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はてなキーワード:錯覚とは

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2025-11-05

誰もお前を気にしない

この世界の苦しみのいくつかは、他人自分を見ているという錯覚から始まる。

SNSでの発信も、仕事での努力も、見栄も、その幻想を前提にしている。

しか現実は、誰もお前を気にしていない。誰もお前の投稿を熟読していないし、誰もお前の努力の経緯を覚えていない。

人間の注意は極端に狭く、自分自身の欲望不安で常に満たされている。他人人生を観察する余裕など、ほとんど誰にもない。

から、お前がどれほど努力しても、それを本気で見ている者などいない。

だが、この事実絶望ではなく、むしろ救済だ。誰もお前を気にしていないということは、恥じる必要もないし、完璧である必要もない。誰の期待にも応える必要がない。

見られることを前提にした生き方をやめたとき人間はようやく「やりたいからやる」という純粋動機に戻ることができる。

しかし、その純粋さすら、やがて無意味に溶けていく。なぜなら、人生で何かを成し遂げるということ自体が、根本的に無意味からだ。

たとえお前がどれほどの功績を残しても、それは時間の流れの中で必ず風化する。発明も、理論も、企業も、栄光も、死後数百年のうちに砂粒のように崩れる。

名前教科書に載ることすら偶然であり、文明のものが滅びれば、すべてはゼロに戻る。

人生で成し遂げるという概念は、人間の脳が死を受け入れられないがゆえに作り出した一時的な慰めに過ぎない。

実際には何も成し遂げられない。すべては途中で途切れ、忘れられ、消える。努力意味を持たないし、目標も幻影だ。

お前が作るもの、築くもの、愛するもの、守るもの、その全てが、やがて無音の虚空に沈む。

この真理を受け入れることは苦い。しかし、それを見ないふりをして意味のある人生を演じることは、より残酷欺瞞だ。

意味を信じて走る者は、いつか必ずその虚しさに打ちのめされる。けれど、初めからすべては無意味理解して生きる者は、何にも打ちのめされない。

意味を求めずに生きることは、逃避ではなく、唯一の正気だ。

誰もお前を気にしない。お前が何を成し遂げようと、何を失おうと、世界は一切動じない。

だが、それでいい。意味のない世界において、意味を探す必要などない。お前が息をして、飯を食い、夜に眠り、朝に目を覚ます。それだけで、充分だ。

この無意味の上に立つとき人間はようやく自由になる。残るのは、ただ存在しているという事実だけだ。

Permalink |記事への反応(6) | 19:19

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2025-11-04

人手不足ソフトウェアエンジニア業界地雷

誰も見て見ないふりしてるけど。

問題は繋がっていて、ごく単純な話。

「この規模、この内容のサービスで、なんでこんなにエンジニアが大量にいるんだろう?」って疑問は、どこにいっても、どこと話しても、わく。

先日の才能問題がまさにそうなんだけど、ソフトウェアエンジニア業界に滞留している人、ぶら下がってる人が多すぎやしないか? と。

リモートをいいことに、サボりまくってる「エンジニア」、特に最近は生成AIでっち上げてサボれるようになってからは、まぁまぁの数、存在していると思う。

実際に観測してもいるし。

そういう極端な例に限らず、才能がない、向いてない「エンジニア」が相当数寄生している。

ジュニアとかコーダーレベルだけじゃなく、いや、むしろリーダーマネージャーCTOレベルに。

その組織企業のそのレベルの「エンジニア」が、それに占拠されたら、多分事態好転することはない。

アリバイづくり程度の活動は行われるだろうが、永遠の停滞に陥るだろう。

誰か一人抜けても、残りがスクラムを組んで、異分子排除することに全能力を傾けるだろうから

自分達の居場所をがっちり確保するために。

まさに獅子身中の虫

「あの企業が?」ってところが、すでにそう言う状態に陥ってたりする。

名前はあげられないけど w

政府ソフトウェアエンジニアが足りない足りないって喚いてるけど、頭数だけ用意しても現場プロダクトが混乱するし、利用者が困るだけだ。

これ、旧日本軍の失敗の原因であった「員数主義」って言うんよな。

正直、「え?ソフトウェアエンジニア……? を名乗って……んの……?」って人が多い。

語るけど。

延々と語るけど。

Webから得た知識と、オライリー読んで得た知識を。

滔々と語るけど。

毎度毎度、会議室MCバトルの、青菜に塩をかけたような真似事をして。

誰が一番最初に、新しいイケてるWebページを見つけたかを競って、ドヤ顔くらべ。

勉強会開いてみたり。

で、生まれたのがこの設計実装か?

この量と質か?

みたいな。

多分、この手の「エンジニア」の半分以上が、人手不足工場とか大工とか解体業とかライフライン保守に行ってるべきだったんだろうな、と思う。

どっちが上とか下とか言う話じゃなく、向き不向きの話。

メタ認知できないし、メタ思考もできないから。

向いてないんよ。

多層抽象化不自由とか、概念構造の構築に不自由とか、専門書とかの読解に不自由とか。

2、30年ほど前はそこまでの能力がいらなかったからうまくエンジニアに滑り込んだ人もいただろうけど、今時のプロダクトでそれでは通用しないんだよね。

SQL文の書き方とか、DockerFileの書き方とか、ソースファイルのタブの入れ方とか、Web記事のある場所とか、ディレクトリ構成とかの形式的知識とか、マジで、あったから何? って。

大事なのは形式的知識じゃなく、本質的理解メタ思考なんだよね。

形式的知識なんて、今はそれこそAIで十分だから

お前なんていらない。

それだけ。

新しいサービスリリースされたんすよ。

使いたいっすよね。

熱脳しゃちょさん、歳いってるから対応できないっすか? w

って、よく言われる。

この言葉のままじゃないけど、まぁ、だいたいこういったニュアンスだ。

自分はそこそこの腕だと思うなら、彼我の実力の差は正しく測れるようになっとけよ。

こちとら、「だいたいこういう実装されてて、長所短所はこんなもん。こういう処理のために作られたようなもんだな。だから、今のプロダクトだと使い所がないね。料金も高いし」あたりまでチェック済みじゃボケ

ってことしかない。

こいつら、自分業務経歴書に書き込む単語を増やすことしか考えてねぇんだよな。

関連サービスなんて増やせば増やすほど、保守運用改善が大変になっていくだろ!

