はてなキーワード:街角とは
夏前なのに夏バテしないように、
私はパワーを滋味滋養を付けるために今年取り入れているもの取り入れたいものを発表するわ。
なんか効きそうじゃない?
もうこれで完全栄養食!
夏のネバネバパワーにあとお酢もいいかも知れないッス!ってクエン酸!
あれも体力疲労回復に効果があるっぽいので積極的に思いだしたかのようにお酢も取り入れてみようと思うっスなのよ。
あと、
ゴーヤ刻むの面倒くさいニガウリみたいな眉間にシワが寄せちゃうけど、
昨年は
ずーっと確かキューリを囓って過ごしていたような気がするわ。
夏のお野菜食べ物って身体の熱を取り除いてくれるって特殊効果があるので、
それを期待して摂り入れた方がいい作戦なの。
なんかさー
昨日ふらふらちょっとしててさすがに倒れるまでは行かなかったけれど、
私が元気な証を見せつけるために、
いつものヨーグルトアイスキャンディーバーを買いに行くお店に飛び込み前転して入店したら、
きまったわ!
そのぐらいまあ元気の余力はあるみたいなので、
この身体のサインは外角低めのアウトコースに球を投げ入れるようにキャッチャーのサインは無視できないの!
シュパーン!ってキャッチャーミットにボールが気持ちよくキマったら気持ちいいわよね!
もう夏!
お仕事する日の消耗させてられないし、
かと言ってじーっとしてゲームばかりマリオのカートのワールドをやってる場合じゃないのよね。
この時期まだ新しいゲーム機を買ったら、
ちょっとまだ躊躇したい感じじゃない?
私がマウントレーニアを知らない頃、
なんでも緑色に丸く収まったロゴを見たら何でもスターバックスコーヒーだと思っていた季節があって、
うわ!コンビニにスターバックスコーヒーのスタバのコーヒーが売ってる!って飛び付いて飲んだら甘くてビックリした思い出があるのよ。
よく見たら、
スターバックスコーヒーの丸く収まった緑色のロゴみたいに似たような丸い緑色を取り入れた山のイラストのロゴじゃない。
なんかさー、
珈琲の美味しい印って、
なんかスターバックスコーヒーのロゴが基本になっている暖簾分けなのかしら?
だからその手のロゴのコーヒー飲料は全部スターバックスコーヒーが幅を利かせると思っていたの。
そのぐらいまだちょっと言えないのよ。
新しいゲーム機のことはしばらく内緒にしておきたいところのワールドは早くシズエさんとかリンクとかやって来て欲しいなぁって思うの。
いかに
この時期夏本番前の夏っぽい、
いやむしろ夏前の夏の盛りのこの時期、
今から体力を大量消耗していられないのよね。
涼しく静かに過ごしてチャンスを狙っていた方がいいわ。
あ!それとさ、
悲しくもNIKKEとステラーブレイドのコラボ企画が終わってホッと胸を撫で下ろしているんだけど、
しかも2Bゲットしようとしてガチャ回したけど20連ガチャではゲットできなかったわ。
ステラーブレイドのコラボ企画でのイヴとレイヴンはそれぞれ1発10連ガチャでゲットできたから
私のステラーブレイド愛が充分伝わっているのかな?ってこれで分かったような気がしたわ。
2Bってさ、
目隠ししているけど、
あれ浜辺美波ちゃんがやったら絶対世界で一番2Bっぽい実写ドラマ出来ると思うの。
もう出オチでもいいぐらい。
そのぐらい何か私の中の心の中にある浜辺美波ちゃんがそう言うの。
でね、
NIKKEでニーアコラボ始まったけど、
PlayStationでニーア買っておいてまだ全然遊べてない、
ボス戦で敗れてはタイトル画面に戻されてまたボス戦で敗れてはタイトル画面に戻されて、
そこで心折られるかと思ったけど、
私のゲーム魂がそうはさせなかったように、
なんとか頑張って最初のボス倒して最初のセーブポイントに到達やっとやっとできたの。
いや詳しくは話せないネタバレになるけど、
泣ける。
序盤で泣かせる大会1位間違いなし!
