
はてなキーワード:道路とは
そもそも、孫さんと組んでスターゲイトだのAIには大金を出すけど、宇宙開発はやりたくない、みたいなの、
結局トランプがその分野に対して個人的にどう思ってるかだけなんだよね…😟
同様に現政権の高市さんとか、片山さつきさんとかで不安になったのは、
今日のNHKはずっと見てたわけじゃないんだけど、点けっぱなしにしてたリビングのテレビから、
現政権には統一された国家観があるので、経済発展に自信がある、
ようなことを仰っていたのだけど、
国家観が必要だという意見は色々出てくるし、そこを否定するつもりはないんだけど、
でも、国家観なんて、人それぞれによってブレてるものなんじゃないの?😟
つまり、現政権の人間全員が統一した国家観を抱いているとしても、国民は違うじゃん…😟
俺の持ってる国家観と、俺の親族それぞれが持ってる国家観も違うんだろうし、
みんなが持ってる国家観は違うわけで、
俺はバカだから間違ってる可能性はあるんだけど、松下幸之助だろうが、安倍晋三だろうが、
ある意味神様だろうが、俺は権威がある人間が何と言おうが、自分の考えや信念が一応あるので、
まず、私は、何か考えを一つにするべき、という考え方が嫌いです
会社で社訓を朗読させられたり、チームプレイのスポーツでも多いです、チームの信念とかを統一させる
これは理解できる面もあるが、私はあまりそういう考え方が好きではない
例えば、交渉事があるとして、完全に人間同士が合意するなんて、不可能なのである
内心では、みんな何かを折っていたり、もしくは力がある人間が何かをゴリ押ししてるから成立している
そういうパワーバランスの元に成り立っていたりするのが現実である
私が個人的に、まあ理想論かもしれないが、望ましいと思っているのは、
みんながある程度バラバラの方向性を持っていたとしても、法的ルールとかシステムによって制御することで、
その代わり、できるだけ自主的に全体の方向に沿って流れてくれるように仕向けるのである
私は精神論で解決する、ということが嫌いであり、できるだけシステムで解決すべきだと思っている
社訓とか、統一された国家観のようなものは、確かにあるべきだとは思うが、全体を統一するのは難しい
もちろん、片山さつき氏が言いたかったのは、現政権メンバーのチームプレイが期待できる、という意味であることは分かっている
しかし、それと国民の国家観とがズレていたらどうするのか?すり合わせるのか?
私は、そういうすり合わせとかネゴみたいなものは、上述したように限界があることを分かっているわけで、
結論として、それはパワーゲームになり、最終的には政治家の国家観を国民に押し付けることで終わると思っている
もちろん、私はそれでも良いと思っている
例は悪いが、例えばナチスドイツだとしても、ナチスの国家観を国民に押し付ける、これはある意味では正しい、もちろん、ある意味では、である
システムという道路を先に整備し、みんながそのシステムに乗ってれば楽なんだ、と思うようになれば、国民は自発的にシステムに従うようになる
ここで、国民全体にも統一された国家観とか、教育勅語ではないが、国民全員に統一された方向性がなければ駄目、という話ではない
みんなの内心はバラバラであっても、とりあえずシステムに従っていれば楽である、損することはない、そういうシステムを構築することが重要である
松下幸之助や安倍晋三が何と言おうが、私は精神論や根性論が嫌いである
信号がない社会があったとして、精神論、根性論、国家観などで、交差点で衝突しないように気を付けろ、と言われるような話は私は嫌いである
まずきんたんこぞうが、これでも耐えられるのか?といってから、その場を殺人地帯にしてから、道路がわーっとなっているときに、このかたちをしているときは、となるから
園田晃也が都合が悪くなって特定の地域を眠らせているときは、書いても、そのかたちにならないから、そのかたちになるまで待つ必要がある
今のAIは頓珍漢だったり、知ったかぶりしたり、ウソをよく言うけど、
超AIが助言することはすべて正解なんだよ、もう有無を言わさない論理的裏付けで説明されちゃって、誰も逆らえなくなるの…😟
