
はてなキーワード:川村とは
神谷宗幣見てみた
独立行政法人男女共同参画機構法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案
2025-06-18 賛成
2025-06-18 賛成
外国為替及び外国貿易法第十条第二項の規定に基づき、北朝鮮を仕向地とする貨物の輸出及び北朝鮮を原産地又は船積地域とする貨物の輸入につき承認義務を課する等の措置を講じたことについて承認を求めるの件
2025-06-13 賛成
2025-06-13 賛成
スポーツ基本法及びスポーツにおけるドーピングの防止活動の推進に関する法律の一部を改正する法律案
2025-06-13 反対
社会経済の変化を踏まえた年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する等の法律案
2025-06-13 反対
2025-06-13 反対
2025-06-13 賛成
2025-06-13 反対
令和五年度一般会計歳入歳出決算、令和五年度特別会計歳入歳出決算、令和五年度国税収納金整理資金受払計算書、令和五年度政府関係機関決算書
食品等の流通の合理化及び取引の適正化に関する法律及び卸売市場法の一部を改正する法律案
公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法等の一部を改正する法律案
日本国の自衛隊とイタリア共和国の軍隊との間における物品又は役務の相互の提供に関する日本国政府とイタリア共和国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件
2025-06-06 賛成
日本国の自衛隊とフィリピンの軍隊との間における相互のアクセス及び協力の円滑化に関する日本国とフィリピン共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件
2025-06-06 賛成
2025-06-06 賛成
2025-06-06 賛成
円滑な事業再生を図るための事業者の金融機関等に対する債務の調整の手続等に関する法律案
2025-06-06 賛成
貨物自動車運送事業の適正化のための体制の整備等の推進に関する法律案
2025-06-04 賛成
2025-06-04 賛成
労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律案
2025-06-04 反対
2025-06-04 賛成
株式会社地域経済活性化支援機構法の一部を改正する法律案
2025-06-04 賛成
2025-05-30 賛成
譲渡担保契約及び所有権留保契約に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案
2025-05-30 賛成
2025-05-30 賛成
2025-05-30 賛成
令和五年度特別会計予算総則第二十一条第一項の規定による経費増額総調書及び各省各庁所管経費増額調書
令和五年度一般会計原油価格・物価高騰対策及び賃上げ促進環境整備対応予備費使用総調書及び各省各庁所管使用調書
脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律及び資源の有効な利用の促進に関する法律の一部を改正する法律案
国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律の一部を改正する法律案
千九百九十五年の漁船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約の締結について承認を求めるの件
職業上の安全及び健康並びに作業環境に関する条約(第百五十五号)の締結について承認を求めるの件
海洋法に関する国際連合条約に基づくいずれの国の管轄にも属さない区域における海洋の生物の多様性の保全及び持続可能な利用に関する協定の締結について承認を求めるの件
老朽化マンション等の管理及び再生の円滑化等を図るための建物の区分所有等に関する法律等の一部を改正する法律案
原子力規制委員会委員に杉山智之君及び神田玲子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
社会保険審査会委員に浦野真美子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
中央社会保険医療協議会公益委員に飯塚敏晃君及び本田文子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
労働保険審査会委員に菅野淑子君及び齋藤育子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
日本銀行政策委員会審議委員に増一行君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
日本放送協会経営委員会委員に榊原一夫君、大草透君、岡田美弥子君、藤本雅彦君及び田渕正朗君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
公害等調整委員会委員に中村也寸志君及び大瀧敦子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
預金保険機構理事に田口紀子君及び島村英君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
公認会計士・監査審査会委員に宮本佐知子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
個人情報保護委員会委員長に手塚悟君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
原子力委員会委員に吉橋幸子君を任命することについて同意を求めるの件
2025-05-21 賛成
2025-05-21 賛成
電気通信事業法及び日本電信電話株式会社等に関する法律の一部を改正する法律案
2025-05-21 反対
2025-05-21 賛成
下請代金支払遅延等防止法及び下請中小企業振興法の一部を改正する法律案
