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2025-10-01

子供が今年から中学にあがったけど、ノリでつけた名前のせいで不登校になって困ってる

格闘技にハマってて、苗字山本だったからつい子供に"KID"徳郁ってつけて家ではキッドって呼んでた

日本人なのにミドルネームっぽいものがついていて我ながらグローバル化の流れを見据えたいい名付けだと思ってた

実際小学校までは名前のおかげで学年問わず有名だったようで、友達も多くて人気があったようだ

 

問題中学から

田舎から中学から狭い地域だけではなく、複数小学校からつの中学校に合流する

から友達神の子とかキッドって呼んでくれてたようだが、新しく合流した子たちには小馬鹿にされてるようらしい

 

夏休み明けからずっと息子が不登校で、理由を聞いてもただ行きたくない、めんどくさいというばかり

一応格闘技やらせていて、今もそっちには週3で通ってる

心の病でもいじめでもないと思うのだがやはり名前のせいだよな?

からでも名前変更すべきだろうか?それともそういう時期なのか?

はじめてのことで、どうすればいいのかわからない

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2025-06-23

anond:20250623202234

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。からだ具合いのよい時でも、自分は、さっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間漫画などを書き、休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて、笑わせてやりました。また、綴り方には、滑稽噺こっけいばなしばかり書き、先生から注意されても、しかし、自分は、やめませんでした。先生は、実はこっそり自分のその滑稽噺を楽しみにしている事を自分は、知っていたからでした。或る日、自分は、れいに依って、自分が母に連れられて上京の途中の汽車で、おしっこ客車通路にある痰壺たんつぼにしてしまった失敗談(しかし、その上京の時に、自分は痰壺と知らずにしたのではありませんでした。子供の無邪気をてらって、わざと、そうしたのでした)を、ことさらに悲しそうな筆致で書いて提出し、先生は、きっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き揚げて行く先生のあとを、そっとつけて行きましたら、先生は、教室を出るとすぐ、自分のその綴り方を、他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読みはじめて、クスクス笑い、やがて職員室にはいって読み終えたのか、顔を真赤にして大声を挙げて笑い、他の先生に、さっそくそれを読ませているのを見とどけ、自分は、たいへん満足でした。

 お茶目

 自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡およそ対蹠たいせき的なものでした。その頃、既に自分は、女中下男から、哀かなしい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷犯罪だと、自分はいまでは思っていますしかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡まわりに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮しょせん、人間に訴えるのは無駄である自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 なんだ、人間への不信を言っているのか? へえ? お前はいクリスチャンになったんだい、と嘲笑ちょうしょうする人も或いはあるかも知れませんが、しかし、人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党有名人が、この町に演説に来て、自分下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。満員で、そうして、この町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて、大いに拍手などしていました。演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。父の開会の辞も下手、れい有名人演説も何が何やら、わけがからぬ、とその所謂父の「同志たち」が怒声に似た口調で言っているのです。そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。下男たちまで、今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かった、と言ってけろりとしているのです。演説会ほど面白くないものはない、と帰る途々みちみち、下男たちが嘆き合っていたのです。

 しかし、こんなのは、ほんのささやかな一例に過ぎません。互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかい道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦みょうていを教えてはくれませんでした。それさえわかったら、自分は、人間をこんなに恐怖し、また、必死のサーヴィスなどしなくて、すんだのでしょう。人間生活対立してしまって、夜々の地獄のこれほどの苦しみを嘗なめずにすんだのでしょう。つまり自分下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ、誰にも訴えなかったのは、人間への不信からではなく、また勿論クリス主義のためでもなく、人間が、葉蔵という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。父母でさえ、自分にとって難解なものを、時折、見せる事があったのですから

 そうして、その、誰にも訴えない、自分孤独匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅かぎ当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。

 つまり自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。

[#改頁]

第二の手記

 海の、波打際、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い樹肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩葉わかばと共に、青い海を背景にして、その絢爛けんらんたる花をひらき、やがて、花吹雪の時には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を鏤ちりばめて漂い、波に乗せられ再び波打際に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている東北の或る中学校に、自分受験勉強もろくにしなかったのに、どうやら無事に入学できました。そうして、その中学制帽の徽章きしょうにも、制服ボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

 その中学校のすぐ近くに、自分の家と遠い親戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校自分に選んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の鐘の鳴るのを聞いてから、走って登校するというような、かなり怠惰中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

 生れてはじめて、謂わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な場所のように思われました。それは、自分のお道化もその頃にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたかである、と解説してもいいでしょうがしかし、それよりも、肉親と他人故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の難易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子イエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳優にとって、最も演じにくい場所は、故郷劇場であって、しかも六親眷属けんぞく全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名優も演技どころでは無くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者くせものが、他郷に出て、万が一にも演じ損ねるなどという事は無いわけでした。

 自分人間恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕動ぜんどうしていましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教師も、このクラス大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を張り上げる配属将校をさえ、実に容易に噴き出させる事が出来たのです。

 もはや、自分の正体を完全に隠蔽いんぺいし得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしか父兄のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上衣うわぎを着て、学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。

 その日、体操時間に、その生徒(姓はい記憶していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って見学自分たちは鉄棒練習をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのように前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。すべて、計画的な失敗でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分背中をつつき、低い声でこう囁ささやきました。

