
はてなキーワード:1975年とは
曼珠沙華さん、あなたの反論を拝見しました。Grokか私のどちらかが嘘をついているといいつつ、藤木先生の議論にも反している私が嘘つきとの論陣を張っておられますね。ところでお聞きしたいのですが、あなたはAIの回答が正しいと思って、ぶつけてこられたということでよろしいですね?では、私から疑問を提示させていただきます。AIが論拠とする事項についての疑問を提起します。
①黒田基樹『戦国期の貨幣と経済』(吉川弘文館、2007年)なる著作は実在しません。
②永原慶二『近世武家経済史の研究』(有精堂、1969年)なる著作は実在しません。
③『甲陽軍鑑』(天文・永禄期)家臣の禄高を石単位(俸禄)で記すが、下級者には「扶持若干石」と明記とあるが、そのような記述は存在しない。『甲陽軍鑑』には貫高で禄高を記すのが原則。いったい何巻に記述されているのかさっぱりわからない。見つからない。
④藤木久志『戦国社会史論』(東京大学出版会、1975年)に「扶持を「俸禄の現物化初期形態」とし、土地喪失時の代替として用いられたと指摘。総俸禄の10-20%が扶持形式だったと推定される」との記述は存在しない。この課題に最も近い「大名領国の経済構造」「知行制の形成と守護職」にもこうした論述は見当たらない。念のため、この著書は1974年刊行である。いったい1975年刊とはどういうことか。曼珠沙華におたずねしたい。
⑤佐藤信淵の研究(『戦国大名の軍事と経済』、吉川弘文館、1995年)とあるが、そのような著作は存在しない。そもそも佐藤信淵は江戸時代後期の学者なのだが、なぜ1995年に著書が刊行されているのかさっぱり理解できない。ちなみに同姓同名の戦国期の研究者がいるとは聞き及んでいない。
⑥平井上総の『戦国期領主層の研究』(高山寺書店、1980年)だが、このような著作は存在しない。そもそも私の知る平井上総氏は1980年生まれのはず。生まれたばかりの新生児がこのような著書を書いたとはノーベル賞どころの話じゃないね。曼珠沙華さん、この問題にどう回答するの?
⑦五味文彦(1947年生まれ、東京大学教授・名誉教授)は、戦国期の民衆史・武士社会を専門とし、『もう一つの戦国史』(岩波新書、2000年)や『戦国合戦の社会学』(中公新書、2015年)とあるけど、ぜんぶ実在しませんよ。このような著作があれば、私が知らないわけない。念のため、五味先生は1946年生まれですけど、別人なのですね?曼珠沙華さん、返答してくださいね。
⑧「現代の日本史学における定説と受容状況」に記述されているデータは、すべて根拠がないか、実在しませんよ。曼珠沙華さん、あるというのなら、しっかりとその出典を明記して提示してください。
以上です。曼珠沙華さん、あなたはこんないい加減なものを鵜呑みにして、私をこきおろそうとしていたわけです。AIを丸投げして、私が間違っていると言った以上、この記述を信頼できると考えた根拠をすべて掲げ、私に提示してください。私はすべて提示しましたよ。あなたは自信満々で、誠実な人間なのでしょ?さぁ、私にしっかりと回答してもらいましょう。逃げるなよ。https://t.co/XDgKWKIIEP— K・HIRAYAMA (@HIRAYAMAYUUKAIN)October 19, 2025
日本社会で専業主婦が多かったのは戦後の100年にも満たない時期に過ぎません。日本社会には専業主婦は適正がない。
というか、男が労働、女が家に入って家事育児というスタイル自体が日本に合ってないと感じる。
https://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2013/201306/201306_08.html
日本で専業主婦の割合が一番高かったのは、1975年と言われている。それでも60%程度なので、実は、日本では、欧米に比べ、専業主婦はあまり普及しなかったのである。それは、家業などで女性も働くという伝統が、戦後も維持されたことが一因である。
1960年 57日
1965年 58日
1970年 52日
1975年 50日
1980年 61日
1985年 58日
1990年 56日
1995年 49日←
2000年 46日←
2005年 53日
2010年 56日
2015年 63日
2020年 57日
2024年 43日←
長期で見ると、単に「2010年代が秋日が長かった」とも言えます
とは言え、その差は10日程度です
ウソでした
二度と秋が短くなった等と言わないでくださいね
【調べ方】
https://www.data.jma.go.jp/risk/obsdl/
・東京
・1日の最高気温
・8月下旬以降の秋日(最高気温が15度〜25度)をカウントする
結果
1960年 64日
1965年 61日
1970年 55日
1975年 51日
1980年 65日
1985年 64日
1990年 67日
1995年 52日
2000年 52日
2005年 54日
2010年 67日
2015年 71日
2020年 61日
2024年 51日
見ると分かると思うんだけど、要は気温ってのがブレが大きいんだよ
秋日の平均日数は59.6日、ここからどのくらい上振れ/下振れているかを示したのが以下
1960年 +7%
1965年 +2%
1970年 ▲8%
1975年 ▲15%
1980年 +9%
1985年 +7%
1995年 ▲13%
2000年 ▲13%
2020年 +2%
2024年 ▲14%
な?
