
はてなキーワード:学校とは
竹中氏は、派遣は自己責任論どころか、終身雇用やめて解雇できるようにしろと言ってる
なので基本的に僕は「社会とは、かくも子連れに対して優しいものか」というのを実感しているので、「社会が敵」とまで言われると、これまで大変お世話になった方々や、法律・制度を整備するために頑張ってくれた方々を否定されたような気持ちになってしまうのである。
なぜこの気持ちを「憎悪感情を煽ってインプレッションを稼ぎ、見に来た人達にnoteを売る」というコンボを繰り返している「金目当ての憎悪煽りマシーン」と化している方」に対して
子育てしてて「社会が敵」だなんて思ったこと無いけどな…。むしろ「社会に歓迎されとる!」みたいな実感ある。「行政って意外とあれこれ面倒見てくれるんだな」とか「子ども連れてるとオバチャンがやたら手を振ってくるな」とか「保育園は神」とか色々あるけど、基本的に社会は子連れに優しい。
と絡んでいったのかさっぱり分からない。
直球で「note売るために他人の辛さに乗っかって憎悪を煽らないで下さい。あなた自身はそんな経験ないんじゃないですか?」とか本人のみに向かって言えばいいのに、見に来た憎悪感情を煽られた人たちを巻き込んで煽ってどうするんだと。
辛い感情を煽られた人たちに「オレはそんなこと無かったスね、みんな優しくてハッピー。」と言って、やっぱ社会は優しいんだ…と溜飲下げると思ったの?社会に虐められていると感じてる人たちなのよ?
いじめ被害者がいじめられたのに担任は対応してくれないし、学校も問題視してくれない、親は深刻に捉えないし、学校は敵だ、と言ったことに対して、オレは友達に囲まれて楽しいし、担任は優しい、親子関係も悪くないし学校は味方ですね、学校が敵なんて主語でかくね?と言ったらそら批判されるよ。
遥か彼方の古えに読んだ際には、どこか飲み込めない表現に、次の巻…とならずプリンスは挫折したあの頃の私。上橋菜穂子先生や荻原規子先生、あとはラノベにどっぷりだった私よ。
お話の面白さの勢いに細かなとこでつまづいてしまって先に進めなかった、当時の私。今の私もわかる…!
そして👦が音声だと違和感ないのもわかる。
人にもよるだろうが、わたしは文字を一度脳内で音声に変換して咀嚼する。文字と音のダブル情報で処理するんだけど、文字の段階で引っかかって、理解までいかない。
2巻の「車のウィンドウ」とか「吠えメール」みたいな細かな言葉の足並みが揃ってない単語は「うーん!?」となってしまう。
また、スネイプ先生や子どもたち感情の動きを表す表現はちゃんと直接的に「この行動は嫌なやつだよ!」とか「皮肉的な言い方だよ!」とはならないように行動や視線で表現されているので、👦にはピンとこないことも多かった様子。
👦「どゆこと?」と何度か聞かれるうちに、表現プラス、ソレに対してどう言う感情が乗っかっているかも音読にアレンジ入れることになってきてる(「スネイプ先生はクリスマスを取り上げられたような顔になってーーつまりは心底残念そうにーー部屋から出ていった」といった塩梅)
理工系の女子が少ない大学、あるいは高専出身者ならわかると思うんだけど、あの空間、文化って凄く独特で、普通の学部や学校だと教室の隅でラップトップをカタカタしていたり、ライトノベルを読んでいたりしたようなカースト下位のオタク君たちがグループやクラスの中心にいるんだよね。
つまり理系っていうのは「オタク」という被差別属性の存在がカースト上位の男子や女子のいない空間で、モテ度による非人道的な差別から逃れて主体性をもって技術や学問に没頭できる保護区だったわけ。
女性が主体的に教育を受けるための教育機関が女子校であれば、オタクが主体的に教育を受けるための教育機関が理工系だったんだよ。
そしてこれまでの理工系の成果というのは、間違いなくそういった、一般社会ではキモい、陰キャと迫害された人たちが中心となって育ててきたものなんですよ。
それが儲かるようになってくるとSTEMだなんだともてはやして、「こんな良いものをオタク共が独占するな」と言われてるのが今なんですよ。
だからこそ、いま理工系で起きていることは「多様性の拡張」ではなく、「文化的な再征服」の捉えるべきだ。
かつて見向きもされなかった“オタクたちの保護区”が、経済的価値を持った瞬間に、社会の主流に収奪されようとしている。
誰もがモテ度やカーストに縛られず、数少ない女子学生も含めてただ好きなことに没頭できるという自由の構造こそが、理工系の文化を支えてきた。
その自由があったからこそ、教室の隅で世界を観察していた少年少女たちは技術で世の中を支える人材に育ってきた。
STEMを誰が学ぶかよりも先に問うべきは、その自由がまだ残っているかどうかだろう。
没頭を許す環境が失われたとき、理工系は単なる“キャリア教育”に堕し、人類の創造力はその静かな避難所を失う。
https://x.com/huuuuu_m/status/1985258755207110940
この間親戚の集まりに行った時に、20歳の子が私よりも遥かに大人だと感じてしまった
めちゃくちゃショックだった
学生が出来ていることがうまくできないな
女子が中心のアニオタサークルみたいなもの。男子も私の他に2、3人はいたと思う。