「ワザ。ワザ」

 自分震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄業火に包まれ燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 それからの日々の、自分不安と恐怖。

 表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息ためいきが出て、何をしたってすべて竹一に木っ葉みじんに見破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと誰かれとなく、それを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、額にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく見廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晩、四六時中、竹一の傍そばから離れず彼が秘密を口走らないように監視していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている間に、自分のお道化は、所謂「ワザ」では無くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と無二の親友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は無い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を殺そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於おいて、人に殺されたいと願望した事は幾度となくありましたが、人を殺したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

 自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に偽クリスチャンのような「優しい」媚笑びしょうを湛たたえ、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫撫ねこなで声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放課後、たしか初夏の頃の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを見つけ、行こう、傘を貸してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一緒に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。

 その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼鏡をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校卒業したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六棟の長屋家賃のようでした。

「耳が痛い」

 竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

 自分が、見てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。膿うみが、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

 と自分大袈裟おおげさにおどろいて見せて、

「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

 と女の言葉みたいな言葉を遣って「優しく」謝り、それから、下へ行って綿とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝ひざを枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが偽善の悪計であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚ほれられるよ」

 と自分の膝枕で寝ながら、無智なお世辞を言ったくらいでした。

 しかしこれは、おそらく、あの竹一も意識しなかったほどの、おそろしい悪魔予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言葉はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所謂「厳粛」の場であっても、そこへこの言葉一言でもひょいと顔を出すと、みるみる憂鬱伽藍がらんが崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗語でなく、愛せられる不安、とでもいう文学語を用いると、あながち憂鬱伽藍をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います

 竹一が、自分に耳だれの膿の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという馬鹿なお世辞を言い、自分はその時、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽かすかに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言葉に依って生じるやにさがった雰囲気ふんいきに対して、そう言われると、思い当るところもある、などと書くのは、ほとんど落語若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは無いのです。

 自分には、人間女性のほうが、男性よりもさらに数倍難解でした。自分家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また親戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い時から、女とばかり遊んで育ったといっても過言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで見当が、つかないのです。五里霧中で、そうして時たま、虎の尾を踏む失敗をして、ひどい痛手を負い、それがまた、男性から受ける笞むちとちがって、内出血みたいに極度に不快に内攻して、なかなか治癒ちゆし難い傷でした。

 女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪慳じゃけんにし、誰もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年時代から得ていたのですが、同じ人類のようでありながら、男とはまた、全く異った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言葉も、また「好かれる」という言葉も、自分場合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に適しているかも知れません。

 女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、調子に乗ってあまり道化を演じすぎると失敗するという事を知っていましたので、必ず適当のところで切り上げるように心掛けていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも自分にお道化要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬張る事が出来るようです。

 自分中学時代に世話になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二階の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飛び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉強?」

「いいえ」

 と微笑して本を閉じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理先生がね」

 とするする口から流れ出るものは、心にも無い滑稽噺でした。

「葉ちゃん眼鏡をかけてごらん」

 或る晩、妹娘のセッちゃんが、アネサと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた揚句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

「いいから、かけてごらん。アネサの眼鏡を借りなさい」

 いつでも、こんな乱暴命令口調で言うのでした。道化師は、素直にアネサの眼鏡をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

そっくりロイドに、そっくり

 当時、ハロルド・ロイドかい外国映画喜劇役者が、日本で人気がありました。

 自分は立って片手を挙げ、

諸君

 と言い、

「このたび、日本ファンの皆様がたに、……」

 と一場挨拶を試み、さらに大笑いさせて、それからロイド映画がそのまちの劇場に来るたび毎に見に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

 また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鳥のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の掛蒲団の上に倒れて泣き、

「葉ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一緒に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

 などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな態度を見せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの過激言葉にも、さして驚かず、かえってその陳腐、無内容に興が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が無い? 貸してよ」

 と言いました。

 自分漱石の「吾輩は猫である」という本を、本棚から選んであげました。

「ごちそうさま」

 アネサは、恥ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓みみずの思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から自分経験に依って知っていました。

 また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に連れて来て、自分れいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女から、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ連れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

 しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実現では未だ決して無かったのでした。つまり自分は、日本東北ハロルド・ロイドに過ぎなかったのです。竹一の無智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

 竹一は、また、自分にもう一つ、重大な贈り物をしていました。

お化けの絵だよ」

 いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。

 おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例のPermalink |記事への反応(1) | 20:25

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人間失格

 私は、その男写真を三葉、見たことがある。

 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いとこたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴はかまをはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、

可愛い坊ちゃんですね」

 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお世辞に聞えないくらいの、謂いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、

「なんて、いやな子供だ」

 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺しわを寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、いちども無かった。

 第二葉写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌へんぼうしていた。学生の姿である高等学校時代写真か、大学時代写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく美貌の学生であるしかし、これもまた、不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗のぞかせ、籐椅子とういすに腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。こんどの笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。血の重さ、とでも言おうか、生命いのちの渋さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、鳥のようではなく、羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして、笑っている。つまり、一から十まで造り物の感じなのである。キザと言っても足りない。軽薄と言っても足りない。ニヤケと言っても足りない。おしゃれと言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、どこか怪談じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な美貌の青年を見た事が、いちども無かった。

 もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。頭はいくぶん白髪のようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の壁が三箇所ほど崩れ落ちているのが、その写真にハッキリ写っている)の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情も無い。謂わば、坐って火鉢に両手をかざしながら、自然に死んでいるような、まことにいまわしい、不吉なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺も平凡、眉も平凡、眼も平凡、鼻も口も顎あごも、ああ、この顔には表情が無いばかりか、印象さえ無い。特徴が無いのだ。たとえば、私がこの写真を見て、眼をつぶる。既に私はこの顔を忘れている。部屋の壁や、小さい火鉢は思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の顔の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。あ、こんな顔だったのか、思い出した、というようなよろこびさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快イライラして、つい眼をそむけたくなる。

 所謂いわゆる「死相」というものだってもっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間からだに駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせるのだ。私はこれまで、こんな不思議な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

[#改頁]

第一の手記

 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間生活というものが、見当つかないのです。自分東北田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分停車場ブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん垢抜あかぬけのし遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 また、自分子供の頃、絵本地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。

 自分子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカヴァ、掛蒲団カヴァを、つくづく、つまらない装飾だと思い、それが案外に実用品だった事を、二十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。

 また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校中学校自分学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

 自分だって、それは勿論もちろん、大いにものを食べますが、しかし、空腹感からものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。また、よそへ行って出されたものも、無理をしてまで、たいてい食べます。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事時間でした。

 自分田舎の家では、十人くらいの家族全部、めいめいのお膳ぜんを二列に向い合せに並べて、末っ子自分は、もちろん一ばん下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。それに田舎の昔気質かたぎの家でしたので、おかずも、たいていきまっていて、めずらしいもの、豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分食事の時刻を恐怖しました。自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み、人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう、実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛かみながら、うつむき、家中うごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。

 めしを食べなければ死ぬ、という言葉は、自分の耳には、ただイヤなおどかしとしか聞えませんでした。その迷信は、(いまでも自分には、何だか迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分不安と恐怖を与えました。人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋かいじゅうで、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです。

 つまり自分には、人間の営みというものが未いまだに何もわかっていない、という事になりそうです。自分幸福観念と、世のすべての人たちの幸福観念とが、まるで食いちがっているような不安自分はその不安のために夜々、転輾てんてんし、呻吟しんぎんし、発狂しかけた事さえあります自分は、いったい幸福なのでしょうか。自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に言われて来ましたが、自分はいつも地獄の思いで、かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。

 自分には、禍わざわいのかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負せおったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。

 つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当つかないのです。プラクテカルな苦しみ、ただ、めしを食えたらそれで解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い痛苦で、自分の例の十個の禍いなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨せいさんな阿鼻地獄なのかも知れない、それは、わからない、しかし、それにしては、よく自殺もせず、発狂もせず、政党を論じ、絶望せず、屈せず生活のたたかいを続けて行ける、苦しくないんじゃないか? エゴイストになりきって、しかもそれを当然の事と確信し、いちども自分を疑った事が無いんじゃないか? それなら、楽だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで満点なのではないかしら、わからない、……夜はぐっすり眠り、朝は爽快そうかいなのかしら、どんな夢を見ているのだろう、道を歩きながら何を考えているのだろう、金? まさか、それだけでも無いだろう、人間は、めしを食うために生きているのだ、という説は聞いた事があるような気がするけれども、金のために生きている、という言葉は、耳にした事が無い、いや、しかし、ことに依ると、……いや、それもわからない、……考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 そこで考え出したのは、道化でした。

 それは、自分の、人間に対する最後求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 自分子供の頃から自分家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 その頃の、家族たちと一緒にうつした写真などを見ると、他の者たちは皆まじめな顔をしているのに、自分ひとり、必ず奇妙に顔をゆがめて笑っているのです。これもまた、自分の幼く悲しい道化一種でした。

 また自分は、肉親たちに何か言われて、口応くちごたえした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂へきれきの如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系人間の「真理」とかいものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。だから自分には、言い争いも自己弁解も出来ないのでした。人から悪く言われると、いかにも、もっとも、自分がひどい思い違いをしているような気がして来て、いつもその攻撃を黙して受け、内心、狂うほどの恐怖を感じました。

 それは誰でも、人から非難せられたり、怒られたりしていい気持がするものでは無いかも知れませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子しよりも鰐わによりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。ふだんは、その本性をかくしているようですけれども、何かの機会に、たとえば、牛が草原でおっとりした形で寝ていて、突如、尻尾しっぽでピシッと腹の虻あぶを打ち殺すみたいに、不意に人間のおそろしい正体を、怒りに依って暴露する様子を見て、自分はいつも髪の逆立つほどの戦慄せんりつを覚え、この本性もまた人間の生きて行く資格の一つなのかも知れないと思えば、ほとんど自分絶望を感じるのでした。

 人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。

 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、空そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

 自分は夏に、浴衣の下に赤い毛糸のセエターを着て廊下を歩き、家中の者を笑わせました。めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、