「年々秋が短くなっている」は偽
秋は元々短い
最近短いのは確かだが1970年代、1990年代、2000年代もそうだったし
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年8月)
ミハイ・チクセントミハイのフローモデルによるメンタルステート図。チャレンジレベルとスキルレベルの二軸で表される[1]。
フロー(英:flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。一般的には、フロー体験(Flow Experience)、フロー状態(FlowState)、フロー理論(FlowTheory)などという言葉で使用される。
日本では、スポーツの分野において一般的に「ゾーン」と呼ばれることが多いが、その他にも類語としては「ピークエクスペリエンス」「無我の境地」「忘我状態」とも呼ばれ、最適状態または最適心理状態(Optimal PsychologicalState)と呼ばれる研究分野のひとつである。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている[2]。
専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
さらに心理学作家のケンドラチェリーは、チクセントミハイがフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している[3]
直接的で即座のフィードバック[3](活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローはチクセントミハイの1975年のインタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー」体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である。
チクセントミハイは、集団が全体として作用して、個々のメンバーがフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。
創造的空間配置:椅子、コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動が主体となる。
活動の場のデザイン:情報を書き込む図表、流れ図、企画の概要、熱狂(ここでは熱狂も場所を占める)、安全な場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板、オープントピック
観光分野への応用
近年、欧米では観光旅行中に発生する「楽しさ」や「感動」「ワクワク」「満足」などの言語化されたポジティブな感情の根源は、心理学上のフロー状態から発生しているのではないかという研究が多く行われている[4]。フロー状態は、チクセントミハイによって、その発生のプロセス(フローモデルによるメンタルステート図)がある程度提案されていることから、観光における満足を人為的、意図的に発生させることも可能ではないかとの考えられ、日本国内でもこれに言及する主張が増えている[5]。また「思い出に残る旅行体験(MTE:Memorable Tourism Experience)」の指標に関する研究では、フロー状態とMTEの関連性について言及するものもある[6]。
アウトドアレクリエーション、音楽活動、趣味、ゲームの楽しさとフロー
スキー、スノーボード、サーフィン、カヤック、乗馬、パラグライダーやダイビングなどのアウトドアレクリエーション、オーケストラや吹奏楽、合唱などの音楽活動、模型製作や生け花、洋裁などの趣味、テレビゲーム、スマホゲームにおける「楽しさ」や中毒性についても、フロー状態がその楽しさの根源ではないかという研究も数多く存在し、近年「楽しさ」の構造やその原理が明らかになってきている[7]。
隣接分野
この概念は西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象に気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。
2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念を説明するのに使われる。
教育にあっては、過剰学習の概念があり、これは、この技術に重要な要素となっているように思われる—少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代のスポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象を経験する。
基本的な発想が東洋と西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者、スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善の形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋の精神的な実践者は、現在の科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法で試験し改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。
ソフトウエア開発者は邪魔されないフロー状態に入ることを、"wired in"、TheZone,[8][9]hack mode,[10]、softwaretimeに入る[11]などと呼んでいる。株式市場取引者は "in the pipe" という用語を、取引量の多い日や市場の修正時に取引する際のフロー状態を表すのによく使う。プロのカードプレイヤーは、集中力と戦略的認識が最高となったときを "playing the A-game" と呼んでいる。
フローはポジティブ心理学にとっても重要である。目の前のことに夢中になり、我を忘れることで、幸せや健康、長寿につながるのである[12]。
新世紀GPXサイバーフォーミュラ -近未来を舞台にしたカーレースアニメ(作中ではゼロの領域の名で登場する)
Dreams -マガジンSPECIAL連載中の野球漫画
flOw - thatgamecompany制作のビデオゲーム
ベイビーステップ -週刊少年マガジン連載中のテニス漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
黒子のバスケ -週刊少年ジャンプ連載中のバスケットボール漫画(作中ではゾーンの名で登場する)
風が強く吹いている -新潮社出版の三浦しをんによる箱根駅伝をテーマにした小説(作中ではゾーンの名で登場する)
^ Csikszentmihalyi, M., FindingFlow, 1997.