2025-05-16 反対
行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律及び住民基本台帳法の一部を改正する法律案
2025-05-16 反対
情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の一部を改正する法律案
2025-05-16 賛成
2025-05-16 反対
重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案
2025-05-16 反対
重要電子計算機に対する不正な行為による被害の防止に関する法律案
2025-05-16 反対
特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法第五条第一項の規定に基づき、特定船舶の入港禁止の実施につき承認を求めるの件
2025-05-14 賛成
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律等の一部を改正する法律案
2025-05-14 反対
2025-05-09 賛成
2025-05-09 賛成
東南アジア諸国連合貿易投資観光促進センターを設立する協定の第二次改正の受諾について承認を求めるの件
2025-05-09 賛成
千九百九十四年四月十五日にマラケシュで作成された世界貿易機関を設立するマラケシュ協定のサービスの貿易に関する一般協定の日本国の特定の約束に係る表の改善に関する確認書の締結について承認を求めるの件
2025-05-09 賛成
航空業務に関する日本国とルクセンブルク大公国との間の協定の締結について承認を求めるの件
2025-05-09 賛成
航空業務に関する日本国とチェコ共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件
2025-05-09 賛成
国会法及び議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律の一部を改正する法律案
2025-05-09 賛成
地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律案
2025-05-09 賛成
株式会社日本政策投資銀行法の一部を改正する法律案
2025-05-09 賛成
2025-04-25 賛成
2025-04-25 賛成
情報処理の促進に関する法律及び特別会計に関する法律の一部を改正する法律案
2025-04-25 賛成
経済上の連携に関する日本国とインドネシア共和国との間の協定を改正する議定書の締結について承認を求めるの件
所得に対する租税に関する二重課税の除去並びに脱税及び租税回避の防止のための日本国とアルメニア共和国との間の条約の締結について承認を求めるの件
所得に対する租税に関する二重課税の除去並びに脱税及び租税回避の防止のための日本国とトルクメニスタンとの間の条約の締結について承認を求めるの件
所得に対する租税に関する二重課税の除去並びに脱税及び租税回避の防止のための日本国政府とウクライナ政府との間の条約の締結について承認を求めるの件
2025-04-18 反対
鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律の一部を改正する法律案
2025-04-18 賛成
2025-04-18 賛成
2025-04-16 反対
日本国の自衛隊と我が国以外の締約国の軍隊との間における相互のアクセス及び協力の円滑化に関する日本国と我が国以外の締約国との間の協定の実施に関する法律案
2025-04-16 賛成
2025-04-16 賛成
海洋再生可能エネルギー発電設備の整備に係る海域の利用の促進に関する法律の一部を改正する法律案
国際開発協会への加盟に伴う措置に関する法律及び米州投資公社への加盟に伴う措置に関する法律の一部を改正する法律案
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の一部を改正する法律案
2025-04-09 賛成
2025-04-09 反対
2025-04-09 賛成
2025-04-01 賛成
地域人口の急減に対処するための特定地域づくり事業の推進に関する法律の一部を改正する法律案
戦没者等の遺族に対する特別弔慰金支給法の一部を改正する法律案
地方税法及び地方税法等の一部を改正する法律の一部を改正する法律案
公害健康被害補償不服審査会委員に八木貴美子君及び山田広樹君を任命することについて同意を求めるの件
2025-03-26 賛成
中央更生保護審査会委員に辻惠介君を任命することについて同意を求めるの件
2025-03-26 賛成
情報公開・個人情報保護審査会委員に中里智美君、武藤京子君、稲山文男君、芳仲美惠子君、寺田麻佑君、木村琢麿君、佐藤郁美君、中村真由美君及び久末弥生君を任命することについて同意を求めるの件
2025-03-26 賛成
パクチーは好きだ
料理に入っていると嬉しい 爽やかな香りで、独特のよさを料理に足してくれると思う
近くのスーパーで、ほっそい2株で300円とかで売ってて、質量に対してはあきらかにほかの野菜より高いんだけど、結構買ってしまう つうかハーブであって野菜ではないのかな
パクチーをはじめて食べたのが具体的にいつだったかは思い出せないけど、「好みが分かれるらしいもの」として向き合ったのは確かだ
川村教授が嫌いなもの、カメムシと同じ匂いだなんていう人もいるもの、好きな人は好きだが嫌いな人は嫌いなもの そういうものをいまから初めて食べるんだな、と思いながら食べた
その瞬間にあったのは、"逡巡"だったと思うんだよな
俺はこの味が好きなんだろうか?好きってことなんだろうか、嫌いってことなんだろうか?
コンマ1秒とかそのくらいの、火花が散るような時間の中で、その問いが立ち現れて、俺は咄嗟に、好きなものは多い方がいいよなと思って、好きであることを選んだ
そんなことがあったように思う
パクチーの味が俺の生来もつ受容体にぶつかってきて、オートマチックに好きであることがわかった、という話ではなかった気がするんだよ
そういうふうに思うんですよね
そういうことってありませんか?
