
はてなキーワード:就職とは
もう欲しいもんなくなってく感じサブスクで
漫画もアニメもゲームも音楽も小説も映画もAVも地図も電話もスポーツ観戦も勉強も買い物も就職も株も宿泊予約もツアー予約も会議もプログラミングも動画制作も配信も料理方法も栽培方法もニュースも天気もみんなPCとスマホがあればできちゃう
もうなーんにももたないみたいになってく
だってあの人達って、「いざとなったら本当に自分たちが人殺しの道具で殺し合う」なんて感覚持ってないでしょ?
ましてや「国民のためにいざとなったら自分たちが肉盾として犠牲になる」なんて覚悟ないでしょ?
そもそもそういった「軍人としての責任」を理解できるほど精神年齢が高くないと思う。
小学15年生として入隊して、小学50年生として除隊されるって感じだろあの人らは。
まあぶっちゃけ、高校や大学出たばかりの社会人1年生って大多数が小学15年生なんだよね。
でも普通の会社で働いてるうちに「自分の出力する生産性に社会人として生かされていくだけの価値があるのか」って篩にかけられていって、段々と「あっ、俺この感覚のままじゃ駄目だわ。自分の仕事の意味ちゃんと理解しなきゃ」って考え出す。
トップダウンで降りてきた「業務目標!訓練で💯満点💮を取る!」のお花畑感満載の指針の中で30年働くだけだからなマジで。
確かに「訓練が始まるまでにこの機材治さねえと駄目だろ!」とか「マニュアルのココまでは10分で終わらないと駄目だろ!」とかの指導はあるんだろうけどさ、どこまで言っても「訓練のための訓練」で止まってるんだよな。
消防士とかも訓練ばっかの日々だけど年に何度も実際の現場に行くわけだしさ。
まあ自衛隊も災害救助とか海賊対処とかスクランブル発進とか無くはないよ?
米軍の兵士はブラックホークをダウンさせて自分のメンタルをダウンさせまくるけど、ジャップ兵がトモダチとして作戦参加するときは後ろの方で兵站維持して飯炊して終わりやんいつも。
「本番」を知らないんだよね。
たとえば医者だって「実際に生きている患者に対して手術を行う」って経験を1回やった人とそれ以外でマジで全く目つきが変わるっていうじゃん?
エンジニアも趣味で物を作っていた所から現場で実用レベルのものを要求されて「この出来では商品にならないよね」って初めて言われる前後の一週間でやっぱ別人になるっていうか。
自衛隊員にはそういう「自分の本当の生産性を問われた瞬間」がないんだよね。
社会人1年生マインドの奴が20年働いて曹長になった所で、結局は小学40年生でしかないわけですよ中身は。
そんな奴らが集まったところで結局はキッザニアなんですよ。
それはある意味で素晴らしいことだけど、ある意味で不幸だよね。
自分が小学50年生でしかなかったってことに引退した最初の仕事で「あの・・・◯◯さん・・・年上の人にこういうのもなんなんですが・・・何年社会人やってんですか・・・」って言われて初めて気づくんだよ。
不幸だよなあ。
可哀想だよ。
自衛隊という組織は巨大な虐待装置であり、そこに就職するのはセルフネグレクトでしかない。
自分の人生を大事にしたい人、価値のある人間になりたい人は絶対自衛隊に入るべきじゃないと思う。
「あいつら"西のハーバード"とかイキってるけど本気で言ってんの?」
「さすがにそれはあんま聞いたことないけど、"西のノートルダム"はずっと言っててウザイ」
「あの傲慢さなんなんだ?コロラド鉱山大と同じで誰でも受かるじゃん」
「しかもコロラド鉱山大のほうは酒浸り、ドラッグ自由にやれる校風でいて就職もいいからな」
こんなやり取りがあって、マジで日本と同じなんだなと驚かされた。
日本人って「アメリカの大学はコミカレでもない限りあらゆる日本の大学が太刀打ちできないほど入試に求められる学力が高く、在校生の専門性や知能も日本の名門大学生を遥かに凌駕していて、もうそもそもオツムの出来が違うから逆立ちしても敵わない」くらいに大騒ぎするけど、あれもしかしたら大嘘なんちゃうか?