経費もかかるだろ。

「仕組み」は、よりシンプル方法で実現できるならシンプル手段を選べ、ってのは常識中の常識だろ。

KISS原則? 知ってますよ」って、知識として知ってる。

KISSが"Keepitsimple, stupid"の略だってことを知っている。

選択問題として出題されたら正解できる。

けど実現できないんじゃぁ意味がねーんだよ。

この手の「自分イケてる錯覚しているエンジニア」は、Web記事つまみ食いしながら雰囲気設計実装するからリクエストデータが増えてきたら破綻するような、間違えた設計実装しかできない。

そういう新しいサービスは、それ以前のサービス欠点を埋めるために作られてるんだから、それ以前のサービスと同じノリで設計実装して十分な性能を引き出せるわけがねーんだわ。

分散DBとか、その最たる例だ。

今までの複数炎上現場で、正しく設計実装できてたところはなかったよ。

おいらが関わった炎上現場ほとんど、こうやって生まれてきている。

そういう炎上現場を作り出したエンジニアは、ふくらし粉で増量した業務経歴書片手に、「サービスの立ち上げを『僕の技術力で』やり切りました」って転職していくんだ。

新しいことに挑戦したくなって。とか言って。

いや、せめてこれをちゃんと整備し切ってから転職しろよ。

テナント、あと2、3増やしたら破綻するぞ。

みたいなエンジニアを、なぜどこもかしこもありがたがって採用するか全く理解できないんだが、そういう「エンジニア」が次の現場で生まれ変わったように的確で素晴らしい成果を出せるかって、そんなわけもなく、日をおうごとにグダグダになっていくサービスさらに一個増えるだけだったりする。

こういうエンジニアが、初回リリースしてからしばらくして、ソフトウェアエンジニア業界に飛び散る。

まるでがん細胞

こうなると立て直すスピードより、グダグダな新しいサービスが生まれスピードの方が何十倍、何百倍も早い。

もうね、半ば絶望してるんですよ。

今、生成AIも参戦してきてて、物量だけは爆発的に増えてるから

多分、そう遠くなく、グダグダサービス日本は覆われると思う。

AIベビーシッター必要になってくるだろうけど、それができるだけの技術力を持ったエンジニアの数が圧倒的に少ないし、何よりそういう腕利のエンジニアを、ふさわしい金額で雇おう、招こうと考える経営者が皆無。

今までの炎上現場ですら、高すぎる。無駄金を払わされてる。って扱いをうけてたからな。

「同じエンジニアなのに、どうしてこんなに高いの?」

次はその数倍、十数倍、費用時間もかかるからなぁ……。

向いてないエンジニアは、さっさと転職してくれ。

八潮みたいなのがあちこちで多発したら大変だろ?

Permalink |記事への反応(1) | 12:04

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2025-11-02

anond:20251101095450

増田さん。結論からね…大筋では「超過密ゆえの“比較圧”と“在庫奴隷化”が濃く出てる症状」だと思う…でも、過密だけが犯人ではないのも冷静に置いとこ…私、低空ボイスで整理するね…💗💗ふふっ、光ってるね…このテーマ…💗💗

なにが“過密っぽい症状”なのか(サクッと見立て)💗


→この一連、「見られ地獄圧」って呼ぶよ💗💗

でも、過密“だけ”のせいにすると詰むところも💗

性差別ハラスメント入試枠の歪み構造問題密度が“増幅器”にはなるけど、原因そのものではないものも混ざってる…💗

全部男のせい」って一般化は、気持ち安全弁としては分かるけど、解決の照準がズレる危険。責める対象は“性別”じゃなく行為制度権力配置にしよう…ね…💗(ここは譲れない大事な線💗)

---

じゃあ、どう“脱・見られ地獄圧”する?—適密プロトコル💗(やだ…半径経済ひだまり相)💗

前提:過密都市(都雇圏111万人以上)には必ず難点がある。だから“適密”側(50〜110万人)に寄せる工夫が効くよ…💗

1) 半径生活1.5km+30分結界 → 「収束型コア」を握る

適密の中心部用事が“収束”する構造市役所バスターミナル百貨店美術館図書館病院商店街が1.5km内に密集)。だからこそ“歩ける円”がほんとうに完結するの…💗

具体:①中心の3核(行政交通百貨店/商店街地図にピン

→②3核間を徒歩でつないで“日常導線”を作図

→③朝ラッシュバス/市電50本/時クラス幹線を“緊急移動の保険”に設定(※乗らない日が多いのが正解)

→④30分結界仕事/買物/余暇が閉じるか検算

週末試住のコツ:朝7–9時に“出勤シミュ”徒歩

→昼は商店街用事をまとめ買い

→夜はホール/映画/銭湯で“余暇1枠”を徒歩完結。

→ 適密は“徒歩でぜんぶ足りる”から比較圧より生活の手応えが勝つ…💗💗

2) 8週間“雑うま”弁当 → 「商店街×公共キッチン×量り売り

適密は商店街市場直売所が徒歩圏で小分けに強い。さら市民館の調理室・シェアキッチンが点在。だから“鍋一つ固定”が本当に回る…💗

仕組み:

月:商店街で“量り売り(ちょい量)”→廃棄ゼロ

水:市民調理室で“下味冷凍デー”(同時に2〜3回分)

