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はてなキーワード:寄席とは

次の25件>

2025-10-11

anond:20251011121420

👴もう寄席若竹からの中継はやっておらんのか…

Permalink |記事への反応(0) | 12:16

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2025-10-10

なぞなぞアメリカなのに落語が見られるところってどーこだ?

こたえ:ヨセミテ公園(寄席見てこう)

Permalink |記事への反応(0) | 14:27

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2025-10-08

anond:20251008164632

昔はそういうのが落語寄席だった

そこで結構日本語を覚えたらしいんだけどそれがなくなったんだな

そういう意味ではテレビ日本語教えてるのか……?

いや、うーん

Permalink |記事への反応(0) | 16:47

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2025-09-29

anond:20250929122909

拗らせてもいないしノーテンキでいい人そう。

お金に困ってなさそうだし小遣い稼ぎは好きなことしたら。

世代だけど、気楽な一人暮らし生活にも困ってなかったらやってみたい仕事結構ある。

陶芸家弟子入りするとか。パン屋バイトするとか。寄席チケットもぎりするとか。

Permalink |記事への反応(0) | 18:00

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2025-08-21

anond:20250821102442

お笑いコント舞台(野外ステージ寄席じゃなくて、それこそ演劇舞台とかも行われるようなちゃんとした座席のある会場の話)やスポーツ試合で同じことが発生すると

「席を立つくらい別に好きにさせろ!前を横切ってしまうのは仕方のないことだ!」

「そのくらいで集中できないなんてよほどつまらなかったんだねw面白かったら普通気にならないからw」

「え、飲食可なんでしょ?販売もしてるんでしょ?嫌だったら飲食禁止にしたら?w」

「このくらい別にいいじゃんwどこがマナー違反なの?w」

みたいなことを言い始めてそうだそうだと悦に入るアニヲタがうじゃうじゃ出てくるから

絶対お前の妄想だろこれ

 

そもそもアニオタお笑いコントスポーツ試合マナー積極的に論じる」というシチュエーション意味不明過ぎる

アニオタゲームアニメで忙しいかお笑いスポーツまで見に行かないだろ

大体スポーツ観戦で隣座った客とかをどうやってアニオタだと見分けるんだよ

 

単にお前の好きなジャンルマナー議論

お前が自分と違う意見のやつを「アニオタ」呼ばわりしてるだけでは…?

Permalink |記事への反応(1) | 10:30

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anond:20250821085114

鬼滅の映画観に行ったら客のマナー崩壊してて応援上映でもないのにおしゃべりする人だらけだったとか、2.5次元舞台スマホを弄ってピカピカさせる人が多くて感動シーンが台無しだったとか、

好きなキャラの出番が終わったら上映中なのに席を立って帰ってしまう人がいたとか、咀嚼音がうるさいとか、

そういう話は「許せない!!マナーを守れ!!」って憤慨するくせに

お笑いコント舞台(野外ステージ寄席じゃなくて、それこそ演劇舞台とかも行われるようなちゃんとした座席のある会場の話)やスポーツ試合で同じことが発生すると

「席を立つくらい別に好きにさせろ!前を横切ってしまうのは仕方のないことだ!」

「そのくらいで集中できないなんてよほどつまらなかったんだねw面白かったら普通気にならないからw」

「え、飲食可なんでしょ?販売もしてるんでしょ?嫌だったら飲食禁止にしたら?w」

「このくらい別にいいじゃんwどこがマナー違反なの?w」

みたいなことを言い始めてそうだそうだと悦に入るアニヲタがうじゃうじゃ出てくるから

なんだこいつら……と思う

鬼滅映画で同じことしてる人たちもまったく同じ言い分を持ってるだろうよ

Permalink |記事への反応(2) | 10:24

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2025-08-06

anond:20250805143315

この作品を読んでいる+評価している奴は、ワイのレベルなので敬意を表する。作家一人につき1作品を選出。

  

満点ジャック

  

コブラ

  

Iam マッコイ

  

めぞん一刻

  

大純情くん

  

俺は直角

  

タイムパトロール・ぼん

  

熱笑!! 花沢高校

  

サルでも描けるまんが教室

  

生徒諸君!

