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2025-12-16

140字の彼の呼吸を止めてあげたかった

三島由紀夫の『仮面の告白』を読んだ。本来であれば、読了後の感動が冷めやらぬうちに書評を書くつもりだった。しかし、どうしても筆が進まない。この作品鋭利刃物のように「お前の仮面の下には何があるのか」と喉元に突きつけてくるからだ。安全から批評することなど許されない気がした。

から僕は書評を諦め、代わりに僕自身の、あまり個人的なある「恋愛」のようなものについて書く。

最初に断っておく。僕は同性愛者ではない。少なくとも一般的意味において、男性の肉体を性的に欲することはない。 それでもかつて僕は、インターネットの海で出会ったある「彼」に、異常な偏愛を抱いてしまたことがある。 それは性愛というよりは、三島小説主人公が「聖セバスチャン」の殉教図に欲情したような、破壊と美が混在した倒錯的な眼差しだった。

当時、僕はTwitter(現X)という場所に漂う、独特の湿度が好きだった。自分の弱さや「メンヘラ感」をあえて露悪的に見せつけ、それを人質にして他者に寄りかかろうとする、あの「よわよわしい」文章たち。 彼は、その中でも一際異彩を放っていた。

どうしようもなく顔立ちの整った、かわいい男の子だった。 中上流家庭に生まれた育ちの良さを滲ませながら、現役で東大に落ちて、浪人生活を送っていた。 でも、彼から感じたのは受験生悲壮感ではない。社会的所属が宙ぶらりんになった真空地帯で、静かに窒息しかけているような危うさだ

志望校京大に変えたというのも、いかにも彼らしかった。 東の都の競争原理よりも、西の古都のほうが、彼の浮世離れした感性には似合っている。 結局、彼がその春に桜を見ることができたのか、僕はよく覚えていない。

ただ覚えているのは、彼がいつも何か別の世界を見ていたことだ。 彼のタイムラインは、彼の脳内みたいにノイジーだった。平沢進の壮大な音楽で救済を求めたかと思えば、lilbesh ramkoのような、脳髄をヤスリで削るようなグリッチ音を好んで聴いていた。

そして、何よりも僕の胸を締め付けたのは、彼がふと呟いた小学生の頃のエピソードだ。学校で「十年後の自分へ送るタイムカプセル」を作る授業があったとき、彼は未来自分への手紙の隙間に、こっそりと「博麗霊夢」のイラストを描いて忍ばせたという。 なんとも、インターネット的な業と、無垢少年性とが混ざり合っていて、僕はそのツイートを見て、どうしようもなく彼を愛してしまった。

そんな彼が、浪人が決まって一人暮らしを始めたときのことだ。親の金で借りたであろう小綺麗なアパートの一室。彼が上げた本棚写真

星の王子さま』。 青松輝の『4』。 そして難解な哲学書

少年のような無垢さと、現代的な感傷と、アカデミズムへの真摯な野心。 その三つが奇妙なバランスで並んでいる写真に、僕はリプを送った。 「読んでる人を表してるみたいな本棚だね」

「ありがと、うれしい。でも半分ぐらい読んでない」

その正直さと、間の抜け方。それが彼だった。難解な哲学書に手を伸ばす一方で、『星の王子さま』を必要としている。そういう矛盾に、僕はつい心を奪われてしまった。

もっと単純で、動物的な理由もあった。 読者には見えない、消えてしまった140字の羅列。その隙間で、彼が僕に与えた「餌」の話をしなければならない。

当時の僕は、固定ツイートに**「五十六億七千万個まで質問答える。NGなし、期限なし」**という、弥勒菩薩気取りのふざけたタグを掲げていた。 彼がそれに反応し、「僕のこと好き?」と投げてきた。冗談混じりのやり取りのつもりだったのだろう。だが彼は引かず、何度も「好き」と繰り返した。 僕はそれをまともに受けてしまった。要するに、彼もまたズレた人間で、僕をある意味で好いてくれていた──それだけで十分だった。