なんか地方私大が"〇〇の慶応"を自称して爆笑されてる感じとか、言うだけタダの自称ですら東大や京大の名を出すのを慎む腰抜け感が似ていて(自称ノートルダムだし)、「日本と同じでそこらへんの冴えないやつがなんとなく進学する有名大たくさんあるんじゃないか」と思った。
以前はてなで「合格に求められる学力的ハードルが東大よりしんどい大学って世界中探してもインド工科大くらいしかなくて、受験地獄経て超高倍率突破しないと行けない中韓の最難関大ですら東大入試と比べたらザコで」みたいな実情書かれたエントリーにブコメの大半が発狂してたし。
あと留学相談サイトでアメリカの大学の入試難度見てても全米大学ランキング100位だろうと200位だろうと「凄くハイレベルで優秀じゃないも入れません」評ばっかで嘘くさいんだよなあとにかく。
大学生の間に何かしら有名プロダクト作って、この世界にそれなりの爪痕残しておけば新卒で真の意味でのプライドと自信を持って就職できる
しくじり散らかしやらかし散らかす
Abema見たけど、東大4年生で、今回社民党を応援していたメガネっ娘…
とんでもないデジタルタトゥー来たなぁ
就活はもう終わってんのかな?
お仲間のNPOとかに就職ならいいけど、もし就職先が一般企業だったら、今頃内定先企業の担当者は頭抱えてるだろうなぁ…
あと数ヶ月でアレが入ってくるのか…
と。
共働きサラリーマンの家に生まれ何一つ不自由ない暮らしをしてきた。小学生の時から習い事をさせてもらい、中高一貫校に通わせてもらった。
受験もうまくいった、旧帝大の機械学科に進学し大学院も無事卒業して最大手の機械メーカーに就職した。
正直人生上がりだと思っていた。両親のように家庭を持ち、大きな家と自家用車2台を買って同じような境遇の子供を再生産する運命なのだと思っていた。
しかしうまくいかなかった、俺は想像以上に社会に対する適応度が低かった。
設計職としてやる気に満ち溢れていた俺は、毎日現場に怒鳴られ、品保にダメだしされ、調達にすっぽかされ徐々に気力を失っていった。
入社当初に持っていた新しい概念の製品を出すという志は消え、感情を殺し省力で定時を迎えるRTAに没頭するようになっていた。
適応度が高ければこの生活に慣れて家庭に集中するようになるんだろうが、俺はダメだった。
目の死んだ、コルチゾール臭のするゾンビ人間のような上司のおっさんに収斂していく自分が耐えられなかった。
姉は東大卒のエリートサラリーマンと結婚し、都内のタワマンで贅沢暮らし。俺は実家の子供部屋で死臭を放つ、この対比も耐えられなかった。
血便が出て、出社前に自殺の歌を歌うようになったころ、さすがにおかしいと精神科に行くと適応障害と診断された。
俺は退職を決意した。両親のような人生からのドロップアウトも決めた。
今の俺は自由だ、マイクロ法人を立てて“節税”しつつ、グレーな“副業”とチンパン投資で前職なら40歳でもらえてた年収を稼いでいる。
社会は俺に手を差し伸べてくれなかった、助けてくれなかった、はじき出した。だから俺も社会に手を差し伸べない。
F先生は若い女性だった。よく笑う人だった。色白で目の充血が目立った。学年全体の合唱練習の時、ノリノリでみんなの前でマイクを持って歌う人だった。小柄でよく人にぶつかり、児童の足を踏むことがたびたびあった。要領が悪くて生徒を苛立たせたり、少しヒス気味だったりするところはあっても、F先生の特徴はそれぐらいだ。極端に嫌われる理由は先生にはなかった。私たちははけ口を欲していた。F先生でなくても誰でもよかったと思う。娯楽だった。
私は友人に混じって、毎日F先生を「デメキン」「早く死ね」と陰で笑って罵っていた。
心の底から笑っていた。呼吸困難になるほど爆笑していた。友達と笑い転げている時、罪悪感は全くなかった。
「死ね」「消えろ」という言葉は、笑いが止まらなくなる娯楽だった。
数年後、父の転勤に伴い私は地元を離れた。しばらくして小学校時代の友達A子に再会した。
A子は元6年✕組だ。まさにF先生の受け持ちのクラスにいたA子は、特にF先生を嫌悪していた。私が最もF先生の中傷で爆笑し、毎日のように盛り上がっていた友人がA子だった。
A子は激変していた。見ていて不安になるほど痩せ細っていた。小学校時代に受けたいじめが原因で、高校で心を病んだという。不登校になり留年をしたが、薬と食事療法で回復した。
母校の同級生たちの近況を詳しく教えてくれた。最後にA子は言った。
「F先生、去年亡くなったって」
その言葉には小6の時の憎悪は込められていなかった。ただ懐かしんでいた。
え、そうなんだ。
私もそれしか言えなかった。