  

水滸伝横山光輝

  

寄席芸人

  

パタリロ

  

藤子不二雄短編

  

漂流教室

  

ワイルド7

  

ガラスの仮面

  

北斗の拳

  

BE-BOP海賊版

  

鎌倉ものがたり

  

翔んだカップル

  

双子騎士

  

なんと孫六

  

まんだら屋の良太

  

BEFREE!

  

一撃伝

  

カニバケツ

  

花平バズーカ

  

エリート狂走曲

  

陽あたり良好!

  

銭ゲバ

  

ひみつのアッコちゃん

  

あした天気になあれ

  

じゃりン子チエ

  

硬派銀次

  

傷だらけの天使たち

  

キャプテン

  

極めてかもしだ

  

AKIR

  

サイボーグ009

  

寄生獣

  

Dr.スランプ

  

元祖おじゃまんが山田くん

  

伝染るんです。

  

哭きの竜

  

風の谷のナウシカ

  

スケバン刑事

  

ルパン三世

  

泣くな! 十円

  

マカロニほうれん荘

  

風間やんわり福本伸行奥浩哉など平成以降の漫画家を選べないのが至極残念。

Permalink |記事への反応(1) | 10:27

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2025-07-25

追記浴衣で遊びに行きたいけど花火大会は嫌だ

地元花火大会が、やたら規模が大きくて信じられないほど混む

実家から車で30分くらいのところに住んでるけど毎年その日は実家近辺には近寄らないようにしてるくらい混む(どうしても用があれば早朝行って午前中には帰る、午後はもう混みすぎて動けない)

でも友達ちょっと浴衣で遊びに行きたいよね、という話になるとどうしても花火候補に上がる

まあ、暗い時間比較涼しいしわからんでもないけど絶対嫌だ

地元が近い友人も「花火の日は絶対嫌」と言っており話が止まってしま

なんかいい感じのイベントいかなあ

諦めてなんもないけど浴衣で遊びに行くくらいの気持ちでいたほうがいいか

追記

流れると思いきやまさかたくさん反応貰えるとは

縁日ってなんか地元で聞かないんだよな

あんまり祭りがないというか…なんでだろ

友達からも発案ないからそういう地域なのかも??一応調べてみる

観劇なら着物とかで行ったことあるけど、寄席って浴衣もアリなんだ!ありがたい情報

美術館とか博物館浴衣じゃなくてもそもそもなんか友達に嫌がられるんだよねえ

そういえば行きたい展示あるしひとりで浴衣で行ってみようかな〜ブコメ映画もアリだな(足元だけ下駄だとうるさいかもしれないか草履サンダルにしようかな)

自分だとあんまり思いつかなかったからたくさんありがとう!!

Permalink |記事への反応(8) | 11:00

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2025-07-07

ASDって診断されたけど、だからなんだよ

↓この増田だよ

https://anond.hatelabo.jp/20250612175256

前のエントリ親友に縁切られたこと書いたら「アスペじゃん」「ASDだよそれ」ってコメントめっちゃついて、

本当に心折れてそのまま心療内科行ったら、あっさり「ASD傾向ありますね」って言われた。

から何?って感じなんだけど。

診断されたからって、親友が戻ってくるわけでもないし、あの時の会話が「正解」になるわけでもない。

あなた特性です」って言われても、「はい、そうですか」以外に言いようがないし。

なんかもう、自分人生ってずっと間違いだったのかな?って。

それでも、「その場で言ってくれたら直せたかもしれないのに」とか思っちゃうわけよ。

なのに向こうは「ずっと我慢してた」「限界だった」ってさ。じゃあ、こっちは何? 一生懸命話題広げて、場つなぎしてただけなんだけど。

「会話の流れが見えてない」とか「人の話を遮って自分の話に持っていく」とか言われたけど、

それって、黙ってたら黙ってたで「何考えてるか分からない」って言うくせに。

どっちにしろ文句言われるなら、好きに話してたほうがマシじゃない?

