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はてなキーワード:養老孟司とは

次の25件>

2025-10-03

https://x.com/levinassien/status/1973509864447156370

養老孟司あんまりきじゃないんだけど、これよりはバカの壁とか言ってる方がずっとマシな気がする

Permalink |記事への反応(0) | 00:11

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2025-09-12

男児女児より本当に学力が劣るのか


受験男児女児を同数にすると、女児の方が全体に優秀なため男児がより低い合格ラインになってしまます

まり男児のほうが低い合格点で合格になることが、問題視されています


男児女児より本当に学力が劣るのか

これについては

男女平等社会男女平等教育をするほど、女子生徒の平均中央値学力男子生徒を上回る。これは10代未満から20代まで、同条件の学力査定ができる状態でずっと続く>

という結果が出ています

ドイツ公共放送ドキュメンタリーで詳しく解説しているので、興味のある方はご覧ください。

https://youtu.be/54H8ppxnp8I


また、学力中央値女性の方が高いが、男性は下と上の層が女性より多い。

まり、高いIQを持つの男性なのだ、という解釈もあります

しかし、脳も内臓です。

健康診断等で下限値から上限値までの中央に収まるほうが健康値が高いといえるのに、脳の出す値だけが高ければ高いほど良い、というのは実は異常なことです。

血圧であれば、高ければ高いほど良い、とはなりません。

これについては、養老孟司氏がはっきりと指摘しています

IQが飛び抜けて高い人間は「脳が不健康」であり、男性に多く現れるということです。

ですから、優秀な男児男子進学校に行き、劣った男児が優秀な女児と争うことになる、という解釈は、優秀といわれる男児の不健康さを放置し、優秀な多くの女児可能性を阻害する制度問題点をあげているわけです。


■おちこぼれた男児の引き起こす問題

学力が低く、同年代の男女からおちこぼれた男児の多くが、「アルコール暴力、薬物」などの問題を抱えるようになります

インセルと呼ばれる暴力的な女性差別者も多く含まれます

厳しい言い方ですが、下駄を履かされた男性は優秀な女性の席を奪い、社会経済劣化させ、本来能力でおちこぼれた男性は加害性を高め自立できず社会問題引き起こします

これは女性にはない特性であり、だからこそ、女性の無害性に不平等押し付けられてきたともいえます

インセル男性は「女性自分たち場所を奪った」 と考えがちですが、問題の根源は「学力により経済格差が生まれる」です。

他者現場で働かせて賃金を得るほうが、実際に動く人間より高い報酬を得る構造です。

実体のない金融経済実体経済を上回る現状が異常で、同じように実体のない労働現実的社会を構築する労働より多くの報酬を得る傾向が高く、これまでは主に男性がその恩恵を受けてきました(その男性に寄生する女性もいますが、直接的恩恵ではないため立場が劣ります