その言葉は、当時の精神的に飢餓状態にあった僕にとって、劇薬だった。コンビニ駄菓子のような安っぽい言葉だったとしても、僕には高級な宝石のように思えた。 吞み込んだら、脳の奥がしびれた。

こんなにかわいく、あんなに残酷に、人の心に入り込める彼という存在のものに、僕はどうしようもなく狂ってしまった。 そして、彼が「首絞め」を好んでいたという事実を知ったとき、僕は妙な納得感と同時に、どうしようもないエロさを感じた。

その瞬間を、僕の手で与えてあげたかった。 ウワバミに飲まれるのでもなく、毒蛇に噛まれるのでもなく、僕の手で。 彼が苦しげに喘ぎ、白目を剥き、よだれを垂らして「あちら側」へ行こうとする様を、特等席で眺めたかった。 彼を救ってあげたいという気持ちと、僕の手の中で彼が壊れていくのを見たいという嗜虐心は、僕の中で完全にイコールだった。

あんなにかわいくて、あんなに儚い男の子が、僕の手の中で痙攣している。 その想像だけで、僕はどうにかなりそうだった。 実際にその夜、彼を思いながら熱を吐き出したのかどうか、記憶は定かではない。ただ、ありふれた性の記憶ではなく、僕の脳裏に焼き付いているのは一つの光景だけだった。

――彼の首を絞めながら唇を重ねる、美しく結晶化されたイメージ

しかし、そのイメージがあまり完璧すぎて、僕は身動きが取れなくなっていた。 僕の思いを彼に伝えるのも怖かった。受け止めてくれるような気もしたけどね。

結局、僕は彼にやり方を聞いた。 「首絞めはきもちーよ」と無邪気に語る彼に、あくま好奇心を装って。本当は彼にするはずだった行為を、自分の体で代替するために。

彼は何も知らないまま、「首吊りは危ないから、まずは気絶したらちゃん空気が通るようなやり方にしたほうがいいよ」と親切にアドバイスをくれた。 僕はその言葉に従い、深夜、自分自分の首を絞めた。 彼に向けられるはずだった愛と暴力を、独りよがり自分の気道へと押し込んだ。

気道が塞がる。血流が止まる。視界の端からノイズが走り、意識が遠のく予感の中で、僕は愛の正体を捕まえたような気がした。

しかし、美しい魔法唐突に解けた。生理的拒絶反応に耐えかねて手を離した瞬間、僕はただ激しく咳き込んだ。 口の端から垂れたよだれが、冷たく顎を伝う。

熱に浮かされていた頭は急速に冷え、ゼーゼーと鳴る喉の音だけが部屋に響く。 布団の上で天井を見つめる僕の肌に、深夜の冷気がじっとりと張り付いた。ネット上では「窒息はコカインと同じくらい気持ちいい」などという言説もあったが、嘘っぱちだと思った。これならコカインをやったほうが簡単だろう。

ふとスマホを見ると、彼がツイートしていた。 「フォロワーに変なこと教えちゃった」 それを見て、僕は「かわいいなー」と他人事のように思った。

僕と彼の間に生まれた、共犯関係のようなむず痒い楽しさ。それを彼も少しは感じてくれていたのかもしれない。 そんな、三島由紀夫の描く血生臭いエロスとは程遠い、僕の「告白である

結局、この話にオチはない。 僕はおよそ一年間、彼のツイートを見てときめき、その文章を愛でていただけだ。会ったこともなければ、DMで深い話をしたわけでもない。 せいぜいリプと空リプで少し言葉を交わした程度。 彼はおそらく、僕のことなど覚えていないだろう。

鮮烈なエピソードもなければ、ドラマチックな結末もない。 僕がTwitterアカウントを消したので、彼の消息不明だ。 もちろん、彼ほどの人間インターネットを辞められるとは思えない。おそらくTwitter検索欄に彼の名前、あるいはかつての僕のアカウント名を打ち込んで、そこから逆にたどれば一時間もしないうちに再発見できるだろう。

しかし、僕はいまだに一度たりともそれを試みていない。 彼が変わってしまっているのが怖い。僕は臆病者だ。 もし、万が一彼を見つけて、彼が当時の「よわよわしさ」を克服し、精神的に自立し、強くたくましい大人になっていたとしたら?