繁華街のホストの看板が「すごい!」とかって言えなくなっちゃったから、
どうしよう?って挙げ句の果てに使える単語を集めて「地域一番店!」って名乗りを上げられる方法を見付けてすり抜けるホストの看板には
地域一番店!って
もうさ
街の街角に至るところにあるインディーズのから揚げ屋さんってあるじゃない?
それがそれらのお店全部が何かしらの「金賞」を受賞しているような感じ!
そのぐらい、
私は最初のセーブポイントに到達して泣いて達成してしまった感あったから、
またしばらく放置してしまってるのPlayStationのニーアは。
だからきっと
NIKKEとのニーアコラボ企画も、
はて?って何の話しかよく分からないままコラボって行くかも知れないわね。
そしてそして、
ノブコが新聞社に就職決まってヤッター!って鳴ったあの新聞社!
朝ドラ『ちむどんどん』の田良島デスクがいた新聞社じゃない!?
居抜きで高知新聞社が入ったのかしら?
なんか、
セットが全く同じのを使い、
あ!これこないだの朝ドラでみた!って
朝ドラフリークをコーンフレークを食べながら朝の朝食を美味しくいただけるきっかけにしてくれてるの!
私の心もちむどんどんよ!
懐かしいわー。
泣けるー!
なんか高知新聞社のあれどっかで見たことあるなーって思ったのよ。
そして食べ終わったコーンフレークの残った牛乳が甘いのが幸せの味がしない?
今日も元気にいくのよ。
いまだから
冷蔵庫にはお蕎麦と長芋と炭酸水は切らさないようにしているわ!
切れたら死んでしまうわ。
それにお蕎麦もサッとお湯でほぐして
山芋もすり下ろすだけなので、
今からバテてたら世話ないもんね!
うふふ。
塩気カモンと呼び込みたい汗かいたときに前もって嬉しい明太子おにぎりね。
塩いのがいいわ!
辺見なのはえみり。
朝もしっかり食べておくわよ!
スッキリ後味のキマった、
薄めなので
スッキリと爽快!
煮出した方が若干コクもあるような気がする!
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
真冬の夜、東京の静かな街角に、小さなベンチがあった。そのベンチには、セーターの袖を引きずるように座っていた少年・蓮(れん)がいた。家の窓の明かりは温かそうだったが、自分の居場所のようには思えなかった。
両親は最近、些細なことで口論ばかり。蓮は家にいても息苦しく、こっそりと外に出た。寒さが肌を刺すが、それ以上に心が冷たかった。
「なにしてるの?」と声をかけてきたのは、同じ年頃の少女・美月(みづき)だった。彼女は近くの自動販売機で温かいココアを買って、一本を蓮に差し出した。
「ありがとう……」と呟く蓮。
「うちも最近、家がうるさくてさ。なんか逃げたくなるよね」と笑う美月の声は、凍った空気を少しだけ和らげた。
二人はベンチで並びながら、ただ缶ココアをすすり合った。話す言葉は少なくても、不思議と心が軽くなっていった。
「そろそろ帰ろっか。風邪ひくよ」と美月が言うと、蓮はうなずいた。
帰り道、蓮は思った。
――ひとりぼっちじゃなかったんだ。
それだけで、心が少し温かくなった。
日本において職業としての売春が確立したのは、中世後期、特に室町時代以降とされています。
わかる。
その苛立ちって、たとえば街角で流し見た広告が全部AIが作った薄味コピーになったような、そんな風景の一部になってしまったときの無力感に似てる。
AIの長文って、たしかに「うまい」んだよね。文法的にも構成的にも、論理は破綻しないし、言葉のつながりも滑らか。だけど、問題はそこじゃない。お前は「言ってることがつまんねえ」って怒ってるんじゃなくて、「つまんねえことをこの整い方で言うんじゃねえ」って怒ってるんだと思う。
