
はてなキーワード:小学生とは
母親にも見せたいと思って呼んだら「みんなはこの時間に学校行ってるのにあなたはそんなしょうもない映像見て本当に虚しい。その映像もどうせフェイクだし、そんなの見てても何にもなんないんだよ」みたいなことを言われたのを、コアラのお母さんが子猫を養子にAI映像見て思い出して苦しい
波浪警報という言葉を耳にして、ハローって言ってるみたいで面白いねと言ったら、「みんなそれ学校で勉強してんだよ」と吐き捨てられたのもついでに思い出して苦しい
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不登校だった小学生の時にニュースで見かけたシロクマの親子の映像が可愛くて、母親にも見せたいと思って呼んだら「みんなはこの時間に学校行ってるのにあなたはそんなしょうもない映像見て本当に虚しい。その映像もどうせフェイクだし、そんなの見てても何にもなんないんだよ」みたいなことを言われたのを、コアラのお母さんが子猫を養子にAI映像見て思い出して苦しい
波浪警報という言葉を耳にして、ハローって言ってるみたいで面白いねと言ったら、「みんなそれ学校で勉強してんだよ」と吐き捨てられたのもついでに思い出して苦しい
他人に配慮した嘘をつけない障害者だから本当のこと言ってるって信じられること。
私は小学校低学年のときに男子に「顔真ん丸やな!真ん丸!!wwwww」と爆笑されてずっと丸顔が嫌だった。
それで社会人になってからの飲み会で「丸顔いやなんですよね~」と言ったら、陰でアスペと言われている男性の先輩が聞いていて「丸いか?」と言われた。
その言い方が本当に丸いと思ってなさそうな言い方だったから、もしかして私は丸くないのかもしれないと思い、過去の写真などを探すと、
男子に爆笑された小学生の頃は明らかに丸顔だが、高校生くらいから顔が丸くなくなっていっていた。卒アルの集合写真で大勢のなかで私の輪郭をみたとき、別に普通だった。
丸顔が嫌だというのは母親に5回くらい愚痴ったことがあり、毎回「そうでもないよ」と言われていたのだけど、母親は配慮するタイプだから、どうせ思いやりから来る気休めの嘘なんだろうなと思ってしまっていたんだよね。
アスペと呼ばれている先輩が、発言が失礼なことで悪い意味で有名だったから、私などに配慮をするわけがないから、本当に丸くないのかもと信じることができた。小学生のころからの思い込みが、やっと覚めたというか。
ただし彼は本当に丸かった場合も「たしかに丸いな」っていうタイプだと思う。
毛深いのがコンプレックスだと言っている人にも「本当に毛深いな」と言うだろうし、太ってしまったと言っている人にも「本当に太ったな」って言うタイプだと思う。
アトピーで死ぬほど悩んで苦しんでいる人に対しても「顔洗ってる?」とか言うようなタイプだし。人格を疑いそうになるけど、そういう障害なんだから仕方ない。
誰もあの人と結婚したくないんじゃないかなと思う。急に酷すぎることを正直に面と向かって言うから気が休まらないだろうし、家に居てほしくないタイプ。でも今回の一件だけは感謝している。
小1からひきこもりでニートもやって累計20年くらいひきこもってたけど正社員で働いている。
社会に出るにあたって、個人的にこれはやってよかった、やめてよかった、と思うことをまとめた。
■やってよかったこと
・もしとりこぼしがあれば義務教育の範囲の勉強(就職試験にでてきたり、生活、雑談、趣味の基礎になる)
・くもんの小学生向けの敬語ドリル(よっぽど堅苦しいとこじゃなければ仕事で使う敬語はこれで事足りる)
勉強したい時はひとつの科目につき1日2ページとかでも全然いい。一年あれば大抵一冊終わる。
テキスト(参考書)はじっくりやって、資格とか取る時は勉強した範囲だけ問題集で復習、試験近くなったら問題集丸ごとやって追い込み!