超AIが超最適化された社会を考えたら、みんながそれ通りに動く、そうすると凄い社会が効率化されて便利になるの
みんながAIの言う通りに行動することで、みんながそれなりに満足できる社会が実現されちゃうの
で、ある日超AIは、ゲーム理論とか囚人のジレンマみたいな話で、人間同士が殺し合った方が最適な社会になる、みたいな最終解を出して、
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
子供ってさ、いろんなものをいろんないじり方をして、そこから学ぶわけじゃん。
いろんなものを水に投げ込んで、これは浮かぶ、これは沈む、ということを学習する。
高いところからモノを落とすと壊れるのをみて、落下中に加速するということを学習する。
叩いて、切って、落として、水没させて、風や水流に乗せて、そういうことが学習なんだけど、そういうことって、なかなかできない。
現代社会には、叩いちゃいけないモノ、切ってはいけないモノ、落としてはいけないモノ、水没させてはいけないモノが多すぎる。
というより、家の中のほとんどのモノはそうだ。
じゃあ、野外に行けばいいのかといえば、野外だってそうそう自由にできるものは少ない。
歩道橋から道路に石を落としていいはずがないし、川に紙やビニールを投げてはいけない。
草木は抜くな、動物は殺すな、他人のモノは触るな、と言われてしまう。
自然科学よりも、人間社会のルールを先に覚えなければ生きていけない。
禁止事項が多すぎる。
というよりも、許可されたエリアで許可されたモノに対して許可されたことだけしかしちゃいけないようになってる。
例えば、赤信号では止まる、それを覚えないと都会で生きてはいけない。
もちろん、とりあえず理屈は抜きに周りの真似をするということは、現代社会じゃなくたって必要なスキルだ。
たとえ、サバンナで暮らしたって、不用意にライオンに近づかないとか、そういうことは覚えないといけないだろう。
しかし、それにしたって、現代社会のルールの数は子供には多すぎる。
前置きが長くなった。
本当につらかった。
興味が向くまま全部やって、怒ってもぜんぜん効かないんだもん。
歩道の路地への角付近が公有地がある関係で途中から広がってて、一番広がったところで路地と接続している。
路地からその歩道へとぶつがる交差点に進入する分には広がっている分より手前から見通しが利く。
しかし広がった分だけより道路から離れた側を歩く人はさらに見えづらい。角に災害用の物置みたいなのが置いてあるから。
路地の端を自転車で走っていてるとそのひろがっているところにある角にさしかかったところで広がってる側を歩いている人が急に見えたときにはぶつかるぎりぎり。
広がってるからって端を歩くなよ。広がる前から端にあった側溝の蓋の上を目安に真っすぐ歩け。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251022154643# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPh91AAKCRBwMdsubs4+SLFWAQCiGS8q788K5vnHiN2bHQdEA2YVJj4Q2+22Cz7wNw6wSgD+L9IV+Ka4hh4KcrpoG+EOjZ5c8q6q6cuImk/HyUYvuAA==DkNv-----ENDPGP SIGNATURE-----
了解。元の論旨(「現実を直視せよ」)に乗っかって、「縮小均衡でいい」という主張への反論をまとめます。
インフラ(道路・上下水道・鉄道・送配電網・自治体運営・救急/消防)は固定費が大きい。人口・納税者が縮んでも費用は比例して下がらない。利用者減→運賃/料金↑→さらなる離脱→ネットワーク縮退…と負のスパイラルに陥りやすく、安定均衡より「崩れの連鎖」になりがち。
日本は食とエネルギーを外から買って生きる国。外貨を稼ぐ製造業・サービスの規模が一定ラインを割ると、交易条件の悪化、通貨の弱体化、調達コスト上昇が重なる。さらに国防は規模の経済が効く分野で、装備調達・人員維持・技術基盤に下限の規模がある。ここを割る「縮小」は安全保障リスクを跳ね上げる。