「それあ、葉ちゃん、似合わない」

 と、可愛くてたまらないような口調で言いました。なに、自分だって真夏毛糸のセエターを着て歩くほど、いくら何でも、そんな、暑さ寒さを知らぬお変人ではありません。姉の脚絆レギンスを両腕にはめて、浴衣の袖口から覗かせ、以もってセエターを着ているように見せかけていたのです。

 自分の父は、東京用事の多いひとでしたので、上野桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮していました。そうして帰る時には家族の者たち、また親戚しんせきの者たちにまで、実におびただしくお土産を買って来るのが、まあ、父の趣味みたいなものでした。

 いつかの父の上京の前夜、父は子供たちを客間に集め、こんど帰る時には、どんなお土産がいいか、一人々々に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答をいちいち手帖てちょうに書きとめるのでした。父が、こんなに子供たちと親しくするのは、めずらしい事でした。

「葉蔵は?」

 と聞かれて、自分は、口ごもってしまいました。

 何が欲しいと聞かれると、とたんに、何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんか無いんだという思いが、ちらと動くのです。と、同時に、人から与えられるものを、どんなに自分の好みに合わなくても、それを拒む事も出来ませんでした。イヤな事を、イヤと言えず、また、好きな事も、おずおずと盗むように、極めてにがく味あじわい、そうして言い知れぬ恐怖感にもだえるのでした。つまり自分には、二者選一の力さえ無かったのです。これが、後年に到り、いよいよ自分所謂「恥の多い生涯」の、重大な原因ともなる性癖の一つだったように思われます

 自分が黙って、もじもじしているので、父はちょっと不機嫌な顔になり、

「やはり、本か。浅草の仲店にお正月獅子舞いのお獅子子供かぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか

 欲しくないか、と言われると、もうダメなんです。お道化た返事も何も出来やしないんです。お道化役者は、完全に落第でした。

「本が、いいでしょう」

 長兄は、まじめな顔をして言いました。

「そうか」

 父は、興覚め顔に手帖に書きとめもせず、パチと手帖を閉じました。

 何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐ふくしゅうは、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら考え、そっと起きて客間に行き、父が先刻、手帖をしまい込んだ筈の机の引き出しをあけて、手帖を取り上げ、パラパラめくって、お土産の注文記入の個所を見つけ、手帖の鉛筆をなめて、シシマイ、と書いて寝ました。自分はその獅子舞いのお獅子を、ちっとも欲しくは無かったのです。かえって、本のほうがいいくらいでした。けれども、自分は、父がそのお獅子自分に買って与えたいのだという事に気がつき、父のその意向迎合して、父の機嫌を直したいばかりに、深夜、客間に忍び込むという冒険を、敢えておかしたのでした。

 そうして、この自分の非常の手段は、果して思いどおりの大成功を以て報いられました。やがて、父は東京から帰って来て、母に大声で言っているのを、自分子供部屋で聞いていました。

「仲店のおもちゃ屋で、この手帖を開いてみたら、これ、ここに、シシマイ、と書いてある。これは、私の字ではない。はてな? と首をかしげて、思い当りました。これは、葉蔵のいたずらですよ。あいつは、私が聞いた時には、にやにやして黙っていたが、あとで、どうしてもお獅子が欲しくてたまらなくなったんだね。何せ、どうも、あれは、変った坊主ですからね。知らん振りして、ちゃんと書いている。そんなに欲しかったのなら、そう言えばよいのに。私は、おもちゃ屋の店先で笑いましたよ。葉蔵を早くここへ呼びなさい」

 また一方、自分は、下男下女たちを洋室に集めて、下男のひとりに滅茶苦茶めちゃくちゃにピアノのキイをたたかせ、(田舎ではありましたが、その家には、たいていのものが、そろっていました)自分はその出鱈目でたらめの曲に合せて、インデヤンの踊りを踊って見せて、皆を大笑いさせました。次兄は、フラッシュを焚たいて、自分のインデヤン踊りを撮影して、その写真が出来たのを見ると、自分の腰布(それは更紗さらさの風呂敷でした)の合せ目から、小さいおチンポが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。自分にとって、これまた意外の成功というべきものだったかも知れません。

 自分は毎月、新刊少年雑誌を十冊以上も、とっていて、またその他ほかにも、さまざまの本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、メチャラクチャラ博士だの、また、ナンジャモンジャ博士などとは、たいへんな馴染なじみで、また、怪談講談落語江戸小咄こばなしなどの類にも、かなり通じていましたから、剽軽ひょうきんな事をまじめな顔をして言って、家の者たちを笑わせるのには事を欠きませんでした。

 しかし、嗚呼ああ、学校

 自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という状態自分定義でありました。人間をだまして、「尊敬され」ても、誰かひとりが知っている、そうして、人間たちも、やがて、そのひとりから教えられて、だまされた事に気づいた時、その時の人間たちの怒り、復讐は、いったい、まあ、どんなでしょうか。想像してさえ、身の毛がよだつ心地がするのです。

 自分は、金持ちの家に生れたという事よりも、俗にいう「できる」事に依って、学校中の尊敬を得そうになりました。自分は、子供の頃から病弱で、よく一つき二つき、また一学年ちかくも寝込んで学校を休んだ事さえあったのですが、それでも、病み上りからだで人力車に乗って学校へ行き、学年末試験を受けてみると、クラスの誰よりも所謂「できて」いるようでした。Permalink |記事への反応(1) | 20:22