また、女性による現実的社会を構築する労働無料低賃金に抑えられ、女性の不満を増幅させました。

資本主義の根源が、他者労働時間を不当に奪うことで利益を得るものからです。

ですから労働内容が同じでも多くの搾取を行える大企業社員のほうが賃金が高いのです。

その恩恵が今までは男性に偏っていましたが、

労せずして利を得る構造で、ホワイトカラーのイスを奪いあう大きな条件が学力であれば女性優位になるのは仕方ないことです。


男児男性はどうすればいいのか

すくなくとも、男性学力女性より優れているという思い込みは捨てるべきでしょう。

女性が平均的に優位な点が、学力コミュ力協調性ケア能力免疫ベースの長期的体力だとすれば

男性優位な点は、筋力ベース短期的体力、開拓的推進力、決断力などがあります

これまでの歴史で優位に働いてきた男性資質が、成熟した社会では求められなくなっていきます

これは必然的な流れであり、男性気持ちが傷つくという理由女性が委縮させられる社会は不健全です。

学力優劣が社会的優劣に結びつく学力差別を軽減する、相互尊重必要です。

男性資質はこれまでの女性資質のようにサポート面にまわり、男性にも女性資質が求められるでしょう。

競争社会から福祉幸福社会の基盤に置く変化が求められます

男児幸福大人になるためには、利益ビジネス関係のない同性の友人関係を成人してから構築できるようになることです。

競争や意地の張り合い、女性に選ばれるためといった有害な男らしさを捨て、自他のケアができるようになることです。


女児女性はどうすればいいのか

逆に女性はどうすればいいのでしょうか。

まず、男児サポートをやめることです。

男性女性にお世話され、丁寧に扱われるのが当然という考えを捨てるためには、女性が余計な面倒を焼かないことです。

自立しようとする男性ケアを前もって行うことで、男性の自立を阻害してはいけません。

また、有害な男らしさを崇拝し、私生活自立できない男性を選ぶのをやめることです。

多くの女性が、そのような男性との婚姻生活侮辱暴力を受け、恨みを抱いているにもかかわらず

その傾向は日本人女性の間で続いています

男性の世話をする・有害な男らしさの選択女性が育成する愚かさであり、公私にわたって改善必要です。

Permalink |記事への反応(0) | 12:32

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2025-07-01

anond:20250701130957

養老孟司と言ったら字下げ!

Permalink |記事への反応(0) | 13:10

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2025-04-02

anond:20250402184518

フェミに限らず、殆ど一人でガラパゴスなんちゃって学問を作ってしまう人は結構いる。

誰にも参照されず学術的には無だが、オリジナリティを変に評価されて東大名誉教授かになりがち。

河合隼雄

養老孟司

梅原猛

岸田秀

似田貝香門

宮台真司

中沢新一

最近だとイトーケン落合なんたら

Permalink |記事への反応(0) | 18:56

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2025-03-23

anond:20250323012353

養老孟司日本の男だが😅

Permalink |記事への反応(0) | 01:25

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主語デカですまんけど

X見てたら日本の男ってほんまにキモいなって思う

不思議なくらいにキモいなって

主語デカでごめんやけど

日本もさあ物価が高くなるのにお給料は上がらず

生活がどんどん苦しくなるやん

そしたらさあ未来不安だらけで

そら人間不安があって当たり前やでって

養老孟司が言ってたけど

その通りやと思う不安って尽きひんのよ

何が言いたいかと言うと日本の男が気持ち悪いのも日本の衰退によるものやと思うのよ

どうしたらええんやろなあ

毎週40時間仕事と戦ってさ

真面目に真面目にコツコツ生きてたら報われるって信じて

ほんとかいなって思うで?でもそうするしかいね

働かないとお金がもらえず

お金がないと生きても行けへんねん

実際には生活保護もあるみたいやけどなんかそれはあかんやろ思うねん

生活保護になったらさ、たぶんお母さんに連絡行くよな

それはあかんねん

お母さんには迷惑かけられへんし

頑張らなあかんなあって思いながら毎日頑張ってるねん

お金は増えへんし

大学奨学金もまだ返せてへん

この先どうなるんやろうって海眺めて思うねん

世界はこんなに広いのに!って

日本も見習わなあかんでこの広い海を

というか日本国土より遥かにデカい海持ってんや

有効活用せんでどーするんよ

でね、これまた主語デカで悪いけど

それもこれも全部日本の男があかんからやと思うねん

日本の男ってなんでこんなにダメなんや

嫌いにしかならへんわ

Permalink |記事への反応(1) | 01:23

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2025-01-29

anond:20250129180734

ごく最近に実父を献体に出して()還って来たのを荼毘に付したもんやで

ワイんとき半年後に戻って来たで

棺の中を見てホントに本人か取り違えがないか確認しよかて半分冗談じみて口にしてみたけど伯父がやめとこやと言ってくれたのでせんかった

もう何十年か前に養老孟司センセが献体処理後に本人家族より少し遠い親戚に無礼だと出会い頭に叩かれたと書いとったり毀誉褒貶けっこうある『人体の不思議展』に賛同メッセ贈っとるの知ってたから解剖に接する人らのメンタリティーもプラグマティズムあふれる()もんなんやろなぁとはおもう

いずれにせよ中の話かいてくれてありがとうやで

Permalink |記事への反応(0) | 18:29

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2024-11-29

養老孟司がまだ生きてるかどうか気になる発作

養老孟司ってまだ生きてんのかな…?」カタカタッ

養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )

「生きてた…」

(87歳か…すげえな…)

