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はてなキーワード:生き方とは

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2025-11-06

事あるごとに「ブーメラン」とかコメントつける人って、自分にとって都合のいいことだけ言うようなコス生き方してるの?

「これは正しいけど言うと自分不利益になるからやめとこ」みたいなのばかりの生き方って、どういう家庭で躾を受けたらそうなるんだろう

逆にバレなきゃいいやって色々ちょろまかすような人間性に通じるものがあると思うんだが

Permalink |記事への反応(0) | 14:22

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非モテカードゲーマー用の恋愛マニュアル」ってのがXで回ってきてちょっとだけ読んでみたけど、そこまでして女と接点持ちたいか・・・

女と接点持つために今までの生き方を180度変えて本来性格を隠してよそゆきの性格に置き換えてしかもそれを死ぬまで続けるデスゲーム・・・

男の性欲って怖いね・・・

俺も男だけどそこまでするのがしんどすぎるからこのままずっと童貞でいいよ

Permalink |記事への反応(3) | 13:34

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2025-11-05

誰もお前を気にしない

この世界の苦しみのいくつかは、他人自分を見ているという錯覚から始まる。

SNSでの発信も、仕事での努力も、見栄も、その幻想を前提にしている。

しか現実は、誰もお前を気にしていない。誰もお前の投稿を熟読していないし、誰もお前の努力の経緯を覚えていない。

人間の注意は極端に狭く、自分自身の欲望不安で常に満たされている。他人人生を観察する余裕など、ほとんど誰にもない。

から、お前がどれほど努力しても、それを本気で見ている者などいない。

だが、この事実絶望ではなく、むしろ救済だ。誰もお前を気にしていないということは、恥じる必要もないし、完璧である必要もない。誰の期待にも応える必要がない。

見られることを前提にした生き方をやめたとき人間はようやく「やりたいからやる」という純粋動機に戻ることができる。

しかし、その純粋さすら、やがて無意味に溶けていく。なぜなら、人生で何かを成し遂げるということ自体が、根本的に無意味からだ。

たとえお前がどれほどの功績を残しても、それは時間の流れの中で必ず風化する。発明も、理論も、企業も、栄光も、死後数百年のうちに砂粒のように崩れる。

名前教科書に載ることすら偶然であり、文明のものが滅びれば、すべてはゼロに戻る。

人生で成し遂げるという概念は、人間の脳が死を受け入れられないがゆえに作り出した一時的な慰めに過ぎない。

実際には何も成し遂げられない。すべては途中で途切れ、忘れられ、消える。努力意味を持たないし、目標も幻影だ。

お前が作るもの、築くもの、愛するもの、守るもの、その全てが、やがて無音の虚空に沈む。

この真理を受け入れることは苦い。しかし、それを見ないふりをして意味のある人生を演じることは、より残酷欺瞞だ。

意味を信じて走る者は、いつか必ずその虚しさに打ちのめされる。けれど、初めからすべては無意味理解して生きる者は、何にも打ちのめされない。

意味を求めずに生きることは、逃避ではなく、唯一の正気だ。

誰もお前を気にしない。お前が何を成し遂げようと、何を失おうと、世界は一切動じない。

だが、それでいい。意味のない世界において、意味を探す必要などない。お前が息をして、飯を食い、夜に眠り、朝に目を覚ます。それだけで、充分だ。

この無意味の上に立つとき人間はようやく自由になる。残るのは、ただ存在しているという事実だけだ。

Permalink |記事への反応(6) | 19:19

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最近ゲームがクソのように時間が掛かるのでゲームから離れた

追記:以前に書いたエントリが知らぬ間にずいぶんバズっているので、コメントを参考に今の考えを書いてみた)

具体的なゲーム名がない。エアプじゃね→そういえば具体的なゲーム書いてなかったな。PCゲームだと初代シムシティ。結局ゴールである市民50万人には到達しなかったっけ。