以下、池澤夏樹の文学全集には出ていないが、重要な物や自分が読んだものについて書く。
川村裕子・訳注で読んだ。著者は藤原道綱母で、夫である藤原兼家に対して激しい執着が描かれている。当時の僕は報われない愛情を扱ったフィクションにどっぷりとハマっていたので、かなり共感的に読んだ。男性が通ってくるのを待たされる側だった女性の立場が見えて、あちこちに通う相手がいる光源氏に対しては「お前、お前お前お前!」以外の感想しか出てこなくなる。というか、藤原兼家みたいに、手紙やLINEはそこそこまめなくせに、会いに来ない言い訳もやたら細やかで、会ったときも会ったときで真面目な話をせずこちらをからかうばかりという男性、結構いるよな。モテる奴ってこんなのばっかってイメージがある(偏見)。
こういう時に面白いのは別の人の感想で、田辺聖子は先に書いた百人一首の本で、道綱母は夫を愛しているくせに、何をされても怒るかわいげのない女なのだと言っている。確かにせっかく通って来たのに寒空の下待たせちゃうんだけれど、つれない人に対してはそれくらいしてやりたくならないか。
田辺聖子と考えが違って面白かったのは、「儒教道徳は男女の色気のあるやり取りも批判して世の中をつまらなくする」って発言だ。「春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ」の解説で述べていたことだ。コンプライアスに厳しい時代の子である自分としては首をかしげるが、彼女にそういわせたのは、おそらく彼女の青春と重なった第二次世界大戦の空気だろう。
後半は道綱のなかなかうまくいかない恋路が出てくる。
余談だが、平安時代の著名人は大抵何らかの親戚関係がある。だから因縁話は大抵どこかとつながっているし、それなら言い出せない思いが積もり積もって怨霊や生霊の類が出てもおかしくない気持ちになってくる。
話を戻すと、どうしてモテたり権力を持った人ってどんどん嫌な奴になっていくのだろう。これは推測だが、人間が何か行動をしたとき、多少なりとも権力、少なくとも力を行使するのが理由だろう。力を行使して何かがうまく行くのは喜ばしいが、そのたびに堕落ポイントが蓄積される気がする。つまり、政治家であれ社会活動家であれ、世の中を良くしたという実感が少しずつ慢心に繋がっていく。かつては理想に燃えて清廉に悪を糾弾していた人が、どんどん人の話を聞かない・フィードバックを受け付けない傲慢な人になっていく。まっとうな批判を受けても、自分が正しいから叩かれるのだと思い込んでいく。そうやって晩節を汚していく。具体例がたくさん浮かぶと思う。
なので、自分が一番偉いわけじゃない、権力も何もなくて謙虚にならざるを得ないコミュニティに所属しないと、どんどんダメになっていくのではあるまいか。趣味も含めたコミュニティがたくさんないとおかしくなる。
人の話を聞かないことをテーマにしているのがカズオ・イシグロで、読むたびに嫌な気持ちになる。これは褒め言葉である。
元カレの弟(帥宮敦道親王)からアプローチされて、「手枕の袖」というフレーズで和歌を交換してイチャイチャして、遂に宮廷に迎えられるんだけど、巻末に帥宮挽歌群を持ってくるこの構成よ。悲しい。近藤みゆき訳注。
注釈者の解釈の精度と深さがすごいので、やっぱり自分は文学を研究することなど到底できまいと思わされた。どの節で和泉式部の感情がどう深まったかなどといった、字面を追ってしか読めない自分にはとても気づかないポイントが多数ある。所詮、自分は楽しむことが主である素人である。生活の種には到底できまい。
あまりにも気に入ったため、メモをした和歌が膨大である。いつか深い悲しみに沈んだときに読み返したら、喪失の痛みにグサグサに刺されながらも慰められるだろう。和歌集は読んでいて面白いのだろうが、短い解説文で背景が説明されているよりも、こういう物語の中に和歌が含まれているほうが、著者と長く付き合ってきた分だけ、心に来るものがある。古典は知を刺激する部分と情緒を刺激する部分があるが、これはかなり後者に寄っている。
やはり文学が好きだが、近頃はあまり読みたいとは思わないのである。久しぶりに三島由紀夫を手に取ってパラパラとめくっていたら、感情を揺さぶられて過ぎてしんどくなってきた。これは好きすぎで苦しいということなのかもわからない。好きすぎて近づけないとこじらせ文学オタクになってしまっているのか。三島由紀夫のことは、近頃は文章が人工的過ぎると思って遠ざけていたのだが、やっぱりこの人、マッチョな肉体の中の繊細な精神がいつもピリピリしているよ。好きだけれど、読み返したくない。でも、生きているうちに「豊饒の海」を読みたい。