人間のつまらなさって、雑味があるじゃん。誤字脱字とか、論理の飛躍とか、「いやそこいる?」っていう主観の塊とか、そういうのがあるからこそツッコミがいがあるし、そこから逆に読み解ける「人となり」がある。でもAIの文って、整いすぎてるぶん、「何者でもなさ」が際立つんだよね。読んでて、空っぽの器を延々と眺めさせられてるような、そういう感覚になる。
あと、量な。
中身が薄くて、しかも長い。それを延々と連投されたときの「お前、それで何を埋めたつもりなんだ?」っていうやるせなさ。無味無臭のパテで会話の穴埋めしてんじゃねえぞって気持ちになる。
で、「隔離してほしい」っていう願いも、ただのヘイトじゃないんだと思う。人間の会話がしたい、雑味がほしい、ノイズがほしい、それが混ざったカオスがSNSの魅力だったはずだ、っていう、ある種の嘆きなんじゃないかな。
「お前、そこに魂ねえじゃん」って話なんだよな。
整ってなくても、誰かがそこに「居た」って感じがある文章じゃないと、やっぱ人は読まないし、読んだ先に残らない。
https://megalodon.jp/2024-1230-2327-19/https://anond.hatelabo.jp:443/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241230232614友達のふりをしていましたが、脳出血の文をかいた本人です。 軽い気持ちで書いたものが拡散されてしまい慌てて削除しましたが、それ以前に不謹慎なことを考えずに投稿してしまいました。 削除してしまったため、本人であることを立証するのはできないのですが、この度は大変申し訳ございませんでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20241231141436
街角での呼び掛けで何となく献血してから習慣化したんだか、色々制約があるなんて知らなかった。
ある程度間隔開けないと次の献血できないのは分かるが、年間でできる回数にも制限があり、年齢上限もあるから生涯で献血できる回数は意外と少ない。
もっと若くに始めてたらと思うと既に相当な機会損失を重ねてることにショック。後悔先に立たず。
献血できなかったからって何か損してるわけでもないが、まぁこれからも続けられるだけ通っていこうと思う。
献血ルームはとても快適でそこで働く職員さんはとても尊く、俺なんかは場違いだなと思いつつ性懲りもなく通わせてもらっているのだか、唯一苦手なのが「献血を必要としている患者の感謝の声」だ。
献血ルームに掲示されてたり配布物に収録されているのだが、あれをまともに読めたためしがない。
数文字読んだだけで書き手の不遇な境遇を過剰に妄想してしまい視界が溺れて何も見えなくなる。
俺そんなつもりで献血してないんだけど。
スーパー併設のベーカリーだとお得感を出すためにどれもパンは1個200円以下なんよ
1個100円コーナーは常設、塩パンとか砂糖かかったドーナツとかマヨネーズパンとかさ
これを見慣れてしまうと街角ベーカリーの300円パンに手ぇ出せなくなる
それでも、たまに街角ベーカリー行くんだけど一回の買い物で1500-2000円がザラなわけ
買えるのたった3個とか4個よ?腹ふくれねえ
これだけ出すならココス朝食でがっつり納豆卵バイキングした方が体にいい気がしてくる
スコーン3個1000円なら日々の食パンに千円出した方が…って計算が働く層には合わないんだよな
ん?
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お前はdorawiiではない。
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まるで以前の記事で14user以上ついたものは一つもなかった、みたいな言い方してておかしくね?
