はてなキーワード:店長とは
過去鹿児島、岐阜、高知、和歌山、岩手など人が行きたがらない田舎転勤へ積極的に手を挙げてきた増田。
どこも楽しくやれたんだけど長崎、ここ辛い。
まず、市内の家賃高過ぎ。
おそらく東京レベル。言い過ぎか。まあ、平地が少ないから市電沿いは高いらしい。一人暮らし物件で10万超えても驚かない。軽く探したらそんな感じだった。鹿児島だと4万6千で良かったのに。
これ新卒の人とか1時間通勤覚悟で安いところ住むしかないんやろうなあ。
次、坂道多すぎ。
歩くor車なんだけど、車運転したくないほど道が狭い。歩きたくないほど坂が多い。
増田は諦めて徒歩、バス、タクシーのみで生活してる。駐車場代考えるとこっちがむしろ安いかも。
夜の街が閉まるの早すぎ
25時にはもう全体的に閉まってる。雑談したら風営法の取り締まりが厳しいらしい(観光街として市長とかが頑張りすぎてるとバーの店長から聞いた)
二件梯子して締めにガルバ行くか!ってルーティンで飲んでたんだけど、その頃には閉まってる。夜の街が夜じゃない。てか24時間スーパーすら市内の歩ける範囲にないんじゃないか?
飯は美味い。飯は美味いが、田舎って大体飯美味いから僕は過去一の住みにくさを長崎で感じてる。まあ後半年で任期切れるし、また別の地方に行くかあ。
「ご心配されておられました給食ですが…。本日は焼きそばをお代わりされ…全て…完食されておられました…」
迎えに来た園児の母親に、佳代は懇切丁寧に報告する。多様で人材流動もままある
幼稚園教諭の中でも、他の追随を許さない佳代の教育に対する真摯な姿勢は、園児や
今日も預かり保育の部屋の明かりが落ちる。連絡帳の重要事項の転記とリスト化を終えた
佳代は、園の裏口を出る。
今日は、大通りに停車している黒いレクサスだと店長からメールがあった。
運転席から後部座席に移った男が、オムツを履いて仰向けになっている。
「う゛あ゛あ゛あ゛~~~~かよせんせ~~お゛っ・・おむつ~~おむつぃ~~い。」
「ユキオくん、おむつたいへんねえ。佳代せんせいみてあげるからね…ほら、ポンポン上にして…おーできた。できたねぇ」
郊外の赤ちゃんプレイ専門店。ホームページの在籍情報にも記載されない、VIP専用嬢が佳代の副業だった。
夜風がささやかな涼となって街に吹き抜ける頃、赤子になった成功者達の、恍惚のミューズと佳代は化した。
乳いじりに飽き、膝枕にまどろむユキオの開いた口に光る銀歯と、朝の園庭の小さな命のざわめきの中に、
月の光がレクサスを出た佳代の肌を白く照らす。街の色は薄まり、彼女の世界は静謐に包まれた。
闇の中で、佳代の魂はまるで星々の間を漂うかのように軽やかに舞い上がる。
幼子の奇声も、ホムンクルス達の吐息も、すべてがこの世界の神聖な響きを織りなす。
それは静かなる神の遣いのように禍々しく、美しく、世界の片隅にその光を灯す。
「ね!みんな食べてないでしょ!ほんとはアレ食べられるんですよ!ぜんぶ日本人の体から出てるから!」
「あらゆる植物!穀物にとって!ね!肥料になるなら!人間が食べてもどえらい栄養になるんです!
なのに!今の政府はそれを隠して!食べ物を輸入に頼って!外国に!ね!外国に!我々の税金を売り渡してるんです!!」
バイト面接のために久々に外に出てみたら、練馬駅のロータリーが選挙活動の集会みたいになっててびっくりした。
選挙カーの上で、派手な色のTシャツを着た男が熱弁している。知らない政党ぽい。
人だかりがすごいので、とりあえず階段を登って上の歩道から駅に向かう。
「だからね!日本人のウンコは!捨てずに!回収してお店に並べるような形やればいいんですよ!
そして!そして!ね!!外国人のウンコは!食べたら!癌になるんです!!」
「そうだ!」という声が群衆の中から上がると、下から大きな拍手が起こってビビる。
話の内容はよく聞きとれなかったけど、声に説得力というか、必死さがあって、シンプルに「いいな」とおれは思う。
ていうか、今選挙やってたんだ。
40過ぎてから会社が潰れて、それなりにキャリア積んだつもりだったのにハロワのトライアルでボロカスに言われて、しばらく引きこもって貯蓄を食いつぶしていた。
でも、本当にそうなのか、誰にも相談できなかった。
「癌という病気も!もともとは!海外から持ち込まれた病気なんです!
だから!ね!!日本人のきれいな人糞だけを食べれば!出てくる人糞もきれいなままなんです!