友人として、それは心から祝福すべきことだ。彼には幸せになってほしい。本来なら地上では窒息してしまうはずの天使が、奇跡的に舞い降りたようなものだ。 けれど、それと同時に、僕の胸の奥で黒い感情が鎌首をもたげる。

彼が強くなること。それは僕が愛した「彼」の消失意味する。 あの頃の、儚くて、今にも壊れそうで、だからこそ首を絞めて永遠に閉じ込めておきたかった「彼」は、もうどこにもいないことになる。

僕は彼に幸せになってほしい。 けれど、僕が愛せるのは「不幸で、弱くて、美しい彼」だけなのかもしれない。 だから僕は彼を探せない。

彼がどこかで笑っていることを祈りながら、その笑顔を見たくないというエゴを守るために、僕はもうまともにTwitterなんかできない。 たぶんもう一回始めたら、いつかは検索してしまうから。それで見つけられなかったら、それも怖いし。 彼は今にも死んじゃいそうだったから。

三島の『仮面の告白』のラストシーンで、主人公日常という虚無の中で、乾いた心でダンスホールを眺める。 僕もまた、彼を探さないという「仮面」を被り続けることで、あの奇妙な二重性の中で、彼を生かし続けている。

そう、僕は彼を愛していた。 首を絞めながら、彼の唇を塞ぎたかった。 その暴力的な愛の感触が、今も僕の手のひらには残っている気がする。

今になって、こんな場所でこれを書いているのは、僕という異物を彼の喉に引っ掛けたくなったからだ。 探さないと言いながら彼に読まれることを期待している、矛盾した行いだけれど。

最後に、かつて彼が愛し、僕もまた愛した曲の話をして終わる。神聖かまってちゃんの『天使じゃ地上じゃちっそく死』。 彼はかつて、この曲を好んで聴いていた。

今の彼は、天使であることをやめて、平穏な地上でうまく呼吸ができているのだろうか。 それとも、今もどこかで、地上の空気に馴染めず、窒息しかけているのだろうか。

僕にはわからない。 だからこそ、この曲を聴くたびに、僕の脳裏にはやはり、あの頃の苦しげに喘ぐ彼の姿が浮かんでしまうのだ。

※以前noteにも似た話を書いたけれど、記憶を掘り起こして、思い出したことさらに書き足した

Permalink |記事への反応(0) | 18:39

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2025-12-13

「立派な人」である前に「生活を丁寧にしてる人」になるべきって方向に時代が変わってきたんだと思う

「子持ち」「金持ち」「趣味人」「成功者」といった事柄価値が下がってきてるように思う。

代わりに「生活普通に丁寧にやっているか」の優先度が上がってきたと言うか。

子供を沢山育てていたとしてもいつもイライラしている人は「毒親」として扱われる。

金持ちだったとしても仕事人間で早死した人は「人生を間違えた人」として扱われる。

趣味人であっても風呂食生活が終わっていて臭い人は「界隈の恥」として切り捨てられる。

あらゆる分野において「まず、生活が丁寧であるかが大前提だ」という風に価値観が切り替わっている。

俺が若い頃、まあつまりは「平成≒新しい」という世界観だった頃は、「生活をサクっと切り上げて他にエネルギーを回すのが立派な人だ」という風潮があった。

睡眠時間を削って頑張って子育てする人はその結果としてガミガミしてようが「国家繁栄功労者」みたいな感じだった。

24時間戦うサラリーマン、年中無休の経営者、5時間睡眠受験生、食費を切り詰めるオタク、そういった人々が「自己犠牲のもとに結果を出す立派な人達」として持ち上げられていた。