均等に縮むならまだしも、先に減るのは生産年齢人口。要介護・医療需要はむしろ増える。結果、依存率の上昇で一人当たりの負担が加速度的に重くなり、医療・介護・年金の給付削減か増税のどちらか(多くは両方)を強いられる。「ほどよい縮小」で止まらない。
学校・病院・路線・商業は一定の需要を割ると突然維持不能になる(段階的ではなく飛び石的に崩れる)。廃校・病院撤退・減便/廃線→通院・就学が困難→転出→税基盤縮小…と、局所的な“均衡”は成立しにくい。
研究開発、人材育成、スタートアップ、部材・設備・サプライヤーの集積は人と資本の密度が生命線。縮小は需要・人材プール・風呂敷(市場)を同時に縮め、投資採算を悪化させる。結果、技術導入・自動化で埋めたい穴がかえって埋まらない。
税収基盤↓/社会保障支出↑/インフラ更新費は下がらない。どこかで(1)給付削減、(2)増税、(3)政府債務増の選択になる。債務増に依存すれば、わずかな金利上振れで利払いが公共投資を食い荒らす。これも均衡を不安定化させる。
平時の“ギリ保てる縮小均衡”は、災害・資源価格高騰・隣国の圧力といったショックで簡単に壊れる。冗長性・予備費・防災力が痩せるほど、社会は脆くなる。
この骨太の“勘定”が示せない「縮小均衡」は、実質「均衡なき縮小=衰退容認」に過ぎない。
「縮小均衡で十分」という言説は、固定費と最小実行規模、依存率上昇、ネットワークの臨界、地政学ショックを軽視している。多くの分野で均衡は連続的ではなく崖をもつ。ゆえに現実的ではない。
よくわからん専門性を出されて困惑している方々も居るかも知れないが、私は公園を専門にGoogleMapローカルガイドを投稿し続ける者である。
何故そんな専門性に至ったかと言えば、きっかけはよくある「子供が生まれたから」であり、子供が生まれて、その子供がブランコや滑り台や砂場遊びなどができるようになってくると多くの親は感じたと思う。
いや、そもそもGoogleストリートビューですら公園内部をキャプチャしてくれてはおらず、道路から遠目で公園を眺めることしかできず、子供を連れて遊びに行くとしても「トイレとかあるのかな?」と思っても確認が一切できなかったのだ。
その当時はまだまだ食べログが全盛だった頃、GoogleMapローカルガイドもほとんど話題になっておらず飲食店の情報すら非常に少なかった。私は思った・・・
思い立ったが吉日、私は以前から子供の写真を取るため欲しかったRICOH THETAとカメラ三脚を速攻で購入し、子供をベビーカーに乗せて遊びついでに近隣の公園を巡るというのを土日の趣味とした。
妻も「私も困ったことあるし私の良い息抜きにもなるし親子で遊んできて良いよ」と理解を示してくれて本当に色んな公園を巡ったのだ。
そんな活動を始めてたったの1ヶ月で驚きの成果が出る。私のローカルガイドの閲覧数がたったの1ヶ月で1公園あたり1,000Viewを超えたのである。私は確信した
やっぱりこれ需要あるじゃん!他のパパさんママさん公園の情報欲しかったんや!!!
冷静に考えればそうなのだ、地元就職であれ他の都道府県就職であれ新しく家庭を持てば生まれ育った土地から多少なりとも離れている可能性が高い。
私達は生まれ育った土地の実家の近くの公園はよく知っているが隣町の公園のことは場所を何となく把握していても、どのような設備があるのか全く知らないのだ。
あそこの公園には滑り台があるよ、ブランコが、鉄棒が、アスレチックが、あなた達は隣町の公園のことを知ってますか?知らないでしょう?私も知らなかった。子供が生まれてからそのことに気が付いた。
現代社会は少子高齢化とは言っても常に新規需要が喚起される公園ローカルガイドは確実に時間をかけて閲覧数や感謝のリアクションが付き続けて膨大な数に至るのだ。
ここからは公園ローカルガイドに載せておくべき情報を提供することで皆さんにも全国津々浦の公園情報をGoogleMapローカルガイドへ投稿する一助としたい。
これ以降の項目、例えば遊具などの写真は掲載されていた方が良いし、それが故にRICOH THETAの様な360°カメラの写真は非常に需要がある。
