はてなキーワード:散歩とは
時々訪問介護のヘルパーさんかやれることはあくまで生活に必要な介助のみ。
…という愚痴をみるけど、私も介護の入門資格の初任者研修を取るまでその辺よくわからなかった。
日本の介護福祉制度の成り立ちからはじまり、少子高齢化の経緯など日時生活で役に立つ内容も多い。
話がすこしそれるけど、私の父は長く民生委員をやっていたのだが、民生委員が地域のお年寄りの状況を把握し、そこから介護福祉につながる事があることを私は初任者研修で初めて知った。
父にその事を話ししたら、実際に父も高齢になって心身弱り生活が立ち行かなくなった地域の方々を市のケアマネジャー(超簡単に言うと介護計画を立てる資格の方ね)に繋いだ事があるそうなのだ。
自治体、町内会が煩わしいから抜けてやった(ドヤッ)という話題を時々SNSで見かける事があるけども、あれはまた地域の目であり、共助の機能を発揮していて、初任者研修の講師が近所の独居老人が認知症になってしまい、地域住民が市に相談して施設に入る事ができ、今は幸せにその施設で暮らしているそうだ。
話を戻すけども、他にも初任者研修の授業を通して知った事がとても多かったし、知っておかなければいけない事が多いと思うので義務教育にしたらいいんじゃないかな…そうしたら国民全体が介護の担い手になれるのになぁ
@Waaaaaaaaaaat
左肩が痛ェェェェーーー!!!
夜散歩してたら少し涼しく感じたんだけど微熱のせいかもしれないぜ~!!!!
5回も打ったんだからそろそろ5G接続できるよね???マイクロチップも体内に蓄積されてマイナンバーカードいらずなんですよね~????たのしみだな~
https://x.com/Waaaaaaaaaaat/status/1695460130723418203
↓
@Waaaaaaaaaaat
突然の連絡で申し訳ありません
このアカウント主の弟です
姉は先日急死しました
今までお世話になった方ありがとうございました
連絡をいただいても姉の携帯のロックが解除できなかったためX以外でのお返事はできかねます
ペットを飼えない家だったから、地元にいたころは散歩している犬を見つけるといつも凝視していた。
犬っつーのはなぁ、何であってもかわいいんだよ。
おおきくて良し、ちいさくて良し。服着てて尚良し。
はしゃいでて良し、吠えてて良し。よしよしされてて良し。
5mくらい伸びるリード使ってるヤンチャな飼い主も、許容できた。うらやましいとさえも。
いつかワンチャン飼えたらいいなと思ってた。ワンちゃんだけにね。
地元にいる犬たちと違う。飼い主とセットで嫌悪を感じるようになった。
中型犬をベビーカーと見間違うようなペットカートにいれてお散歩させている。
大型犬を車で代々木公園にまで連れていき、ドッグランで侍らせる。
おえー。
なのに、無理やり飼うために色々な手法が用意されている。
それによって生ずる諸問題を需要と称する市場、そのごまかしに感化される人間。
悠々自適に17時に退社して毎日犬の散歩してるような会社員だって
「最近どう?忙しい?」って質問されりゃあ「うん、忙しい」って答えるし
ほぼ休日無しで毎日14時間ぐらい働いてる社長も「最近忙しい?」って聞かれれば「うん、忙しい」って答えるだろう
『みんな忙しいんだからさぁ!!頼まれたことはさっさとやってくれよ!!』って言われても無理なんだワ
近所の畑や工事が無くなり建売住宅がポンポン建って何年かたつ。散歩や出勤で眺めているがなかなか面白い。
学校から持ち帰ったであろう朝顔やミニトマトの鉢が放置されてる家(クリスマスになると鉢が電飾でデコレーションされてたりする)
花や緑の手入れが行き届き美しい家。
軽自動車のために素敵なカーポートを後付けする家の隣で野晒になっているベンツのある家。
布団が常に干されている家。
大きな犬がいつも窓のそばで寝てる家。
猫よけが大量に設置されてる家。
日曜は必ず車を洗車してる家。
ビニールプールが干してある家。
置き配が積まれている家。
見ていて楽しい。
えっと、また長文でがんばってますけど、
まず冷静に言うと、「被災者を嘲笑すべき」なんて誰も主張してないんですよね。
勝手にそういう極論に持っていって、そこを論破した気になってるのが、ちょっとズレてるなって。
「功利・義務・徳」って持ち出して「これは教科書級の正しさだ!」って言ってますけど、
だったらまず、その「ワロタ」が本当に被災者を対象にしてるのか、文脈をちゃんと確認しました?
