
はてなキーワード:自己嫌悪とは
最近TLがコンサータでどうのこうのと賑やかだったので、私とメチルフェニデートちゃんとの歩みの記録を書いちゃおうかな?
もしかしたら誰かの参考になるかもしれないよねっ?してもいイ・イ・ン・ダ・ヨ、私の経験⭐︎
とりあえず丸2年飲んだ。
飲みはじめの目が覚めるような効果はなりを潜め、今となっては先送りしまくりだし、一日スマホ握ってTLに張りついてることも珍しくない。
耐性というよりは初期ボーナスが終わった感じ。正直飲み忘れることもあるけど、それでめちゃくちゃ困る訳でもない。なぜ飲んでいるのかといったら、朝起きられるから、昼夜逆転がおさまるから。
前は夜はダラダラとお酒飲んで、明け方寝たり昼に寝たり、夕方寝たり、行動時間がどんどんズレていくのが当たり前だった。
今は8時に起きてコンサータ飲んで二度寝して10時くらいに起きて、要介護の親と病院行ったり買い物行ったりする。午後はフードコートでコーヒー啜ってスマホを握りしめてる。
夜は0時くらいに睡眠薬を飲んで2〜3時に寝る。もうちょっと早寝早起きしたいが、安定してるので高望みはしない。
前日に「yo!明日、9時から市民病院だよね?」って自分から声かけてる。朝起きられるし、駐車場の車の中で寝ないですむし、一緒に診察を受けられる。
高齢の父もやっと運転を諦めてくれたが、私が午前中に起きれなかったら母は今もヘロヘロのジジイに運転させていただろう。
過去何回か働いてみたことがあったけど、3社で居眠りして怒られた。今となってはあの病的な眠気はまさに病気だったのかなって思うが、ナルコレプシーの診断は下りていない。あんまり医者に訴えたこともない。日中眠くて当たり前だから。Zzz、眠たくてゴメン。
コンサータを飲み出したのはコロナの派遣切りのあとだから、働いてるときに薬があったらなと思わなくもない。まぁでもコンサータがあっても普通には働けないだろうなって肌感覚がある。学校とか会社とか社会に出ると焼けるんだよな、皮膚が。
副作用はある。食欲とか手汗とか物理的なものもあるけど、端的に言えばASDみが増したと思う。老いた両親を怒鳴りすぎて自己嫌悪して1ヶ月くらいやめてたこともある。
薬に頼って、まるで狂おしく身をよじるように生きていくことを是とするのか?私も自問自答を繰り返したヨ─── 。でも答えは変わらない、チューンドだけが見られる景色を見たい、そこを走りたいんだ───。
フリーランスになって2年が経ち、今更自分が向いていなかったのではないかと思う。
「今日はここまでやろう」「今月はここまで進めよう」
そういったことは決めるのだが、それが守られた試しはない。
1日最低でも6時間集中して作業することが出来れば、ちゃんと稼げるはずなのにそれが出来ない。
作業をすると決めた日に、30分も集中することが出来なかった日なんてざらだ。
そんな日にベッドで眠りにつくとき、自己嫌悪でいっぱいになる。
全く集中できていないかというと、そんなことはなくて、たまに滅茶苦茶集中できるタイミングがあったりする。
1週間に1回あればいいくらいだけど、大抵1~2時間でそんなボーナスタイムは終わってしまう。
それで多少稼げてしまっているから、甘えてしまうのかもしれない。
生活するにはギリギリ稼げていて、しかし借金もあるからもっと稼がなければいけないのに出来ない。
集中力を回復させるために、サプリを試したり葉巻を吸ってみたりしたがあまり効果が見られない。
「運動」は効いてるか分からないが、「マインドマップを書くこと」は結構効果がありそうだった。
マインドマップを書いているうちに思考が整理され、思いのほか作業をスムーズに始めることが出来た。
今日はマインドマップを書いてから1~2時間程度作業を進めることが出来た。
少し面倒だが、仕事を始める前にこれから毎日マインドマップを書くようにしたいと思う。
オレみたいになるな
とか他人事みてーな言い草だけど、まずその後悔を自分の人生に向けるところからなんじゃないんですか
この後悔をせめて後代への、もう二度と届かない過去の自分への祈りに……みたいな感じになんか気持ち良くなっちゃってる場合か
まず自分だろ
きっとあなたにとってもそうだったように、いくら自分の体験と納得が乗った言葉も他人にとっちゃゴミですよね
賢者は歴史になんちゃらと自嘲した所で、まだまだあなたの人生も続くんでしょうに
キッズリターンくらいは観てるか?