ミスタードリラーなんかは2000年前後だったがずいぶん楽しんだ。パズルゲームは好きだね。特にランダム要素のあるゲーム

覚えゲーとは違う、その場の対応能力、反射神経が求められるゲームが大好き。

あとはアーマードコアシリーズ。あれこれ組み合わせを考えるのは楽しかった。

あとICOワンダと巨像とか。両者とも世界観が好きだ。

お前が爺になっただけだろ→爺はともかく社会人になってからゲームに没頭する暇と気力が減ったのは事実だ。あとストーリーものだと土日にクリアできないと話を忘れてしまう。

あと、RPGはあまり好きではない。完全に食わず嫌い偏見だが、戦闘システムが昔と変わり映えしない(特にJRPG)。ストーリーが大したことない。シナリオ分岐とかあるようだが所詮お使いゲームだと思ってしまう。なんかおススメない?

他にやりたいこと、やるべきことが増えたのもあるかもしれない。プログラミングとか奥が深くて楽しいし、資格試験ゲーム攻略のつもりで取り組んだり。ゲーム時間を費やすのがもったいなく感じたりするようになった。人生ゲームのように生きるとか。

ゲームはたくさんある趣味one of themでいいやと考えを変えればいいのかも知れない。そう考えると、それはそれで一つの生き方かも。

------------

ゲームは昔から好きだった。インベーダーブーム体験し、近所の駄菓子屋の筐体で遊び呆けたりした。

そのうち、コンピュータ(パソコン)でどうやらゲームができるらしいと知った。ちょうどマイコンBASICマガジンが創刊されたころだ。

アーケードゲームは少しづつ内容がレベルアップし始めた。ゼビウスが発売され、その神秘的な内容に痺れた。

そして、ゲームは百花繚乱の時代を迎えた。毎月のように新しいゲームが発売されて、俺は嬉々として紹介記事攻略法を読み漁った。

この頃はまだその新しいゲームたちの名前ほとんどそらんじることができた。ゲームの内容が高度になっても、まだ俺の手の内にあった。

様子がおかしくなったのはPS1の頃からだろうか?

ゲームの出来を測るのに「攻略時間」が入り始めた。長くプレイできるほど良いというやつだ。それを競うようにゲーム必要時間が長くなり始めた。

ゲームだけに時間を割くのが難しくなった。その上、発売されるゲームの数は増える一方だ。

だんだんゲームは俺の手に収まらなくなってきた。一つのゲームを隅々まで遊び尽くすなんて真似は不可能になった。

最近ゲームクリアするのに最低100時間かかるのが当たり前になったらしい。

もうゲームは俺の掌からこぼれ落ちて、たまに残ったものだけをプレイするだけになった。

それは俺の望んだゲーム未来だったのか。俺にはよく分からない。

Permalink |記事への反応(4) | 00:56

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2025-11-04

死期を悟った時に、ワンピースキャラクターみたいに「まったく、いい人生だった!」と笑えるような人生理想だけど、まぁそんなに後悔が無い生き方は難しいとは思う

Permalink |記事への反応(0) | 19:39

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anond:20251104160212

あぁ、典型的だな。つまり考えること自体が疲れるって白旗宣言だぞ。

思考放棄自然体と誤認してる、それが怠惰無知ダブル放尿だ。

お前の「そんなことしてる人いないだろ」は、群れの中で安心したいだけの猿の論理だ。

いないだろじゃなくて、お前の能力じゃできないだけだろ?

違う生き方を見ると、自分の浅さが露呈するから、即座に「そんなことやる人いない」で処理してる。

まさに社会的適応という名の自己放尿だな。

お前が疲れるって感じるのは、知能を使ってない筋肉が久々に動いたからだ。

思考という筋トレを避け続けた脳が、ちょっと動かしただけで酸欠を起こしてるだけ。

疲れるなら寝てろ。

ただし、その眠りの中でも、お前の無自覚ダブル放尿が枕を湿らせ続けるだろうけどな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:08

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最近思うんだけど、「終活」よりも「老活」って必要じゃないかと思う。