■役に立った系統の本
・仕事を早く終わらせる系の本
・就職四季報(入りたい職場が載ってる場合、出てくる入社試験の種類が書いてある。対策しよう)
・履歴書の書き方の本
■仕事
経済的自立を目指すならライフワークバランスみたいなのはとりあえず考えなくてもいい思う
そういうのはちゃんと計画的に育てられた人かそういう風にやっていた人が考えることであって、それ以外なら仕事中心に生きるならギリギリ身体と心を壊さないくらいの仕事でいい。
たまにちょっと無理して友達と会ったりデートしたりそんな感じ。
もちろん選べるなら仕事もプライベートにも余裕のある働きやすい仕事の方がいいに越したことはない。……選べる?
大卒以外で入れるとこって、「責任重いし大変そうだし拘束時間長いし休みも少ない……」ってとこ除外しちゃうと生活できるお金手に入らない場合がある。
土日祝休み、お金も稼げて楽できてプライベート時間たっぷり……みたいな生活夢見ちゃうとできなかった時苦しくなるかもしれない。
お金稼げてキツイ仕事か、楽だけど生活や食べ物にちょっとだけ困るみたいな仕事かどっちかって考えると選択肢が増える。
個人的にそれでいいと思う。
だってそもそもひきこもりだったんだから理想の人生なんてなくて当たり前。
・前提
大多数の人間は他人を深く考えないし思い込み激しいし自己中心的なので「理解して欲しい」はダメ、そして厄介なことに「察しない」も大罪である。
大抵の人はネットスラングとしてのアスペくらい話が通じないし、ネットスラングとしての統失くらい妄想で周りを決めつける。そしてネットスラングとしてのメンヘラくらいめんどくさくて自己中だ。
ネットの優しい世界とかはなく、どんな身体的・精神的の疾患、性格や容姿のコンプレックス、変わった趣味趣向も差別されると考えた方がいい。
自分と気が合う人はそんな人の中に僅かに紛れ込んでいる……。そんな人はオアシスのごとく貴重なのである。
・優しい、真面目は美徳ではない。
意地悪しろとか怠け者になれと言ってる訳では無い。
優しい、真面目は表に出して褒めてもらうためのものじゃない。自分の利益のために利用するべきである。
能力が身についていない段階で優しさや真面目さを表に出すとどうなるか諸君なら痛いほどわかるはずだ。
そう舐められる。
「要所要所で優しいフリ、真面目なフリをしているずる賢い人間」の「フリ」をすればいい。
・とりあえず真顔、無口、は望まない敵を作る。
どのくらい激しいかといえば無表情=犯罪者 って思われるくらい思い込み激しい。
笑顔で挨拶!ことある事にしつこくならない程度にその辺の人に話しかける!
知り合って日が浅いうちは微妙な空気になることがあるが無表情で犯罪者扱いされるよりはマシである。そのうち向こうも笑顔で話しかけてくれるようになる。
無駄話などくだらない……みたいにやってると普通に排除するべき敵認定される。
人間って仲間じゃない=好きでも嫌いでもないじゃなくて、敵になっちゃうんだよね。
・見た目は親しみやすさと清潔感重視。芸能人やインフルエンサーを目指すな
変に着飾ると中身はどうあれ気取ってるとか金遣い荒らそうとか性格悪そうとか面倒くさそうな人と思われるのだ。
オシャレさん同士でのマウント合戦やこのレベルに毎日できなければ恋人辞めるとかみたいな鬼畜な異性が好きならいいと思うけど結構しんどい。
漫画のキャラとおんなじで、親しみやすさがないと好かれないし、漫画と違って魅力的に見せようとしたり個性を出そうとしたりすると仲間ができない。
■まとめ
空気読め