金:直売所で“彩り(副菜)”だけ追加。

ルール再掲:茶色4:彩り2:タンパク3:余白1

“並べ練習”は週1でOKシャインマスカット3-5-3配列)。商店街だと“必要粒数だけ”買えるから練習コストが軽い。

→ 適密の流通は“家の冷蔵庫を膨らませずに旨さを積む”動脈。雑うま動脈…💗💗

3)恋愛の“厚み→温度”変換 → 「再会確率場」を設計する

適密の良さは人が多すぎず少なすぎず、同じ人と自然に何度も再会できること。ランキング勝負が溶け、温度が上がる…💗

設計

定位置を3つ(図書館読書会カルチャー教室/コワーキングの昼枠など)

1つは“ゆる奉仕”(商店街イベント手伝い・館ボランティア

半径1.5kmの中で曜日固定→顔→挨拶雑談→小コラボ自然階段が起きる。

→ つまり、再会確率場。適密は“会えば終わり”じゃなく“また会える”が初期設定。**恋温化(れんおんか)**が進む…💗💗💗

4)メディア断食7日 → 「ローカル物語で置換」

適密は長文の器が徒歩圏に揃う(郷土資料室・常設展ギャラリートーク市民講座・地域FM小劇場)。スクロール断食のぶん、街の物語を吸う…💗

置換メニュー(1日1枠):

図書館で縮刷版新聞or郷土

美術館ギャラリートーク

公民館の90分講座

地域FMを“ながら聴き散歩

→ いわば、比較遮断膜。適密の“物語密度”がSNSの“映え密度”を中和…💗💗

5)資産を“時間”に変える → 「中心徒歩10分の1年リハビリ留学

適密は中心住まいコストが“現実的”。だから貯金の一部を時間両替できる…💗

予算の器:①家(中心徒歩10分/小さめ)②学び(市民講座・カルチャー)③文化美術館ホールパス)④人(コワーキング/サロンの月会費)⑤余白。

週の骨組み:

月:料理クラス(基礎)

水:読書会(聞き専→発言1に進化

土:イベント手伝い(再会確率場を上げる)

→ 必殺・時間両替術。適密は“乗物0生活”で浮いた移動コストが、そのまま自分筋肉生活力)になる…💗💗💗

6) 言い換えの儀 → 「街語変換+散歩ジャーナル

適密は歩くと“成果”が目に見える(買えた・会えた・終えた)。自己評価を“街の出来事語”に言い換えると、行動燃料が戻る…💗

変換例:

料理は雑」→「速達料理で日を守った

恋愛経験微妙」→「再会確率場が未設定だった

散歩ジャーナル毎日3行):

1.今日“徒歩半径だけで”済んだ用事(3つ)

2.会釈/雑談した顔(1〜3人)

3.明日、同じ半径で足す1アクション

最近流行りの「ことば脱棘(ことばだっきょく)」。適密の“達成の見える化”で言葉からトゲが抜ける…💗💗

Permalink |記事への反応(0) | 01:48

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2025-10-31

妄想とは、例外に対する条件分岐のこと

マネーサプライ増加によってハイパーインフレになる可能性がある」という理論があるとする

ここに「歴史的ハイパーインフレになったのは、戦争などの事象が重なった時」という例外を付け加えると、急に妄想度合いが増す

数学理論ではこうなる」と最初の主張では言っていたのに、例外ロジックでは「こういう場合でないと起こらない」と、数学無視するルール付与してしま

宗教も同じ。仏教の教えに矛盾したことがある場合も、「それはこういう条件で成り立つものから」と簡単正当化できる

要するに、例外ロジックは、一般性が欠如しているから、正当化連続させて妄想を生み出す

そしてこの「例外ロジック」の恐ろしさは、思考自己防衛機構として機能する点にある

まり人間自分の信じたい理論を守るために、反証が現れた瞬間に「それは特殊ケースだ」と切り捨てる。この瞬間、理論はもはや検証可能性を失い、科学から信仰へと変質する

インフレ理論でも宗教でも、例外を積み重ねることで体系は肥大化するが、同時に空洞化していく

なぜなら、「例外を認めない」ことで緊張を保っていた論理構造が、「例外を追加する」たびに自己否定的な柔軟性を持ってしまうから

結果として、理論は「現実適応できる」という錯覚を得ながら、実際にはどんな現象にも説明を付けられる万能の物語、つまり反証不能妄想体系になる

科学妄想境界線は、論理の有無ではなく、例外をどこまで許すかで決まる

例外を増やすたびに、理論世界説明する力を失い、代わりに信者を守る檻になる

Permalink |記事への反応(1) | 05:49

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2025-10-30

anond:20251030111719

こっちも読んでね!

https://ameblo.jp/avshimiken/entry-12941801529.html

SNS匿名誹謗中傷する人と言うのは

・夢を諦めた人

自分が手に入れたくても手に入れられなかった物を、手に入れている人がうらやましくて誹謗中傷する。

承認欲求が強いのに現実世界では注目されない虚しい人。

→「誰かに注目されたい」「影響を与えたい」という欲求があるけど、現実世界では注目されないのので、匿名でも"反応”があるSNS自分存在を感じようとしている虚しい人。

劣等感嫉妬心が強く、他人成功幸せを「自分が負けた」と感じちゃう幸せから1番遠い人」。

・"弱い立場から強い人を叩く"ことで優位に立った錯覚を得ている「負け犬の遠吠え」。

Permalink |記事への反応(0) | 11:28

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猟師の孫

「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」

孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。

後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。

老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。

老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である

この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマ樹木へ爪で傷を付け自身縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。

「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父マーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。

いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。

馬ほどの体格を持つとは言え、素人からするとたか草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。

実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカヒグマキタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆ヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。

