
はてなキーワード:編集部とは
念願の脱サラを成し遂げたわけだけど、鬱になった
漫画家として軌道に乗ってから仕事を辞め、部屋を引き払い、実家に帰って子供部屋おじさんとして実家で仕事していた
好きなペースで仕事して、好きな時に寝て、好きな時に出歩く
アシスタントはリモートで、自分の場合は担当通して仕事をお願いしていたので直接の会話はもちろん連絡すらしたことなかった
会社員時代に夢見てた生活をしていた訳だけど、仕事の調子が悪くなった時に一瞬で精神的に参ってしまった
先輩は今まで俺のような漫画家を山ほど見てきたようですぐにアドバイスをくれた
・生活習慣
好きな時に寝て好きな時に起きる(ほぼ昼夜逆転)→朝家族と一緒に起きて夜には寝る
・仕事場
好きな時に仕事して好きな時に起きる→仕事するのは平日の5日間、時間は朝9時から夕方5時半まででどんなに仕事が進まなくても夜9時には仕事を切り上げる
・人との交流
人との関わりは担当と家族だけ→他の先生たちやアシスタントと交流を持つ、編集部の紹介で漫画教室の講師も始めた、学生時代の友人や前職で仲良かった元同僚たちとの交流も再会
・運動
という感じ
自分の場合は通院とかせず、編集部の方のアドバイス通りに生活を見直してすぐに改善した
また、担当の先輩からは村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」をもらった
村上春樹の小説は読んだことなかったが、彼の創作論や仕事への向き合い方は本当にタメになった
創作活動している人もしていない人もぜひ読んでみて欲しい
その中で村上春樹が言っていたのが、作家にとっては仕事のリズムが大切だ、ということ
作家は好きな時に好きなだけ仕事ができるし、サボることもできる
しかし、ずっと仕事をし続けるにはやはりリズムを大事にする必要があるとのこと
サラリーマンが40年間仕事を続けられるのは、朝起きて同じ場所に通勤し、決まった時間仕事して、大体同じような時間に帰宅するというリズムがあるからだと
これは本当にその通りだと思う
最近さ、X(旧Twitter)見てると「え、この漫画家もそっち系なの?」ってガッカリする人が多すぎ。
明らかに特定の野党を応援してたり、政権批判ばっかりリツイートしてたり。
あれ見て「漫画家は自由業だからリベラルが多いんだね」なんてお花畑なこと言ってる奴、マジでピュアすぎるだろ。
まずさ、漫画家と編集者の関係を勘違いしてる奴が多すぎる。対等なパートナー?んなわけねーだろ。実態は完全に上司と部下、いやそれ以上の主従関係だよ。
編集者は連載の生殺与奪の権を握ってるわけ。ネームを通すかボツにするか、アンケート順位をどう操作するか、単行本の販促に力を入れるか。全部編集部のさじ加減一つ。そんな相手から「最近の政治について、こういうスタンスで発信してよ」って仄めかされたら、逆らえる漫画家がどこにいるんだよ?
出版社の上層部なんて、マスコミ業界特有の左寄り思想に染まった連中ばっかりなのは公然の事実だろ。彼らにとって、影響力のある漫画家を自分たちの思想の拡声器にするのはコスパが良すぎるんだよ。もし出版社の意向に反して保守的な発言をしたり、野党に批判的なことを描いたりしてみろよ。
こんなの日常茶飯事だよ。漫画家を干すなんて、出版社からすれば赤子の手をひねるより簡単なんだから。
逆に、出版社やマスコミの意向に沿う物分かりの良い漫画家はどうなるか。 急にメディア露出が増えて、大して面白くもないのに「社会現象!」とか言われて持ち上げられる。SNSのフォロワー数だって、バックにいる組織が動けば簡単に操作できるだろ。
今売れてる漫画の半分くらいは、実力じゃなくて「思想的に使い勝手が良いから」っていう理由で、マスコミの力によって無理やり流行らされてるだけなんだよ。
1992年10月3日、前年にアダルトゲームの取り扱いを止めた『テクノポリス』(徳間書店)の元スタッフが中心となってサン出版より創刊。当初は『ログイン』や『コンプティーク』と同様、一般ゲームを中心に取り扱う一般向けパソコンゲーム雑誌であったが、売上が低調であったことから3号目の1993年1月号より刊行ペースを隔月刊に落とし、前年にメディアックスが創刊した『パソコンパラダイス』と同様のアダルトゲーム専門へと路線を変更。それ以後は、順調に売上を伸ばした。
リニューアル後4号目となる1993年7月号で再び月刊誌に戻るが、1994年4月号より再び隔月刊にペースダウンした後に1997年6月号で創刊以来3度目の月刊化を達成。それと並行し、編集部のフルDTP化・編集作業のフルデジタル化を行った。
2010年1月号より、背表紙に表紙イラストの縮小版を掲載している。
2014年8月号でサン出版グループのマガジン・マガジン社を離れ、同年9月号以降は富士美出版へ移籍した。
2016年10月号より、電子書籍版(Amazon Kindle・DMM.com)も本誌発売から1週間ほど遅れて発売するようになっている。電子書籍版に付録DVDのデータは付属しない。
togetterがposfieと分離してから、togetterは編集部公式のみのまとめサイトとなった。
しかし、まとめを作成した者の名前は記載されなくなり、むしろ責任の所在があいまいになっている。
ライターの名前が出てこないことをいいことに、一時期、posfieのまとめをパクる記事が横行したし(今は多少落ち着いたが)、
今度はこのまとめだ。
『高校生でセミナー参加、教団から返金を受け母は中古とはいえ自動車を所有...山上徹也被告の「悲惨な人生」からは不幸は相対性だけで決まらないということを感じる 』
(魚拓:https://archive.is/vGnTa )
それに対するb:id:togetterのブコメ
(魚拓:https://archive.is/5JL0R )
明らかに、個人の逆恨みということに印象付け・事件の矮小化を目的とした悪質なまとめである。
ライター個人が匿名でいられることを利用した明らかな世論誘導工作ではないか。
あそこの人気ブログランキング「https://www.tetsudo.com/のよく読まれているブログ記事のコーナー及び、https://www.tetsudo.com/blog/の最近よく見られたブログ記事(人気順) / 1~20位を表示していますのコーナ」
実は2024年12月2日から真っ赤な改ざんされたデーターの陳列、ウソのランキングが表示されている
ウエブアーカイブなどでその事実は一発でわかるとは思いますのでそちらは検索して調べてください
さて本題の捏造ランキングの概要としては、撮り鉄ドットコムが書いた記事だけ排除する機械的な設定をスタッフが故意に行っている
その結果毎日インプレッション稼ぎ目当ての他のブログサイトの記事ばかり1位から3位を独占する日々が続いていて、無料ブログをやっている他の人間からすれば撮り鉄ドットコムもランキング入れて公平な評価をすべきであるとは感じます。
なお鉄道コムの運営親元は朝日新聞であり朝日新聞は自らファクトチェック編集部というものを作っているらしいが、大阪メトロの記事ではこじつけた結論の記事も散見されたしやっぱり所詮は朝日新聞の偏向報道の一環なんかな?とは思ってます
時計を見る必要はない。秒針の位置はさっき自分で確認したし、木曜のこの時間に僕がここに座っていることは、もはや力学系の固定点みたいなものだ。
今日は一日中、もはや時空を基礎に置くという前提そのものが誤りなのではないか、という地点から考えていた。
多様体の上に量子場を載せるという発想は便利だが、便利であることと正しいことは一致しない。
弦の状態空間をヒルベルト空間として扱う段階で、すでに過剰な可換性を仮定している。
今考えているのは、弦の状態を対象、遷移を射とするような素朴な圏ですらなく、それらの間の自然変換が物理量として意味を持つような、∞-圏値の理論だ。
しかもその圏は、基礎体上に定義されていない。数ですらない。ホモトピー型理論と高次トポスの内部論理でのみ定義できる対象として、弦の相互作用を“存在”させる必要がある。
作用積分? そんなものは比喩だ。今やダイナミクスは、安定な導来随伴の存在性としてしか語れない。
これが何の理論かと問われれば、正直に言って、まだ名前を与える段階ではない。
ただ、少なくとも従来の超弦理論が持っていた次元や背景という概念が、不要なゲージ冗長性だったことだけは確信している。
