はてなキーワード:映画監督とは
女優さんが脱ぐのは絶対に性加害由来だと思う。一定レベルの普通のサラリーマンなら最初から「脱がせよう」とは思わないし、サービスカットとして濡れ場が必要ならAV女優が脈絡なく出てくるシーンを追加すればいいだけの話で。今になって性加害ブームが起こっているのは、そもそも映像業界が掃き溜め人材で構成されていて、業界人の誰もが「女優なら脱がせたい、セックスしたい、手籠めにしたい」という発想を持っている人が多いから。一定人材なら、そんなことはもともと思わない。サラリーマンの中にもアル中で出社前から飲んでくる人もいれば、毎朝痴漢に勤しむ趣味の人がいないわけではないが、暴力とか性加害とかの規範意識の低さは、もともとの人間性としてそれ相応の人材が多くなるが、あまり差別になるから言ってはいけないムードがあるだけで。
小中学校で勉強もしたくない、部活もしたくないといった子が、高校を中退してドロップアウトして、そうした人材にいきなり芸能の現場を任せても、最初から基本的な規範意識を持たせるところから始めなくてはならない。サボらずに継続する、言われたことをやる、期限を守るといった社会の基本が身についていない。そんな人に何かをやらせるには、結局、長時間拘束して地獄のようなリハーサルをやるしかなくなる。「その場では手を抜けない」状況に追い込み、支配して人格否定を繰り返すしか手段がない。実に非効率。
本来なら、事前に「これこれをやってくれ」と打ち合わせし、各自が仕込んできたものを持ち寄り、現場で調整するだけでいい。それは普通のサラリーマン人材がやっている「発注手配作業」。
人格否定も必要ないし、根性論も不要。普通のサラリーマン人材なら「こうやれ」と言われればその通りにやる。時間も無駄にならない。手戻りのバッファが多い場合はそれ相応の下位企業になる。
海外の演劇教育では、人間のベーシックな規範意識を土台に、技術としての表現を積み重ねて、声楽科であれば、大学の年数をかけて声を育て、技術として成果を出す。
声出しは根性論ではなく、完全に技術教育なので、小中高で規範意識がきちんと育っていれば、基本的にサボらずにやるというのベースで、そこからの伸びは圧倒的に違う。
演劇・歌唱を教える人、映画監督に「掃き溜め人材」出身が多いとなれば、当然ながら暴力や性加害が起きやすくなる。普通のサラリーマン人材なら、映像写りの部分では一生懸命やってしまうかもしれないが、仕事は仕事で女性を手籠めにするという発想自体がない。
企業も、なぜそんな大金を広告企業に出し続けるのか。けっきょくテレビという電波の独占構造があり、一定規模以上の金額を出さなければ、継続的にテレビで商品をアピールさせてもらえない。
中間の広告産業がなぜあれだけ立派なビルを建てられるのか。ドラマやCMの制作費、タレントのギャラを積算し、実際に下請けに使われる金額だけで見積もれば、半分以下で済むのは明らか。
規範意識のない「掃き溜め人材」のタレントを使う必要はない。ちゃんと学校を出ている人材を演者として選んでも演技の水準は大して変わらない。
怪優のような個性的な人間も、演劇学部で徹底的に分析すればいい。
そこにスポンサー経費をかければ、不貞行為や性加害が発覚して、せっかく作った全国規模のキャンペーンやポスター、POPなどを全部作り直すといった無駄も減る。
地元のチンピラ子ども育ちを起用し続けていれば同じようなことの繰り返しにしかならない。
最近の流れでは中学生から芸能人を始めて数年活動して満足したら大学入学と同時に引退するようなモデルである。
AIによってクリエイターの地位が下がるといったことは全くなくて、確かにAIの進歩によって簡単に動画やらイラストが作れるようになったかもしれない。
例えるならスマホのカメラだ。スマホのカメラは少し前の時代から考えれば非常に高性能で、スマホのカメラで映画を撮れるほどである。
しかしだからといって誰しもが映画監督になるわけではない。結局のところそれは撮る手段があっても、撮ろうとするものがないからだ。
AIもそれと同じ。
いくら素材や材料が転がっていても、創りたいものがなければ創られない。
だからこそ、いくらAIが台頭しようともてクリエイターの価値は下がることはない。
2018年12月設立。映画・映像コンテンツの企画・制作・配給・宣伝、イベント企画運営、俳優・クリエイターのマネージメントなどを行う会社です。
「TEAMカミナリ」はこの株式会社カミナリが運営する映画制作チームと考えられます。
オンラインコミュニティ「KULMILA(くるみら)」も運営していました(現在は終了している可能性あり)。
