も有るのは注意した方が良いよ。個人的には、ブレインストーミングやアイデアを得るきっかけ、調査の下準備としては使えても、あまり正当性の主張には使わないほうが・・・。
あと誤解があるかもしれないけど、最初のほうから「最終的な結論としては増田側が正しい可能性がありそう、」とか「増田の主張が正しい可能性は十分にあるなー」とか書いてる通り、
自分は「記事が正しい」とか記事の人を擁護する意図はあまりないよ。
ただ単に「記事も間違ってる(可能性は有る)が、元増田も間違ってる箇所がある(可能性がある)」と第三者の立場から言ってるだけ。
「じゃあどこが間違ってるというのか」については、いまパッと挙げられるのだと以下かな。(いずれも間違いの「可能性」であることに注意)
これについてはすでに反例となる英語のページを示したね。もちろん「それらは「正確な定義」または「正しい定義」ではない」といいたいならご自由に、しかしその論拠は(流石にAIではない方法で)示して欲しいね
あとそもそもそれらのページが「正しくない定義」であるなら、どういう意味において「正しくない定義」なのかが気になる。「正しくない定義」とは?
ここについては元増田が正しい可能性は大いにあると思うけど、証拠は別に示されてないなー、という印象だね。(AIはあるけど・・・)
ここについてはむしろ元増田の方が正しい可能性が高いんじゃないか?と元は思ってたんだけど、
素人なので調べてみたところ、ベルリン解釈って2008年に出されたらしいね。
で、ディアブロが出た時代を調べると、1996年……、ディアブロIIが2000年……
え、「ベルリン解釈」が出たときにはもうディアブロ普通に有ったの?
「記事の人が引用するべき定義がどの時代か?」と「ベルリン解釈のhack andslashを解釈する際に引用するべき定義はどの時代か?」はそれぞれ別々の話だと思うんだけど、
ベルリン解釈の時代に既にディアブロが存在し、「hack andslash」に関する人々の共通認識に影響を与えていたとすると、ちょっと話が変わってくるな・・・。
とはいえ、元増田が引用してくれたベルリン解釈の「hack andslash」には報酬に関する言及はなかったように見えたので、依然元増田が正しい可能性は高そうだなー、とは思う。
これについては元増田の誤りの可能性が高いんじゃない?と思ってる。実際英語圏で報酬を含む定義をしているページが実例としてあったしね。
その上で
これらの記述は普通に誤りの可能性が高いかと(日本独自じゃないよねー、と)
他にも有るかも知れないが、ざっとはそんな所かな?
まぁ、記事の人も元増田もそれぞれ間違っていた部分がある、でいいのでは?(あ、自分も多分色々間違ってた部分はあると思うよ、なるべく「かもしれない」とか「思う」という表現をしたつもりだけど、ミスはあるだろうから)
『ハチ公物語』(1987年) → 『HACHI約束の犬』(2009年)
『Shall we ダンス?』(1996年) → 『Shall We Dance?』(2004年)
そして
『幸福の黄色いハンカチ』(1977年) → 『イエロー・ハンカチーフ』(2008年)
元ネタはアメリカだからポロロッカというかUターン・ブーメランものじゃないか・・・
国民民主党の玉木代表が「1年たったら動物のえさ」と備蓄米を揶揄したことが大きな波紋を呼んでいる。
「1年たったら動物のえさ」進次郎農相アピールの「1800円備蓄米」を国民・玉木代表がチクリ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0f159b761a2bf8ba7fb1ae28f02cb1ab529ff9f
戦後から1980年代にかけて広く国民から「家畜の餌」「豚も食わない」「猫も避ける猫またぎ」などと揶揄された米産地があった、北海道である。
この当時の恨みつらみは北海道でJA全農を超える加盟者数を誇るホクレン農業協同組合連合会が現在でも語り継ぐほどに北海道米のイメージは非常に低かった。
https://www.hokuren.or.jp/_greenweb_/?post_type=studies&p=1564
北海道では「赤毛」や「坊主1号」が栽培され、独自品種の「ゆきひかり」が開発されるなどしたが、北海道で選択される栽培品種はとにかく寒冷に強く収量が多い品種が求められ、味は二の次とされたこともあり、いくら低価格であっても食卓の主食として多くの国民は買わず、収穫の多くは家畜飼料として用いられた。