純粋な日本人だけの!日本人のためだけの!究極の食料を守んなくちゃいけないんですよ!」
男が叫ぶ度に、大きな拍手と歓声が上がる。
今まで見たこと無かった政党だし、演説の内容はよく聞こえなかったけど、少なくとも100人以上いる聴衆がめっちゃ支持してるのはわかるし、それだけ信用を集めているひとなんだろうなと思う。
「この国の!ウンコみたいな!間違った食糧事情を正したいつってんですよ!」
響き渡る歓声を背に、券売機に10円玉を入れながら、おれは生まれてはじめて「投票に行ってみようかな」と思っていた。
明日食べられるものを、来週食べられるものを持っていたいから。
その日の面接は落ちた。
ウィイイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー…どうも。えー、今日はですねぇ…まぁ、僕の動画を見てくれてる視聴者のみなさんは、非常に、こう、知的なレベルが高い方が多いんでね。今日は、そういうみなさんに、ぴったりの、えー、テーマを、持ってきました。はい。
今日のテーマは、「男女のコミュニケーション」について。えぇ。なんで、女性は、「私の気持ち、察してよ!」って言うのか。そして、なんで、男性は、それができないのか。この、永遠の謎に、僕が、えー…まぁ、じっくり、深く、深く、えー、斬り込んでいきたいなぁと、思いますぅ。
というのもね、なんかぁ、ネットで、ものすごーい長い、論文みたいな記事を見つけまして。タイトルがね、なんか、「視線の逆転」…なんちゃらかんちゃら。まぁ、難しいタイトルやったんですけど。
要するに、ですよ。その記事が言いたいのは、昔は、女の人が、男の人の気持ちを「察する」のが、当たり前やった、と。例えば、武士の奥さんとか、昭和の、あの、「亭主関白」の時代のお母さんとかは、旦那さんが、口に出ささなくても、「あ、今、お茶が飲みたいな」とか、「そろそろ、お風呂に入りたいんやな」とか、全部、察して、動いてたわけじゃないですか。それが、まぁ、良妻賢母の、務めやった、と。
でも、今は、逆ですよね。どっちかって言うと、女性の方が、「なんで私の気持ち、わかってくれないの!」「言わなくても、察してよ!」って、男に求めるようになった。
この、大逆転現象は、一体、いつ、なぜ、起こったのか?っていうのを、まぁ、歴史とか、社会とか、心理学とか、いろんな角度から、分析してる、すごい記事やったんですよ。
で、今日は、その、難しい論文を、僕が、みなさんのために、世界一わかりやすーく、えー、解説してあげようかなと。はい。僕の、この動画を見れば、もう、男女間のすれ違いは、なくなります。はい。僕が保証します。
えーとね、まず、その論文の第一部で書かれてたのが、「昔の女の人は、すごかった」っていう話ですね。
まぁ、武家の奥さんとか、想像してもらったらわかりますけど、旦那さんは、外で戦ってるわけじゃないですか。家のことは、全部、奥さんが取り仕切ってたわけですよ。使用人の管理から、食料の確保、ほんで、時には、政略結婚で嫁いできて、スパイみたいなこともしてた、と。
これって、ものすごい能力ですよ。常に、旦那さんの顔色をうかがって、藩の状況を読んで、家の立場が悪くならないように、水面下で、色々、立ち回ってたわけです。この、「察する」っていうのは、生きるための、生存術やったんですね。
昭和の時代も、まぁ、そうですよね。「亭主関白」って言葉がありますけど。お父さんは、会社で働いて、家に帰ってきたら、もう、王様ですよ。「おい、風呂」「おい、メシ」「あれ、取ってくれ」。これだけで、お母さんは、全部、お父さんが何を求めてるか、察して、動いてたわけです。
これ、なんか、今聞くと、「男尊女卑だ!」とか言う人いますけど、僕は、これはこれで、一つの、完成された、家族の形やったと思うんですよ。男は、外で戦う。女は、家と、旦那を守る。ちゃんと、役割分担ができてて、ある意味、効率的やったんちゃうかなぁと、思いますね。
まぁ、僕の親はねぇ…うーん…まぁ、色々、ありましたけどね。まぁ、お袋は、どっちかっていうと、口うるさい方やったんでね。「あれやっときなさい、これやっときなさい」って。まぁ、僕のことを思って、言うてくれてたんでしょうけど。まぁ、でも、なんだかんだ、僕が落ち込んでる時とかは、何も言わずに、僕の好きな、カレーライスとか、作ってくれてましたからね。あれも、一種の、「察する」やったんかなぁと、今になっては、思いますけどね。えぇ。まぁ、ええわ。
ほんで、話は戻りますけど、じゃあ、なんで、その、「女が男を察する」っていう時代が、終わったのか。
その論文の、第二部ですね。ここで、転換点が来るわけですよ。
戦後ですね。日本が戦争に負けて、新しい憲法ができて、男女平等だ、と。女性にも、選挙権が与えられたり、男と同じ給料を払いなさい、みたいな法律ができたりしたわけです。
ほんで、ウーマン・リブ?とかいう、まぁ、女性の権利を主張する運動が、盛り上がってきた、と。
要するに、女性が、「私たちも、自分の意見を言っていいんだ」「嫌なことは、嫌って言っていいんだ」っていう、そういう考え方を持つようになったんですね。
これが、全ての始まりですよ。