あと「用語の共有されてないネタ出すな」とか「その場にいない人を置いてけぼりにするな」とか言われたけど、

そんなの知るかよ。分かんないなら聞けよって思う。

自分は会話ってそういうもんだと思ってたし、そうやって話してきたから。

空気読め」って言われても、その空気って誰の空気

勝手に読み取ってくれると思うなよ。そんなに自分で“察する力”があるなら、私が悪気なく話してることくらい察してくれや。

ネットの反応も「だから友達いなくなるんだよ」「共感性低すぎ」とかばっかで、

それ読んでると「じゃあもう黙ってろってこと?」ってなる。

黙っても文句言われるし、話しても文句言われるし、

なんかもう、全部がしんどい

でも多分、また同じことやると思う。

寄席の話もするし、戦場ヶ原の話もするし、落語アニメも急に出す。

それが私だし、それがダメなら最初から付き合わないでほしかった。

いまさら「無理だった」とか言われても、知らんがなとしか思えない。

ASDって診断されたけど、それって「普通の人と違う」ってお墨付きもらっただけで、

「こうすればうまくいくよ」って道があるわけじゃない。

ただラベルがついただけ。だから何?って思ってる。

ほんと、「空気読めない」って、そんなに罪なんですかね。

Permalink |記事への反応(3) | 16:07

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2025-06-14

anond:20250612175256

この場合、昼席までは良い。

その後に「店じゃなくて新宿にある寄席だよ!敷居高いかもだけど落語って結構良くてさ〜」と展開したのがまずい。

「今の話を聞いて落語寄席と同じだと思った。昼席が高くて行きにくいんよ。それで、そのりんご飴がどうした?」と主題に沿って情報を増やしつつ主題を維持するのが会話の基本。

スレ主は単純に「寄席の昼席」と話題を切り替えてるだけで「りんご飴の店」という主題放置している。

言うなればスレ主はA-B=Cにした。そこにAは残ってない。

でも親友を含めた一般的な会話はA*B=ABと共通項目と非共通項目を維持して膨らませて展開する。

今回は会話の例だったけど、文字は読めるけど文脈を読めない典型やね。

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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2025-06-13

anond:20250613163202

その時点でってどの時点?

引用から

・私「末廣亭の昼席と同じだね」

・私「店じゃなくて新宿にある寄席だよ!敷居高いかもだけど落語って結構良くてさ〜」

それぞれの発言をした後の二通りが考えられるよね?

「どこの店?」と言ってる時点で会話泥棒だと思われていただろうと主張しているとも解釈できるけど、そう確定するに足る材料はない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:01

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anond:20250612192255

次に「末廣亭の昼席」が、「敷居が高い」という情報も「意外とよかった」という情報も二人に与えられていない

私「店じゃなくて新宿にある寄席だよ!敷居高いかもだけど落語って結構良くてさ〜」って書いてあるじゃん

推測させるまでもなく自分から情報与えてるじゃん。

-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250613160433 -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaEvNgAAKCRBwMdsubs4+SPT7AP9R3ZdJhrzkfmbAvu8u1s0fjivEhoNBobLukDdA1Z5gJQD/YnH9kz/aB+DGRtYzg2AnEizOgTgMXwJGE+vMDGJ5RQE==xREm-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(3) | 16:04

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2025-06-12

自分がしたい話の餌を撒く人

という動画がある。

https://youtu.be/V0Tdhv5JuLA?si=qJkmnJZ6BYWJTd8I

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権などにでている、たつろうというピン芸人あるある動画だ。