しかし、その価格の安さは戦後から多くの貧困家庭、特に母子家庭の主食として高い支持を集めていたのも事実だった。この当時の貧困家庭は北海道米に助けられたと思っている家庭は少なくないだろう。
けれど、その「貧困家庭の米」という事実もブランドイメージ低下に拍車をかけた。貧困家庭以外に安くても売れない北海道米は飼料消費としても余ってしまった収量は破棄しているほどに一億総中流となっていく時代に北海道米は売れなかった。
1988年、そんな北海道米に新品種が生まれる。これまでの寒冷に強い、収量が多いという良さをそのままに食味が著しく大幅に改善された「きらら397」が開発されたのだ。
しかし、この「きらら397」が開発されても直ぐに販売量が伸びたわけではなく、これまでの悪いイメージを払拭する事へ非常に苦労した。貧困家庭からは美味しくなったと大絶賛されたものの中流以上の家庭からは食べもせずにどうせ不味いと考えられてしまっていたのだった。
そんなやっかいどう米に転機が訪れる。牛丼店を中心として全国の飲食チェーンが「きらら397」を採用し始めたのだ。
このエントリを読んでいる諸氏も「あの当時の吉野家で食べた牛丼」と今の吉野家の牛丼が何か違う、家庭で食べるいつもの米と吉野家で食べる何か違う米と気付いてる者も居るかも知れないが、それは広く一般家庭に売れるようになる前の「きらら397」だった。
飲食チェーンが北海道米「きらら397」を採用していることが世間にも徐々に広まっていくと「意外と北海道米も悪くない」として一般家庭でも広く食べられるようになる。
このエピソードは「牛丼を変えたコメ―北海道「きらら397」の挑戦―(足立紀尚 著)」でも触れられており、内地(北海道外を指す北海道方言)を見返してやろうと頑張った北海道米農家の皆さんの努力を垣間見ることが出来る。
「きらら397」以降、北海道米の新品種開発は急速に進み、前述した「きらら397」から更に食味を改良した1996年の「ほしのゆめ」、更に収量を改良した2001年の「ななつぼし」、更に耐冷性を改良した2003年の「ふっくりんこ」、前述の「ふっくりんこ」とは別系統の低アミロース極良食味認定を受けた2003年の「おぼろづき」、そして前述の「おぼろづき」並の極良食味でありながら「おぼろづき」以上に収量を改良した2008年の「ゆめぴりか」が登場するに至った。
「おぼろづき」および「ゆめぴりか」は驚愕すべきことに盲検試験によって日本国内では定番である特定米産地(迷惑かける影響を考慮して特定米産地は筆者の意思で隠蔽しました。ご了承ください。)のコシヒカリの食味に勝ると試験結果が出ており、北海道米が北海道外の米を超えられることを証明した品種となった。
寒冷地で栽培可能で量が取れて安くて美味い北海道米の時代が到来したのである。
国民民主党の玉木代表がなぜ米へ対して「1年たったら動物のえさ」と表現してしまったかと言えば、彼の記憶の中には確かに一部産地の美味しくない米が家畜飼料として使われていた過去、何なら余った分は廃棄していた、豚も食わない米が存在していたことを頭の片隅で覚えていたからだろう。
しかし解釈を誤ってはならない。玉木代表だからこそこういう印象を持ったのではなく北海道外にはまだまだ北海道米へ対して悪印象を持つ国民が大勢居るのだ。しっかりとした学術的なデータで食味の良さが示されようとも極々ありふれた一般の国民の多くが北海道米を忌避し続けているのが現状なのだ。
1993年の平成の米騒動の際にタイ王国から有り難くも拠出されたタイ米へ対して恥を知らぬ言動を取ったのは極々ありふれた一般の国民であったが、その性根は未だ変わっておらず、反省しておらず、その一雫がたまたま国民民主党代表玉木雄一郎であったにすぎない。未だに「猫またぎ」だと思っているのだ。
このエントリを最後まで読み、腹を立てたのであるならば2025年令和の米騒動が収束した後に北海道米を食べてみて欲しい。
「その喧嘩買ってやらァ!」という意気込みで食べてみて欲しい。食ったら言わせてみせるさ「意外と北海道米も悪くない」と。
Permalink |記事への反応(19) | 19:24
リフレ派山形浩生(がリフレ派であるかここでは議論しない)は「デフレマインドを吹き消すために消費税増税しろ」と言ってたよ
https://cruel.org/hotwired/hotwired01.html