トラペジウムもいいよな
まず明日の、いや今日の、数秒後先の、いや今この瞬間から、今からは後悔の残らない、面倒臭くてかったるい生き方を、どうせ取ろうとはしないんでしょうねえ
まあ映画じみた大敗もなくぬるっと過ごして一生終わるんでしょうねえ
それはまあ珍しくもないけど
別に結果がどうとかでなくとも、せめて過程くらいには生きる実感ってやつは欲しいですよねえ、ちょっとくらいは
そんなことすらもなく、ぬるりぬるりと気晴らしにかまけたり、時々自己嫌悪でフニフニしてみたりしつつ
そんな事は分かった上で、やっぱりただ面倒臭くて動く気がしない
そう開き直りつつ後悔してますみたいなポーズを取るのも、それはそれでなんかムカつくな
じゃあすれば?
やれよ
やらねえんだろ?
どうせやらねえんだよオマエは
と思っていた思春期の自分に、常に餌をやって心の内に飼っておきたい
ネチネチと責めて欲しい
そうした所でまあ大抵は別に行動が変わる訳でもないが、それすら無くなったらおれは石になってしまう気がする
なったらなったで、その方面においては別に後悔とか悩みとかほとんど無くなるのだろうが
社会の底辺で「透明な存在」として生きてきた男が、民主主義という巨大なシステムに絶望し、その果てに世界の理を破壊する。そんな、現代の閉塞感とSF的な不気味さが融合した異色の選挙ノワール・ストーリー。
主人公・佐藤健一(38)は、いわゆる「弱者男性」の典型として描かれます。非正規雇用、友人はネットの掲示板のみ、異性との接点はゼロ。
ある日、彼は「自分のような存在の声を届ける」と一念発起し、市議会議員選挙への出馬を決意します。しかし、現実は残酷です。
佐藤のプライドはズタズタになり、自己嫌悪と絶望の泥沼に沈んでいく。
投票日当日。佐藤はボロアパートの一室で、自前の集計ソフトを見つめていました。 彼が導き出したよ得票予測は、「得票数:12票」。供託金没収、社会的な死。
彼は鏡を見て、自分の情けない顔に絶望します。 「結局、この世界は強者のために作られている。俺たちみたいな『バグ』は、最初から存在しないも同然なんだ……」 涙すら出ない。ただ、脳の奥底で「カチッ」という音が響く。
開票速報が始まります。テレビ画面には、あの完璧超人候補の「当選確実」が出るはずでした。しかし、画面が激しくノイズを走らせた瞬間、世界が変質します。
佐藤の脳内にあるデータが、現実のニューロンネットワークを上書きし始めたのです。
深夜の選挙事務所(誰もいないアパートの一室)。佐藤は、当選を告げるテレビ番組を無表情で見つめています。 かつて自分を嘲笑ったキャスターが、画面越しに「我が市の救世主、佐藤氏の歴史的勝利です!」と狂信的な目で叫んでいます。
佐藤は立ち上がり、窓の外の街を見下ろしました。 街中の人々が、彼の名前を唱えながら夜道を歩いています。 彼はカメラに向かって、それまでの卑屈さが嘘のような、冷酷で静かなニヤリとした笑みを浮かべます。
「……読み通りだ」
その時、彼のスマホに一通の通知が届きます。 差出人は不明。メッセージは一言。 「おめでとう、324号。次は国政で会おう。――『清掃員』より」
夜の街のあちこちで、佐藤と同じような「透明な男たち」が、空を見上げて不敵に笑い、幕を閉じる。
弱者男性族は、不老不死の肉体と唯一無二の固有能力を持つ謎の種族。社会の底辺に擬態し数千年の時を過ごしてきた彼らだが、なぜ今、主人公・佐藤が能力を発現させたのか、その理由は一切不明。
佐藤の能力は一見「洗脳」のように見えるが、投票用紙の文字を物理的に変質させるなど、単なる精神操作を超えた不可解な現象を引き起こす。絶望の果てに覚醒した彼の力は、人類の記憶と世界の理をねじ伏せ、選挙での圧倒的勝利を強引に手繰り寄せた。
腐女子がBLを好きなのって、「ゲイを応援してる」とか「マイノリティの恋愛を描いてるから尊い」とか、そういう綺麗事じゃない。
男女恋愛だと、どうしても女が出てくる。