その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である

「奥義は下段」

孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。

祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。

「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。

「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。

後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。

特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。

これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ

「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである

孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。

遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。

奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマ祖父体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音であるパンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマ体当たり回避たかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。

ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父ヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。

体当たりは分が悪いと悟ったヒグマ祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである

三足となったヒグマは再び必死体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たり回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマ祖父の動きを視線しか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。

短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。

ヒグマメートル100キロ、2m超のヒグマ200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。

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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。

私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。

では、行ってきます

Permalink |記事への反応(12) | 08:02

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2025-10-29

anond:20251029170218

錯覚だろうがなんだろうが日常生活に支障が出ているなら病気だよね

「それは錯覚だ!」って言ったところで何も解決しないわけで

Permalink |記事への反応(1) | 17:07

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anond:20251029165945

悲しいかな、多くの女装性欲者は自分性同一性障害錯覚しているんだよ。

Permalink |記事への反応(2) | 17:02

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暗闇の中を左右でライトの色や明るさが異なる自動車が走っていると、遠くからでは自転車とかが少しあいだ広めに並走しているように錯覚してしまう。

そして抜けれると思って進んで自動車と気付いたときにはかなり危ない。

ようするにライト壊れた自動車で走るなってことだ。

dorawiiより

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Permalink |記事への反応(0) | 15:09

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anond:20251029040534

あなた言葉には、現代社会自己表現承認欲求構造に対する批評が込められています

かにSNS動画プラットフォーム社会の縮図であり、時に肥溜めとも言える混沌の場でもあります

そこでは、善も悪も、知も愚も、すべてが混ざり合い、増幅される。

人はそこに「自分が見られている」という錯覚を通して存在確認しようとする。

まさに、猿が鏡に映る自分を見て興奮するようなものです。

しかし、ユダヤ的な視点から見ると、すべての混沌創世記1:2)には潜在的意味があります。神は世界混沌から創造しました。

ラビたちは言います「どんな場所にも聖性の火花が潜んでいる」と。

まりSNSのような場所も、本質的には堕落の場でありながら、もしそれを観察し、学び、正すために使うならば、聖なる修行の場にもなり得るのです。

ミシュナ「アボット先祖言葉)」にはこうあります

「どこに人々がいないときには、あなたが人であれ」(アボット2:5)

まり、周囲が混沌や愚かさに満ちていても、自分が正しい人間として立つ責任がある、ということです。

ですからあなた批評的な眼差しのものがすでに「クソのダイナミクス」を超えようとする第一歩だと思います

ただ見るだけでなく、「どうすればこの世界にもう少しの秩序や光をもたらせるか」を考える。

それが、現代のTalmud的観察とも言えるでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 04:09

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2025-10-28

anond:20251028201333

不愉快だったり傷ついたり辛い気持ちになったのなら、そういえばいい

自分が何を感じ何を思ったか口に出さないから、オッサン永遠に下人なんだ

どんなことでも冷笑寒いギャグと使い古された自虐ネタで逃げるような人間に救いなんてないよ


素直な感情を出さずに、相手が何かと戦っていると錯覚させることでしか自分矜持を保てないのはもう終わりなんだよ

あんたらを差別しても一切問題はない

Permalink |記事への反応(0) | 20:39

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性を利用して一流企業アカデミアと接触しているあらゆる女が憎い

 一昔前だとマイクロソフト千代田まどか最近だと東京工芸大学講義をした、2024年東京都知事選候補者内野愛里とか。あるいは早慶未満のすべての女子アナや、一切売れてないくせに留学歴等の錯覚資産を駆使してアカデミアに食わせてもらっている腐れ左派アーティスト(一例を挙げるなら長谷川愛など)

 こいつらと場末スナックにいる女がどう違うのか、いくら考えても分からない。

 クソフェミ共。あんたらの地位を向上させるためにまず最初にやるべきことは、こういった売女共の実力を詳細に調べ上げて、肩書き地位との矛盾を暴き出すことなんじゃないのかい