^ Nakamura, J.; Csikszentmihályi, M. (20December2001). “FlowTheory and Research”. In C. R. Snyder Erik Wright, and Shane J. Lopez. Handbook of Positive Psychology. OxfordUniversity Press.pp. 195–206.ISBN 978-0-19-803094-22013年11月20日閲覧。
^ a b “WhatisFlow?”. AboutEducation.2015年3月30日閲覧。
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “フロー理論から考える観光やツアーの楽しさ・満足度の研究”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Once-in-a-lifetime leisureexperiences (OLLE): The role ofFlow, novelty, and interpersonalinteractionon tourists’satisfaction andmemories”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ “Flow Experience in TourismActivities”.20250317閲覧。エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明)
^ Michael Lopp (12June2007), “Chapter 25: ANerd in aCave”, Managing Humans: Biting and Humorous Tales of aSoftware Engineering Manager, Apress, p. 143,ISBN 978-1-59059-844-3, "[TheZone]is a deeplycreative space whereinspirationis built.Anything whichyou perceiveas beautiful, useful, orfun comes fromsomeone stumbling through TheZone."
^ Joel Spolsky (9August2000), The JoelTest:12 Steps to Better Code, "Weall know that knowledge workers work bestbygetting into 'flow', also knownasbeing 'in thezone' (...) Writers, programmers, scientists, and even basketballplayerswill tellyou aboutbeing in thezone."
^ “Hack Mode”.Jargon File.2013年11月閲覧。エラー: 閲覧日は年・月・日のすべてを記入してください。(説明)
^ Scott Rosenberg (2007), Dreaming in Code:Two Dozen Programmers, Three Years, 4,732 Bugs, andOne Quest for TranscendentSoftware, "When thingsgo well,you can lose track of passing hours in thestate psychologists call "flow." When thingsgo badly,youget stuck, frozenbetween dimensions, unable tomove or see a way forward. Either way,you've left the clock far behind.You'reonsoftwaretime."
^ “Positive Psychology: Harnessingthe power ofhappiness, mindfulness, and inner strength” (英語).Harvard Health.2022年11月15日閲覧。
参考文献
Csikszentmihalyi, Mihaly (1990).Flow: The Psychology of Optimal Experience.New York: Harper and Row.ISBN 0060920432
Csikszentmihalyi, Mihaly (1996). Creativity:Flow and the Psychology ofDiscovery and Invention.New York: Harper Perennial.ISBN 0060928204
Csikszentmihalyi, Mihaly (1998). FindingFlow: The Psychology ofEngagement With EverydayLife.Basic Books.ISBN 0465024114 (a popular exposition emphasizing technique)
