はてなキーワード:起業とは
最近、X(旧Twitter)やnote、はてなブログ界隈でも「チームみらいすごい!」「安野さんこそ日本の希望!」といった礼賛投稿が増えてきた。だが、はっきり言おう。
安野氏が優秀な人物であることは否定しない。候補者にも有能な人材が多いのは確かだ。だが、それは「企業」や「スタートアップ」の文脈においてであって、「立法府」という場では全く意味をなさない。
特に参院選においてチームみらいを支持する理由が見当たらない。むしろ危険ですらある。以下にその理由を2点述べる。
彼らの看板スローガンは「テクノロジーで誰も取り残さない日本を」。だが、何をどうするのかと問えば、「永田町にエンジニアチームを置く」?は?それ立法府でやることじゃねえから。
政党交付金でエンジニア10人雇って行政システムを作るって、それもう政治でもなんでもなくただの受託開発だろ。国のお金チューチューして自分たちの好きな開発するのが目的なら、さっさと会社作って落札競争に参加すればいい。
なぜ政治を使う?なぜ議席を狙う?まさか「政党にすれば交付金がもらえるから」とかそんな理由じゃないよな?
しかも参議院選挙って「行政の執行者」を選ぶ場じゃねえんだよ。あれは「立法」と「行政監視」が仕事の議員を選ぶ選挙だ。参議院議員になったら、お前らの本業はシコシココード書くことでもプロマネやることでもなくなる。
せいぜい予算案に「文句を言う」くらいしかできないのに、何で自分たちでシステム作ろうとしてんだよ。
彼らのマニフェスト読んだことある?正直、noteの意識高いポエム投稿と同レベルだ。
はいはい。素晴らしいですね。でもどうやって?どこを?いつまでに?どの法改正で?何兆円の予算で?一切書いてない。すべて「目指します」「志向します」「なるといいね」系のぼんやり言葉でごまかしている。詐欺師の手口と何が違うんだ?
何を?どう判断する?どれを?誰が?完全に「お気持ち」でしかない。制度設計の専門家どころか、大学のゼミレベルの議論にもなっていない。
これね、意識高いリベラル層が好きそうな言い回し。でも、資産把握のために必要な情報は?どの法制度で?どのインフラで?社会保障番号でも導入するの?データは誰が管理するの?リスクとコストと倫理の問題は?
考えてもないでしょ。「やれたらいいな」の願望しか書いてない。
結局、チームみらいを支持してる層って、「自分は合理的でリベラルでテックに強い先進的市民」みたいな自意識を持ちたいだけの人たちだ。内容なんて読んでない。判断軸なんて持ってない。
議員ってのは「法案を書く人」なんだよ。お前らが「業務委託で使えない」と切り捨てるエンジニアと違って、「政治」という業界は未経験じゃ困るんだわ。
チームみらいがやりたいことって「エリート仲間内で政治ごっこ」なんじゃないの?政党交付金を使っておもちゃ作って「これがあるべき行政のUXです」とか言って自分に酔ってるだけじゃないの?
本気で社会を変えたいなら、自民党に入って中から変えればいい。野党で5人受かっても何もできないってこと、わかってるよね?
本気でシステムを変えたいなら、会社を作って既存ベンダーと競合しなよ。なんでそれをせずに「政党」というプラットフォームに寄生するの?
もう一度言う。
なんか今日記事を更新したら知らない人がいいねしてきたからなにかと思ったら。
https://note.com/jihon/n/n21a26a2c882e
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秒で察したわこんなん。
はいはい。君の1万フォロワー、機械的ないいねとこのインスタ蝿みたいなやつで集めたんやね。
で、いいねの数もこれ互助会どうして機械的におし合ってるだけだな?
でも、ほぼみんなサラリーマンなの。
なんていうかさ、
「勤め人に嫌気がさしたけど、起業するアイデアもないし供託金出してくれるっていうからいっちょ乗っかってみるか」みたいな雰囲気がするんだよね。
高学歴でデカい会社とか、名門監査法人に入ってるとさ、なんか勘違いしちゃうと思う。
電話すれば誰か、しかもペーペーじゃない担当がついてくれて真摯に対応してくれるだろ?