この情報が無いと駆け回れるほどの広さがあるのかどうか不明になるし、出来る遊びの種類が推測しにくい。
これは本当に大事。公園ローカルガイドのメイン情報と言っても過言じゃない。
公園によっては遊具が存在しない公園というか広場も存在するが、遊具が存在しない場合はその旨を明記しておいた方が良い。
滑り台が大小あり計2基で小型滑り台は乳幼児用の全高が低いもの。
ブランコが1基で座席数は4席、そのうち2席は乳幼児用の転落防止型、ブランコの鎖に持ち手カバーがなく指を挟む可能性あり。
砂場は1箇所で直径は4mほど、猫防止のネットはなし。
バスケットゴールリングが1基で1on1用、高さはおそらくバスケットボール公式ルール準拠。
子育てにおいてトイレの存在は非常に重要である。そしてトイレがなくとも水道を備える公園が存在していたりする。
トイレは大便器や小便器がどれだけの数があるのかしっかりと記述しよう。商店や大型商業施設基準ではなく「公園のトイレとして」どの程度の清潔さが保たれているのかも記述しておくと良い。
注意点として、公園の水道は通水がなされていない場合があるので実際に蛇口を捻って通水がなされているのか確認すべきである。更に冬季など季節によって断水される公園もあるので確認が可能であれば記述しよう。
極々稀だが公園にはボールや積み木、竹馬などが貸し出しされている公園もある。
子供を遊ばせる安全の判断、飛距離の出る球技(野球やサッカーなど)が行えるのかどうか?の判断が可能になる。
当然ながら休憩へ使うし、おむつ交換でも活用できるので大きさも重要なのだ。
ベンチやテーブルも一緒に併設されていることが多い。
樹木や芝生など。公園内林道が整備されている場合は林道も記述しよう。
これは乳幼児であればボール遊びで転んでも安心だし、成長すると虫取りする際の情報として活きる。
意外と需要のある情報で、遠方から遊びに来る親にとっては情報提供されていると助かる。
つまり、どんなに小さな公園であっても「駐車場は無い」と明言していてくれたほうが良いのだ。
最近は少なくなったが喫煙所のある公園もある。喫煙所が存在するのであれば記述しておいたほうが良い。
これは子供の健康を守るためだし、むしろ公園での喫煙は条例で禁止されていない限り合法なので逆に喫煙所を設けている公園のほうが姿勢として圧倒的にマシな方ではある。
公園は自治体条例や各々の公園で独自のルールが定められている場合がある。
大抵は立て看板や掲示板に記述されているので、その情報を記述しよう。
世知辛い世の中だが近隣住民の家屋が公園に隣接されている場合は余計なトラブルを招く可能性があるので、近隣家屋との距離は記載しておいたほうが良い。
そして、大半の公園は自動車も通行できる一般・生活道路が隣接しているので、その状況と自動車の通行量の情報があると親は安心できる。
例えばストレッチ用の器具があるとか、マラソン・ウォーキング用の道が整備されているとか、自転車がよく通行するとか、犬の散歩によく使われているとか、水場があり夏季は水遊びができるだとか、ポケモンGOのポケストップがあるのような特記したい情報があれば載せると良い。
現在最も閲覧されている公園(観光地ではない住宅地の公園)の閲覧数は約60万Viewです。
私はおおよそ4,000箇所の公園へローカルガイドを付けており、それぞれの公園は中央値で約15,000〜25,000Viewほどで推移してます。これが公園ローカルガイドの需要。
とげで自治会費二万円の話が出てるけどうちの地域は自治会費は安かったが、道路ができるということで国からもらった数百万のお金が綺麗さっぱり消えていた
調べたところ
・手書きの領収書で出してきた金額に対して平気で現物も見ずに金を払う
・どう見ても1000円だろ、みたいな代物を「1万で買った」とかいう訴えでその金を払う
・神社の水道代が2万でした、とかいうそんなわけねえだろ、をそのまま払う
・老人会の食事は一人1000円とか決まっているが金を払っていないやつが大量に押し寄せ、なぜか自治会がソレを込みで弁当を注文している