それ以上聞けなかった。
以来、私は折に触れてF先生の死を思い出している。
私の「F先生のデメキン、早く死ね」が、先生を死に追いやった。
そう思う。
そうとしか思えない。
本人の前で言ったわけじゃない、陰で仲間と盛り上がっただけだ、とか、そういう問題ではない。私は言葉によってF先生を殺した。F先生を死に追いやった無数のナイフの1本になった。
ナイフを刺された人間はその痛みを忘れない。ナイフで刺した人間はあっけなくそんなこと忘れる。挙句、刺された人間からぶつけられる恨みや憎しみを「そんなこと早く忘れろ、みっともない」とさえ言う。
なぜ被害者の人生をめちゃくちゃにした加害者がのうのうと生きているのだろう。
私の母は、実の両親(私の祖父母にあたる)から虐待を受けて育った。そうして40過ぎに精神を病み、家から出られなくなった人だ。
母が病み始めたのは、ちょうどF先生が亡くなった知らせを聞いて一年くらいたった後だった。
私は祖父母を恨んだ。心から恨んだ。なぜ被害者の人生をめちゃくちゃにした加害者が、謝罪一つなく、のうのうと生きているのだろう。
早く死ねばいいのに。同じ苦しみを味わえばいいのに。
そう思った時、F先生のことを思い出した。
ずっと忘れていたF先生のことを。
私の恨みや憎しみが、そのまま自分に返ってきていた。
どうして私は生きてるんだろう。
同じ苦しみを味わい、早く死ぬべきだ。
私は人見知りだった。人の顔色を窺いまくるというか。自分が申し訳ない、と思うことに耐えられない。毎日F先生のことを思い出すわけではいし、むしろ忘れている時間の方が多い。
あれから、私には親しい友達がいない。誰かと仲良くなっても、ずっと心の底では恐ろしい。私は頑張って笑っている。謝ってばかりいる。ギャグ一つ言えない。
F先生のことがあったからかもしれないし、私のもともとの人見知りのせいなのかもしれない。
とにかく、私はあれから人を信じられずにいる。
母のことさえ、恨んでいる。
転校した高校で親しくしてくれた女の子がいた。馴染めずにいた私と手を繋いでくれた。刻名した万年筆をくれた。私が彼女を信じられずにこちらから裏切るような最悪な真似をして、喧嘩別れした。
母の心の病で学校に徐々に行けなくなっていた私を、熱心に支えてくれた恋人がいた。不安定な私は彼を信じられず、重荷に感じるようになり、別れた。
高校を卒業して、母と揉めるようになり、私は母を見捨てた。一人暮らしを始めた。
私は介護施設で働いた。高齢者の介助では自分が救われるような心地を覚えた。だが、新人の私は仕事の覚えが悪く、遅かった。馴染めなかった。先輩たちに認められずにいる状況に耐えられなかった。私は私を責め続けて、半年もたたずに辞めた。
私には最も好きだった友人がいた。彼女といると心がずっと動いていた。涙が出ることもあった。就職を機に一緒にルームシェアをして住み始めた。
私は最も好きな友人と一緒にいることに耐えられなくなった。好きだから耐えられなかった。耐えられなかった。介護施設を辞めて転職したことを機に、ルームシェアを解消した。
幸い、母は回復した。
家から出て働けるようになった。行政の福祉手当を受けて就労支援に通い、職を得た。
私は地元から離れた場所で、一人で暮らしている。友人も恋人もいない。
光田秀『眠れる予言者エドガー・ケイシー』によれば、憎しみを憎しみで返してはいけない。業(カルマ)は愛と忍耐によって克服できるからだ。憎悪は良縁に変えられる。神は人間に克服できない業を与えない、と記してあった。
母は「あの人たち(両親)が早く死ねば私は楽になれるのに」と繰り返し零していた。
母は両親と縁を切っている。
私も少なからずそう思う。だが、母は心の底では本当は、「お前、そんなに辛かったのか。本当に悪かった。謝って許されることではないが、謝らせてくれ」と両親が母に寄り添うことを望んでいるのだと、私にはわかる。
F先生は何を望むんだろう。
龍が如くや悪役ざまぁみたいや路線でいけば、恐らく、自分を馬鹿にした子供らが大人になり幸福を知り、その幸福の頂点で転落し、ドン底の絶望を味わい救われることなく死んでいくのを望むのかもしれない。私は恐れている。
でも、そう思うこと自体、F先生に対する冒涜なのではないかとも感じる。
5年生のキャンプファイヤーでは、ファイヤーパフォーマンスのサプライズがあった。
5年生たちがぐるりと囲む焚き火の前にたった一人、小柄な女性が現れた。なんとF先生だった。
両手に長いトーチを持っていた。明るく燃えさかる炎を、F先生はジャグリングのように振り回して踊った。かっこよかった。私たちは最後、興奮して拍手を送った。