Csikszentmihalyi, Mihaly (2003).Good Business: Leadership,Flow, and the Making of Meaning.New York: Penguin Books.ISBN 014200409X
Langer, Ellen J. (1989). Mindfulness. Reading, Mass: Addison Wesley.ISBN 0201523418
関連項目
サマーディ
外部リンク
ミハイ・チクセントミハイ:フローについての講演映像 -TEDカンファレンス、2004年2月、18分55秒。
日本の事情ばかりでなく世界的な研究者の事情について見ていくと…
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa202201/20220708-mxt_kouhou02-f1-1-21.png
等を見ると2010年代以降はアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス辺りは女性研究者の割合の増加スピードはかなり減っている
日本などは今まで分かってるような知見を実践すれば女性研究者の割合は増えるかもしれないが
海外では今までに無いやり方をしないと殆ど女性研究者の割合が増えない国が出てきているという事だ
フィールズ賞は数学分野で特に秀でた40歳未満の研究者に与えられる賞で、4年に1回の国際会議で4人の数学者に与えられる
統計・応用数学・計算機科学・基礎論などは網羅出来てない賞ではあるが、
それ以外の大体の分野の動向はこの賞の受賞者を見れば分かる
2010年代以降の40歳未満の研究者というのは上で言えば女性研究者の増加スピードが落ちてきてからの研究者達である
Elon Lindenstrauss (1970年生まれ)イスラエル
Stanislav Smirnov (1970年生まれ)ロシア
Ngô Bảo Châu (1972年生まれ)フランス・ベトナム
Maryam Mirzakhani (1977年生まれ)イラン(女性初)
Artur Avila (1979年生まれ)ブラジル・フランス
Manjul Bhargava (1974年生まれ)カナダ・アメリカ
Martin Hairer (1975年生まれ)オーストリア
Caucher Birkar (1978年生まれ)イギリス・イラン
Alessio Figalli (1984年生まれ)イタリア
Akshay Venkatesh (1981年生まれ)オーストラリア
女性研究者が以前ほど増加しなくなったのに2010年代2020年代で16人が受賞した中で2人しか女性研究者がいない
このままではフィールズ賞を受賞する4人のうち2人が女性研究者の年があるかもしれんが
3人や4人が取る時代は来ない気がする(中国・韓国・日本も女性研究者の割合がアメリカを超える事は無さそうだし)
その前に男女という性別を到底適用出来ないような頭脳を改造したサイボーグが数学の研究者を占めるようになったり
現代の政治的対立の根源を探ると、「Woke」「アイデンティティ・ポリティクス」といった左派ポピュリズムが社会の分断を深刻化させた側面が浮かび上がります。
一般的にポピュリズムは弱い立場の人々の味方としてエリートや既得権益層に対抗する運動として現れますが、近年注目される「Woke(ウォーク)」に代表される動きは、その人種・性別・性的志向によって既得権益層を一方的に認定し徹底批判する急進性から新たな対立軸を生み出しました。
この動きは、人種やジェンダーなどの問題に対する正義を追求する一方で、その基準に合わない意見を「キャンセルカルチャー」のように排除する傾向を見せました。こうした排他的な姿勢は、自らの正義を絶対視する一種の「集団的利己主義」と見なされ、多くの人々の間に強い反発や嫌悪感を引き起こしました。結果として社会は対話や妥協の余地を失い、感情的な亀裂が深まることになりました。
このような左派の先鋭化に対するカウンターとして、日本では参政党のような右派ポピュリズムが勢力を拡大しました。参政党の躍進は単なる政治不信だけでなく、「左翼ヘゲモニー」とも表現される既存の言論空間やメディア、エリート層への強い反発をエネルギー源にしています。
参政党の思想的特徴は、「反知性主義」あるいは「エリート嫌悪」と評されます。彼らは既存のエリートに代わり「子育て中の母親」や「現場の農家」といった“当事者”の感覚こそ真実であると訴え、多くの共感を呼びました。
この「既存エリート層への不満と憎悪」が過激な変革を求めるエネルギーとなる構図は、ポル・ポト政権を誕生させたカンボジアの状況と不気味なほど酷似しています。
1975年、プノンペン市民は腐敗した旧体制への不満から、解放軍として現れたクメール・ルージュを大いに歓迎しました。しかし、その先に待っていたのは、ポル・ポトという高学歴のエリートが主導する、人類史上最も極端な反知性主義政策でした。通貨や学校、病院は廃止され、「組織(オンカー)」の決定が絶対とされました。これは、民衆が自らの思考や自由を権力者に明け渡した結果であり、その代償はあまりにも大きなものでした。クメール・ルージュの政策は、外国の干渉を排した純粋な農業国家の建設という、一見すると民衆のためであるかのような理想を掲げていました。しかしその実態は、権力者の利己的な支配欲を満たすための暴力装置でした。国民は強制労働、飢餓、虐殺によって、1975年から1979年のわずか4年間で、当時の人口の約4分の1にあたる150万~200万人が命を落としたとされています。