だが今は違う(ギュッ)。

今はもう全部が違う。

睡眠時間を削って働く人はたとえ総理大臣だろうが「悪い見本だ」と批判されるし、エナドリを飲みまくるe-スポーツ選手は「不健康アピールスポンサードリンクネガキャンやめろ」と叩かれる。

そういう時代なんだ。

健康であること、ひいては「生活が丁寧」であることの価値が物凄く高まっている。

これはもう時代の流れとしか言えない。

ストレス社会の行き着いた先なのか、様々な消費啓蒙合戦の果てにこの時代が来たのか、世の中が清潔で健康になるにつれそうじゃない人間排除が始まったのか、理由は複合的だろう。

とにもかくにも現代においては「まず生活を丁寧にやりましょう。全てはそこからです」という感じになっているわけだ。

社会ポリコレ化が言動に対してではなく「生活様式」自体にまで口を出すようになった感じだろうか。

俺はソレを批判する気はない。

別に悪いことじゃないと思う。

睡眠不足や栄養不足でイラついてオラついている被害者意識ムンムンの連中が「でも結果は出してますからね」でパワハラしまくる社会と比べたらまだ窮屈じゃない。

結果だけは出しているという肩書をぶら下げてパワハラを振りまく連中の顔色を伺うよりは、7時間寝て栄養のあるものを食べて清潔な部屋と体で過ごすように心がける方がよっぽど建設的じゃないか

平成は遠くになった。

令和の価値観に合わせていこう。

平成においては「結果を出せているか」が最重要だったが、令和では「生活が丁寧で健康的か」が最重要なんだ。

そしてまた30年後にはルールが変わる。

変わるんだろうな。

ある意味楽しみじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 15:55

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anond:20251213084715

被害の話をしているので伝聞の話はしていませんね。

受験日の受験生を痴漢しようなんてムーブメントを起こす性別には何を言っても無駄でしたか

まず持ってお前みたいなチンカスがこの世に生を受けている事が過ちですよ。

Permalink |記事への反応(0) | 10:33

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2025-12-10

リベラルとしては性的少数者にも女子受験を認めてあげて欲しい

https://news.livedoor.com/article/detail/30130682/

 文部科学省は3日、来年度の全国学力・学習状況調査全国学力テストから性別欄の選択肢に「どちらにもあてはまらない」と「回答しない」を加えることを決めた。

 多様な性に配慮するのが狙い。

 この日の有識者会議で報告した。国際的学力調査で同様の対応が既に行われていることや、国の方針性的少数者配慮すべきだとされていることなどが理由性別による意識差などを調査するため、性別欄の「男」「女」の選択肢は維持する。

性的少数者の中には男子よりも女子よりもずっと優秀な子がいるのだが、配慮ない学生生活に巻き込まれて、本来の力を発揮できないケースが多い。

学力調査で多様な性に配慮することになったのを良い機会と捉えて、「どちらにもあてはまらない」か「回答しない」と回答した子には大学受験時に女子枠への出願を認める制度にできないだろうか。

既に大学研究者女性限定公募では、身体的には男性として生まれ女性自認の方を採用してきた実績がある。

また、オリンピック女子種目日本代表では、性自認男性であるもの身体的には女性である方も活躍してきた。

これらの多様性配慮の実績を踏まえ、身体性自認の少なくともどちらかは女性である受験生や、学力調査時点で性自認について回答しなかった受験生も、広く女子枠で対応できるようにして欲しい。

 

Permalink |記事への反応(0) | 14:49

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2025-12-09

anond:20251209090921

優秀なら女子枠なんか無くても合格できるんじゃないですかあ?試験はできないけど優秀とかウソつくんすか?