キャンプファイヤーが終わる。ぞろぞろと列をなしてテントに戻った。
私は火の消えた松明を持っていた。まだ楽しい気分が続いていた。松明はまだ熱く、先から煙がたなびくのがおもしろくて、振り回して遊んで歩いていた。「危ないよ!誰かに当たったらどうするの」と後ろから肩を叩かれた。F先生だった。
「もー、駄目だよ。あなた何組?」
混んでいる暗い山道だったから、F先生は私の顔がわからないみたいだった。どきどきして、怒られるのが怖かった。私は人波に流されるようにしてなんとかF先生から離れた。
私とF先生が話したのはそれきりだ。
男は社会で求められるレベルが高いって、何処を見て言ってるんだろ
就活中でも就職してからも、男は求められるレベルが低くて羨ましいと思うが。
集団面接であからさまにキョドってたり、職場で挨拶しなかったり、力仕事は他人に丸投げだったり、会議でだんまりだったりしても許されてるのはみんな男だが。
婚活で収入を求められるとかそういう話なら、そりゃ、これだけレベルが低くても許されてる以上、高い収入が約束されてるようなものなので、にも関わらず低収入なのは甘えだと言われてるだけの話だろ。
チームみらいが提唱する「調べなくても支援が届く社会」とは、母のような可哀そうな子ども(実母が3歳の時に死去して義母に育てられ、義兄などが実母の財産を乗っ取り、本来の遺産が一切受け取れない子)が存在しない社会。子ども時代の母を誰かが助けるべきだった。でもどうすれば助かったのか。そもそも乗っ取る人が悪いのでは?
思い出した。
昭和21年生まれの母は実は非嫡出子なのだ。祖母の前夫が戦死し、その後、知り合った既婚の男性(祖父)とその子どもたちと同居するようになり、母と母の弟(叔父)が生まれた。
今ならば不倫と非難されるだろうが、祖父の前妻は病気で妻の役目を果たせず、どうも祖母が子どもを育てていたらしい。
以降、認知こそしたが籍は入れずに同居し、第2子となる叔父を出産した直後に祖母は死去。
祖母の前夫の家に、祖父とその子どもたち3人、祖母の前夫の子ども2人(女2人)、母と叔父が残された。
この時点で、本来なら祖母の前夫の家は、子ども4人に相続権があるはず。しかし、祖父が住み続け、成人する頃に、祖母の前夫の子ども2人は出ていったと聞く。
男手一つでは乳児は育てられないので叔父は裕福な家の養子に出された。その後、祖父は後妻を迎え、入籍してさらに子どもが2人生まれる。
母が中卒で就職して家を出たとき、祖母の前夫の家には祖父とその子5人と義母(後妻)が住み続けたようだ。
子どもの頃からお金がないと言って育てられ、実父からは認知だけだったので家族で一人だけ苗字が異なり、
すでに高卒が多かった状況で中卒だった母は卑屈で疑い深く、成人してもお金にがめつい性格だった。
口癖は「お金がない」と「(自分に対して)育ててやっている」「産んでやった。産んだことは後悔していない」。
どう考えても母本人の生育環境に問題がある。チームみらいや一部の自民党政治家が訴える「困っている人に届くプッシュ型支援」は、
養育者を亡くした10歳以下の子に届くのか? いや、さすがに届かないだろう。
現在、祖母宅(母の実家)があった土地に新築した家には祖父の前妻の長男(故人)の一人娘が住んでいる。未婚なので相続人はいない。
確認していないけど、予想される土地の名義人は、戦死した祖母の前夫→祖母→祖父の前妻の長男→長男の娘なんだよ、どう考えてもおかしいだろう。
ここに書き記したなかで最も不遇なのは祖母が前夫との間に産んだ娘2人である。異父妹ならまだしも、無関係の同年代の子どもと長年同居し、
自分は氷河期世代をギリギリ抜けたぐらいの時期に就職した人間だ。
Rebuild.fmを長年聞いている。
Rebuild.fmに出てくるような氷河期世代のIT系の人間は、この世代では数少ない、割と良いキャリアを構築して生きてこられた人種ではないかと思う。
しかし、この番組に出てくる尊敬する先輩方の価値観が、AIの時代に古くなりつつあるのを感じる。
プログラミング能力が高いというのは足が速いぐらいの能力にすぎない。
足が速くても車どころか自転車に乗ったほうが速い。
彼らはもう今までのスキルを捨てて新しい時代に適応するのがさすがに難しい世代ではないかと思う。
ここ最近男子学生が同級生女子の盗撮写真や裸の写真を送らせて拡散とかそういうのあったけど、過去学生時代に似た事案で男子生徒が厳重注意で済まされたので、加害者たちをイジメ抜いて退学に追い込んだ。
大した処分も受けてない加害男子生徒はみんな退学に追い込もう!