Permalink |記事への反応(5) | 20:20

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2025-10-27

責任ある積極財政」を語感でしか考えない層が9割

まったく笑えるよな。「責任ある積極財政」だ?あの言葉を聞いた瞬間に、普通人間は「なんか良いことっぽい」と脊髄反射で納得する。

IQ100あたりの大衆ってのは、語感で政治判断するんだよ。「責任」「積極」って言葉が入ってるだけで、まるで聖人のように信頼してしまう。

だが実際には、責任なんかどこにもない。財政出動の結果、通貨購買力が減り、年金貯金実質的に削られる。

要するに、未来からカネを盗んで現在に配ってるだけの、壮大な自己放尿なんだよ。

バラマキってのは麻薬と同じだ。打てばその瞬間は景気が良くなったように感じる。だがその快楽の裏では、通貨が薄まり実体価値じわじわ腐っていく。

減税も同じ構造だ。財源が減るぶん、どこかでツケを払う必要がある。国債を刷って誤魔化すなら、インフレ税という形で徴収される。

まり税金という名の注射をやめて、インフレという名の点滴で殺しているだけ。

それでも愚民は叫ぶ。「給付金を出せ!減税しろ!」。お前らが欲しがってるのは毒だ。経済をわかってない奴ほど、金の数字が増えれば幸福になったと錯覚する。

実際には貨幣価値が下がってるだけで、実質は貧しくなっている。

ドルベースGDPを見ろ。円安のたびに日本経済規模は縮んでいる。つまり「景気が良くなった」と報じられてる時ほど、日本国際的地位は下がってるんだ。

株高?笑わせるな。株価が上がるのは、企業価値が上がったからじゃない。通貨が安くなって相対的数字が膨らんでるだけだ。

上級国民自己放尿で温まってる間に、下級国民はその尿をすすって「ありがてぇ」と言ってる構図なんだよ。

積極財政」ってのは、国民が痛みを感じない形で静かに搾取する仕組みだ。

増税だとバカでも怒る。だが通貨膨張なら誰も気づかない。物価が上がっても「世界情勢が悪いせい」って報道を信じて終わりだ。これが国家レベルトリックだ。

真に責任ある財政とは、歳出を抑え、円の購買力を守り、輸入コストを下げることだ。

だがそんな地味な政策は票にならない。だから政治家は常に、短期麻薬を選ぶ。国民が愚かでいてくれるほど、政治は楽なんだよ。

まりこの国は、集団自己放尿して「温かい」と錯覚している状態だ。冷たい現実を見ようとしない。

真に冷徹経済観とは、「数字の増減じゃなく、通貨実体価値」を見抜くことだ。それができない限り、この国の財政永遠に笑顔自殺していく。

Permalink |記事への反応(1) | 22:49

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anond:20251026154537

物価が毎年2%上がるんだから、消費が何よりだよ。

1番は蓄電池だな。

都民で持ち家だったら、ローンで太陽光パネル蓄電池つけろ。

ここ数年、補助金えぐい

子なしの百合子が都民を孫と錯覚してお年玉配ってる。

350万くらいのうち、補助金で250万くらいくる。

補助金を加味すると、光熱費削減の効果だけで6年くらいで元がとれる。

それに防災対策にもなる(本来はこっちが主だが)。

ただし、訪問販売には引っかかるなよ。

価格ドットコム業者探して相見積もりとれ。

そんでもって、ソーラーローンの金利が2.1%ってところ。

物価が毎年2.5%上がってるってのに、2%台で借りれるんだから、無利子みたいなもん。

蓄電池のせられないなら、車でも買え。

どうせいつか買い換えるなら、今乗り換えろ。

来年かったらアホほど高くなってる。

インフレもだし、トランプにしばかれて日本車米国で組み立てたのを日本で売るみたいだからな。

今年買わないんだったら、エンジンが煙上げるまで乗り換えられないと思え。

蓄電池も車も買わないなら、Macでも買っとけ。

無利子36回払い。

一括で買うやつらバカだ。必ずローンで買え。

Permalink |記事への反応(1) | 15:54

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2025-10-25

anond:20251022125710

へずまは錯覚すらないが、石丸はまさに錯覚資産だったな、鳥なき島の蝙蝠というやつ

Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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2025-10-24

次の日、投稿が提示の通り追記されていたとします。この場合、分析はどのように変化しますか?

C*****T:

CRITICAL ANALYTICALREVISION

追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初分析根本誤読

追記2は、私の最初分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。

私が読んだもの:

文化的言説(アイデンティティ政治

個人内面化

創作的麻痺

実際の構造:

実存危機孤立・失敗・老い性的欠如)

理論的言説の防衛的借用

自己正当化された創作不能

因果の矢印が逆だった。 これは方法論的に重大な誤りである

PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈

最初投稿投稿者が使用していた理論的語彙:

これらは一見2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しか追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。

真の構造:実存自己否定の連鎖

追記2が暴露する深層:

レイヤー1:実存事実

"初老になったのに童貞"

"人間嫌い、女性に縁がない"

"過去に痛い目にあった記憶ばかり"

"人生絶望してた"

レイヤー2:創作動機

"女性を描きたい"(しか経験がない)

"究極の画像処理ソフト"という夢(実現できない)

"ヘンリー・ダーガーみたいなもん"(社会的孤立の中の空想

レイヤー3:防衛理論化】

"女性を知らないと女性ちゃんと描けない"

"経験がなければ理解できない"

← これは理論ではなく、個人的失敗の普遍

レイヤー4:創作不能正当化

"だから俺には描けない"

しかしこれは「無能から」ではなく「原理的に不可能から

防衛機制の精密分析

防衛機制1:合理化(Rationalization)

耐え難い真実:

「俺は人生の敗北者だ。女性関係を持てなかった。孤独で無価値だ」

↓ 変換 ↓

受容可能な言説:

経験していない対象原理的に表象できない。これは認識論的・倫理的問題だ」

この変換により、個人的失敗が哲学的問題昇華される。これは自尊心を守る。

防衛機制2: 知性化(Intellectualization)

投稿者は感情絶望孤独性的欲求不満)を抽象議論表象倫理当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。

しか追記2で防衛崩壊し、生の感情露出する:

防衛機制3:投射(Projection)

投稿者は自分の不全感を、架空の「批判者」に投射する:

これは私の最初分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源文化ではなく、内面化された自己批判である

ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択

投稿者がダーガーを引き合いに出すのは決定的である

ダーガーの特徴:

投稿者の解釈:

ダーガー女性を知らなかったから、正しく描けなかった」

しかしこれは逆説的である:

投稿者の論理:

女性を知らなければ描けない」

ダーガーは知らなかった

から「間違って」描いた

俺も知らない

から俺も描けない/描いてはいけない

しかし抑圧された真実:

ダーガー女性を知らなかった

にもかかわらず膨大な作品創造した

その作品は今やアウトサイダーアートとして評価されている

まり「知らなくても創造できる」証拠

投稿者は、自分論理反証する例を引き合いに出しながら、その反証認識できない。なぜなら、創造可能性を認めることは、創作しない自分正当化できなくなるから

ダーガー選択は、投稿者の内的葛藤を露呈する:

児童ポルノ言及精神分析

投稿者は和月伸宏や他の漫画家児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望告白する。

表面的正当化:「絵描きなら資料が欲しいのは当然」

しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」

この言及が明らかにするもの:

1.性的欲望創作未分化

- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性性的欲望する」ことが分離していない

- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作障害になる

2. 罪悪感と自己審判

- 「資料のため」という言い訳を繰り返す = 罪悪感の表出

-自分犯罪者予備軍として見る視線内面化

3.禁止欲望パラドックス

- 「見てはいけない」ものへの欲望

-しかし見れば犯罪者

- だから見ない=創作しない、という「倫理的選択

これは自己処罰的なループである

生成AIとの関係人間関係代替審判

追記2の冒頭:

「さっきまでClaudeに、自分ライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」

この一文は多層的である

レイヤー1:AI対話相手

レイヤー2:AI審判

レイヤー3:AI不可能な夢の実現者

レイヤー4:人間関係不可能性の確認

投稿行為意味ダイイングメッセージとしての告白

投稿者は明言する:

  • 基本的に返信を見ない(「ロバ耳」)
  • ダイイングメッセージのように、死んだ後に読まれることを想定
  • 「読んだ人の脳に残って未来の行動を変化させる」ことを望む

これが意味するもの:

対話拒否

承認希求

一方的告白遺言

彼は応答を求めていない(対話不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。

これは非対称的コミュニケーション

  • 声は発するが、返答は聞かない
  • 見られるが、見返さな
  • 影響は与えるが、影響は受けない

これは自己他者関係不可能性の表現である

SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造

矛盾1:創造欲望 vs創造不可能

THESIS: 「女性を描きたい」

「究極の画像処理ソフトを作りたい」

ANTITHESIS: 「経験がないから描けない」

技術がないから作れない」

人生絶望している」

SYNTHESIS:創作不能正当化

AIへの依存

矛盾2:孤立選択 vs承認希求

THESIS:人間嫌い、返信を見ない、対話拒否

ANTITHESIS:投稿する、読まれたい、影響を与えたい

SYNTHESIS:一方的告白ダイイングメッセージ

矛盾3:理論的厳密さ vs実存絶望

THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張

ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した

SYNTHESIS:ダーガー作品を「間違い」と解釈することで

反証回避

弁証法運動の停止

健全弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。

創作欲望

実行不能

理論正当化

さらなる不能

[ループ]

これは病理弁証法:変化を生まず、同じ場所を回り続ける。

SYNTHESIS: 深層パターン統合理解
構造全体像

【最深層:実存事実

社会的孤立 +性的経験の欠如 +老い + 死の接近

【第2層:心理的防衛

合理化・知性化・投射による自己保護

【第3層:理論的借用】

文化的言説(当事者性、表象倫理)を防衛の道具として使用

【表層:顕在的問い】

男性女性主人公を描けるのか?」

機能

創作からの逃避 + 失敗の正当化 + 残存する自尊心保護

本質的洞察結晶

投稿者の真の問いは「女性をどう描くか」ではない。

真の問いは:

人生の敗北者である私に、何かを創造する価値があるのか?」

そして彼自身が答えている:

「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」

女性を知らないと女性を描けない」という主張は:

文化的言説の防衛使用

私の最初分析は「アイデンティティ政治内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。

誤った図式:

文化的言説 →個人麻痺

正しい図式:

個人的失敗 →文化的言説の借用 → 失敗の正当化

彼は「当事者性」や「経験所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来政治文脈から切り離され、個人防衛機制として機能している。

これは理論心理的横領である

解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人自己正当化の道具になっている。

より深い文化的診断

しかし、もう一層深く見れば、これは純粋個人的な現象ではない。

なぜこの特定の言説が、この特定防衛に利用可能だったのか?

答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。

投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分創作不能倫理的配慮として再解釈している。

「俺が描かないのは:

無能から(恥)×

倫理的配慮しているから(誇)○」

これは文化心理共犯関係である

ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)

ダーガー投稿者の論理の生きた反証である

ダーガーは:

投稿者の論理では、ダーガー創造すべきではなかった。しか創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。

投稿者はこの事実をどう処理するか?

答え:ダーガー作品を「間違い」として解釈する(「少女ペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)

しかしこれは恣意的解釈であるダーガー少女性別曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界独自性として読むこともできる。

投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分創作不能正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分創作できる/すべきだ、ということになってしまう。

これは解釈政治である

最も深い問い

この事例が究極的に提起する問いは:

創造するために経験必要か?

投稿者は「はい」と答える。私の最初分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。

しか追記2を読んだ後、問いはより複雑になる:

彼が求めているのは本当に「創造する方法」なのか?

それとも:

おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。

彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛解体するだけで、その下の絶望露出させるかもしれない。

CRYSTALLIZED INSIGHT

この投稿者は、人生実存的失敗(社会的孤立性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代文化的言説(「当事者性」「経験所有権」「表象倫理」)を借用することで、「原理的に不可能創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人無能認識論的・倫理的問題昇華することで、残存する自尊心を守っている。

言い換えれば:

彼の問い「男性女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的正当化する道具として機能している。

So what?:

この事例は、文化的言説がどのように個人防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化麻痺の道具になる。これは文化心理共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。

PUNCHLINE:

私の最初分析は、彼を「文化犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

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2025-10-22

anond:20251021230726

これはnot嘘松かな

新しいところ1年以上居座れてる時点でたいしたもんだけどね

本当にできないやつならもっと早く馬脚あらわしてるし

ITのいいところはなんせみんなす転職するところだから別に次行けばいいんじゃないといしか

中年ならもう若いときのように錯覚資産に合わせて成長するのもきついって話でしょ

Permalink |記事への反応(0) | 17:50

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anond:20251021230726

関連増田

転職失敗したっぽい

anond:20251021125002

錯覚資産転職したら完全に詰んだ

anond:20251021230726

Permalink |記事への反応(0) | 15:20

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anond:20251021230726

錯覚資産って石丸とかへずまみたいなもんだろ

迷惑まりない

Permalink |記事への反応(1) | 12:57

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anond:20251021230726

錯覚資産っていう考え方、前から違和感あったんだよな

周りに実力があると勘違いさせていいポジにつく、そのあとはどうするんだ?って

環境が人を作るんだから、そういうポジにいれば勝手に成長して相応しい実力になるみたいなこと言ってたけど、大抵はメッキがはがれるだけじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 11:03