・なぞのお花代数万円、などが発生しているがお花は誰も見たことがない
などの老人達の闇が発生しており、しかも会計や自治会長は替わるのに誰も指摘しなかったという事実
これをやらかしていたのは町内の自営業のじじばば数人であったが、みな黙認していた
村八分が怖いとか言う謎の理由で自治会長や会計は黙ってじじばばたちの謎請求書に金を払っていた
自分の家が会計になった時にこの事実をしり、ふざけんな、とじじばばの請求書を片っ端から蹴り飛ばし、責任を追及したが、証拠はなく金はとれなかったが
自治会は悪意のあるやつや金にがめついやつが現れると腐る
悪いけどこういうことするの圧倒的に自営業の老人が多かった。普通に会社つとめしてる人たちは定年後でもきちんとしていた。会社つとめだとこんな横領なんてしちゃいけないっていう理性があるもんなと思った
月額1200円で14400円。これに神社費1000円と交通協力金が3000円かかる。年二万円。今は事情があって200円余分にとられてる。
要するにお祭りの補助金。屋台が練り歩く大きなお祭りと、季節ごとのお祭りがある。
なんだかんだと伝統がある。
1000円は自治会費として回収するもので、実際にはさらに寄附を集めている。ワイはさらに1万円と酒を出してる。商売のお付き合いです。
地域の道路の修繕費。カーブミラーを整備交換したり、消えかかった表示を直したり、落書きを消したり、崩れかかった路肩を治したり、防草シートを貼ったり、と言う地域でやっている活動に使われる。
住民税払ってるんだから自治体に出させろ、と言うのは正論で本来そうであるべきだが、昔からこう言う予算が集められていて過去の経緯。ただこれのおかげで道路や側溝が小ぎれいにメンテされている。
https://togetter.com/li/2617426
こんな記事があったので。
で、これたぶん事実じゃないよ。
自治会加入が100戸ととして3万円とったら300万の予算なんだけど、ビールとか出した程度でそんなに金いらないからそれにしか使われてないなんてことは考えられない。
なんつうかいつもの、よくしらんし知りもしないのに妙な言いがかりつけてる奴じゃないかと思った次第。
なお、ワイの自治会も、公式の懇親会は年に2回、花見と忘年会をやる。単位は「隣組」単位なので10戸とかでやる。会費制で補助は出ない。
都会の政治体あるいはテレビで映るところしか知らないと勘違いしがちだけど、地方の政治なんて未だに土地の有力者とかいったものの意見が通ったりする、前近代的なところが多いんだぞ。とても主体的に動いて欲しいものではない。しかも道路などのインフラ整備はその地域にとどまらず波及効果が大きいから、地域内だけで是非を判断したら常に過小供給になってしまう。地方の声を吸い上げ、全体で調整する、という必要があるんだから小選挙区制の方が適している。
素直に道路使わせればいいのに、麹町署が渋るせいでかなり広い範囲の歩道に散らばる
経費削減は投資と表裏一体
食料自給率向上
IT化推進
など
他にも色々あるだろう
喫緊の課題も投資の種類もいろいろあるが、投資が成功した結果としても、まわりまわって経費削減は実現できる。
観光客が多過ぎるために問題が生じる「オーバーツーリズム(観光公害)」に悩む神奈川県鎌倉市で、対策費への充当を目的に市が始めたクラウドファンディングが、開始後6日経っても寄付者がわずか1人の1万円にとどまっていることが産経新聞の取材で分かった。市の担当者は「趣旨を理解してもらいテコ入れを図りたい」としている。
観光公害が発生しているのは、江ノ島電鉄・鎌倉高校前駅近くの踏切。人気漫画『スラムダンク』に登場する「聖地」として海外でも知られ、海と電車の景色を目当てに多くの外国人旅行者が訪れる。ただ、道路への飛び出しや写真撮影、違法駐車、ごみのポイ捨てなどの問題が深刻化。市は対策費を予算に計上し、現地に警備員や誘導員を立たせたり、誘導用の柵を設置したりするなど対応に追われてきた。
今回のクラウドファンディングで集めた資金は、警備にかかる人件費のほか、警備員が手持ちしていた案内板を立て看板に替えたり、誘導柵を拡充したりする費用に充てる予定。市の財政負担を軽減する狙いがある。