〜天下のまわりもの高座〜
〜天下のまわりもの高座〜
日本はいま、とってもとっても不景気だ、なんてことはぼくがいまさら言うまでもあるまい。企業倒産、就職氷河期、銀行もばたばたつぶれ、もうお先真っ暗なのに、いつまでたっても出口が見えない。わーん、どうしたらい? もはや矢弾も兵糧もつきた。あの戦争からはや50年、この神国日本もはやこれまでか! かくなるうえは……
「いやいや殿。おそれながらあきらめるのは早いですぞ。聞き入れられるはずもないがゆえこれまでは黙っておりましたが、実はこの風来坊めに、景気回復の奇策がおじゃりまするのじゃ。かの匹楠導師が戯れに編み出したる外道の邪法ではございまして、よもやこれを使う日がくるとは思うておりませんでしたが……」
「ええい、茶坊主どもめが控えおろう、このお国の一大事に身の程をわきまえるがよいぞっ!」
「あいや家老、しばし待たれよ。ほほう、奇策とな。句留愚庵に日和庵とかもうしたか、このたわけどもめが、おもしろいことをぬかしよる。よし、言うてみぃ。ただしふざけた代物であれば、即刻斬って捨てるぞ! してその奇策とは?」
「はあ、それは……」というまえにそもそもお殿様、不景気ってなんだかおわかりでしょうか? 今回はそこからはじめよう。
不景気ってなに? みんなもちろんわかってるつもりでいる。でも聞いてみると、ちゃんと説明できる人はほとんどいない。株価が下がってるとか、失業が増えてるとか、倒産が増えたとか経済成長率が低いとか、すぐそういう話をしたがる。でもそれは、結果として生じる現象でしかない。不景気そのものではないんだ。不景気が何か知らなければ、不景気対策の話もできないだろう。
世の中には、ものを作る人と、それを買う人がいる。つくるほうが供給で、買うほうが需要だ。これはいいね。
さて、その両者がものを売買するのが、市場ってところだ。両者はおたがいに相手の足下と自分の在庫をみつつ、お値段の交渉をする。人気が高いブツは値段があがる。売れないブツは、売れるまで値段が下がる。いい、今の分をもう一回読んで頭に叩き込んでね。売れなければ、売れるまで値段が下がる。そしてブツがはける。それが市場なの。
ところが、何かのきっかけで、これが機能しなくなることがある。たとえば、ブツが売れないときに、売り手が値段を下げようとせずに、いっせいに「もうちょっと様子を見ようか」と思ったら? そのブツはいつまでたってもはけずに売れ残ることになる。
そしてもう一つ。この世では、極端なガキと年寄り以外はみんな働いてる。つまり、みんな働いてるときはつくる人で、働いてないときは買って使う人になる。そしてある人が買えばそれはつくった人の儲けになって、その人はその儲けをもって、こんどは買う人になるわけだ。
さてここで、世の中の人がみんないっせいにちょっと多めに貯金しようと思ったら? 「山一や拓銀が潰れるようじゃ、将来がちょっと不安だな」とか言って、みんな使うのを控えたりするわけだ。ところがみんなが同時にそれをやると、だれもモノを買ってくれなくなるので、売り上げが減る。すると思ったように貯金が増えない。これはまずいと思ってみんなもっと買い物を控える。するとさらに収入が減って・・・こうしてモノがどんどん売れなくなる。
不景気ってのはそういう現象だ。経済全体としての需用がいっせいに下がって、供給がだぶついちゃうことなんだ。そしてそれを市場と価格メカニズムがちゃんと調整してくれない。それが不景気ってことなんだよ。人は失業し(つまり労働力っていうブツが余ってる状態だ)、店には売れない商品がならび、工場は開店休業。オフィスビルは空室まみれで住宅も売れ残り。株も売れずにどんどん値下がり。ね。まさにいまの日本の状態。
すると、不景気はどうすれば回復する? 供給をいくらいじってもだめだよね。みんながお金を使おう、買い物しようと思わなきゃいけない。
じゃあまず、ものの値段を下げたら? でも自由主義経済では、値段を下げろと命令するわけにはいかない。
それ以外の方法は? まず、金利を下げることだ。するとみんな、貯金しても大して利息がつかないし、じゃあ買い物しようという気になって、需要がふえる。ローンとかも気軽に組めるようになるしね。
次に、公共投資ってのがある。政府が、道路をつくろうとか学校をつくろうとか、とにかくでかい事業を借金してまでやらかす。すると工事を請け負った建設屋さんがリッチになって買い物して、はずみがついてみんな買い物するようになる。