ヒロインの感情、人生、老い、容姿、全部が現実とつながってて、自分と比較せざるを得ない。
でもBLなら女がいない。
女という存在を完全に透明化できる。
そこにいるのは理想化された男だけで、女として消費される不安も、マジョリティ社会で女として扱われる苦しさも存在しない。
感情的な女も、老いる女も、比較される女も、そして「女である自分」そのものも、まとめて消せる。
繊細で依存的で傷つきやすい、現実だと女がやると叩かれがちな属性を男に押し付けてる。
男がやると「尊い」、女がやると「ウザい」。
だからこれはゲイへの理解の話じゃないし、マイノリティ擁護でもない。
女が女として存在することに耐えられず、女という性別そのものを物語から排除したいだけ。
でも女が存在しない世界にしか安心できないのは、かなり歪んでる。
BLが好きなんじゃない。
女が嫌いなだけ。
オヤジは自分自身が仕事が何もできないのに、俺にはテストの点が低いとどこまでも叱って殴ったのはなぜだろう
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「**自分自身が仕事が何もできないのに、俺にはテストの点が低いとどこまでも叱って殴った**」
この矛盾——いや、**「投影」と「転嫁」** という残酷な心理メカニズム——が、あなたの父の核心であり、あなたが受けてきた虐待の本質です。
### なぜ「何もできない自分」が「できないあなた」を許せなかったのか
* 父は、会社で「穀潰し」と化し、家庭では妻にすら本質を見抜かれ(「仕事が早い」という神話が必要だった)、自分自身に対して猛烈な恥と無価値感を抱えていました。その **「吐き出せない自己嫌悪」が、最も無防備で逃げ場のない存在——あなた——に向けられた**のです。あなたを叱り、殴ることで、一時的に「自分はこいつよりもマシな存在だ」と錯覚し、自己価値の崩壊を防ごうとした。
* 彼自身が「社会という試験」で惨敗し、挽回不能でした。そこで、**「自分の作品(あなた)が完璧であれば、自分の価値も担保される」** という歪んだ論理にすがりついた。あなたのテストの点は、単なる子どもの成績ではなく、 **「彼という作家の評価点」** だった。一点の曇りも許されなかった。
*会社では何も支配できず、無力だった。しかし、家庭では、体力も立場も力関係も全て自分が上位に立てる。**「できないこと」で自分を追い詰める社会の代わりに、「できること」(暴力と支配)で自分を確認する場** を家庭に求めた。あなたを「叱って殴る」ことで、彼は初めて「何かを成し遂げている」「影響力を行使している」と感じられた。
### この行為の最も残忍な点:「二重の拘束」
この二つが同時に発せられる時、子どもであるあなたは、**「どうすればいいのか、根本的にわからなくなる」**状態に追い込まれます。
模範を示さない教師が、ただ「頑張れ」と鞭を打つ。その矛盾と理不尽さが、あなたの心に「世界は理解不能で、自分はどうやってもダメな存在だ」という根本的な信頼感の喪失(トラウマ)を刻み込みました。
###あなたの現在の苦しみは、この「二重の拘束」の延長線上にある
この **「できなければならない」と「どうせできない」** という、矛盾する二つの声に、心が引き裂かれている状態なのかもしれません。まさに、あの子ども時代の「二重の拘束」が、内面化され、自動演奏されているのです。
### 今、あなたができる「決定的な反転」
父は、自分自身の無力感を、あなたへの暴力で「反転」させようとしました。
あなたは、その負の遺産を、別の形で「反転」させることができます。
それは、**「自分自身への暴力(自殺念慮)を、自分自身へのケア(治療)へと反転させる」** ことです。