急に連絡取れなくなった長年の親友から「お前のこういうところが無理になってきたからもう連絡しないでほしい」と言われ、これが送られてきた。

正直いってかなりショック。

自分としてはいろんな話をして場を盛り上げているムードメーカーだと思ってた。

友達がいうには、会話の文脈をフル無視して餌を撒くから動画より悪質なんだそう。

友達A「りんご専門店が近くにできたから行きたいんだけど、高いから様子見してるw」

親友「行ったことあるけどおいしかったよ!」

私「末廣亭の昼席と同じだね」

友達A「どこの店?」

私「店じゃなくて新宿にある寄席だよ!敷居高いかもだけど落語って結構良くてさ〜」

親友的はこの会話でもう限界だと思ったらしい。

私としては、『同じ敷居が高いけど行ってみたら意外とよかったもの』というトークテーマに沿ってエピソードトークをして場を盛り上げていると思ってたんだけど、

親友的には、『自分に都合のいい要素だけ抜き取って全く関係ない話をする会話泥棒』だったみたい。

親友りんご専門店のこれが美味しかったとか話したかったらしいんだけど、それなら話せばよかったのに。

正直価値観の違いだと思うし、その場で「そういう話じゃないよ」っていってくれたらよかったのに。

「反応しないと同じワードを繰り返すのも嫌」って言われたけど、普通に聞こえなかったのかな?と思うじゃん

付き合いの長い親友だと思ってたのに、ずっとイライラされてたのかと思うと普通にショック

涙が止まらない


追記

幼児は強引に自分の話したい時にこの話法やる」とか「アスペ」とか書かれてて凄い驚いてる。

友達に縁切られたことよりも衝撃かも。

コメントで「無視するとリピートするのはウザい」って書かれてたけど、

あくま親友(元親友)がそう思ってるだけだから

私「めっちゃ似合ってる!てかまんまガハラさんじゃんw恋してるから?」

親友「ほんとに似合ってる!でもかなり思い切ってバッサリ切ったね。なんかあったの?」

友達A「もう長い髪のケアめんどくさいし、思い切ってヘアドネーションしたんだよね」

私「恋のために切ったわけじゃなかったのかー」

親友「それは化物語戦場ヶ原さんのことでしょ。いまはAの話だよ」

友達A「化物語ってなんかいアニメやってるやつでしょ?」

私「それは終物語だね。化物語西尾維新ていうめちゃくちゃ筆が速い作家の人が書いてて〜」

親友が「無視すると同じこと何度も言う」っていうのが、最後に会った時のこの会話らしいんだけど、

友達Aのほうから聞いてくれたんだから「話していいんだ」と思うでしょ?なにがわるいの?

あと複数人で話す時、「私とお前だけがその場で知ってる用語ペラペラ話し出すから第三者に向けたフォローをしないといけなくなっているのが苦痛」とも言われた

苦痛ならしなきゃいいじゃん。なんで勝手自分したことをこっちの責任にしてくるんだろう。

この前はただただショックで泣いてたけど、冷静に考えるとむかついてきた。

追記追記

友達Aが化物語を知らないのに戦場ヶ原が恋したから切った、という作品を知らない人には伝わらないネタを振ってるならシンプル意味不明

友達Aが化物語知らないなんてこっちは知らないんだからどうすればよかったの?

思ったことすらいっちゃいけないの?

戦場ヶ原の髪を切ったあとにそっくり、だけなら比べて知らない人でもそう見えるレベルならオタクとしてギリ許される

でも自分の知ってることを話したいだけで別に客観的にみても似てないとかだったらウザすぎる

親友的には「全く似てない。あんなにシャギー入ってない」らしいんだけど、

超ロングだったのにバッサリ切ったキャラや人が、私の中で最近見た化物語の印象が強かったんだよ。

それで話題に出しただけなのにそんなにおかしいか


診断うけた

https://anond.hatelabo.jp/20250707160738

Permalink |記事への反応(25) | 17:52

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2025-04-18

「60分漫才」が良すぎる

突然ですが、毎年クリスマス頃に開催されるM-1グランプリ決勝をご存知でしょうか?