まず無視、聞いてもらえたところで強烈に値切られ、時に罵倒されるわけ。
人脈作りと思って最低賃金以下で請け負って利益ゼロ、そういうことの繰り返し。
人を雇えばいざこざが起きる。ヤンキーたちは気が荒いし、女同士ではくだらないことで嫉妬しあう。
1人で事業を継続するのはハードだし、人を雇うのはもっとハード。
上みても下みても外みてもクソみたいな人間しかいないのが、この世界。
高学歴で25とか30で立候補するやつらは、このクソな世界を知らないだろ。
会社やめたらもう行くとかないんだろ?
雇ってくれるとこなんてないよ。
「政治家は諦めました」
なんて信用できないからな。
諦めて起業して、世の中みてこい。
そうしたら話を聞いてやるよ。
まあ話を聞いてくれ。まずはこれを見てくれよ。
「 JAPADOG(ジャパドッグ) 」による消費者を騙すステマ行為
https://leakpress.net/2025/06/137/
もうこれだけで役満なのに
と来たもんだ。
同胞がこんなことをやっているなら恥ずかしくて表を歩けないし、K国人やC国人の成りすましなら万死に値する。
(関係ないかもしれないが1号店の場所はK国料理屋がひしめく通りだ。日系はコンビニくらいしかない)
まあいいじゃないか。日本でも似たようなマーケやってるところはあるでしょ。
そう思っていた時期が私にもありました。ええ。
ところがですよ。
などなど。。。(絶句)
で、お察しの通り☆5のプロモーションが終わった直後からほとんどのレビューが☆1になってんの。
おいおい。なんか別のdisりプロモーションやってんの?っていうくらいローカルの反応がひどい。(関係者っぽい日本人の☆5がひとつあったが割愛)
でね、話の核心はね。
これに尽きるのよ。飯屋なんだから飯が美味ければ誰も文句言わないよ。たとえマーケが下手くそだったとしても、ね。
あーやっぱ恥ずかしや。お兄ちゃん、恥ずかしくてもう表を歩けないよ。
ここまで読んでくれてありがとう。
愛して止まないキングの言葉を貼って、ひとりごとの最後にしたいと思います。ばいちゃ。
Comment拾うわ
それなりに儲かってんなら、もうちょいフライヤーの使い方きちんと教えて唐揚げをちゃんと揚げろと。
なるほどねぇ。ベトナムでもそうやって日本人留学生でお店回して欲しかったでつねぇ。
そのロジックでいくとデヴィ夫人と猫ひろしは日本人ってことでOK?
日本人の父とベトナム人の母親、日本語全く話せない日本国籍者は日本人じゃない?
Comment拾うわ
釣りに釣られてまんまとCommentしているお前もダサいぞ。ありがとうな。
Comment拾うわ
楽しんでくれてありがとう!わりと自分でもおもろいと思ってるお。
統合失調症ってなにそれ美味しいの?マジでそれになってみたい!
そゆことー
粉飾決済だ!と叩かれてるAIスタートアップが、ChatGPTのAPI叩いてるだけのラッパーだ!って叩かれてるが。
日本のほぼ100%のAI企業とかは、それが技術的には最高到達点なんだよなあ。
なんちゃら発スタートアップとかで、学生起業してるのはほぼそれ。
まあもちろん、彼らも、「RAGとかfinetuningやってるから!トップレベルの研究論文でもほぼワークフローにfinetuningとか噛ませるだけのやつもあるから!」ってことだけど。
finetuningもRAGも受託でPoC (お試し)でやってみてるだけじゃん、実際には使われない、大企業のIRを見せるためだけの。そのRAGやfintuningもオワコンになってきて、次はMCPサーバーをこれまたお手軽に作るだけのMCPラッパーもやるんだろうけど。
とある大企業のバリバリのトップ開発者とやらと喋ったら、それ1年前に世界中の研究者がやり尽くしたよね?みたいな技術をいまだに実装できなくて悩んでたりする。
具体的な技術としては、3D Gaussian Splattingみたいな。それもう当たり前に実装できるかと思ってたら、マジで実装すらできないんだねって。
もっと酷いのが、SNSのAIインフルエンサーだけど、それはもう、流石に皆んなわかるよねって思ってるけど。