って感動したらリセットされる 

みたいな発作が数ヶ月にいっぺんくる

白髪フサフサのおじいちゃんになってるけど

長生きしてほしいな

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

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2024-11-03

anond:20241103114714

その理解不能頭脳を、凡庸頭脳矯正するのが、東大離散の教育であると、養老孟司は言っているだろう。

演習で5ちゃんねるにカキコすることもあるだろうし、卒業後に増田に根を下ろしても不思議はない。

Permalink |記事への反応(0) | 12:03

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2024-10-13

anond:20241013202206

養老孟司 バカの壁

Permalink |記事への反応(0) | 20:23

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2024-05-12

働きながら毎日料理する30代夫が、料理をする魅力を語る

私は今32歳で、子供は1歳3ヵ月。妻は専業主婦をしている。

料理基本的に私の担当だ。妻は子供離乳食だけ作る。

今は旦那さんが料理することも多いのだろうが、仕事をしながら毎食しっかり作っている、という話をすると、驚かれることが多い。

と言うことは、こういう生活スタイルは、まだあまり一般的だとは言えないのだろう。

自分料理担当して、3~4年くらいになる。

元はというと、(無自覚だったけれど)自分はかなり食にうるさい方だったらしく、

おいしくないもの我慢できない。それがプレッシャーになる、ということで、自分料理をするようになった。

ただ料理(食事)が好きなだけじゃん、と言えばそれまでなのだが、

別に元々自炊する習慣がついていたわけではない。学生時代や、社会人生活最初の方は、かなり適当食生活をしていた。

必要になってやり始めて、だんだん面白くなってきたのだ。

から、今回の話は、必ずしも生まれつき料理好きな人にだけ当てはまる、というわけではない、と思う。

自分料理をする上で、最もいいな、メリットだな、と思っている点は、

家での料理が、「一石多鳥」である、ということだ。

自分そもそも合理的な行動が非常に好きなので、料理という一つの動作で多くのメリットを同時に実現していることを思うと、それだけで嬉しくなる。

自分料理をすることのメリットは何か? 挙げていけば、下記のようになる。

節約になる。

健康になる。

③好きなものが食べられる。

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

趣味としてのリラクゼーションになる。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

⑦妻に喜ばれる

以下、順番に説明する。

節約になる。

これは言わずもがな、だ。一部には、「自炊お金がかかる」と言っている人もいるようだが、そんなわけはない。

短期的に見れば、確かに一定の初期投資必要かもしれないが、一旦ルーチンが確立してしまえば、中長期的なコストはどう計算しても自炊の方がやすい。わざわざ計算式で表現するのが馬鹿らしいほどだと思う。

料理器具などについての議論は一旦おいておくとして、ぜひ注目してほしいのは、「保存の効く食材について」だ。

ある程度料理をするようになるとわかるが、案外、日常的な料理日本人使用する食材調味料レパートリーは限られている。

また、そのレパートリーを大別すると、

(a)生鮮食品のように足が早いもの・・・肉、魚、卵、葉物野菜牛乳ヨーグルト、など。

(b)ある程度日持ちのするもの・・・玉ねぎジャガイモにんじんねぎにんにく生姜昆布鰹節味噌醤油、酒、ワイン蜂蜜、塩、砂糖コショウ、その他種々の調味料、など。

となる。

ポイントは、(b)に分類される、日持ちのする食材のうち、特に根菜類を、例えばイオン場合であれば火曜市などの安価に入手できる日に、

常に一定数以上確保しておくようにすることだ。

(b)の分類の食材が常に冷蔵庫ストックされており、調味料なども揃っていれば、

あとはその日の気分次第で、適当に(a)分類の生鮮食品と組み合わせて調理する。

肉類も、日によって、この日は豚ロースが安い、この日は鮭が、などと変わっていくので、

特別なこだわりがなければ、こうした特売に合わせて食材をチョイスすると、より割安に材料調達できる。

こうした方式を導入すれば、仮に一人暮らしだったとしても、食材無駄にせず、常にジャストな分量の食事を、最も安い価格で実現することができるはずだ。

健康になる。

これについては、妻の嗜好をかなり取り入れたところがある。今となっては、むしろ出来合の食事を食べることがかなりストレスになってしまい、一食でもコンビニ食などで済ませるのは、非常に嫌になった。