この感覚は、理解というより検出に近い。ノイズが消えたときにだけ現れる沈黙の形だ。
こういうことを考えている最中に、ルームメイトが後ろから「コーヒー飲む?」と聞いてきた。
僕は振り返らずに「今は圏が非可換だから無理」と答えた。彼はしばらく黙ってから去っていった。正しい反応だ。
隣人は廊下で僕を見かけるたびに、なぜか挨拶の文言を微妙に変えてくる。今日は「こんばんは、今日は静かですね」だった。
僕は「静かさは状態じゃなくて差分だ」と言ったが、彼女は笑っていた。意味が通じていないとき、人はだいたい笑う。
昼過ぎ、思考が一瞬だけ収束を失ったので、頭の中でMTGのデッキを一から組み直した。
土地配分を確率測度として扱い、初手7枚の分布を弱収束で評価していくと、なぜかさっき考えていた高次随伴の存在条件と同型な構造が出てくる。
カードゲームが数学的に美しいのではない。数学が避けられないだけだ。
夕方にはFF14にログインしたが、戦闘には入らなかった。レイドのギミックは有限オートマトンとしては面白いが、今日はもっと非可算なものを扱っていたかった。
代わりに、装備更新の計画だけを立て、必要な資源をグラフ理論的に整理した。実行は後でいい。未来にやるべきことが確定している状態は、精神的に非常に安定する。
夜、アメコミを数冊読んだ。宇宙が何度リセットされても、因果律だけは編集部によって強制的に保存される。その雑さが好きだ。少なくとも、作者は自分が神だと誤解していない。
友人Aからはまた意味不明なメッセージが来て、新しい玩具の話をしていたが、仕様書を読まずに感想を語る行為には応答しないことにしている。
友人Bは相変わらず「それ、役に立つの?」と聞いてくる。役に立つかどうかという問いは、対象が局所最適に落ちることを前提にしている時点で、もう役に立たない。
今はもう、飲み物も所定の位置にあるし、椅子の角度も規定値だ。
それから、明日のためにMTGのサイドボード案を頭の中で3通りだけ完成させる。
この人の経歴って、他の土地と揃えるならば「日本(若しくは東京)生まれ、ソ連→アメリカ→サウジ→パリ→カナダ育ち、ドイツ住み」になって
それだけだと鼻持ちならない上級国民のお嬢様のイメージになるのに
出生地を「板橋」に変えるだけで、庶民的で親しみやすいイメージを醸造する事に成功している。
これが板橋区じゃなくて港区や千代田区だったら、この反応はなかっただろう。板橋区効果すげーな。
こういうイメージ操作を真に受ける人って、たかまつななとかにも騙されやすそう。
板橋生まれ、ソ連→アメリカ→サウジ→パリ→カナダ育ち、ドイツ住みのほりべさん「DPZで書けるのは、公文のおかげ」|デイリーポータルZ編集部
https://note.com/dailyportalz/n/nf198aee6c35f
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/dailyportalz/n/nf198aee6c35f
プロイセンの軍事思想家カール・フォン・クラウゼビッツは、こう記した。「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続にすぎない」。クラウゼビッツの死後、1832年に出版された著作「戦争論」から、ほぼ全ての陸軍将校が学ぶ一節があるとすれば、それは、武力紛争の目的を定義したこの言葉である。
1月3日朝、米軍がベネズエラを攻撃し、独裁者ニコラス・マドゥロ氏を拘束して米国に連行し刑事訴追するというニュースを耳にした時、真っ先に頭に浮かんだのが、この言葉だった。
理由は単純だ。ベネズエラへの攻撃は、19世紀の世界秩序が崩壊する前、2度の壊滅的な世界大戦が起こる前、そして米国がまさに実行したような国家の行動を阻止するために設計された国際法と外交体制が生まれる前の、異なる時代を想起させるからだ。
あらゆる国家が決定すべき最も重要な課題の一つは、いつ、そしてどのように、戦争を遂行するかである。ちなみに、クラウゼビッツを道徳観念のない戦争推進者と見なすのは誤りだ。彼はこの概念を発明したわけではなく、当時の世界を描写したに過ぎない。彼の言葉は、人類史の大半において主権国家が戦争をどのように捉えてきたのかを端的に説明している。
強国が「戦争は政策の延長に過ぎない」という原則のもとで行動する時には、マフィアのボスのような振る舞いに陥りやすい。弱い国とのあらゆる相互作用には何らかの形で武力の脅威が伴うことになる。素敵な国ですね。もし何か起きたら残念ですね、という具合に。
これは空想ではない。トランプ米大統領はアトランティック誌との電話でのやりとりで、マドゥロ氏の副大統領を務めたベネズエラの新たな指導者デルシー・ロドリゲス氏を脅した。「彼女が正しいことをしなければ非常に大きな代償を払うことになるだろう。おそらくマドゥロよりも大きな代償だ」と述べた。
外交と経済的圧力は、依然としてほとんどの場合、強国がとる最初の手段である。しかし、意図した成果を上げられなかった場合に次に何が起こるかは、ベネズエラでの米国の攻撃の映像を見ればわかるだろう。
しかし、クラウゼビッツ的な見方は、国家とその指導者たちにとって唯一の選択肢というわけではない。国際関係にはより優れたモデルが存在する。それは悪の存在と国家の利益という現実を認めつつ、平和と人命を守るための境界線を引くものだ。
人類はクラウゼビッツとアクィナスの間を揺れ動いてきたのだと、筆者は分析します。歴史を振り返りつつ、今回の米トランプ政権のベネズエラ攻撃をどう読み解くのか。「戦争は政治の延長」の先にある世界とは……。
13世紀に書かれた「神学大全」でアクィナスは、後に「正戦論」として知られる三つの基本要件を提示した。
第一に、戦争は主権者の合法的な行使によって遂行されなければならず、野心的な個人の私的な冒険主義によってはならない。
第二に、戦争は正当な大義に基づかなければならない。例えば、国家の自衛や集団的自衛は明らかに正当である。
第三に、正当な目的、すなわち善を推進し、悪を回避しなければならない。
戦争の形態の変遷を考える一つの方法は、人類がクラウゼビッツとアクィナスの間で揺れ動いていると捉えることだ。強い国は弱い国に自らの望みを押し付け、やがては強国が互いに押し付け合おうとする。必然的に大惨事が起き、アクィナスに立ち返る。
この揺れ動きの結果は、実際に歴史の長い流れの中で確認できる。紛争による世界の死者数を分析すると、戦争は常に存在するものの、その激しさは強弱を繰り返していることがわかる。極度の苦痛と死の時代は、比較的平穏な時代を経て、再び恐怖の時代へと続く。
第1次世界大戦以降の歴史を考えてみよう。塹壕(ざんごう)戦での絶え間ない殺戮(さつりく)の後、世界は侵略戦争を禁止し、平和を維持するための国際機関である国際連盟を設立しようとした。
国際連盟は、米国が加盟を拒否したことも一因となって失敗に終わり、さらに恐ろしい世界大戦を経て、今度は米国主導のもとで世界は再び試みた。
アクィナスの思想は国連憲章の随所に反映されている。憲章第2条は侵略戦争を禁止し、51条は大国を抑制するための個別的・集団的自衛権を認めている。そして第5章は平和維持のために安全保障理事会という機関を設立した。
この体制が完璧だとは誰も言わないだろう。だが、第2次世界大戦後も侵略戦争が起きる中で、この体制は主要な目的を達成してきた。世界は大戦を免れてきたのだ。
ただ、アクィナスのモデルは、二つの敵と戦わなくてはならない。権力への願望と記憶の風化だ。正戦論は、強者の自制を求めている。大国に自らの願望を押し付けることを控えさせ、短期的な国益より、国際平和と正義という長期的な目標を優先させることさえ求める。
ここで記憶の風化が作用する。人々が世界大戦を記憶している間は、自制はより説得力を持つ。国連とNATO(北大西洋条約機構)をつくった人々は、2度の戦争を経験していた。その意味で、侵略戦争に対する道徳的議論は、現実的な意義を持つ。
世界は、力への願望が国際情勢を支配する結果を目の当たりにしてきた。指導者たちは、最も壊滅的な紛争がごくささいなきっかけから始まることを知っているし、知るべきである。
例えば、1914年にガブリロ・プリンツィプがサラエボでフランツ・フェルディナント大公を狙撃し、オーストリア・ハンガリー帝国が小国セルビアに軍を動員した時、1600万人以上が命を落とす戦争になることを、いったいどれほどの世界の指導者たちが察知していただろうか?