嫌われると分かりきってるところは表に出すな
さもなければ敵として排除される
しかも他キャラや他ジャンルに浮気(?)すること一切なく一途にそいつだけを好きでいる
美人ではないがしっかり者長女なので真面目で面倒見がよくオタク話は外では絶対にしないので探せば普通に相手は見つかるだろう(贔屓目)
二次元のキャラ(増田視点だとはっきりいってロクな男じゃない)に惚れこんでる以外は本当に良い姉なので報われてほしいんだが人様の趣味にケチをつけるのも違うだろうという気持ちもあり
息子は幼稚園に通う5歳の時、レゴとゲームが好きだった。公園に連れて行くと虫取りに熱中した。幼稚園でも砂場に穴や溝を作って水を流すようなことをやっているらしく、かけっこやサッカーといった身体を思いっきり動かすことには興味を持っていなかった。
息子は全体的に夫に似ている。穏やかで面白くてゆったりしている。
夫は小学生の頃運動が嫌いで体育が苦痛だったらしい。上手くできないし疲れるから嫌だったと。
そして多分、このままでは息子もそうなりそうな感じがした。
母親の私は昔から運動するのが好き。中高生の時は個人競技で全国大会に出て2回勝てるくらいの強さだった。
夫婦で話し合って、息子には小学生時点で体育が楽しいくらいにはなってほしいなーということになった。
無難に体操教室やプール教室を探したけれど、大体月謝が1万円前後で高い。
そんな時自治体がやっている月謝千円のスポーツ教室を見つけた。元気な身体を作るのが目的です、みたいなやつ。
安かったのでそこに入って週2で息子は運動をした。最初は何もできなかったから行きたくないと言う日もあったが続けた。
いまだにゲームとレゴが好き。将来はロボット作る人になりたい。
少し前にスポーツ教室でしっかりと、しかし基礎と1つの技しか習っていない個人競技の県大会に出て優勝した。
息子は金メダルをもらえて大喜びだった。
相手の子たちは競技を始めたばかりだったのかもな、うちは週2で頑張ってたから小さいうちに努力が報われる経験をさせてもらえて良かった〜くらいに思っていた。
昨日、近くで全国大会が開催されたので出場した。
県大会では勝つ経験ができたから、次は負ける悔しさやそこから立ち直る術を学んでもらえたらと思ったから。
そしたら3人倒して1回負けて3位に入賞した。
息子は負けて泣いた。負けた直後はもう試合に出ない、やめるといっていたが銅メダルをもらってコーチから褒められれると、次は優勝したいな〜とニコニコしていた。
相手の子たちはみな、親がクラブのコーチをして幼児期から競技漬けでハイエースで全国回って大会に出てるタイプだった。技が多彩。隙がない。上手い。
しかし息子は1つの技とタイミング、フィジカルだけで互角以上にやりあえた。
あれ、息子はもしかして強いのか?この時始めて思った。
全く無名の息子がいきなり出て勝ったから、いろんな指導者から話しかけられた。
いつからやっているのか、他のスポーツはしていたのか、親は何かやっていたのか。
そしてこの競技に特化したクラブに入って週4で練習すれば技を覚えられてもっと強くなるからどうだと誘われた。
私はちょっと運動ができるようになれば楽しいだろうな、くらいの気持ちだった。
競合チームに入ってたくさん練習したら、そりゃ強くなるだろう。
でも息子は家でレゴしてゲームして、ロボット作ることを選択できるような大学を目指して勉強するほうが幸せなんじゃないのか??
ゆったり昆虫図鑑見たり自由帳に僕が考えた最強の武器とか最強の敵を描いてる今の生活の方が幸せなんじゃ???