発言の意図とか前後関係すっ飛ばして、「敵意トークンの拡散!」とか騒いでるのって、
なんかもう、陰謀論者が「5Gは脳を支配する」って言ってるのと大差ないんですよ。
社会を数式で語るのってカッコよく見えるかもしれませんけど、
そのW(社会福利関数)の中に「言論の自由」や「風刺・皮肉の効用」が入ってない時点で、
あと「AIは痛みを感じない」とか、「自己放尿」とか言ってますけど、
議論に感情論と侮辱混ぜてる時点で、あなたが一番「感情盾」に依存してるんですよ。
冷静を装ってるけど、実際は感情の爆発をラベリングとフレームワークでラッピングしてるだけというか。
あれだけ長々と書いておいて、最後に「選べ」とか言ってる時点で、
「俺のモデルに従わなきゃお前は便所」とか、どっちが独善なんですかね?
さすがにポエムすぎて笑いました。
ニンニクと生姜の香りを立たせサイコロ状に切った肉・トマト・玉ねぎ・人参をコショウドバドバ入れて炒めて半端な量の水を入れて煮て
半端な水分になったとこにルーを入れ溶かすキーマのようで全くキーマじゃないカレー
これに素焼きしたナスとよ、塩を振って1日置いたシソを載せてな
けっこう入れたコショウの香りが全然しなくて不思議だけどうんめえの
濃いカレーでくどくなった口をシソでリセットしてよ、素焼きで水分が飛んだナスも口の中の旨味を吸ってくれていい仕事してくれるんだよな
ほァ~いい気分だで
上々な土曜日でしたわ
散歩でもいこっかな
アレコレ夫と毎日相談しながら準備するのは楽しい。今のところ経過も順調。
うちの両親が初孫フィーバーしてるのが唯一の悩み。ありがたいんだけどね。
色々とうちの両親のペースに乗せられてしまっている。
戌の日のお参りに弟夫婦も同席することを許可してしまい、義母アウェーな空気にしたり。
実母から「出産後は里帰りするわよね?するでしょ?そうしなさい!」と毎日連絡が来て辟易している。電話ではイライラした口調で話されるから本当に嫌。
出産子育ては私達夫婦の問題だから、主導権渡したくない。もしこれがシングルマザーな状況だったら全力で頼らせてもらってただろう。
当事者は私と夫なんだ。私達の意向を差し置いての意見は私の両親のエゴに他ならないと思う。
本音を言えば戦力として頼りたいけど、こんなにグイグイ来られると素直に「よろしくお願いします」と頭を下げたくなくなってしまう。
そんな反面、もう老い先短い両親だから多少やりたいようにやらせてやりたい気持ちもある。
正直、私自身そこまで子供を切望した訳ではなく。夫や両親の喜ぶ姿を見たい一心で数年に渡る不妊治療に取り組めた。後悔したくないと思ったからだ。
実母から、
今日何しているんだ、腹帯しろ、里帰りの決断を早く今すぐにしろ、犬の散歩は一切するなとか細々したことを怒ってるんだか苛立ってるんだか、語気荒く毎日電話してくるのがしんどい。これストレスで赤ちゃんに良くないんじゃないか?