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2025-06-16

anond:20250616045701

人類全員が神の子孫じゃね

Permalink |記事への反応(0) | 05:00

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2025-02-14

anond:20250214200229

キリスト教ってイエス神様じゃなくて神の子だと思ってた

宗派によって違うのかな

Permalink |記事への反応(0) | 20:04

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2025-01-25

ウンコ

シッコ

チンコ

マン

そのどれもが"コ"で終わるのには

特別意味があるんだよね

全てが神の子から

"コ"なんだよ

アテンションエコノミーアニマルが牙を研いで

盲目な羊たちを自らの巣穴へ導こうとする

そんなインターネット

本当に信じることができるのは

神の子

ウンコ

シッコ

チンコ

マン

なんだ

Permalink |記事への反応(0) | 18:54

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2025-01-03

anond:20250103232812

しゃーない、神の子ワイが全責任を背負って差し上げるやで😇

Permalink |記事への反応(0) | 23:30

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2024-12-29

anond:20241229082031

大谷夫人非処女懐胎を祝福に訪れたのは東方三塁手巨人小笠原

神の子ポジション簒奪せんと流産キックをお見舞いするも右足を粉砕され死亡、無事大の子供に転生した。

清田に取り上げられた大谷道大死刑囚(0)は「とりあえずお疲れ」「神の子小笠原です。僕のこと覚えてますか?」と遺産相続に意欲を見せるも、元木の密告によりヘロデ大王嬰児殺しが発令。無事死亡した。

この件について水原通訳は「銀貨30枚ならすぐ返済できたんだけどね(lol」とコメントした。

なお、第一子は無事脇からまれたもよう。

Permalink |記事への反応(0) | 16:52

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2024-12-28

anond:20241228220424

あと何か絵とかモデル作りたい…という気があっても

オリジナル作るの難しい

やはり二次創作はやりやすい…

キリスト自身二次創作作家だったんだな

しかし後世の他人神の子ですいうのと自分神の子ですいうのはレベルが違うと思うけど

日本人が言えるこっちゃないかワハハ

Permalink |記事への反応(0) | 22:15

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2024-12-26

教会にも自宅にもクリスマスツリーなんぞ飾ってない、いちプロテスタントクリスチャンとして[B! 文化] 「とても残念」な日本...クリスマスツリーに「星」を飾らないのは異文化への無理解だ にあるブコメたちに心苦しいものを感じている(あるブクマカの「このブコメ欄みたいに口汚く罵られるだけだし、世間クリスマスに物言おうとは思わないけどな。」というコメントの、その気持ちがよく分かる)のですが、ToTheEndOfTime 氏のいつもながらのブレないブコメに、「私も信仰者としてかくあらねば」と襟を正される思いになりました。ありがとう普通の日本人」たるブクマカのみんな、私たち信仰を堅く守ろうと願うその姿に"寛容"でいてくれて、商業主義に塗りたくられた文化簒奪無頓着でいてくれて。

"何事も、不平や理屈を言わずに行ないなさい。そうすれば、とがめられるところのない純真な者となり、ゆがんだ邪悪時代にあって、傷のない神の子どもとなって、この世で星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。" フィリピの信徒への手紙2:14-16

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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2024-11-06

トランプ、内政でも最悪だと思うがそれでもあれだけの絶大な支持得てるのやっぱり神の子から

カマラの内政失敗は失策だけど神の子トランプは失敗することは無い。ただ試練をお与えになる。

Permalink |記事への反応(0) | 17:56

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2024-11-01

神の保険証

扶養家族神の子イエスが入ってたりするのかな

Permalink |記事への反応(0) | 00:04

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2024-10-22

嫌儲板スレ立て人・きんたまんこ(荒廃の街角)、暇空茜に開示される

嫌儲スレ立て人が開示されるのは、知られている限りだと「富士山」に次いで二人目だ

富士山はいかにケンモメンらしい露悪的でいろんな属性を叩くスレが多かったが、きんたまんこは誰かを傷つけるものではない心温まるSSスレが多かった

以下はきんたまんこによるスレタイの一例だ

全裸ぼく「あの…ビラビ…あっ…小陰唇ください」女の人「嫌です」全裸ぼく「ラビアこりゃ」

全裸ぼく「おまんこ、もうびしょびしょじゃん。ペロペロ」住職「ワシの寺の壁に何してんじゃー!」全裸ぼく「タイミーなんでわかりません」

オカズしたことあるアメリカ連合国軍の軍人を書いてけwwwwww北軍派はクラッシュの「動乱」の中から好きな1曲を選べwwwwww

枯れぺにす_魔羅の徒然_ちんぽかな

全裸ぼく「いやらしいお汁がどんどん溢れてきてんじゃん。エッロ…」ナイアガラの滝「ゴゴゴゴゴ」全裸ぼく「じゃ、挿れるよ?んっ…

司会「それじゃ、わからせメスガキおじさんを呼ぼうね!せーのっ」全裸ぼくとガキ達「わからせメスガキおじさーん」五時間待てど現れず

毛利元就「1本では容易に射精するちんぽでも3本まとめれば…(シコシコシコ)」3人のおじさん「「「あーっ(ビュルルッ)」」」毛利元就「ね?」

ぼく「孕め!俺の…神の子を産め!(ビュルッ)」手鍋「ビチャッ」土井善晴「ではね、このザー汁をお出汁と一緒に炊いていきますよ」ぼく「はい

みんなああああああああおちんちんふぇすてばるがはじまるよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