被害発覚前後から被害女子が不登校(自主退学はしてなかったはず)になっていたが、加害男子たちは一定程度の停学とか注意で済んでた。
その状況を最初は遠巻きに見てたけど、
ヒエラルキー上位層の女子(上の下ランクくらいの元気な運動部女子たちとか)のうち、良くも悪くも思ったこと言っちゃう子が加害男子たちが揃って歩いてた時に
「お〜〜〜犯罪者のお通り〜〜www」って言って、触れちゃいけない話題(被害女子もいるからあんま話題したらかわいそうだよね感)になってたところ、そんなこと言ったから不意打ちで女子たちも思わず笑ってしまって、そこが始まりだったように思う。
言ってもいいや感がでた。
被害女子が上の下ランクのこの運動部層の子だったのもあると思う。
何かあるたびに「犯罪者が何か言ってる〜」みたいな言葉で笑いながら詰めたり、
「警察呼ぶぞ〜!あ、なんで既に犯罪者なのに牢屋じゃなくてここにいるの〜?」とか
それやりまくってたらまずは加害男子たち数人が他の男子からも距離を取られるようになった。というか加害男子たちだけで固まるしかなくなったのかもしれない。
最初は当事者の加害男子と、そいつらと仲良い男子からやめろよとか言われてたけど「犯罪をやめなかったのは誰ですか〜?」「なにしてこうなったんだっけ?」「被害者は学校に来れないのによく来れるよなwww」とか本人がいるところで聞こえるように言いまくったら一番の主犯は不登校になって退学になった。関係してる加害男子もずっとハブられてて一人は不登校だったかな。誰かとつるもうとする度に女子全員で目を光らせて「なんで犯罪者とつるんでんの?」「警察連れてってくれるとか?笑」とか言って牽制してたし、同じ大学になりたくね〜〜〜とか、同じ大学なったら学校中に性犯罪者いるって教えてあげなきゃだ〜〜!被害者増えちゃう〜〜〜とか言いまくってた。
ほんとはここまで追い込んで被害者よりも死にたくなるまで追い込まないといけねえんだよな〜。
高校生の私刑に巻き込まれたくなければちゃんと実刑受けさせてまともに進学も就職もできずに自死選ぶくらい追い込まないとだめだわ。
娘の進学について、もし自分と似た所があったら何を助言できるかなぁと考えて過去を整理したので、ここに書き留めておくことにする。
中学受験コースに通い四科目の勉強を始めた。途中から社会の勉強がつまらなくて(楽しんで覚えられなくて)、二科目コースに移った。すると受けられる学校の幅が狭くなり、その中には強く行きたいと思う学校も無かったので、嫌になって中学受験コースから学校のサポートコースみたいなコースに編入した。
サポートコースは受験コースと比べると当然易しい内容で、簡単すぎると感じることもあった。
中学に上がると流石に高校受験を目指すコースになったが、そこでは上位クラスをキープできた。小学校の頃の助走があったこと、最初から三科目で行くと割り切っていたことも大きかったと思う。五科目で理科社会をやっていたら潰れていたか、結果的に総合的な偏差値を下げていたと思う。(社会は相変わらず覚えられなかったので……)
夏期講習や夜遅くまでの授業、正月特訓などを経て、無事に高校受験には成功した。
さすがに塾に通うことにはうんざりしていたので、絶対に予備校なんて行かない、大学の付属校に行くぞという気持ちで付属校ばかりを受けまくり、五校のうち四校に合格した。
高校ではその後、色々な点で苦しみながらも、友達や趣味に恵まれそれなりによい思い出を持った状態で卒業することができた。
苦しみについて補足すると、学校の授業で学び、家で宿題をするという当たり前の習慣に馴染めなかった。要するに勉強するモチベーションが沸かなかった。鬱に近い状態であったと思う。
勉強しなくてもちゃんと成績が取れる、という世界線を望んでいたのだと思われる。しかし自分はそのような天才ではなかったので、普通に悪い点を取ってはしょげてた。
それを認識した上でも、まだ勉強することに面白みを見いだせない時期が続いた。勉強は苦しみであった。もしも、目的意識がある、学問領域としての面白さに気付く、得意な科目で無双する、楽しんで競争する、といったことが出来ていたら、また違ったのかもなぁと思う。