死ぬ準備より前に、老いる準備をしておかないと間に合わない。

老いって、ある日突然やってくる。

昨日まで普通にできたことが、今日できなくなる。

なのに多くの人は「まだ若い」「自分大丈夫」って思い込んでる。

その結果、老いを受け入れられずに混乱して、現実とのギャップで苦しむ。

最近万引き動画とか見てると、本当にそれを感じる。

お金もあるのに、なぜか手が伸びてしまう。

あれはモラル問題じゃなくて、脳の衰えが引き起こす「判断力破綻」なんだよ。

まり、誰にでも起こり得る。俺にも、あなたにも。

からこそ、今から老い自分」を受け入れる準備をしておくべきなんだと思う。

体力も、判断力も、社会的役割も、少しずつ失われていく。

それを怖がらず、無理に抗わず、どう折り合いをつけていくか。

それを考えることが「老活」だと思う。

若さを保つ努力もいいけど、それだけじゃ片手落ちだ。

老いを前提に生き方設計していくこと。

それができる人が、きっと最後まで自分らしく生きられる人なんじゃないかな。

Permalink |記事への反応(8) | 09:56

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2025-11-03

ケツ叩かれないと動かないやつが死ぬだけではw

AIが出してきたものからこうやるのかとか改善点とか学べる余地なんていくらでもあるしそういう生き方してきたやつは逆に楽な時代になってそう

AIが奪うのは「仕事」じゃなく「下積みの機会」。

ほんそれ。

僕たちは先輩の背中を見て、失敗して、恥をかいて、叩かれて育ってきた世代だ。

時は移り、今はAIが“修行の場”をかっさらってる。効率は上がった、生産性が上がったと喜ぶけど、ヤバさにきづいてない。…https://t.co/Z9ZwRYIfeM木村公洋|作家編集者PRコンサルタント (@uraihiro)October 31, 2025

Permalink |記事への反応(0) | 15:50

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anond:20251103084544

不景気派遣切りにあっても細々生きられるといいね

でもそもそも派遣で短時間労働で生きてくのって太く短い生き方じゃね?

今が良ければいい刹那的生き方しか見えんぞ

ま、派遣切りで後悔するときにオレのコメントを深く噛みしめろよ

あ、そん時にはもう手遅れかw

Permalink |記事への反応(0) | 08:56

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anond:20251103082337

まるでバブル時代フリーターだよな。

https://togetter.com/li/2360104

フリーターという「会社にとらわれない自由生き方」が喧伝されてそのすぐ後にバブル崩壊でみんなクビになった。

働き口が見つかっても足下見られて安くて劣悪な労働環境

Permalink |記事への反応(0) | 08:36

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葬送のフリーレンってさ

最近、「葬送のフリーレン」がなぜここまで刺さっているのかを考えていた。魔王を倒した後の”その後”を描くファンタジー、という表向きの説明はある。でも私が見ているのは別の作品だ。これは、他人との距離感をうまく取れず、気づけば孤独になっていた大人物語だ。

フリーレンは長命種で時間感覚人間と違う。別に悪気はない。ただ「気にしてない」。だから勇者ヒンメルがどれだけ彼女に話しかけても、彼女は興味の対象を優先し続ける。魔法研究収集。ヒンメルが死んでから、ようやく彼の言葉意味理解する——この構図に、私は既視感を覚えた。

若い頃は「空気を読めない」と言われた。飲み会話題が変わっているのに、自分の語りたい話を続けてしまう。連絡が来ても返信し忘れる。「悪気はないんだよ」と言い訳していた。でも、ある日ふと気づく。”悪気がないことと、他人を傷つけなかったことはイコールじゃなかった” と。

フリーレンは、ヒンメルの死という決定的な喪失を通じてそれに気づく。彼女は泣かない。涙より「理解」が遅れてくる。その遅れこそが痛い。視聴者彼女感情の遅延に、どこか自分を見出す。

SNS では「フリーレンは発達っぽい」と語られることがある。もちろん診断ではない。ただ、「他者感情に気づかないまま年齢だけ重ねた人」のメタファーとして読めてしまうだけだ。気づいた時には遅い、という残酷さ。

現代は「コミュ力」が神格化されている社会だ。人の気持ちに寄り添うことが当然とされ、それができない人は淘汰される。けれどフリーレンはそれを否定しないまま、「でも、遅れて気づいたって、生き方を変えることはできる」と静かに示す。