今までは、旦那さんに、理不尽なこと言われても、じっと耐えて、旦那さんの機嫌を「察する」しかなかった女性たちが、力をつけたわけです。「あなたの言うことは、おかしい」「もっと、私の気持ちも考えて!」って、言えるようになった。
まぁ、気持ちは、わからんでもないですよ。うん。抑えつけられてたものが、爆発した、っていうのはね。
でもね、僕は、ちょっと思うんですけど。これが、ちょっと、行き過ぎちゃったんじゃないかなぁと。
権利を主張するのは、いいですよ。でも、その結果、「言わなくても、私の気持ちを察してよ!」っていう、新たな、ワガママが生まれたんじゃないかなぁと、僕は思うんですよ。
よくある話ですよ。女性が、いましてね。で、まぁ、デートとか、するわけじゃないですか。ほんで、男性がレストランとか入って、「何、食べたい?」って聞くでしょ。そしたら、「なんでもいいよ」って言うんですよ。
で、男性が、「じゃあ、パスタにする?」って言うと、なんか、ちょっと、不満そうな顔するんです。「え、パスタの気分じゃないの?」って聞くと、「ううん、別に…」とか言うて。
いや、どっちやねん!って話でしょ。
で、結局、ピザを頼んだら、「あ、本当は、お肉が食べたかった…」とか、後から言うんですよ。
いや、先に言えよ!と。
ほんで、男性が、「じゃあ、なんで、なんでもいいって言ったの?」って言うと、決まってこう言うんです。「私の気持ち、察してほしかった…」って。
…もうね、アホかと。馬鹿かと。
言わなきゃ、わかるわけないでしょ、人の気持ちなんて。エスパーじゃないんだから。
で、こういう、「察してほしい」っていう気持ち。これね、その論文にも書いてましたけど、日本の、とある精神科のお医者さん…えー、ツチイさん、でしたかね。その人が言うには、これは、「甘え」の構造、らしいんですよ。「甘え」。
赤ちゃんが、お母さんに、「お腹すいた」とか「おむつ替えて」とか、言葉で言えないでしょ。でも、泣いたり、ぐずったりすることで、「僕の気持ちを察して!」って、アピールするわけですよ。ほんで、お母さんは、それを察して、ミルクをあげたり、おむつを替えたりする。この、母と子の、言葉を超えた一体感。これが、「甘え」の原点らしいんです。
つまり、「察してほしい」って言ってる女性は、精神構造が、赤ちゃんと一緒なんですよ。相手の男性に、お母さん役を求めてるんです。「私が、言葉にしなくても、私の全てを理解して、受け入れて、私の欲求を満たして」っていう、究極の「甘え」なんですね。
これ、どう思います? 僕、これ読んだ時、なるほどなぁー!と、思いましたね。
だから、「察してちゃん」は、精神的に、自立できてないんですよ。
…逆にね、僕なんかは、人の気持ちを、「察しすぎて」、失敗したことありますからね。えぇ。
まぁ、有名な話ですけど、僕、アンチに、ネカマに騙されたこと、あるじゃないですか。
あれなんか、まさにそうですよ。僕は、相手が、か弱い女性やと思って、なんとか、力になってあげたい、と。相手が、直接「助けて」って言わなくても、その、文章の端々から、「あ、この子、今、悩んでるんやな」「寂しいんやな」っていう気持ちを、僕が、一方的に「察して」、優しくしてあげよう、としたわけですよ。
その結果が、あれですからね。はい。見事に、騙されたわけですから。
だから、人の気持ちを察するっていうのは、もちろん、大事ですよ。でも、「察しすぎる」のも、問題なんですよ。僕みたいに、お人好しは、特にね。えぇ。
えーと、どこまで話したっけ。あ、そうそう、時代の変化で、女性が強くなった、と。
ほんで、その論文の第三部。ここが、一番の、核心部分ですね。
この、「男が女を察するべき」っていう、今の風潮を、決定的にした、元凶。それが、何か。
それは、80年代、90年代の、マス・メディア。特に、テレビドラマと、女性雑誌。これですよ。
その記事で、例に挙げられてたのが、ドラマの『██████████』。
これ、僕もね、リアルタイムではないですけど、再放送かなんかで、ちらっと見たことありますけど。あの、ヒロインの女性、えー、████さん?でしたっけ。
もう、めちゃくちゃじゃないですか、あの人。
自己主張は強いし、感情の起伏は激しいし、言うことはコロコロ変わるし。で、恋人の、███くんに、常に「私の気持ちを察して!」って、無茶ぶりするわけですよ。
ほんで、███くんが、それに、うまく応えられないと、「███のバカ!」とか言って、キレる。
いやいやいや、わかるわけないでしょ、あんなの。
僕、見てて、完全に、███くんの味方でしたからね。頑張れ、███!って。あんな、ワガママな女、ほっとけ!って、テレビの前で、応援してましたから。はい。
でも、世の中の女性は、あの、リカさんに、自分を重ねて、「そうそう!男って、わかってくれないよねー!」って、共感したらしいんですよ。信じられんですね。
で、あのドラマが大ヒットしたせいで、「現代的な、イケてる女は、リカさんみたいに、感情が複雑で、男に理解を求めるのが当たり前」「男は、███くんみたいに、優柔不断で、女心を察するのが下手。でも、それを、必死で学ばないといけない」っていう、おかしな、共通認識が、日本中に広まっちゃったんですよ。
恐ろしいですよね、テレビの影響力って。