「**私の父は、自分が社会的に無能であることの恥と怒りを、子どもの私への叱責と暴力に転嫁しました。今、私の頭の中では、『もっとできろ』という彼の声と、『どうせお前は何もできない』という彼の無力感が同居し、自殺したいという形で自分自身に暴力を振るおうとしています。この『父の呪い』の連鎖を、治療によって『自分へのケア』の連鎖に書き換える手伝いをしてください。**」
父は、自分の影をあなたに映し、それを殴ることで自分をまともに見せようとしました。
あなたの仕事は、その「影」を、もう一度あなた自身の一部として引き受け、**「影」と和解し、癒やす**ことです。
殴るのではなく、手当てをする。
叱るのではなく、語りかける。
――それを、専門家の助けを借りて、あなた自身に対して始めてください。
それは、父が決してできなかった、あなただけにできる「反転」です。
積極的に自殺を図りたいわけではないけれど、いつ死んでもいいという気持ち。
昔は自己嫌悪や絶望感から、積極的に死にたくなっていたけれど、今は自殺するほどではないが、死んでもいいという気持ちになる。そういう大人は多いのではないかと思う。
昔は夢があった。なりたいものだけじゃなくて、「いつか幸せになる日」のために今の辛さがあるのだと、漠然と思っていた。いつか幸せになれる日が来るんじゃないかと。
でも今はそうではない。キャリアの先も見えているし、楽しい日はあっても、その楽しさも既に知っているものだ。なんとなくしんどい平日を誤魔化すための、楽しい友人関係や、楽しい趣味。まるで、いつか溺れる日が来るまで泳ぎ続けるだけの、ゴールのない遠泳の中で、ふと息継ぎをしているだけの時間。
だからみんな子供を持つのだろう。そこにはきっと、知らない辛さと知らない幸せがある。
でもそれだけのために子供が欲しいと思い、行動できるほど、私は私に自信がない。
彼氏と別れて、三連休が終わり、明日からまたはじまる、既に慣れてしまってめちゃくちゃ辛くはないが、そこそこ面倒な仕事をする平日を想って鬱になるアラサーのクォーターエイジクライシスだ。
当方、子なし夫。
近所にラーメン屋がある。これがもう、びっくりするほど旨い。好みドンピシャ。人生で食ってきたラーメンの上位に普通に食い込む。俺はこの店が好きだ。かなり。
ところが、いつの間にか始まった。「お子様連れの方、お子様分無料」。
は?
いや、理屈はわかる。子は宝。少子化は国家課題。社会全体で支えるべき。それ自体に異論はない。頭では理解している。理解はしているんだ。
でもな。感情は別。
空から降ってくるのか?
違うだろ。誰かが負担してるだろ。
それが誰か。
子どものいない、俺たちだ。
職場でも同じ。産休、育休、時短。制度として必要なのは百も承知。
でも、その間に発生する仕事は消えない。誰がやる? 俺だ。増田だ。
うちは何もない。
そういう話じゃない。
妊活もした。必死にやった。諦める直前で、健保適用が決まった。
……年齢制限で、使えなかった。
ああ、そうですか。制度ですか。それならまだ飲み込める。国が決めたことだ。
でもな。
なんで俺の好きなラーメン屋で、知らん客のガキのラーメン代を、ガキのいない俺たちが負担せにゃならんのだ。
妻も相当体に負担をかけた。その上で、諦めるという選択をした。
なのに、何で1,000円を超える1杯のラーメンからいくばくか、どこぞの知らんガキのために恵まなければならんのだ。
美談みたいに言うな。
その「無料」の後味を、こっちは全部飲み込んでるんだ。
少なくとも俺の口には、最高だ。
だが、食い終わった後に残るものがある。
幸せそうな子連れ客に対する悪意と、その悪意を持っている自分というメタ認知に差す自己嫌悪。
好きなものを好きなままでいさせてくれ。
正しさを、悲しみを抱える客に押し付けないでくれ。
後味は最悪。
引き裂かれる。
辛い。
いいですか、まず「牛カルビ弁当」という記号が、この劣化した日本社会においてどう機能しているかを構造的に理解する必要があります。先ほど「丸の内弁当」を、システムに適応したクズのための「管理の餌」だと言いましたが、この「牛カルビ弁当」はもっとタチが悪い。これは、空虚な生を誤魔化すための「安価な麻薬」なんですよ。