全裸ぼく「ド~ロリとしたペ~ニ~酒~♪(シコシコ)」女「きゃー」警察はい逮捕全裸ぼく「え?酒税法違反?」

50レスもつかない過疎スレばかりだが、嫌儲を開くといつでも下品スレタイが目に入り「こいつまたクソスレ立ててんな」と思わせる、嫌儲のおふくろのような存在だった

また、彼女は暇空関係スレもたまに立てていた

Lv0】ちんぽ見せろ暇空茜

0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.6][苗] (初段) (ワッチョイW 7b95-78iq) 2024/07/23(火) 04:36:01.54

おちんぽチューチュースキー

https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1721676961/

暇空茜「私のティック◯ック、いいねあんまりつかない…」茜の友人「ちょっとエッチな感じにしたらいいねなんて簡単に稼げるよ!」

0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.7] (ワッチョイW 4fd2-L7xm) 2024/06/26(水)23:13:33.51

暇空茜「え…?でも…」

茜の友人「そんなドギツイのじゃなくて、ちょっと肌を露出したりパンツが見えそうで見えない感じにしたり…」

暇空茜「う、うん…。やってみる…」

~茜、帰宅後にちょっとはだけた姿のティック◯ック動画を上げる。そして~

暇空茜「すごい…。どんどんいいねされる…。あ、DMが来た」

???DMアマギフあげるからもっとエッチなの俺だけに頂戴😀全裸ならエーマン🤭」

暇空茜「ツェー…デー…エー…って、さささ3万円!?嘘…?」

暇空茜のDM下着姿なら…」

???DM下着ならツェーマンだね👍」

暇空茜「どうしよう…?えーい!送っちゃえ!」

~茜、迷った末に下着姿の動画???に送る~

???DM「うひょー!😁俺の新生姜が勃っちゃったよ😀なんつって😅俺っち、栃木県漬け物屋の社長やってるからさ、お金いっぱいあるんだよね🤪金に困ったら気軽にDMしてね🤭」

~茜、1万円ゲット~

暇空茜「なんかチョロかったなぁ…。全裸でもよかったかも…あ、またDM来た」

✕✕✕のDM動画観たよ!その制服近大附属東大寺中学校だよね!アマギフあげるから俺だけにエッチなやつちょーだいよ🤗」

暇空茜のDMいくら出せます…?」

✕✕✕のDM全裸ならゲーマンかなぁ?🤔俺、某漫画雑誌で連載持ってるから結構お金持ってるよ😁」

暇空茜「ゲー…ごごご5万円!?

暇空茜のDM「本当ですか!?送ります!」

✕✕✕のDM「いいの!?🤩じゃあさ、まずは制服姿で自己紹介してから1枚ずつゆっくり脱いで🙏」

暇空茜のDM「わかりました!」

暇空茜「近大附属東大寺中学2年の暇空茜、14歳です。今から脱ぎます…」ヌギヌギ

~茜、全裸動画を送る~

✕✕✕のDM「うっひょー🥳くぱぁしてくれたらもうゲーマンあげるよ🤗」

暇空茜「嘘…。もうゲーマン?じゅ、10万円…」

~茜、10万円に目が眩んでくぱぁを決意~

暇空茜「茜のおまんこを観ていっぱいシコシコしてね♥」クパァ

~茜、10万円ゲット。そして、翌日~

暇空茜「今日はどうしようかなぁ?あ、DMが来た」

○○○のDM「こんばんわ(⁠≧⁠▽⁠≦⁠) 俺、フェ殺隊のまっきぃさんだけど茜ちゃんと会いたいなぁ(⁠人⁠ ⁠•͈⁠ᴗ⁠•͈⁠)」

暇空茜「え?あのフェ殺隊のまっきぃさんからDMが来た!嘘やろ…」

暇空茜のDM「本物のまっきぃさんですか!?

○○○のDM「うん(⁠ ⁠╹⁠▽⁠╹⁠ ⁠) 本物だよ(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)」

暇空茜「まっきぃさんと繋がっちゃった!!!!!」

つづく…。

https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1719411213/

岩下和了「ムニャムニャ」暇空茜「このバカ和!早く起きなさいよね!学校遅刻ちゃうわよ!」岩下和了「んん…茜、おはよう

0001この街は昨日見た俺の夢警備員[Lv.1][警] (6段) (ワッチョイW 4fd2-L7xm) 2024/06/26(水) 07:30:30.56

暇空茜「おはようじゃないわよ!早く起きなさい!」バサッ(布団を剥ぎ取る)

岩下和了「あ…」ビンビン

暇空茜「って、新生姜起こしてんじゃないわよ、バカ和!」バチンッ

それから

岩下和了遅刻遅刻ぅ!」ドタドタドタ

暇空茜「あんたが早く起きないせいでしょ!」ドタドタドタ

迫稔雄「早く学校行かなきゃ!」ドタドタドタ

岩下和了「あ!」

ゴツン!(曲がり角で岩下和了迫稔雄がぶつかる)

