はてなキーワード:悪態とは
だけは、絶対に受け入れてくれないの謎すぎる
https://togetter.com/li/2569266
答えは簡単で、右側に立つと、後ろから歩いたり走ったりしてくるめんどくさい掟破りの無法者と対峙しなければならなくなり、悪態つかれたり、舌打ちされたりして疲弊するから。
そんなコスト払うくらいなら、初めから左側に乗るのが最適解だとみんな考えるから。
なので、「エスカレーターは二列で!」っていうルールを貫徹したいなら、そのルールを浸透させたい奴らがこういうコストを払うような体制を作ればよい。
その一つの回答が最近名古屋で始まった「エスカレーターの右側に立って乗るバイト」だ。
これは「上記のコストを全てバイトひいては行政が引き受けます」という施策だ。
これならノーコストで右側に立って乗ることができるから安心だ。
実際、名古屋ではマナーが大幅に改善し、輸送効率もあがったらしい。
「親ガチャ」という言葉が定着してもうだいぶん経つだろうか。これは子どもの目線からの言葉なので、ずいぶんヘンな表現だ。どちらかというと「ガチャ」っと母親の股からひりだされたのは自分なのであって、これは言うならばガチャで出てきたスマホゲームのキャラクターがちらりと画面外のこちらを見て「持ち主ガチャに成功(あるいは失敗)したわい」などと悪態をつくようなものである。まったく論理的ではないが、そもそもこの国はもうずいぶん前から論理を手放してしまっているので、近頃の若者は日本語を知らんなあなどと馬鹿に出来やしない。大人だって馬鹿ばっかりだろう。私も含めて。
この馬鹿の国はもう底が抜けている。論理も倫理も道徳もひどいものだ。外国人と老害のせいにしておけばとりあえず心の平穏は得られるから、みんなそのようにして、で、少しずつ死んでいくのだろう。それはそれで幸せなのかもしれないが、まだ若い人、10代とか20代の子たちは気の毒だ。こんな国に生まれて自己責任だ、ざまあみろと嗤おうか。それとも、こんな国と心中することはない、勉強して国を出なさいと激励しようか。しかしこの国は若い人の勉強や研究に投資しないからなあ。まあ他人事である。頼むから「無敵の人」なんかになってなんの関係もない私を外ですれ違いざまに包丁で切りつけたりしないでくれたまえ、くらいのことを思うだけだ。かける言葉なんてない。私だってもはや自分と自分の家族を生かすだけで精いっぱいなのだ。
ネトウヨと呼ばれる人たちがいるだろう。もちろんそう呼ばれる人たちにもグラデーションがあり、一概に言えることではないのだろうが、それでも私は思う。彼らはまったく幸福だと。
なんせ、素晴らしき日本を信じてさえいればいいのだ。そこには何の葛藤もない。魂の苦悩がない。「日本人に生まれたのだから日本が好きで当たり前、日本は良い国、日本最高」と、誰でも到達できる場所で無難に遊んでおけばいいのだ。自分たちの姿勢を嗜めてくる人間はすべて「左翼」と憎み、彼らのいうことなど聞くに値しない。幸せだ。そんな人生を送れるだけの余力を、まだかろうじて日本はネトウヨ諸君に与えることが出来ているのだろう。
しかし、これからの時代、ネトウヨには辛いかもしれない。日本経済の衰退は止まらない。もちろん経済がすべてではない。しかし例えば、今後、老朽化したインフラがどんどん顕在化してくるだろう。八潮市でのアクシデントは何も特殊なことではない。ああいうことがこれからどんどん起こってくるはずだ。人死にも、一人や二人で済まないかもしれない。有事でもないのに米が不足しているのも見逃せない。「そもそも米の値段は安すぎたのだ」という意見に頷きはするが、国の主食の売価が1年で倍以上になるというのは先進国の話とは思えない。普通に生きてれば「おいおいこの国、大丈夫なのか」と思うのが普通。無難だ。
そこを、ネトウヨは「大丈夫だ! この国がやばいとかいうのは左翼だけ!」と、元気に叫んでくれるわけだ。普通に生きてれば「この国大丈夫か」と思うのが楽なのだ。しかしネトウヨはそんな楽な道は選ばない。そこには多少なりとも苦悩や葛藤がついて回るに違いない。もちろん知性の欠如というものが要因になるということも考えられようが、いずれにせよ彼らはいばらの道を選ぶのだ。
ここは馬鹿の国。あなたも私もみな馬鹿だ。ネトウヨなど、馬鹿も大馬鹿、形容しようのない馬鹿である。しかし、亡国の極みで彼らは光り輝くのかもしれない。彼らは知性を持たない。恥も知らない。だからこそ、生の炎が強く燃えている。なぜなら、今後、多くの日本人は、馬鹿は馬鹿なりに知性と恥を取り戻そうと動き始めるだろう。80年間自民党に預けていた知性と恥を。そんな中で、それに抗うネトウヨの勇猛心はとても強いものになるはずだ。その強い何かが、新しい日本を作るうえで必要になってくるだろうと私は思う。きれいごとを言っていてはいけない。ヘドロだってなきゃ困るのだ。というか言ってみれば人間なんてみなヘドロだ。ヘドロはヘドロなりに生きていくしかないのだ。日本国憲法、皇室、みなヘドロだ。「すき、かわいい、おいしい」であふれても、みなヘドロだ。人権、合理的配慮、ヘドロだ。ヘドロの中でも特急ヘドロがネトウヨだ。彼らは自ら汚泥にまみれ、堕ち切ったところで息絶え、花を咲かすだろう。拍手も称賛も必要ない。そこには馬鹿がバカとして生きたという、墓石のみあればいい。どうせこの国はそんな墓石の集まりだ。