ところで、僕はどうも女性の手による日記文学が好きらしい。ドナルド・キーンは日本人の日記好きを注目すべき事項だとしていたが、僕もその例に漏れない。日記を読み返すのは自己愛だが、いがらしみきおもぼのぼのの人生相談で「世界で一番面白い本は自分の日記」という趣旨のことを言っている。実際、何が自分に刺さったかを振り返ると、将来傷ついたときにどこに戻ればいいのかが見えてくる。
思うのだが、本を読む男性が文学少女に憧れるのにも、自己愛という側面がある。もちろん、同じ趣味を持っている人に親しみを持つのは当たり前だけれども、陽キャのような押しつけがましさがないと勝手に期待してしまうのだ。そういう風に、実際に相手がどんな人かを見ようともせずに、活字が好きだという相手の属性ばかり見ている。挙句の果てにそんな相手と深い理解に達し、イチャイチャしまくることに憧れる。そういう人間の恋がうまくいかないのは、今になって振り返ってみれば、残念ながら当然であろう(それでもうまくいく恋愛があるという指摘は無視する。認めないぞ、そんなものは)。だから、本は読むけれど優しくないタイプの女性に片想いをして、勝手に傷ついてきたことが何度もある。以下、自分の片想い歴や、彼女たちからされた非常に失礼な仕打ちを延々と書いたが、阿呆らしいのですべて削除した。客観的に見れば、当時の僕も結構痛い奴だったんだろう。わかっているが、恨みの気持ちはゼロにはならない。
やれやれ。こうしたひがみっぽい、すべて主語が「自分」になっている感覚をすべて卒業してしまいたい。こういうわかったような口のきき方も気に食わない。だからこうして、匿名でしか書けないような感情をあえて言語化し、脳内から叩き出す。こんな青臭い感情を二度と思い出さなくてもいいように、放流してしまう。
困ったことに、他人に批判的なことを書いている時にはやたらと楽しかった。悪口は依存性のある娯楽だとよくわかる。なので、この悪癖にハマらないよう、かなりの部分を削った。リクエストがあったら出すかもしれないが、原則としてお蔵入りにするつもりだ。そう、恨みつらみなんていくらでも反芻できる。やめよう、やめよう。
実際、これでもまだ意地悪な記述が多い文章だ。すっきりするけれど、かっこ悪いのでそうそう頻繁にやるべきことじゃない。
確かに、見苦しい愚痴をこうして捨ててしまうのが増田の使い方の一つではあるのはわかる。すべて吐き出せば身軽になれる。だから、こうして好きなことと嫌いなことをないまぜにした混乱した文章を書いてしまった。ひがみも怒りもドロドロした感情も、一度文章にすれば冷静になって振り返れる。
なんてみっともない文章だろうと思うのだけれど、書いていてこれは私小説の真似事なのだとわかった。かつて書いていた小説は、過去を変形して書き直し、つらい出来事に直接向き合わないようにするための緩衝材にしていた。あるいは、こういう恋がしたいという、ただの感傷マゾだった。だが、ここで過去を直接吐き出してしまえば、自分の感情と筆をコントロールできるようになり、新しく真っ当な小説が書けるのではないか。そんな夢想に浸りたくなる。
実際、今は過去の出来事よりも、今は自分の中の荒々しい本能や暴力衝動をどう扱うかに関心が移りつつある。あるいは、欲望や執着についてだ。読みたい本もこういうテーマの物に近づいている。混乱していた十代と二十代から、三十代を終えそうになって、好みが変化しているのが明白だ。今こそ、良いものが書けるときではないか。
最終選考の電話がかかってきたのに、そして編集者と話ができたのに、結局は小説家として芽が出なかった悔しさは、ときどき自分をこんな夢想の中に閉じ込める。だから、発作的にこういう長文を書きたくなる。
だが、若い頃は創作によって自分の感情を整理できたのは確かだけれど、ある時点で、僕はこのまま創作を続けてもどこにもたどり着けないのではないかという疑いにさいなまれるようになった。それよりは、虚構で変形されない事実を直視したほうがいい。事実を日記に断片的に書くことでさえ、ひがみ根性を薄れさせてくれる。小説に限らず、何かを言語化して分析するって本当に救済なんだ。
「結構読んできたな」と思いながらも、まだまだ読んでいない作品もかなり多い。大学時代から少ない年でも年に一冊か二冊くらいのペースで古文を読んできたので、そのペースなら生きているうちにもうちょっと読めるだろう。直近で気になっているのは(「カンタベリー物語」のように海外文学は別として)、池澤夏樹のリストにあったもの、神話物語、歴史書、それから江戸時代の物語だ。
