はてなキーワード:害悪とは
「高齢の女性は子ども産めない」に対してお気持ちで噴き上がる人たちが左派に居るのは分かるが、参政党を批判するのはそこじゃないだろ!!
なんで参政党批判派をわざわざ分断するような質の悪い攻め方をするのかね?
もしかして左派としては反ワクやEM教は味方にしておきたいんじゃないかとうがった見方をしてしまうわ。
「高齢の女性は子ども産めない」という事実についての表現方法としてはデリカシー意識が低めだとは思うがそんな叩く事じゃないだろ。反ワクやEM教の方が害悪度高いのをなぜ分からないのか。
わざわざ分断するとかなんなの?無能な味方なの?
「奪う」という表現が適切かは分からないが、AIを使った業務効率化でかつてないペースでホワイトカラーの求人が減っている。
それも世界的にだ。
ある研究者は、現在人間がしているすべての仕事は2050年までにAIが行うようになると予想している。
そうなると俺らは仕事から開放されてハッピー!みたいに楽観視しちゃうけど、実はそうじゃなくね?
トランプが「大きくて美しい法案」と呼び、野党は「アメリカ史上最悪の法案」と呼ぶ法案が可決された。
この法案によって低所得者層への支援が大幅に削られ、富裕層は更に豊かになる。
今でさえ寡頭(かとう)政治だと言われているのに、更に少数の金持ちが富を独り占めする世界になってきている。
そして貧乏人だけでなく、中流層も死ぬしか無い時代が来ている。
実際、このままAIが人々の仕事を奪っていくと、最終的にその会社の経営者や役員レベルの者だけがその会社を運用することになる。
つまり現状が可愛く見えるくらいに富が集中する。
彼ら富を持った者たちは貧者の為に富をトリクルダウンしてくれるだろうか?善意で?
そんなことはない。金持ちほど金に汚なく、その汚さを楽しんでさえいる。
彼らは法を盾にし、その強大な富で政治家や官僚を懐柔し、民衆をショート動画で洗脳する。
彼らはこの世界の攻略法を更に理解していく。彼らだけが持つ、検閲も何も無い文字通り何でも出力する最高のAIが教えてくれるからだ。どうあっても勝てなくなる。
家や土地は合法的に奪われ、子どもも残せなくなる、つまり味方がいなくなる。
暴動や暗殺をしようにも、彼ら金持ちは「合法的に」警備ドローンや顔認識を駆使し、一般人は太刀打ちできなくなる。
イーロン・マスク、テレグラムCEO、光通信御曹司など、金持ちが大量に子どもを作っているのはこのような世界を予期し、私設ギルドを作ろうとしているからだ。
多くの子どもが自分の富を分割して持つことで、一つの組織として他の金持ちに対抗しようとしている。
俺たち一般人は彼らにとってもう眼中にすらない。
それどころか環境を汚染するだけの害悪な寄生虫とみなされている。実際、この世界から人口が半減でもすれば、地球温暖化が大きく改善されるだろう。
半減どころではない。最終的に金持ちグループに属していない者はすべて消されることになる。
最低レベルのベーシックインカムを「これで生きられないなら死ね」とでも言わんばかりに与えられ、何の価値も生み出さないゴミとして僻地のゲットーに閉じ込められ、それが至上の喜びだと洗脳され死を待つことになる。
これ書いてて馬鹿みたいな話だなと思うが、多くの人々が社会的役割を失なう前に何をすべきか、どのように法を整備すべきかという議論は、SF小説で終わらず真面目に議論するのはもう今から始めないといけない。
ジークアクスについてのこのブログの感想、賛同出来る部分もあるけれど。しかし。
私はジークアクスは全体的に酷すぎた中でことシャアに関しては割と再現度高いと思ったが。
シャアの構成要素?と言うならば私は最も重要な要素の一つとして
「考えを常に表に出すとは限らない」があると思っている。
つまりは余白、想像の余地がある。ジークアクスはそれに限ってはそんなに悪くなかった(他は酷すぎた)。
その最たるものが1stの最終話で、瀕死の重傷を負ったキシリアの部下に対して「安心しろ。貴様に代わって閣下は必ずお守りする」と言う。
で、その直後にセイラに対し「やはりザビ家は許せんと分かった」と言い、それからキシリアを撃つ。
いくら何でもこんな短時間で考えを変えるとは考え難いので、兵士に向けて話している時点で多分キシリアを殺す決意を固めている。でもそれを表には出していない。
つまり「素顔を晒し」「唯一の肉親である妹の前で」嘘を付いている。
「シャアはこういう奴なんだよ」と言いたいならば、この場面は物凄く重要では?