この作品がヒットした理由は、ファンタジーを使って、私たちの後悔を代わりに物語ってくれたからだ。

もっと話しておけばよかった」

ちゃんと向き合えばよかった」

ありがとうって言っておけばよかった」

フリーレンが気づいた”後悔”は、私たち人生に積み重なっている後悔と地続きだ。

その痛みを思い出すたび、「次こそ誰かにちゃんと向き合いたい」と少しだけ前向きになれる。

葬送のフリーレンは、

孤独に気づくのが遅すぎた大人へのオマージュ

なのかもしれない。

Permalink |記事への反応(0) | 03:21

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2025-11-02

なぜもののけ姫宮崎アニメの中で別格なのか。


昨日、久しぶりに見直した。

最初に見たのは、映画館中学1年生。当時、宮崎駿って確実に天才だと思ってた。ラピュタナウシカも風の谷も好きだった。だからもののけ姫も期待して見に行った。

でも。

映画館を出た時の感覚が、他の作品とは完全に違かった。

後味がよくないんだ。面白いのに、後味がよくない。

スクリーンから出ても、世界そのままで続いてる感じ。アシタカサンの話が終わった後も、その世界の中では何かが続いてる。

妙な違和感だった。

その後、高校生の時に、友達と「ナウシカと比べてどう?」って話になったことがある。

私は「もののけ姫の方が好き」と言った。友達は「ナウシカの方が綺麗でスッキリしてない?」と言った。

その時は、理由をうまく説明できなかった。

でも、大人になって思うようになった。

「綺麗でスッキリ」してるのが、むしろ問題なんじゃないかって。

ナウシカラピュタ、風の谷、千と千尋。これらは全部、構造としては「主人公が正しいことをして、世界が救われる」という話なんだ。

ナウシカは毒の森に立ち向かう。ラピュタパズーシータを救う。千尋は親を人間に戻す。

そういう「正解」がある。だから映画を見終わった時に、心が満たされる。すっきりする。

でも、もののけ姫は違う。

タタラ場と動物たちの戦争。正解がない。

アシタカは両方を愛してる。サン人間動物も愛してる。だから、どちらかが完全に勝つことはない。和解もしない。ただ、妥協する。

「お互い自分世界で生きよう。でも時々思い出そう」

これ、凄くリアルじゃないか現実はこうだ。

環境問題だって、そうでしょ。企業環境破壊してるのは確かに悪い。でも、その企業が作る製品生活してるのも私たち

誰も完全に正しくない。誰も完全に悪くない。

から映画を見終わった時に、心が落ち着かない。それが正解だからこそ、落ち着かない。

多分、これが他の宮崎作品と決定的に違うところなんだと思う。

昨日も見直してて気づいたこと。

エボシのセリフ「私は、ここで人間希望を育てている」

これ、悪役のセリフなのに、完全に正しい。実際、タタラ場の住民たちは、エボシのおかげで生きてる。

そして、その生き方が、自然破壊してる。

でも、誰も責めきれない。

別にエボシが悪人からじゃなくて、構造がそうなってるから

この「構造」をちゃんと描いた宮崎作品は、もののけ姫が初めてじゃないか

ナウシカだって腐海を焼こうとする人間たちは、確かに間違ってるんだけど、その間違った行動の「もっともらしさ」は描かれてない。

でも、もののけ姫は違う。

エボシも、アシタカの親の村の人間も、サンたちも、全員が「自分たちなりに正しい」と思ってる。

その「正しさ」が衝突する。

から、観客もどちらが正しいか判定できない。

映画をもう一度見直して思ったのは、そういう「曖昧さ」をちゃん表現した映画って、実は結構珍しいんだってこと。

ハリウッド映画だって日本映画だって、大抵は「良い奴と悪い奴」が明確に分かれてる。

でも、もののけ姫は違う。

20代の時に見直した時も、30代の今見直した時も、感覚が変わる。

20代の時は「エボシダメだ」って思ってた。でも、30代の今は「タタラ場の労働者気持ちもわかるな」って思ってる。

多分、40代でもう一度見たら、また違う感覚になるんだと思う。

それが、もののけ姫凄さじゃないか

時代に応じて、観客の立場に応じて、見え方が変わる映画