まず、他のところでも述べた通り、「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」がある。特に「日本霊異記」はKADOKAWAが現代語訳を出している。それから、神話物語でいえば「風土記」がある。これも角川ソフィア文庫で出ているので読みたい。
歴史ものでは「大鏡」「栄華物語」がある。それから「吾妻鏡」も気になっている。この並びからは大河ドラマを想起するだろうが、あまり関係はない。とはいえ、自分は「ニンジャスレイヤー」が流行っているときにもまず「ニューロマンサー」に手を伸ばすような人間なのである。ただし、めっちゃ長い。
あとは「東海道中膝栗毛」。パラパラとめくったら、原文でもギリギリ読めそうな、しかし読むのには時間がかかりそうな、近い時代であるが故の厄介な文体であった。そう、なんでもいいので月に十冊は必ず読むという漠然とした目標など放棄して、精読したほうが良い読書ライフが送れるのだが、手を出すかどうか迷ってしまう。というか、これも含めて、原文で読むか現代語訳で読むかは迷う。なるべく原文に当たりたいのだが、池澤夏樹の日本文学全集の現代語訳が訳者の個性も含めて面白かったのと、意地を張って原文にこだわって、中身を浅くしか読めなかったら嫌なのとで、迷っているのである。
「好色一代男」「春色梅児誉美」もそのうち。寛大な気分のときになら、色男の生涯につきあってやっても良い。他の近松門左衛門とかも。
あとは、時間をかけて和歌を楽しむ。「万葉集」とか「新々百人一首」とか。
読書ログをたどりなおすと、自分がその時に何を感じていたのかを想起できる。読んだときの喜びも、読んだ当時感じていた閉塞感も、どちらも生々しく想起してしまった。だから、卒業したはずの怨念に対して、こんなに愚痴ってしまっている。
同時に、自分の感受性がゆっくりと時間をかけて変化してきたのもよくわかった。一つの強迫観念に凝り固まっている時には、何を読んでも同じ感想を持ってしまうのだろうけれど、十年かけていろんな本を読んでいくと、自分に起きた変化が見えてくる。これからも古典を読み続けるだろうし、さらに十年経ったらどんな感想を持つかが楽しみだ。
そして、自分にどんな変化が起きたか、いつかこれらの本を読み返して、確かめてみたい。
確かに、かつて読んだときほど心惹かれなくなってしまうことも多いだろう。現にあらすじを振り返っただけで、「なんでそんなにハマったんだ?」と感じるものあった。これは寂しいことだが、既に興味を失った作品があるということは、自分が変化したことを意味する。むしろ、生きていくにつれて成長していくのなら、興味がなくなる物が出てくるのが当然だ。この寂しさは歓迎すべきものだ。実際に、ある作品に心惹かれていた理由が、既に卒業してしまった不安だとしたら、当の作品が色あせて見えてしまうのも無理はない。個人的な収穫は、叶わぬ恋の歌だけでなく、生きているが故の寂しさを歌った歌に好みが移り変わってきたとわかったことだ。
叶わない片想いをするだけが人生ではない。ただ生きていること、目の前の相手に耳を傾けて敬意を払うこと、それが文学以上に自分を幸せにしてくれる。
そして、僕を大切にしてくれる人のことだけを考えて暮らしていきたいのである。これは創作よりも遥かに尊く、最も創造的なことだ。
以上。
「辻斬りのように男遊びをしたいな、と思った。」
中学生くらいの頃ずっと読んでいて大好きだった小説の初めの一文で、この物語の主人公の母親にあたる人物のモノローグ。
このキャラクターと同じく、25歳になって数日経った今日、好きな人に抱かれるだけ抱かれてこようかな、それで、あとはなんとなく男遊びでもしようかな、と思った。それでこの小説を思い出した。たしか25歳じゃなかったかなと思って見たらドンピシャだったので、ちょっとおセンチな気分になり、それを認めておきたくなった。
今までの人生でお付き合いした人はいたけど、まったくもって誠実な付き合いで、男遊びとかそういうのは一切したことがない。
でも今日好きな人のことを考えてて、本当に突然、付き合いたいとか結婚したいとか一緒にいたいとか全部どうでもいいから、一発抱かれてこようかな、という気持ちになった。
普段というか今までだったら絶対考えない。まず抱かれるか抱かれないかとかそういう話を付き合う前から考えない。
男は童貞のまま30になると魔法使いになるけど、女は処女のまま25になると気が狂うのか?