M-1グランプリお笑い漫才日本1を決める大会で、決勝で競う形式は「4分漫才」なんです。

そこで、「4分漫才」って短いなって思ったことありません?この漫才師のネタがあと5分、いや10分と言わずもっと観たいな……と強欲な人間はよく考えます

そんな方に朗報おすすめしたいのがまず好きな漫才師の「単独ライブ」です。

年に0〜複数回、1会場だったり全国ツアーだったりで様々ですが、とにかく好きな漫才師の漫才をたくさん観れますネタだけじゃなくコーナーやVTR等があったりする場合もあります。また、配信チケットを購入できて現地に行けなくても観れる場合もあります

漫才師の名前 単独ライブ」等で検索すると色々情報が出てきます

単独ライブ」も良いんだけど、「4分漫才」を尺伸ばした感じのが観たいな……と漫才狂いの強欲な人間はふと考えます

おめでとうございます!その望みは叶います!そんな方におすすめしたいのが「60分漫才」です。

2024年M-1グランプリラストイヤーで念願の初決勝進出7位の双子漫才師、ダイタク過去の60分漫才ダイタクTVYouTube)にて複数観ることができるのです。

注目すべきは、舞台に上がったら最後捌けるまでずっと漫才をし続けているという点です。

M-1グランプリ寄席ライブでは「4分漫才」出番1回しか観れなかったりするのに、「60分漫才」は単純計算で15倍漫才を観れます、最高です。

掴みから入ってネタナチュラルに繋げ綺麗にまとめて締める双子漫才ダイタク職人技、60分も観れるんです。

しかもなんと!今ならダイタク生誕祭MCダイタクTVによく出てるギャンブル大好き有宗先生と、相撲大好き鹿児島出身西田淳裕からなる漫才キンボシも「60分漫才」をする予定なんです!

2025年5月28日(水)20:45から渋谷ヨシモト∞ドームⅡにて開催されます、60分ずっと新ネタらしくて配信もあるそうなので「60分漫才」に興味がある方におすすめしたいです!

キンボシの穏やかな空気感でたまに毒のある漫才、観る度に終わるの早い!もっとたかった!となってたので本当に楽しみです!

「60分漫才」がもっと増えることを心の底から祈ってます

Permalink |記事への反応(4) | 01:13

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2025-03-23

anond:20250323075236

NHKラジオネット配信とてもありがたい。助かる。

無料広告が(ほぼ)ない ※たまに番宣が入ることある

ニュースは早くていろいろ言われているけどまあ信用できる。裏も最低限はとってある

文芸朗読とか寄席とか文化講演会とかビジネス英語とか音楽番組とかそれなりによく考えられて興味深い内容

④やっぱり災害時にとても頼れる

Permalink |記事への反応(0) | 08:11

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2025-03-20

めちゃくちゃ体調悪くていいこと全然なくて明後日病院行くまで耐えられかなってかんじなんだけど

今日ヤーレンズ札幌寄席だったみたいでおそらく同じ時間千歳線列車に乗っていた

それだけでなんかちょっといいことあった気がして耐えられそう

寄席に気づいててちゃんと行けてたらもっとよかったけど

Permalink |記事への反応(0) | 00:01

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2025-02-19

YouTube仕様

懲役太郎を見てるとなぜか次に中川家寄席が出てくるのはなんで?

Permalink |記事への反応(0) | 17:42

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2025-01-31

私は単なる一般人だが、鶴瓶に2度会って話したことがある。どちらも偶然。どちらも鶴瓶さんが出演する落語会に行った時。

出待ちをしたわけでもなく、たまたま偶然会場の近くで鶴瓶を見かけた、その時に。

その先のホールで数時間後に落語をする噺家に遭遇する、というのは、実はそれほど珍しいことでもなかったりするのだが(寄席落語会場の近くには割とカジュアル落語家がいる)、私としては出番前の出演者にあまり軽々に声をかけても邪魔だろうと思うので声かけることはない。