でもどいつもこいつもそこを無視して、直接描かれてはいないシャアの内面、余白であるべき部分やそこから想定される行動を勝手に決めつけ、「シャアはこういう奴なんだよ」と断言する。そして嘲笑って愚弄し、ヘイトする。
そして最終回のシャリア・ブルのやった事ってまさにこれと同じなんだよね。お前はこういう奴なんだと勝手に決め付けて後方理解者し、その上で加害するという。
「性交した相手と結婚しなければならない」という法律が導入されたらどうなるか。
レイプはなくなるのか。
一見、抑止力になるかのように見えるこのアイデアは、実際には「非モテによるレイプ→結婚」という最悪の循環を生みかねない。
つまり「誰にも好かれない自分でも、性交さえすれば結婚できる」という発想が、非モテの歪んだ自己肯定欲求を正当化してしまう。
性的同意がない性交を、法的に「結婚しなければならない行為」と定義するということは、レイプを「結婚の手段」として制度化するに等しい。
これは被害者の自由意志と人権を完全に無視した話だ。しかも、そういう法律を願望する人間ほど、自らの人間性や対人関係の未熟さを省みることなく、「性交さえできれば勝ち」「結婚できれば人生逆転」という思考に陥っている。
そういう考え方の根底には、「非モテは被害者」「社会が自分を選ばないから悪い」という甘えがある。
そしてその延長線上にあるのが、「ならば強引にでも自分を選ばせればいい」という暴力的発想だ。
非モテは悪だ
もちろん「恋愛経験がない」「誰とも付き合ったことがない」というだけではない。
問題なのは、「非モテ」という状態を自己正当化し、そこから他者を傷つける権利が生まれるかのように振る舞う人間の思考そのものだ。
恋愛や結婚がうまくいかない人はたくさんいる。でもだからといって、その苦しみを他人にぶつけていい理由にはならない。
被害者を生み、支配し、人生を乗っ取ることでしか自分を確立できないなら、そんな人間は「恋愛に不器用」なんかじゃない。ただの加害者予備軍だ。
そもそも、消費税の存在自体が害悪なものであり、早急になくしてしまうのが正解。
だとするなら、小手先のばら撒きで喜ぶのではなく、消費税廃止を見据えた一歩としての消費税減税が正解。
なんなら、正解を教えてやる。消費税がなくなれば負担感も無だ。
女性の社会進出が進んでる方が出生率が高い!(女性の社会進出が進んでなくて出生率の高い国は除く)
確かに某絵師個人がやらかしたのはそれ相応の社会的制裁は受けてもらわねばならない前提だが
ここからインターネットロリコン絵師狩りが始まることを危惧している
そういった性癖でひいき目で見てるという議論というより、分断を招くだけで何も解決しないってことが言いたい
かつてのキリスト教圏を中心に同性愛者を罪人として狩っていた時代に戻ることを危惧しているんだよ
同性愛者狩りの社会的名目としては、性病と薬物をまん延させるとして取り締まっていた
思想や個人の嗜好まで隅々刈り取ろうなんて考えると虐殺と差別が始まる
何よりあの件で気に入らねえのはニコ生主風情が社会正義気取ってら厨房共もノリノリなのが
傍から見ててクソキショいんだよな毎回
あんなインターネットの闇だの能書き垂れてら喧嘩の火種バラまいて金稼ぎしてるのきっもちわりいわぁ~・・・
ウィイイイイイッス! どうも〜█████で〜す。
えー、今日はですねぇ、あのねぇ、ネットの…を見てて、ちょ、ちょっと、僕が、物申したいなーと思うことがありまして。
なんか、尊厳死…とかいう、ま、ちょっと難しい話なんですけどもぉ。
なんか、記事を書いた人は『どんなことにも良い面と悪い面があるんだから、ちゃんと議論しようぜ』って言ってて。
ほんで〜、それに、こ、コメントしてる人がいて、その人は『いや、そもそも議論する、ぜ、前提がおかしい話もあるだろ』みたいな。
スゥゥゥ…なんか、どっちも、すっごい頭良さそうな、む、難しい言葉を、こ、こう、並べてるわけですよ。
で、僕が特に気になったのは、そのコメントの方なんですけどね。
ちょっと読みますけど…『いかなる事象にもメリットとデメリットが存在し、肝要なのはデメリットに如何に対処するかである…とする意見は、一見すると理性的かつ中庸(なかつね)を旨とした態度に映る』
スゥゥゥ…
『深刻な害悪を容認させる論理装置として機能し、暴論に堕する危険を孕(つつ)む』
……。
いや、あのねぇ…
な、長くないですか、まず。文章が。
スゥゥゥ…で、言葉がいちいち難しいんですよ。
なんか、わざと難しい言葉を選んで、相手を、こう、言いくるめようとしてる感じがして、僕は、あんまり好きじゃないですねぇ、こういうの。
なんか、優生政策(やさせいせいさく)…?とか、監視社会とか、で、でかい話をしてますけどぉ…
スゥゥゥ…要するにこの人は、『話になんない議論は、するだけ無駄だ』って言いたいわけでしょ?