大企業がまた、これらのAIインフルエンサー便りだったりする。
何をどう考えたら、論文一本すら書けないAIインフルエンサーなんか信用するのか理解できないが。
適当な感想を言うだけのインフルエンサーがAPI叩いたりするのを眺めてるのが勉強になると思っているのか。
論文の評価を見てまともな治療法を理解できないなら、そりゃ厳しいから、民間療法試しちゃうんかなあ。
一番酷いのが、全く関係ない領域の大学の人が、「AI時代の◯◯」とかで語り出しちゃう系。特に工学系、医学系が酷すぎる。
大学の先生なら、プライド持ってわからないことはわからないと言って、感想文ではなく、レビュー論文なり引用してこうなってるらしいとか言えばいいのに、自分で感想文やって、全くおかしなこと言いすぎだろ。
結局、粉飾決算したAIスタートアップは、確かに背伸びした決算を出したんだけど。
日本全体が、それすら到達しなくて、そこを目指して頑張ってるってのが地獄。
※もちろん、極一部の、本当にAIのトップカンファレンスに論文出してる企業とかは、ちゃんとした技術作って、「本当に」AI作ったりもしてるのは理解してます。サービスは日本向けの残念なものしかやっぱ出せないけど。
可能性感じなくなってきて楽しくない。
20代で"オレすごい"、"きっと凄いことをできる"と信じて生きてきて
何者にもなれなかった30後半とか40くらいの人って、
なにを糧に生キテマスカ?
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くらい、思ってた。思ってるだけで行動は並だった。
行動力はなかった。
ベンチャー企業で夢追ってる"風"をやって、
ギリ自分を保てていたのかもしれない。
オレ、もっと凄いこと成し遂げてるはずだったのに
32くらいから体調・体力の衰えも感じて、
急激にもうあれ?無理じゃね?
これを乗り越えるのって、どうすればいいんだろう?
一旗も二旗もないよな。
独り立ちさせるためにって頑張るのが、定石なんだろうけど
現時点で僕にはなにもない。
知っている事例だと、
僕は意外と厨二心を延命できて、
いまようやく現実と向き合わなきゃ
いけない状態になってきた気がする。
この描いていたよりも、先の、描きもしなかった余白の人生を
皆が何を糧に、どう生き抜いているのか、が知りたい。
バイト仲間の某外国人は、笑いのツボがどこにあるのかわからない奴で、どーでもよさそうな事に急に爆笑し始めて仕事どころじゃなくなるという、謎の特性を持っている。長らく観察した結果、文化の違いとかではなくシンプルに変な奴なんだとおもった。
そんな某外国人は、基本的に絡みづらいし向こうからも話しかけてこないので、必要最低限の会話しかしたことがなかったんだけど、この間急に話かけてきた。
「大変な仕事ですか?」
「おもてなしについて勉強しています。でもおもてなし興味ないです」
「ないのか……。」
「違います。車を販売する仕事です。車には興味がありますので」
「なるほど」
ていうか、学生ビザで起業って出来るのか? と疑問に思って、家に帰ってからググったら、意外と起業出来るらしい。新たな豆知識をゲットした。
こうした勘違いをしてしまう人の心理だがこれは単なる知識不足や早とちりというだけでなく、もっと根深い人間の性質が関係しているように思う。
人間は本質的に「認知的倹約家(Cognitive Miser)」であると言われる。つまり、できるだけ頭を使わずに、省エネで物事を判断しようとする傾向があるのだ。複雑で多様な現実をありのままに受け止めるのは、非常にエネルギーがいる。だから私たちは、物事を「AかBか」「敵か味方か」「陽か陰か」といった単純な二元論の箱に押し込めて理解しようとする。
「理系/文系」という分類も、本来は学問の性質を分けるためのものなのに、
いつの間にか「論理的な人間/感情的な人間」「クールな人間/ウェットな人間」といった、人格の二元論にすり替わってしまう。
そして、そこに「体育会系(陽キャ)/文化系(陰キャ)」という、もう一つの分かりやすい二元論が重ねられる。