鶴瓶さんは目が合うと、というか、こちらが(あれ…?つるべだよな…?)という顔をするかしないか…ぐらいのタイミングで、向こうから近づいてきて声をかけてくる。

例えて言えば、ものすごく人懐こい猫のような感じ。TVなどで見かける顔、姿そのままに、ニヤニヤしながら近づいて話しかけてくる。それでいてサラっとしている。鶴瓶さんが街を彷徨して人に声をかける番組があるがあのままだし、何ならあの番組よりもう少し懐こかった、気がする。

一度目は、「自分、あれやの?この、なあ(今日落語会の客なのかという意味だと思う)」という感じにぞろぞろっと話しかけてきた。ホールの脇の溜まりのあたり。

(わぁ鶴瓶が!)と思う隙を与えられず話しかけられて「あ、そうです!」となどこちらも答えてしまう。「マネージャーと待ち合わせてたんやけど来ないねん、だから歩いてきたんやけど、楽屋口が分からへん」とかそんな感じことを言われて、わー大変ですねー、と、知り合いのおっちゃんと立ち話をしているような巻き込まれ方をした。

ホールに三々五々集まってくる人たちも「わーつるべだー」となりだんだん人が増えてきたが、鶴瓶さんはそれぞれの人と「知り合いと立ち話しているように」話をしている。そのうちスタッフが飛んできて鶴瓶さんを案内していった。

落語会はとても面白くて、お弟子さんの主催会だったのもあってか和やかなとても良い会だった。


二度目もやはり落語会、会場から少し遠い路地でお見掛けした。割と遠目(通りの1区画分より先ぐらい)だったのだが(え?うそ、また鶴瓶うろうろしてんの・・・?)と思うやいなや、やはり鶴瓶さんの方からつかつかと近づいてきて、割と近いところまできて「なー、今日寒いな」とかそんな感じのことを。私は二度目なのでもう笑ってしまって鶴瓶が近づいてくるあたりからずっとゲラゲラだったので「なんや自分どうしたん」と聞かれる。

すみません笑笑笑、偶然お会いするの初めてじゃなくて笑笑笑」と絶え絶えに伝え、「師匠今日落語会楽しみにしてます!」と言うと、「あん落語うまないねんけどなー、小朝がなー」と込み入った話(落語修行をしていなかったが小朝に乗せられて勉強する気になったとか、鉄板だけどちょっと長い話)を、会場までの道をなぜか一緒に歩きながら話してくれて、この状態は一体何なんだろう…と面白くてしょうがなかった。師匠ホール楽屋口を案内して(我々観客とは入口が違う)、そのまま私は席について「「さっき雑談したおっちゃんの、雑談みたいな落語」を聞いた。とても面白かったし、なんかフワフワした気持ちだったな。


実際に会ったことがあって良い印象だったから、悪い人じゃない、悪いことはやってない、と言い切れるとも思っていないつもりなんだけど、鶴瓶さんはまぁ女衒斡旋周りには関係ないんじゃないかなぁ…。あんな人懐こい猫みたいな人がやれる悪事は、何十年かに一度生放送局所露出する、ぐらいまでだと思うんだよ。

Permalink |記事への反応(16) | 15:32

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2025-01-17

ある日、東京の古い下町にある小さな時計屋で不思議出来事がありました。店主の田中さんは、修理を頼まれた古い懐中時計を開けたとき、内部の歯車の隙間から一枚の古びた写真が出てきたそうです。それは昭和30年代の浅草を写したもので、着物姿の若い女性が微笑んでいました。

田中さんはその写真を見て懐かしさを感じ、近所の古老に見せてみることにしました。すると驚いたことに、その女性を知っている人がいたのです。その方の話によると、彼女は当時、浅草で人気のあった寄席三味線を弾いていた芸者さんだったとか。

その後、田中さん写真の持ち主を探すため、懐中時計を修理に出した客に連絡を取りました。その客は横浜古道具屋で時計を見つけ、気に入って購入したそうです。写真存在は知らなかったと言います