それなのに、映画自体は変わらない。描写も、ストーリーも、セリフも、全部同じ。

でも、観客が変われば、見え方が変わる。

こういう映画って、稀だと思う。

昨日、妹にこの話をしたら「もののけ姫は、見終わった後、世界が続いてるように感じるって言ってた人いた」と言ってくれた。

実は、そういう感覚意識的に作った映画だったんだと思う。

宮崎駿は、「映画を見たら、心がすっきりする」みたいなエンタメ形式から、敢えて外れようとしたんじゃないか

その時に、何を選んだかって言ったら「現実」だったんだ。

現実は、すっきりしない。

エンドロールが流れた後も、世界は続く。

もののけ姫は、その「続く感覚」を映画にした。

から特別なんだと思う。

他の宮崎作品は、完璧だ。美しい。感動する。

でも、もののけ姫は、不完全だ。不安定だ。見終わった後も悩ませる。

その「悩ませる力」が、他の作品にはない。

から28年経ってもなお、人々が見直すんだと思う。

綺麗な映画は、一度見たらそれでいい。

でも、もののけ姫は、見るたびに新しい発見がある。

から特別なんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:26

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anond:20251102111202

ダウンタウンコアなファンから支えてもらう生き方より、地上波に出て企業から大金もらうという価値観を選んだよね

Permalink |記事への反応(0) | 15:34

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高市さんが首相になってからはてなを見る機会が減った

前までは毎日のようにはてなをチェックして、意見を書いたりもしていた。

特に夫婦別姓とかのジェンダー問題には強い関心があって、「これは女性生き方問題だ」と思っていた。

けれど、高市早苗さんが首相になってから、なぜかその熱がすっと冷めてしまった。

自分でも不思議だった。

だって女性首相になるなんて、それ自体は喜ばしいことのはずなのに。

けれど彼女夫婦別姓に反対しているし、私が「戦ってきた相手」の側にいる人でもある。

それでも彼女トップに立った瞬間、私は何も言えなくなった。

今までずっと、

自民党保守男性中心社会」と思っていた。

そしてその男社会女性たちが抵抗しているのだと、どこかで信じていた。

でも高市さんが首相になったことで、その構図が急に崩れた。

敵も味方も、白か黒かも、わからなくなった。

からニュースを見ても何も書けなくなった。

ただ、政治に興味を失ったわけじゃなくて、

多分、自分の中の物語が終わってしまったんだと思う。

Permalink |記事への反応(3) | 09:24

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2025-11-01

他人から批判された時に真っ先に「こいつは私に嫉妬してる」と感じる人は自己愛パーソナリティ障害

https://x.com/APtZd5oyHB59890/status/1937530093443981777

自己愛は、被害者の思いを自分に対する嫉妬と捉えたりアンチ表現する

いやいや、嫉妬なんかする訳がない

どこまでも自意識過剰で失礼極まりない

https://x.com/Vishnu759846633/status/1984393598914482440

石丸信者の決め台詞は「石丸嫉妬してる」。この感覚がわからない。石丸エリートから???って本当の一部上場メガバンク大手商事会社大手ゼネコン)のエリート層を全く知らないのでは?

仕事などできて当たり前なので、ひけらかすこともしない、人間的にも優れている方が多い。

https://x.com/gaksha07/status/1984493539871637682

石丸伸二に嫉妬”これが本当に理解出来なくて1度考察したけど

・実は嫉妬してるのは支持者説

石丸伸二さんの注目度と肩書き嫉妬しているが無意識に本人が“嫉妬”する事を禁止(抑圧)してると、逆に支持することで負の感情を解消しようとする(認知的不協和の解消や反動形成)