女で地味な見た目で恋人も配偶者もいないので至る所でどつかれるし悪態つかれるし絡まれる。ウザイ。ウザすぎる。
言い返してもうるせぇ!って逆ギレされるし。なぜ日本語が通じないんだ?簡単、それはこちらを見下してるからだ。
その対処として上半身に和彫りを入れたい。しかし親が悲しむので親がこの世界からいなくなってから。今親に愚痴ってることも出来なくなるから強くならないといけないし。
金髪にしてピアス開けまくるのも考えたが毎回美容院行くの面倒くさそうなんだよね。それに前明るい茶色にしてたけどそれでも絡まれたのを思えば和彫りの方が圧あるから良さそう。
デメリットは温泉やプールに行けないことか。いや今でも行かないしどうせ死ぬまで独りだから困らなそうだし、やっぱ和彫り一択だな。
増田なんて何書こうがどんな天才が書こうが何かしらケチをつけて否定する性格クズのたまり場じゃん。
その状況で俺に「消えろ」とか言ったところで、あーいつもの悪態だねとしか解釈しようがないだろ。
言い換えれば俺への非難が他の人に対する批判と比べてどれだけ本気度が違うのかそれとも所詮同程度でしかないのか俺からは区別しようがない。
狼少年が嘘つき続けて本当のこと言っても相手にされるのと似てるね。
あと何回トラバしても「消えろ」とだけ言い続けてくる人のパターンもあるけどあれも戸惑うしかないね。
それと比較して「消えろ」って書き続ける相手を見たら、せいぜいおちょくってるんだろうなしか解釈しようがないよ。
そういう嫌がらせをするほどまだ余裕があるとしか考えられないわけ。
「消えろ」って連呼する言動からは「消えろ」って本気で思ってる様子がまるで読み取れないんだよな。
それで本気でそうさせたい気でいたとするなら自分の思いを表現する力が低すぎないかとしか思えない。
他人の文章に日本語が崩壊してるとか言ってる場合じゃないよ。崩壊しててもいいからせめて意図が読み取れる文章を書けよ。
お前らの言語能力はそういう点でレインコート(怪談金玉袋の人、韓国籍)以下だぞ。
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うん。お前の主張を因縁と認定しやすいのが楽なのは俺にとっていいことでしかないね。
ADHD・ASD診断済みクローズド就業勢だが、弊社もいよいよ残業管理に厳しくなってきており俺の仕事ぶりも大変厳しくなってきている。
俺の会社は曾孫零細企業だ。世間様からするとちょっとびっくりすることが社内常識として通用してきた。それでもだいぶホワイトな部類だったので、ポンコツな俺も悪態をつきつつお世話になってきた。
まともな幹部によって今年からいままでなあなあにされてきた労働管理(タイムカードの概念もなかった)が導入され、あれよあれよという間にサービス残業の禁止と労働時間の削減が通達された。
これにとても困っている。
一応ADHDライフハック的なもの、就業時の対策なんかを自己啓発本で紹介されるあたりはだいたい行っている。が、全てがそんなにうまくいくわけはない。仕事のできなさ、ミスの多さ、要領の悪さをとにかくサービス残業でリカバリして間に合わせてきた。それが就業時間外に職場にいるとかなり厳しく指導が入る、残業の申請を義務化のほかにもガンガン業務の効率化と時間削減が推進されている。(業種柄リモートワークが出来ない。)
俺お得意の馬鹿みたいなミスの手直しをしている時間が許されない。
仕事を持ち帰りたいところだが個人情報保護でなかなか肝心な部分は持ち帰れず、自宅で軽い資料作成やらリサーチ、出勤してからの計画の組み立てをするのが精一杯だ。
上司からは時間をかければなんとかなるという考えから変えなくてはならないと言われ、色々案も出してくれているがところどっこい全部既にやってるんだよな。
働き方改革に対してはなんかよくわかんねーけどみんな残業しなくていいならいいんじゃねえの?くらいの立ち位置だったのが一気に苦境に立たされた気持ちだ。
普通の人の仕事ぶりを出来るって騙して入社したのが悪かったんだろうか。一度体を壊してボロボロの俺でも拾ってなんだかんだ育ててくれる会社だから出来るだけ離職はしたくない。
おんなじような仕事の出来ない人たちは一体どうしたんだろうかと不思議に思っている。
もしも経験値のある方がいたらお恥ずかしながらご教示いただけると助かる。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。
やっとか...今すぐにでもそうしてほしい。
というのも、今日先ほど、はらわたが煮え繰り返るほど頭に来たことがあった。
どこに吐き出そうにもやり場がなく、ここに書き留めるのでぜひ読んでほしい。
私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
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この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