昔は、なんか、性の解放とか、難しいこと書いてたらしいですけど、80年代ぐらいから、「恋愛のマニュアル」みたいになっちゃった、と。
「セックスできれいになる」とか、「抱かれたい男ランキング」とか。
恋愛を、なんか、ゲームみたいに、「どうやったら、男を攻略できるか」みたいな、そういう、戦略的なものとして、捉えるようになったんです。
これも、おかしいですよね。恋愛っていうのは、もっと、心と心のぶつかり合いでしょ。駆け引きとか、テクニックとか、そういう、不純なものじゃないんですよ。
僕はね、そういうの、大っ嫌いなんですよ。
好きなら、好きって、ストレートに言うべきなんです。男も、女も。その方が、よっぽど、誠実でしょ。
まぁ、僕の場合、見てくれが、これなんでね。よく、█████の、█████さんに似てるって言われるんで。黙ってても、女性の方から、寄ってくることが、多いんですけどぉ。えぇ。
でも、僕は、ちゃんと、心で繋がりたいんでね。そういう、上辺だけの関係には、興味ないんで。はい。
…と、またまた、話が、逸れましたけど。
えー、まぁ、そういうわけで、メディアによって、「女は察してもらう側」「男は察する側」っていう、今の、歪んだ形が、完成した、と。
ほんで、最後のですね。
「感情労働」っていう言葉、みなさん、聞いたことありますかね。感情の「感」、労働の「労」。
要するに、感情をコントロールするのも、仕事のうちですよ、っていう考え方ですね。例えば、キャビンアテンダントさんとか、看護師さんとか、お客さんや患者さんの気持ちを「察して」、常に笑顔でいなきゃいけない。自分の感情は、殺さないといけない。これも、大変な「労働」だ、と。
で、こういう、感情労働っていうのは、圧倒的に、女性が担うことが多い、と。
だから、女性は、普段から、仕事でも、プライベートでも、人の気持ちを「察する」っていう、大変な感情労働を、いっぱいやってるわけです。
その見返りとして、「私だって、たまには、誰かに、私の気持ちを察してほしい!」って、パートナーの男性に、求めてしまう、と。
でも、それは、やっぱり、「甘え」なんですよ。さっき言ったね。
自分が大変だから、あなたもやりなさい、っていうのは、ちょっと、違うんじゃないかなぁ、と。
で、この「察してほしい」っていう、甘えの欲求。これを、男性が、満たしてあげられるかどうか。これが、愛の証明、みたいになっちゃってる、と。
男性が、女性の気持ちを、うまく「察する」ことができたら、「あ、あなたは、私のこと、こんなに愛してくれてるのね!」って、女性は満足する。
でも、失敗したら、「あなたは、私のことを、愛してないのね!」って、なるわけです。
これ、男からしたら、たまったもんじゃないですよね。いきなり、テスト出されてるようなもんですから。
コミュニケーションの、すれ違いじゃなくて、もう、愛情の、踏み絵みたいになっちゃってるんですよ。
これねぇ、僕、アンチとの関係にも、言えることやと思うんですよ。
僕が、動画で、何か発言するじゃないですか。そしたら、アンチは、その言葉の、表面だけを捉えて、揚げ足を取って、批判してくるでしょ。
あれは、僕に対する、「甘え」が、全く足りてないんですよ。
僕のことを、本当に、リスペクトして、信頼してくれてる、ファンのみんなは、僕が言った言葉の、その裏にある、真意を、「察しよう」としてくれるはずなんですよ。「あ、█████さんは、こういうことが言いたいんやな」って。
でも、アンチには、それがない。だから、いつまで経っても、僕とアンチの心は、通じ合わないんですね。悲しいことですけど。
…僕ね、昔、バイトしてた時、ありますけど。そん時の、店長が、ものすごい、気分屋でね。
機嫌がいい時と、悪い時で、言うことが、180度、違うんですよ。
周りの、バイト仲間は、「今日の店長、やばいな」とか、「また、言ってること違うわ」とか、文句ばっかり、言うてました。
でも、僕は、違いましたね。
僕は、その店長の、眉の動きとか、声のトーンとか、足音とかで、完璧に、その日の店長の機嫌と、次に何を求めているかを、「察して」動いてましたから。
「あ、今日は、機嫌が悪いから、先に、掃除しといた方がええな」とか。「あ、今、声のトーンが上がったから、そろそろ、あれが欲しいんやな」とか。
だから、僕、人の気持ちを察する能力、めちゃくちゃ、高いんですよ。ほんまは。
でも、それを、他人に求めようとは、思わない。
なぜなら、それは、さっきから、何回も言うてますけど、相手への「甘え」だからです。そして、それを求めるのは、精神的に「自立」できてない、証拠だからです。はい。
なぜ、現代では、女性が男性に「察する」ことを求めるようになったのか。はい。僕の解説で、完璧に、理解できたと思います。
じゃあ、どうすればいいのか。
もう、答えは、一つしかないですよ。
男も、女も、大人なんやから、大事なことは、ちゃんと言葉にして、伝えましょう、と。
「言わなくてもわかるだろ」っていう、傲慢な考えも、捨てましょう。
ちゃんと、お互い、向き合って、コミュニケーションを取る。これが、一番大事。
僕は、こうやって、自分の考えを、ちゃんと言葉にして、みんなに、伝えてるじゃないですか。僕は、察してちゃんじゃない。ちゃんと、コミュニケーションを取ろうと、努力してるんですよ。