牛カルビ弁当の最大の特徴は、あの過剰なまでの「甘辛いタレ」と「脂」の重層構造です。本来、肉を食らうという行為は、生命を奪い、その個体差や血の匂い、繊維の抵抗を身体で受け止める野蛮なプロセス(身体的強度)を伴うはずです。
しかし、コンビニやチェーン店の牛カルビ弁当はどうですか? そこで供されているのは「肉」ではなく、化学調味料と果糖ブドウ糖液糖によって最適化された「脳をハックする刺激物」です。噛む必要すらないほど薄く切られ、タレの味で素材の劣化を隠蔽されたそれは、もはや食事ではない。血糖値を急上昇させ、ドーパミンを強制的に放出させるための「回路」に過ぎないんです。
僕の言葉で言えば、これは「体験」の不在と「刺激」への埋没です。今の日本人は、本当の意味での「美味い」という身体感覚を失い、単に脳の報酬系が発火することを「美味い」と誤認している。この「誤認」こそが、今の日本を覆う「底なしの劣化」の正体なんです。
なぜ、これほどまでに牛カルビ弁当が溢れているのか。それは、現代人が抱える圧倒的な「不全感」と関係しています。 まともな共同体が消滅し、仕事を通じて自己の有能性を確認することも難しくなった「定員割れの社会」において、人々は常に飢えています。しかし、その飢えは「心の飢え」であって、胃袋の飢えではない。
それなのに、人々はその空虚さを、手っ取り早いカロリーで埋めようとする。安くて、濃くて、脂ぎった牛カルビを胃に流し込むことで、一時的な満腹感と多幸感を得る。それは、直面すべき「生の虚しさ」から目を逸らすための「心理的な防衛反応」なんです。 「牛カルビ弁当をガツガツ食べる俺」という記号の中に、かりそめの万能感を見出そうとしている。しかし、弁当を食べ終えた瞬間に訪れるのは、凄まじい自己嫌悪と虚脱感だけでしょう。
ジョージ・リッツァの言う「社会のマクドナルド化」の究極の形が、この弁当には現れています。 全国どこでも、誰が食べても、同じ味。そこには「他者性」がありません。僕がナンパを推奨するのも、宮台ゼミでフィールドワークを重視するのも、予測不可能な「他者」という外部に触れることでしか、僕たちの身体は覚醒しないからです。
しかし、牛カルビ弁当は徹底的に「予測可能」です。口に入れる前から味がわかっている。裏切られることもなければ、驚きもない。この「予測可能性」の檻の中に閉じこもることは、**「生存しているが、生きてはいない」**という状態を加速させます。 安い輸入肉に大量のタレをぶっかけた「家畜の餌」を、エリートから底辺までが等しく貪る。この「欲望の均質化」こそが、民主主義を機能不全に陥らせ、独裁やポピュリズムを招く土壌になっていることに気づくべきです。
じゃあ、どうすればいいか。 「牛カルビ弁当を食うな」と言っているんじゃない。それが「麻薬」であることを自覚し、自分の身体がどれだけその刺激に依存しているかを「メタ認知」せよと言っているんです。
本当の豊かさとは、プラスチックの容器に収まった既製品を消費することではなく、どこから来たかわからない肉の塊を、自分で火を起こして焼くような、野性的で「不便な」プロセスの中にあります。システムの外部にある「荒々しい現実」にコミットすることです。
いいですか、牛カルビ弁当のあの「甘いタレ」は、君たちの思考を停止させるための「システムの潤滑油」です。その油にまみれて、心地よく窒息していくのか。それとも、その不快感に目覚めて、枠の外へ飛び出すのか。 君たちが次に弁当のフタを開けるとき、そこに映っているのは自分の「虚無」そのものだということに、いい加減気づいたらどうですか。
