
はてなキーワード:高齢者とは
全体の傾向まとめポジティブ寄り:優待株としての魅力が強く、下落をチャンスと捉える長期投資家が多い。一方でパークファンからの運営批判が目立ち、株価下落の根本原因として「体験価値の低下」を挙げる声が顕著。
ネガティブ要素: 高PERや成長鈍化の指摘は投稿に沿ったものだが、パークの混雑・高額化が株価に間接的に影響しているという意見が散見。
反応は投資家とパーク利用者の両方が混在し、株価議論と体験談が交錯している。批判的意見も多いが、OLCのブランド力で「潰れない」「優待で持つ」という楽観論が根強い。
例:「なんで下がっているのか分かってなかったから勉強になった…!」
「これは良記事ですね」
「事実売りってことかな」
例:「優待目当ての奥さんにいわれて買わされました…ホールドします」(いいね25)
「いくら下がったとして、買う人は買って売らないと思う。そういう株だから。」
「子ども産まれたし、夫婦で参入…10年〜20年は長ーい目で見ます。潰れはしないでしょ。」
「子供産まれたら名義分だけ買って塩漬けしながら毎年1回無料でディズニーランドに行くための銘柄」
「経営状況がどうであろうと生涯ホールドでひたすら買うだけなので、落ちてくれた方がありがたいです。」
例:「『楽しみ』>『費用』が『費用』>『楽しみ』に変わった時点で行く選択肢から外れる」
「とにかくエンタメが死んでる…全体的なCXが激落ちしてるイメージ」(いいね5)
「ファンタジースプリングスがおもったより面白くなかった…ただ乗り物に乗るだけの施設になってる。」
「最近めちゃ混みの割に新しい乗り物がつまらない。行く気にならない。」
「現実逃避で行くのにスマホなしには回れない…高齢者には無理」
例:「落ちて来ても依然として割高…1500~2000位が適正で何か一つでもコケたらさらに下がるかもね。」(いいね10)
「個人に人気があるし優待目当ても一定数いるから、割安まで下がることはないと思う。でも、ここから反転というよりは、ヨコヨコかなぁ。」(いいね19)
「新ニーサで買われて、もう買いたい人がいなくなった…三井不動産、京成電鉄への売れ圧力もある」
下手すると40〜50代から終活やってる人もいるけど、正直アホかと思う。
正気とは思えない。
終活に関わっている人間で、「終活とは何か」をはっきり説明できるのは、高齢者と日常的に関わっていて、かつ相談業務を担っている人間だけだ。
具体的には、病院のメディカルソーシャルワーカー、介護施設の相談員、役所のケースワーカー。
話が逸れた。終活とは何か、という定義は一旦置いておく。ここではまず、「意味のない終活」と「意味のある終活」を並べてみる。
・墓や骨に関する希望を考える
・献体
・既往歴、飲んでいる薬、かかっている病院等をまとめる
・親族と死後のことについて話し合う
どうだろう。
共通点も薄いし、粒度もバラバラなものが並んでいるように見えるかもしれない。
じゃあ改めて考えてほしい。終活は何のためにやるのか。
「自分が納得のいく死に方をするため」?