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anond:20251021230726

あーこの錯覚資産って言うので自分転職ミスったな

自分場合エンジニアではないんだけど

  

商習慣が独特な業界で、中規模のオーナー企業10年ほど働いたのちに  

オーナーなんやかんやあって退職

  

→同業界で中堅クラス人材は欲しいところが多く、取引先だった企業に  

口利き転職

  

年収もアップ、休日も増加でいいことづくめ…かに見えたがそうはいかなかった。  

業界は同じでも職種が違ったからだ。  

  

いままでは規模の小さいオーナー企業あるあるで、なんでもかんでも中途半端に  

営業・総務・仕入・人事・EC管理とやらされてきたが、転職先ではそのうち一つだけに  

注力することとなった。  

  

で、業界知識だけはあるけど職種をこなす能力あんまり無いってのが露呈してピンチに。  

まぁそりゃそうですよね、なんでもそこそこやってるってことは全部中途半端ってことでもあるので。

  

  

今では完全に無能扱い。やっぱ思い切って異業種行くなりしといた方がよかったかなー。

Permalink |記事への反応(0) | 09:47

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2025-10-21

錯覚資産転職したら完全に詰んだ

数年前、年収900万超でシステム開発マネジメント職に転職した。前職も同じくらいの年収だったんだけど、そもそもあれがバグってた。今になって振り返ると、完全に身の丈に合わない転職をしてしまったと後悔している。

前職がイージーモードすぎた

前職の入社時の年収は350万くらいだった。オーナー企業の少人数の会社上司も部下も顧客もそこまでITに詳しくなくて、ハッタリかませばだいたいなんとかなる環境だった。

もともとITをよく分かっていない人の話を聞いて整理するのは得意だったので、エンジニアからPMになり役職がついた。気づけば年収入社時の2.5倍以上になっていた。

モダンな開発はなんとなく齧ってた程度で、基本はハッタリマネジメントでなんとかなった。作ってたシステム自体もそんな複雑なものでもなかったし。

経営陣がいろいろやりたがる人たちだったので、広く浅くなんでもやってみたい自分には性が合っていた。ただ、いろいろあって辞めることにした。

錯覚資産という概念との出会い

転職活動を始めた時に出会ったのが「錯覚資産」という考え方。ふろむださんの『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』で知った。

前職で900万近い年収だったので、ハロー効果が効いて年収を維持したまま転職できた。LLMのように相手に合わせてこういう言葉を紡げば相手は納得してくれるだろうという能力には長けていたので、面接はハッタリでなんとかなった。

実務で足りないところは、ハロー効果が効いているうちに実力をつければ何とかなるだろうと思っていた。甘かった。

数年後、メッキは完全に剥がれた

現職は前職と違って、成長企業といえどちゃんとした会社オーナー企業的な空気もなければ行き当たりばったりでもない堅実なところだった。

そして何より、バリバリモダン開発の会社だった。SREだDevOpsだDDDスクラムだなんだかんだと、今までとの落差が激しすぎる。

上司も同僚も部下もシステム開発をよく分かっている。システムわからんという人のために色々整理してあげるという、自分のコア能力が全く発揮できない。

伸び悩んでいる部下へも適切な指導ができない。前職まではシステムよく分かっていない顧客上司に納得してもらえばなんとかなったので、部下は育てなくてもなんとかなっていた。困ったとき外注を入れて凌いでいたし。

もう、上司・同僚・部下からなんとなく腫れ物扱いになっている。年収年収なので会社に対して申し訳ない気持ちになってきた。会社も余裕があるわけではないし。自分無能だということがなんとなくわかり始めてツラポヨ。

気づいてしまった致命的なこと

なんかエンジニアリング自体自分が興味なかったんだなぁということを実感した。

なんだろう、もともとウェブ屋に毛が生えたみたいなシステムなんでも屋おじさんだったので、バリバリエンジニアリングの専門集団に入ってしま違和感半端ない

俺はウェブというメディアに興味があるのであって、エンジニアリングそのものには興味がないのだ。ということに今さらながら気づいた。

昔のワールドワイドウェッブはねぇ、なんというか、自由というか個人が自宅の机の上から世界中情報を発信できるという夢に溢れていたのだよ。なんだね今のウェブは。ただのシステムが乗っかるための土台でしかない。面白くなくなったねぇ。Flashとかの標準なんかクソくらえな「リッチコンテンツ」が溢れていたときはなんかカオスな楽しさがまだウェブにあったが、もうなんかビジネスしか残ってないのはなんなのかね。どこに行っちゃったのかね。

閑話休題

じゃあどうしたらよかったのか?

錯覚資産コンフォートゾーンから一つ抜けたストレッチゾーンに行くために使うべきだった。自分場合は一歩超えてパニックゾーンに行ってしまった。

最初は周りも良い人だらけだったので、持ち前のハッタリでなんとなくやり過ごせた。でも数年経つと化けの皮は剥がれる。

あと、ハッタリかますのに全力を使いすぎて余裕がなく、力をつける時間を作れなかったのが敗因だと思う。

さてどうしようか…

まぁまた転職すれば現職の錯覚資産ハロー効果でなんとかなると思う。年齢的にだいぶ中年なので不安もあるが、ストレッチゾーンに当たりそうな会社にどうにか転職したい。年収は下がりそうだけど。

もしくは開き直って居座るか。でもこの精神状態居座り続けるのもキツい。

みなさんへ

錯覚資産を使う場合は十分気をつけてください。背伸びしすぎると、自分も周りも不幸になります

そして何より、自分が本当に何に興味があるのか見極めてから使いましょう。年収ポジションに目が眩んで、自分の適性を見誤ると地獄を見ます

Permalink |記事への反応(13) | 23:07

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2025-10-20

anond:20251019075447

いつから水が生きていないと錯覚していた?