写真・図版
サラエボで起きたオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公と妻の暗殺事件を報じる朝日新聞紙面(1914年7月30日付)
記憶が薄れるにつれ、クラウゼビッツのモデルはより魅力的に映る。その一因は、まさにベネズエラで起きたように、即効性のある結果をもたらし得るからだ。
とはいえ、トランプ氏のベネズエラ介入に激しく反対する人々でさえ、マドゥロ氏の支配を美化すべきではない。彼は腐敗した暴力的な独裁者であり、国民を抑圧し、貧困に陥れた。
経済指標がその実態を物語っている。マドゥロ政権が発足する前年の2012年、ベネズエラの国内総生産(GDP)は3720億ドルを超えていた。それが、2024年には1200億ドル弱にまで急落した。壊滅的な崩壊だ。
マドゥロ氏が権力を維持できたのは、民主主義を無視したからに他ならない。選挙監視員たちによると、2024年の選挙で、3期目をめざしたマドゥロ氏は30ポイント以上の差で負けていたとされる。対立候補のエドムンド・ゴンサレス氏は65%を超える票を獲得し、マドゥロ氏はわずか30%強だった。しかし公式集計ではマドゥロ氏の勝利が宣言された。
ただ、GDPの数値や得票数だけでは、マドゥロ政権が人々にもたらした苦難を語るには不十分だ。2014年以降、貧困や汚職、抑圧から逃れるために約800万人のベネズエラ人が国外へ脱出した。これはマドゥロ氏が大統領に就く以前の人口の4分の1以上に相当する。
トランプ政権は、マドゥロ氏を権力の座から追放することが米国の国益に最もかなうとの判断を下し、議会の承認を得ることなく、完全に独自行動をとった。
写真・図版
米フロリダ州で2026年1月3日、記者会見に臨む米国のトランプ大統領。後ろにいるのはルビオ国務長官=AP
第一に、トランプ氏は、米国法の要件を無視し、一方的に行動した。議会と協議せず、宣戦布告も取り付けなかった。彼は、ただ自らの権限だけで、主権国家を攻撃したのだ。
マルコ・ルビオ国務長官は、政権の行動は戦争行為ではなく、「法執行活動」であり、国防総省は容疑者を逮捕する公務員たちを守っていたにすぎないと主張している。
この弁明は笑えるほどにお粗末だ。この理屈では、大統領は敵対する指導者を起訴し、指導者の逮捕に必要な大規模な軍事力は単に法執行を保護しているだけだと主張することで、事実上あらゆる戦争を法執行活動に変えることができる。これは議論ではない。言い訳だ。
第二に、トランプ氏は開戦事由も、国際法や国連憲章が認める正当な理由もなしに攻撃を仕掛けた。ハーバード大教授で、ブッシュ政権(子)下で司法省法律顧問局次官を務めたジャック・ゴールドスミス氏が指摘したように、(国連)憲章の命令を執行する明確な方法がないとしても、この攻撃は明らかに憲章に違反している。
第三に、独裁者を権力の座から追放することは正当な目的になりうるかもしれないが、民主的に選出された野党指導者を無視するというトランプ氏の決定は、非常に問題である(編集部注:トランプ氏は15日にベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏と会談した。)。腐敗した政権の残党が、米国企業の石油取引交渉の要求に従い、依然として国を統治していることは、自由と民主主義を犠牲にして腐敗と抑圧を永続させる危険性がある。
これらは何も新しいことではない。歴史家のニーアル・ファーガソン氏は、トランプ氏のベネズエラへの攻撃は、第1次世界大戦の惨事以前の時代の政治と外交の復活という、より大きな全体像の一部であると述べている。
19世紀後半の南北戦争後に米経済が急発展した金ぴか時代の砲艦外交は、米国が中南米を支配していたことを確かに意味していた。それは、この地域に植民地に似た現実を押し付けた。各国は少なくともある程度の米国の監視の下で発展し、主権は米国が認める範囲にとどまった。
トランプ氏のベネズエラ攻撃もまた、何もないところから出てきたわけではない。昨年12月、政権は国家安全保障戦略の文書を発表し、西半球を最優先に位置づけた。
この文書はアジア、欧州、中東に先立って米州を扱い、「西半球における米国の優位を回復するため、モンロー主義を再確認し実施する」と宣言した。
大統領はすでに、19世紀の米国外交政策を復活させる自らの政策に「ドンロー主義」という名を付けている。
トランプ氏はドンロー主義を熱心に推し進めている。カナダとメキシコに対して経済戦争を仕掛け、カナダは米国の51番目の州になるべきだと発言した。NATOの同盟国であるデンマークの主権領土の一部であるグリーンランドにも野心を抱いている。
写真・図版
デンマークのコペンハーゲンの米国大使館前で2026年1月14日、グリーンランドはグリーンランド人のものだと抗議する人々=ロイター
ここで再び、影響圏による世界支配と、「政策の延長としての戦争」という非道徳的アプローチの致命的な欠陥に直面する。小国は強国に支配されることを望まず、強国はライバルの台頭を望まない。故に同盟を結ぶ。1914年、セルビアにはロシアが、ベルギーには英国がいた。1939年にはポーランドにフランスと英国が味方した。
なぜ南米諸国が他国との緊密な関係を求めるのか、米国人が疑問に思うのならば、むしろ彼らと米国との歴史的経緯や、南米の人々がモンロー主義の攻撃的復活をどう捉えているかを問うべきだろう。
一つは、トランプ氏がベネズエラ介入で先例をつくったというものだ。ロシア、中国、イランといった国々は、自らの勢力圏でその先例に従おうと躍起になるだろうし、我々が取ったのと同じ手法を敵対国が自らの勢力圏で取っても、我々に異議を唱える資格はなくなる、というものだ。
しかし、ウラジーミル・プーチン氏のロシア、習近平氏の中国、革命体制のイランは、正戦論や道徳的議論などみじんも気にかけたことがない。彼らがある程度抑制されているのは、抑止力によるものであり、もし抑止力が失敗すれば、純粋な軍事力による。
もう一つの議論は、正戦論が決して全会一致で受け入れられることはないことを認めるものだ。国連憲章が往々にして実践的というより理想論的なものにならざるを得ない運命にあることを認識するものだ。
この議論は、世界秩序の存続が強国に依存するわけではないが、米国という最大の強国には依存していることを認識している。言い換えれば、我々の国がアクィナスに傾倒していることが、クラウゼビッツを遠ざけているのだ。
安全保障理事会の常任理事国5カ国のうち、米国・英国・フランスの3カ国だけが国連憲章と国際法に従う状況で、我々はかろうじて世界秩序を維持している。しかし、もし米国がロシアや中国と同様の武力紛争や国際関係へのアプローチを採用すれば、西側の戦後コンセンサスは完全に崩壊する。
写真・図版
ベネズエラの首都カラカスで2026年1月6日、3日前に米軍に拘束されたマドゥロ大統領の解放を求めるデモのそばに「トランプ:殺人者 誘拐犯」などと書かれた落書きがあった=AP
「アメリカ第一主義」は必ずしも孤立主義ではない。主権国家の指導者を逮捕し、その国を「運営する」と宣言することに孤立主義的な要素はない。だが、それは短絡的で、正義と平和を犠牲に、国家権力の高揚感を追い求めている。
トランプ氏がいま、まさにその高揚感に浸っているのは明らかだ。1月4日の夜、米NBCは、トランプ氏が依然として「我々はベネズエラを運営していく」と発言していると報じた。トランプ氏は「彼らが従わなければ、第2の打撃を加える」と付け加えた。