資金の募集期間は10月10日~来年1月7日までの計90日間。目標額は350万円。希望者は1口2000円から寄付できる。市は、ふるさと納税の仕組みを使ったガバメントクラウドファンディングとしているが、返礼品はない。市観光課の担当者は「募ったお金で自治体の負担を軽減しつつ、オーバーツーリズム対策をするというモデルケースにしたい」と話している。
ただ、資金の集まり具合は低調だ。開始から6日目にあたる15日午後5時半の時点の募金者は1人で1万円。終了までには85日あるが、目標額に照らした達成率は0.2%にとどまる。
市の担当者は「このままでは達成は厳しい」と危機感を募らせる。今後は旅行会社、観光関係者、SNSなどを通じて資金募集への理解を求め、テコ入れを図っていく方針だ。
大部分が中国人観光客
他方、今回の資金募集に対しては、「なぜ外国人観光客の(行為の)ために支援をしなければならないのか」といったネガティブな意見もあるという。
https://b.hatena.ne.jp/entry/https://togetter.com/li/2616795
まあそうなるわな
そもそもなんだけどさ。小学校か中学校で異性と付き合う経験するじゃん、普通。
で、中学か高校でセックスするじゃん。そんな感じで付き合ったり別れたりしながら大学突入すると、自然とカレカノとゴールする下地出来上がるじゃん。
ここまでわかりやすく学んで恋愛する環境が整備されてる社会って日本だけなんだよね。
そもそもそこが虚無行動過ぎて意味わかんないんだよね。一般的な学生が普通にこなせる事が出来ないって割と重症。
教師も親も、学校では勉強だけじゃなく恋愛とコミュニケーションしなさいって散々言うじゃん。
そういうマニュアルがあるし、それに沿って生きると人生丸いっていうのが日本での普通な生き方じゃん。
義務教育の段階からコミュニケーションと恋愛の重要性を学校側が説いてるんだから、国としての支援って一通りやってるんだよね。
それでまだ恋愛ができないっていうのは相当人間社会から逃げてるし、人を好きになる才能が無さすぎるんだよね。
学校で何やってたの???教科書の文字を目でなぞってただけ???
共学に進学するような知能も資産も無いような人間の外れ値として生きる選択をした人が恋愛できないのは自明じゃん。
そんな社会生活の中で自然と体得できるはずの清潔感すら持ち合わせてないようじゃ、人間としてカウントできるかどうかすらそもそも微妙なのは分かるよね。
多かれ少なかれ思春期を悩みながら生きるのが学校なのに、悩む権利すら放棄してたら汚いままで好かれないって普通分かるでしょ?
そんな異性が寄ってきたら嫌じゃん、当然。
そういう人間として生きる当然のイベントは10代のうちに全部通過するようにできてる社会で私達は生きてるのに、何で恋愛できなかったの?
友達と思春期の悩みを相談したり恋バナしてると、自然と人に好かれる方法も人を好きになる方法もコミュニティの共有財産として知見がまとまって行くじゃん。
そういう共有財産にアクセスできない人間がどういう末路を辿っていくかは、子供の時から散々SNSの実例として学ぶじゃん。学校でも、家庭でも。
だからああいうアカウントにならないよう勉強して恋愛してコミュニケーションするべきだよね、って友達と笑い合う瞬間を人生のどこかで通ったはずだよ?
それとも友達いなかったの?
10代のうちに精神的にも肉体的にも異性を知ってる人のほうが多いんだから。
そういう社会設計で動いてる国だから。それなのに恋愛支援が必要だと本気で思ってるような人たちって、仮に支援された所で恋愛できるのかな?
一般的な学生が普通にこなせる事を20代になってようやくはじめる人が結婚までたどり着けると思う?
10代のうちに悩み抜いて知識を共有してきた人は恋愛市場から真っ先にゴールするよ?
売れ残りの人たちがバッティングするだけなのに支援が必要って、それ本当に支援だったっけ?
現実の拡大解釈からどうやって降りるかを再提案しなきゃ、悩むというスタートラインにすら立てないよ?