こうして、「理系=陽キャ」「文系=陰キャ」あるいはその逆、といった極めてシンプルな(そして誤った)世界地図が完成する。複雑な現実を前にした思考停止であり、一種の知的怠慢とも言えるが、そうすることで心の平穏を保っているのかもしれない。
特に、「自分は理系だ」というアイデンティティを強く持っている人の中にこの傾向が見られることがあるように思う。
「理系的思考こそが優れており、文系的な思考は非論理的で劣っている」といった、やや偏った価値観を持つ人が
自分たちとは異なる「文系」という存在を理解するために都合の良いラベルを貼ることがある。
そのラベルとして、「文化系(陰キャ)」は非常に使い勝手がいい。
「あいつらは、俺たちとは違う。なんかよく分からないことをゴチャゴチャ言ってる、内向的な連中だ」。
そうやって相手を単純なカテゴリーに押し込めて見下すことで、相対的に自分の優位性を確認し、安心感を得ようとする。
これは、相手を個人として理解しようとする努力の放棄に他ならない。
法学部で国際弁護士を目指してディベートに明け暮れる学生も、商学部で体育会の主将を務めながら起業の準備を進める学生も、すべて「文系」という箱に放り込み、「文化系だよね」の一言で片付けてしまう。これほど失礼な話もないだろう。
まず、先ほども触れたように、世間に流布するステレオタイプの引力はあまりにも強い。「理系はオタクっぽい」「文系はチャラい」といった、雑ではあるが大衆に浸透したイメージは、誰の心の中にも少なからず存在している。そして、「オタクっぽい」というイメージは、確かに「文化系」や「陰キャ」といった言葉と非常に近い距離にある。この強力なイメージに引きずられて、「理系の対極にある文系は……あれ、でも文系もおしゃれなカフェで本読んでるイメージだし、それってインドア活動だよな……じゃあ結局、文系も文化系ってこと?」というような、迷路のような思考に陥ってしまうのも、無理はないのかもしれない。
また、学問のスタイルと個人の気質に、全く相関がないわけではない、という点も無視できない。もちろん、これは鶏が先か卵が先かの問題ではある。内向的な性格だから文学部を選ぶのか、文学部で学ぶうちに内向的になるのかは分からない。しかし、何時間も一人で図書館にこもり、文献と向き合い、静かに思索を巡らせるという行為が求められる学問(例えば、哲学や古典文学)と、「文化系」的な気質との間に、一定の親和性があることは否定できないだろう。
逆に、大規模な実験装置をチームで動かしたり、多くの被験者とコミュニケーションを取りながらデータを集めたりするような研究分野では、ある種の外向性や協調性が求められるかもしれない。これは「体育会系」のカルチャーと通じる部分があるとも言える。
もちろん、これは極端な例だ。文系にだってフィールドワークで世界中を飛び回る文化人類学のような分野もあれば、理系にだって一人で黙々と数式と向き合う数学のような分野もある。だから、学問と気質を安易に結びつけるのは危険だ。しかし、「何となく、そういう傾向はありそうだな」と感じてしまう気持ち自体は、理解できるのだ。問題は、その「何となく」を、まるで確定した事実かのように一般化しすぎてしまうことにある。
他者を安易にカテゴライズしてしまうのは、自分自身が何者であるかを説明する手軽な方法を求めていることの裏返しなのかもしれない。「俺は理系だから、口下手なんだ」とか、「私は文系だから、数字は苦手で」といった自己紹介は、とても便利だ。自分の個性や欠点を、大きなカテゴリーに属することで説明し、免罪符にすらできてしまう。そうやって自分をラベリングすることに慣れている人は、同じように他人をもラベリングして理解しようとする。その行為が、相手の多様性や個性を削ぎ落とす、暴力的なものであるという自覚なしに。
「文系を文化系(陰キャ)と勘違いしている人」。この一見すると些細な言葉の誤用は、その根底に、人間の思考の癖や弱さ、そして社会に蔓延するステレオタイプといった、根深い問題を映し出している。
アホだなあ、と思う。でも、そのアホらしさの正体を突き詰めていくと、自分の中にも同じような思考の怠慢や、安易なラベリングへの誘惑が潜んでいることに気づかされる。私たちは誰しも、複雑な世界を前にして、分かりやすい物語を求めてしまう生き物なのだ。