 

そもそも管理職理系関係あると思ってる時点で頭おかし狂人しかいいようがないんだけど、

その程度の知的ボーダーって割合理解が全部狂ってるんだよね。

 

「実力通りの割合」とやらを推計するなら

工学系→女性16%だけど実際どんだけ志望してんだよって話からしないと全部バカ妄想から外に出ない

たとえば工学系の受験生100人のうち30%だけど女性で16%しかいない話だったら「実力通りの割合?」「実力通りの割合じゃない?」

当然ここにも複数の要因を考慮する必要がある。

 

こういうバカって割合が同じじゃないとおかしいみたいな妄想から全部飛躍してるから全部が狂ってるんだよね。

Permalink |記事への反応(4) | 10:47

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2025-12-08

anond:20251208141219

そういう受験生civをすすめるような事は止めろw

安全性にも言及してるだろ!

Permalink |記事への反応(0) | 14:18

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2025-12-06

anond:20251206082132

貧困層地方在住の受験生の救済制度を整備して女子枠←分かる

地方でも貧困でも男子利権集団女子サイコー!w←現状はこれ

Permalink |記事への反応(0) | 10:21

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2025-12-05

anond:20251204184916

アファーマティブアクションってそういうものでしょ

差別構造固定化を打破するために一時的構造的な差別を導入する

悪いのは過去の人間だよ

割を食うのは今の人間だよ

救われるのは未来人間だよ

未来人間幸せになって欲しいから、今の人間犠牲にするんだよ

からせめて人殺しの顔をするしかないんだよ

大学関係者フェミニスト過去世代男性もみんな人殺しの顔をするしかないんだよ

僕らが作った男性優位な理工系社会を作り直すために男性受験生には割を食ってもらいますって、私たちが望む女性活躍できる理工系社会を作るために男性受験生には割を食ってもらいますって、私たちの"公益"のために犠牲になってもらいます、ごめんなさいって

思い続けるし言い続けるしかないと思っているよ、アファーマティブアクション肯定的人間の一人としては

Permalink |記事への反応(2) | 21:05

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anond:20251205180159

別に一般枠も実質男女別定員制度男優遇されているから現役受験生でも対象です

嫌なら初めから下駄はかずに公正に成績で決めればいいのに既得権益から反発する

女にも勝てないチンカス下駄学歴も職も不要から黙って死になさいよ

Permalink |記事への反応(2) | 18:09

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2025-12-04

大学入学共通テスト廃止と、国家資源の再配分を求める

 現在大学入学共通テストは、高等教育入り口として長年実施されてきました。しかし、制度が抱える問題は大きく、導入当初の目的理念をすでに果たせていないばかりか、国全体の限られた資源を不必要に消費し続けています。私は、共通テスト廃止し、各大学個別入試回帰するべきだと考えます。そして、共通テスト運営にかかる膨大な国費・労力を、国防インフラ整備、技術開発など、日本の将来にとってより重要な分野へ振り向けるべきだと強く主張します。

 そもそも共通テストの起点となったのは、1970年代まで各大学独自に行っていた入試に対する批判でした。当時は、難問・奇問・重箱の隅をつつくような問題が多く、受験生負担が過度であることが社会問題化していました。この反省を踏まえて1979年共通一次試験が導入され、「一律で公平な基準に基づく選抜」を標榜したのが現在制度の原点です。

 しか今日、状況は当時とは大きく異なります大学側の出題能力は向上し、過度な奇問・難問は強く批判される仕組みも整いました。情報公開も進み、各大学独自に適切な学力を測定する環境が整っています。つまり共通テスト導入の前提だった「大学個別試験では公平性が確保できない」という時代では、もはやありません。

 それにもかかわらず共通テストが続けられている最大の問題は、その運営国家的規模のコストがかかり過ぎている点です。作問委員会の設置、全国規模の事務システム試験監督者の確保、会場運営輸送・警備など、膨大な人員予算が毎年投入されています大学教員研究教育に充てるべき時間共通テスト関連業務に奪われ、アカデミックリソースが大きく消費されています。これらの労力と費用は、すでに制度維持のために制度存在するような倒錯した構造を生んでいます