トランプ氏が考えていたのはベネズエラだけではない。「コロンビアも非常に病んでいる」、キューバは「崩壊しつつある」と彼は述べた。さらにイランが抗議デモPermalink |記事への反応(1) | 23:06
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ちょめ「室外機室 ちょめ短編集」
特別展「鳥 ~ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統~」於・国立科学博物館。
昨年に引き続いて阿部勤也を読んでいる。歴史系の本は雑学が増えて楽しいし、現代で当然とされていることが全く通用しない世界をイメージできるので、自分の価値観が相対化できる(時折正しいかどうかだけが自分の判断軸になり、どう感じているかをおざなりにしがちなので大事)。他には地学や土壌が気になってたようだ。
なお、昨年までやっていた星印の評価はやめにした。同率二位とか三位とかを考えるのが面倒だったからだ。……とか思ってたけどやっぱり直感でやることにした。
乙一「TheBook ~jojo’s bizarreadventure 4thanother day~」
志村史夫「古代世界の超技術〈改訂新版〉 あっと驚く「巨石文明」の智慧」
コタニヨーコ「夏が、僕らの世界を見ていた」
熊倉献「春と盆暗」
「フリクリ」
特別展「魂を込めた 円空仏 ―飛騨・千光寺を中心にして―」於・三井記念美術館
久し振りに芥川賞を読んで面白いと感じた。自分の好みは、語り手が男性で、非常に知的であるか(丸谷才一をこの年読んだのはそのため)、怒りや暴力性などを抱えている作品にハマることが多い。もちろん例外も多数ある。というか読書の趣味は例外だらけだ。
あとは、高校生以来で「百年の孤独」を再読したが、当時と比べて複雑なストーリーを理解する能力が向上していたとわかったのは嬉しい。
「ジョジョ」や「フリクリ」など、すでに知っている物を手に取ったのはファン心理かもしれないし、これは外れないだろうというある種の安心(または怠惰さ)かもしれない。面白かったけれどね。
志村史夫「古代日本の超技術〈新装改訂版〉 あっと驚く「古の匠」の智慧」
篠田謙一「新版日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造 (NHKブックスNo.1255) 」
アシュリー・ウォード「ウォード博士の驚異の「動物行動学入門」動物のひみつ 争い・裏切り・協力・繁栄の謎を追う」
「生誕150年記念モンドリアン展純粋な絵画をもとめて公式図録」
「生誕100年ジャクソン・ポロック展 JACKSON POLLOCK[図録]」
丸谷才一「横しぐれ」★★★
「特別展 慶珊寺と富岡八幡宮の名宝―『大般若経』が語る中世東国史―」於・金沢文庫。
また、この月は数年前に行けなかった美術展の図録を買って楽しんだ。たまたま行けなかったり、コロナ禍で自粛してしまったりしたもので、ずっと喉の小骨のように行けなかった後悔にさいなまれていたのだが、すっきりした。
丸谷才一「樹影譚」
ハンフリー・カーペンター「J. R. R.トールキン 或る伝記」
J. R. R.トールキン「農夫ジャイルズの冒険トールキン小品集」
A. A.ミルン「クマのプーさんAnniversary Edition」
A. A.ミルン「クマ横丁にたった家Anniversary Edition」
エーリヒ・ケストナー、池内紀訳「飛ぶ教室」★★★
児童文学が多い。「飛ぶ教室」は男子校を卒業して二十年余りの自分にはとても良く刺さった(小さい頃にもらったのだがパラパラめくっただけだった。たぶん自分の中の男性性を求める心が強く目覚めていなかったんだろう。あるいは、一生付き合っていきたいという友人に出会う前だったからかもしれない)。また、今まで触れてこなかったトールキンの作品に触れて楽しかった。これは十二月の洋書による再読の遠因となる。
スタインベックは障害観が少々古いが、無駄な場面がなく、悲劇としての構成が美しい。
湊一樹「「モディ化」するインド ――大国幻想が生み出した権威主義」★
J. R. R.トールキン著、クリストファー・トールキン編「ベレンとルーシエン」
相国寺承天閣美術館開館40周年記念 相国寺展―金閣・銀閣鳳凰がみつめた美の歴史。
うろこの家・展望ギャラリー、山手八番館、北野外国人倶楽部、坂の上の異人館。
湊川神社宝物殿
いつもの月と比べて大変に少ない。今月は休みの日に読まなかったのと、「終わらざりし物語」が上下巻それぞれ五百ページ超えと大変に長かったためである。四月までの分を加えれば平均して月十冊は読めているし、味わわずに読み飛ばすよりははるかにましである。というか、三月四月と十五冊読んでるじゃないか。プラスマイナスなし。
年始から神道をはじめとした日本の信仰について読んでいる。記紀に記載のない神々や、民間の信仰、仏教との混交などの知識が増え、日本神話についての解像度が上がった気がする。
なお、「クィンティ」はファミコンゲームで、これをスイッチでプレイした。祖父の家に合ったもので子どもの頃はクリアできないなりに楽しんでいた。スイッチの巻き戻し機能を利用してやっとクリアした。
余談だが昨年はクリアしないなりに「パリア」をプレイしたのだった(結局こういうクエストものや箱庭・スローライフものはそこまで好きじゃないというか飽きるとわかった。スローライフと言いながら結局採取や労働をしており、仕事で疲れて帰ってきてやるモチベーションが湧かない)。「Neo Atlas」は二〇二二~二〇二三にプレイしたが結局飽きている。世界を探検するのが好きなのはcivilizationで分かっているのだが、通知がひっきりなしに来るので、これもリアルな仕事と似ていて疲れた。
飯島吉晴「竈神と厠神 異界と此の世の境」
ダニエル・T・マックス「眠れない一族食人の痕跡と殺人タンパクの謎」★★★
成澤勝嗣「もっと知りたい狩野永徳と京狩野 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
狩野博幸「もっと知りたい河鍋暁斎 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)」
稲垣栄洋「生き物の死にざま」
小泉悠、高橋杉雄、太田啓之、マライ・メントライン「ゴジラvs.自衛隊アニメの「戦争論」」
小塩 真司「「性格が悪い」とはどういうことか ――ダークサイドの心理学」
綾辻行人「どんどん橋、落ちた」
櫻井武「SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか」
安田峰俊「民族がわかれば中国がわかる 帝国化する大国の実像」
「ACNラムセス大王展ファラオたちの黄金」於・クレヴィアベース東京
軽めの本が多め。
この後読む皇族の本も含め、学問の世界の厳しさに触れる本が多かった。知識を蓄えるのではなく、同じ問題にずっと取り組み続け、微細な差異や違和感に疑問を持つ才能がないと、研究者としてやっていくのは難しい(これはうまくできなかった自分を慰めている側面もある)。
脳科学については、著者の主張や意見のウエイトが大きく、前々から気になっていた意識や心の哲学についてはそこまで突っ込めなかった。ジャンル全体の概観をつかむだけなら、おそらくウィキペディアを拾い読みしたほうが早いか。
『BURRN!』という音楽雑誌がある。ハードロック/ヘヴィメタルの専門誌で、1984年に創刊された歴史ある雑誌だ。