野菜を取りやすい、というのは当然そうだ。

しろ調理済みの惣菜や、飲食店食事で、一日に必要野菜摂取量を十分に確保することは難しい。

また、これは料理をするようになって気づいたことだが、

調理済みの食品には、大抵の場合、多くの食品添加物使用されている。

昔は食品添加物など「そんなシャラ臭いこと気にしてられるか」という印象だったが、今はほとんど全ての買い物で、食品成分表示確認するようになった。

具体的に、何は取るべきではなく、何は取ってもいい、という情報はあまりにも細かな話になってしまうし、自分自身でも完全に把握できているわけではないので、立ち入らない。

が、実際にコンビニスーパーなどで普通に販売されている食材の中にも、専門的な見地から見て十分に安全とは言えない添加物が多数使用されているようだし、

加工食品をあまり摂取しない生活の方が、(少なくとも主観的には)体調がいい状態で日々を送れているように感じる。

また、砂糖や油などの、体調への影響度が大きい成分についても、

自炊をする中で、それぞれの分量や性質自分の体調に与える影響の度合いを、実経験観測していくことができる。

こうしたPDCA自炊をしていると自然と回るようになるので、自然ダイエットにもなり、体調管理もつながっていると思う。

③好きなものが食べられる

これも当たり前と言えば当たり前だが、自炊による料理のおいしさ、という点では、個人的にはYoutube以前と以後で、自炊を巡る状況は大きく変わっている、と思うのだが、どうだろうか。

コロナ以前の、あまりYoutube上での料理動画が充実していなかった頃は、ホットクックを見るか、料理本を見て作るか、くらいが基本的選択肢だった。

ホットクックは玉石混淆だし、料理本は色々試すにはハードルが高く、またレシピ通りに作っても必ず美味しくなるわけではない。

また、いずれの場合でも、レシピだけを見て作っていると、料理の背景に、ベースとなる基礎があることが理解しにくかった。

その点、例えば食材の切り方一つ、食材の投入タイミング一つでも、動画で示されれば、そこで用いられているテクニックは一目瞭然だ。

また、「これは本当にすごいな」という、作って感動するレシピがかなりたくさんあるのもYoutube料理動画凄さだと思う。

誰の料理が好きかは好みが分かれるところだろう。個人的には、コウケンテツさんは、このジャンルでは本当の天才だと思う。ほとんど全てのレシピ動画に、味という観点だけでなく、作りやすさ、シンプルさ、という観点からも、驚くような工夫が凝らされている。毎回非常にクオリティが高いのに、ありふれていない。単純に仕事として憧れるところがある。

Youtubeがあることは、今から自炊を始めることの大きな理由の一つになるのではないか

④食への理解が深まり、味覚をより探求できる。

上記のように、Youtube動画ちゃんレシピ工程確認しながら多くの料理経験していくことで、料理全般を下支えするセオリー体感にわかるようになってくる。

例えば、

 ・料理において、塩はどのような役割を持っているか

 ・どのようにして旨味を構成するか?

 ・〇〇の食材には、どのような調理法が、なぜ合うのか?

 ・〇〇の食材は、季節によって味がどう変化するか、いつが美味しいのか?

 ・なぜこの順序で食材を投入するのか?

 ・この食材で風味づけする意味は何か?

など、無数に論点がある。

もちろん、素人なので、こういう事柄について体系的にわかっているわけではないが、それでもかなり感得できるところがあるのは確かだ。

このことによって、例えば外食に行った場合も、

「なぜこのような料理の仕方になっているのか」「この料理のうち、何がユニークなのか?」「なぜこれが美味しいのか?」などを考える上で、それを言語化し、考えるためのヒントが自分の中で非常に多くなる。