もちろん学生のうちに恋愛してたら人間って一人では生きられないって当然わかるじゃん。同棲や就職でどう家庭を維持していくか考えるわけだから。
だからわたし達はどの程度の収入を目指すべきだよね、ってのは逆行推論で自然と答えがでるじゃん。
漠然と代謝と呼吸を繰り返して生きてるだけの人間に具体性がある目標なんてあるわけ無いけど。
子供が欲しいね、って相談が始まった瞬間にいつまでにいくら必要かなんて秒で答え出るし、その水準に必要な仕事量が1人分で無い事は考えるまでもなく自明じゃん。
どう達成するかの詰将棋ってだけで。
だから収入が少ない事は恋愛できない事の言い訳にならないのは明らかでしょ?恋愛に必要なエネルギーを捻出するために仕事をしているんだから。
それを10代のうちに全部理解できるよう舗装された社会という道路を走っているのだから。
そもそもなんだけどさ。充実した恋愛と充実したセックスが充実した仕事を生むのは人類史の再確認でしかないんだよね。
だから皆どういう人に求められるべきなのか、どう好きになってもらうか各々考えるわけじゃん。
朝焼けの空に(C) 旗が立つ(G)「強い日本」(Am)と 声が響く(Em)
あの日の夢を(F) また聞かせてくれる(C)デフレの霧が(G) 晴れるという(C)
サナエノミクスと(F) 名はついて(C)三本の矢が(G) 飛んでゆく(C)
一つは国債(F)財政出動(C)二つは緩和で(G)お金流す(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Fm)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
| C GAm G |
老朽化する橋や(C)道路を見て(G)「国土強靭化」と (Am)投資を決める(Em)
「未来の危機に(F) 備えるのだ」と(C)大きな話に(G) 胸が騒ぐ(C)
三つ目の矢は(F)成長戦略(C)技術革新(G)投資を呼ぶ(C)
だが税の話も(F) 耳に残り(C)金融所得に(G)課税をかける(C)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
インフレの波が(F) 押し寄せると(C)生活費だけが(G) 重くなる(C)
「大丈夫」と(F) 繰り返すが(Dm)ため息ひとつ(C) またこぼれる(G)
ああ、風待ちの(C)エコノミクス(G)私の財布に(Am) 届くのか(Em)
株価は上がるが(F)物価も上がる(C)庶民の暮らしは(G) どこへ行く(C)
風よ吹け(F) 強く吹け(C)この政策が(G) 実を結びますように(Am)
ただ願う(F) 祈るように(C)明日を信じて(G) 生きてゆく(C)
CGAmFCGC
で、中学か高校でセックスするじゃん。そんな感じで付き合ったり別れたりしながら大学突入すると、自然とカレカノとゴールする下地出来上がるじゃん。
ここまでわかりやすく学んで恋愛する環境が整備されてる社会って日本だけなんだよね。
そもそもそこが虚無行動過ぎて意味わかんないんだよね。一般的な学生が普通にこなせる事が出来ないって割と重症。
そういうマニュアルがあるし、それに沿って生きると人生丸いっていうのが日本での普通な生き方じゃん。
義務教育の段階からコミュニケーションと恋愛の重要性を学校側が説いてるんだから、国としての支援って一通りやってるんだよね。
それでまだ恋愛ができないっていうのは相当人間社会から逃げてるし、人を好きになる才能が無さすぎるんだよね。
そんな社会生活の中で自然と体得できるはずの清潔感すら持ち合わせてないようじゃ、人間としてカウントできるかどうかすらそもそも微妙なのは分かるよね。
そういう人間として生きる当然のイベントは10代のうちに全部通過するようにできてる社会で私達は生きてるのに、何で恋愛できなかったの?
友達と思春期の悩みを相談したり恋バナしてると、自然と人に好かれる方法も人を好きになる方法もコミュニティの共有財産として知見がまとまって行くじゃん。
だからああいうアカウントにならないよう勉強して恋愛してコミュニケーションするべきだよね、って友達と笑い合う瞬間を人生のどこかで通ったはずだよ?
そういう社会設計で動いてる国だから。それなのに恋愛支援が必要だと本気で思ってるような人たちって、仮に支援された所で恋愛できるのかな?
10代のうちに悩み抜いて知識を共有してきた人は恋愛市場から真っ先にゴールするよ?
売れ残りの人たちがバッティングするだけなのに支援が必要って、それ本当に支援だったっけ?
もちろん学生のうちに恋愛してたら人間って一人では生きられないって当然わかるじゃん。同棲や就職でどう家庭を維持していくか考えるわけだから。
だからわたし達はどの程度の収入を目指すべきだよね、ってのは逆行推論で自然と答えがでるじゃん。
漠然と代謝と呼吸を繰り返して生きてるだけの人間に具体性がある目標なんてあるわけ無いけど。
どう達成するかの詰将棋ってだけで。
それを10代のうちに全部理解できるよう舗装された社会という道路を走っているのだから。
そもそもなんだけどさ。充実した恋愛と充実したセックスが充実した仕事を生むのは人類史の再確認でしかないんだよね。
だから皆どういう人に求められるべきなのか、どう好きになってもらうか各々考えるわけじゃん。
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