 さらに、共通テスト難関大学選抜機能を十分に果たしていません。高得点層では得点が集中し、いわゆる「得点圧縮」が起こり、学力差を識別できなくなっていますわずかな得点差が合否を左右しているように見えますが、その差は統計的には誤差の範囲であり、選抜試験としての精度は極めて低いと言わざるを得ません。そのため最終的には各大学個別試験学生評価し直しており、共通テストが果たす役割形骸化しています

 こうした状況にもかかわらず共通テストが存続している背景には、模試産業予備校、教材関連企業などの利害構造存在します。共通テストは巨大な市場形成し、制度自体経済圏となっていますしか教育制度国益観点から最適化されるべきであり、既得権的な構造を守るために国費が費やされ続ける現状は、本末転倒と言えます

 私は、共通テスト廃止によって浮く膨大な財政人材リソースを、国としてより重要領域へ再配分するべきだと考えます。激化する国際情勢を踏まえれば国防力の強化は不可欠であり、老朽化が進むインフラへの投資世界的な競争の中心となっている技術革新への研究開発費も緊急に必要です。共通テスト国民の多大な負担を伴う巨大事業であり、その縮小・廃止国家戦略上も合理的判断となるはずです。

 大学入試は、各大学独自実施し、自らの教育理念に基づいて学生選抜する時代へ戻るべきです。これこそが大学自治多様性保障し、教育の質を高める方向性とも合致します。

 以上の理由から共通テスト廃止し、国家資源をより重要な分野へ振り向けることを強く要望する。

Permalink |記事への反応(1) | 13:50

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2025-11-30

美大生とかい自分の苦労やシビア境遇について泣き言がやたら多い生き物

でも看護学科を目指す高校生くらい美大を目指す動機がしっかりしてる美大受験生はほぼおらず、

また会計士を目指してTACに通ってる大学生よりも普段から努力してる美大生もほぼいないという現実

Permalink |記事への反応(0) | 10:22

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都内マップを見れば勝ち組医者職場だらけだ

よく頑張った

受かる受験生毎日一礼するだろう

Permalink |記事への反応(0) | 10:06

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2025-11-26

3S1Kなんて幻想

文京区小学校の3S1K信仰にげんなりしている。

たまたま住んでしまって、幼稚園に入ってから周りの話を聞いて知ったけど後の祭り

私立中学を受験する人が学年の8割くらいなんだろうか?

親の言う事を素直に聞けて勉強も好きな早熟な子や、中学にやりたい部活があって自分から頑張っているような子は特に問題ない。受験する人の全体の1割だろうか?そういう人たちは自分のやるべき事をコツコツとこなし勿論難関校へ行ける。

それ以外は、重課金した金額は、あらやっぱりウチには受験は向かなかったわね、と、損切りできるような金額じゃないので、教育虐待気味になる。

そして子どもたちはそれらの重圧を解放すべく、学校内で好き勝手振る舞い、学級崩壊するのだ。

受験生の実態だけでなく、学校のものもあまり良い環境とは言えない。

定員はとうにオーバーしているのに、受け入れを断らずに、専門教科の準備室をなんとか改装して教室にしている。すごく狭い。酷い学校だと、図書室をパーテションで区切って教室にしたり、図書室の本を体育倉庫にどけてまで教室にしている。

(隣の区では、転入生は受け入れられませんと断って、定員を調整しているのに)

戸建てでもマンションでも、今や億を超える手狭な家を買って、わざわざ狭苦しい学校に押し込むだなんて…。

児童も、なかなかすごいのがいる。

高学歴エリート同士からまれた子は、あれこれカンスト状態なのか、発達障害の子が何人もいる。おとなしいタイプや単純に多動なだけならまだ良いが、他害する子は学年に何人か必ずいる。

親も特性ありだと、エリート思想と相まって高確率スーパーモンスターペアレントになる。だいたい他害するヤツの親である

学級崩壊しないクラス先生はよっぽど優秀だ。

子ども高学歴を狙ってくる中国人もたくさんいる。いや、高学歴を狙っているならわりと常識的か。

高学歴を狙ってない、日本語もわからない、そんな中国の子もなぜか何人もいる。そいうのは、もれなくモンペの子と仲良しになって、常識ない者同士でやりたい放題はじめる。

こんなのが超狭い教室にいるんですよ?