迫稔雄「いたたた…あなた、どこを見て歩いてるんですか!」

岩下和了「どこって…あ、白だ…」

迫稔雄「どこを見てるんですか!」バチンッ

岩下和了「いててて…あ、行っちゃった」

暇空茜「やーい、怒られてやんのw でもあの娘、うちの学校制服着てたけど見ない顔だわ」

それからHR時間になって~

ナザレンコ「静かに今日はみんなに転校生を紹介する!男子諸君、喜べ!女子だぞ!では、入りたまえ」

迫稔雄今日から聖・表現の自由学園で皆さんと一緒に学ぶことになりました迫稔雄といいますよろしくお願いします」

岩下和了「あ!君は今朝の!」

迫稔雄あなたは今朝のパンツ覗き魔!」

石丸伸二「なんやなんや和了、茜ちゃんという幼馴染がいながらあの美少女ともお近づきなんか?w」

つづく…。

https://itest.5ch.net/greta/test/read.cgi/poverty/1719354630/

ほのぼのSSが原因で開示されたのか?と思いきや、5ちゃんねるが原因ではなかった

ちゃんねるで「きんたまんこ」との愛称をつけられている彼女は、Twitterでは「荒廃の街角」と名乗っており、Twitterの方で開示されていた

最近の開示請求は黒塗りにしていることが多く、きんたまんこに届いた書類ほとんどが海苔弁でどんな発言が引っかかったか不明状態

ただし、暇空の担当弁護士小沢一仁なことがわかった

きんたまんこは開示を警戒せず好き勝手に書いてたのでどれが引っかかったか心当たりがないそうだが、以下の書き込みかもしれないという

荒廃の街角

@kenmo_kohai

日本の安寧を願って暇空茜、戸塚、ビジウヨ政治家ども、有象無象バカウヨ達の◯を祈ったらアカウントロックされたわ…糞が…。

ネットで暴れる者たちの多くは、なんらかの辛いことがあった結果誰かに当たり散らすしかないことが多い

きんたまんこは、暇空が不幸な環境から抜けてネットぶつかりおじさんをやめられるよう「幸」を祈ったのだろう

しかし不幸にも勘違いをされて開示されたのかもしれない

Permalink |記事への反応(0) | 22:29

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2024-10-13

anond:20241013170238

神の子でしょ

Permalink |記事への反応(0) | 17:27

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2024-10-08

anond:20241008133409

アンタみたいな理解をしている日本人結構いるのかも知れないけど、

侵略も略奪も人類普遍的歴史から諦めろ論を克服するために国際連盟とか国連とか国際法とかが作られた文明人なら平和と秩序を求めろ 先人の涙ぐましい努力簡単に踏みにじるんじゃない

イスラエル人学者の書いた『ユダヤ人起源歴史はどのように創作されたのか』を読め 長いからワイは少ししか読んでないけど書評を読んでイスラエル神話の胡散臭さを理解できた

旧約聖書という考古学的になんら根拠のないファンタジー(ただの神話)を実現させるために創られたのがイスラエルであり、

イスラエル人古代ユダヤ人末裔自称しているが、実は一つとして科学的な根拠はない」さらに言うとむしろそこにすんでいるパレスチナ人こそが古代ユダヤ人末裔であると指し示すDNA調査の結果がある

彼らイスラエル人虚妄に囚われたモンスターだ 日本人がかつて「日本神の国日本人神の子」と信じてたようなノリで21世紀の今を生きて周辺住民虐殺し、あの土地一体を全て奪おうとしている モンスターしか言いようがないではないか 

Permalink |記事への反応(0) | 14:02

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2024-09-29

anond:20221028072339

『 人はパンだけで生きるものではない。 』

そこで、悪魔イエスに言った。

神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。

Permalink |記事への反応(0) | 04:48

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2024-09-25

初夜女性上位で避妊禁止統一教会合同結婚式」の“性とカネ”

でも夜は女性上方ですよね


https://bunshun.jp/articles/-/56444?page=3

初夜から3日間にわたる性交渉方法が書かれた冊子を渡されました。初日と2日目は女性が上位で、3日目は男性が上位となって性行為をすることが定められています。また、避妊禁止されている。これは『神の子を産み増やすことが我々の責務であるのに、それを自らの意思コントロールしてはいけない』と言われました」(前出・冠木氏)

 指南されるのは、体位だけではない。

「部屋には文鮮明氏夫妻の写真を飾り、祈祷を捧げた上で行為に及ばなくてはなりません。行為が終われば、男女ともに『聖巾』と呼ばれる白い布で体を拭くのです。使用した聖巾は『一生取っておきなさい』と言われました」(同前)

Permalink |記事への反応(0) | 15:07

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2024-09-12

anond:20240912110008

少ないぞ

読んでたら天皇神の子孫って理解してるのに

理解してない奴しかいない

Permalink |記事への反応(0) | 11:01

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2024-09-07

今週の裏バイト:逃亡禁止解説頼む

映画でよくヨハネがどうの、ノアの箱舟がどうの聖書が絡んでくる感じの話で、勉強したこといか全然からない!