増田有美です。アートサイトこれやんを企画。YouTubeチャンネル「くるみらTV」 をプロデュース。
株式会社カミナリの代表取締役社長であり、TEAMカミナリの中心人物です。
記事で言及されているモキュメンタリー映画**『AlreadyOver』では監督・プロデューサー**を務めています。
その他、株式会社カミナリが制作した作品で監督やプロデューサーを務めています。
短編ドラマ映画『コロナになりました。』(2022年):監督・プロデューサー
短編映画『シェアハウス33クラブ』(2022年):プロデューサー
映画『Floating Holidays』(2024年):プロデューサー
彼女の具体的なフィルモグラフィーや、カミナリ設立以前の詳細な経歴、園子音監督との個人的な出会いの経緯などについては、公表されている情報からは詳細には明らかになっていません。
TEAMカミナリ(及び増田有美監督)と園子音監督の関係は、単なる知人という以上に、制作活動において協力的な、あるいは園監督をリスペクトする関係であったことがうかがえます。
TEAMカミナリの第一作とされる『シェアハウス33クラブ』(2022年)は、
プレスリリースに「映画監督の園子温氏の協力のもと」制作されたと記されています。設立初期から園監督の何らかのサポートを受けていた可能性があります。
園監督の性加害疑惑が報じられた後も、TEAMカミナリが制作した複数の作品で、エンドクレジットに「スペシャルサンクス:園子温」と記載されています。
『コロナになりました。』(2022年9月公開時プレスリリース)
『Floating Holidays』(2024年2月公開)
『コロナになりました。』のプレスリリースでは「スペシャルサンクス:くるみらサポーター/園子温」とも記されており、園監督がTEAMカミナリの運営するオンラインコミュニティ「KULMILA」のサポーターであった可能性が示唆されます。これが事実であれば、単発の協力関係以上に、チームの活動を応援する立場にあったと考えられます。
『AlreadyOver』は、まさに園監督の性加害疑惑をテーマにした作品です。これを制作したこと自体が、園監督への強い関心、あるいは何らかの意図(擁護、問題提起など)を持っていることの表れと言えます。
記事や公表情報からは、彼らが園監督を強く支持する具体的な理由(個人的な恩義、思想的共鳴、ビジネス上の深いパートナーシップの詳細など)は明確に語られていません。
園子音監督は国内外で評価される個性的な映画監督であり、その才能や作品、あるいはインディペンデントな制作スタイルに強い敬意を抱いている可能性があります。
『シェアハウス33クラブ』での協力や、「KULMILA」サポーターとしての関与など、過去に受けたサポートに対する感謝の念が強いのかもしれません。
『AlreadyOver』の予告編の内容(「あれもダメこれもダメ、どれもデタラメ」という挿入歌、「どこまでが本当?」というテロップなど)からは、疑惑報道に対して懐疑的であるか、あるいは園監督を擁護したいという意志が感じられると記事は指摘しています。彼らなりに「真実」を追求したい、あるいは別の側面を提示したいという考えがあるのかもしれません。
ただし、これらはあくまで状況からの推測であり、本人たちが公に理由を語っているわけではありません。
TEAMカミナリの現在の態度は、記事の指摘通り、園子音監督を擁護し、疑惑を矮小化あるいは疑問視していると解釈できる行動を一貫して取っていると言えます。
予告編の表現は、園監督の疑惑を軽視し、フィクションを用いて現実の問題を否定しているかのような印象を与えると批判されています。
タイトル『AlreadyOver』(もう終わった)も、問題が解決しておらず被害者が声を上げている中で不誠実であると指摘されています。
これらの表現は、被害者感情を無視し、二次加害にあたる可能性が懸念されています。
疑惑報道後も、最新作に至るまで園監督の名前をクレジットに掲載し続けていることは、彼らの園監督への支持が変わらないことを示しています。
『AlreadyOver』の予告編公開後、内容に対する批判が上がっていますが、
TEAMカミナリ側からこれらの批判に対する公式な説明や釈明、あるいは被害者への配慮を示すような声明は、現時点では確認されていません
結論として、TEAMカミナリ(代表:増田有美監督)は、園子音監督と設立初期から協力関係にあり、
疑惑報道後も一貫して園監督を支持する姿勢を作品制作やクレジット表記を通じて示しています。