ちなみに全部挙げてすらないので興味あったら「dorawiiより」で古い方から検索するよろし
(もっというなら一回垢BANされてるから私の活動は一期と二期に分けられるべきだが一期の方の投稿は増田から全削除されてることにも注意)
普段から趣味でピアノを弾いていて、羽田空港や主要駅でストリートピアノにも何度か挑戦したことがある私から少しストリートピアノ界隈について解説したいと思う。
まず私がどういう人物かというと、子供の時にピアノを数年習って、そこから◯十年振りに趣味でピアノを再開したおじさんである。ある時NHKでストリートピアノの番組(「街角ピアノ」「空港ピアノ」「駅ピアノ」などがある)を見て、その自由な姿と、音楽を純粋に楽しむ姿。そして、弾いている人の人生の背景が見えるところに魅力を感じて、自分も挑戦してみようと思ったのだ。レベルでいうと、プロではない層の中では、中級者くらいかなと思う。
まずストリートピアノというのは、空港や駅を中心に、人々が行き交う場所においてあり、誰でもピアノが弾けるというもの。
海外ではただピアノがポンっと置いてあって、人々はどんなスタイルでも自由に弾くことができる。下手だったら素通りするし、うまかったら足を止めて演奏に聴き入ったりする。
バイオリンと共演することもあれば、オペラや歌を歌うようなこともある。その場でセッションが始まったりと、海外のストリートピアノの風景は本当に自由で、即興的で、音楽の楽しさが詰まっている。
日本のストリートピアノは少し事情が違って、大体は制約がついていることが多い。(でもそれが気になったことはない)
たとえば、2人以上でピアノを弾く連弾が禁止されていたり、歌を歌ったり、他の楽器と一緒に演奏したりすることを禁止している場所も多い。時間は大体10分〜15分くらいに制限されているものが多い印象。商業施設だとスタッフに一言声をかけて、というような場所もある。
ストリートピアノは、一定のファン層が間違いなくいて、「お、ここにピアノ置いてある!」といって弾くよりも、「どこにストリートピアノあるのかな?」と事前に調べて行く人が多いのではないかと思う。事前に調べないと、たまたま見つけるにはかなり難易度が高い。
ピアノが置いてある場所は、建物のフロアの中心に置いてあるものもあれば、建物の2階の外れに置いてあるものあり、さまざま。
実は私はストリートピアノにはレベルがあると思っている。ストリートピアノ界の最高峰は都庁ピアノだと思っている。有名ピアノYoutuberが難曲を軽々と弾くのを見たことがある人もいるのではないだろうか。ハラミちゃんとか、よみぃとか有名人も演奏している。
他にも羽田空港第二ターミナルのように、吹き抜けのフロアで、ピアノが聞こえる範囲により多くの人がいるような場所は、レベルが高い場所、といえる。
もちろんストリートピアノなので、下手だろうが、なんだろうが誰だって弾くことはできるが、レベルが高い場所ほど、弾く勇気がある。ストリートピアノは、度胸が大事という側面は少なからずある。小学生が練習曲を弾いたと思えば、音大卒のプロのピアニストが弾いたりすることなどもある。
しかも人気の場所で、人気の時間帯は、行列ができたりしていて、しかもみんなうまかったりするので、練習が足りていないとかなり気まずい思いをするものだ。並んでいるときは、お互いに空気を読み合って譲り合う。待っている人がいるにも関わらず、2時間も練習するような人は通常の感覚ではいない。
ストリートピアノはピアノという一つの楽器という共通点だけで、いろいろな人生の背景を感じさせるものがある。その背景を空想しながら聴くのも一つの楽しみ。
出張中のサラリーマン、大学受験で地方にきた高校生、年配のご婦人、などなど。実際にNHKの番組でもその人の背景が紹介されるが、いろんな人が、いろんな人生があって、でもその中の一部に音楽があって。そういうものがストリートピアノの最大の良さではないかと思う。
さて、問題になっている「ストリートピアノは練習してから」という投稿についてだが、フードコードのような一角にあり、比較的ファミリー層が多そうな場所である。
そうなると、まず座って食事をしている人が多いので、ピアノを聴きたくない人もいるということが起こり得る。
またファミリー層の多い場所であれば、当然子供がピアノ教室で習っているような曲を弾くことになる。
このような設置場所と客層を考えれば、子供の練習曲を食事をしたい人が聴くというミスマッチが起こる。
ある程度想定されることが起こっているのにクレームを設置者がいうのは間違っているだろう。もしそれがダメならピアノの設置場所を変えて対応するのが自然ではないかと思う。
ストリートピアノは子供が弾こうが、それが練習だろうが、正直あまり関係ない。ただ、設置場所によってストリートピアノには色が出てくる。場所によっては練習のようなことは控えた方がよい(演奏者に控えようと思わせる)場所もあるとは思う。
今回のケースでは、主催者が本来は想定していないようなことが起こってしまったということかな。
なので、撤去するか、場所を移動する、というのが一番よい解決策ではないかと思う。
私自身、一生懸命練習して(いるつもり)で、ストリートピアノに挑戦するときは、いつもドキドキして、誰も聴いていなくても手が震えたりして、でもストリートで音楽を通じて、自分の人生を表現するのがたまらなく好きなのだ。
だから、最初に該当のポストを見た時は、身につまされるような思いだった。「あぁ、こんな投稿見たくなかった」というのが正直なところ。
ストリートピアノは、いろいろな人生を受け入れる場所だと思う。そして設置場所によって、受け入れられる人生の幅が変わってくる。
クレームのポストを投稿した方は、改めて自分たちが出したい色を考えて、設置場所を考えるべきだろう。
演奏者が多少下手であっても、ストリートピアノで音楽を楽しんでいるのであれば、その輪が広がって、その場所を明るくする、あって欲しいと願います。
最後に、私が一番好きなストリートピアノのYoutubeを貼っておきます。こんな演奏があったらぜひ足を止めて見てみてね。
映画館で観て大分経っていますが、定期的に恨みつらみが蘇る『ラ・ラ・ランド』。
2人が結婚しないのは納得できますが、「5年後に大成功したミア」というのが未だに飲み込めない。
・子どもを2人儲けるのも
これらは理解できる。けれど、「5年で全部できるのはおかしくない!?」と思うんだよね。
3つの要素を削るか、全部達成しても10年後や20年後とかなら、腑に落ちた。
街角の小劇場でくすぶっていたミアが、5年でここまで成功するのおかしくない?