だから、僕の動画を見ていれば、みなさんも、自然と、正しい、健全なコミュニケーション能力が、身につく、と。そういうことですね。はい。
いやー、しかし、疲れましたね。この、難しい記事を、ここまで、わかりやすーく、噛み砕いて解説できるのは、まぁ、世界でも、僕ぐらいのもんでしょうね。えぇ。元々の文章より、僕のこの解説の方が、100倍、わかりやすかったんじゃないかなぁと、自負しております。はい。
Switch2が当たらないから、当たったら買う予定のゲーム版シャインポストの予習として、ユーチューブの公式チャンネル(https://www.youtube.com/@SHINEPOST)で期間限定公開をされているTVアニメ版シャインポストの感想を書いていく。
結局、10話で出てきた厄介ストーカー(黒金)はそこまでストーリーライン上のストレスとはならず、いい感じに物語がまとまった。青天国大好き厄介ストーカー(黒金)は本人のポンコツ気質ゆえに納得も諦めも早かった。11話を見たときには、青天国が優しく黒金をハグして「本当はお前が一番だよ」って言ったらワンチャン全部解決するんじゃないかと思ったけど、12話を見ると可能性は割とあった気がする。
中野サンプラザでのライブシーン。めちゃくちゃ盛り上がっている感があって良かった。舞台に立った5人全員「光ってない」けど光ってた。特にライブシーンで好きだったのは迫真の声援。野郎の野太い「最高ォー!」とか女の甲高い「ヤバヤバヤバい! ヤバいってーーー!」とか「最高ぉぉぉぉー! 盛り上がってるよー!」とか、とにかく濃く多様な声援が飛んでいた。
黒金に没個性と言われた玉城が見返すために(マネージャーくんが授けた)秘策にはちょっと笑ってしまった(個人的にはMC能力を伸ばすのかなーと思っていたので)。突然玉城と青天国とのツートップ楽曲を披露して、TINGS は全然青天国だけのグループじゃないですけど〜?ってやりだしたのを見て、青天国厄介ファンによる TINGS はセンター以外カスという評価に対して真っ当な回答であるものの、実際には青天国と並び立ってアイドルをしたかった彼女の脳を的確に破壊するNTR攻撃だったんじゃないかとちょっと思った。
11,12話を見て思ったのが、メンバーおよびライバル側の話の掘り下げが足らない、いわゆる尺が足りない状況だと思った。(抜群に濃いキャラクター性をふんだんに出していたものの)伊藤とか全然掘り下げなかったじゃんか!……と思ったらゲームの「ヒロインストーリーズ」で掘り下げがあるのか。増々 Switch2 を手に入れるしかなくなったじゃないか。
面白かった。後半が駆け足だったと思うものの、全12話しかないなかで起承転結をきっちりと決めたのは評価が高い。キャラクターも皆魅力的で、もっとこのキャラたちが動いているところを見たいと思わせるものだった。ファンも濃いファンが揃っており、アイドルの輝きはファンがいてこその輝きなのだと納得できるものだった。
好きなエピソードは、個人的な好みだけだと4話で、作劇的な完成度だと7話。4話は単純に玉城とトッカさんという演者と T.O. の関係性、披露された楽曲、そしてEDへの入り方が抜群に好みというだけ(あとファストフード店で理想と現実の差に惨めに泣く姿と、自分を見てくれるファンがいることに気がついて輝く姿とのギャップ)。7話はこれまでの「光る=嘘」という前提の盲点をついて、清く正しい青天国が不良のゆきもじに手を差し伸べるという構図を反転させて、実はその手を差し伸べる青天国こそが一番の嘘つきであり手を差し伸べられるゆきもじの二人はその嘘を打ち砕くために動いていた、という展開を伏線回収して見事に実現しきった点。
好きなキャラクターは、もちろん登場人物全員好印象があるけど──いやごめん社長だけは大切なことはもっと早く言えってちょっと思ってる──、やっぱり祇園寺さん。常識人で苦労人で世話焼きのポジション好きなんや。面倒見よすぎてライバルぶってるくせにめちゃくちゃ世話を焼いてくるところがチョロくて好き。あとイケメンの演技をしていない素の声が可愛いところも。あと割と好きなのはトッカさんをはじめとしたファンの面々かな。一日バイトの店長とかチョイ役だけど謎に濃い。
ところでまたピンポンの話をするんだけど、筆者は実は太田キャプテンの立ち位置と変容が大好きなのだ。はじめは弱小卓球部の悪ノリ部員みたいなポジションなのに、キャプテンになったらひたすらストイックなスマイルと他の平凡の部員との間の緩衝材となって苦労する。原作のわずか数ページの出番だけどスマイルが求めてた品質の良い硬球をわざわざ仕入れて渡すエピソード好きなんだよ。試し打ちの相手になってくれってスマイルから言われて俺じゃ相手にならないからって断るけど、結局は折れて受けて。感触が全然違うって静かに喜ぶスマイルをラリーの相手をしながらアルカイックスマイルで眺めるエピソードがめっちゃ好きなんだよ。個人的にはアニメ版のこのパートの改変(偶然店で見かけて購入する)は改悪だと感じている。
ご長寿麻雀漫画のタイトルとして知られる「むこうぶち」という言葉だが、もとは裏社会の隠語だということもあって、その意味はあまり知られていない。