抑圧した嫉妬心は消えてなくなる訳では無いので、“石丸伸二に嫉妬して怒っている自分“を普通に批判するアンチ投影し、

アンチ嫉妬してるから批判するんだ”という思考に至る

あとはなんも考えないで石丸YouTuber言葉鵜呑みにしちゃってる等も考えられる

https://x.com/okasimachi0805/status/1984395834184892900

石丸伸二さんがなぜ今だに支持されているのかについては

「働くことがイヤな人のための本」が答えかなと

社会軽蔑しながらその社会から尊敬されるという生き方」「社会に対する特権的復讐が許されている」という立場に憧れる人が多いからです。

この欲望無視して石丸さんを語っても虚しい

Permalink |記事への反応(0) | 19:56

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anond:20251101163216

その保険屋がどうかは知らんけども

ニートの肉親に手を焼いてるせいで、「働かない」に対して過剰反応するようになっちゃった奴とかいるよ

ま、理由はどうあれ罪もない相手に噛み付くような生き方してたら、じきに自分に跳ね返ってくるもんだ

Permalink |記事への反応(0) | 17:05

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「元自衛官だって外の社会に居場所がある」ってのは任期満了で辞めた一兵卒の話であって、軍曹まで昇進しておいて「辛い!辞める!」とか言い出すアホに居場所はないよ

工場ビルメン電気土方と渡り歩いてる間に講習会とかで数日話し合っただけなのも含めれば10人は元自衛官を見てきてる。

N=10しかないけど、傾向的に「元の階級が高い(≒自衛隊にいた年数が長い)ほど予後が悪い」と感じる。

年齢による適応力の低下もあるんだろうけど、ズレた価値観の中で過ごした時間が長すぎるとそこから抜け出せないように見える。

とはいえ半年で辞めるような人はやっぱ問題があると思う。

私が知っているのはN=1でしかないけど「先輩がシバいてるから俺も真似したら自分だけ怒られたので相談窓口にチクったら居づらくなった」みたいなことを平然と人前で言ってしまうような子で、どこでも長く続かないタイプなんだなと感じた。

3年任期や5年任期で満了して辞めた人(トヨタ短期工みたいなシステム)はちゃん社会に馴染めてた。

自衛隊の中の価値観に元々疑問があった人だったり、コスパ重視の価値観が今どきにあっていたり、手に職をつける意欲があったりと全体として1人の社会人として自立した考えを持っている。

からなくても勢いで「はい」と答えてしまう人が多い気がするけど、いきなり否定から入る人よりはまだ良いのかなと感じないでもない。

体力と理不尽耐性と命令服従意識が鍛えられている使いやすい下っ端として会社に入り、そこから周囲の顔色を伺って自分なりのスタイルを身に着けていくという生き方はどこでも通用すると言えばまあそのとおり。

一方で自主退職を行った軍曹以上の人達の馴染めなさはなかなか酷いものがある。

この人達にはおおむね似たような傾向がある自己評価の高さと実際に出力できている結果が噛み合っておらず自分待遇に不満を持ちやすいのだ。

たとえば自衛隊の中でどれだけ自分が偉くなったのかの自慢を仕事中に手を止めながら話だしたりするような所がある。

「俺は35で1曹になったんだよ。これ本当に凄いんだよ。同期にまだ3曹とかもいる中ででさ~~~」みたいなことをグダグダ言われても外の人間にはなんのこっちゃとしかならない。