園監督の疑惑を題材にした作品では、疑惑を軽視するかのような表現が見られ、この態度が被害者への二次加害であると批判されています。
結構、過去をさかのぼって現在まで割とたくさんいる。え?あの人が⁈というレベルでもいる。大女優も、日本を代表する映画監督とかコピーライターや芸能事務所の偉い人ととか、まぁやりたい放題に不倫してたりする。
彼らは一時的に干されたりバッシングされたりはするが、なんだかんだ俳優として一線で活躍してたり、いいかんじのわき役になったりしてサバイブしてる人も大勢。
なので永野なんたらさんも田中なんたらさんも、まぁほとぼり冷めて、そしてドラマや映画が彼らを望むなら、普通に復帰するだろう。
芸能というか人気商売というかエンタメの世界に生きる人は、正義に依っているのではなく、人気や実力、引きの強さなどで成り立っている。倫理的・社会的に問題があるタレントでもTV番組や映画に引っ張りだこだったりするのはこういう理由で、つまりエンタメの世界は正義では動いていない。
人気商売なので当然、世間の風に翻弄されるという危うさがある一方で、実力があれば「大衆的な下衆な正義感」をねじ伏せられるような世界でもあるんだよね。
引くほど強い意志や、コア層が支える人気、圧倒的に替えが利かない実力や存在感があれば、軟弱な「大衆の正義」は簡単に蹴散らせたりできる。
スキャンダルの後は、「あのタレントじゃないとダメ」なオファーの強さが、「あの人って不倫で、ほら・・・」的世間の下衆な感想とバランスできる場所から復帰する。
俳優の場合は、最近だとNetflixドラマがその役割を果たしていてそこでリブランド出来ている人もいる。あとはabemaTVとかYoutubeが主戦場になったり。
そして「バランスする場所」からまた上り詰める人もいるだろうし消えてしまう人もいるんだろうと思う、その辺は本人の能力と運次第。
残酷なことを言えば「もう流行からちょっとはずれちゃったね」となったり、「あの人の代わりになるようなフレッシュな誰か」が現れたりすれば、どうなるか分からないようなものでもある。
だって人気商売だから、仕方がない。正しく大衆的で下品で下種な世界がエンタメの世界なのです。
晩飯食ってるときにサニーデイ・サービスの曽我部恵一がテレビに出てきて
将来何になりたい?って質問?に息子が「映画監督」って答えてて
まあ親がミュージシャンだしそういう芸術系の方面行くよなーって思いながら見ててさ
そしたらうちの父親が「こういう奴は甘えてる、もっと工場とかで働けよ」って急に怒り出して
いや、お金ありそうだし普通にやりたいことやるんじゃない?って俺が言ったら
「俺はこういう楽して儲けてる奴が許せない、もっと泥臭く生きろ」ってガチのトーンでブチ切れられて
あんまり怒鳴ってうるさいもんだから近所のネカフェで寝てる、今
なんなんだよもう
今更感もあるけど、不快感などの感情は脇に置いて、まずは「どのようなロジックで批判されているのか」を知りたい。
自分の、生成AIとクリエイターの関係についての基本的な考えとしては、以下のような感じ
自分のイラストが勝手に学習に使われ、知らないところで類似品が生成されるのは困る。
→ これは、ひとりのクリエイターとしての感情や、利益保護の観点からは理解できる。
→ 絵柄自体には著作権がないとされているが、たとえば著作者人格権に類するような「創作への帰属意識」や「名誉を守る権利」が著しく損なわれる可能性がある場合には、やはり何らかの規制は必要かもしれない。ただし、その線引きは非常に難しいとも感じる。
一方で、人間が誰かの作風に影響を受けるのは普通のことでもある。
→ つまり、「模倣も創造性のサイクルの一部」という考え方もある。
→ 「人間の模倣はOKで、AIによる模倣はNG」とする場合、やっぱりどこで線を引くべきかという問題が出てくる。
→ ただし、もしAIの方が効率や品質で上回るなら、それは遅かれ早かれ導入される流れになると思う。
→ かつてセル画塗りの職人が不要になったのと同じく、技術革新によって仕事が変わっていくのはある種避けられない部分でもある。
• たしかにジブリ風ではあるが、それは特定の人物やスタジオジブリだけが独占している絵柄とはいえない。
• むしろ、複数のアニメーターが習得し、コピーすることができる程度には、ある程度“様式化”された絵として成立している。
• 現時点では、そのAIが実際に映像制作に使われているわけでもなく、使える技術として確立しているわけでもない。
• 「ジブリ風」と言われているのもあくまで周囲の評価であって、公式にそう謳っているわけではない。