違う。
人はそう簡単に死なない。
まず慢性疾患になる。全身が痛くなり、動くのもしんどくなる。
だんだん認知機能が落ち、場合によっては入退院を繰り返し、介護保険サービスを使うようになる。
この過程で、自分自身の客観的な情報が整理されていないと、本当に詰む。
一生懸命、葬儀のやり方を考えておくことなんて、死に近づく過程では一ミリも役に立たない。
実際に死んだあと、戸籍と財産の全体像が分かっていると、親族はめちゃくちゃ楽だ。
これが分からない、しかも親族間で揉める、となると年単位の泥沼が始まる。
「葬儀なんてしなくていい!献体してくれ!」じゃなくて、お前の口座を全部リストアップして、冷蔵庫に入れておいてくれ、という話だ。
特に「誰が」「何を」やるのかを、自分のケースに置き換えて考えてほしい。
それが終活だ。
死ぬ側が一方的なホスピタリティを期待して、わがままを叫ぶことではない。
特に「迷惑をかけたくない」「できるだけお金をかけたくない」は、元気なうちによく言いがちな戯言だ。
迷惑はかかる。
認知症になれば、排泄が一人でできなくなれば、倒れたら、必ず誰かの手が必要になる。
多くの人は、自分は死ぬまで元気で、最後はぽっくり死ねるという誇大妄想を抱いている。
さて、ここまであえて触れずにきたが、終活において「しっかり動いてくれる親族がいるか」は、最重要ファクターだ。
いるなら、その親族と積極的に関係を作っておくことが一番大事。
「迷惑をかけたくない」と言って連絡も取らない、なんて愚策は論外だ。
一方で、そうした支援者がいない人はどうするか。
要するに「死後事務」を誰にどう任せるかという話だ。
依頼する相手は、「自分が85歳のとき、相手は何歳か」を必ず考えること。
親族もいない、金もないなら、行政の支援を積極的に使うしかない。
具体的には、地域包括支援センターと関係性を作ること。
国も本当は、これくらいはっきり言いたいはずだ。
ただ、「しっかりした子どもがいるかどうか」で話を分けるわけにもいかないし、墓探しからでも興味を持ってもらえる方が都合がいい。
衰えるほどに人と関わること。
終活は、それだけでいい。
杖ついて歩くの辛い、歩行器を使っても辛い、って人はどうやって買い物してるの?
都会の人って「ホームセンターとドラッグストア行って、スーパーで食料品、シャトレーゼでアイス買おう」なんて日はどうしているの? -Togetter
togetter.com/li/2638694
と書いてみたが、移動スーパーとくし丸、東京都下どころか23区内の江戸川区、墨田区、荒川区、葛飾区、杉並区、世田谷区、中野区、練馬区、足立区 で展開されてるのね。
www.comodi-iida.co.jp/store/tokushimaru/
www.inageya.co.jp/tokushimaru/
nittoh-e.co.jp/service/supermarket/tokushimaru/
とか言ってる奴がいて、それはその通りなんだけど、だったらなんでまだ100議席もあるんだってことを考えてほしい。
反自民に投票したいとなると立憲ぐらいしか選択肢がないんだよな。
反自民の人たちが参政党に投票する人は一部はいるだろうけど、大多数ではないし。
立民がいたら立民に投票するだろうけど、立憲と立民は同じ連合が支持母体で選挙区を調整してるから、立憲の立候補がいたら立民は立てられない。
立憲の本当に終わりは立民が連合から離脱を宣言したときになるけど、それは何年後なんだろうかね。立民は議員候補集めに難儀してるから相当先だろうな。
というわけでまだまだ立憲は安泰である。
これもっと知られるべきと思うんよなあ
Goodhart & Pradhan(2020)
“The Great Demographic Reversal: Ageing Societies, Waning Inequality,and an Inflation Revival” を、学術的に・構造的に解説します。
「少子高齢化は前期デフレ、後期インフレ」という命題を最も明示的に提示した代表的著作です。
Charles Goodhart
Manoj Pradhan
📌中央銀行の内側にいた人物が「インフレ復活」を真正面から論じた点が、この本の重みです。
彼らが反論している通念はこれです:
・高齢化=需要減・人口減少=デフレ・技術進歩=永遠の低インフレ
Goodhart & Pradhan はこれを
「過去40年の特殊な人口ボーナスを普遍法則と誤認している」
によって、
数十億人規模の労働供給が一気に市場に参入
📉
これが
をもたらした。
若年層が少なく需要が弱い
➡ 貯蓄超過
➡ 低金利
高齢者が貯蓄を取り崩す
➡賃金上昇
📌彼らは明確にこう述べます:
“Demographywill turn frombeing disinflationary to inflationary.”人口動態はデフレ傾向からインフレ傾向に変わるだろう。
通常の経済学:
Goodhart & Pradhan:
➡賃金は下がらない
これは中央銀行にとって非常に厄介。
高齢化後期では:
社会保障
を削れない。
➡国債増発
彼らは、
理由は3つ:
労働力不足は不可逆
➡一時的ショックではなく
2020年代以降は後半戦に入りつつある
📌この本は、のちの
彼らは
ただし、「人口動態という制約条件を無視したモデルは現実を誤る」と主張します。
学界での主な反論:
高齢者は本当に取り崩すのか?