私は1980年代のヘヴィメタル・ブームにこのジャンルに目覚め、1989年頃から欠かさず買うようにしていた。
当時はまだネットで情報が入手できる時代ではなかったので、誌面中央に掲載される海外ニュースや巻末のレコード・レビュー、
そして間に挟まるレコード屋の広告に載っているレア盤の情報などは、どれも貴重な情報だった。
雑誌の発売日は毎月5日。
いつもその日を心待ちにしていたが、近所の小さな本屋が発売前日の夜8時頃には棚に並べるのを発見してからは、4日がその楽しみの日になった。
雑誌を買って帰ると、表紙から最後の編集後記まで2〜3時間かけて熟読する。
そして、新譜情報や特集で紹介された過去の名盤のタイトルとアーティスト名をメモしてCDショップに買いに行くのだった。
渋谷のタワーレコードの試聴機でチェックしたり、WAVE、ディスクユニオンなどを巡って毎月10枚以上買っていたと思う。
西新宿の輸入盤店を巡ったりもした。あの頃、私の音楽の情報源の中心には間違いなくこの雑誌があった。
あれから40年近くが過ぎた。いい年していまだにヘヴィメタルは好きだが、最新のニュースやレビューはウェブで入手できるようになり、
『BURRN!』の発売当初は500円だった定価も、今や1,200円となり、ページ数は最盛期の190ページから145ページになった。
紙質が変わったので物理的に薄くなった気はしないが、情報量的には薄くなった気がする。
巻末の編集後記を見ると、かつて9人ほどいた編集部員も今や3人なので無理もないことだろう(顧問の伊藤政則氏を入れると4人)。
表紙を飾るのは相変わらず1980年代に活躍したアーティストで、巻頭インタビューや中綴じのポスターも当時の顔ぶれだ。
そして、かつては5ページはあった海外ニュースが今や1ページに凝縮され、そこで目にするのは馴染み深いアーティストの訃報ばかりだ。
最近は国内の女性バンドが多く取り上げられるようになったのが目立つ変化だろうか。
あんなに時間をかけて読み耽っていた雑誌が、今では10分ほどでページをめくり終えてしまうようになったのは寂しいことだ。
これから先も70〜80年代のアーティストの訃報は続くだろうし、編集部の世代交代を含め、雑誌としての持続性にも一抹の不安を覚えてしまう。
休刊するその日まで付き合い続けるという選択肢も考えたが、生活習慣や支出を見直す中で、どうしても優先順位を下げざるを得なかった。
何よりジジイになり、小さな活字を追うのが辛くなってきたという切実な理由もある。
これほど長い間、購入を続けた雑誌は他にないので、『BURRN!』には本当に感謝しかない。
お気に入りのアーティストつながりで新しいバンドを発見する喜びや、過去の作品群を掘り下げる探求の楽しみなど、
この雑誌がなければ私の音楽人生はこれほど豊かなものにはならなかっただろう。
思えば、かつてはパソコン雑誌も発売日を指折り数えて待っていたものだ。
それらも次々と姿を消し、今や「紙の雑誌」をめくる高揚感そのものが、ひとつの贅沢になりつつあるのかもしれない。
かつて愛読した雑誌を棚で見かけたら、その時はまた、気が向くままに手に取ってみようと思っている。
與那覇潤「歴史を忘れ去り、言葉を「凶器」として使う時代をどう生きるか:うつを体験した元・34歴史学者の「遺言(聞き手/現代ビジネス編集部(2018.6.16、ttps://gendai.ismedia.jp/artic」」)les/-/56069、最終確認日、2018.1.8)は、実証史学に対して、ただし――これも職場を辞めたおかげで本当のことが言えるけど、「教育者」としては、「実証史学者ってどうなんだ」という気持ちをずっと持っていたのは事実なので、それが伝わったのかなとは思います。/たとえば実証をやっている先生が、学生に古文で書かれた昔の史料を見せたり、場合によってはお寺なんかに連れていって、本当に生の原文書に触れさせる。もちろん大学院に進んで研究者を目指すような子にとっては、貴重な第一歩でしょう。でも、それ以外の大多数の学生は、そこでなにをしているんですか? という話です。/ストーリーのない、単なる「キャラの集合体」としてしか歴史が享受されない現在では、それは単なる「究極の萌えアイテム」に触れさせていることにしかならない。/そこが見えていない人たちが、「どうして世間では、『日本すごい本』のようなエセ歴史書ばかり売れるんだ、けしからん」といくら言おうと、世の中は変わりません。「公文書の管理!保存!」とだけ叫んでいても、次はもっと巧妙化した「バレない森友問題」が起きるだけで、なにもよいことは起こらないのと同じです。と述べている。歴史家を廃業したからこそ言える本音とのことである。 失礼かもしれないけれども、数年教壇に立って「教育者」だという感覚は、私のように30年以上教壇に立ってきた者からすると「片腹痛い」という感じである。さらにいえば、数年の経験で「ずっと持ってきた」と言われても、ため息しか出ない「事実」といわれても、何か勘違いではないか、と思える。とても元「歴史学者」。の発言とは思えない。厳しい言い方になるが、自分の感じたことを「事実」と即断するのは余りにも短絡的、感情論的である。與那覇氏は実証史学者には世の中を変える力はないと断言する。しかし評者は「実証史学」こそ世の中を変えていく力があると考えている「巧妙化した「バレない森友問題」が起き」たとしても、その虚飾を打ち破れるのは実証史学しかないではないか。與那覇氏には挑み掛かることすらできないのではないだろうか。このような「実証的歴史学」に対する批判を元「歴史学者」と自任する方が公言しているところに歴史学・歴史教育の置かれた困難な状況がある。(以上、向野「百田尚樹著『日本国紀』騒動茫観記」p.23)
「自分の感じたことを『事実』と即断するのは余りにも短絡的、感情的である」というのはまさにその通りである。わずかな出来事を大げさに取り上げて全体を論じる與那覇に、これほどふさわしい批判はない。他にも片腹痛い、勘違い、元「歴史学者」と自任、等々かなり手厳しい批判である。にもかかわらず、與那覇は何の反論も加えていない。これはもう向野の批判に與那覇は反論できない、「ニセモノ」化して無視するしかなかったという事実に他ならない何よりの証拠ではないか。もし、與那覇がこれを見てそんなことはないと思うなら当然、向野の批判に毅然として応答できるだけでなく、今日まで沈黙してきた理由を全部納得ゆくまで説明できるはずである。
他者をTwitterでたかだかブロックすることすら議論から逃げている、引きこもると批判しておきながら、自分は批判に対して逃げ続ける。これこそ與那覇潤という人の本質に他ならない。これが不服ならこれらの批判に対して正面から反論すればいい。あわせてなぜ今日まで批判を「なかったこと」にしてきたかも、「ホンモノ笑」なら当然納得いく説明ができるはずだ。「取り合う価値がない」と言うなら、與那覇に批判されてきた人たち全員が與那覇にそう返せばいいだけのことだ。そう、與那覇はもう詰んでいるのだ。それを気づかずに延々と意味不明な戯言を書き連ねている。與那覇には恥や節度というものがまるでないようだ。
ttps://researchmap.jp/kouno-masahiro
これからも匿名のブログだが與那覇の「味付け」と「店」に対してクレームを入れ続けたい。そうすることもまた一つの使命だろう。與那覇のバカげた議論をバカにし続けることが大事だと與那覇キラーyunishioは述べていたが、その役割をわずかでも担えればと思っている。
断言しよう。今後も與那覇がこのブログに言及することは未来永劫ない。それこそが與那覇が「ホンモノ」(爆笑)である所以である。