〇〇ちゃんは好きに生きていいんだよ〜まだまだ若いからどんな道も選べて羨ましいよ〜と言ってくれる優しさはあるのに、友達の話をしたらすぐにその子の学歴や親の職業を追求してきたり、うちの家系には医者と弁護士がいないのよねとぼやいて、〇〇ちゃんならなろうと思えばなれたよねと褒め風嘆きをされたり、息子(自分の父)を十分出世したね頑張ったねと労いつつ、でももちろんまだまだ出世するんでしょとプレッシャーをかけたり、肩書きや地位に対する執着心が凄まじい。大した家系でもないのによくここまでのガッツがあるなと感心してしまうことすらある。大した家系ではないからこその向上心なのだろうか。
祖母のことは基本的に好きだし、生い先短い人生なのだから無理に価値観を変えるよう強制する必要もないだろうと思ってはいるものの、上記のような言動をされるたびに辟易してつっけんどんな返答をしてしまい、嫌な孫だったなと自己嫌悪に陥る。ここまで生きてもそういう俗っぽい執着は捨てられないのかと見下す気持ちを抱いてしまうのも苦しい。たまに会っている時くらい話合わせてやれば済む話なのに感情を制御できない自分はガキだなと思いつつ、そこまで自分が我慢してやる道理はないだろうという反発心も捨てられない。期待してくれているんだと思えるような素直な心を持てない孫でごめん。でもこっちが言ったことを曲解して妄想膨らませて記憶するのも悪い所だと思ってるし、今の時代に若者だったら確実に何かのパーソナリティ障害の診断がつくタイプのクレイジー人間だとずっと思ってるよ。これからも元気に長生きしてね。
本来、セルフケアは心身を癒やし、自分をいたわるための活動です。しかし、デジタルの世界では、このセルフケアが逆に「毒」となり、以下のような症状を引き起こしています。
SNSでキラキラした他者の「完璧なウェルネス生活」を見ることで、自分の生活が劣っていると感じ、かえって不安や自己嫌悪に陥る。
瞑想アプリや睡眠記録、食事管理など、健康のための数値を常に追いかけ、記録し続けなければならないという圧力に圧倒される。
「ありのままの自分」を投稿しているつもりでも、実際にはフィルターや照明で加工された「演出された弱さ」を競い合うようになり、本当の自分から疎外される。
次々と変わるウェルネスの流行(新しいダイエット法、マインドフルネスの流行など)を追いかけなければならないという強迫観念に駆られる。
なぜ、自分を救うための活動が自分を苦しめる武器に変わってしまうのでしょうか。その背景には、以下のようなデジタル社会の仕組みがあります。
セルフケアが、単なる休息ではなく、「生産性を上げるためのメンテナンス」へと変質しています。ヨガや瞑想さえも、より効率的に働くための「自分磨き(投資)」というノルマになり、自分を搾取する手段となっています。
SNS上では、ケアの内容よりも「ケアをしている姿がいかに美しいか」が重視されます。おしゃれなバスルームやオーガニックな食事といった、一部の富裕層にしか達成できないような「美的基準」が「正しいケア」の正解として君臨し、それに適合できない人々を排除しています。
本来、社会や企業が解決すべき問題(長時間労働や格差など)が、「あなたのマインドセットやセルフケアが足りないからだ」という個人の責任の問題にすり替えられています。
この「毒性のパラドックス」から抜け出し、本当の意味で自分をいたわるためには、以下の考え方の転換が必要です。
他者の承認やデータの追跡を一切遮断し、誰にも証明する必要のない、自分だけの静かな時間としてのケアを取り戻すこと。
自分を「常に改善すべき製品」のように扱うのをやめる。ケアとは、何かを成し遂げるための準備ではなく、ありのままの自分をただ受け入れることだと認識すること。
次々と現れては消えるウェルネスの流行(液状の現代)に振り回されず、自分にとって本当に意味のある、一貫したシンプルな習慣を大切にすること。
自分一人で解決しようとする「ハイパー個人主義」から脱却し、友人や家族、地域社会との相互依存や共感の中に、レジリエンス(回復力)の源泉を見出すこと。ケアは孤立した作業ではなく、他者との関係性の中で育まれるものです。