いや、それは、そりゃそうですよ。
でもねぇ、この人、結局、ひ、批判してるだけじゃないですか。
僕が昔ぃ、ちょっとだけ手伝ったイベントの、き、企画会議でもいましたよ、こういう評論家みたいな人。
こっちが『こういうのどうですか?』って案を出すと、『いや、それにはこういう問題点があってぇ』『そもそも、その前提がだねぇ…』とか、で、できない理由ばっか並べるの。
スゥゥゥ…で、結局、会議の時間だけが過ぎて、何も決まらないんですよ。
この記事の、こ、コメントに書いてある、『建設的とは常に妥当性の上に築かれるべき』…?
スゥゥゥ…なんか、もっともらしいこと言ってますけどぉ、結局、自分が行動したくないための、い、言い訳にしか聞こえないんですよ、僕には。
記事書いた人も、このコメントの人も、こ、こうやって、ネット上で言葉の、プ、プロレスをしてるだけで、何も生み出してないじゃないですか。
スゥゥゥ…一番、だ、大事なのは、行動なんですよ、こ、こうどう…。
僕みたいにね、まず、やってみる。
まぁ、僕の場合は誰も来ませんでしたけど…スゥゥゥ…でも、それは、それで、やってみたから分かったことじゃないですか。
議論ばっかりして、頭の中で、こ、考えてるだけじゃ、何も、け、経験値は貯まらないんですよ。
はい。
なんで、この人たちもね、こんな難しい文章を、こ、こう、打ち込んでる暇があったらですね、
もっと、こ、外に出て、なんか、僕みたいに、こ、行動してみればいいのになぁと、思いますぅ。
そしたら、見えてくる世界も、た、多分、変わってくると思いますよ。ええ。
というわけで!
えー、今日は、ネットのに、僕が、えー、斬り込んでみましたけどもぉ…
まぁ、色々考えるのも大事ですけど、まずは行動!
「いかなる事象にもメリットとデメリットが存在し、肝要なのはデメリットに如何に対処するかである」とする意見は、一見すると理性的かつ中庸を旨とした態度に映る。実際、現代の公共的言説においてもしばしば耳目を引く主張である。
しかしながら、この論理には見過ごされがちな落とし穴が存在する。それは、「すべてのデメリットには対処可能な手段があり、すべてのメリットは相応の価値を持つ」という、暗黙の前提に依拠している点にある。これは時として、深刻な害悪を容認させる論理装置として機能し、暴論に堕する危険を孕む。
例えば、かつて行われた優生政策を例に取ろう。ある者はそれを、「社会全体の健康水準向上というメリットがある」と主張したかもしれない。だがその実態は、個人の尊厳を踏みにじり、不可逆な人権侵害を正当化するものであった。そこにある「デメリット」は、制度の修正や補償によって回復可能な性質のものではなく、そもそもその施策自体が正義に反するものであった。これを「デメリットをどうケアするか」の問題として扱うのは、あまりにも人倫に対して不誠実である。
また現代においても、たとえば監視社会の是非に関する議論において、同様の構造が見られる。「監視カメラの設置により治安が改善する」というメリットが語られる一方で、プライバシーの侵害、国家権力の濫用、監視の常態化による心理的圧迫など、極めて深刻なデメリットが存在する。これらは単に「ケアすれば済む」類の問題ではなく、制度設計そのものを問い直すべき本質的な論点である。
すなわち、「どのような政策・制度にもメリットとデメリットがあるからこそ、後者をどう補うかに焦点を置くべきだ」とする態度は、しばしばその前提自体の是非を問うべき局面を意図的に回避し、議論を「改善可能性」の幻想へと誘導する。こうした論法は、現実の不均衡や暴力を温存する機能を果たし得るゆえ、慎重な批判が求められる。
総じて申し上げるならば、「建設的」とは常に「妥当性」の上に築かれるべきものであり、すべてを技術的問題へと矮小化する姿勢は、時として破滅的な帰結を招く。