カンボジアの悲劇は、民衆の素朴な不満や正義感が、利己的な指導者によって利用された時、国全体を破滅に導きかねないという歴史的教訓を示しています。
この負の連鎖を断ち切るためには、まず、左派側に内省と自浄作用が求められます。排他的で独善的になりがちな急進的な動きと一線を画し、より幅広い人々との対話を可能にする穏健な路線への自己改革が必要です。
その上で、台頭する右派ポピュリズムや反知性主義に対しては、「参政党の支持者は境界知能」などの差別的で感情的なレッテル貼りで応酬するのではなく、データやファクトに基づいた冷静なアプローチが不可欠です。しかし、現代はAIによって精巧なフェイク情報が容易に生成され、陰謀論が拡散しやすい「ポスト・トゥルース時代」でもあります。そのため、単にデータを提示するだけでなく、そのデータが信頼できるものであることを示し、対立する相手とも共有できる客観的な土台を粘り強く構築していく努力が求められます。
健全な民主主義は、多様な意見の衝突の中から、熟議を通じて合意を見出すプロセスそのものです。左派ポピュリズムの独善性を乗り越え、データという共通言語を用いて反知性主義と向き合うこと。それこそが、分断の連鎖を断ち切り、社会を破滅的な結末から守るための唯一の道筋ではないでしょうか。
現代アメリカ社会の根底には、インテリ層によって理論化され肯定された「利己主義」の思想が存在します。ロシアから亡命した思想家アイン・ランドは、「利己主義は美徳である」と説きました。この思想は、自由至上主義(リバタリアニズム)の源流の一つとなり、アメリカの保守層や経済界に強い影響を与え続けています。共同体よりも個人の権利と合理性を重んじるこの考え方は、アメリカ型資本主義の「勝者総取り(Winner takesall)」の精神を支える理論的支柱となりました。
この「知的に洗練された利己主義」は、アメリカ社会に深刻な分断をもたらしています。
アメリカの事例は、インテリ層が主導する「利己主義」が、法や制度の枠組みの中で社会を内側から蝕み、深刻な分断と機能不全を引き起こす過程を示しています。
一方カンボジアでは、剥き出しの「反知性主義」を掲げた勢力が権力を握ったことで、国家そのものが物理的に破壊されるという悲劇が起きました。1975年に権力を掌握したポル・ポト率いるクメール・ルージュは、極端な共産主義思想に基づき、知識人、教育者、技術者などを「資本主義の手先」として敵視し、計画的に虐殺しました。
彼らの支配は、まさしく「利己的な反インテリ」による統治の典型でした。
カンボジアの悲劇は、「反インテリ」を掲げる勢力が、自らの権力維持という利己的な目的のために、知識や理性を否定し、社会の基盤そのものを暴力的に破壊し尽くした末路を物語っています。現代のカンボジアにおいても、フン政権による人権弾圧や言論統制が報告されており、一度破壊された社会における民主主義の定着の困難さを示唆しています。
アメリカとカンボジアの事例は、「利己主義」が「インテリ」と「反インテリ」という対極の主体と結びついた時にもたらされる、二つの異なる危機モデルを提示しています。
| 利己的なインテリ(アメリカ) | 利己的な反インテリ(カンボジア) | |
| 思想的背景 | 理性を絶対視する自由至上主義 | 知識や教育を全否定する反知性主義 |
| 発現形態 | 社会の内部からの分断、政治的対立の激化 | 物理的な破壊、大量虐殺、文明の否定 |
| 危機の性質 | 法制度の枠内で進行する「静かな危機」 | 暴力的で急進的な「破壊の危機」 |
| 共通点 | 共同体意識や他者への寛容性の喪失 | 共同体意識や他者への寛容性の喪失 |
アメリカでは、洗練された理論に裏打ちされた利己主義が社会を内側から分裂させています。一方カンボジアでは、知性を憎悪する剥き出しの利己主義が国家を外側から完全に破壊しました。
その手法は対照的ですが、どちらも社会全体の利益を顧みない「利己主義」が国家を深刻な危機に陥れるという点で共通しています。
なんかさ、定期的に出てくるよね。
でも本当に昭和に戻ったら少子化って止まるの?って話なんだけど、結論から言うと止まらないよ。
まるで昭和時代がバラ色だったかのように語るけど、データも歴史もまったく見てないノスタルジー脳なんだよね。
まず現実見ようか。
1950年には3.65人だった合計特殊出生率が、1975年にはもう1.91人まで低下。
逆だよ。専業主婦が当たり前だった時代に、出生率は落ちてるの。
そもそも、家事も育児も自動化・外注化が進んだ現代で、専業主婦って必要?
https://migrants.jp/news/voice/20250708.html
「違法外国人」との用語は、「違法」と「外国人」を直結させ、外国人が「違法」との偏見を煽るものです。「不法滞在者」との用語も、1975年の国連総会決議は、全公文書において「非正規」等と表現するよう要請しています[2]。難民など様々事情があって書類がない人たちをひとくくりで「違法」「不法」として「ゼロ」すなわち問答無用で排斥する政策は排外主義そのものです。
ってあるんだけど、これが本当に良く分からない。
それとも、違法行為をしている人に対して、日本人か外国人かは関係ないから分けるなってこと?