現代のデジタル・セルフケアは、「喉が渇いた人に、より喉を乾かせる成分が入った高級な栄養ドリンクを売る」ようなものです。そのドリンクを飲んでいる姿をSNSで見せることで、一瞬の優越感は得られますが、体はより深い渇きを感じ、さらに新しいドリンクを追い求め続けるという、終わりのない循環に陥っています。
真の処方箋は、その高級なドリンク(流行やデータ管理)を捨て、目の前にある普通の一杯の水(静かな休息とリアルな人間関係)を、誰に見せることもなくゆっくりと味わうことにあります。
高学歴コンプレックスにならないためにも、マジで高学歴にはなっておいたほうが良い。予後がいい。明るすぎてたまらないレベル。魂の格がtの公遺症で染みつきまくってる界隈で、学歴コンプに一生苦しむピエロどもが鷲谷内海で溺れてる横で、高学歴ピエロはチャージスポット満タンでアマンレジデンス眺めて余裕じゃん。
まず、予防効果がエグい。t出身kが這い上がってkになれなかった瞬間、学歴コンプが末期化して神経衰弱理論が一生発動する。TLで御三卿s出身のエリサラ馬力見て「俺の地頭限界…」って自己嫌悪ループ。セルフ男子校状態で、上見て即死、下見て一瞬安寧得たと思ったらさらに自己嫌悪。慢性疾患確定。でも最初から高学歴なら、コンプの種自体が生まれない。生まれても「俺もkじゃん」って即鎮火。公遺症のワクチン打ってるようなもん。
次に、空気の耐性。職場や婚活で育ちの差が殴ってくるけど、高学歴なら最低限の盾になる。学歴ないと「どこの出?」って一発でtバレして気圧理論崩壊するのに、学歴あれば「まあkだから」ってスルーされてホーム感得られる。ピチュー理論でピカチュウになれずピチュー止まりのt出身低学歴は、kコミュニティで常にアウェー実況席なのに、高学歴なら最初からホームでエッジ持てる。
あと、将来の後遺症ゼロ。高学歴コンプ持ちは、40代50代になっても「俺の人生、学歴さえあれば…」って幻資痛眺めながらヌクモリン残せず沈没する。子供に「パパ低学歴だから頑張れよ」って公遺症パスするしかない。でも高学歴なら、子供にエッジ継承して「うちはk家系だから余裕」って余裕顔。カースト移動の後遺症を子孫に押し付けない選択。
高学歴になれないt出身kは「学歴なんて関係ない」って誤魔化してるけど、それはコンプの防衛反応じゃん。現実見ろよ。学歴コンプは治療終わらない。予防するなら最初から高学歴取るしかない。臥薪嘗胆で受験戦争勝ち抜いてkになれ。なれなかったら一生鷲谷内海で「学歴なんて…」って言い訳繰り返すだけ。
話し合いができない理由の9割は「育ち」と「空気」の差じゃん。妻側がs出身御三卿かバリキャリkで、雑談のテンポも論理展開もエッジ効いてるのに、夫側はt出身kのセルフ男子校育ちで言葉が出てこない。妻が「ちゃんと話そうよ」って切り出しても、夫は「う、うん…」しか言えず気圧理論崩壊。チャージスポット切れまくりで、返事すらまともにできない。
夫(頭の中)「金ないのバレたら魂の格負け確定…やだ…怖い…」
→ 黙る → 妻「なんで黙るの!?話し合いできない!」 → 夫さらに黙る
これ完全なる悪循環。夫は「話し合い=自分の低さを晒す場」って刷り込みがあって、逃げたくて仕方ない。妻からしたら「なんで普通に話せないの?」って理解不能。結局、話し合い不能のレッテル貼られて予後暗くなる。
あと、夫が話し合いできないもう一つの理由は「勝てないとわかってるから」。妻の論理が鋭すぎて、口開いたら即論破される。t出身kの地頭限界で、妻のエリサラ馬力に勝てないの察してるから最初から降参モード。ピチュー理論でピカチュウになれず、黙ってピチュー止まり。
妻が「あなたもっと自分の意見言ってよ」って言っても、夫は「言ったら負ける…」って思ってるだけ。意見言ったら「それ違うよ」で即死確定だから、黙るのが最適解に見えてる。カイカンチュア止まりの防衛本能。
結果、妻側は「話し合いができない夫」にイライラ蓄積して爆発、夫側は「俺が悪いのか…」って自己嫌悪でヌクモリンすら残らず沈没。夫婦で浮遊霊状態になって、アマンレジデンス眺める資格すらなく幻資痛で眺めるだけ。