また、それに対する考察が、日常料理にもフィードバックされるために、自分家族の食の経験がより豊かなものになっていく。

これは、とても創造的で、面白い頭の使い方だと思う。食をよく楽しむと、「ああ、人生を豊かに楽しんでいるな」という気に、ふとなる瞬間がたくさんある。

趣味としてのリラクゼーションになる。

これも、個人的にそう感じる、というレベルのことに過ぎないかもしれないが、料理食材は、「人間自然との強力な接点の一つ」だ。

この前たまたま流れてきた動画の中で、養老孟司さんが、

サラリーマン一年のうち3ヶ月は田舎に行って農作業をするべきだ」

というようなことを言っていた。

これは、人間は(人間以外の)自然に触れることで、人としての自然なあり様を取り戻せる、などというような話の文脈で言っていることのようだったが、

やはり現実的にはこれはなかなか難しい。

一方で、都会に暮らしていると、自然に触れることによって自分の心身が整えられる感覚があるのも、自分としては実感するところだ。

料理は、一つの自然である、と考えることもできる。

例えば、食材を茹でている鍋の中で、いろいろな食材の色を眺めていると、何となく癒されるものがある。

また、料理をすれば、その色彩を眺めるだけでなく、実際に手で触れ、匂いを嗅ぎ、それを味わう、という、五感総合的に用いたプロセスを、自然経験する。

これが、日常生活を生きる上での、癒しになっている面は非常にあると思う。これは、例えば電子機器などが介在するような趣味とは、少し異なる位置づけの趣味として考える必要がある。

仕事でのタスク遂行能力が上がる。

料理は細々したタスクの積み重ねだ。日々確実に、決まった時間に、下記のような要素を十分に考慮した料理提供する必要がある。

 ・おいしさ

 ・栄養

 ・原材料費

 ・材料調達(買い出し)

 ・家族の好み(カスタマイゼーション)

 ・新規レシピの導入

 ・在庫管理

 ・洗い物の段取り

これらの左脳的なタスクも、非常に奥深いものがあり、上記を同時に達成するためには、細かなオペレーション上の工夫や、機材の導入などを適切に行なっていく必要がある。

私自身は一介の勤め人だが、上記のようなスキルは、一般経営者が求められる全般的なスキルと通ずるところがあるのではないか、と思う。実際に、経営学等における考え方を、日々の料理管理活用している部分も色々ある。

こうした事柄について改善を行うためには、個々の作業をただ行うだけではなく、全体の工程俯瞰した上で、このプロセス全体を創造的に組み替えていく必要がある。

ここまで色々語っているが、自分料理に実際に日々費やしている時間は、平均で30分程度のものだろうと思う。

このような工夫を継続的に行うことで、「涼しい顔をして高品質アウトプットを出し続ける」ような仕事の仕方を、多少なりとも身につけることができつつあるのではないか、と思っている。

⑦妻に喜ばれる

結局、これが一番大事だ。

よくある言説として、「時給に換算するとこれは〇〇円だから外注した方がいい」などというものがある。

かに資本主義原則から考えれば、原則的に自給自足は不合理であり、分業こそ正義、というのは、理論的には正しいだろう。

しかし、近頃子供も産まれ、よく考えることは、

自分がすることのうち、何を内部化し、何を外部化するか、ということは、生き方のもの規定する哲学だ」ということだ。

それこそ原理から言えば、ありとあらゆることを外注化することができる。

料理外注化すること、子育て外注化すること、(仮想的に)家族・友人を外注化すること、(パッケージ化された娯楽を楽しむという点で)趣味外注化すること。

技術が発展すれば、例えば「息をする」というようなことも外注できるだろう。

原理を考えれば、デカルト式に、「我思う」以外の事柄は、全て外注可能である、と言うことができるかもしれない。

しかし、やっぱり自分はそういうあり方には、本質的な喜びはない、と思う。

食事を作り、家族と食べる、という行為は、「息をする」のと同じカテゴリーに入る、自分に属する行為だ、と、今の自分は感じているらしい。

まあ、どこにラインを引いていくかは、人それぞれだ。それが生きる姿勢の反映ということだと思います

Permalink |記事への反応(0) | 17:43

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2024-03-06

路地、旅の本懐

そんなん好きにしたらええがな(終)

 いや、終わらない。

 かれこれ前のこと、航空機座席に備え付けてある冊子で、養老孟司が「脳に旅をさせよう」のようなタイトルで2〜3ページ書いているのを読んだ。

 機内誌への寄稿なので、「移動」して脳を刺激を与えることがいか必要かが書いてあったんだろう。氏なりに脳が移動することの意味を巧みに解説してあった気もする。特定班でもいるなら調べてほしい。