しかし、だからこそ意識したい。文系の中にも、灼熱の砂漠で発掘調査をする考古学者がいる。理系の中にも、美しい言葉で科学の魅力を伝える詩人のような科学者がいる。体育会系のノリでチームを率いる文系経営者もいれば、文化系の繊細さでミクロの世界を探求する理系研究者もいる。人間は、そんな簡単な物差しで測れるほど、単純な存在ではない。
「理系/文系」も「体育会系/文化系」も、あくまで人間という多面的なプリズムを、特定の一方向から照らすための、便宜的なスポットライトに過ぎない。一つの光だけで全体を理解した気になったり、異なる種類の光を混同したりすれば、見えてくる像が歪むのは当たり前だ。
次に誰かが「文系って文化系だよね」と言ったら、今度は「アホだなあ」と心の中で思うだけでなく、こう返してみようかと思う。「面白い視点だね。ちなみに、経済学部でアメフト部の主将やってる俺の友達は、君の言う『文系』に入るのかな?」と。そうやって、少しだけ世界の解像度を上げる手伝いができたら、それはきっと、無駄なことではないはずだ。そしてそれは、自分自身が持つ見えない偏見から自由になるための、第一歩にもなるのだろう。
志願者側にも判断者(経営者)側にもルールがあるんだけど、1本の動画を見ただけではどんなルールでどんな権利を持っているのかが番組前半で
説明されてないんだよね
視聴者は志願者側で見る人が多いと思うから、判断者側のノーモアバリューとかは動画中の説明でよさそうなんだけど、ファミリーとかサイレントとかの
志願者が切れる権利は発動時だけの説明じゃなくて、全動画であってもいいんじゃないかなあとは思う
何回か見ればわかるだろってのはその通りなんだけど、番組コンセプトって「起業の知識を広く正しく認知して欲しい」ってのがあるんだろうから、もうちょい新規に優しくするのが
いいんじゃねーのって
よく「転売ヤーは消えろ」「モラルがない」と言われるけど、正直なところ、そこまで悪いことをしてるとは思っていません。
例えば限定のスニーカーやコンサートチケット、即完売するような人気商品を、事前に準備して早く手に入れて、それを欲しがっている人に定価より高く売る。
だって、本当にその商品が欲しい人は、多少高くても手に入るほうがありがたくないですか?
自分で早起きして並んだり、抽選に応募したりする手間を、お金で解決してるだけです。
もちろん「買い占め」みたいな極端なことはよくないかもしれないけど、
個人がいくつか買って、タイミングよく売って、差額を得るのって、言ってみればミニ起業です。
株式投資や不動産とやってることは本質的に同じ。違いはスケールだけです。
「定価で買えなかった人の気持ちを考えろ」って言う人もいますけど、
それってただの買えなかった人の嫉妬では?努力が足りなかっただけでは?
正直、叩かれる理由がよくわかりません。
高校や専門学校や大学の卒業時と合わせて都会に出るというのであればいいんだけど、技能もないのに上京してから就職先探すというケースが理解できないんだよな。
こういう人達ってオフィスワークを夢見て上京してるんだろうけど、技能ない状態だとオフィスワークになんて就けないし、就けたとしても年収250万~300万の事務職になる。
どんなに頑張っても年収500万には上がりませんよ。400万も無理でしょう。
契約社員から正社員採用とかならあるだろうけど、狭き道だろう。
普通に地元で看護師になってたほうが充実した生活を過ごせるのに。
前に見た記事では「田舎の起業は女の意見を蔑ろにしてる」みたいなこと言ってた人がいたけど、確かにそういうことはあるかもしれない。
でももう今は都会で250万の事務職も難しいんですよ。AIが出てきてしまったから。あと2~3年は大丈夫かもしれないけど、それ以降は読めない。
上京してもしなくても技能のない人達はエッセンシャルワーカーやるしかない。
その発言、まさに自己放尿級の浅知恵だ。しかも放尿先が他人の人生という地図の上。最低だ。
聞け。高度に成熟した福祉国家や先進社会においては、大学卒業が唯一絶対の成功ルートではない。