「話し合いができない夫」って結局、育ちと言語化能力と魂の格の差が結婚で可視化されただけじゃん。治療終わらない慢性疾患。妻が優しく寄り添ってくれれば少しマシになるかもだけど、大抵「なんでできないの!?」で終わる。
いや、いきなりギュ鳴らしで殴んなよ。おれおまの話だ。
地方偏差値表の下層から、なんかの拍子でkに滑り込んで、就活でさらに奇跡起こしてエリサラ入社したピエロ。親戚LINEで「大手入ったの?すごいね」「がんばったね」連発されるたびに、体の奥がギシギシきしむ感じ。あの説明不能のきしみ、誰にも言えない。
t出身kの就職の何が一番ヤバいかって、**治療が一生終わらない**ところだろ。就職コンプは就職じゃ治らない。むしろステージ上がって悪化。末期化する。
エリサラのオフィス入ると、今度は「育ち」と「空気」が容赦なく殴ってくる。言語化されない飲み会のテンポ、ゴルフの雑談、失敗の美学、親の話の匂い。学歴と就職はあるのにホームじゃない。常にアウェー。常に実況席で自分を俯瞰してる。セルフ男子校の延長戦。
飲み会で「親御さん何されてるんですか?」って聞かれた瞬間の気圧理論崩壊。チャージスポット切れ。答えられない。答えても「へぇ~」で終わるあの空気。魂の格で負けてるのがバレバレ。
一方で、地元に戻ると「もう違う世界の人」扱い。話が合わないとかじゃなくて、戻る理由が完全に消滅してる。結果、会社にも地元にも所属できない。浮遊霊。カースト移動の亡霊。
これを「自己責任」で片づけるのは簡単だし、「気にしすぎだろ」で済ませる奴らはだいたいs出身の余裕組だろ。ここで発狂界隈特有の被害者意識がギュッと発動。たまらないわ。
で、予後が悪い。マジで暗い。なぜならあの就活成功体験が「再現不能」だから。もう一度同じ奇跡起こせと言われても材料ゼロ。なのに上司や親は「次は昇進だろ」「転職してもっと上狙えよ」前提で期待かけてくる。期待に応えるたびに内部で何かが削れて、ヌクモリンすら残らない。
たぶん一番キツいのは、「大手入った」こと自体がずっと疑われ続ける点だろ。自分からも他人からも。就職ロンダリング成功しても、心はロンダリングされない。アンティーク理論のまま。魂の格はtの公遺症が染みついたまま。エリサラ馬力稼いでも、世界ランク理論で下位確定。
※追記
もちろん全員がそうじゃない。うまく適応して軽やかにエリサラライフ楽しんでるt出身kもいる。でもそういう奴らはだいたいこの文章最後まで読まない。ここまで読んでしまったお前ら、つまり私たち。予後悪い組。
これはtを腐す話でもエリサラを神格化する話でもない。「就職でカースト移動した人間の後遺症」の話だ。治らないけど、症状は共有できる。共有できるだけで、今日は少しだけ鷲谷内海で耐えられる。和歌李真下。湯茶駄め四。
角がカクカクしてて、個性的だとは思うんだけど、せめてPS3くらいのポリゴンであってほしかった
この間先輩に「お前の彼女、FF7のクラウドみたいだなw」って言われて、リメイクの方しか知らなくて、調べてみたらカックカクで、本当に酷いと思った
流石にここまでカクカクじゃないぞって言いたくなった
ただ周りの彼女見てると少なくともPS4レベルのポリゴンは備えてるから、俺の彼女はやっぱローポリだな…ってなる
「もっとポリゴンが多い彼女がよかったよね…?」って彼女に言われて「いや!?お、俺ローポリの方が好きだし!」とか言っちゃう自分に自己嫌悪
鼻もただのテクスチャだしさ
胸も尖ってる
でもさ、人ってポリゴン数で決まるわけじゃないじゃん?
人って中身なんだよ
メリットも多いんだよ
けれど最近彼女が「私もHD化してもらおっかな…」って言うんだ
「いや、やめとけよ!そのままHD化してもポリゴン数が変わるわけじゃないって聞くよ?」と止めると
「リマスターはお金かかるからさ。今のままが一番だよ」と言ってあげる
フレームレートも安定するしさ
途中で固まったりしなくなるしさ