👉Goodhart & Pradhan は
「完全には相殺できない」
この本は
過去40年のデフレを“例外”と位置づけた人口動態はデフレ →インフレへ反転する日本はその最前線
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
ホッテントリ入りしてたので読んだけど、なんか反論おかしくないか?
「読書習慣がある人」は統計的な定義として、「月3-4冊読む」と定義付けされてるけど
読書習慣があると回答した人の平均値が凡そ月3-4冊とのことだけど
その意味でいえば、月3-4冊読む人だけにフォーカスして続く議論の材料にしているけど、これ月3冊以上で3-4冊以上読む人も話に加えないとおかしくないか?
更に月平均3-4冊勢読む人が労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという仮説を立てているが、これもなんか論拠としてあやふやに思える。
60歳以上は20-59歳に比べて月3-4冊読む人の割合は確かに高い。ただこれが元々読書習慣があった層とは断言できない。
それまで読書習慣がなかったけれど、定年後に本を読み始めたという場合も想定できる。
また労働時間から解放されて余暇ができた、という要因以外に、高齢者であると体力に限界ができたり、付き合いが減ったり、年金暮らしで現役よりお財布も厳しいので
図書館などで本を借りるということも増えるのかもしれない。
そもそも月5-6冊、7冊以上読む人についていえば、指摘するようなU字カーブは起きていないし、反論としてやや短絡的な印象は受ける。
著者は京大出身のベストセラー作家で大学で教鞭も取っておられるお方みたいだが、
その割には統計的解釈が明らかに恣意的に思え、一瞥しただけで首を捻ってしまった。
増田は私文のあっぱらぱー学部卒なので統計学などわからんので、本当は著者が言うことが合っているかもしれないが、何だかもやったので殴り書きしてみた。
がるちゃんに生息するのは高齢BBAだけど、女の愚痴を眺めてるだけでも見苦しいったらありゃしない。
高齢者特有というわけではなく、若い衆が集う女子会も誰かの悪口で盛り上がってるからな。オフラインのがるちゃん的に。
女ってそんな生き物。
夫の遺族年金なしでは生きれず、生涯を通じて大してGDPに貢献できていない高齢BBAに生きる権利はあるのか。
イメージだけどさ、昔のテレビだとよくやってそうだよな。毒蝮三太夫とか。
オレオレ詐欺もそういうのあるよな。人の親をお母さんとよぶのは、詐称の一種だ。法律的に禁じるべき。
こういうと高齢者過保護だとか言う奴いるが、氷河期もすぐ高齢者だぞ。いま高齢者優遇の社会を進めておかないと俺らがもっとひどい目会うぞ。
とにかく、人の親をお母さん呼ばわりするのは絶対ダメ、だめ絶対。
きょう施設から母親を介護タクシーで通院させたんだけど、かえりぎわに医者がうちの親の肩をたたいて「お母さん早く良くなってね」とかいうのな。これでぴんときた気づいたわ。あーこれのせいかと。
ひごろ見ないうちにうちの親も他人から「お母さん」よばわりされてんだなと。
ここ半年くらい、母親のところ着て「お母さん、きたよー」と言っても反応うすかったのはこれのせいだ。やけに俺に敬語tかったりしてたのは、どうも俺が施設の一員と勘違いされて多っぽい。
すべてはm人の親をお母さんよばわりするのを許容する世界のせいだ。
コミュ障ワイには無理やな…😟
そもそもURの部屋数が全外国人全高齢者が住めるほど用意されてないんやから社会問題の解決策にはならんと思うけど
高齢者や外国人が増え続けてるのにホームレスが大量発生してるわけでもないから言うほど貸さないところばかりってわけでもないんやろうな
緩和ケアだけやる。これが一番いいと思うのよ
自分は看護師だから、こういう動けない食べれない老人を世話してる側なんだけどさ