そういう意味では情報の授業では割と無双してHTMLやJavaをやっていたかもしれない。
あとは、試験勉強を友達と学校やファミレスでやるというのも、楽しかったな。それに、そこで救われていたとも思う。
その反省も踏まえ、エスカレーターで進学した大学ではこの勉強が次にどう繋がっていくか、ということを少しは考えていたと思う。
B1は学部内で学科が分かれずに、B2で振り分けがあるタイプだったので、行きたい学科に行くためにはよい成績を取らなければならない、しかもこの学習はB2の基礎になるはずだ……とまでは考えたのかは覚えていないが、それなりに頑張ったと思う。
学科への振り分けも決まると、ようやく勉強と職業との繋がりが見えるようになってきて、学んでおきたいというモチベーションは増えた。またB3では研究室配属があるため、行きたい人気の研究室に入るためには良い成績を取らないとなぁという観点でも、諦めたりすることは無かった。
また、サークルに参加したのも良かったし、普段から内部進学の友達やB1でクラスが一緒だった友達とつるんでいたのも良かった。サークル活動に励んだり、喋ったりご飯を食べたりするのは楽しかったし、必然的に情報交換をして、頑張ろ〜なのかやんなきゃ〜なのか分からないけど、勉強のモチベーションになっていたのかもしれない。
サークル活動が専攻の内容ともリンクしていたことも価値があったと思う。これってどういうことだ?という疑問がサークル活動の遊びの中から生じて、別に宿題でも何でもないけど図書館に行って調べたり、活動の成果物を作るためにあれこれやったりしていた。
この頃は結構成績も良くなってきて、専門科目は一部を除いて良くできていた気がする。
そんなこんなで気になっていた研究室にも入ることが出来て、やりたい分野の企業にも就職することができた。今の仕事にも満足している。
勉強の苦い経験というのは、成長しているということであり、多かれ少なかれ苦しむことになると思う。その時に折れないで頑張れるかどうかは、自分の経験では目的意識と交友関係が大事だったのだと思う。
娘には、色々な事に興味を持てるといいね、仲間と一緒に遊んだり勉強したり色々やれるといいね、という方向性を提示していきたい。
動物管理センターに行くと、「寂しいから」「癒されたいから」と気軽に買って「転勤で引っ越し先がペット不可」「結婚相手がアレルギー」「うつになって世話できなくなった」と捨てられた犬猫が沢山います。特に就職や転勤シーズンの3月はそういう犬猫でセンターが溢れかえりますね。
よく保護団体が「独身不可」「転勤あり不可」の条件つけてくるのを「厳しすぎる」「何様だ」と叩いてる人たちがいますが、愛護団体はそういう現実を身にしみて知っているからそうなるのです。飼えなくなったら面倒見てくれる人を確保しているのならいいですが、捨てるような人たちは「転勤や就職で引っ越すのは不可抗力なので、犬猫は捨てていくのが当たり前である」と固く信じているでので自分で譲渡相手を見つけることはありません。捨てます。
軽々しく独身者に犬猫を飼うよう勧めるのは辞めましょう。そろそろ3月ですので、3月末に動物管理センターに行ってみてください。きっと「引っ越すから」と犬猫を捨てていく人たちに会えるでしょう。
留学生が日本の専門学校に入る際に「PC(ノートパソコン)が必要です」と言われると、現地のお店でのPCを購入しちゃう問題。
その後「日本で就職したいです」と言われてもキーボードが日本仕様のもので無いとすれば非常に問題になるんですよね。
当然ベース言語も母国語とかで、日本語での指示内容と一致させずらいし、教員も把握しにくい状況になる。
たのむから「日本で購入」するように指示を出し、必ず現物を教員に見せる、ログインできる状態にしたらデスクトップ画面を確認すること。
そして教員は定期的に(抜き打ちで)デスクトップ設定などを変えていないか調査しましょう。