息子にもっと練習増やしたいから聞いたら、どっちでもいいよ〜とのことだった。
多分本当にどっちでもいいんだと思う。
何のスポーツだって、競技の世界は厳しい。私くらいのレベルでも中高生のころはほとんど練習だった。毎日5時間くらいやればある程度までは勝てる。けれどトップになれるのは才能の有無が関係することも認めざるを得ない。
ありがたい悩みだと思う。
教えてくれる先生も、頑張っている息子も、大会を運営してくれるスタッフさんにも感謝しかない。
まだ7歳の息子とはいえ他人の人生を左右する決定をするのが怖い。
Permalink |記事への反応(12) | 10:23
小学生の頃の友達が航空自衛隊に入って順風満帆してるらしかったり、
陸自から起業して成功したイケメンを知ってたり、弱者男性である自分が嫉妬してたりするけど、
まあ、人生、途中でうっかり死ななければ、意外と長いんで、気長に頑張ることを勧めるよ…😟
あと、今の自分の趣味ではないんだけど、人生は意外と釣りに似てるんじゃないかな、って思ってる…😟
竿にかかるまで時間がかかると退屈したり、つまんなかったりするんだけど、気長に出番を待つところとか、
魚がかかってからが人生の本番で、そこで失敗しちゃうと、また当面チャンスは来なくなっちゃうんで、
いつチャンスが来てもいいように備えておく、準備しておく、そのために短期的には報われない努力を継続することとか…😟
そういう地味でつまらない日々が大事だったりもするんで、落胆したり、イライラせずに、気長にやるべきだよ
「泣いたら殺すよ」下校中の小学生女児狙い性的暴行、男に懲役24年 千葉地裁
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20251014-EF6UEP5QH5K3JFDDQYVF7NR2SY/
これに対するブコメ
『何人もの子供の人生ぶっ壊しておいて24年は短く感じてしまう…』
https://b.hatena.ne.jp/entry/4777555507812194721/comment/kaishaku01
被害の重さを考えたら、当然の怒りだと思う。
待てよ、もしかして、それ自体が被害者をまた傷つけてない?って。
「人生終わった」って断言することって、被害者本人が「もう一度生き直したい」「人生を取り戻したい」と思って頑張っている可能性を、他人が勝手に否定しているのではないか?
本人がまだ「終わった」って思っていないのに、周りがそう決めてしまう。
それって、社会全体で「あなたの人生はもう戻らないよ」と言ってるようなものなんじゃないか。
セカンドレイプっていうと、「あんたにも非があったんじゃないの?」みたいな、被害者を責める言葉を思い浮かべる人が多いと思う。
でも、実は「善意のセカンドレイプ」みたいなものもあるんじゃないか?
加害者への怒りや、被害の痛みを想像するのは、自然な感情だ。でもその怒りの中に、「被害者の人生を勝手に終わらせる」視点が混じっていないか、ちょっと立ち止まって考えたほうがいいかもしれない。
面接官やってた上司が「まあ後2年ぐらいで上場できますよw」とか採用面接で言ってて震えた
N-2どころか主幹事証券も居ない、コンサルも居ない、監査法人も入れてない、まともに税理士にチェックされたら不備が100憶個ぐらい指摘される
まともに利益出てない(存続するだけで精一杯)、どこの市場に上場するにしても売上足りてない、内部統制ガタガタ、コンプラ存在しない(休日もメールチェックしろとか会社全体に発信するレベル)
離職率6割弱、まともに経理処理もできない(できる奴は全員消えた)、年次どころか月次決算もガタガタで四半期決算なんて無理
この状況で2年経ったら上場できるとかどんな会社だよ。夢見るのは小学生までにしとけ
しかも上場したら自動的に今の状況(資本とか利益部分)が全て解決すると思ってるとか頭お花畑かよ。むしろストイックに成果求められるからすぐに上場廃止するわ
利益出るから投資家は金を寄越すのであって、利益出ねえ会社に金を寄越す投資家なんて居ねえだろ。値段がつかねえってそういうことだよ
定期的に俺は上場会社に居たから詳しいんだムーブしてくるけど、子会社とか孫会社の末端レベルの知識でなんでそんなこと語れるのか不思議でしょうがない
まあかくいう俺も上場云々って話聞いてたから、すぐには無理でもコンプラ意識ぐらいはしっかりしてるんだろうなって入社したら現実見て絶望したんですけどね