・入院や施設にいるので家族と離れ、親しい友達も話し相手もいない
・オムツの中に糞尿垂れ流し、交換は定時(朝晩二回くらいだけどこれは施設による)
・着替えは週に2回のみ(シャワーも週2。風呂はなし。これも施設による)
・全部ミキサーにかけた味もクソもない餌みたいな食事、お茶ですらどろどろ
・同部屋にいる患者も風呂キャンのオムツマンだらけなので臭いがヤバい(個室なら回避できるが)
・唯一人と関わるチャンスが世話役である介護士や看護師、リハビリのPTなどであるが、汚いし手間がかかる患者なので嫌われている
生きながらえさせるんじゃなくて、緩和ケアだなと思う
原田眞人監督が今年の日記で「考えるところあって、病院通いを辞めた」という趣旨を書いていたことが、はてブで注目され一部ユーザーに冷笑されている
https://b.hatena.ne.jp/entry/www.haradafilms.com/diary/harada_diary.cgi?date=2025.09.10&pass=
冷笑ユーザーは「近藤誠」の名前にオートペンがごとく反応してしまっただけだろうけど、監督はもう76歳よ?「考えるところ」として病院通いして生き続けるよりも「自然に」終わりたいなんて思っておかしくないと思うけどね。
大病院の医師が合わなかっただけで近所のクリニックには通ってたかもしれないし
まあ次回作に熱意を燃やしていたのに病院と縁を切ったなんて話だったら、なんて馬鹿なことを…とも思うけど。
個々のブコメ比較チェックまではしてないけど、普段は高齢者の医療費叩きをして「高齢者は長生きするな」と強い言葉で冷笑するはてブで、病院通いを辞めたという高齢者を叩くのは筋が通らないよ
FIREとか資産形成の話ってさ、投資期間に比重を置くとズレるんだよね。早ければ早いほどいい、入金速度が上がるほどいい、みたいな。
老後はこれだけ貯めとけば安心!みたいなことをドヤ顔で語る輩多いけど、高齢者のリアルを知ってる側からすると、鼻で笑ってしまう。
お前は老後の何を知ってるんだ?老後と資産にどんな関係があるか知っているのか?
資産何億持ってようが、動けなくなったら生活なんて一気に縮んでくし、やれることもほぼ同じ。日本の医療と介護は最高峰だから、介護レベルになれば、配当金と利回りで数百万の収入がある奴と生活保護の生活水準にはほとんど差がない。
生活保護でも、自分の足で動けてる奴は社会との接点もあるし、それなりに人生を楽しんでる。だから、老後の生活を分ける最大の要素って健康だろ、って話はもちろんなんだけど、実はそれ以上にデカいのが子どもなんだよね。
子どもが近くに住んでて、しかも積極的に関わってくれるタイプの家庭だと、高齢者の生活は一気に安定する。逆に、子どもが全然来ないとか、そもそもいないとかだと、資産がいくらあっても孤独一直線。外面では「自由に生きてきた結果だから」とか言ってても、老後の生活を見ればだいたいわかる。金じゃ老後に関わってくれる子どもは買えないんだよ。
でさ、これを言うと「子どもがいるからって幸せとは限らない」とか「生む生まないは個人の自由」とか、もっともらしいこと言う人いるけど、そういう話じゃなくて、老後の現実はけっこう残酷なくらい“子どもがいるかいないか”で差が出るってことなのよ。しかも、ただいるだけじゃだめで、距離が近くて、ちゃんと関わってくれるかどうか。形だけの親子関係なんて老後にはほぼ意味ない。
資産をどれだけ積んでも、最終的に寄りかかれるのは“家族的な何か”だとか綺麗事を言う人もいるけど、実際はもっと単純で残酷。「子どもが面倒を見てくれるかどうか」という一点で、生活の明るさも孤独度もほぼ決まる。お金があるからって、その部分だけは埋められない。
だからさ、老後の安心を語るなら、資産何億とかより先に、「で、その老後、誰がお前の近くにいるの?」
って話をしたほうがよっぽど現実的なんだよね。