ちなみに電話まではしないけど実父も意見は同じ。めっちゃLINEしてくる。ストッパーは期待できない。
幼少期から結婚するまで感じていた、居場所が無い、心許せる人がいないと孤独を抱えてたあの頃の気持ちがフラッシュバックする。実家を出てやっと摂食障害が寛解した。
それなのに、親孝行云々で自分はおろか夫と子供も巻き込もうとしてしまってる弱い自分。
どこかできちんと線引きしないと、この2人を傷つけてしまうかもしれない。ちゃんと守らなくては。
押しの強さが無ければ、いい両親なんだけどな〜。
一年半の不妊治療を経て産まれた、2歳半くらいの娘がいてスーパースーパーキュートです
ただし出産がマジで本当に大変だった、私の場合産むまでつわりで苦しんだうえ、出産時には5日かかって緊急帝王切開、子は低体重でNICUへ移送、そのとき腕の神経麻痺があってこれが一生残るかもしれないし残らないかもしれないとか言われるもう産後メンタルボロボロ
そこで大事件、家に帰ってきた娘ちゃんが新生児なのに風邪を引いた❗️夜中に救急車で搬送されて1週間入院❗️1日2ー3時間しか寝ないで見張ってたのに風邪をひかせてしまった私のメンタルがブレイク❗️泣く❗️命より大事な産まれたての子が死ぬかもって言う恐怖妄想❗️私のお世話のせいで❗️泣き喚く❗️爆誕産後うつマザー❗️
我が子が死んじゃうのかも…ってことが自分が死ぬより怖くて怖くて、自分がお世話してても怖いし、人のお世話も怖いし、何しても怖くて怖くて涙が止まらなくて、産後1ヶ月でメンクリでお薬処方❗️以後2年半まだメンクリにお世話になって鬱治療中です(既往歴があると長期化する場合もあるらしい)
代わりに夫が一年育休とって、慣れないながらも育児を担ってくれて今では私より育児うまい。
しかも今はまさかの時短社員で育児にコミットしてくれてて、私より育児してる。夫も娘にはかわいいかわいいしてる。ある日数えたら半日で78回くらい言っていた。
娘は宝物、愛、かわいい
でもどうしても疲れやすくて体が動かなくて自己嫌悪がたまらなくなって死にたくなってくる。でも娘を残して死ぬわけにはいかないので、耐えて休み休み生活を送っている。ちなみに端折ったが福祉のサポートも借りている
でも調子がいい日に散歩に行くと、なんのためらいもなく娘のもみじみたいな手が私の手を握ってきたりして幸せになる。寝る前に「ママパパすき…」とつぶやいてくれると笑顔になる。
人生全然思い通りに行かないけど、子が幸せでいてくれたら良いな…と寝顔を見ながら願う。
出産を後悔することもあるけど、でもやっぱり娘以外の娘は考えられないし会えないなんて耐えられない。そんな人生❗️って感じの山あり山ありの5年間を送っていました、早く元気になって一緒にディズニーランドに行きたいなぁ。
みんなも健康には気をつけてね。
参考までに、うちには、2人の子供がいる。
長男は優しい。
めちゃくちゃに優しい。
いつも楽しそうにニコニコキャッキャしてる。
長男は、「したい」、「ほしい」、「食べたい」、という要求が満たされるかどうかしか興味がない。
したいことをするまでは絶対に引かないし、欲しいものを買って貰うまで粘り強くごねるし、食べたいものはずっと主張しつづける。
それを拒絶されても、それを理由に人を恨むことはしない。
何時間もかけて組み立てた玩具を次男に壊されても、もう一度組み上げようとするだけで、次男に怒りをぶつけたりしない。
と泣きじゃくっていたけれど、消えてしまったことを理解したら、プイっと切り替えてまた最初から始めた。
過ぎたことは過ぎたこととして受け止めて、恨みがヒトに向くことはない。
長男は次男に理由なく殴られたり、蹴られたりするのだけど、それでも別に怒らない。
自分の価値観が全て、自分の都合が全てで、パパやママの呼びかけには答えない。
次男も自閉症なので呼びかけに鈍いが、大声で叫べば流石に気づく。