それに関連するんだが、例えば最近のクルド人とかの問題行為の記事に対して、「クルド人かどうかは関係ない。ただ粛々と裁けばよい」的なブコメが絶対ついてるんだけど、これにも納得がいっていない。
これ自体は、言ってること自体はもちろん間違ってるわけじゃないとは思う。(自分も、日本人であってもクルド人であっても粛々と法律に則って対応してほしいと思う)
ただ「日本人と外国人を区別するな」って論調は、「日本人と外国人を区別できるようにするとヘイト」って意味と表裏一体だと思っている。
もちろんそうしたブコメを付けている人全員が、そういう意図で言っているとは全く思っていない。
ただ少なくとも、「"違法外国人"という言葉は排外主義」とまで言い切っている上記の声明には、その意図があると思う。
その結果どうなるかというと、逮捕報道時に国籍を報道することは無くなり、通名による報道以外は許されなくなる。だって、「外国籍だってことを報道することは、外国人と犯罪行為を結びつける排外主義」って彼ら自身が言ってるんだから。通名を使わないと外国籍だってことが分かってしまうから。
それによって外国人への罰は日本人の罰に比べてもちろん多少なりとも軽くなる訳で、共同声明で「デマだ」と言っている外国人優遇に他ならないと思うんだが、彼ら自身が言っていることに矛盾すると思うんだよね。
しかもそれで属性を覆い隠すことによって、正しいデータが取れなくなる可能性も懸念している。
実際に外国人の犯罪率が多いのか、それとも日本人と変わらないのか、っていうのを客観的に判断するためにもその区分けが必要だし、それも排外主義と言いだしたら分断は加速すると思うんだよね。
(仮にそういうデータがあっても、それを見ずに陰謀論を訴え続ける人は確実にいるけど、データがないよりマシだと思う)
大事なのは、属性も合わせて適正に把握・報道し、本当に特定の属性の犯罪率が高いということが起きてないかを常にトラッキングし続けることじゃないの?(比較のためにもちろん日本人のも)
そのためにも適切に区分けした用語はあった方が良い訳で、共同声明の主張は全く賛同できない。単に「その属性を使うな」という主張にしか見えない。
(共同声明を擁護しているブコメの中に、「これを叩いているやつはどうせ中を読んでない」とか言ってるけど、これに手放しで賛同している人こそ読んでるのかなと思う。「ヘイトは駄目」 ってことだけ見て賛同してない?)
ということを週末に考えてたんだが、反対意見が教えて欲しい。
| 全日空機雫石衝突事故 | 日本航空123便墜落事故 | |
| 発生日 | 1971年(昭和46年)7月30日 | 1985年(昭和60年)8月12日 |
| 事故内容 | 岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)上空を飛行中の全日本空輸(全日空)の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が空中衝突し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。 | 日本航空123便が飛行中に後部圧力隔壁が破損し、垂直尾翼がの大部分を喪失した。補助動力装置も喪失、油圧操縦システムの4系統全てに損傷が発生した。コントロールを失った同機は御巣鷹山に墜落した。520名が犠牲となった。 |
| 機材 | ボーイング727、F-86F | ボーイング747SR-100 |
| 原因 | ジェットルートと呼ばれる民間機が飛行するルートがある。航空自衛隊の教官が訓練空域を逸脱してジェットルートの中に入ったことに気づかず訓練飛行を続行したため。また、全日空機を視認してからの回避指示が遅かった。 | 製造元のアメリカ・ボーイング社による機体尾部修理不良と設計上の欠陥。 |
| 刑事裁判 | 第一審の盛岡地裁(1975年(昭和50年)3月11日)は、教官に禁錮4年、訓練生に禁錮2年8月の実刑判決を言い渡した。 第二審の仙台高裁(1978年(昭和53年)5月9日)は、教官の控訴は棄却したが、訓練生に対しては一審判決を破棄し無罪を言い渡した。上告審で教官に対して禁錮3年執行猶予3年の判決を下した。 | この事件に対して刑事裁判は行われていない。1990年(平成2年)8月12日、公訴時効が成立した。 |
言いたいこと
JAWS(1975年公開)以前のサメに対する一般的な認識は、現代のイメージとはかなり異なっていました。以下に、当時のサメ観を簡潔にまとめます。