ブコメでは男女関係なく…に投じたけど、あえて言うと「女」だと思う。
女の人生は危険。ゾンビのように男たちが群がって攻撃してくるから。人格をみるのではなく女性であることだけを評価され、モノとして消費してくる。人気が出やすいという面は一見良いことに思えるが、心の中ではペットのように扱っている。被害の声を上げても、マウンティング欲で叩き潰しにくる。彼らの言葉には合理性が必要ない、集団の同調圧力で動くから。
夜道で音楽を聞きながら散歩するのが趣味、と言ってる人は男性だ。女性は恐ろしくてそんなことはできない。電車に乗るためにメイクという武装が必要になる。最近、モテないとなげく男性たちを悩ましているバズワードの清潔感だが、女性は当然デフォルトで備えてるものとして暗黙のうちに要求されている。スキンケアから髪のお手入れ、メイクまで、毎日時間とコストを掛けさせられている。清潔感の習慣が当然すぎて「他人のためにメイクしてるわけじゃない」と自分に言い聞かして心を麻痺させている。そうしなきゃ、やっていけない。
社会は男性を基準に作られている。給料は男女平等でなく、セクハラリスクに常にさらされてる。理系の大学は男性に占領されている。エンタメの領域でも例えば冒険マンガは人気があってアニメ化もされやすいのに「少年漫画」というラベルが貼られて女性は門前払い。大手出版社の編集部には女性がいないことで有名だが、冒険は少年特有の精神性のようなことが大っぴらに主張されている。
AED を使って救命されるべきシーンでも差別され実際に多く見殺しにされる。女性にAED を使わない、とする勇気を欠いた冷血な人たちの割合は有意に高い。
男性の人生についてはナゾが多い。確かに自殺率や不幸率は高いが…、具体的に何がどう辛いのか、男性特有の事情が全く表沙汰にならない不思議。
Tとか8とかあの辺の人たちね。
名乗るのは自由。名乗ったからといって、誰かがチェックするわけでもない。
裏取りに失敗しても、編集部に怒られるわけでもない。誤報を出しても、せいぜい炎上して終わり。
それなのに「権力を監視する側」ってポジションだけはもらえる。
これ、冷静に考えるとかなり歪んでる。
肩書きって本来「この人はここまで責任を負っています」というラベルのはずなのに、
ジャーナリストだけ「信用はもらうけど責任は任意です」みたいな扱いになっている。そりゃバグる。
強く言い切った方が勝ち。断定した方が拡散される。訂正は誰も評価しない。
合理的に行動したらどうなるかというと、過激な物語を書くのが正解になる。
制度がそういう人を量産するようにできている。
他人には説明責任を求めるのに、自分は説明しない。批判は正義で、自分への批判は弾圧。
ただ、名乗る自由があるなら、信用は自動で付与されるべきじゃないと思う。
#真相をお話しますが失敗したことをできていたがパワーはダウン。
いろいろ考慮して61点くらいはあった気がする。暇つぶしに見る分には問題なし。
まず最初に、俺の中での勝手な落胆があってやや点数が辛めについていることは明言しておきます。
「この動画は再生できません」漫才コンビかが屋主演の短編ドラマ。投稿ホラーOVAの編集部に勤務する編集マンのかが屋Aとディレクターのかが屋Bが持ち込まれる様々な曰く付き映像を編集室で見て、映像内の出来事の違和感などからその映像の裏側を検証する安楽椅子探偵系のミステリ作品。今作はその映画化。
いきなりドラマ版のネタバレをするとシーズン1でかが屋Bが実は死んでおり幽霊だったことが明かされ、シーズン2でそれが殺人でその犯人が判明する。そしてこの映画版、だったので俺はてっきり今作ではかが屋Bの殺害の謎が解決する話だと思って挑んだんだけど、別にそんな話では全然なかったのでな~んだってなっちゃった。
内容としてはドラマシリーズと同じく、映像の謎を検証していく話。今作ではカルト作品「冬の空」のDVDの謎、ホラー系Youtuberの炎上配信、町ブラロケの映像の3つを取り上げ実はその3つの映像はすべて昔のとある事件にまつわるものだったということが判明する。
まずよかったのは「一見関係なさそうな3つの短編が1つの物語に収束されていく」快感があったこと。これは俺が#真相をお話しますで批判したポイントだったけど、今作ではそれがちゃんとなされておりある程度納得性もあるような作りになっていた。この点に関しては(2時間SPでよかったのではという点はさておき)1本の長編映画にする意味をちゃんと感じられたのでよかった。
あとそれぞれの映像の謎が一回作中で解けた上で、さらに後程二回目のそれぞれ別の側面があったことが判明する展開もミステリとして頑張っていてよかった。ただ各映像の謎自体は大きな事件のためのつなぎ的な意味合いが強くて、ドラマ版より弱くなってたのは気になった。ミステリとしての強度は当たり前だけど#真相をお話しますのほうが上だったかな。まぁあっちはゴリゴリのパスラー小説が元ネタだからしゃーないけど。
もう一つは映画内での展開が登場人物の成長という作中のロジックに合致していたこと。前述したとおり、ドラマシリーズは安楽椅子探偵的に2人が編集室内で映像の謎を検証する話になっていて、その謎が解けても2人は別に何もしない。そういう映像だったのね、おしまい。という話だが、今作では2人は初めて編集室を飛び出して問題解決に動く。
同時に編集マンであるかが屋Aが「昔はディレクターになりたがってたけど才能がなかったから編集になった」という話が明かされ、実は今でもディレクターに興味はあるが編集の仕事が楽しいと理屈をつけてそちらを見ないようにしていたことが匂わされる。そんな彼が「編集室を飛び出し」問題を解決し、作品の最後には「ディレクターとして映像作品を発表」するという展開は映画的なダイナミズムと同時にロジックとして非常にエモく美しかった。
3つの無関係っぽい映像が実はつながっていたという展開自体の結合は強いのだが、その映像が出てくる展開がめちゃくちゃ雑。「冬の空」はオカルト系出版社からなんか変だから見てと持ち込まれる。これはいい。次のYoutuberの話はその検証に疲れたかが屋Aが寝る前にかが屋Bと雑談してる途中に「そういえばまたYoutuberが炎上してましたよ」と急に言い出してその配信を見るという流れになる。そして町ブラに関してはオカルト系出版社の人から唐突に何の連絡もなく編集間に合わないからやっといてくれと投げられる。
一見無関係の映像が繋がっていくという展開が必要なのはわかるけどすべてがあまりに唐突すぎてドラマ3本くっつけました感が強すぎて流石にちょっと萎える。なんかもうちょっとうまい接着はなかったのか。
ダイナミックネタバレすると「冬の空」の撮影中にヒロインの女優が自殺してそれを隠ぺいするために監督がDVDを編集したりYoutuberを脅かしたりしてたって話になる。でも、さすがにヒロインの登場シーン全部カットするの無理じゃないか?もはやそんなもん作品として成り立たないし「だからカルト的な作品になってたのね」ってフォローはあるけど、犯人の動機が「俺の作品を残したかった」ことだと考えるとこんな作品残したいと思うか?ってシンプルに疑問。あんなに作品の完璧さにこだわった人間が作中のテロップのフォントが2種類あるなんてミスを犯すとも思えない。
映像の些細な違和感から謎を解き明かす系の作品でこの辺の細かいところおざなりにしてるの気になっちゃう。
まぁ、この動画は再生できませんの映画版としてはしっかり仕事してると思うし1本の長編作品としても成立しているので孤独のグルメ劇場版とかと比べても全然見る価値ある。アマプラで無料で見られるからドラマ版ファン、後は謎解きミステリ系が好きな人には普通にオススメ。