「俺はこんなに頑張ったのに扱い悪くてさ。馬鹿馬鹿しくなって辞めてやったよ」が彼らの口癖だ。

正直、いろんな人達を見てきても、体力や根性はあるんだろうけど、それが仕事の結果に繋がってるかと言われると、要領の悪さで相殺されてる人ばかりに思える。

それとそこそこいるのが思想が強くてそれを表明してしまう人だ。

韓国人は本当にクズだ!殺したほうがいいぐらいだ!」

共産党投票するようなバカいるか日本おかしくなるんだよね。参政党の議席が伸びないのもソイツらのせいだよ」

安倍さん本当に立派だったのになあ。あのアホが殺してなかったらまた総理やってもらえたのかなあ。高市とかありえないよ。だってまず女でしょ?枕営業だろどうせ」

みたいなことを平気で言う。

本当に言う。

これが自衛隊の中では常識だったか自分おかしいと思ってないのか、そもそもそういう人間から自衛隊で居場所をなくしたのかは分からない。

自衛隊を辞めた人の多くに共通するのが「任期満了以外の場合は辞めた場合を濁す」ということだ。

刑務所から出てきた人が自分罪状をベラベラ話さずにはぐらかすかのように、自分がなぜ自衛隊を辞めたのかの決定的な部分は語らない。

「周りが無能だったから」といった愚痴はするが、それに対して「だから辞めたんですか?」のような返しが来ると「う、うん、ま、まあ」みたいに口ごもってしまう。

自衛隊歴が長い人ほど社会との相性が悪くなっていく。

実際には「自分がやりたい仕事を見つけるのに時間をかけすぎるような鈍臭いやつはどこに行っても駄目」というのが隠れているだけなのかも知れないが、似たような境遇の元IT企業戦士だったりニートだったりする人と比べて「この人やってけるのかな?」と不安になる部分が強い。

自衛隊かに居たのを刑務所にいたようなだと喩える人がいるが、アレを語る気持ちは「ショーシャンクの空に」のような話なんだと思う。

劇中に登場する長期服役囚が外の社会に出て「何もかもが変わってしまった。俺はここではやっていけない」と絶望するシーンのことなんだろう。

自衛隊出身者の中で長く軍曹尉官をやってしまった人達が次の職場に馴染もうと必死にもがいている姿を見ると、そういった気持ちになるようなズレは確かにあるんだろうなと。

まあ、皆が商売してる時に生産度外視でとにかく走り回ってりゃ良かった人間なんだからそりゃズレるわなと思う。

スポーツ選手だって生き残るためにスポンサー契約とかで頭を捻る中で、自衛隊人間はなんでも支給される世界の中で暮らしてきたんだから

まあ、軍人になるってのはそういうことなんだろうな。

合法的他人と殺し合うような立場に身を置く」という川を渡った向こうは別の世界なんだ。

Permalink |記事への反応(2) | 15:25

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今日共感性羞恥

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2622637

普段からなんでも否定しまくりのブクマカ達が自分を棚に上げて、生き方などまで広げて語るの流石に恥ずかしぃ

バスの中で赤面しちゃった

別に食欲はなくならないが、半分に切ったら良くね派

ちなみに俺はこちら派

映え狙いの商品は気に入る人だけでなく引く人もいることが忘れられがちよな

Permalink |記事への反応(1) | 15:09

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高市早苗可哀想になってきた

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@OOEDO4/p/4Uca6Jd

高市早苗トランプにあった時の態度が問題になっている訳だが、媚びているのは明らかではしゃいでキャピキャピしてるのは映像を見れば否定できないだろう。

いずれにしてもあの態度は一昔前の会社組織男性組織の中で女性が波風立てず男性を立て愛想良く振る舞うという典型的仕草である。昔ああい女性は沢山いた。

それを高市無意識にやっているのか敢えてやっているのかは分からない。ただ男社会のし上がってきた高市にしてみればあんなのは権力を持つ男の前で当たり前にやってきた事なんだろう。