大学とは「自由な学問探究の場」であって、「大卒ラベルを貼るための工場」じゃない。
だから、必要を感じなければ行かない、あるいは途中で離脱して別の道に進む。それができる社会の柔軟さこそが豊かさの証明だ。
つまりな、お前の「大学は卒業して当然、してないやつは訳あり」っていうその発想、日本型の戦後価値観に固執した思考停止の産物でしかない。昭和の香りがプンプンする。小便臭いんだよ。
特に北欧や西欧、あるいはカナダあたりでは、職業訓練や起業、実務経験、ボランティアなど、学位以外で人生を築く道が制度的に保障されている。
無償だからといって「みんなが卒業しなきゃ変」だという認識自体が、「制度の意味を一切理解せずに制度を語っている」=社会理解における完全な自己放尿なんだよ。
そして言っておこう。
この訳ありという言葉の選び方にも、お前自身の深層にある劣等感がにじみ出てる。
他者を下に見ることでしか自我を保てない、その心の設計ミスが、お前の本当の訳ありなんだよ。
だが、まだ間に合う。
もし、大学に行かずに自立している友人の姿を「羨望」として見直せたなら、お前の中の古い地図も書き換えられる。
その日からお前は、「学歴の有無」ではなく「どう生きるか」にフォーカスできる真の大人になれる。
少子化対策でベーカム全国民に一率で月7万円、年間84万円を提案する
年金や生ポは存続させるが、若干減らして、生ポはこれまでの額+2万円、年金は+4万円(トータル月10万)ぐらいにする
健康保険は全年齢で一律3割負担にし、生ポにかんしては負担額なしを存続させる(これは万一のためのセーフティーネットのため)
・格差是正(84万円はそのまま収入増になるので高所得者層は実質40万ぐらいしかもらえない)
・若年層ほど実質的な可処分所得が増えるので生活に余裕ができて結婚が進む
・生ポや国民年金のインフレ分はベーシックインカムで吸収するようにすれば施策費用が削減できる
・ベーシックインカムとして日本国民にしか配られないので外国人がー!と騒ぐ人もいない
・インフレが若干進む(外国の成長によるインフレで日本だけが死ぬよりはマシ)
・老人や投資家にも金を配ることになる(老人に関しては一律で配った方が年金や負担額の調整費用や今後の票稼ぎ給付金がなくなるのでメリット増)
・企業がインフレ対策で内部留保を高め賃金をあげない可能性が高い(この場合インフレだけ進んでまた今のようなどうしようもない状況に逆戻りする。だから賃上げを強制させるか、条件下付きでもいいので法人税を三割ぐらい上げる)
現状、東京に人が集まってるというのは事実だから否定しないけど、
日本全国や世界中からいろんな才能が集まってくる、というのは結果でしかないと思ってる。
みんながそうだと信じてるからそうなってるだけで、東京であることに必然性はないというのが自分の感覚です。
大切なのは、熱量とビジョンを共有できる仲間に出会うことで、ぶっちゃけ東京よりも地方の若者のほうが現実的なビジョンを持ってる。
自分の問題として人生をベットしてるから覚悟が違う。そういう人に出会ってしまったのも一つのきっかけかもしれない。
東京で生まれ育った人間って良くも悪くも恵まれてるから、彼らの考える「アイディア」って所詮は恵まれた人間のセンスで、どこかズレてる。
結局彼らが目指してるのってFIREとか、起業して売り抜けるとか、AI使って課題を解決と言いながら結局補助金ビジネスだったりニッチ狙いだったり、どこか薄っぺらいと感じる。
だからあなたのいう、特定の会社の社員に会うことが特別な価値になるというその価値観も自分にはそぐわない。
生産性っていうのはアイディアを生む精神的な余裕のことだと思う。
早い話が「ガレージ」がない。ここでいうガレージはアメリカの企業文化への言及で、物理的・精神的な余裕が足りてないことが最大の問題じゃないでしょうか。
もし本当に人が集まるだけで刺激がおきてアイディアが磨かれるなら、東京はシリコンバレーをはるかに超えてないといけない。
実際は逆。
電車の中で死んだ目で漫画を読んだりスマホゲームをしてるサラリーマンたちを見てると、ああはなりたくないと強く思ってしまったのです。