私はアニオタではなくて、ただ単にチビだったからショタ要員を期待されて「少年」と呼ばれていた。
BLを彼女らは嗜んでいただろうし、そういうヤツを求められていたのかもしれないが、これといってひどい目にはあったことはない。
カラオケいったとき、他の男子メンバーの上に座るように誘導されたことはあるが……。背面座位みたいな感じ。
無礼講だと思って、数分間そのままノリノリで私は歌っていた( ゚д゚)
結局、高校に進学してからはみんな学校も違うため、フェードアウト。
私にとってはヌルっと加入して、スーッと消えていったグループだ。
男女別学を選ぶ親は、異性に"惑わされずに"能力伸ばしてほしいって希望からだよな。
そういう場があってもいいとは思うけど、私立でやってくれって思うわ。公立学校で、性別で学校の選択肢狭めるのはどうかと思うよ…
額を見て頭が真っ白になった
母はテーブルに突っ伏して泣き声をあげた
父は黙って封筒を握りしめていたけど目はどこか遠くを見ていた
隣の家の子は昨日ランドセルを誇らしげに見せていたのを思い出した
うちの冷蔵庫にはまだ二日分の食材しかないのに制服が十万近くするってどういうことだ
公立の入学式でこれほど金を要求されるなんてふざけんなと思った
店員は丁寧にサイズを測ってくれて申し訳なさそうに値段を繰り返した
私の子は笑って「似合うね」と言ったけどその声が遠くて刺さるだけだった
祖母は小声で「なんとかする」と言ったけどそのなんとかがどれだけの借金か見えた
通帳の残高を見つめる父の指が震えているのを見て私は大人の世界に嘘があると知った
その笑顔が一番許せなかった
私は店の外で子どもの制服を入れた袋を抱えている自分に酔ったふりをした
学校は平等を教える場所のはずなのに入学の条件が家計の厚さで決まるこの現実が許せない
誰かが「節目だね」と言えば私たちはほほえみながら借金を抱えることを選ぶように仕向けられている
私の腹の底にあるのは悲しみでも羨望でもなく激しい怒りだ
この国で子どもを祝うために親が首を絞められるのは間違っている
私はこの朝を忘れないでおこうと思う
中学受験をする子たちが本気で嫌いだった
教科書を配られたとき一年でこれしか進まないのと笑う声を聞くたび胸の奥がざらざらした
自分が必死にノートに書いている横で連除法使えばいいのにと言われたとき笑って返したけど本当は机を蹴りたかった
あの子たちは塾に通って家庭教師がいて親が夜食を用意してくれる世界にいた
私は家で弟の世話をしながら学校のドリルを解いて間違えて怒られてまたやり直した
テストの順位表で上の方にいる子はみんなペンも服もきれいだった
家に帰ると新品のランドセルが並んでいて冷蔵庫の中が明るいんだろうなと勝手に想像して腹が立った
「努力すれば報われる」って言葉を信じるにはあの格差は残酷すぎた
それを認めたくなくてあの子たちを嫌いになる方が楽だった
彼らは悪くないのに笑っている顔が全部敵に見えた
塾帰りのリュックが光って見えて目を逸らした
あの頃の私は自分の未来が最初から狭く作られていることに気づいてしまっていた
親の財布の厚さが将来を決めるなんて信じたくなかった
今日はミスアキバの最終日なのではるかぜちゃんが思い出したように配信をしていたが、ちょっと見ただけでギブアップ
「腹式呼吸?っていうのをできるようになったよ!」っていう話し方
意識して腹に力入れるのにだけにいっぱいいっぱいで堅苦しくわざとらしい
売れない子役が声優に転身というのはよくあるパターンなのではるかぜちゃんは声優方向で羽ばたくかなと予想していた時期があり
ボクっ娘キャラの夢見りあむ役を本人も熱心に欲しがっていたりした
あれじゃ声優無理だよなー、でも本格的に声優になってたらあの変な喋り方も直ってたかな
小学生のころ、特に目立たない女の子がいた。髪は肩までで、いつも地味な色のカーディガンを着てて、でも声がやわらかくて、笑うとき少し口を押さえる癖があった。俺はというと、いつも一人でゲーム雑誌を読んでるようなタイプで、話しかけられることなんて滅多になかった。
ある日、給食の時間に牛乳をひっくり返した。制服の袖にまでかかって、みんな笑って、俺は顔が真っ赤になってた。そしたらその子がハンカチを差し出して、「これ使っていいよ」って言ったんだ。小さなピンクのハンカチで、角にくまの刺繍があって、少し柔軟剤の匂いがした。
「返すよ」って言ったら、「いいよ、洗って返してね」って笑った。
次の日、ちゃんと洗ってアイロンまでかけて持っていったら、「わざわざありがと」と言ってくれてさ。そのとき彼女の指先が、ほんの一瞬だけ俺の手に触れた。あのぬくもり、いまだに覚えてる。
それからしばらく、廊下ですれ違うときに「おはよう」って言ってくれるようになった。それだけのことだったけど、毎朝それが嬉しくて、学校に行くのが少し楽しみになった。
中学に上がる頃には自然と話さなくなったけど、たまに思い出すんだ。あの小さなハンカチの温かさ。まあ、あれ以来、女の子にそんなふうに優しくされたことはないけどな。
とほほ。
問題に対して思い悩む層は、そもそも幸せになることが大事だということを理解していない層だったりするから、
こんな子に育ってほしいと思えるような人って学校思い浮かべて何人くらいいた?