減税してもいい。税金が減ったら、その分みんな使うかもしれない。
そしてもう一つ、お金をいっぱい刷るという手がある。そうすると、そのお金がまわりまわって(ここの仕組みは面倒なのでまたいずれ)みんなの懐に入り、みんな太っ腹になっていろいろ買い物をするようになる。
いや、全部やってるんだ。まず金利。これまでも金利はどんどん下げてきている。こないだも、日銀が金利を0.25%下げた。でも、もう金利はゼロに近いんだ。だからもうあとがない。でも効果なし。
減税。これもそこそこやってる。恒久減税だの一時減税だの、流派はあるんだけどさ、でもまあやってる。効果なし。じゃあ公共投資。これもあわてていっぱいやってる。それなのに効果がない。財政赤字ばかりがふくれあがって、「きみたち借金返せるの?」と信用もなくなりだしてる(格付けが下がるってそういうことね)。
そしてお金を刷ることだけど、日銀はお金をいっぱい増やしてるんだ。
つまり手は尽くしてるのに、効果がぜんぜんない。それぞれの手口にはそれぞれシンパがいて、みんな「いやまだ公共投資/減税/資金供給が足りない」と叫ぶんだけど、じゃああとどれだけあれば十分なのか、だれもわかってない。みんな、現状をちゃんと説明できるモデルがなくて困ってるんだ。でも、そう認めるのが恥ずかしいから、わかったような口をきいてるだけなの。
さて、ここで新聞をよく読んでいる人は、首を傾げるだろう。景気対策という話で、構造改革とか不良債権処理とか出てくるじゃん。あれはどこいった?
うん、どっちも必要だしどんどんやってほしいんだけど、でもどっちも景気対策とはあまり関係ないんだ。構造改革ってのは、つくる人がものをつくりやすくしましょうって話でしょ。需要を増やす役にはたたないもの。不良債権処理も、まったく無関係じゃないけど、あまり歯切れのいい理屈じゃない。「風が吹けば桶屋が」式のずいぶんまわりくどい話で、やたらに「かもしれない」が多い議論だったりする。それで景気が回復するかどうか、実はぜんぜん怪しいんだよ。とりあえず他にすることがないので騒いでる、というのが実状に近いんだ。
もううつ手はないんだろうか。なんとか需要が回復する手はないんだろうか。もうあとは神頼みしかないのか……
3打つ手はある! 句留愚庵のとんでもない奇策
ところが1998年5月、何のまえぶれもなく変な論文がインターネット上にあらわれた。いいや日本くん、うつ手はある。金利をもっと下げよう。いまの金利がゼロなら、金利をマイナスにしよう。そして実質的に金利をマイナスにするには、インフレ期待をつくれ! 政府・日銀が、これからインフレを起こすと宣言しろ! そう論じたのがMITのポール・クルーグマン「日本のはまった罠」(原文はココ、邦訳はココ)だった。
インフレ期待があると、なぜ需要が増えるのか? インフレだと、手持ちのお金の価値はどんどん下がる。だからはやくモノに変えたほうが得なんだ。昔のインフレ年率40000%なんていう南米やドイツだと、一日でお金の価値が半分になったりするから、もうみんな金を手にした瞬間にモノを買おうとした。つまり、インフレが長く続くと思ったら、みんなどんどんお金を使うようになる。だったら、インフレが長く続くと思わせようよ。そうやって需要を増やせばいいじゃないか。クルーグマンの議論は、基本的にはそういうことだ。そしてかれは、この方法がよくてそれ以外の方法がなぜダメかを、とってもきちんとしたモデルを使って理論的に説明している。いまの日本の不景気をまがりなりにも説明した、数少ないモデルだ。
さて、かれの議論はどう受け取られただろうか。
みんなひっくり返った。怒る人さえいたくらい。インフレというのはこれまで、とっても悪いものだというのが常識だったからだ。インフレ→物価高→生活圧迫。よってインフレは地獄の使い。それを政府・日銀が旗振って起こせ? ふざけるな! というのがほとんどの人の反応だった。