 人はなぜ旅をするのか。やんなきゃ心が死ぬからかな。人によれば、一心不乱に専門領域知的探究に埋没し、象牙の塔で生涯を終えてなんの過不足もない、ということもあるだろう。けれどもなんてことのない日常で、思惑の合間に、何か必要物資を買いに行く馴れた道すがら、普段見かけない渡り鳥河川に見るかも知れないし、季節の草木を見て心に揺らぎを感じるのかも知れない。それで停止していた何かが始動したり、爆ぜていた衝動を和らげたりするなど、回復やら安定やら向上の時を得てしまうことだってあるだろう。むしろそれが、意識すらされないほど日常には繁多にあって、捉えようによっては旅とも言い得るが、あまりにも当然のことで忘れ去られるために意識にも刻まることもない、流れる風景の瞬きのような。そんな旅ならざる旅もあるだろうさね。

 令和、旅すらも他者自己宣伝するためのバエ文化手段なので、とりあえずその場所に行って、所定の写真撮影し、あのインフルエンサー投稿していたレストランのあのメニューもバエて、無事帰国/帰宅することに尽きる。土産話は、多数の嫉妬心を催すために聞かれるまでは答えるべからセンシティブ事項なのか、主要なトピック以外の、壁の亀裂や石畳の隙間の土に生える雑草のようなディテールを知らせてくれる人は稀有USSR。ウルティメットスパースペシアルレア

 作業用にね、よく喋る演者YouTubeの旅動画を流すんだけど、調べの不足や誇張、思い込み、「世間イメージと違う」も違うだろ問題などなど、「こ、これが再生回数の力か…!?」となる。勿体ない。そんなものを見ている自分時間が勿体ない。

 そもそもの、それなりに時間を要する旅をすると、常に快適にとはならない。汚れた下着をすぐに替えて換気の良い浴室の脱衣カゴに投げ込めない。ポリ袋やチャック袋に密封して一緒に旅するんやんな。糠床を携えて明るい未来へと突き進むんや。エアコンがない、シャワーも出ない。Wifiない。くさい。我くさい。我くさい、故に他人視線が気になる。

 洗面台とは別のメイク用の鏡の前に化粧品領域展開して精巧意匠造作しちゃえるようなラグジュアリな旅行なら出来るかもよね…

Permalink |記事への反応(0) | 00:15

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2023-09-27

anond:20230927203234

2003年新語流行語

毒まんじゅう野中広務 (元衆議院議員)

「なんでだろう~」テツandトモ (タレント)

マニフェスト北川正恭 (早稲田大学教授)

勝ちたいんや!」星野仙一 (前阪神タイガース監督)

コメ泥棒

SARS

年収300万円森永卓郎 (UFJ総合研究所経済社会政策部長)

バカの壁養老孟司 (東京大学名誉教授解剖学者)

ビフォーアフター加藤みどり (番組ナレーター)

へぇ~」

Permalink |記事への反応(0) | 20:37

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2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが(https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い(https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

Permalink |記事への反応(0) | 09:30

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2023-07-16

養老孟司「放っておいたら育つ」存在社会は許容できない

忙しい人間ゴミ拾わせようとゴミバラまく薄汚い干渉主義者頭痛の種だ

Permalink |記事への反応(1) | 15:52

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2023-06-13

養老孟司成田悠輔の対談動画環境音にちょうどええ

二人とも何を喋っとるのか分からんから

作業捗る

Permalink |記事への反応(0) | 13:39

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生理の話をしてくる女の子

生理の話をわざわざしてくる女の子が苦手だった

生理休暇が恥ずかしすぎて取れなかった ネーミングなんでそのまんまなんだろう夢精遅刻とか言わないじゃんね

職場で「女性意見も聞いておきたいんですが、この件どう思われますか?」って聞かれるたびに「そこのマンコがついてるあなた、どう思いますか?」に勝手脳内変換されて恥ずかしくてしょうがなかった