つまり、これによって明確に誰かが不利益を被っているとは言いにくいのではないかと感じている。
しかし、かなり強い怒りを示している映画監督などもいて、それが自分にはどうにも、理屈としては理解しづらい。
個人的には、日本ではこの種の議論において、「著作権を守る」=「著作者に創造性のすべてを帰属させる」という考え方が強くなりすぎる節があると思ってる。
もちろん著作者の財産権はもちろん重要だが、一方で著作物は他者の創造性に影響を与えたり、美的資源としてより公共的な価値を持ったりする面もあるはずで、そういった文化資源・共有財としての著作物、という議論があまり広がらない印象。
何が言いたいのかというと……自分は「ジブリっぽい絵」が、世界レベルの様式…共通言語となり得たことは素朴に名誉なことじゃないかと思ってしまったんだよね。
もちろん今回のことで金銭的な恩恵を受けるクリエイターはいないんだけど、それが文化そのものになるってことじゃないか?と思ったり。
別の視点あれば教えてほしいー
「高田馬場女性殺害事件容疑者凶器のナイフ“ネットで購入”」←女性が殺害されたとは書くが男性が殺害したとは書かない
「大阪バケツから熱風でやけど 中身はガソリン危害目的疑いも」
「茨城 山あい住宅に2人組押し入り90歳女性縛り逃走強盗で捜査」←女性が強盗にあったとは書くが男性が強盗したとは書かない
「秋田県警の警視女性警察官につきまとうなどした疑い書類送検」
「東京女子医大 元理事長を起訴不正な報酬で大学に損害与えた罪」
「女子バレー部員に暴行の元監督罰金10万円の略式命令神奈川」←女子バレー部が暴力を振るわれたとは書くが男性が暴力をふるったとは書かない
職業があれば職業を示し、なければ客とか知人とか容疑者とか書いて「男」とは書きません。
こういうコンテンツを生み出す人たちをキモオタだの男性優位主義だのいってジャニーズとか信奉したりマスメディアとどっぷりつながってたりするんだぜ?
現状見てみろよ。
まぁ見ることもできないんだろうな。
※追記
mutinomuti でもその業界の管理職って圧倒的に男性ではっていう。スポーツの選手の男女比が同等だからって監督やオーナーはどうなんってのとつながる。大御所が言ってた男性にならないとやってけないみたいな話
ちなみに日本の女性映画監督で一番興行収入稼いでんの名探偵コナンの永岡 智佳監督です(158億円)
実写は逆立ちしてもこんな人しばらく出てこんでしょうな。偏見を晒しだしましたね。
sotonohitokun増田が何歳か知らんけど、30過ぎてジェンダー拗らせてたら(男女共に)一度きりの人生もうちょい生産的な事に時間費やせば良いのにって、老婆心ながら思ってしまう(暇空氏の様にそれで生活費稼げるなら別だが)
そうだね。キモオタ叩きしてた、こじらせたジェンダー論者は今何してるんだろうね。
女性が大して作ってすらいない業界よりはいいんじゃないっすかね。頑張って男の作品褒めてね。
男性の作品と女性の作品は等しく価値があると思うから応援するよ。
Permalink |記事への反応(22) | 09:38
断然「静かな退職」がおすすめ。必要最低限の仕事をし、定時で帰る。人付き合いも最低限にしておき、給与は満額貰うが存在感が薄い人になっておく。体力もつかわない。出張は断る。対立からは逃げる。無駄なストレスをうけないよう立ち回る。
コロナ以後、私はこの状態で更に去年から時短社員制度を使って週四日勤務にしている。年収は1400万だったが、時短にして約二割減の1150万位になっている。
この状態で、最初の2年位は勉強しまくった。資格だとか、そういったことではなく、気になる業界の知識だとか、コンサルティングやライティングの勉強だとか、映画監督がやっている動画講座とか、ワインエキスパートだとか、もうとにかく手当たり次第に気の向くまま勉強をし、そのつぎに、副業として、色々な仕事を週に二、三日のペースで試しはじめた。
間借りで飲食もやってみたし、なんちゃってソムリエもした、人材派遣の元締めだとか、宅建を取って不動産屋で重説読んだり、地元の中小企業でITコンサルしたり、市役所にお願いして無料IT講座を住民向けに開いたり。
いくつか手応えのある仕事もあるし、やっていて楽しかった仕事もあったので、今の会社から目を付けられ解雇になっても、すぐに次の人生が始められる自信がある。
でも、妙に給料が良い会社だし、謎に色々な知識を身につけていて会議では重宝されるようになったりもしているので、上司は気に食わなそう(常に評価は微妙なマイナスで給与はステイ)だけど、同僚や他部署からは面白がられていて、すぐに解雇とはならなそう。