マンガワンで連載中の裏バイト:逃亡禁止の172〜174話のネタバレを含みます

あらすじ:でっかい十字架が海(というか地球)にぶっ刺さってるからそれを船で調査しに行くぜ〜、と思ったら魚に食われたり、トビウオが体にブッ刺さったり苦難まみれで大変!

そして実は、この作品屈指の無敵の味方が変装した神の子十字架に磔にされて人類の罪は許されました!

 しかし一方その頃、十字架の裏側では貫通した十字架存在して、それを見てしまった登山家がいたので、人類の罪は全て裏返ってえらいこっちゃえらいこっちゃになりました!終

前編から十字架が出てくるので聖書関係の話というのはわかったけど、細部がよくわからない。以下メモ書き

魚に喰われるマリ預言者ヨナ

偽橙→磔のキリスト

うみねこ鳴く→有名ゲームでよく出てくるから

船長→色んな罪を犯しているかアダム

みんなでカレー最後の晩餐?次の日に神の子かと思われた尾崎脱落

見てはいけない→旧約聖書含む神話民話モチーフ

裏側見たらアウト→裏バイト独自要素?

以下わからんポイント

6本足の足跡

12人の使徒じゃなくて9人の使徒

船長が言ってた「選別だ」

最後登山家は何?

なぜトビウオ

聖書やら旧約聖書の絡む洋画といえば自分が見たのはノウイングとか地球が静止する人とかマザー!とかなんか日本人にはピンと来ないものが多くてレビューサイト考察とか読んで、ほへーってなってたんだけどそのうち理解できるようになりたいね

Permalink |記事への反応(0) | 12:06

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2024-08-27

出生前診断によって子に障害が見つかった場合、これを堕胎する自由があるのか。」ってやつ、

何か凄く藁人形論法だと感じる。

堕胎する自由ならあるに決まってるじゃん。

よくyahooなんかで子供障害記事になってるけれど、どのケースでもコメント欄はなんで中絶しなかったの大合唱だぞ?

脅かされているのは産む自由の方であって、堕胎する自由否定する人なんて何処にもいない。

まあ障害児に限らないか

日本世論は元々中絶に関しては全肯定でしょ。金がないなら産むな、完璧子供でないなら産むな、世間様に迷惑かけるな、って風潮じゃん。

七つまでは神の子と言われるように幼児殺は公然と行われてきたし、水子供養もかなり近代になってから作られた風習らしいし。

欧米中絶反対は宗教的理由から来るのであって、日本には元々中絶反対派なんて殆どいないんだから

ましてや障害があると分かった子供中絶する事は、社会に役立つ倫理的行為として肯定的に見られているじゃん。自由なんてあるに決まっている。

出生前診断によって子に障害が見つかった場合、これを堕胎する自由があるのか。」なんてのは、誰も言っていない事に反論しており、あまりにも藁人形論法

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2024-06-03

シオニズムイスラエル)は第二の十字軍にすぎない

ユダヤ人」はユダヤ教改宗した白人に過ぎない(歴史的にも科学的にも証明されている)

十字軍シオニズムも『自分中東神の子だと思い込んだ白人』による中東侵略に過ぎない

実態は金品目的ガス田土地開発など)というのも同じ

白人は『自分は◯◯かも知れない』という妄想で奪い殺す人種である

参考文献

Permalink |記事への反応(0) | 21:35

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2024-05-20

あなたキッドはどこから

1.怪盗キッド

ワイ君が初単行本を買った時は「売れなかった地味な名作」程度の評価だったのに、

コナンコラボしてからは誰もが知ってるみたいな感じになってとても驚いている。

 

2.ザ・サンダンスキッド

2代目強盗ワイルドバンチ所属強盗

かの名作「明日に向かって撃て!」の主役コンビの一人。ロバート・レッドフォードが演じた。

 

3.ビリー・ザ・キッド

西部開拓時代代表する悪漢

21歳で死去するまでに21人(8人とする説も)を殺害

後の様々な西部劇に取り上げられ人気を博した。

 

4.ジェイソン・キッド

NBA所属歴代最強ポイントガードの一人。

アシストスティール数は歴代2位、3P成功数は歴代5位の文句なしレジェンド

 

5.山本“KID”徳郁

第一総合格闘技ブームをけん引した通称"神の子"。

国内大会を数多く優勝した確かなレスリングスキルと天性の打撃センスで圧倒的強さを誇った。

 

6.ダイナマイトキッド

イギリス出身プロレスラー。各国で実力を発揮しタイトルを取り、後に新日本プロレス移籍

藤波タイガーマスクライバルとして大いに愛された。

 

7.ユースタス・キッド

ワンピースに登場する海賊超新星最悪の世代の一人。

ワノ国では同じく最悪の世代の一人、トラファルガーローと共に四皇の一人ビッグ・マムを倒した。

Permalink |記事への反応(4) | 17:23

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2024-05-08

anond:20240508154109

ユダヤキリスト教的には人間神の子から

Permalink |記事への反応(0) | 15:42

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2024-05-01

anond:20240501103758

神の子って自称なのかな

証明されてないなら誰だって自称でいけるんじゃね

Permalink |記事への反応(0) | 11:32

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anond:20240501103528

神の子かいコネさえあれば罪許されるのコネ第一主義すぎてつらたん

Permalink |記事への反応(1) | 10:37

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