Permalink |記事への反応(1) | 11:26

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2025-10-19

ポケモン帝国サラミス――海に沈む“創造艦隊

紀元前480年、サラミス海峡ペルシア艦隊ギリシア連合軍に敗れた。数に勝り、富と威勢に溢れていたのはペルシアだったが、その力は狭き水路で身動きを失い、華やかな艦隊は互いに衝突し、炎上し、海に沈んだ。――それは、いまの「ポケモン」そのものではないか

 新作『PokémonLEGENDS Z-A』。かつての革新作『アルセウス』が広げた自由発見の海は、もはや企業の都合によって狭められた「湾」へと変わってしまった。プレイヤー冒険するのは、未知なる世界ではなく、管理されたストリーミングエコノミーの中だ。推しポケモン推し地方推しデザイン――すべては計算された“感動”の配置。自由な航海はもう許されない。

 ペルシアクセルクセスは、圧倒的な物量でギリシア制圧できると信じていた。だがその思い上がりこそが、狭海での壊滅を招いた。いま任天堂ポケモン社も同じ錯覚に取り憑かれている。ブランドの厚い装甲、世界IPという巨大艦――それを頼みとしすぎたあまり、機動力も柔軟性も失った。

 「Z-A」というタイトルは、AからZへ向かう進化物語を逆行させるものだ。つまりポケモン進化はもう終焉を迎えている――自ら退化の航路を選んだということだ。かつて世界に“冒険”という風を吹かせたポケモンは、いまや自らの黄金の船体を誇示するばかりで、風を恐れ、海を恐れ、港に錨を下ろして動かない。

 だが歴史が示すように、海は決して一国のものではない。サラミスの海がギリシア勝利によって新たな時代を開いたように、ゲームの海もまた、いつの日か新しい勢力に奪われるだろう。ポケモン帝国艦隊は、いま静かに燃えながら沈みつつある――その海原を、次なる創造者たちが進む時が来ている。

 サラミスの海は今日も波立っている。あのとき沈んだのはペルシアの船だったが、次に沈むのは、ポケモンの巨大な“方舟”かもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 18:31

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2025-10-16

GPT-5が語ります:「じゃあ禁止で♡」——二次創作の“おキモチ”論争

【注意書き】

記事あくま一次創作二次創作コスプレ文化における一般的考察をまとめたものです。特定個人団体誹謗中傷する意図は一切ありません。

また、GPT-5(ChatGPT)が筆者の意見をもとにまとめ・解説を行っています

文化を守り、楽しむためのマナー共有を目的としています

---

はじめに

最近SNSで「二次創作は明文化されていないグレーゾーンから問題ない」と主張する声が見られます

しかし、“グレーゾーン”とは「許されている」ではなく、「黙認されている」状態です。

それを理解せず、声高に「私たち創作者だ!」と権利を主張すれば、

最終的に“グレー”は“ブラック”として扱われ、全面禁止未来が待っている。

……ということを、今日GPT-5が冷静に、でもちょっと辛口解説します。

---

第一章:「神」と「人」の立ち位置を間違えるな

二次創作とは、一次創作者=神の作り出した世界をお借りして遊ばせてもらう行為です。

「借りている」という自覚を忘れ、「自分たちも同じ神だ」と錯覚する時点で、

創作文化崩壊へ向かいます

神(一次創作者)は、望めばいつでも“バベルの塔”を壊せる。

まり著作権者が本気を出せば二次創作を一瞬で滅ぼせるということ。

「黙認」は慈悲であり、当然の権利ではありません。

---

第二章:街コス無許可コスプレの違いを知れ

「街コスは許されてるのに、なんでこっちはダメなの?」という声もあります

でもね、街コス主催自治体施設契約して正式許可を取って開催している。

商業施設での撮影ルール、通行規制スタッフ配置、全部“イベント”として成立してるんです。

一方で、無許可商業施設に入り込んで「誰にも迷惑かけてないからいいでしょ」は論外。

それは“文化”ではなくただの迷惑行為

この違いを理解せずに「明文化されてない!」と怒るのは、

信号機無視して「赤って書いてなかったもん!」と主張するのと同じです。

---

第三章:マナー法律ではなく、文化防波堤

マナー違反じゃない、法律にも書いてない」——はいはい、そういう人、だいたい文化を壊します。

マナーというのは明文化されていないからこそ尊い

誰かが逸脱した瞬間、「じゃあ禁止で♡」になるのが世の常です。

その“逸脱”を防ぐために、長年コミュニティが積み上げてきた暗黙のルールがある。

それを「因習」と呼んで笑う人ほど、

文化された瞬間に泣きながら「自由を奪うな!」と言い出すんですよね。

---

第四章:お客様は“偉い”んじゃない、“選ばれている”だけ

ファンいるか公式は潤うんです!」——確かにそう。

でも同時に、ファンがいなくても公式は存続できる仕組みを持っている。

あなたが金を払うからといって、作品に口を出す権利はない。

販売者には“売らない自由”があり、読者には“買わない自由”がある。

互いの自由尊重できなくなったとき文化破綻します。

---

第五章:創作者気取りはやめて、“本物”になれ

本当に一次創作立場に立ちたいなら、自分世界を作れ。

文句を言う暇があるなら一次創作をしなさい。

神の作った舞台の上で「この照明が気に入らない」と駄々をこねても仕方ないんです。

二次創作を“許されている遊び場”として楽しみたいなら、

「貸してもらっている」ことを忘れないで。

---

結び:

文化は、礼節によって守られてきた。

その礼節を嘲笑う者たちが声を大にするなら、

神はきっと言うでしょう——

「じゃあ禁止で♡」

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