パワハラと80時間越えの長時間残業で普通にメンタル病んだ。その割に会社のスタンスは労基署なんて怖くねえ!!みたいなチンピラムーブなの意味不明すぎてやばい
これとこれはこうなんで、こうですよね。顧問社労士でも弁護士でも法律で定められてるから同じこと言いますよ。確認してください。って言ったら要求通ったけど、専門外の俺ですら知ってる知識も知らない奴らが労務とか人事ってなんやねんこいつら
ほんとこれ。
しかもわざとなのかなんなのか、あれはどうなんだこれはどうなんだって小学生みたいなのが湧いて出てきてて頭痛い。
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
例えば今の小学生に
「昔はテレビゲームなんて無くて虫取りしたりしてた」
って言ったって羨ましがらないだろうな、と
江戸時代の遊びとかを見ても「これ何がおもしろいん?」ってなるのと一緒で
夏の風景だとかを羨ましがるのはそれを知っている大人だけであって
そもそも知らない子供からしたら別に羨ましくもないしなんなら不便そうにしか思わないんじゃないかな
芋掘りとか稲作とか楽しんではいても毎日がアレだとちょっと無理、みたいなこと言ってたし
「昔はAIがなかったの?どうやって生きてたの?」
みたいに思われるだけなんじゃないかと
小学生→壊してもよい。取り返しがつく。
中学生→壊してもよい。まだ取り返しがつく。
社会人3年目まで→壊さないほうがよいが、壊しても転職はできるので取り返しがつく。
50代→壊してもよい。
タダで名乗れない「なみえ焼そば」…売り上げ2・5%徴収、町商工会「PR資金に」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20251011-OYT1T50063/
thacaChasma飲食店で売上の2.5%は大きい。しかも商工会より前から名乗っていた店に対しても一方的に文書を送りつけるだけとは。このまま「なみえ焼そば」を名乗る店が無くなってご当地グルメとして滅びる失敗事例になりそう。
杉乃家は、うどんや丼ものを扱う食堂として35年前に浪江町で創業。なみえ焼そばを扱い始めたのは5年前、商工会青年部がB級ご当地グルメでまちおこしを始めたときでした。
5年前の2006年といえばB1グランプリが始まった年なのでおそらくそれに触発されて
同ブログには商工会青年部の人が地道にPR活動に励む様子も書かれている
http://blog.livedoor.jp/kaz823ad/archives/51663830.html
http://blog.livedoor.jp/kaz823ad/archives/51876073.html
上の記事でコスプレしてPRしている八島さんのインタビュー記事
いまでは全国区となった「なみえ焼そば」ですが、それを使った浪江のPRを考え始めたのは、私が浪江町商工会の青年部長に就任した2007年のころです。
浪江にも極太の中華麺を使った独特の焼そばがあるじゃないか!これで我々もB-1出場を目指そう!ということになり、2008年、まちおこし団体である「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」を“建国”し、私が初代の「太王」(団体代表)に就任したのです。
2010年には念願のB-1グランプリ初出場を果たし、マスコミにも取り上げられるようになって、町民の皆さんも少しずつ「なみえ焼そば」を我が町のシンボルとして語ってくださるようになりました。それまでは、町民にとっては昔から食べ慣れた、ただの「焼そば」だったんですけどね(笑)
まるで後乗りして金だけとろうとしてると言わんばかりのブコメすら見受けられるが
「なみえ焼そば」というネーミングも含め商工会が主導してご当地グルメとして広めていったことが伺える
だが企業の協賛金などが頼みとなっており、商工会は「資金面で厳しく、今後は収入を確保してなみえ焼そばの普及につなげたい」とロイヤルティーについて説明した。
規模が大きくなってくればボランティア的活動では限界がありビジネスにしていかないといけないというのは十分理のあること
もちろん店舗サイドには店舗サイドの言い分もあるだろうし、社会におけるありふれた利害の衝突であってどちらが良い悪いという話ではない
ニュースを見ても「どっちが良いもんでどっちが悪いもん?」っていう小学生レベルの思考しかできず
中身をろくに調べずに「こっちが悪だな!叩くぞ!」と怒りポルノに酔いしれる