JAWS以前は、サメが人間にとって致命的な脅威というイメージはそれほど強くなかった。サメによる襲撃事件はまれで、広く報道されることも少なかったため、一般の人はサメを「遠い海の生き物」と捉え、日常生活での恐怖の対象ではなかった。特に日本では、サメは漁業や食文化(フカヒレやカマボコの原料など)の一部として認識されることが多く、恐ろしいモンスターというイメージは薄かった。
1970年代以前は、サメの生態に関する科学的研究が現在ほど進んでおらず、一般人の知識も限られていた。ホオジロザメ(GreatWhite Shark)のような大型種が人間を襲う可能性があることは、専門家の間でもあまり注目されていなかった。サメは「本能的な捕食者」ではなく、どちらかというと「海の雑食動物」や「漁師の邪魔者」として見られることが多かった。
サメは文学や映画でたまに登場したが、JAWSのようなセンセーショナルな描かれ方はまれだった。例えば、古典的な冒険小説や海洋文学(ハーマン・メルヴィルの『白鯨』など)では、クジラや他の海の生物が主役で、サメは脇役的な「危険な魚」程度の扱いだった。ハリウッド映画でも、サメが主役のホラーやスリラーはほぼ存在せず、JAWSがその先駆けとなった。
4. **地域による違い**
日本を含むアジア圏では、サメは食用や薬用(フカヒレや肝油)として利用されることが多く、どちらかというと「資源」としての側面が強かった。一方、欧米では、サメは漁師の網を破壊する厄介者や、まれに船員を襲う存在として語られることがあったが、日常的な恐怖の対象ではなかった。
5. **JAWSの影響**
スティーヴン・スピルバーグのJAWSは、サメ(特にホオジロザメ)を「冷酷な殺人マシーン」として描き、メディアの力でこのイメージを世界中に広めた。それ以前は、サメが映画のような「悪役」として大衆文化に根付くことはなかった。JAWSの公開後、サメへの恐怖心が急増し、ビーチでの遊泳を控える人々が増えたり、サメ狩りが流行ったりするなど、社会的な影響が顕著だった。
JAWS以前のサメ観は、現代の「恐怖の象徴」とは異なり、どちらかというと「海の生物の一種」として、特別な注目や恐怖の対象ではなかった。日本では特に実用的な資源としての認識が強く、欧米でもサメは神秘的というよりは漁業の障害や冒険譚の脇役程度の存在だった。JAWSが公開されて初めて、サメは大衆文化の中で「恐ろしい捕食者」として定着したと言える。
もし具体的な地域や文化(例えば日本の漁村や欧米の文献など)に絞って深掘りしたい場合や、関連する資料を調べたい場合は教えてください!
| 全日空機雫石衝突事故 | 日本航空123便墜落事故 | |
| 発生日 | 1971年(昭和46年)7月30日 | 1985年(昭和60年)8月12日 |
| 事故内容 | 岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)上空を飛行中の全日本空輸(全日空)の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が空中衝突し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。 | 日本航空123便が飛行中に後部圧力隔壁が破損し、垂直尾翼がの大部分を喪失した。補助動力装置も喪失、油圧操縦システムの4系統全てに損傷が発生した。コントロールを失った同機は御巣鷹山に墜落した。520名が犠牲となった。 |
| 機材 | ボーイング727、F-86F | ボーイング747SR-100 |
| 原因 | ジェットルートと呼ばれる民間機が飛行するルートがある。航空自衛隊の教官が訓練空域を逸脱してジェットルートの中に入ったことに気づかず訓練飛行を続行したため。また、全日空機を視認してからの回避指示が遅かった。 | 製造元のアメリカ・ボーイング社による機体尾部修理不良と設計上の欠陥。 |
| 刑事裁判 | 第一審の盛岡地裁(1975年(昭和50年)3月11日)は、教官に禁錮4年、訓練生に禁錮2年8月の実刑判決を言い渡した。 第二審の仙台高裁(1978年(昭和53年)5月9日)は、教官の控訴は棄却したが、訓練生に対しては一審判決を破棄し無罪を言い渡した。上告審で教官に対して禁錮3年執行猶予3年の判決を下した。 | この事件に対して刑事裁判は行われていない。1990年(平成2年)8月12日、公訴時効が成立した。 |
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