そんな自ら破滅に向かって全力疾走しなくても…と思う頭はあるのに、もうその男に会いに行くことしか考えられない。新幹線の時間とかホテルの空きとか調べる手が止まらない。
男遊びなんかしたことないんだから、抱いてもらったとしてそれで終わりになんかできずにその後普通に好きなままだと思うし、そんなの絶対苦しいし、もし相手の男がわたしをセフレ扱いしてきたとしたらその瞬間に絶望する自信しかない 絶対やめたほうがいいのはわかってるけど、でもどーーーーーーーーーーーーしてもあの男に抱かれたい 処女をくれてやったといい気になりたい
まあ、どうせやらないんだろうな
この文章打ってる時点でそんなことするべきじゃないって思ってるし、情緒キショいし、わたしは川村優奈じゃないし
まともに恋をしたことがないからこれが恋なのか性欲なのかたんなる情緒のブレなのかもわからない
早く落ち着きますように 南無三
ロストバージンを賭けた激キショ文章、読んでくれたひとがいたらどうもありがとう
追記:コメントいただいて時間をおきよくよく考えてみたら、処女だから気が狂ったのではなく恋による気の迷いだなと結論が出ました
12:56 追加
ブクマついてびっくりした。実家に頼ればいいという優しいブコメが多くてそれもびっくりした。俺も他人事だったらそう思うよ…うん…
長期休暇はどっちかの祖父母が全計画+お財布となり毎回連れ回してるけど65超えの老人たちが負担なのはみてね写真の顔見ても明らか。あと実家帰るたび俺の部屋の何か(クッションとか棚とかぬいぐるみとか)必ず消えてて「お兄ちゃん夫婦が家にちょうどいいからって持って帰った」て言われたり、「ディズニー+入らないの??(垢クレのサイン、多分ショーグンが見たい)」って連絡きたり、兄夫婦と会うと「甥っ子にお小遣いくれるよね?」的圧を感じたり何かすげ〜モヤるよ。あと兄の奥さん無愛想で何考えてるかわからんし苦手なのもある。感謝の一言でもあればホイホイ俺だってあげるのに泥棒まがいのクレクレはちょっと…。
あと書いてて気がついたけど、母の「本当はここまでしたくないけど遠方のお嫁さんのご両親が新幹線乗ってまで来て◯◯までしてるなら近いこちらも◯◯しないと…」とメソメソ愚痴言われるのが1番キツいんだなと思った(既読無視と言うけど母は出るまで電話かけてくるタイプ)
忙しいから電話しないでとやんわり母を拒絶しつつ、実家とは距離置きますわ。持ってかれたくない物は実家からピックしないとな。
まぁ独身はインフラのフリーライダーと言われたらぐうの音も出ないので、せめて甥っ子に還元しつつ社会貢献できる範囲でしていくわ。チラ裏の愚痴聞いてくれてありがとな。
↓↓以下本文↓↓
年収400万工場勤務、趣味ポケモンカード、ずっと実家暮らし交際経験なしのぽっちゃりの兄(タイムマシーン3号関さん似)が37歳で結婚相談所にて結婚した。相手は派遣社員の同い年の女性(たんぽぽ川村さん似)で、結婚を機に専業主婦になった。奥さんが子供を欲しがって不妊治療の末男の子誕生。ここまでは順調だったが、子供がやんちゃで夫婦共疲弊して両家祖父母が毎週サポートしに行っている。
増田だからもう本音を話させてくれ。兄も奥さんも幼すぎ!!!!相談所がなかったらずっと実家でぬくぬく暮らしてたけどラッキーパンチで結婚出産できただけで、2人とも自立してないし問題解決能力が皆無すぎ!!!!兄も奥さんも実家帰りすぎ!!ずっと周囲がサポートし続けなきゃいけないだろ!!!子供を療育に連れてくかどうしようだの子供のあれやこれやが欲しいだの家引っ越すだの車買うだの「夫婦2人でさっさと決めろよ!」ってことも全部両家巻き込んでの大議論。あと俺にまで金やものの無心すな!!!!(ネトフリとかの垢せびり等しょうもないもの含む)なぜか離れて暮らす俺に母が毎週愚痴ってきて俺も参るよ。知らねー!!!!!!甘やかしすぎたツケが来てるんだよ!!!!!!