でも批判は山ほど出てきたけれど、不思議なことにかれの理論そのものに対する反論は一つも出ていない。少なくともぼくは見たことがない。これまで出ている反論はすべて「でも、インフレには副作用もある」と言っているにすぎない。「円安で銀行が困る」とか「インフレは劇薬だ」とかね。でもそういう連中も、かわりの理論は出せていない。「不良債権処理」とか「土地流動化」とか繰り返してるだけ。なぜか?それは、クルーグマンの理論が基本的には正しいからなんだ。理論的な可能性としては、インフレ期待ってのが効くかもってことをだれも否定できないからなんだ。ただ、前例がない。インフレは悪いものだとさんざん叩き込まれてるし、失敗して収拾つかなくなったら何言われるかわからない。まして、そうでなくても付和雷同の好きな日本人。だから政府・日銀がこの政策をためすことは、当分ないだろう、と考えられてる。バカだな、小渕政権なんてどうせ何も失うものはないんだから、ばーんとやっちゃえばいいのにぃ、とぼくは思う。それに、クルーグマンは各種の副作用批判に対して反論を行ってて(原文はココ、邦訳はココ)、これまたかなりの説得力なんだ。
よろしい。インフレ期待ってのがあまりに無茶だと思うんなら、もしだれもやったことがなくて怖いっていうんなら、ぼくに別の案がある。需要を回復できて、みんなが経験済みで、さらにとってもすぐれた副作用もおまけでついてくる妙案だ。耳の穴かっぽじってよくききやがれ。
消費税を7%にあげよう。
さっきぼくの景気対策の説明を読んだ人は、アレ、と思っただろう。景気対策には減税してみんなの手持ちのお金を増やすんじゃないの?
そしてそこで爆笑してるか絶句してるあなた。うん、あなたはわかってる人だ。あなたが考えてるのは、こういう話だろう。1996年には、景気が上向いてきてた。なのに、1997年に消費税が導入されたので消費者が買い控えに走って景気がまた冷え込んだんじゃなかったっけ? だから共産党は、消費税を3%に戻して景気回復、なんて口走る。それなのに、そこで消費税をまたあげたら、さらに景気が悪化するに決まってる!
でもそれはちがうと思う。それは因果関係が逆じゃないだろうか。1996年当時、あなたのまわりで家や車を買おうとしていた人はいなかった? 思い出してよ。みんなもう、9月までに買えば消費税が3%というので必死こいて駆け込みで買ったでしょう。だから消費が上向いたんだ。このケチなぼくですら、3月にコンピュータを(中古だけど)買い換えたもの。だから景気が上向いたんだよ。増税したせいで景気が下がったんじゃない。増税期待のせいで景気があがったんだ。
だったら、それをもう一回やろうよ。いますぐに税金を引き上げるって話じゃない。将来それがあがるという期待をつくるんだ。「2000年元旦に消費税を7%に上げまーす」とアナウンス。するとかけ込み需要がたくさん発生して、景気は盛り上がるだろう。さらにそのままだと、増税した時点で1997年4月みたいに消費が冷えこむので、そうならないように、あげたその日にもう一発増税をアナウンスしておけばいい。来年には10%にするよ、と。
これはある意味で、クルーグマンの議論と似ている。ぼくたち消費者からすれば、インフレも消費税アップも同じこと。いずれにしても、いまの手持ち現金の使いでが減るってわけだ。だから、はやく金を使おうとする。それで需要は上向く。
さて、クルーグマンはインフレ期待を盛り上げろとは言ったけど、じゃあどのくらい盛り上げればいいかはまだ詰めていない。でも、ぼくの案はなにせ前例があるもので、効果が試算できるのだ。1996年の日本の実質経済成長は3.6%。このすべてが消費税効果ではないにしても、たぶん2%くらいの押し上げ効果はあったはず。1998年の日本はマイナス成長だよ。GDP成長率が2%アップっていったら御の字だ。
そしてこの案のすばらしいところ。まず、やりやすいってこと。これからインフレにしまーす、といって国民を納得させるのは、こりゃ至難の技だ。それが景気対策だってことを納得させるのは不可能といっていい。しかし消費税アップは経験があるから、やりかたはわかる。そしてそれを国民に納得させるのも簡単だ。やっぱり景気回復には財政再建が必要なんです、と言えばいい。「ごらんなさい。財政出動ばっかして赤字国債だしまくったら、格付けが下がってジャパンプレミアムで、ボロボロでしょう。やっぱ国の財政がしっかりしてなきゃ景気なんか戻りませんや」とキャンペーンを張るんだ。
もう一ついいこと。インフレは、手におえなくなる可能性はある。目標どおりにおさめるのはむずかしいかもしれない。でも、税金は7%と決めたらその率で決まりだ。さらにとってもすばらしい副作用。財政再建は方便にしても、これをやれば税収は確実にアップする。万が一需要が上向かなくても、とりあえず財政赤字は減る。それはそれで悪いことじゃない。なーに、どうせいつか消費税はあげようと思ってたんでしょ、みんな。それを来年やって何が悪い?