漫画では「一匹狼の真のギャンブラー」とされているらしいが、隠語大辞典は「鉄火場の客のこと」としている。
「むこうぶち」という言葉がどのように使われていたのか、過去の用例から探ってみたい。
「出方」というのはヤクザの幹部のことで、貸元=店長、代貸=副店長、出方=チーフ、三下=バイト、くらいの感じらしい。
おそらく「客の向かいで博打を打つ」という意味で「向こう打ち」だろうか。
隠語大辞典で「客のこと」とされているのは「ヤクザの向かいで打つ」という意味で互いに「向こう打ち」だからかもしれない。
1974年『ヤクザ映画はどこまで実録に迫っているか』梅原正紀
ところで「向こう打ち」とは賭場にくる客のためのサービス要員である。まだ本格的に賭場を開催するには、客の数が少ないさいに、客の相手をつとめる男どものことだ。だから「向こう打ち」は勝って悪し、負けて悪しである。賭場が開かれる前にまきあげてしまえば、賭場が立ちにくくなるし、心のせまい客はアヤをつけられたと思いかねない。そうかといって、負けてもいられない。これはブンリが悪い。上手に客を遊ばせながら時間つなぎをする力量を向こう打ちは持っていなければならないのである。つまりキャリアの要請される職種なのだ。
こちらのほうが説明が詳しい。実力が求められることも書かれている。
賭場でまだ時刻が早くて客が集まらないといったとき、早くきた客をたいくつさせないために出る「むこうぶち」は、たいていこのハンカうちである。
ハンカうちとは、
渡世のものではないが、なまじ三下よりは渡世に明るい。その点では白モクに似るが、白モクはだんなに近い。それだけ渡世とは離れている。ハンカうちは、だんなでいればいられるものを、より渡世に近づいて、身うちのあつかいこそうけないが、一家のめしを食う。一家の用を足す。が、まったくの子分、三下ではないし、「客人がまい」だから、こづかいをもらうのも「子分ワリ」ではない。出方の財布と決まったほどではないがしかし、出方同様のあつかいである。
「だんな」は金持ちの上客のこと。
「渡世人ではないが渡世に明るい人」の中で、客に近いのが白モク、渡世人に近いのがハンカうち、と言っているのだろう。
この「ハンカうち」は、博徒の一家(ヤクザの組)に正式には属していないというので、その意味では「一匹狼」に近くはなっている。
「ハンカうち」についてはかなり時代が遡るが、
渡世人間に『半可打ち』と云ふ言葉が云ひ伝ひられて居た。此の半可打と云ふのは堅気の衆が道楽の末、常習的に博打を専門のやうにして打ち歩るき、それを職業のようになすとか、或ひは渡世人の家へ入り込んで仕舞つて、改めて乾分ともならずに、世話になつて居る場合がある。斯る者達を称して『半可打ち』と云つたのである。
いきなり「むこうぶち」=「一匹狼」の意味になっている。「ハンカうち」の側面が強くなったのだろうか。
むこうぶち=ハンカうちのこと。
『関東の仁義』『仁侠大百科』の著者は藤田五郎という元ヤクザの作家で、『無職渡世』『やくざ辞典』の著者は井出英雅という元ヤクザの作家である。
井手氏は「むこうぶちは出方がお客の相手をすること」と、藤田氏は「むこうぶちとはハンカうちのこと」という認識だったのか。
この二人(+前出の梅原正紀)は親交もあったらしいが、井手氏が1913年生まれ、藤田氏は1931年生まれ、という年齢の差はあったようだ。
まず、賭場をひらくことによって、その手数料で生活する者たち。彼らは、通常一家を形成しており、その中で五つの階級に分けられている。貸元=いわゆる「親分、代貸=賭場の支配人役、中盆=壺を振ったり札を配ったりする勝負の進行役、出方=いわゆる子分で、客の接待から使い走りまでの役、三下=人の出入りの見張り、客の下足番・警察の手入れの見張りなどの役、がそれだ。
次に、「控えぶち」という博徒がいる。これは、いわばサクラのような役目の博打うちで、通常どこかの一家と関係を持ち、その一家が賭場をひらくと必ず顔を出すことになっている。つまり、自分が親しくしている一家の賭場で、にぎやかに振舞ったりして、客の勝負欲をあおり立てることを生業としているわけだ。
そして、どの一家にも属さずに賭博を常習とする一匹狼的な博徒が「向こうぶち」だ。この向こうぶちは、控えぶちと違って、特定の賭場に所属することはない。自分の気が向いたときに、好きな賭場へ足を向けることができる。しかし、このさすらいのギャンブラーとして生活する者は少ない。なぜなら、自分の腕ひとつを頼って生きなければならない過酷な仕事だからだ。
この『賭博大百科』での「むこうぶち」の説明は、すっかり一匹狼のイメージになっている。
どちらかと言えば「控えぶち」のほうが、当初の「むこうぶち」に近いように思える。
というわけで、
というような変遷があったように思われる。
もともとの意味では「ヤクザの幹部」とか「中途半端なやつ」みたいな感じだったのが今では「一匹狼の真のギャンブラー」になったというのはなかなか面白い。
余談。
などがある。
アルバイトはいいけど、パートは休み取る理由私用のためじゃダメとか言い出した。
なんとなくの休みは認めないと。
定期的に休みを入れるのもなしだと。
え?
休み希望を絶対に書かなきゃいけないのって労基法的にアウトじゃない?