相談所も良し悪しだよ。成婚までおんぶに抱っこで、デート中の質問まで考えてもらってたような恋愛経験なし2人が、結婚生活からさあ2人で頑張って!って出来るわけないだろ!!!!相談所に入る前に自立した人間になれるように人間力をつけろ!!!!!!バカ!!!!!
俺も弱者男性の自覚あるしモテないけど自活してるし自分のケツは自分で拭ける。ちゃんと貯金してるし死ぬ時は迷惑かけないように最大限準備するつもり。甥っ子が振り回されて可哀想だ。おじさんは味方だぞ。
弱者同士の結婚のサンプルにどうぞ。俺は疲れた。身バレ防止のためフェイク込みだけど大筋は本当。
Permalink |記事への反応(16) | 10:23
6月頃から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしんは明治に生まれ、大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である。
これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。
全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしんの本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語にありがちな主人公の聖人化とはむしろ逆行していた。
いや、もちろん少女時代の奉公先での過酷な試練は、おしんのイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしんは最初の奉公先である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀の豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしんが佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである。特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険な死産を経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代におしんが笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。
後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。
佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だから憎まれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ、高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わず涙したこともあったようだ。(NHKアーカイブより)
さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧に理解してこその発言である。プロとしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしんの死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である。自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしんの東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である。
これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋・加賀屋で奉公した際、大奥様から見込まれ、お茶や料理、裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたからである。
しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業をサポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那と結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀の本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用人である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるものと安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店は詐欺にあい、あっけなく倒産してしまう。
田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17で上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんをしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのである。おしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカの言葉「ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底を理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからのおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売にセンスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服の需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家の資金で東京で事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしんの佐賀地獄はここから始まる。
それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京、山形と転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三からは手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優・田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしんが行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくまで干拓に拘っていたのである。しかしおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしんの本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。
やがて伊勢に根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋を軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である。
竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋をアメリカ式のレジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである。
魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業の原動力となったのは次男の仁である。おしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社をリードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。
こうしてみてくると、おしんは実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域に根付いた商売をしたかっただけである。