特徴
外見競争が非常に強い
整形が社会的に受容されている
なぜ影響が強いか
👉 ただし
「変わりやすさ」は実は高い
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2位日本:(日本は)一国家、一文明、一言語、一文化、一民族、ほかの国さがしてもございません;麻生さん
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-08-02/2013080202_01_1.html
特徴
同質性が高い→日本人以外存在しないという前提の社会構造だった。
明確な差別は表に出にくいが、選好として残る
👉 ただし
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特徴
男女とも外見要求が高い
👉 ただし
就職したことがない。アルバイト、フリーター生活。ゆるっと始めた朝までやってるバーで働いて6年。能力が無いので役職も与えられず、この頃は無駄に歳だけ重ねている。伸びしろも意欲も人気もやる気も人望も無いのでコマにもなれない。新しく入った若くて元気な子達が入っては2年ほどで辞めていく。その空白を埋めるだけになった。
まわりの子は20代前半。系列店のガールズバーには17歳の子だっている。ババアに気を使わせてしまって申し訳ない。
。
今日はバレンタインイベント。新しくできたガールズバーなコンカフェ系列店へ出勤。猫耳つけてフリフリの衣装を着る。しんどい。
1人目、
昔からのお客様の来店予定のためチョコを用意。三越の地下でお菓子を買っていく。バレンタイン催事場へ行く元気はなく。チョコを渡した。「人生は喜ばせ合い」って言って嬉しそうだったな。よかったよかった。
。
2人目、
お客様誰もいなくなったので営業LINE。連絡ひとつで来てくれるので都合がいい。アラサーを嘆いたら求婚されている。モテてると勘違いしてしまう、これだからやめられない。
念願の脱サラを成し遂げたわけだけど、鬱になった
漫画家として軌道に乗ってから仕事を辞め、部屋を引き払い、実家に帰って子供部屋おじさんとして実家で仕事していた
好きなペースで仕事して、好きな時に寝て、好きな時に出歩く
アシスタントはリモートで、自分の場合は担当通して仕事をお願いしていたので直接の会話はもちろん連絡すらしたことなかった
会社員時代に夢見てた生活をしていた訳だけど、仕事の調子が悪くなった時に一瞬で精神的に参ってしまった
先輩は今まで俺のような漫画家を山ほど見てきたようですぐにアドバイスをくれた
・生活習慣
好きな時に寝て好きな時に起きる(ほぼ昼夜逆転)→朝家族と一緒に起きて夜には寝る
・仕事場
好きな時に仕事して好きな時に起きる→仕事するのは平日の5日間、時間は朝9時から夕方5時半まででどんなに仕事が進まなくても夜9時には仕事を切り上げる
・人との交流
人との関わりは担当と家族だけ→他の先生たちやアシスタントと交流を持つ、編集部の紹介で漫画教室の講師も始めた、学生時代の友人や前職で仲良かった元同僚たちとの交流も再会
・運動
という感じ
自分の場合は通院とかせず、編集部の方のアドバイス通りに生活を見直してすぐに改善した
また、担当の先輩からは村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」をもらった
村上春樹の小説は読んだことなかったが、彼の創作論や仕事への向き合い方は本当にタメになった
創作活動している人もしていない人もぜひ読んでみて欲しい
その中で村上春樹が言っていたのが、作家にとっては仕事のリズムが大切だ、ということ
作家は好きな時に好きなだけ仕事ができるし、サボることもできる
しかし、ずっと仕事をし続けるにはやはりリズムを大事にする必要があるとのこと
サラリーマンが40年間仕事を続けられるのは、朝起きて同じ場所に通勤し、決まった時間仕事して、大体同じような時間に帰宅するというリズムがあるからだと
これは本当にその通りだと思う