pixivの百合文芸小説コンテストが久しぶりに開催されることになった。途中で挟まれた百合文芸マンガ原作コンテストをカウントしない場合、3年ぶりの開催となる。
協賛(共催?)社はまたもや変わっており、中でも重要なのはGCノベルズだろう。
今回の百合文芸は「大賞」枠がなくなり、主な賞は「コミック百合姫賞」(両部門合わせて1名)、「GCノベルズ編集部賞」(長編部門より1名)、「特別賞」(両部門合わせて1名)となっている。このうちGCノベルズ編集部賞は書籍化確約を掲げている。
GCノベルズとはどんな所ぞやと調べてみると、代表作としてはあの有名な『転生したらスライムだった件』があるほか、百合作品も『
「人斬り」少女、公爵令嬢の護衛になる』や『「お前ごときが魔王に勝てると思うな」と勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい』といったタイトルが刊行されているようだ。最後に挙げた『おまごと』は2026年1月8日からアニメが放送されるということで、百合方面の作品展開には乗り気なタイミングかもしれない。
こうして各賞を俯瞰してみると、今回の対戦環境は①大賞がない、②受賞枠が少なめ、③長編異世界モノの投稿がさらに増えそう、といった点に特徴づけられそうだ。
③はGCノベルズのレーベルカラーから容易に推測できることだ。
GCノベルズの刊行作品はほとんどが異世界モノで、GCノベルズ編集部賞も異世界モノから選ばれる可能性が高い。あだしまやわたなれのような青春ラノベならワンチャンなくもないが、間違っても硬派な歴史モノや純文学が受賞するとは誰も考えていないだろう。
それに加えて百合姫賞の方では第4回で異世界ファンタジーが受賞し長期連載された実績があるので、GCノベルズ編集部賞と百合姫賞の両方を視野に異世界モノを執筆する流れは出てきそうだ。
そして①、②から考えると、いくら文学的に優れた作品や文章の美しい作品を書いても大きな賞は貰えない可能性がある。コミカライズを目指す百合姫賞と書籍化確約のGCノベルズ編集部賞がカバーできる範囲はかなり狭いからだ。
さらに百合姫賞と特別賞は短・中編部門と長編部門の「両部門合わせて」1名。書泉百合部賞は短・中編部門より1名ということで、はっきり言って長編の受賞枠は少ない。また、今回、長編は8万字以上という条件が設けられて応募のハードルが上がっており、総合的に考えると長編部門は「大多数の異世界モノ」と「少数のかなり気合が入った作品」という景色になるだろう。
ぐつぐつと煮詰まったバトルが繰り広げられそうな長編部門、そして長編を断念した者が大量流入するであろう短・中編部門。
自分はこれといったヒットもないそこらへんによくいる漫画家である。
そんな大したことない漫画家でも感想の手紙を貰えることがある。
手紙は大変にありがたい。
作家にとって感想の手紙がどのくらい嬉しいものかというと、編集部から転送されてきた折にはでっかいクリスマスツリーの元でサンタからのクリスマスプレゼントを開封する外国の子供のごとく、表の封筒(手紙本体の封筒ではなくそれを転送するために包んである出版社の封筒)を一心不乱に破きながら開け、目の前の仕事をほっぽって読み始めるくらいには嬉しいものである。
だがしかし、そんな手紙を送ってくれるタイプのオタクにひとつだけお願いがある。
【送り主の住所と氏名は丁寧に書いてくれ】
上記の通り、手紙は作家にとって大変喜ばしくありがたいものなので、手紙の本文やネットで時折目にする「字が汚くて申し訳ない…」みたいな謝罪についてはまったくもって問題ない。感想というものは概ね文章であるため多少字が汚かったり脱字をしていても文脈や前後のワードから何を書こうとしているかは割と読み取れる。パッションで読み取れる場合もある。
まず前後の文脈から解読ができない。そもそも文章ではないので読み取るすべがない。
郵便番号さえ書かれていれば市区町村くらいまでは検索で調べることができるが、マンション名は字が汚いとなにも分からない。
氏名もそうだ。
『鈴木』くらい一般的でよくある苗字であればある程度推測できるが、全員がそうとは限らない。特に氏名は普段から書き慣れている為より雑になりやすいのか、本文よりも字が汚い人が多い傾向にある気がする。そして日本ほど名前の種類が多い国はそうそうない。
読めないものは読めないのだ。
なぜここまで必死なのか。
手紙を送るタイプのオタクの方々には経験がおありなのではと思うが、感想の手紙を送ったら作者から返事が返ってくる場合がある。
もちろん返信は義務ではない。
返信用の手紙が何百通あろうとも中に入れるポストカード等の印刷代から切手代までかかる費用は全て作者の自腹であるため、返事しないタイプの作家もたくさんいる。消印により住んでいる地域がざっくりバレるので嫌がる人もいれば、シンプルに連載が忙しくて用意する時間が取れない作家もいる。
自分もそのうちの一人だが、せっかく時間を割いてこの作品に手紙を書いてくださったのだから何かお礼をしたい、という気持ちが芽生えるのは自然なことだと思う。「応援してくれる読者へのお礼は、作品で返す!!!」という熱い気持ちとは別に「わざわざ手書きの手紙をくれた」ということへの感謝で毎回何かしらを送るようにしている。
まあ、2割くらいは「お礼のポストカード目当てでもいいからまた手紙を送ってくれよな♡」という下心もあるのだが。
そこで問題になってくるのが先述した【住所氏名読み取れない問題】である。
返事を出そうにも住所が読み取れない。相手の名前を間違えるのは失礼なので名前に関しては更に気を遣う。
「この文字は…藤…?篠…?いや、でも草冠だしな…草冠に…この下はなんだ?」
「なぜ氏名のところにハンドルネームが書いてあるんだ?ハンドルネームに様をつけて送るしかないがそれでいいのか…?(届くのか…?)」
手紙の返信作業をしているときの独り言はだいたいこんな感じだ。
本文の字の汚さなんて本当に心の底から気にしていない。今にも消えそうな薄い鉛筆で書かれていようが、文法がおかしかろうが、なんなら外国語であろうがカメラで翻訳し、作者は必死に全文取りこぼすまいと解読する。
それよりも住所氏名、そこだけでいいので、次回手紙を書く時にはこの文章を思い出して普段より気持ち少しだけでも丁寧に書いていただけると大変嬉しい。
どうか世の中の、作者に手紙を書くタイプの強火オタクにこれが届きますように。
Permalink |記事への反応(13) | 12:06
ラノベをコミカライズしている漫画家だ。たまに小説の表紙イラストも描いている。
権利問題もそうだし、環境破壊も気になる。日本はまだ影響が少ないが、海外は酷い。わかってる。
でも、反対だと声を大にして言えない。
小説家が執筆にあたって、AIに校正させたり感想を出力させているから。
生成AIには反対です!という宣言は、何かしらの感情は抱かせるだろう。
原作者の機嫌を損ねて打ち切りになったコミカライズを多数知っている。
じゃあ、AI使ってる作家から仕事受けなきゃいいじゃんという話だろう。
それにコミカライズじゃなくても、表紙の仕事が減る可能性がある。弱小だから仕事が減るのは痛い。
大々的に生成AI反対宣言をしているイラストレーターなんて、AI機能を使ってる小説家/AI校正推進している編集部は避けたいんじゃないか?
それともイラストの生成AIと小説におけるAI校正は別物だと思っているから、そこは繋がらないのか?