小学生とき一人称迷子だった

コロコロコミックの読みすぎで オイラまでいった

女の子と話すときだけ、自分の声が低くなるし

女の子といるときだけ、自分がいい彼氏にならなきゃいけないような気がして疲れる

別れる帰り際は「気をつけてね」って言わなきゃいけない気がする

身体を触ってくる女子校育ちの女の子が苦手だった

たぶん女の子は私にとって恋愛対象じゃない異性だから

恋愛対象じゃない異性ってただ単に怖くて好きにもなれない、異種なんだよな

宇多田ヒカルカミングアウトしたときに、ああだよねだって同性な気がしてたもん、と勝手に納得していた

私は自分のことを男でも女でもないと思っていて

好きになるひとは、セックスができるように男の人がよく、けれど男の人を感じさせない男の人がよく、本質的にいえば同性愛だとおもう

養老孟司さんがいつかのインタビュー

生理出産によって身体の不調が露呈しやすい、そういう女性身体から女性差別というものが始まったのでは、というようなことを話していたけどほんとそれで

彼氏セックス子どもも好きだけど

自分が股から子どもを産むのは耐えられない

というか妊婦そもそも怖い

妊娠って心理的密室ですよね

逃げられないまま、大きくなってくお腹

怖い以外の気持ちが持てるんだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 03:51

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2023-05-30

平成流行語を書きまくる日記

自分自分をほめたい(有村裕子

だっちゅーのパイレーツ

ブッチホン小渕恵三

友愛鳩山由紀夫

チョベリグ

パパラッチ

リベンジ松坂大輔

おっはー慎吾ママ

IT革命

・最高でも金、最低でも金(田村亮子

・聖域なき改革小泉純一郎

DV

タマちゃん(あざらし

ベッカム

マニフェスト

バカの壁養老孟司

・ちょー気持ちいい(北島康介

気合いだー!(アニマル浜口

冬ソナ

萌え

イナバウアー荒川静香


ごめん疲れたので終わり。

だいたい平成8年1996年)〜平成18年2006年)の流行語です

Permalink |記事への反応(2) | 19:54

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2023-03-05

anond:20230304205047

養老孟司

Permalink |記事への反応(0) | 16:44

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2023-02-25

養老孟司」の中に含まれ養命酒的なイメージ

Permalink |記事への反応(0) | 22:28

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2023-01-26

anond:20230126141201

野坂昭如養老孟司「は?あるが?」

養老孟司「…ついでに解剖直後にふって涌いた御遺体の遺族に激昂されて殴られたが?(泣)」

野坂昭如「…作品とは違って妹だけ死んで俺は実父に再会できたんだが?」

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

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2023-01-03

anond:20230103131747

日本はつめこみ教育で信じられないくら努力してしょーもない問題を山ほど覚えないといけないから、そういう疑問が出るのもしゃーないな。

しかにこういうつめこみ教育は親ガチャ貧富の格差が広がったり、勉強しかできない(=生まれつきIQが高いだけの)マスパセみたいな社会ゼロマンが生まれる要因かもしれない。

養老孟司が「高偏差値は高血圧のようなものであって手放しに賞賛できるものではない」って言ってたのが真理だなあと思う。

欧米みたいに大学入ってからが本番の社会にした方が本人の努力が反映されて柔軟な人材が育ちそうだけど、日本は前に倣えだから変われんだろうな

Permalink |記事への反応(1) | 13:39

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2022-08-30

anond:20220830131752

養老孟司センセ『唯脳論』ご出版数十年記念オメデトウゴザイマス

Permalink |記事への反応(1) | 13:20

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2022-07-01

宮崎駿監督養老孟司先生ってヘビースモーカーな印象だけど長生きしてる感ある

やっぱ好きなことやり続けてる人たちは長生きするのかな

Permalink |記事への反応(2) | 07:08

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2022-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20220614195430


    30日前からの経過を見ているが支離滅裂

       基本的犯罪をやる体制から拡声器正論を言っているときは聞いているふりをして電気を消している。

     20年前の歌を歌っているときは聞いているのか聞いていないのか分からない。

        平成20年11月29日にお前は東京大学法学部卒に驚異的なやり方でテクニカルかつトリッキーに殺された。

      だからそういう体で犯罪をやろうとしているのだが、30日前からの経過を見ていると延岡市民は犯罪をしようとしていてできなさそうな生活を送っているが

   いざ正体を現すと犯罪者。

      やはり犯罪者だな。  ということで、東京大学法学部卒によりお前は死刑であり、養老孟司の『死んでいる』という本を読めばいい。

Permalink |記事への反応(0) | 23:58

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