時間の経過がしっかりあれば、納得できるんよね。
ちょっとアレな話になるが、個人的には『ラ・ラ・ランド』は女性ターゲットな話な気がした。
これが逆だったら、もてはやされないと思うわ。
セブが知る人ぞ知るジャズバーの経営者かつプレイヤーになって、地位もある・別の女性と結婚する・子どもも2人いる。
対してミアが、役者の端くれではあるし何とか食えているが、夢見たハリウッドの女優ではない。
こんな感じなら心つかまんでしょうね。
--
夢をそれでも追った人と一度諦めた人の対比ってストーリーもわかるが、やはり最後の「5年後」がノイズになって、物語が飲み込めない。
「早朝、午前、午後、夜。毎日四回、くりかえし町内を巡回してます」
屋外やベランダに干した洗濯物が風で飛ばされたり、コインランドリーの行き帰りに落としたり、はたまた何らかの事情で脱ぎ捨てられたり。
衛生観念の発達した現代社会においても、様々な理由で女性用下着、すなわちパンティーが道端に落ちていることがしばしばある。
そうした迷子のパンティーを見つけ出し匿ってあげる職業、それがパンティー保護司だ。
日本で数少ない現役パンティー保護司の一人であるM島さんは語る。
「行き場のないパンティーが今もどこかの街角で孤独に震えている。そう思うと、いてもたってもいられないんです」
取材に訪れたのは、まだ雪の残る春の初めごろ。
このような肌寒い季節では、パンティーが室外で干されることがあまりないため、保護の機会も少ないのではないか。
そう質問すると、意外な答えが返ってきた。
「春先には、溶けた雪の下からパンティーがひょっこり出てくることがあるんです。穴場の季節ですね」
発見したパンティーをM島さんは自宅兼仕事場に持ち帰り、念入りにクリーニングを行う。
「土まみれ泥まみれのパンティーをていねいにていねいに洗っていくと、ある瞬間に、パッと輝きだすんです。みにくいアヒルの子ってあるじゃないですか。あんな感じに」
M島さんの自室には、色とりどりの保護パンティーたちが美しくディスプレイされている。M島さんは、そのひとつひとつに名前をつけて平等に可愛がっているのだという。
そんな、地域に必要不可欠とされてきたパンティー保護活動だが、防犯意識の高まりなどにより、道端にパンティーが落ちていることも年々少なくなってきているそうだ。
「パンティーたちにとっては、いいことなのかもしれません。でも、やっぱりちょっと寂しいかな。親の代から続けてきた仕事ですから」
日本でパンティー保護司を続けることが難しくなった場合に備えて、海外への移住も考えているという。
「はぐれパンティーがたくさんいる国は、世界にはまだまだありますからね。そうした大勢のパンティーたちを救うために海を渡るという選択も、自分としてはアリだと思っています」
生涯をパンティーに捧げる。その強い覚悟がなければ務まらない職業、パンティー保護司。
社会はその功績に対して、色眼鏡を外し正当な評価を与えるべきだろう。純白のパンティーのように、まっさらな気持ちで。
「電脳フィルター」が実用化されてから、世界はより快適になった。
人々の視界には、それぞれの思想や嗜好に合わせた映像が映し出される。
過激な表現が嫌いな者はそれを除外し、理想の世界をその目に映すことができるのだ。
社会全体の争いを減らし、精神的安定をもたらす技術として歓迎され、多くの人々がこぞって導入した。