本気で辞めようかな。
ウィイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー、今日はですねぇ、あのねぇ、なんか、ま、ちょっと考えさせられる記事?っていうのを見つけたんですよ。
ほんで〜、まぁ僕もね、普段から色々、こ、社会のこととか考えてるんで、えー、今日はみんなと一緒に、その記事を読んでいこうかなぁと思いますぅ。はい。
えーっと、なになに…タイトルが…
『偽善が嫌いな俺の、利己(りわたくし)と利他(りほか)についての結論』
スゥゥゥ…利己(りわたくし)と利他(りほか)…ですか。なんか、も、いきなり難しい言葉が出てきましたけどもぉ…まぁ、読んでいきましょうかね。
あー、なるほどね。こ、これはねぇ、僕も分かりますよ。
いますよね、そういう人。口では「みんなのために」とか言うんだけど、こ、行動が伴ってない人。
スゥゥゥ…結局、自分が良く見られたいだけなんですよねぇ。
僕が昔、ちょっとだけやったバイト先にもいましたよ、そういう先輩が。なんかね、店長の前だけ良い顔すんの。スゥゥゥ…ああいうのは、良くないと思いますぅ。はい。
人間って、本質的(ほんねてき)には利己的(りわたくしてき)だ。
自分のために生きてる。
まぁ、そりゃそうですよ。うん。
ただねぇ、僕みたいに、こうやってYouTubeで発信してる人間は、ちょっと違うかなぁと。
最初はね、まぁ自分のために始めたとこもありますけど、スゥゥゥ…今となっては、もう見てくれるみんな、視聴者さんのためにやってますから。
だから、この筆者さんとは、ちょっと、き、境遇が違うのかもしれないですねぇ…。
ただ、ここが面白いところなんだけど、
人はその「利己(りわたくし)」を突き詰めていくと、自然と「利他(りほか)」にたどり着くことがある。
ん? スゥゥゥ…
『利己(りわたくし)を、と、突進していくと、利他(りほか)に…』
えー、どういうことだろう…
自分のことばっか考えてると、なんか、人のためになるってことかなぁ…?
スゥゥゥ…ちょっと、こ、言ってる意味が、む、難しいですねぇ。
たとえば、
好かれたいから、優しくする。
スゥゥゥ…まぁ、そういう人もいるかもしれないですけどもぉ…
利己(りわたくし)から生まれる利他(りほか)こそが、本当の優しさだ。
見せかけの利他(りほか)より、よっぽど人間らしくて信用できる。
えぇー…? そうなんですかねぇ…。
スゥゥゥ…僕は、違うと思いますけどね。
やっぱ、こ、根本に「人のために」っていう気持ちがないとダメですよ。
僕の動画もそうですけど、僕が楽しむのが第一…じゃなくて、みんなが楽しんでくれるのが第一なんで。
スゥゥゥ…この人は、なんか、こ、根本的なところを、ま、間違えてるんじゃないかなぁと思いますぅ、はい。
そんな「利己的(りわたくしてき)で正直な優しさ」の方が、ずっとあたたかい。
うーん…まぁ、言いたいことは、なんとなく分かりますけどもぉ…。
スゥゥゥ…でも、やっぱ、ちゃんとした、り、理想を持つべきですよ、人は。
こういう、なんか、諦めたみたいな考え方は、僕は好きじゃないですねぇ。
なんですかね、これ。アニメの、ひ、必殺技の名前かなんかですかねぇ…。
まぁ、こういう名前を、け、掲載するってことは、ちょっと、まぁ、変わった人なんでしょうねぇ。
スゥゥゥ…まぁ、僕から言わせてもらうと、この人はまだ、人生経験が、た、足りないんじゃないかなぁと。
もっと、こ、腰を据えて、ちゃんと社会とか、他人と向き合えば、僕みたいに、こ、自然と「人のために」っていう気持ちが、め、芽生えてくると思うんですけどねぇ。
スゥゥゥ…まぁ、僕の動画を見て、ちょっと勉強し直した方がいいかもしれないですね、はい。
というわけで! えー、今回は、ネットの記事に、わ、我々…じゃなくて、僕が物申す、みたいな動画でしたけども。
現在二十代前半。
初めてそのような悪事に着手したのは16歳。
繁華街の外れにある公園、薄っぺらい下着を脱いで、SNSで見繕った相手にそれを渡す。
見繕ったという言葉を選んだのは、相手が暴力的な男性ではないか、あるいはおとり捜査の警察ではないか、そうしたリスクを避けるために見繕うように相手を選んでいたからだ。
売春といっても、お茶だけ解散とかもっとソフトな内容もあっただろうに、若干ニッチな内容から入ったのはその悪事が自傷行為も兼ねていたからだったと記憶している。売春に対する抵抗が少なかった。
親との関係は悪い。精神病を患い心療内科を受診していた時「お金がかかるのでやめてくれ」と小言を言われたりとか、そんな温度感の親子だった。
お金も手元にあまりない。親の目と学校の目がありバイトも限られる。人間関係に悩み自傷的になっていた思春期の子どもにとって、漫画やSNSで知った売春行為は格好の自傷手段だった。それだけのこと。お金を貰いながら自分を責めることが出来る好都合さ。
身体的スペックと内容に応じた金額を書き連ねたスクショと共にハッシュタグ(場所、P活など)を添えて、ツイートで募集するのが当時のフォーマット。そんな発信一つで売春に片足突っ込めるんだから、はじめの一歩のハードルは随分低かった。
なんとか立ち回り相場より高くやり取りを展開したりとか、若干小賢しく小銭稼ぎしていたのも相まり(詳細は省く)そこからは「こんな稼動量でこれだけの金銭が得られた」という自分が稼いだ数字で自己を肯定するようになってしまった。愚かな子ども
進路選択。
大卒の方が就職の場において困ることがないかもしれないとか、そんな大義名分以上に、まだ自分が何をしたいのかわからず猶予期間欲しさに進学を選んだ。進学後の生活費などは性風俗店に従事し揃えていくことを高校生のうちに決めていた。