そんなもんで、良い先生ほど病んでいなくなってしまう。そうじゃない先生はやたらと子ども支配コントロールしようとしてくる。ちゃんとしてほしいのはそこじゃない。

自分の子受験にはとても向かない子だったので、おとなしく区立中学に通っているが、中学があまりにも普通自由でのびのびとしていたので、小学校の息苦しい生活は一体なんだったのかと思っている。

3S1Kの言葉を見る度に、ちゃん学校見学したほうが良いよ?と思う。それをうたい文句にしている不動産屋もいい加減にしてほしい。

増田を使う層は、3S1Kが気になる層と噛み合わないだろうなと思うが、それでも、書かずにはいられなかった。たとえ1人でも、ちょっと考え直す人が出てくれればと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 15:23

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少しでも北大後期受ける可能性あるならホテル取っておく

なんて行動に全国の受験生が出るのも大概迷惑では?

後期なんて、受ける可能性があるだけレベルなら、実際の受験者数の百倍ぐらい今の時期だといないか

まあそういう空気自分受験生の時の話だから、色々今は違うんだろうか

Permalink |記事への反応(0) | 08:45

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2025-11-24

アンキパンマン

受験生「君の顔を食べさせてくれ!」

Permalink |記事への反応(0) | 13:04

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2025-11-23

anond:20251123220111

受験生に向かって語ってるんだから筋違いではあるけれど

受験大学での経験から得た信念を語っているからという以上の意味はないよ

間違っていると言っているんじゃなくて、根拠論理学生臭強すぎでむず痒いって意味

Permalink |記事への反応(1) | 22:14

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2025-11-22

anond:20251122021601

そこそこの進学校。一クラスの中から東大京大あるいは医学部なんかに行く人も普通にいるような。

学校にとって生徒はお客さんで、学校学校側が地域受験生や親に対して面目さえ立つなら、生徒が授業をサボろうが成績が悪かろうがお構いなしだったな。どんな成績でも出席日数が足りていれば卒業はさせてた。

Permalink |記事への反応(0) | 02:25

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2025-11-12

自然文章を書けない

段落1

センター試験の本番の現代文で満点をとったこともあるのに、「お前の日本語は不自然だ」といつも言われてしまう。

段落2

センター試験現代文は「文章に書いてあることを、書いてあるとおりに理解しているか」を問う試験だ。

例えば次のような問題があったとする。

この問題の正解はAだ。

「本をよく食べる」なんて表現一般的ものではないが、本文にそう書いてあるならそれが正解になる。

想像力が豊かな人は「『本をよく食べる』というのはきっと『本をよく読む』の比喩なんだろう」と考えてBを選択してしまうかもしれない。

しかすると素材文の筆者も、そのつもりで書いたのかもしれない。

しか入試現代文においては、Bは不正解である。なぜなら「本をよく読む」という記述はないからだ。

段落3

入試現代文世界では「書いてあることがすべて」であり、「書かれていないことを勝手想像してはいけない」というのが正義だ(と予備校講師が言っていた)。

予備校講師によれば、この考え方はテクスト論というものに基づいているらしい。

この講師は次のようにも言っていた:入試問題の題材になった文章の筆者が模範解答に文句を言うことがあるが、これはお門違いである――問題作成者文章から読み取れることだけをもとに設問と模範解答を作っており、それが筆者の意図と異なるのであれば、それは筆者の書き方に落ち度がある。

段落4

受験生だった私は、この考え方に感銘を受けた。

自分は、誰が読んでも正しく意図が伝わるような文章を書けるようになりたいと思った。

予備校で正しく文章を読解するテクニックを学んだ。

センター試験現代文で満点を取れる程度にはこのテクニック習得できた。(難関大学にも合格した。東大は無理だったが……)