さて、このアイデアを友だちに話したところ「でもそれって、1回2回は使えても、3回目あたりからみんなひっかからなくなるでしょう」と言われた。ぼくも一瞬そう思ったんだが……そうか? 「ひっかかる」ってどういう意味? 別にだますわけじゃない。税金をあげるよ、といってあげるだけだ。待てば待つほど税金は高くなる。なんのひっかけも隠し事もない。なんなら「今後10年で消費税を15%まで上げます」と宣言しておけばいい。
そしてこれは、需要を前倒しにすることになる。消費税があがるぞ、とおもって、来年家を買う予定だった人が無理して今年ローンを組むわけね。だから、だんだん後がなくなるような気もするんだが、一方でその一時的にしても上向いた分の需要がどっかでまわってくるから、また新しい需要も出てくるはずだ。1997年だって、住宅需要は1995年並に戻っただけで、それを割り込むようなことはなかったんだよ。
私たちは、選択的夫婦別姓制度について、「導入に原則として賛成」の立場をとります。
結婚によって改姓を強いられる現行制度には、特に女性のキャリア継続や社会的アイデンティティにとって深刻な不利益があると認識しており、選択肢を広げる制度改革は一定の合理性と必然性を持つと考えています。
その一方で、推進派と反対派がそれぞれの立場から強く主張し合う構図において、制度が導入された後の社会的・実務的な影響についての冷静な議論が十分になされていないという点に、強い懸念を抱いています。
私たちが求めるのは、制度の「是非」だけではなく、「どのように導入され、社会に定着していくのか」という運用面への丁寧な設計と合意形成のプロセスです。
推進派の中には、「結婚によって姓を変えざるを得ない女性が不当に不利益を受けている」「外国ではすでに制度化されているのに、なぜ日本ではこれほど長く議論が停滞しているのか」といった切実な問題意識と、長年にわたるフラストレーションを抱える人たちが多くいます。
1996年の法制審議会答申を受けた1998年の報告から数えて、実に30年近く、制度導入が見送られてきたという現実があります。この間、当事者たちは選択肢が与えられないまま、個人の尊厳や実生活における不自由を甘受せざるを得ませんでした。
こうした長期にわたる「待たされ続けたことへの焦り」や「社会の変化に比して制度が旧態依然としていることへの不満」に、私たち中間派も一定の理解と共感を持っています。
「これはあくまで“任意”の制度なので、反対する人に強制することは一切ない」
「改姓によって不利益を被る人が“困っている”なのだから、制度を変えるのは当然だ」
といった、制度導入の正当性を感情や比較論だけで強調するような主張が目立つこともあります。
当事者の苦悩は確かに深刻であり、改革の必要性を示す根拠として妥当なものですが、それだけを理由に社会制度を変更する場合、導入後の現実的な摩擦や調整を軽視してしまうリスクがあることも忘れてはなりません。
私たちは、選択的夫婦別姓制度が個人の尊厳や自由な生き方を支える重要な一歩であると考えています。
しかし、その実現には「制度の導入そのもの」だけでなく、「導入のしかた」「導入後の社会設計」までを含めた誠実な準備と合意形成のプロセスが必要です。
制度はあくまで社会の器であり、そこに暮らす人々が安心して納得できるものでなければなりません。