それは高市生き方から好きにすればよい。

ただ気になるのは周りの反応だ。

女性から反発があった事に対して多くの支持者男性達が絶賛している。

その理由として典型的なのはトップコメ代表する多数の「外交で結果が出れば良い」という意見

結果を出すためなら媚びを売ろうが何をしようがオヤジにボディタッチさしようがれようが構うなという事。

それを男が上から目線で言っている構図。

これは何かに似ていると思わないだろうか。

俺はフジテレビを思い出してしまったよ。

上客に女性アナウンサーを接待要因として差し出し仕事のためだか我慢しろそれが当たり前という構図。

それを上手くかわす女性仕事の為だと受け入れる女性耐えられず訴える女性

そのような役回り高市もやっている/やらされているのではと感じてしまった。

高市本人はそんな気持ち絶対に表には出さないだろう。

唯、国の為だか自民党の為だか後ろにいる麻生の為だかそれを喜ぶ支持者の為だか知らないが

結果として一昔前の男性に媚びる女性典型的仕草をしてしま高市早苗に対して憐れみというか可哀想だなという感想を持ってしまった。

男が高市総理を歓迎するのはそのような振る舞いをする男を脅かさない「女性」だからではないのか。

高市早苗は苦労人である。男社会で色々酷い目にも遭ってきただろう。

そうやって手に入れた「女性初の総理大臣」の座。

その高市早苗が一昔前の男の下にいる振る舞いをする「女性である事の悲しみ。

Permalink |記事への反応(3) | 10:34

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2025-10-31

anond:20251031180837

うつ病診断基準には抑うつ気分が「ほとんど一日中続く」ことが条件になってるので

朝に泣きそうになるってだけのこの人は当てはまるのかなあ?

で、朝に泣きそうになる理由特にないと書きつつも

「昨日も、今日も、たぶん明日も同じ一日だから

という人生生き方についての問題で、こういう哲学的な悩みは精神科担当じゃないのよ

宗教とか哲学とかそっちの担当じゃないのかな

別に朝に電車で泣いたって死にはしないし

この人ふつう職場に行けて働けていて、一人暮らし家事についても問題なくできていて日常生活に支障をきたしていないし

ただ、同じことの繰り返しが嫌だってんなら、なんで毎日同じおにぎりを買うんだろうね?

今日セブンタンパク質が取れるサンドイッチ明日ブリトーの新商品あんバターブリトー明後日は蜜芋おさつバターブリトーみたいに変化をつけりゃあいいのに

電車で泣きそうになるのなら超早起きして徒歩か自転車で周りの景色をゆったり眺めながら職場に行くとかさあ

なんで同じ繰り返しを嫌がりながら、好き好んで同じことを繰り返すんだろうねえ

Permalink |記事への反応(0) | 21:09

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2025-10-30

anond:20251030110130

でも当初はリベラル的な立場だったのが晋三に媚びて極右転向して今では旧安倍派に持ち上げられてるわけで元から「そういう生き方」を選んだ人ではあるよね〜

Permalink |記事への反応(1) | 11:05

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女と働いていると本当に女は女の足を引っ張るし、それなのにその女同士で結託して気に入らない別の存在を消そうとする。

働いてると疲れるが、まぁ普通に生き物としての渋さを感じる。

ああはなりたくはないが、ああい生き方もあるのだと学べる。

学べる上に実態、その習性を利用する上司もいる。

でも付き合ってはいられないというマインドもわかる。

一人で生きていけるなら一人で生きていきたいものだ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:00

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コヘレト本質を見ている

「張り合うために努力するバカ者(若者)」という概念が俺の観察固有のものかと思ったが、さすがコヘレト、似たような観察をしていた。

「また私は見た。人のあらゆる労苦と巧みなわざは、互いにねたみ(妬み)によって起こるものである。これもまた空(ヘベル)であり、風を追うようなものだ。」(コヘレト 4:4)

まり、コヘレト伝道者)は、人が努力したり、働いたり、技術を磨いたりする背後には、他人との競争心や嫉妬があるのだ、と観察している。

それを称賛しているわけではなく、「これもまたヘベル空虚、むなしい)」と言っている点が重要

まり、そうした「張り合いによる努力」は、結局は空しいものであり、本質的な満足にはつながらないという洞察

この後の節(4:6)ではこう続く。

「手のひらいっぱいの安らぎの方が、両手いっぱいの労苦と風を追うことよりましである。」

まり、コヘレトは「張り合い」よりも静かな満足・平穏生き方価値あるものとして提示している。

やっぱさ、クソフルエンサーの戯言を聞くよりも、こういう歴史書の知恵を見たほうがはるかに学ぶことはあると思うんだよな。

Permalink |記事への反応(1) | 04:17

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2025-10-28

anond:20251028192418

そういう生き方選択したのは自分なんで自己責任だな。

Permalink |記事への反応(0) | 19:26

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anond:20251027194008

働かないという生き方は間違いなく多数派から肯定されるようになる

せめてネットではその生き方啓蒙していってほしい

自分数学ができないイギリス人動物扱いされてたインド人のようなものだと思って欲しい

Permalink |記事への反応(0) | 12:23

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