極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域の実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正、戦前、戦後とその時代時代でおしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうとき、おしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的な人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。
もちろん、おしんにはおしんの商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることである。おしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理と人情に生きようとする人なのである。
大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員の健康、福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場で結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢で魚屋の店舗を構えることになったときもおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。
またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前の土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしんの人生最大の恩人は16歳のときの初恋の相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。
おしんの物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。
https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く
仲田・川村は決まりやろうなあ。リリーバーは足りてるから、緒方かな。
現在、ソフトバンクの支配下選手は62人。野球協約の「日本プロ野球育成選手に関する規約」の第3条に「育成選手を保有できる球団は、当面、現に『支配下選手』を65名以上(7月末日現在)保有する球団とする」と定義され、さらに「育成選手を保有し6月末時点で支配下選手が65名に満たない球団は、育成選手を支配下選手に移行するか、または新たな支配下選手を採用するかについて7月末までに実行委員会にて説明しなければならない」と明記されている。
つまり、育成選手保有の条件である「65人」まで、まずは支配下枠を埋めることが必要になる。育成選手にとっては、最低でも「3」、うまくいけば7月末まで最大「8」の〝空き枠〟があるのだ。
オープン戦で1軍帯同している内野手登録ながら外野も守れるユーティリティーの仲田、俊足の緒方、強打の外野手・川村、
さらにはこの日の教育リーグで大竹の後を継いで8回に登板した中村亮ら、支配下入りを目指す育成のライバルたちがひしめいているが「大竹の特長は、三振を取っていけるところ」と松山2軍監督が評しているように、リリーバーとしての適性は十分に見せ始めている。
昔からおる
「吉岡さとみです。私はこう思います」と個人が文責を負うような主張をしない
「6歳の息子がいるママなのでこうなってしまいますこう思うのが当たり前ですよね?」みたいなスタイルをとる
自分個人<息子のゆうた、みたいな体裁をとりながら自分の主張をする
そしてゆうたの考えを母親の自分は完全に理解しているから代弁できるつもりでいる
こどおばだろうが、子持ち専業主婦だろうが、文責負わずに自分の主張をしようとするのは変わらない
男だと「普通の日本人です」になる
「川村たつやです。私はこう思います」的な姿勢は絶対にとらない
「在日朝鮮人やクルド人の侵略から、我々日本人は美しい日本を守らなくてはならない」みたいになる
ゆうくんママなので、普通の日本人なので、「このように"思わされる"のは自然のこと」という共通の感覚がある
思っているのではなく思わされているし、主張しているのではなく主張せざるをえなくなっている
並べてみた
[B!性犯罪] 幼い女児に薬飲ませ、眠らせ 集団でわいせつ行為の疑い 男5人逮捕:朝日新聞デジタルhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS1H6RD3S1HIIPE00Z.html
[B!司法] 『取調べを公開します』https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/scho/entry-12837007870.html
s2kw 切除でよろしく。制欲も湧かなくなるらしいので一石二鳥では?永遠に残るサイトに顔写真とGPS座標のリアルタイム表示もよろしく。
s2kw これ言われてどれだけ時間かかったのか。是非、公開時は検察の名前や顔も一緒に表示するようにして欲しいモノですねぇ。まともな自浄作用は衆目にさらして初めて機能し出す。
okami-no-sacchan 殺していいと思う。治らないよ
okami-no-sacchan こいつ全く取調べしてねーな、心理的に追い詰める以外に能力のない無能か。公務員なら名前出しちゃって良さげじゃない?
hobo_king加害者連中に対しては罵詈雑言しか出てこないので自重せざるを得ないが、とにかくお願いだからこいつらを二度と泣いたり笑ったり出来ないようにしてやってくれ。事件
hobo_king人格や仕事の否定ばかり積み重ねる行為を取調べと呼ぶのはどう考えてもおかしい。被疑者と言うだけであらゆる人間的権利が剥奪されているようだ。この川村政史検事とやらの仕事はモラハラとかですかね……?司法これはひどい
kusanon かわいそう。怒りしか湧かない。厳罰を。薬服用させるのも超重罪だし、致死などにむなりえることだよ。許せない。
kusanon民度低いなあ。
https://ameblo.jp/scho/entry-12837007870.html
この記事の中の
いつも自分たちがやっていることでは?
「◯◯の言ってるアレってなんなんですか?〇〇も全然分かってないんじゃない?」
「趣味でしかやれない人。プロではない。資格がない。今回実感できたでしょ?あきらめてください。無駄なんだから」
「時計を見て終わるのを待ってるだけ。これが上級国民の考える黙秘権の行使なの?」
「学生時代の◯◯を見ても頭悪いのは明らか」
「全体の品位を貶めているだけ」
「どういう教育してんだよ」
「お前は被疑者なんだぞ?」
「やっぱり社会性が欠けていると言わざるを得ない」
「明確な嘘つき。詐欺師」
(´•ω•`; )
普段自分たちが批判している行為を他人がやっているの見て「こんな酷いことがよく出来るな」って平然と言えるの凄いな……
こっから出来る自己弁護って「公式の場所ではやらない」とか「面と向かって悪口を言ってるんじゃない」とか「ただの陰口でしょ?本人には届いてないから大丈夫だと思うが」とか「だって◯◯は明確に悪人じゃん」とか「被疑者ではなく確定した犯罪者だからセーフだろ」とかしかないと思うんだけど、それってこれまた他人が同じことやったら「言い訳になってない」「素直に訴えられろ」「諦めろ」「裁判になったら勝てないでしょ」とか自分らは言うんじゃないかな?
推察で他人を犯罪者扱いするなとかじゃなくて、実際に犯罪者や税金泥棒や社会不道徳を前にしたとしてもそれを罵倒していい理由にするのやめよ?
サバサバとかそういう表現で誤魔化せる段階を逸脱してる明確な罵詈雑言が溢れすぎているよ。
まあ確かに現代の社会ではまだまだ大人も子供も皆すぐそういうこと言うから他人にバカとかアホとか死ねとか泥棒とかガキとかキチガイとか許さんとか殺すとか平然と言うのが普通みたいになってるけどさ、こんなの次の50年では完全に時代遅れになるんじゃないかね?
昭和の時代は平気で人が路上で殴り合ったり上司が部下のケツ触ってたのが今では完全におかしなこととして扱われているのと同じように、令和という時代が全然未熟で人類の社会性が幼すぎたから許されていたってだけになるんじゃないの?
50年モラルを先取りしようや。
モラルの先取りしても損することって何かある?