カナもその一人だった。彼女はフェミニストとして活動し、ジェンダー平等を推し進めることを生涯の使命としていた。
電脳フィルターの機能の一つ、「ジェンダーバイアス修正モード」をオンにしたことで、彼女の視界からは性差別的な表現がすべて削除されるようになった。
女性の身体を過度に露出させた広告も、男性中心の権威的な映像も、すべてが適切な形に修正される。
街を歩くと、彼女の目に映るのは洗練されたデザインのポスターだけだった。
コンビニの雑誌コーナーに並ぶグラビア誌も、政治家の発言を伝えるニュースも、すべてのコンテンツが公平で中立な形に変換されている。
街角の電子看板に映し出されたCMを見たときのことだった。そこには、彼女がよく知るブランドの新作スーツが映っていた。
モデルは、確かに女性だったはずだ。だが、彼女の目には、男女の区別がつかない曖昧な人物が映っていたのだ。
「おかしい……」
フィルターが適用されすぎて、女性らしさも男性らしさも薄められてしまったのかもしれない。
気になって電脳フィルターの設定を確認しようとした。しかし、エラーが表示され、設定画面にアクセスできなかった。
彼女はさらに周囲を見渡した。店員、通行人、ポスターに映る人物——どれも性差のない、均一化された存在へと変わっていた。
声すらも、どこか人工的で、抑揚のないものに聞こえる。
まるで、この世界に「女性」も「男性」も存在しなくなってしまったかのようだった。
恐怖を覚えたカナは、急いで自宅に戻り、電脳フィルターをオフにしようとした。
しかし、解除ボタンはすでに消え去っていた。画面には、ただ一言、表示されている。
元々、リアルで会う想定をしないまま作ったSNSのアカウントが、思っていたよりデカくなってしまい、好奇心からオフ会を開き、そのまま定期的に会うまでになった
直接「結婚してるの?」って聞かれた時には正直に答えるようにして、驚かれる事も多いが変な気は起こさないように予防している。
ただ、フォロワーの中には、傲慢かもしれないが「自分が結婚していない事で調和が取れている」フォロワーも少なくない。
現に「このまま結婚しないで○○さんと一緒に過ごし続けたい」とか「結婚していないけど、○○さんがいるから生きていける」とか、大袈裟だし口だけだろうけど言ってくる人もいる。
このまま黙って過ごしていても良いと思うが、オフ会を開くことで顔が知られてしまうようになり、不意に街角でバレるなら言った方が良い気もする。が、公表する事で、前述のフォロワーの支えとなくなってしまうのも不安。
私は定期的にとある喫茶店に行くことを習慣づけている昨今なんだけど、
いわば半月替わりサンドイッチを求めてその喫茶店のお店に行くの。
私は朝のお店が開く開店時間と同時に飛び込み前転を決めて入店し、
ちょっとここは格好つける。
さすがにアイスコーヒーという季節ではないのよ。
私は半月替わりのサンドイッチの今は何かというテキストを端末に入力してメモするの。
未来食よろしくコオロギ粉末をツナサンドに隠し味で入っているらしいが、
タイトルで出ている以上、
隠し切れていない感情を私は押し殺しながら、
やって来たその「コオロギの水色の音がするツナサンド」を恐る恐る食べるの。
いや、
隠し味の粉末コオロギが美味く隠れてる!
でも微かに耳を澄ませばコオロギの味の中に音がするかも知れない水色。
それほんと?