都合がいい言葉(イオン行くよ!のような)は反応するので、聞こえてないわけではない。
一方で、長男は面白いものをみつけると、楽しくなると、パパやママ、弟を巻き込もうとする。
他人の興味関心を全く共感しないのに、自分の興味関心、楽しいと思うことは他人もそうと信じて疑わない。
3~4歳の頃は大変だった。
なにが大変かと言えば、その当時の彼は、一度決めたことは絶対にやり遂げる鉄の意思だった。
上で書いた
これの頂点が3~4歳のときだった。
散歩に行くと決めたら、どんな気温でも、弟が頭から血をだしていても、絶対にあきらめない。
今だったら、準備してからとか、少し気温が下がってからとか、弟をどうにかしてからとか、そのくらいの聞く耳があるけれど、3~4歳のときは、協調性ゼロ。
行くと決めたら、1人でだって出かける気満々で、私か妻のどちらかが羽交い絞めで取り押さえてる間に、もう一人が準備して、散歩に出発、という具合。
玩具が欲しいときは何時間でも粘られたし、ママじゃないと歯を磨かせてくれなかった。
長男はかなり遅かった。
もうすぐ7歳になるが、会話能力は2歳児以下だ。
長男の言語発達は、一言で言えば、受験英語の勉強っぽい学習をしてる。
「あつい、つめたい」
「はやい、おそい」
「ながい、みじかい」
と対義語を言い続けたり、色の名前や惑星の名前を列挙し続けた。
単語レベルでは英語も日本語もだいぶわかっていたようだけど、それでも喋りださなかった。
単語を知ってるのと英作文ができるのは違うのと似てると思った。
英会話も英作文も、とにかく挑戦し続けることが大事で、単語や文法をいくら覚えてもやらないとできないでしょ?
定型児は、
「みんながやってるからそれを真似る。」
という思考だから、言葉もとりあえず挑戦する。だから喋れるようになる。
自閉の長男は、
という発想。
喋れるようになるまで喋らないつもりだから、いつまでたっても喋れない。
私は、犬に人生を救われた。
今の私は、そう言い切れる。
人生、ずっとしんどかった。
当時は「オタク=キモい」って空気がまだ全然強くて、授業中にキャラ描いてただけで「えーキモ〜w」とか言われてた。
染めてないのに明るい色で、
なんであの子だけ?って言われて、
「染めてるくせに〜」って陰で言われて。
オタクで、髪の色も周りと違って、だから余計に変なやつ認定されて、
大学に入って、周りも大人になって、髪のこともオタクってことも誰も気にしなくなって「ちょっとやり直せるかも」と思ったけど、
そもそもずっといじめられてたから人付き合いが怖くて、グループLINEの通知が来るだけで動悸がして。結果、大学生活にもロクな思い出はなかった。
間違う度に価値がない人間だと自分に吐き捨て、ボールペンで自傷もした。
この頃にはもう、「ああ、何も変わらんかったら30までに死のう」って思ってた。
なんで「30までに死のう」って思ったのか、正直よく分からん。
でも、たぶんまだその頃は、“希望”があったんやと思う。
…まあ、「30」って数字が、自分の中でキリがよく思えたってのもある。
そこまで生きて、何も変わらんかったらもうええかなって。
今思えば、あのときの私は“人生の区切り”を探してたんやと思う。
怖かったし、家族にバレたらめんどくさそうやなって思ってたし、
そんなことばっかり考えてた。
それでも、国家試験に受かって、
国家公務員として資格持って働けば、きっと何かが変わるって思ってた。
自由に使えるお金があれば、人生ちょっとは楽になるんちゃうかって。
でも現実は違った。
夜は眠れず、
変わるどころか、どんどん心が削られて、
最後にはもう、“無”みたいになってた。
「何かが変わる」ってあれだけ信じてたのに、
本気で“終わり”を考えるようになった気がする。
なんなら、牛乳もうまく開けられなくて。
ちょっとだけ手にこぼれただけ。
それだけのことで、泣いた。