受験が終わってからも、このテクニックから逆算して、正しく読解できる文章を書くように心がけてきた。

理科系の作文技術』を繰り返し読んだ。

ゼミ教授卒論添削もしてもらった。

段落5

文章を正しく読解する能力と、正しく意図が伝わる文章を書ける能力。 この2つを身につけられたと思っていた。

段落6

就活面接官や職場上司などに言われたことを以下に列挙してみる。

段落7

ご覧の通り、私の書く文章ダメダメらしい。

さらに言うと、私は前述の言葉を投げかけてきた人たちの書く文章をうまく読解することもできなかった。

自分は正しく文章を書いているつもりだ。

それに、彼らの書く文章にこそ問題がある――曖昧であったり、そもそも必要情報記述されていなかったり――と、自分認識している。

でも自認なんて関係ない。 なぜなら正しさを決めるのは立場が上の人間なのだから

段落8

私は自然文章を書けない。

一般的自然とされるような文章を正しく読解することもできない。

リーディングライティングすらできないやつが、当然リスニングスピーキングができるわけもなく。(そもそも口下手だったからこそライティング挽回しようと思っていた)

インプットアウトプットも壊れた本物のコミュ障。 化け物。

誰か早く俺を殺してくれ。

Permalink |記事への反応(3) | 22:44

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2025-11-09

anond:20251109221141

低学歴は知りもしないだろうが、テストの上位2割と下位8割を決める問題ってのがあるんだよ

中間期末テスト程度なら単元別テストと同程度には狭い範囲の比べっこでしかないが

昔で言うセンター試験とかならそこの上位2割を決める問題はその受験生の2割を決める問題であり

増田はそういう話をしているんだよね

実際彼の言うそれがそれのことを言っているかというのはボクチンは知らないんだけど、

そういう問題ってのはあるわけよ、実際

Permalink |記事への反応(1) | 22:19

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2025-11-02

息子がとても勉強しないのに大学行くという

小学生の頃に理解が早かったからええところの中学高校へ行ったけどとにかく勉強嫌い

勉強しないか高校に進むと学校の成績もうなぎ下がり

受験生なのに夜に深夜アニメ見て朝は半分寝ながら登校

多分同級生の影響で国立大学受験すると言うけどそんな成績ではない

そもそもこれだけ勉強嫌いでやらないのに何をしに大学へ行くのか

どうしたらいい?

Permalink |記事への反応(1) | 16:08

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2025-10-27

anond:20251027144756

承平天慶の乱受験生に差をつけろ

Permalink |記事への反応(0) | 14:50

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anond:20251027112418

芸術系大学に4年も通ってるのに絵が壊滅的に下手

絵が上手くなるのは大学4年間じゃなく受験生の頃じゃね?

今は少子化のせいで下手糞でも美大入れちゃうってマジなの?

Permalink |記事への反応(2) | 13:12

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anond:20251027123700

自称貧乏って一番信用できないんだけど

これをどれくらい満たしてる?

まれてるやつのオレガバッタが一番キライなんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 12:49

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2025-10-25

某Vについて

センター試験の数1A(と物理)が満点だったというだけであれだけ数学について得意気に語れるのはすごい。

若い子は知らないだろうけど、センター試験だった頃の問題難易度ってかなり易しかったんだよね。

とくに理系科目に関しては旧帝大レベル受験生だと満点近くとって当たり前な風潮があった。

ワイも受験生当時にセンター数1A2Bで満点とったけど数学が得意という意識は持てなかったわ。東大数学は40/120だったし。

センター試験の点数を根拠に何が得意だなんて胸を張って言うことはワイにはとてもできない。

Permalink |記事への反応(2) | 18:45

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2025-10-24

anond:20251024195344

都会の受験生が塾にしかいかないと思っているのは地方出身ありがちな思考

Permalink |記事への反応(1) | 20:14

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