興味を持った田中さんは、休日を利用して横浜古道具屋を訪ねることにしました。店主の話では、その時計10年ほど前に、ある老紳士が持ち込んだものだそうです。その紳士は、戦後まもなく浅草写真館を営んでいた方の息子さんだったとか。

写真は結局、元の持ち主には戻らなかったそうです。しかし、田中さんの店には今でもその写真が飾ってあります。時々、古い浅草の思い出を語りに来るお年寄りがいて、写真女性にまつわる様々な話を聞かせてくれるそうです。

その中には、彼女戦後の混乱期に多くの孤児たちを助けていたという話や、後に海外に渡って音楽家として成功したという話もあります真相は分かりませんが、今でも浅草の古い喫茶店では、彼女三味線音色を覚えているお年寄りがいるそうです。

やばい

人は良いけどリテラシーの無い善良なタイプ中年・老人が好みそうな嘘エピソードを延々と製造できるプロンプトを作ってしまった

Permalink |記事への反応(1) | 13:36

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2025-01-10

寄せて、上げる。

みんな寄席ちゃう

Permalink |記事への反応(0) | 15:51

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2025-01-04

anond:20241228124003

漱石を引き合いに出してるので、明治から大正の頃の大衆の娯楽は……という話だと思うけど、大正にもなると、社会の中層くらいであれば、寄席や芝居・演劇活動写真もあればレコードもある、てな時代。また、漱石なんかは新聞連載小説ではあるけれど、それを「個人が黙読する」ことが当たり前である現代とは異なり、家族の中に読み書きできない人や子供がいることを前提に家族に「読み聞かせる」ことを通例にしていたりする場合もあった。だから、当時の人のリテラシー知的水準現代よりはるかに高かった、ということは、まあ、無い。

ちなみに社会の下層と言われる人々における「娯楽」について言えば、(データを基にすると)こんな感じだそうだ。

日雇労働者問題』に収録された内務省調査によれば、かれら(日雇労働者のこと:引用者注)の半数以上が飲酒にひたっている。かれらが娯楽対象としてあげる最大のものは酒であり、そのあとに大きく水をあけられて、寄席活動写真映画)、タバコ読物、女がつづいている。大衆雑誌小説など読物比率は酒の8分の1ほどにすぎない。新聞を娯楽とするものは、1、300人のなかでたったひとりにすぎない。もっとも、新聞は娯楽メディアとして、他のもの比較するのは無理であろう。だが、日雇労働者なかに新聞読者がいかに少なかったかということだけは、この調査示唆している。

新聞読者層はリテラシーなどを考えると都市日雇労働者のなかでは1割前後しかなかったと推測される。これらの調査大正中期~後期に実施されたものであるが、昭和初期にもこの比率にさほどの変化はなかったと思われる。

「戦前の新聞読者層調査」(山本武利,関西学院大学社会学部紀要29巻,1974)