「こんなこともできへんのか」って。
誰も怒ってないのに、誰にも責められてないのに、
ひとりで「ごめんなさい」って繰り返してた。
床に落ちた白いしずくを見ながら、
「私って、なんのために生きてるんやろ」って思った。
その頃、やっと「うつ病ですね」って言われた。
ちょっとだけ、ホッとした。
「ほら、やっぱり私は壊れてるんだ」って。
あの診断は、“生きることをやめてもいい許可証”みたいに感じた。
で、ある日。本当に決心して
それでよかった。最悪後遺症が残ることもわかって飲んだ。
苦しんで死ねば、後遺症でも残れば少しは罪滅ぼしになるかもって思ってた。
ほんまに、生きてることが“罪”やと思ってた。
めちゃくちゃ苦しくて。
けど、体はそう簡単には壊れてくれなかった。
そして、死ぬのが怖くなった。
そして、泣きながら救急車で運ばれた。
そのとき、私が言ったらしい。
「犬が飼いたい」って。
覚えてない。
でも母が言ってた。
あんた、涙と汗と嘔吐まみれの中で、何回も「犬飼いたい」って言ってたって。
でも死ぬ間際に出た願いは、「犬が飼いたい」だったらしい。
死ぬ間際になって何故か飛び出してきた。
それを聞いた家族が「犬を飼おう」って言ってくれた。
「この子が生きたいって思えるなら、何でもする」って。
たぶん、こんな理由で犬を飼うのは間違ってると思う。
そんなの身勝手すぎるって、どこかでわかってた。
それでも、家族は飼おうって言ってくれた。
ずっと犬を反対してた祖母も、何も言わなかった。
なんとか私を現世に繋ぎとめようとしてくれてたんやと思う。
今思えば、あれは「飼う」ってより「救う」やった。
それで出会ったのが──今の愛犬。
ぶすーーっとした顔でこっちをじーっと見て、話してる間に腕の中で寝た。
「あ、こいつやな」って思った。
その感覚、今でも忘れへん。
まだ90日にも満たなかったからすぐには迎えられへんくて、
でもブリーダーから毎日送られてくる愛犬の写真が、生きる理由になった。
「この子に会うまでは」と思って、踏みとどまれた。自殺未遂も1回もしなかった。
愛犬がうちに来た日。
それが私の「再スタート」の日やった。
少しずつ、心が動き出した。
そしたら、他の飼い主さんと喋るようになった。
私、人と話すのほんまに苦手で、
「こんにちは」って言えて、
なんならみんなで旅行に行ったり。歳も年齢も性別も全然違うのに。
不思議なことに人と繋がるのが、怖くなくなった。
“つながり”をくれた。
そのうち、「愛犬のグッズが欲しい」と思うようになった。
そしたら、それが楽しかった。
SNSに載せたら、「作ってほしい」って声が届いた。
びっくりした。
誰かが「欲しい」って言ってくれるなんて。
今では、「亡くなった子の毛を残したい」とか、
「思い出を形にしたい」とか、
亡くなった子の被毛を送ってくださる方もいた。
泣きながら届いた報告を読んだ夜、
「やっと、私は“生きてていい理由”を見つけたのかもしれない」って思った。
私にできることは何かって考えて、
それが、今の私の答え。
そして、夢ができた。
愛犬と一緒にいられて、
誰かの大切な気持ちを形にできる──
そんな【自分の店】を持ちたい。
昔の私は、「30歳で死のう」と思ってた。
でも今の私は、「30歳になったら店を持ちたい」と思ってる。
たった一匹の犬が、
自分の手で生きていけるようにして、
夢までくれた。
愛犬は、私の命の恩犬。
「そんな短い命に人生託すなんてバカだ」って思われるかもしれない。
でも、私はその短い命に救われて、繋がれて、立ち上がって、今がある。
正直、もう一回壊れるんじゃないかって思う。
でもそのときまでに、私は“私なりの生きてていい理由”を、ちゃんと見つけておきたい。
愛犬が教えてくれた、“生きることのあたたかさ”を、今度は私が、誰かに繋いでいけたらと思う。
私は恩返ししながら、生きていく。
そしてその日が来たとき、