そして反AIのオリジナル漫画家・イラストレーターの知人達が、「反AIを宣言しない絵師は信用できない」と言っていることを見かけることが増えた。
胃が痛い。言いたい。でも言えない。どこにも言えない。どこから漏れるか分らない。
ここ数時間、落合陽一はんがNullNullっちゅう大阪万博のパビリオンの件で、新建築いう建築専門誌をめっちゃ突っついとるんや。
こないだ出た12月号が万博特集でな、見た感じほぼ全パビリオン網羅しとる思うわ。
これが何でインパクトあるかいうたら、新建築はこれまで万博についてほぼ黙っとったからや。
開幕時も、会期中も、閉幕時も、ほぼ一切触れてこんかったから「新建築は万博に反対しとるんか?」いう声も出とったくらいや。
業界で一番権威ある雑誌が、建築の集まりみたいなイベントを完全スルーしとったわけやからな。
それがこの年末になって、ほぼ一冊丸ごと万博特集やから、そらみんなビックリするやろ。
ほんで落合陽一はんや。
落合はんはNullNullのプロデューサーやった。設計したんはNoizっちゅう豊田啓介はんの事務所や。
NullNullは日経アーキテクチュアの表紙にもなっとったし、万博の目玉のひとつやったな。
ところが落合はん曰く、
「新建築にNullNull載っとるの、雑誌出て初めて知ったぞ?ワイに何の話も来とらんやんけ!」
「しかも載っとる図版、ワイが知っとるのと全然ちゃうやないか、編集部どないなっとんねん!」
いうて怒っとるわけや。
「新建築は落合はんに連絡してへんのか?」いう反応になるんは当然や。
けど、現段階で落合はんが新建築をボロクソに攻めとるんは、大丈夫なんやろかとワイは思う。
ワイも設計を仕事にしてるから分かるんやけど、新建築いう雑誌は基本「設計した人」に掲載依頼してくるんや。
掲載するにはオーナーとか利害関係者の許可も要るけど、そのやり取りも設計側がやるんや。
ワイも掲載決まったとき「お施主さんに承諾もろてください」言われてお願いしたことあるしな。
せやから今回も、新建築は設計したNoizに掲載を依頼したと思うわ。プロデューサーである落合はんには直接連絡せんかったやろね。
刊行前の誌面チェックもNoizがやっとるはずやで。
そのとき利害関係者である落合はんには情報が行かんかった。それが誰の問題になるんかは正直微妙なところやな。
あと、落合はんが言う「載ってる図版が間違っとる」いう件やけど、新建築は本来、図面なんか1枚も持っとらん。
せやから「Noizが出した図版と、落合はんが出したかった図版が違う」いう話やろな。
現状、落合はんはまだNoizと連絡取れてへんのかもしれん。明日あたり進展あるんちゃうか。
NullNullに関して言うと、他のシグネイチャーパビリオンと違って、落合はんいう特異な才能を持った人がプロデューサーやったやろ。
せやから、会期中から落合はんと豊田はんで「この建物を『設計した』んは誰か」いう主張が微妙にズレとった感じもあったと思うわ。
河瀨直美はんとか福岡伸一はんは、パビリオンのコンセプトは立てれても、実際の建築設計はできへんやろ。
せやけど落合はんと豊田はんの場合、「どっちがどこまでやったんか」が正直かなり分かりにくかったように思うわ。
逆に言えば、落合はんと豊田はんという2人の「どっちがどこまでやったんか」分からんくらいのコラボやったからNullNullはできたんやと思うけどな。
これは「建築の設計者とは何をした人のことなのか」、「誰が主体的にその建築を語ってええのか」いう、いろんな問題を孕んどると思う。
ある意味、これまでいろんな媒体で、落合はんも「ワイのパビリオンです」いう感じで露出してきた感もあったやろ。
せやから今度は、Noiz的には建築雑誌っちゅうホームで自分らが主導で語りたかったり、新建築的には語らせたかったりしたのかもしれんな。
せやけど、まあ後々のこと考えたら、何事も利害関係者には一言連絡しとくに越したことはないと思うで。
仕事募集することになったから、久しぶり思い出話でも書くかな~。
新卒ではないんだけど、中途で一部上場企業の正社員をしてまして。
結果を出してたというか、数字もよかったのに。
それでリストラというか、まぁ、自己都合退職に追い込まれて、退職したわけよ。
じゃあ、どうしようかな~って次の仕事を探してるときにアイテム情報誌のウェブ版の業務委託の仕事があって、こりゃラッキー!と思って飛び付いたんだよね。
今までやったことない分野だし、自分のキャリアの幅が広がるし、安くてもいいからやりたくてわりと面接でアピールしまくったのよ。
そしたらうまいこと採用されて、晴れて自社ビル勤務できたんだよね。
ただ、今までのキャリアがずっと女性媒体だったから、ダイエット情報誌のウェブ版の仕事もやらないかと言われて、まぁ、それもいいかな、と思って承諾したんだよね。
最初は楽しく働いてたんだよね。
アイテムの比較・対決記事、健康家電のレビュー、海外ガジェットの紹介、本誌転載記事、発表会レポート記事、書籍転載記事もやりたかった仕事だし、めちゃくちゃ充実してたわけよ。
ただ、ヒット記事がガンガン出してPVを上げまくりたいわたしはダイエット情報誌のウェブ版の仕事に必要なさそうだったし、アイテム情報誌のウェブ版はPVが出たからもうやることはなさそうだな~ってなったんだよね。
だから一番上の人に言って、速攻で辞めさせてもらったんだよね。
その人は本当に尊敬できる人というか、めちゃくちゃ面白い人で、仲良くなりたかったけど、退職後はさすがに相手にされなかったけど、そこはあんまり気にしてないんだよね。
次に、ラグジュアリーマガジンのウェブ版の仕事を始めたんだよね。
ここはかなりいい思いをさせてもらったから、わたしが得意とする記事をやりまくったんだよね。
もう、媒体のブランドとか全く関係なく、ひたすらヒット記事を量産したんだよね。
そしたらめちゃくちゃチヤホヤしてもらって、気持ちいいから必要ないのに出社までして楽しく働いてたんだよね。
ここは記事が好きだったから仕事したくて、自分から営業したんだよね。
そしたら運よく採用されて、こりゃ頑張るぞ~ってなったわけよ。
だから、色々と自分が好きで、得意で、書きたくて、興味があって、そのときのマイブームを紹介できて、自分でも読みたいと思っていて、なおかつ今までの経験で知っているネットでウケそうな記事を出しまくったんだよね。
もう、ホント好き放題やって許されまくってたわけよ。
楽しくてしょうがなかった。
こんな楽しい仕事があるのか~と思って、そっちも必要ないのに編集部に顔出してたんだよね。
あんまり詳細は書きたくないんだけど、かなりピンチで仕事を辞めざるをえなくなって。
だから、まぁ、退院して仕事復帰できますよって書面をもらって編集部に送ったとき、前の仕事はできなくて、ショックだったんだよね。
まぁ、当然だけど。
そしたら、一部上場企業勤務時代に少しだけ仕事をしていたママ媒体とグルメ媒体に連絡したら「うちの媒体で仕事がなくもないよ」ってなって。
安心したんだよね。
よかった~って。
渡りに船だったんだよね。
こっちとしては願ったり叶ったりだった。
しかもそこはPV至上主義だったから、わたしの得意分野というか、やりたいことに沿っていたんだよね。
うぉ~やったぜ~って感じだったんだよね。
何年かやってたんだけど、予算を減らさないといけなくなったというか、コストカットし始めたというか。
だから、編集者ではなくライターとして参加することにしたんだよね。
好きなこと書けるし、まぁ、原稿料もウェブ媒体としては安くはないし。
ダイエット記事とか海外の恋愛ハウツー紹介記事とか書籍転載記事とか人物インタビューとか。
そのときのマイブームというか、当時一番やりたかったのは毒親育ちの女性の悲惨な恋愛事情をまとめた記事で、これはXで取材先を探してDMで取材させてもらったんだよね。
だから、記事を見てもらって取材先からやっぱり掲載してほしくないですって言われてマジか~ってなったんだよね。
でも、わたしは取材スキルがハッキリ言って高くない(過去の仕事に失敗しまくってる)から、人物インタビューができてよかったんだよね。
いい経験ができたな~ってなって。
そこは書籍転載だけだったけど、初めてのマネー系が面白くて楽しんでたんだよね。
ヤフーニュースにウケる記事を出す、という明確な方針があったから自分のやりたいことに合ってたし。
めちゃくちゃ勉強になった。
それからはまぁ、色々あったんだけど、今は仕事が減っていて、困ってます!
今、女性媒体の編集の仕事はしてるのですが、そこだけでは正直全然足りなくて、わりと切実に新しい仕事を探してます。
ただ、ライターとしての仕事はできそうなので、そこで死ぬほど頑張るつもりですが、仕事の依頼は大歓迎です!
フリーランスでは8年ですが、Webメディアの編集者自体はトータルで15年やってます!