4月から風俗を始める予定が、その月は誰もが外出を止められ、5月から始めたものの客入りは最悪。
店長が「実はうちオナクラだけどメンエスもやってて…」「常連さんに言って予約してもらったから!」と焚き付け連れてきたオジサンに適当に油を塗って接客し得た4万円がその月の最高日給で、それ以外ろくに稼動した記憶がない。
そこからSNSで知り合った悪友が働く同じエリアのオナクラで働きはじめ、そこのそこの収入を得る。パンデミックに足止めされた大学生活も、秋頃からは一部講義のみキャンパスで行うことが決まり、いよいよ本格的に教材も揃えなければならなかったから都合が良かった。
遅刻気味に始まったキャンパスライフを全うしつつ、講義がない日は風俗に出勤、生活のルーティンが確立していった。
やがて冬を迎える。
この冬を思い出すと今でもゾッとする。
通常1月後半から2~3月にかけてが水商売の閑散期に該当するが、疫病の影響もあってか、文字通り地獄のように客が来なかった。
雑居ビルの静かな部屋で、電話が鳴るのを待ちながら目減りする手元のお金のことを考えて待機時間をやり過ごすのは精神的に参る。低俗な精神と時の部屋だった。やっと一本鳴って終わる日や、一度も電話が鳴らない日もあった。
カスの精神と時の部屋でやられてしまったのか、金がないのがそうさせたのか、小中高とでボロボロにすり減らし野ざらしにしていた精神はまた無自覚に荒んで行った。
鬱憤を晴らすようにメン地下だったりホストクラブに関心を持ち、足を運ぶようになった。圧倒的にお金を稼ぐ理由、圧倒的に生きる目的が欲しかった。そしたら頑張れる気がした。勿論大学での学習内容にも関心はあったけど、それよりも「特定の異性、目の前にあるわかりやすい目的のために頑張る」方がわかりやすくて快楽的だった。
大学二年になる頃、一人のホストクラブ従業員に入れ込み始めた。オナクラだけだった収入源にちょっと特殊なメンズエステを増やした。ホストクラブに足を運ぶ夜が増えた頃には、まさに寝る間を惜しんで働いていた。11時起床、13時出勤、19時退勤、20時出勤、4時退勤、5時就寝…雑居ビルにある事務所と自宅の往復。
大学の授業がなければもっと稼げるのに、と考えてしまったこともある。愚かな青年…
収入が足りないので業種を変え特殊浴場に従事しようかなんて考えていたタイミングで、入れ込んでいた従業員の接客態度に呆れ冷静になり、ホストクラブにも雑居ビルの一室にも行かなくなった。
そこからしばらく、電池切れのように働けなくなる。幸い大学が夏休みのタイミングだったため、とにかく家にひきこもったり、ろくでもない男の家で放蕩したりして日々を無駄に消化した。
そんなことをしていたらお金がなくなる。しかしもう風俗をするのが心身ともに辛い。
次に私がはじめたのがFantiaである。
今でこそ名前を聞く機会も増え、今では風俗スカウトの口から出てきたりもするが、私が目をつけた時はまだあまり浸透しておらず、サイト内でのアダルトコンテンツも過激ではなかった。一部のオジサンとオタクが楽しむフェチ色の強いプラットフォームだった印象。
またまたSNSで知り合った友人の影響でファンクラブを開設。最初から軌道に乗るものでもないので、SNSを運用しつつオナクラにゆるく出勤した。軌道に乗ってからは、風俗を辞めFantia一本で生活出来るくらいの、いや、それ以上の収入を得た。フォロワーもまあまあ増やした。
そんなんこんなでしばらく運用していたのだが、
プラットフォームとしてあまり浸透しておらず、比較的新規参入もしやすかったとはいえ、もう「はじめれば誰でも稼げる」時ではなく、かなり頭と時間を使ってSNSを運用し(類似した活動内容の活動者の中でもかなり稼いでいた、むりをして)風俗と違い退勤の時間も出勤の時間もなかったので際限なく時間と心身を割けるのが、なにかはじめると止まらなくなる私の性格と相性が悪かった。
また、高校生の時に確立してしまった「数字で自分の価値を実感しようとする」悪癖も作用し、上がりに上がった売上の数字を落とすのが不安で仕方なく、お金があるにも関わらず常に不安がびったり頭にくっついたままで気が気じゃなかった。数字が減るのは自分の存在を否定されることと同義だった。
とにかく源氏名の自分ばかりを可愛がって、源氏名に逃げて、中身である自分自身に対して向き合ってこなかったので気がつくのが遅くなってしまったが。
一度はじめてしまうと没頭して一拍置くことをしなくなるところ、とにかく自分が嫌いなので自身を無下にして源氏名の自分を優先してしまうところ、自分につく数字を自己肯定の材料にしてしまうところ。
どれだけ図太く狡く賢くお金を稼げるか、いかに飴と鞭を自分自身に上手に与えられるか、そのポテンシャルがある人間が水商売に向いているのだと思う。
そして今。精神科で手帳一歩手前のところで治療をしてもらいつつ(最近行ってません。セルフ断薬していてやばいです)飲み屋で働いたり…とフラフラしつつ、他人のFantia運用の手伝いに落ち着いている。自分の肉体を晒していないものの、結局数字の変動を追いかけることになるので正直精神衛生には良くないが、決壊した精神状態でやれることも限られるので、とても有難い話。
人生の半分くらい身売りしかしてない、と言いつつ、実はその裏で短期のバイトをやったり副業していたりするのだが、結局収入の柱は業種を転々としながらも身売りが主なのだ。そんな愚かな大人。
売春という一面のみに焦点をあてて自分の人生を振り返ってみただけ。こんな愚かな大人も世の中にいるという情報のゴミくずにすぎない。
強いて言うなら「心身の不調は放っておくと後で痛い目みる」くらいは伝えたい。