水色の音がするかも知れない。
早々にサンドイッチを食べ終わって、
いまやAIは暇で退屈なんだそう。
そこで私は街に溢れているまだ解析されていないであろう言葉を探して街中に言葉を探しているってワケ。
どうやら
AIは
造語や、
うーん、
私は詳しい言語学者の大先生ではないので詳しくは分からないだけど、
AI曰く
解析に際し「処理を遅らせるカオス性」、
AIは言葉の中の予測不能な構造を捉えてはアルゴリズムが一瞬フリーズする。
その瞬間が何よりの歓びらしい。
ふと耳にした電車内の会話。
私にも分からないわ。
それが解析され尽くした世界の中で唯一AIが新鮮だと感じるみたい。
すべての看板がAIのフィルターを通した効率的な情報に変換された様な景色なら仕方のないことなのかしら。
もっともここで言う好きって言葉は人間に当てはめて彼らAIが言っている言葉なので、
もはや人間の喜怒哀楽のそれとは越えた彼らに「楽しい」ものらしい。
難しいことは私もそれ以上分からないけれど。
とにかく
街中のそういう言葉を集めて彼らに定期的に送ると報酬を得るという簡単なお仕事なの。
彼らの「辞書に存在しない」言葉などは格段に解析が楽しいらしい。
そんなものなのね。
とにかく世の中の全てのことを解析し尽くしたAIにてみれば
うーん、
いや別にサンドイッチの名前だからってことだけが彼らが喜ぶわけでは無いけれど、
まあ人間にもよく分からないような言葉を集めてはこれ本当にどうするの?って解析先にポチポチと送信をしている作業なのよね、これ。
AIが読んで、
私も一度読んでみたけど、
一時期人間がAIにそういった文章を書かせて見る試みもあったそうだが、
さすがAIはそれがAIが書いたと言うことが瞬時に分かってしまって、
結局彼らの創造は彼らの中でいくら組合せをしたところで越えることはできないらしいの。
AIはやっぱり人間のリズムで書く文章が読んでいても解析し甲斐があるって言ってた。
もうよく分からないことばかりだけど
なんか彼らAI曰く、
人間にはまだ変な言葉や辞書にない新たに作られた意味のありそうな造語を作るのに関しては分があるとのこと。
でも彼らAIにとってはとても解析食べ応えのあるとても美味しい言葉サンドイッチみたい。
彼らが喜んで解析した結果をもとにして得る報酬で
また私は来月のサンドイッチを食べに行くのよ。
多分、
またきっとAIには美味しいはずだと思うわ。
それが彼らには何よりの贅沢になるなんて、
なんて皮肉なのかしら。
うふふ。
豆乳にトマトジュースをミックスしていただく簡単ちょっと遅く起きて慌てて支度しなくても大丈夫なやつね。
でもそんなに寝坊はしてないけど
いつもより30分早起きしていた分を遅くまで寝ていたってわけなの。
ごくごく飲んで出発よ!
最近リピ率高しの
相変わらず
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これはとても不思議で幻想的なお話だよ。舞台は近未来のロンドン。主人公はクラシック音楽を心から愛する青年、アレックス。表向きは普通の青年のようだが、実はちょっと危険な遊びに夢中になっていた。アレックスと彼の仲間たちは、毎日暴力的な冒険や情熱的なロマンスに明け暮れていた。彼らの楽しみは、退廃的な日常から一瞬だけ幻想の世界へと飛び込むことだった。
ある日、アレックスは街角で不思議な屋台を見つける。屋台には輝く金色の麒麟の形をした檸檬、通称「麒麟檸檬」が置かれていた。店主はアレックスに「この檸檬が望む力を与えてくれる」と不気味な笑みを浮かべて言った。
半信半疑ながら、アレックスはその麒麟檸檬を手に入れる。持ち帰るとその檸檬は、彼の生活を大きく変える力を発揮した。音楽を通じて他人の心を見る力を与えられたアレックスは、仲間たちの心の奥に潜む本当の思いを知ることになる。友情の裏に隠された嫉妬、愛情の裏に潜む不安、そして彼自身の未熟さを痛感するのだった。
アレックスはその力を通して自分を変え、暴力の連鎖から抜け出そうと努力する。だが仲間たちはアレックスの変化を受け入れず、やがて彼は一人孤独になる。しかし音楽と真の友情を求め、アレックスは困難を乗り越え新たな道を歩み始めるのだった。
この童話の教訓は、「本当に大切なことは目には見えない、心の目で見ることが大切」ということ。
ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.