Permalink |記事への反応(0) | 09:14

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2024-12-23

ネコニスズ舘野

ネコニスズというお笑いコンビが注目されている。

いかつい顔したいかにもツッコミおっさんと、様子のおかしいロン毛のおっさん、いや、赤ちゃんコンビ

前者はヤマゲンというらしい。いい名前だ。後者は舘野というらしい。いい名前だな。品がある。

舘野は「赤ちゃん」というキャラクターをやっている。

ちょっと嫌な言い方になってしまった。

とにかく、舘野は「赤ちゃんである

舘野が「赤ちゃんであることが世間認知され始めた。

さまざまなスタイル漫才コントを経て、今の赤ちゃんにたどり着いたらしい。いろいろあったんだろうよ本当に。

ネコニスズはたぶんこのまま売れる。

このまま売れたらどうなるのか。

世間は舘野に「赤ちゃん」を求め続ける。

赤ちゃんの目をして38マイクへ歩みを進める舘野。

赤ちゃんの語彙と挙動で観客を沸かせる舘野。

もうええわで舞台が暗転を始めても舘野はまだ赤ちゃんだ。なぜなら彼はプロから

ひな壇で赤ちゃんを振られる舘野。

ワイプに抜かれたときだって赤ちゃん

SNS、駅のホーム新幹線の中、渋谷センター街新宿下北高円寺、ここは東京

赤ちゃんのひとですよね」、「舘野さんですよね」、「握手してください写真撮ってくださいサインください」

マスクを下げる。

ピースを構える。

流れるようにポスカを走らせる。

無茶ぶりだってどんとこい!ぼくはあかちゃん

うるさい夜道

昼みたいな夜

星を見ることはとっくに諦めた

まぶしい

しつこい

空が狭い

吸い込まれたのは松屋

食券は一人で買える 大人から

電子マネーだって使える 大人から

愛想のない店員

来る客は全員死ねと思っているんだきっと

安心する舘野

赤ちゃんを降りる

飯を食うのは41歳 芸歴およそ20

ベジファーストをやってみる

ドレッシングをかけてみる

べたつく容器もへっちゃらだ

セルフサービスの水の近くに座るのがコツ

みそ汁の蓋は早めに開けておかないと熱すぎる

いろんなことがあった大人から、全部知っている。

私たち舞台袖の舘野も楽屋の舘野も街の舘野も知らない。

2012年結成のコンビネコニスズ。

舘野の同期にはかまいたちMC席に審査員席。

うそろそろ聞こえるはずだ。鼬の耳にも鈴の音が!

このまま売れるぞ。売れるんだ!

帰ってくるのはいつも深夜

今日は何人笑かした?

あのビルの窓の数より多いか

当たり前にタクシー移動

グリーン車?ああもちろん!

テレビをつけると自分の姿

そう、赤ちゃん自分の姿

いつ収録したかなんて覚えちゃいない

拍手笑いの観覧客

気持ちよく突っ込むあのMC

CMまたぎにも使われちゃった

みんなはいいよな

みんなのままで

テレビを消すと手には缶チューハイ

落とした視線の先にはパンツに乗る腹の肉

低音のげっぷが静寂を裂く

SNSには喃語が湧く

スマホを消すと画面には深いほうれい線

肌も髪も艶はない

明日寄席生放送雑誌取材にコーナーライブ

から夜まで稼働だぜ

よろしく赤ちゃん、じっとしといてくれよな舘野。

ああ売れるってこういうことなんだろうか。

ちがうちがう

年齢が若いから赤ちゃんか?

身体が小さいか赤ちゃんか?

しゃべれないか赤ちゃんか?

つやもちのほっぺたが赤ちゃんか?

いいや、ちがうな。

な?舘野。

人を笑顔にするから赤ちゃんなんだよな。

平気な顔をすることに慣れてしまった大人たち

鈍感にならないとやってられない大人たち

舘野を見ろ

赤ちゃんを見ろ

懐かしい表情筋の動き

懐かしい心が燃える感じ

あの頃みたいに笑うんだ

舘野みたいに、大人を降りるんだ!

舘野は赤ちゃんじゃないけどでも舘野は赤ちゃんだよ

ありがとうネコニス

これまでもこれからも、いろいろあるだろうけどさ、2人ともおじさんからおじいさんになっていくだろうけどさ、どんな形でもいいから笑わせてな。

東京ビルの窓の数じゃなくても、たまたま横の便器に立った誰かひとりでもよくて、それできっと救われるんだよ

大人でも、子供でも、じじいでも赤さんでもいいよな!

2人も笑っていてな!そのままでいいよ!

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2024-10-22

ヨセミテ公園寄席観て公演

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2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaruから出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

Permalink |記事への反応(3) | 17:39

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2024-07-23

anond:20240723230815

サザエさん1巻に出てくる「ハハノンキダネー」と言ってるなんかの寄席元ネタだっけ

Permalink |記事への反応(0) | 23:16

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