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女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
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当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
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この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
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しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
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私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
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その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
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もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
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私は京葉道路沿いに住んでいる。
2歳なので自分の意思で歩きたがるし、時に走り出してしまうこともある。
自転車屋の前を通ろうとした時、自転車屋の前では、歩道にはみ出して自転車の修理をしていた。
その修理している人たちを避けて、息子が走り出した。
そこへ子乗せ自転車に乗った女がそこそこのスピードで向かい側からやってきて、私と息子に対して
いつも思うのだが、こういうシーンでスムーズに悪態をつける人って素晴らしいくらいの反射神経だ。
私は起こった出来事に対して唖然として終わることが多いので...どうしたらそのような反射神経を養えるのだろう。
さて、私たちとその女の自転車が接触することもなく、その女は何事もなかったかのように進んでいった。
全く息子には困ったものだ、それにしても怪我がなくてよかったね。
ん?待てよ。
女の後ろ姿を見ながら冷静に考えてみると、
2、歩道で咄嗟に止まれないくらいのスピードで走っており(というか止まる気がなかった)、そればかりか歩行者に対して悪態をついた女
え?歩道を本来の目的で法律に沿って利用していたのはわたしたちじゃね?
なんで私謝った?
ちなみに、この辺の京葉道路の車道には自転車が十分に走れるスペースがあり、路駐がそこまであるわけでもない。
当たり前に車道を走っている自転車も少なくないし、車線も多いから子供を自転車に乗せて車道を走っても全然危険じゃない。
女はまだ視界にいる。
「おい!危ないのはお前だろ!!歩行者優先なんだよ!あんたが車道を走れよ!」
と言ってやりたかった。
今後、どこでどのように絡むかわからない。
しかし、やり場のない怒りが収まらなくて、今ここに書いている。
子供の予測ができない突発的な動きは時に社会に対して迷惑となりうるので、保護者として当然安全確保は義務だ。
しかし、なぜ歩道をここまでビクビクして歩かなければならないのか。
もし息子が車道に飛び出したのだとしたら、私は怒鳴られても仕方のない保護者だったと思う。
この地域に限らず、自転車と歩行者が接触寸前の危ない状態に陥っている瞬間を幾度となく見てきた。
私のような子連れでなくても、成人の歩行者がちょっと進行方向を変えた歩行者の方に自転車が突っ込んだりとか。
この場合、言うまでもなく自転車が悪いし、そもそも歩行者にぶつかりそうになるまでになんでブレーキかけられないのか?
そんな程度の運転技術なら自転車に乗るんじゃない、といつも思う。
もし止むに止まれぬ事情があって歩道を走るなら、周囲を歩いている歩行者に細心の注意を払って走り、何かあったらすぐに停止できるスタンスで走って欲しい。
以前、京葉道路沿いの、もっと西の方での朝の出来事だがこんなことがあった。
小学生が登校していて、その横を女性が運転する自転車が通り過ぎようとした。
女性の最も近くを歩いていた小学生が、女性に向かって、なんと横方向斜め上にジャンプしたのだ。
しかし、自転車側が、大人側が、そこまで予測する必要があるのではないだろうか。
もちろんこの場合も自転車が車道を走っていたら、あるいは小学生たちから十分に距離をとっていたら、こんなことになはならなかった。
私が住んでいるこのまちは、基本的に優しい人が多い地域で、毎日穏やかに過ごしている。
が、たまにこのような血の気の多い人にエンカウントする。運が悪かった。
ビクビクしながら歩道を歩く必要がなくなる日が早く来ることを願うばかりだ。